人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

ホセ・クーラ 平和への思い、公正な社会への発言

2016-02-28 | 芸術・人生・社会について①


ホセ・クーラは、インタビューなどで、紛争と平和、社会的公正の課題など、社会問題について積極的に発言しています。そこには、彼自身が育ってきた背景の影響もあるでしょうし、アーティストとして生きる初心を忘れず、バックボーンとして今も貫いている姿勢が感じられます。

●民族的ルーツと生い立ち
クーラは1962年に南米アルゼンチンで生まれました。父方の祖父母は中東レバノンからの移民です。母方は、祖母はイタリア、祖父はスペインからの移民。まさに「移民の国」アルゼンチンらしい一族のルーツです。欧米中心でない視野をもっている理由のひとつはここにあるのでしょうか。

 

●平和のためのレクイエム(1984)
アルゼンチンでは、1976年にクーデターによって軍事政権の圧政が始まり、1983年まで続きます。クーラの多感な青少年期は、ちょうど軍政下にありました。
軍事政権は1982年、イギリスとの間でフォークランド戦争(マルビナス戦争)を引き起こします。そして徴兵制のもと、当時20歳頃のクーラも予備隊にいたそうです。幸い、戦争は約3カ月で終りますが、もし長引いたら、クーラも前線に送られ、このユニークで多面的なアーティストは誕生しなかったかもしれません。クーラは後に、「戦争が短かったことを神に感謝した」と述べています。
この戦争でアルゼンチン側は多くの犠牲者を出しました。友人も出兵したそうです。大学で指揮と作曲を学んだクーラは、戦争の犠牲者を追悼するレクイエムを作曲しました。



このレクイエムは未発表です。クーラのインタビューによると、2007年に初公開を予定していましたが、残念ながら母国の関係機関のサポートが得られなかったとのことです。クーラはこの犠牲者を悼む曲を、戦争に関与したイギリスとアルゼンチン両国の2つの合唱団で演奏したいと希望していました。しかしその当時は、まだ戦争の傷は癒えたとしても、しこりが残っていたとのことです。
「どこかでステージにあげられることを願っている。死ぬ前に、たとえアルゼンチン国内でなくとも」とクーラは述べていましたが、2015年から3年間のプラハ交響楽団でのレジデントの期間に、実現するかもしれません。



●アーティストとしての原点は平和への願い
アルゼンチンでは、民主化後も、軍政の影響による経済的混乱は続きます。このことが、クーラの少年時代からの夢である指揮者・作曲家としての出発を困難にしたようです。生活のために歌手への道を選んだのでした。
そしてイタリアに移住し、テノール歌手として国際的に活動をひろげるなかで、1997年にはじめて出した2つのCDのうちの1つが、アルゼンチンの曲を集めた「アネーロ」(Anhelo)です。愛と平和をうたったチリの詩人で、ノーベル賞受賞者のパブロ・ネルーダの詩をもとにした曲を多く収録しています。クーラ自身がネルーダの詩に作曲した曲もあります。

「アネーロ」録音風景
  

José Cura - Sonetos de Amor y Muerte ネルーダ「愛のソネット」より「もし私が死んだら」、クーラ作曲


この「アネーロ」のCD付属のパンフレットにクーラはつぎのように書いています。

"But if, on the other hand, my art succeeds in planting the seed of peace within man's heart so that it may grow there, then my life will have had some meaning - but be a star by night."
「もし私の芸術が平和の種を人々の心の中にまくことに成功し、そしてそれがそこで大きく育つことができたなら、私の人生は何らかの意味をもつだろう。一夜にしてスターになることなどではなく。」

クーラはこの言葉を、自らのアーティストとしての初心として、最近もインタビューなどで繰り返し引用しています。



●社会問題への関心と発言
「社会に関与することは、全ての有名人の責務でもある。私はしばしば、他者の問題を自分の肩に背負い、そのためしばしば打撃を受ける。しかし偽善者であることより、私は、そうした打撃に耐えるほうを選ぶ。」

このインタビューで述べたような社会問題への関与のひとつとして、2009年には、国連気候変動首脳会議へ気候問題の正義を求めるキャンペーンに参加しました。その訴えの動画がYoutubeにあがっています。この中でクーラが作っているのは、2010年に演出・主演した「サムソンとデリラ」のセット模型です。
José Cura - Climate Ally


●現代社会への懸念とクラシック音楽の未来
アーティストとして、社会と芸術・音楽の役割、関係についての発言も多いです。

(2015年1月のプラハでのインタビューより)
Q、加速する今日、現代社会にオペラのようなクラシック音楽の将来はあるか?
A、社会の急激な変化について私も懸念する。われわれは一度立ち止まる時間を必要としている。私が懸念するのは、憎悪と暴力、不正と腐敗の現実のエスカレーションだ。それは、社会のルーツを荒廃させている。これらに対して、今、我々が緊急に何かをしないならば、クラシック芸術の将来があるかどうかなど、重要ではなくなってしまうだろう。

Q、現代社会の深刻な問題に芸術家として何ができるか?
A、私はアーティストとして確信している。私たちは美の大使である。可能な限り最高レベルで社会の雰囲気を保つ大きな責任をもっている。
しかし劇場やギャラリーに行った後、ジャーナリストが襲撃されたり、12歳の少女が服の下に隠した爆弾で200人の人々が亡くなるニュースを読む今日、オペラやバレエや絵画の美しさで人々を説得することは難しい。
もし今、我々がやっていることを続けるなら――憎悪、殺りく、戦争――誰も劇場に行く時間をつくったり芸術に関心を持つことはできない。
だから答えは明確だ。現実の外にあるのではなく現実の一部である芸術を創ろう。そうすれば我々は何かを変えるチャンスを持つ。

(2015年7月、ブエノスアイレスでのインタビューより)
Q、欧州の経済危機についてどう考える?
A、私たちが直面する危機は、経済的危機だけでなく道徳的危機、またスペインだけでなく世界の問題だ。それは始まりだ。経済危機は、この危機の結果の一つである。現在直面している道徳的危機、それは、より長く、より多くの痛みと深刻な結果を及ぼす。そして、私はそれをより懸念する。



Q、世界が直面する危機に、芸術は対抗できるか?
A、私は、いま世界は、後戻りできなくなる前に、秩序をもたらすうえで、社会的に非常にデリケートで緊急な瞬間を通過していると思う。
この中で、芸術は大きな役割を担っている。すべての遺産としての芸術。断っておくが、"すべての"とは、人々にアレルギーを起こす、クラシックをとりまくエリート主義やポピュリズムを意味しない。
古典芸術は、すべての人のためのものだ。そのように言うのが政治的に正しいからではない。古典芸術は、人間の不思議さの真髄であり、それは神の息吹を受け止めたときに達成できるものだからだ。
古典芸術の美を再構成し、理解することは、最高の解毒剤だ。そのためには、スローガンではなく実際に、教育を受け、成長することが必要だ。
問題はあらゆるレベルで教育、文化を”買う”こと。それが危険だ。なぜ資本による芸術に接することが人々に多くの恵みをもたらさないのか、ということだ。収縮した地球に秩序をもたらすため始めなければならない。



