人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2016年 ホセ・クーラ 西部の娘 in ウィーン / Jose Cura / La Fanciulla del West in Vienna

2016-12-07 | オペラの舞台ープッチーニの西部の娘



ホセ・クーラは12月5日で、54歳になりました。そして今年の誕生日は、ウィーン国立歌劇場でプッチーニの西部の娘に出演中に迎えました。
このウィーンの西部の娘のプロダクションに出演するのは、2014年についで2回目です。
今回は、幸いなことに、ウィーン国立歌劇場のライブストリーミングで放送されました。

すでに日本でも、多くの方がこのライブストリーミングを利用されているとは思いますが、あらためて紹介しておきます。
ウィーンのライブストリーミングは有料(1公演14ユーロ、チケット方式の割引あり)ですが、パソコンでも、TVにつないでも、スマートフォンでも観賞でき、また生放送から72時間以内であれば、時差も考慮して好きな時間を選んで観ることができるので、日本からも安心して申し込めます。
  → ウィーン国立歌劇場ライブストリーミングのページ


*クーラの出演した西部の娘は終了。オンデマンドで同プロダクション初演2013年のシュテンメとカウフマンの舞台が視聴可。


このプッチーニのオペラ、西部の娘のディック・ジョンソン役は、クーラがこれまで何度も歌ってきた役柄です。ワイルドな風貌もピッタリで、オテロなどとならんだ十八番のひとつではないかと思います。しかし実は、正規に映像化されるのは、今回のライブストリーミングが初めてでした。本当にうれしいことでした。

キャストは、ミニーにエヴァ=マリア・ウェストブロック。2008年ロンドンの西部の娘でもクーラと共演しています。
ジャック・ランスには、トマス・コニエチュニー。今年は何回も来日して高い評価を受けていたようです。


LA FANCIULLA DEL WEST / Giacomo Puccini
WIENER STAATSOPER 27 & 30 November, 3 & 6 December

Mikko Franck= Conductor
Marco Arturo Marelli= Directer, stage design

Eva-Maria Westbroek= Minnie
Tomasz Konieczny= Sheriff Jack Rance
José Cura= Dick Johnson (Ramerrez)
Boaz Daniel= Sonora




現地のレビューはたいへん好評で、「クーラはトップフォームにあった」と絶好調だったことを伝えています。
また「クーラはやすやすとプレイした」「どのピークに対しても怖れなしの活力」「音楽に押し込まれず、美しいフレーズ」「侵入者の魅力を表現」など、クーラは歌唱の面でも、また舞台上の存在感でも、高く評価されました。
全体としてのパフォーマンスが「初演のキャストと同等以上」と書いたレビューもありました。



(補足)この時のライブストリームされた映像がネット上でアップされています。いつまで見られるかわかりませんが、リンクを。
 歌唱も絶好調、演技もクーラならではの説得力と存在感で素晴らしい舞台です。

「西部の娘」第1幕 ウィーン2016年
 

「西部の娘」第2、3幕 ウィーン2016年




西部の娘は、残念なことに上演機会も多くなく、あまりよく知られたオペラとはいえません。しかしクーラは、「ほとんど演劇のリズムで動くオペラ。まるで話しているように歌う。型にはまった演技や動きは許されない。テキストの流れに沿った自然な演技が求められる。ジャンルの進化という意味では完璧なオペラだ」「西部の娘は立って歌う古いスタイルのオペラではなく、真にモダンな作品。若い人たち、オペラに行ったことがなく初めて体験したい人のためにとって、理想的なオペラ」と、この作品を非常に高く評価しています。

クーラの西部の娘の作品論、ジョンソンの人物像、プッチーニ論については、以前のブログで紹介しています。これまでのクーラの録音や動画リンクも掲載してますので、併せてご一読いただけるとうれしいです。
 → 「ホセ・クーラ プッチーニの西部の娘」 (2008年ロンドンの録音やインタビューなどを中心に)
 → 「西部の娘 プッチーニは最もエロティックな作曲家の1人」 (2016年6月のハンブルクでの舞台やプログラム掲載のインタビューなど)

以下、オペラの流れに沿って、いくつか画像と動画を紹介したいと思います。


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●第1幕第2場 (クーラ演じるジョンソンが登場するのは第2場から)

ゴールドラッシュ最中のアメリカの荒野、一攫千金をねらう鉱夫たちの憩いの場となっている酒場「ポルカ」が舞台。酒場の女性マスター・ミニーは、男たちのアイドルで憧れの的、彼らに聖書を読み聞かせたりもしている。ミニーは荒くれ者に囲まれて暮らしているが、愛にあこがれ、純真で、キスも与えたことのない女性。

ミニーの酒場、ポルカに現れるジョンソン。実は盗賊団の首領ラメレスで、一味と組んで盗みにやってきた。


よそ者の登場をあやしむ保安官ジャック・ランスに問いただされ、「バカラをやりに来た」「サクラメントのジョンソン」と名乗る。




かつて野原で出会い、互いに好意をもっていた2人。偶然の再会を確認しあう。


よそ者に警戒する鉱夫たちに対して、私が保証人になるとジョンソンを認めさせたミニー。友好のためとみんなに促され、はじめて2人でワルツを踊る。


わざと捕らえられてきた盗賊団の一味と、こっそり連絡をとりあう。


手下に盗賊団首領の居場所へ案内させようとみんなが出て行ったすきに、酒場の金を盗もうとするジョンソン=ラメレス。しかしミニーが戻ってくるのを察してやめる。


困惑しながら、2人きりになり、ミニーと語り合うジョンソン。しだいに魅かれあう。


Jose Cura 2016 fanciulla act1





ミニーが決死の覚悟でみんなのお金が入った酒場の金庫を守っていることを知り、また彼女と語り合ってやすらぎを感じたことから、盗みをあきらめ、酒場を去ろうとするジョンソン。「もっとあなたの話を聞いていたかった」と本心をもらすジョンソンに、夜自宅へ招くミニー。再会を約束して去る。


去り際、自分は教育も受けていない取り柄のない娘だと泣くミニーに、「純粋で善良な心をもつ、天使の顔の娘さんだ」と慰めるジョンソン。
その時のやさしく歌うクーラの声を(音声のみ)。
Act1-2 last



●第2幕

ミニーの住む山の中腹の小屋にやってきたジョンソン。




ミニーの話をうっとりと聞き、ジョンソンは読書が好きなミニーに、本を贈る約束をする。


気持ちが抑えきれずキスを求めるジョンソン、腕の中に飛び込むミニー。外は吹雪。




我にかえり、盗賊としての自分には「むなしい夢」だったことに気づき、帰ろうとするジョンソン。


外の吹雪を理由に、ミニーに引き留められる。


互いの愛を確認しあい、もう離れないと歌う2人。


純真なミニーに従って、おやすみをいい、部屋の反対側で眠りにつこうとするジョンソン。




そこに保安官ランスたちがやってきて、ミニーはジョンソンをあわてて隠す。
ランスは、ジョンソンの正体が盗賊ラメレスであることを明かす。
ランスたちが帰った後、責めるミニーに対して、「一言いわせてくれ」と、自らの盗賊稼業を受け継いだ運命を語り、ミニーと出会って夢を抱いたが、それはむなしいことだったと語るジョンソン。別れを告げて部屋を出ていく。








外の銃声を聞いたミニーがドアをあけると、撃たれて血を流すジョンソンが倒れていた。拒むジョンソンを無理やり部屋に入れるミニー。


ランスが現れ、ジョンソンが屋根裏に匿われていることに気付く。ミニーは、トランプで、自分が勝てばジョンソンを見逃してほしい、ランスが勝てば自分はあなたのものといい、ランスと勝負をする。そしていかさまでランスに勝つ。