(2015年9月スロバキアでのインタビューより)
ステージの上でのリアリズムが重要だ。我々は非常に奇妙な世界に住んでいる。テレビをつけると、あるチャンネルは、例えばウォルト・ディズニーの夢の想像の世界を描く。そこではすべてがハッピーエンドに終わる。
しかし他のチャンネルに替えると、アフガニスタンでの爆撃、生活に苦闘する人々、事故、レイプやその他、数々の悲劇がある。それが現実の世界のニュースだ。
我々はその現実の社会を気にしないふりをしている。我々が住んでいる世界に疑いを持たないというメンタリティで、毎日、自慰行為をしているのだ。毎日毎日、我々は架空の世界を体験しているにすぎない。

●文化・芸術予算の削減への抗議
各地で文化予算の削減が深刻な影響を及ぼしています。イタリアでクーラ自身がもっていたいくつかのオペラの計画も「ベルルスコーニの予算削減で全てダメになった」と述べていました。
2015年4月4日と5日、クーラはイタリアのマッシモ・ベリーニ劇場で、ラフマニノフ交響曲第2番などと、世界初演となるクーラ作曲のマニフィカトを指揮しました。第1曲めを指揮した後にクーラは、観客に向かって語りかけました。補助金削減によって、4か月の賃金未払いや雇用継続の保障がない非正規雇用に抗議するオーケストラや劇場スタッフに連帯を表明しました。

 

「私は、この数日間、劇場の教授、合唱団、アーティスト、スタッフとともに、友情の美しい時間を過ごしてきた。私は、家族、子供、日常生活にも影響を与える賃金不払いへの彼らの懸念を共有する。大きな懸念は将来のためだ。我々は未来に約束があるならば、すべての犠牲を払う準備がある。しかしそれが暗黒しかないなら、壊滅的だ。ベリーニ劇場はシチリア島のために文化の灯台に戻ってほしい。」

José Cura esprime solidarietà ai dipendenti del Teatro Massimo "Vincenzo Bellini" - 04/04/2015



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ホセ・クーラ 妻、家族、愛について

2016-02-26 | 人となり、家族・妻について


世界中を旅して公演を行うオペラ歌手にとって、仕事と家庭の両立は簡単なことではないと思います。
ホセ・クーラは、若い頃とてもハンサムだったこともあり、またデビュー後、「セクシー・オペラスター」というような売り出し方をされたために、プレーボーイのイメージもあったかもしれません。
しかし実際には、家族のために努力を惜しまず、安定した家庭を築いてきたことをさまざまな機会に発言しています。

アルゼンチン出身のクーラは、15歳位からの幼なじみのシルヴィアさんと、1985年に22歳で結婚しています。略歴でも記しましたが、指揮者・作曲家をめざしていたクーラは、生活のためにテアトロコロンの合唱団に入り、それ以外にも、フィットネスクラブのインストラクターや郵便配達など様々な仕事をしていました。シルヴィアさんは女優志望だったそうです。1988年には長男のベンが誕生、そして91年に、親子3人でイタリアに渡りました。

  

欧州移住後、長女、次男が誕生、3人の子どもに恵まれました。シルヴィアさんは女優の道を断念し、クーラが独立して立ち上げたプロダクションCuibarの会計担当者として、公私とものパートナーとなっているそうです。イタリア、フランスを経て、マドリード在住です。

  
長男のベンは、クーラのオペラ舞台に子役として登場したこともあってか、イギリスで演劇・映画を学び、俳優としてデビュー。昨年は初監督映画の「Creditors 債権者」を成功させました。多くの賞も受賞したようです。

左は「運命の力」に出演したベンとパパ・クーラ、右はベンの映画「債権者」の一場面
 

ベンが2013年に出演したミュージカル"VIVA FOREVER!"の主題歌(元歌はスパイスガールズ)を歌っている動画がYoutubeにあります。
VIVA FOREVER!


長女ヤスミンさんはイギリスで写真を学び、次男ニコラスは物理学専攻の学生とのことです。
最近では、クーラのプレス用の写真は、娘さんが撮影しています。クーラは独立独歩の人であるとともに、家族の支えで活動しています。

クーラの外国公演にはほとんどの場合、妻のシルヴィアさんが同行、学校が休みの時期には家族みんなで演奏旅行に行くそうです。
2012年、チェコの世界遺産チェスキー・クルムロフでの公演の際の一家。
 

クーラの家庭観、家族観がうかがえる発言をインタビューから抜粋してみました。

●歌は生活費を稼ぐ素晴らしい方法だが、現実の生活がより重要。幸せな家族を持って幸運だ。そう、ステージ上ではディーヴァ、しかし自宅では普通の男。私は情熱的な人間だ。悲いことを見るとすぐ泣いてしまう。(1997年)

●1991年にアルゼンチンからヨーロッパへ移った。2、3年はレストランで働き、妻も一緒に働き、皿洗いをした。とても苛酷な生活だった。家賃が払えず1年間ガレージに住んだ。夜中は木を集めて、火でガレージを暖めていた。

●家族の土台はとても重要。人間として自分をまともに維持する唯一の方法だ。スタンディングオベーションを受けた舞台を終え、家に帰って子どものおむつをかえる。オペラは素晴らしいが、これも良い。地に足を保つことができる。

●私はポジティブな人間だ。幸運な人間として人生を楽しんでいる。私には美しい家族がある。30年間、妻と過ごし、3人の子どもたちは美しく健康的に育っている。私は願った全てのものを得ることができた。(2009年)

●(あなたは本質的にドンファンか、それともロメオか?の問いに)それを言うのは難しい。ツアー中の時、ドンファンは私の中に住みつく傾向がある。しかし、ロミオは砦を守る。妻にプロポーズした時、こう言った。「私は、あなたと、残りの私の人生をともに過ごしたい」、それ以来30年過ぎた。しかし真実の愛は毎日の闘いが必要だ。さもなければ、それは愛でなく、純粋に順応主義だ。(2010年)

●32年間、妻と一緒にいる。23、18、15歳の3人の子ども(当時)を持つ我々は非常に幸せな家族だ。旅が多いが、私はいつでも彼らのためにある。学校が休みの夏、家族と一緒に演奏旅行に行くことも多い。(2011年)

●(30年のキャリアで一番の栄光を聞かれ)私の栄誉は私の家族だ。15歳から知っている今の妻と、私たちは3人の子どもをもっている。それが私の最大の栄光だ。(2015年)



長男のベンは、初監督作品を完成させて受けたインタビューで、父ホセについて語っています。クーラの父親としての側面の一端がわかり、興味深い内容です。抜粋してみました。
インタビューのリンク(英語)

「父から学んだのは、個人の生活とプロとしての発展の間の健康的なバランス。父ホセは芸術において多面的な人だが、自分にとってより重要なのは、彼が人生の全般において多面的であることだ。父は常にハードに働くことができる人だが、それと同時に、愛と存在感に満たされた家庭生活を維持し続けている。私も自分の生活にそれを適用しようと努力している。」

「父から学んだ大きな教訓は、別の事のために決して他のことを断念しないこと。たとえそのために二重の仕事をしなければならない場合であっても。これが私がこれまで父そして母から受けた最も大きな影響だ。」

**************************************************************************************************

チェコのチェスキー・クルムロフでコンサートをした際のドキュメンタリー。途中、7分過ぎと20分頃に、シルヴィアさんとヤスミンさんも登場しています。
José Cura Documentary (CZ subtitles)


クーラ自身も「愛は毎日の闘いが必要」と語っているように、また誰でも同じですが、夫婦や家族の間には様々な問題もあるかと思います。しかし日々の努力の大切さを自覚し、こうした家族の支えがあるからこそ、何に対しても妥協せずに、自ら信じる芸術の道を歩み続けることができるのだろうと思います。

2014年ヴェローナのアリーナで、クーラ夫妻とバリトンのカルロ・グエルフィ


写真はクーラや音楽祭のFBなどからお借りしました。
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(告知編) 2016 ザルツブルク復活祭音楽祭のオテロ Salzburg Easter Festival 2016 Otello / Verdi

2016-02-24 | ザルツブルク復活祭音楽祭2016のオテロ


2016年ザルツブルク復活祭音楽祭(HP)は、ヴェルディ没後400年の年ということもあって、ヴェルディのオテロの新演出がメインの企画です。(2016年3月19、27日)
当初、オテロはヨハン・ボータが出演予定でしたが、病気のため降板、ホセ・クーラが出演することが発表されました。クーラがザルツブルクに出演するのは、これがたぶん初めてではないでしょうか。クーラのFBの告知ページ
イアーゴはディミトリー・ホロストフスキーが病気治療のため降板し、カルロス・アルヴァレスになりました。デズデモーナはドロテア・レシュマン。
(3/7追加 ネットラジオORFでライブ放送。現地時間3/26、19:30から。日本時間27日3:30からか? プログラムはこちら 
 → 終了 続報、TV放送などの案内は (リハーサル編(放送編) (レビュー編)
またザルツブルクでのクーラのインタビュー「オテロに必要なのは“肌の色”だけではない」もご覧ください。

  

指揮はクリスティアン・ティーレマン。衣装はファッションデザイナーのクリスチャン・ラクロア。
 

演出は、新国立劇場の2015年の「椿姫」新演出を手がけたヴァンサン・ブサール、舞台美術のヴァンサン・ルメールも、同じく新国の「椿姫」を手掛けたそうです。
豪華なプロダクションになりそうです。ホセ・クーラのオテロをはじめ、どんな舞台になるのか本当に楽しみです。TV放映、DVD等での発売を切望します。

Christian Thielemann Conductor/Vincent Boussard Stage director
Vincent Lemaire Stage designer/Christian Lacroix Costume designer
Guido Levi Lighting designer/Isabel Robson Video designer
Jörn Hinnerk Andresen Chorus master/Stefan Ulrich Dramaturg

José Cura Otello/Dorothea Röschmann Desdemona/Carlos Álvarez Iago
Benjamin Bernheim Cassio/Christa Mayer Emilia/Georg Zeppenfeld Lodovico
Bror Magnus Tødenes Rodrigo/Csaba Szegedi Montano/Gordon Bintner Araldo

音楽祭のHPに掲載されたプログラム
  

音響・照明など演出上の舞台効果のテクニカル・リハーサルはすでに行われており、その写真がHPにアップされています。「われわれの新しいオテロのプロダクションは、エキサイティングなものになる」とのコメントも。


HPには、今年の復活祭音楽祭のプロモーションビデオが掲載されました。ティーレマン氏のインタビューなどのほか、ベルリン・ドイツ・オペラのプロダクションのオテロで歌うクーラの映像なども入っています。
2016 Salzburg Easter Festival Promotional Video


オテロの衣装を担当するクリスチャン・ラクロアは、インタビューで、「私には、キャストを知らずに衣装デザインを開始するのは不可能だ」と語っています。「その歌手や俳優が演じているキャラクターが動き出すことを念頭において、彼らのシルエット、スタイルと個性を知っている必要がある」と。そのため、キャスト変更によって、「ヨハン・ボータのために衣装、メークアップ、ヘアを計画していた。しかし今、ホセ・クーラの個性に応じて、オテロの力と弱さを表現するために設計を変更した」ということです。
ボータとクーラでは、シルエットも演技スタイルも、もちろん歌唱も正反対。オペラではキャスト変更はよくあることとはいえ、衣装の担当をはじめ、関係スタッフはなかなか大変なことでしょう。

  

チケットのオンライン販売ページはこちらです。
ザルツブルクの豪華な舞台で、クーラがどんなオテロを歌い演じてくれるのか、たいへん興味があります。成功を願っています。
現地で観賞される方がいらっしゃいましたら、ぜひ率直なご感想など、お聞かせいただければ大変ありがたいです。よろしくお願いいたします。

*主な写真はザルツブルク復活祭音楽祭のHPからお借りしました。





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2015年5月 ホセ・クーラ & ロスト・アンドレア コンサート / Rost Andrea & Jose Cura in Gyor

2016-02-21 | コンサート


昨年2015年5月3日、ハンガリーのジュール(Gyor ジェール?)でホセ・クーラのオペラコンサートが開催されました。

会場は、ジュール・アウディ・アリーナ。ジュールには自動車会社のアウディの工場があり、その名を冠した多目的アリーナです。大規模施設ですが音響は非常に良いとのこと。この巨大アリーナに4000人の観客が、それも多くの若い人たちが集まったそうです。

  

共演はソプラノのロスト・アンドレア。英語風によぶとアンドレア・ロストですが、ハンガリーは日本同様に、姓・名の順によぶそうで、親しみを感じます。このコンサート直後の2015年6月には、ハンガリー国立歌劇場とともに来日して、モーツァルトのフィガロの結婚の伯爵夫人などに出演しました。

オーケストラはジュール・フィルハーモニー管弦楽団です。実はクーラは、このジュール・フィルとともに、この同じアリーナで、今年2016年4月23日、オテロの原作者であるシェークスピア没後400年のまさにちょうど記念日、ヴェルディのオペラ、オテロを初めて指揮する予定(コンサート形式)です。1997年以来20年間オテロを歌手として歌い、2013年に初演出、そして今度は指揮者としてオテロを振ります。もちろんクーラ本人は歌いません。「我々は若い歌手を育てる必要がある」と会見で話していました。





さてロスト・アンドレアとのコンサートですが、ハンガリーのネット・ラジオ、バルトーク・ラジオが2回、録音を放送してくれ、日本でも良い音質で聴くことができました。ハンガリーはネットラジオやネットTVがとても発達している印象を受けました。
コンサートでの曲が、音声だけですがいくつかYouTubeにあがっていますので紹介を。
円熟のベテラン2人のとても楽しいコンサートだったようです。
Concert: Gyor Audi Aréna, 2015
Rost Andrea & Jose Cura
Gyor Philharmonic Orchestra

レオンカヴァッロの道化師からカニオのアリア「衣装をつけろ」
Jose Cura 2015 "Recitar! ...Vesti la Giubba" Pagliacci


ヴェルディのオテロから第3幕、オテロの独白
Jose Cura 2015 "Dio! mi potevi scagliar" Otello


ヴェルディのオテロ第4幕ラスト、オテロの死 ”Niun mi tema”
Jose Cura 2015 "Niun mi tema" Otello


プッチーニのトスカから「星は光りぬ」
Jose Cura 2015 "E lucevan le stelle" Tosca


アンコールで歌われたヴェルディの椿姫「乾杯の歌」 途中でクーラがワインの栓を抜く音、グラスを鳴らす音が聞こえます。
Jose Cura 2015 "Brindisi" (Drinking song) La traviata