●第3幕

ミニーに助けられて逃げたものの、ついに捕まったラメレス=ジョンソン。


絞首刑を前に、死を覚悟したジョンソン。ミニーへの思いを語り、自分は遠い地で新しい人生を歩んでいると伝えてほしいと訴える。


今回の公演から、ジョンソンのアリアがYouTubeにアップされていましたので、リンクを紹介します。
「やがてくる自由の日」 ミニーを思い、ジョンソンが歌うアリア。
José Cura - La Fanciulla del West - Ch'ella mi creda libero ( by dolchev in YouTube)


駆け付けたミニーが皆を説得し、ジョンソンを救い出す。


2人であらたな出発をする。このウィーンのプロダクションでは、虹色の気球にのって2人は去っていく。



●カーテンコール

クーラに対して、熱狂的な拍手、喝采が寄せられた。




繰り返されるカーテンコール



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私は、このライブストリーミングで、初めて、クーラの西部の娘の全編映像を観ることができました。
公演期間中に54歳の誕生日を迎えるという年齢にもかかわらず、期待していた以上の、伸びやかな歌唱で、楽々とハイノートに達し、美しい、輝きのある声をたっぷりと聴かせてくれました。

そして何といっても、クーラの舞台を観る醍醐味は、ドラマの登場人物が、性格や背景をふまえて、人間として生き生きとリアルに表現され、一貫したキャラクターとして浮き彫りになっていることです。歌と演技が一体となったドラマとして、違和感なく、オペラをみせてくれる数少ないアーティストだと思います。
今回も、ジョンソンのキャラクター――不本意ながら親の稼業である盗賊団の首領を継いで、盗みや賭博、酒、女・・と、荒れた生活をおくっていたが、純真なミニーと出会って、本当の愛を知り、とまどいながら、おずおずと、誠実に、大切にミニーと接するなかで、本来の自分をとりもどし、生き変わろうとしていく姿、愛と喜び、苦悩、逡巡、後悔、決断、死の覚悟、新たな旅立ちのドラマを、控えめな演技で体現していました。
クーラのジョンソンは、年相応に白髪も増え、体格も貫禄がありますが、私にとっては、本当に魅力的でした。

このプロダクションは、初演のシュテンメとカウフマンの舞台がDVDになっていますし、ウィーン国立歌劇場のオンデマンド放送のプログラムにも掲載されていますので、残念ながら、このクーラとウェストブロックの舞台は、もう観るチャンスがないかもしれません。
長くジョンソン役を歌い、役柄の分析も深めてきたクーラが、自身の演出で、ジョンソンを歌う舞台を、ぜひとも、実現してほしいと思います。



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西部の娘 プッチーニは最もエロティックな作曲家の1人 / Jose Cura talk about Puccini

2016-06-22 | オペラの舞台ープッチーニの西部の娘


ホセ・クーラはこの6月、ドイツ・ハンブルク歌劇場で、プッチーニの西部の娘に出演しています。6月24日に最終日を迎えます。ミニーは、アマリッリ・ニッツァ。

このプロダクションは、演出がヴァンサン・ブサール、衣装はクリスチャン・ラクロワで、今年のザルツブルク復活祭音楽祭2016のオテロと同じメンバーでした。
現地在住の方の情報によれば、ハンブルクの古参オペラファンたちも大いに満足の、良い公演だったようです。

まずは、Youtubeにアップされたホセ・クーラのディック・ジョンソンのアリア「やがて来る自由の日」を。
なかなかのびやかな高音、迫力ある歌唱です。残念ながら、公開されている動画は今のところ、これだけです。

*2008年のロンドンでの舞台の録音やインタビューを紹介した以前の投稿はこちらです。 → ホセ・クーラ プッチーニの西部の娘

José Cura - La Fanciulla del West - Ch'ella mi creda libero
by dolchev YouTube


Staatsoper Hamburg June 4, 9, 12, 15, & 24 ,2016
Fanciulla del west/ Puccini
Director: Vincent Boussard , Set Designer: Vincent Lemaire , Costume Designer: Christian Lacroix Lighting Designer: Guido Levi
Musikalische Leitung:Josep Caballé-Domenech
Minnie: Amarilli Nizza, Jack Rance: Claudio Sgura, Dick Johnson: José Cura
Nick:Jürgen Sacher,Ashby:Tigran Martirossian,Sonora:Kartal Karagedik,Trin:Joshua Stewart...
Chor der Hamburgischen Staatsoper