ヴェルディのオペラ、椿姫から、第1幕のヴィオレッタとアルフレードのデュエット
Jose Cura "un di felice eterea" 2015 La traviata


ホセ・クーラとアンドレア・ロストが歌うイエスタディ 12歳からギターを学んだクーラが弾き語りしています。アンコールの定番。
Jose Cura 2015 "Yesterday"


アンコールの最後はお決まりの、プッチーニのトゥーランドット「誰も寝てはならぬ」
Jose Cura 2015 "Nessun dorma" Turandot


最後に、コンサートの様子を報道したハンガリーのニュースの動画を。
Lélekemelő opera






写真はコンサートを報道したHPなどからお借りしました。
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ホセ・クーラとディミトリー・ホロストフスキー Jose Cura & Dmitri Hvorostovsky

2016-02-20 | 同僚とともに


今年のザルツブルク復活祭音楽祭2016は、ヨハン・ボータの病気によるキャンセルで、ホセ・クーラがヴェルディのオテロに出演することが決まりました。イアーゴは、当初、ディミトリー・ホロストフスキーがキャスティングされており、2013年のウィーン国立歌劇場以来、2度目の、クーラとホロストフスキーのオテロが実現するかと思われました。
しかしその後、残念ながらホロストフスキーは病気治療のため降板し、イアーゴはカルロス・アルヴァレスとなることがアナウンスされています。
 *追記 ホロストフスキーはその後、2/18のカーネギーホールのリサイタルで無事復帰、大成功だったそうです。
 *2017/11/22 つい先ほど非常に残念なニュースが入りました。ホロストフスキーが亡くなったそうです。ご冥福をお祈りいたします。
  公式発表 → ホロストフスキーFB


今回のザルツブルクでは実現なりませんでしたが、ぜひとも、また、この2人でオテロとイアーゴを歌ってほしいと思います。何といっても、舞台上の存在感、演技、声、歌唱、容姿、エネルギー、さまざまな面で、オテロとイアーゴの魅力的なぶつかり合いが観られそうだからです。できれば、DVD等で発売してほしいものです。

そんなきっかけから、クーラとホロストフスキーについて調べてみました。共通点と違いがそれぞれ興味深いです。ツイッターの投稿をもとにまとめました。

●生まれ
意外(?)なことにこの2人は同い年。
クーラは1962年12月5日、アルゼンチンのロサリオで生まれました。
ホロストフスキーは同年10月16日、旧ソ連のシベリア・クラスノヤースク生まれ。
2か月違いの同級生でした。

 左がクーラ            右がホロストフスキー
 

●音楽との出合い
南米アルゼンチンと北のシベリア、地球の反対で、同時期に生まれた2人。ともに、幼い頃から音楽に親しんだようです。
7歳から子ども音楽学校でピアノを学んだホロストフスキー。クラスノヤースク教育学校、クラスノヤースク美術学校と順調に学んでいったようです。
一方クーラは、ピアノを習い始めたものの、レッスンが嫌で、教師からはなんと、「才能がないから他の習い事をしてはどうか」と宣言されたそうです。ピアノより、サッカーやラグビーなど、スポーツに夢中だったとか。

 

●青年期
ホロストフスキーは卒業後、オペラのソリストとして活躍、1987年グリンカ国際コンクール、1988年トゥルーズ歌唱大会、1989年BBCカーディフ国際声楽コンクールなど、つぎつぎに優勝して注目されるようになったそうです。
 *ホロストフスキーのファンのSyaraさんから教えていただきました。→素晴らしいファンサイト
クーラはもともと作曲家・指揮者志望で、大学で指揮と作曲を学びました。しかし当時のアルゼンチンは軍政が終わった後の経済難で、とても若い音楽家志望が食べていける条件はなく、生活のためテアトロ・コロンのコーラス隊に所属しました。オーディションもいくつか受けたようですが、残念ながら認められなかったようです。

 80年代後半の2人
 

●国際的な舞台へ
国際舞台での活躍は、ホロストフスキーがだいぶ早いようです。すでに1990年には初アルバムを出し、その後もつぎつぎにリリースされていったようです。
一方のクーラは、周囲のすすめにより、88年から本格的に歌唱技術の研究を開始、そして91年にイタリアに移住しました。94年にオペラリアで優勝、その前後から注目されはじめ、初のアリア集「Puccini Arias」のリリースは97年でした。(オペラ全曲盤は1994年「Le Villi」、1996年「Iris」)

 

●初共演
2人の初共演は、2002年、ロンドン・ロイヤルオペラでのヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」ではないかと思います。
冒頭の2人の迫力ある決闘シーンが魅力的でした。ルーナ伯爵役のホロストフスキーは、高貴な容姿、見せ場も多く、たいへん人気を集めたと思います。
クーラはチェ・ゲバラ風(同じアルゼンチン出身)で、野性的な風貌がぴったりでした。

 

YouTubeから、マンリーコとルーナ伯爵の決闘シーンを。
Battle scene: Jose Cura vs Dmitri Hvorostovsky (Il trovatore)


しかしオペラで歌いながら激しく動く決闘シーンは、とりわけ高音をだすテノールにとっては、きびしいものだったようです。DVDの特典映像のなかのインタビューで、クーラは、運動の時の肺呼吸と歌唱のための腹式呼吸の違いを説明したうえで、その両方を同時にやらないとならず、それを自然に見せるのは大変だったと言っています。そのうえ何キロもある重い剣を振り回すために、強靭な体をもつさすがのクーラも、「この場面は怖かった」と回想しています。

     

一方のホロストフスキーは、「バリトンに決闘はつきものだが、高い声を出すテノールには難しい」「ホセには驚いた。彼の勇気と身体の強さを尊敬する」と語っています。同僚へのリスペクトを忘れない姿勢が素敵です。

   

ロンドンのトロヴァトーレの映像から、クーラの“Ah, si ben mio... Di quella pira”を。美しい2重唱から、勇壮な場面へ。
Ah, si ben mio... Di quella pira - Jose Cura (Il trovatore)


同じく、ホロストフスキーの美しく存在感があるルーナ伯爵のアリア「君の微笑み(Il balen del suo sorriso)」 を。
Il balen del suo sorriso - Dmitri Hvorostovsky (Il trovatore)


特典映像には、主な出演者のインタビューとともに、リハーサルの楽しそうな様子も収録されていました。
 

特典映像もYoutubeにあがっていました。
Il trovatore 2002 london interview


DVD クーラHPの紹介ページ


●2013年ウィーンのオテロ

2度目の共演は2013年のウィーン国立歌劇場のオテロでしょうか?
意外に共演は少ないのです。端正で美しい声のホロストフスキーのイアーゴは、観客からもレビューでも高い評価を得ましたが、クーラのドラマティックで激しい歌唱は、いつものように賛否両論で、批判も多かったようです。

 
 

2013年ウィーンのオテロはホロストフスキーのイアーゴデビューだったようです。残念ながら正規の映像はありません。YouTubeにある2幕の2重唱“Si pel ciel”(音声のみ) を。
Dmitri Hvorostovsky - José Cura - Era la notte ... Si pel ciel marmoreo giuro - LIVE


●現在~

歌とともに、徐々に指揮や演出に比重を移しつつあるクーラ。
脳腫瘍とたたかいながら、精力的に舞台にたつホロストフスキー。
私生活では、クーラは15歳からつき合ってきた妻シルヴィアさんとの間に3人の子どもをもっています。長男ベンは俳優で、昨年映画監督でもデビューしました。
ホロストフスキーは再婚したフローレンスさんと、まだ幼いお子さんが2人いるそうです。
家族に支えられ、第一線で活躍してきた2人。共に53歳。
それぞれ個性は違いますが、同じアーティスト、音楽・芸術の道を歩むプロフェッショナルとして、さらなる高みが期待できることと思います。

*追記 2016年12月、ホロストフスキーは、病気療養のため、当分の間、オペラ出演は控えることを発表しました。
コンサートやレコーディングは継続するとのことです。療養後、また再び、彼の素晴らしい存在感が光るオペラの舞台が観られることを願うばかりです。クーラとの火花が散るようなオテロとイアーゴの再演をぜひ。

*追記 2017年11月、ホロストフスキーの死去で、今後の共演の可能性は絶たれました。55歳、バリトンとしての絶頂期の闘病、死去。最後までエネルギーを振り絞って、舞台に立ち、コンサートやレコーディングに執念を燃やしていただけに、本当に残念です。残されたお子さんもまだ小さく、ご家族の悲しみはいかばかりかと胸が痛みます。
しかしクーラとの共演をふくめ、彼の素晴らしい歌唱、演技、存在感、誠実な人柄は、多くの人々の胸に残り続けることと思います。ご冥福を・・。




写真はホロストフスキーとクーラのHPなどからお借りしました。
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2012年 ホセ・クーラが語るオテロとヴェルディ Interview / Otello at the Slovak National Theatre

2016-02-19 | オテロの解釈


1997年のロールデビュー以来、これまでに少なくとも200回以上、オテロを歌い、演じてきたホセ・クーラ。オテロのスコアと台本の解釈を長年にわたって深め、自らオテロの解釈についての本も出版しています。「オテロは、人種差別、裏切り、欺瞞についての深い心理的なドラマ」という立場から、これまでの英雄的なオテロ像を否定するクーラの解釈と、劇的でスリリングな歌唱・演技は、つねに賛否両方の評価がされてきました。

2012年にスロバキア国立劇場に出演した際に、インタビューで、オテロの解釈とヴェルディについてまとまった話をしています。
以下は、そこからツイッター用に抜粋して訳した文章に若干補足したものです。字数制限のため意訳、省略が激しいこと、私の語学力不足から誤訳も多いだろうことをあらかじめお断り、お詫びしておきます。

興味のある方には、こちらにインタビュー全文(英文)があります。原文と照らしての修正意見、大歓迎です。



――真のオテロとは?

真にオテロが何者であるのか、誰も言うことはできないと思う。500年もの間、生き続けてきた巨大なキャラクターであり、彼に関する最終結論は、未だ出されていない。
オテロが複雑な心理をもつ巨大なキャラクターであることは事実であり、パフォーマーにとっては、オテロは、それを演じる器であるか否かのフィルターとして働く。すなわち、ひとつは、オテロを「ただ」歌うこと(もちろんそれ自体がすでに挑戦)であり、もうひとつは、オテロを「描き出す」ことだ。キャラクターに「なる」(to be)こと――ただ歌うだけではなく――それは現代のオペラがあるべき姿であり、現代オペラのふりをしているある種のスノビズムに陥るべきではない。

ヴェルディに立ち返れば、オテロは「ベルカント」ではない。ヴェルディは「私のオペラはメロドラマだ」“My operas are melodramma”(メロドラマ=人間ドラマというような意味か?)と繰り返し世界に向かって叫んだ。また手紙をつうじて訴えた。
しかし100年以上の後、ヴェルディに関する誤ったドグマの崩壊を恐れる多くの人々は、彼の声を聞こうとしない。今日、ヴェルディに関する多くのことに光があたっている下で、いわゆる音楽学者を自称する者によって50年以上前に作られた誤った教義が、今でも通用しているのは信じられないことだ。



――オテロに対するアプローチは?

まず第一に、私たちは「英雄」について語っているわけでないということへの同意が重要だ。そうではなく、背教者(彼はヴェネツィアでの政治的将来のために、キリスト教を受け入れ、イスラム教徒の信仰を捨てた)であり、内通者(イスラム教徒と戦い、殺すことを受け入れた)であり、臆病者(彼は暴力的に妻を虐待し、殺す)、そしてお金目当ての傭兵、プロの殺人者だ。

私自身はオテロのいずれの側面にも似ていないので、自分をオテロに結びつけることはできない。しかしキャラクターの心理を伝えるために、自分の人生で経験したことのない感情を観察し、研究し、再現する能力を使う必要がある。

――オペラの冒頭でオテロは英雄として描かれているが?

「喜べ、私はイスラム教徒を殺した!」と叫ぶ、キリスト教徒に転向したイスラム教徒、私にはあまり英雄的には聞こえないが‥。



――オテロの愛情深さと強さの不統一をどうみる?

誰が、強さと威厳は、情熱や感受性と両立しえないというのだろうか?それどころか、この複雑な個性がキャラクターをとても面白くする。
例えば、偉大な指揮官であるオテロが、妻と2人きりの時、戦闘を思い出して恐怖に崩れ落ちる(心的外傷後ストレス障害/PTSDのエピソード)。

――なぜオテロはデズデモーナを殺した?

それは長い分析であり、ここはそのための場所ではない。
簡潔にいうならば、一方には、自分が関与してきた残忍性を自身に説明する弁解としての儀式を必要とするオテロがあり、そしてもう一方には、抵抗なしに暴力を受け入れるデズデモナの心理的依存性がある。

――オテロがあなたの気持ちに迫ってくるのはなぜか?

私はオテロのキャラクターの負の側面と一体感を持たないので、言葉のロマンチックな意味では「私の心に近い」とはいえない。しかしオテロは、ステージにあがる歌手・俳優にとって巨艦であり、ベートーヴェンの第九交響曲やバッハのミサ曲に匹敵する。人間として、音楽家としての私に刻印するものだ。



――ヴェルディの音楽の評価は?

もしヴェルディがこれ以上語るべきものを持たないのなら、私たちはもう彼を演奏することはない。問題は、私たちはヴェルディが言いたかったことに耳を傾けているのか、それとも、いまだに、オペラのある種の「知識人」によるヴェルディに関する言説が唯一の真実だと考えているのではないか、ということだ。
もしそうなら、もはやヴェルディが語るものは何もない。クロロホルムのなかに彼を保存して、「すでに述べられたこと」の中でだけで、私たちは主張していることになる。

――ヴェルディの音楽を正しく解釈するためには?

テキストとフレージング、アクセントに執着すること、そしてドラマを伝えるために声を変形させることを恐れてはならない。私の主張では十分ではない。ヴェルディの手紙を読んでほしい!
そして、ヴェルディの時代から取り巻いてきた「偽ヴェルディ司祭」に耳を傾けることをやめることだ。ヴェルディ自身が、決して彼らに対するたたかいをやめることはなかった。



――キャリアの成功のためには?

オスカー・ワイルドの言葉を。「自分らしくあれ。他の人の席はすでに埋まっているのだから」
“Be yourself; everybody else is already taken…”

――レパートリーの選択、オペラ劇場の状況をどうみる?

それは長く、非常に複雑な問題だ。もし生活費を稼ぐためというプレッシャーがなければ、役柄の選択に、よりリラックスしたアプローチができる。しかし実際には、興行の失敗への恐れから、常に同じ30~40タイトルをやっているため、可能性が抑制されている。
それに加え、大部分の聴衆は、過去の思い出の中にいて、過去のように歌う「新しい歌手」を求めている。私自身、今日でも時々、50年やそれ以上前のこの歌手、あの歌手のようにオテロをやらないといって批判される。
それは、エロール・フリン(1930年代のハリウッド映画で活躍した俳優)のように演技しないからといって、現代の俳優を批判するようなものだ。物事は進んでいる。過去の俳優のような演技を夢見るものは誰もいない。いかに偉大な俳優だったとしても。我々の社会の現実は大きく変わっているのだから、こんなことは滑稽だ。オペラは未だに革命の途上にある。

――将来のプランは?

我々は難しい時代に生きている。誰にも翌年何が起こるか、はっきりとわからない。計画自体が大胆なことになった。確かなのは、何が起こるかに関係なく、より良いアーティストになるために懸命に働くことだ。



******************************************************************************************************

以上、インタビュー記事から主な内容を抜粋しました。いつもそうですが、クーラらしい、率直な表現、言葉です。そこがまた批判を受けやすい点でもありそうです。しかし彼の音楽・芸術に対する一貫した姿勢は伝わってくるのではないでしょうか。
写真はスロバキア国立劇場のHP等からお借りしました。(2012年スロバキア国立劇場でのオテロから)
最後に、YouTubeにある、スロバキアでのオテロの舞台やクーラのインタビューの様子を報道したニュース映像を。

José Cura as Otello at the Slovak National Theatre
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ホセ・クーラ 略歴 ~ 指揮・作曲、歌、さらに多面的な展開へ

2016-02-18 | 経歴・これまでの活動


クーラのHPには長大な経歴、フル・バイオグラフィー(英文)が掲載されています。そこからキャリアの画期となった主要な出来事(主要劇場デビュー、ロールデビューなど)を抜粋し、インタビューなどで語られた内容などを若干加筆して掲載しました。
欠落、事実誤認等は私の責任です。引き続き、修正・加筆を続ける予定です。(2/23若干修正済)
過去の通常のオペラ出演等の一覧も、できれば今後、掲載したいと思っています(2016年カレンダーのみ作成済)。

〈 誕生~母国アルゼンチンで 指揮者・作曲家を志す 〉



●1962年 12月5日 アルゼンチンのロサリオに生まれる
        ・12歳 ギターを学び始める
        ・15歳 合唱指揮者としてデビュー
        ・16歳 教師について作曲とピアノを学び始める



●1982年 ロサリオ国立大学に入学、指揮と作曲を専攻
        大学の合唱団の副指揮者になる
        ギター、ピアノ、フルートなど7種類の楽器を学ぶ



●1984年 ブエノスアイレスに移り、作曲家・指揮者をめざしつつ、生計のためテアトロコロンの合唱団の一員として働く
        この間の主な作曲作品
        ・フォークランド戦争の犠牲者追悼の平和のためのレクイエム(1984)
        ・ピノキオ(1986)
        ・Via Crucis segun San Marcos (1986)       
        ・マニフィカト Magnificat (1988)
        ・スターバト・マーテル Stabat Mater(1988)
        ・マッチ売りの少女(子ども向けオペラ)(1991)

●1988年 オラシオ・アマウリのもと本格的に歌唱技術を開発する
        たまたまキャンセルしたテノールの代理で「星は光りぬ」を歌い、その声に注目した声楽家がアマウリを紹介
        レッスンのお金がないクーラに、「あなたのような声は30年か40年に1人しかいない」と無料で指導 
    

ゆりかごの長男ベンをあやしながら、ピアノに向かって作曲中
     

〈 欧州での活動にふみだす 〉

●1991年 妻・長男とともにイタリアに移住 住んでいたアパートを売り、渡欧のチケットを購入
        ガレージに住み、皿洗いなどアルバイトで生計をたてる
        ヴィットリオ・テラノバのもとボイストレーニングを開始、テラノバも、経済的に苦しいクーラに無料でレッスン        
        7/25 ジェノバで欧州初のコンサートに出演、指揮はマルコ・アルミリアート

●1992年 2月ヴェローナで子ども向けオペラヘンツェのPollicino、Paolo ArcaのLa gatta biancaでデビュー

●1993年 初めて主要な役でデビュー 
        ・アントニオ・ビバロ「令嬢ジュリー」ジャン(トリエステ)
        ・ヤナーチェク「マクロプロス事件」アルベルト(トリノ)

 
      

〈 国際的なキャリアの急速な広がり 〉

●1994年 ドミンゴ主宰のオペラリアで優勝
        シカゴの「フェドーラ」ロリスでアメリカデビュー ミレッラ・フレーニと共演
        マルティーナ・フランカのプッチーニ「妖精ヴィッリ」ロベルト 初CD録音(全曲盤)
        この年の他のロールデビュー
        ・ヴェルディ「ナブッコ」イズマエーレ(ジェノヴァ)
        ・ヴェルディ「運命の力」ドン・アルヴァーロ(トリノ)

 

●1995年 ロンドン・ロイヤルオペラハウスにデビュー ヴェルディ「スティッフェリオ」タイトルロール
        パリ・オペラ座 オペラ・バスティーユにデビュー ヴェルディ「ナブッコ」イズマエーレ
        トッレ・デル・ラーゴでプッチーニ「トスカ」カヴァラドッシ ロールデビュー

 

●1996年 ウィーン国立歌劇場デビュー プッチーニ「トスカ」カヴァラドッシ
        この年の他のロールデビュー
        ・マスカーニ「イリス」オーサカ(ローマ) CD録音
        ・サンサーンス「サムソンとデリラ」サムソン(ロンドン)
        ・マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」トゥリッドゥ(ラヴェンナ)
        ・ベッリーニ「ノルマ」ポリオーネ(ロサンゼルス)
        ・ビゼー「カルメン」ドンホセ(サンフランシスコ)
        ・ヴェルディ「海賊」コッラード(トリノ)
        ・レオンカヴァッロ「道化師」カニオ(チューリヒ)
        ・ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」シェニエ(チューリヒ)

       

●1997年 ミラノ・スカラ座デビュー ポンキエッリ「ラ・ジョコンダ」エンツォ
        ヴェルディ「オテロ」ロールデビュー アバド指揮、ベルリンフィル、エルマンノ・オルミ演出 トリノ 
        初のソロアルバム「プッチーニアリア集」

 
 
●1998年 新国立劇場開場記念公演 ヴェルディ「アイーダ」ラダメス 初来日・ロールデビュー  
        この年の他のロールデビュー          
        ・プッチーニ「外套」ルイージ(アムステルダム)
        ・プッチーニ「マノン・レスコー」デ・グリュー(ミラノ)  

●1999年 ニューヨーク・メトロポリタン劇場デビュー マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」トゥリッドゥ 
        カルーソー以来2人目のオープニング公演でのデビュー


          
●2000年 ヴェルディ「椿姫」アルフレード パリでロケ、TV世界生中継
        この年の他のロールデビュー
        ・ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」マンリーコ(マドリード)
     
●この頃、エージェントの売り出し方に耐えられず、自分らしい音楽の道を歩むため独立、自分のプロダクションCuibarを設立


歌、指揮、演出・舞台デザイン・・多面的活動の展開     

●2001年 ポーランドのオーケストラ、シンフォニア・ヴァルソヴィアの主席客員指揮者になる(~04年)
        この年のロールデビュー
        ・ヴェルディ「ドン・カルロ」タイトルロール(チューリヒ)

●2002年 自らのレコードレーベル Cuibar Phono Video (CPV)を設立

●2003年 ヴェローナのアリーナでプッチーニ「トゥーランドット」カラフ ロールデビュー
        ハンブルク歌劇場でマスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」を指揮、その後「道化師」カニオを歌う
        この年の他のロールデビュー
        ・マスネ―「エロディアード」ジャン(ウィーン)

 

●2004年 ヴェルディ「仮面舞踏会」を指揮(ピアチェンツァ)
        この年のロールデビュー
        ・プッチーニ「西部の娘」(チューリヒ)

●2005年 ベルリン・ドイツオペラ デビュー 「道化師」カニオ

●2006年 ウィーン国立歌劇場に指揮者としてデビュー プッチーニ「蝶々夫人」

 

●2007年 オペラ「道化師」をもとにダンスやパントマイムを加え構成した舞台「La Commedia e finita」を制作(リエカ)
        脚本、舞台デザイン、演出のキャリア開始

 
     
●2008年 ヴェルディ「仮面舞踏会」を演出・セットデザイン(ケルン)
        初の写真集「Espontáneas」発刊
        この年のロールデビュー
        ・マスネ「ル・シッド」ロドリーグ(チューリヒ) ロールデビュー 初日前日に父死去
        ・プッチーニ「エドガール」4幕版世界初演 タイトルロール(トリノ)

 

●2009年 ナンシー国立オペラ座でマスター・クラス

●2010年 サンサーンス「サムソンとデリラ」のセットデザイン、演出、主演(カールスルーエ)
        プッチーニ「ラ・ボエーム」ロドルフォ ロールデビュー(チューリヒ)

  

●2011年 チェスキー・クルムロフの回転劇場で「道化師」カニオ 出演

●2012年 プッチーニ「つばめ」のセットデザイン、演出、衣装、指揮(ナンシー)
        「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」のセットデザイン、演出、主演(リエージュ)



  

●2013年 ヴェルディ「オテロ」のセットデザイン、演出、主演(テアトロ・コロン)

 

●2014年 作曲作品「スターバト・マーテル」の世界初演(チェスケー・ブジェヨヴィツェ)



●2015年 作曲作品「マニフィカト」の世界初演(マッシモ・ベリーニ)
        マーラー交響曲第2番「復活」を指揮(ノヴィ・ソンチ)
        「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」のセットデザイン、演出、道化師主演(テアトロ・コロン)
        中国国家大劇院に「サムソンとデリラ」でデビュー
        プラハ交響楽団とレジデント・アーティストとして契約(3年間)
        ピエタリ・インキネン指揮、プラハ響により、ネルーダの詩にクーラ作曲の"If I die, Survive me!"オーケストラ版世界初演
        プッチーニ「ラ・ボエーム」のセットデザイン・演出(ストックホルム)


 

 (今後さらに加筆していく予定です)

*掲載の写真は主にホセ・クーラのHPやフェイスブックなどからお借りしました。


     
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2000年 パリの椿姫 La Traviata Paris / Verdi

2016-02-16 | オペラの舞台―ヴェルディ


もう15年以上前になりますが、パリの実在の歴史的建造物を舞台に、世界中に生中継されたヴェルディの椿姫。ホセ・クーラがアルフレードで出演しました。日本でも録画放送され、ご覧になった方も多かったのでは。

マリー・アントワネットが愛したプチ・トリアノン宮などをロケ地にして、豪華で美しい椿姫でした。生中継で、なおかつ出演者と指揮者・オケは別の場所にいて、音を合わせるのは大変だったようです。そんな問題を超えて、リアルで美しく、キャラクターの魅力があふれる作品となったと思います。

エテーリ・グヴァザーヴァ/ホセ・クーラ/ロランド・パネライ他出演
ズービン・メータ指揮/RAI交響楽団
Artists: José Cura, Eteri Gvazava, Rolando Panerai
Conductor: Zubin Mehta  Direction: Giuseppe Patroni Griffi

DVDも発売されたのですが、残念ながら現在は入手は困難です。 → 再リリース情報!(2016年11月予定)
ホセ・クーラHPの紹介ページ
 

その代わり、YouTubeにいくつかの場面がアップされているので、画質はあまり良くありませんが、まとめて紹介を。 


第1幕、ヴィオレッタにアルフレードが求愛する場面。テーブルの下でのキスシーンが美しい。
"Un di felice, eterea" La Traviata


第1幕第5場 アルフレードの言葉に動揺しつつ、「私はいつも自由」と歌うヴィオレッタ。
Eteri Gvazava Jose Cura "Sempre libera" La Traviata


第2幕第1場 共に暮らし始め、「天国にいるようだ」と愛の喜びを歌うアルフレード。
"Lunge da lei per me non v'ha diletto!" La Traviata


第2幕第2・3場 別荘暮らしの費用のためヴィオレッタが持物を売っていることを知り、急いでパリに向かうアルフレード。 
"O mio rimorso! O infamia" La Traviata


第2幕第6場 別れの手紙を書くヴィオレッタと、不安を抱くアルフレード。
"Che fai?" La Traviata


第2幕12場 別れた2人がフローラの邸宅で再会、カードで対決するアルフレードと男爵。
"Alfredo! Voi! " La traviata


第3幕 ラストシーン 再会した2人と悲しみのラスト。
La Traviata Last


DVDには特典映像としてメイキング・ビデオがついていました。Youtubeにあがっていたこともありますが、すぐに削除され、現在は見られません。撮影現場の様子やインタビューが収録されていました。
ラストシーンの直後、涙にぬれ、悲しみにぐったりしている2人の様子も写っていました。












写真が趣味のクーラは、このロケ現場にもカメラを持ち込み、撮影していたようです。その様子が写真におさめられました。クーラ本人のフェイスブックで紹介されたものです。


クーラは自分のフェイスブックに自分が撮影した写真コーナーを作っていますので、今後、いろいろとアップされてくるかもしれません。

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2016年 ホセ・クーラ カレンダー José Cura CALENDAR 2016

2016-02-15 | 出演予定・スケジュール
ホセ・クーラ公式HP カレンダー



今年は年初から、リセウでアントネンコのキャンセル、ザルツブルク復活祭音楽祭でボータのキャンセルのため、急きょ、オテロ出演が続いたほか、シェークスピア没後400年を記念して、はじめてオテロの指揮を予定しています。

また1つの目玉は、ベルギーのワロニー王立劇場でトゥーランドットの演出、セットデザイン、カラフとしての出演を行うことです。今後はしばらく、こうした形で演出・セットデザイン・主演の3点セットの関わり方が増えそうです。

2/14現在で判明している2016年のスケジュールです。まだ今後、変更・追加があるかもしれません。
下記には、公式HP未掲載のものも含んでいます。

☆オテロ/ヴェルディ 1/7, 10,17
ヘッセン州立歌劇場 ヴィースバーデン
Otello/Verdi Hessisches Staatstheater/Wiesbaden

☆オテロ/ヴェルディ 1/21,26(キャンセル),29 2/1
リセウ大劇場 バルセロナ
Otello/Verdi  Gran Teatro del Liceu/Barcelona

☆指揮 2/10,11
ラフマニノフ「交響曲第2番」、クーラ作曲「マニフィカト」他
プラハ交響楽団/スメタナホール/プラハ
Prague Symphony Orchestra/Smetana Hall

☆マスター・クラス 2/13~18
プラハ交響楽団

☆指揮 3/11,12
マニフィカト/バッハ、マニフィカト/クーラ
聖ニコライ大聖堂/チェスケー・ブジェヨヴィツェ
Magnificat by Bach and Cura   St. Nicholas Cathedral/ České Budějovice

☆オテロ/ヴェルディ 3/19,27
ザルツブルク復活祭音楽祭(ボータのキャンセルに伴い)
Otello/Verdi   2016 Salzburg Easter Festival/Salzburg

☆道化師/レオンカヴァッロ 3/23,26
ベルリン・ドイツ・オペラ
Pagliacci/Leoncavallo Deutsche Opera/Berlin

☆指揮 4/23(シェークスピア没後400年記念日)
オテロ/ヴェルディ(コンサート形式) 
ジュールフィル/アウディ・アリーナ/ジュール
Otello/Verdi/ in Concert  Audi Arena/Gyor

☆運命の力/ヴェルディ 5/22,26
ヴィースバーデン5月音楽祭/ヘッセン州立歌劇場
 
 →5/2追記 公式カレンダーから削除されたようです。詳細は不明キャンセル
Forza del destino/Verdi   Hessisches Staatstheater/Wiesbaden

☆西部の娘/プッチーニ 6/4,9,12,15,24
ハンブルク州立歌劇場
Fanciulla del west/Puccini  Hamburgische Staatsoper/Hamburg

☆オテロ/ヴェルディ 7/6
スロヴェニア・リュブリャナ「リュブリャナ・フェスティバル」
Otello/Verdi

☆コンサート(指揮と歌) 7/10、11 (クーラのカレンダーには未掲載→掲載済)
ドブロブニク・サマーフェスティバル 7/10オープニング・ガラで指揮、7/11歌のコンサート/クロアチア
Dubrovnik Summer Festival

☆トゥーランドット/プッチーニ 9/22,25,27,29 10/1,4
出演(カラフ)、セットデザイン、演出
ワロニー王立歌劇場/リエージュ・ベルギー
Turandot/Puccini   Opera royal de Wallonie/Liege

☆指揮と歌 10/19,20 *新規追加
マスタークラスで選抜した若手アーティストとのコンサート
PRAGUE - CONCERTS 19 AND 20 OCTOBER
Smetana Hall Municipal House

☆トスカ/プッチーニ カヴァラドッシ 10/23, 26, 30 *新規追加
ドレスデン歌劇場/ ドレスデン・ドイツ
DRESDEN - TOSCA 23, 26 AND 30 OCTOBER
Semperoper Dresden

☆コンサート 11/6 *新規追加
ザールブリュッケン
SAARBRUCKEN - CONCERT 6 NOVEMBER

☆コンサート 11/7 *新規追加
ルクセンブルク アルゼンチン、ラテンアメリカの歌 告知HP
 LUXEMBURG - CONCERT 7 NOVEMBER

☆西部の娘/プッチーニ 11/27,30 12/3,6
ウィーン国立歌劇場
Fanciulla del west/Puccini   Wiener Staatsoper/Vienna → ライブストリームあり

☆指揮 12/7,8
プラハ交響楽団/スメタナホール/プラハ
ユニセフのためのコンサート。クーラ指揮、ラヴェルのボレロの他、ピアソラ、ヒナステラのアルゼンチン音楽。
Concert: Symphonic (conductor) Prague Symphony Orchestra/Smetana Hall

☆指揮 12/17 *新規追加
スペイン・リェイダ
オーケストラJulià Carbonellを指揮。ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」
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2016年2月プラハ交響楽団を指揮 スメタナ・ホール FOK Prague Symphony Orchestra

2016-02-15 | プラハ交響楽団と指揮・作曲・歌 ~2017

ホセ・クーラは現在53歳。50代になったここ数年、オーケストラの指揮、オペラの演出に活動の軸足を移しつつあります。来日がなく、日本ではマスコミに情報が全くのらないので、「クーラは今どうしているの?」と思われる方も多いかと。もちろんヨーロッパを中心にオペラ出演も精力的に続けてますが、かつてに比べると歌手としての活動は抑え気味で、総合的な活動のバランスをとっているようです。

今シーズン(2015年秋~)から3年間、チェコのプラハ交響楽団とレジデント・アーティストの契約をしました。主席指揮者のピエタリ・インキネン氏率いるプラハ響とともに、主に指揮者として、また作曲家クーラの作品の演奏、マスタークラスの先生として、そして時には歌手として活動することになっています。

昨年10月に第1回目のコンサート(いずれ紹介する予定)、そして現在(2016年2月)は第2回目のコンサートとマスタークラスを実施中です。次回3回目は2016年10月予定。

今回の日程:指揮者としてコンサート(2/10,11)、マスタークラス(2/13~18)
コンサート演目:レスピーギ「夕暮れ」、クーラ作曲「マニフィカト」、ラフマニノフ交響曲第2番など
コンサートは大好評だったようで、「本当に華麗なパフォーマンス」「このような自然で純粋な音楽性は文字通り本当にまれ」「この夜は確かに最も記憶に残る」など書いたレビューもありました。

FOK Prague Symphony Orchestra
Jose Cura (conductor)
CzechChildren'sChoir smetana Hall

クーラ作曲のマニフィカトに出演するプラハの子ども合唱団とリハーサル中


クーラのコンサートを告知するプラハ響のポスター


2/10のコンサートの様子を報道したプラハのニュース映像(YouTubeより)
Jose Cura concert , 10 Feb 2016


2/10チェコのスメタナホールでの様子。プラハ響と大人と子どもの2つの合唱団、メゾソプラノ、ソプラノのソリストが参加


左:終演後、チェコ子ども合唱団と記念撮影
右:コンサート後に拍手を受けるホセ・クーラとオケ、出演者たち


合唱団とリハーサル


リハーサルの様子を報道したチェコのテレビニュース(Youtubeより)


*写真はプラハ交響楽団やチェコ子ども合唱団のフェイスブックなどからお借りしました。
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