劇場のパンフレット「ハンブルク・ジャーナル」に、クーラのインタビューが掲載されました。プッチーニ論、西部の娘の作品論を語ったもので、とても面白い内容でしたので、ざっと訳してみました。原文がドイツ語で、語学力がない私のこと、誤訳ばかりかもしれない無謀な試みです。とりあえず大意が伝わればということで、どうかご容赦ください。

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●過小評価されているプッチーニ
ジャコモ・プッチーニは、複雑な性格であり、今日においても、残念ながら、しばしば非常に過小評価されている。
プッチーニに対するには、明らかに、無限に変移する官能性についての能力を必要としている。官能は、性的なニュアンスの観点からだけでなく、一般的に感覚の目覚めとして広く理解される。

考えてみよう。例えば、デ・グリューのマノンとの苦しみの関係を、例えば15歳の蝶々夫人に対するピンカートンの病的な執着を、トゥーランドットにおける男女の対立を、そして現代の精神医学の理論を背景として、これらすべてを。

プッチーニのとらえどころのない官能的な性格の実例として、彼が、パフォーマーの演奏に望んだことを、どんなふうに熱狂的に説明しようとしているか、みてほしい。
それらは、時に、同時に行うことができるのか疑問に思うような、非常に異なった指示だ。
「素早く、しかし少し遅く」、「勢いよく、しかしコントロールして」、「インテンポで(一定の速度で正確に)、しかしソステネンドに(音符の長さを十分に保ってやや遅く)」。

●愛撫のような音楽の流れ、もっともエロティックな作曲家
プッチーニの音楽の流れは、裸体に対する愛撫に等しくなければならない。
――時にはゆっくりと、時には速く、今は時間をかけて、その後、急いで、時間を割いて、激しく求め、逃れ、そして最終的には、ほとんど何も触れずに。

ノスタルジックで、粗暴、ロマンチックで、積極的で、情愛に満ち、メランコリックで陽気で、残忍でうんざりするほどシニカル。プッチーニは、最もエロティックな作曲家の1人だ。



●西部の娘と「ブロードウェイ」音楽
我々が西部の娘の中で、プッチーニの素晴らしいパッセージを聞くとき、ある種の偏見を呼び起こすかもしれない。まるで「ブロードウェイ」のような怪しい光景を。
ミュージカル・コメディや映画の中で聞いたことがあるような曲を認識した時、我々はそれを見下し、笑う。プッチーニが、ブロードウェイの作曲家や映画産業よりもはるか前に、彼の音楽を書いたこと、それが彼の後の世代の作曲家に明らかに影響を与えたことを忘れて。

●ノスタルジアの表現

西部の娘は、プッチーニの複雑さとともに、彼の音楽的洗練を示している。彼は、女性の心理に敏感な理解者であると考えられているのと同じように、男性心理もまた認識していることを、オペラのなかで証明している。
プッチーニが創りだした西部の娘の魔法の一部は、望郷の念の本格的な描写だ。彼の故郷イタリアのルッカから、イギリスやアメリカ合衆国へ、南米やオーストラリアへ、多くの人々が移住したことが知られている。

ジャコモの弟ミケーレは、不運な星の下、移民先のアルゼンチンで早すぎる死に終った。結果として、プッチーニは、自分たちのルーツと家族の絆のために、郷愁を感動的に表現することができた。
喉をしめつけるような孤独、多くの場合、酒や女性、カード賭博に慰めを見つけている、それらが西部の娘で見事に描かれている。
プッチーニの「西部の荒野」は、ハリウッドの方式とは異なって、英雄的ではなく、アメリカの辺境の住民の現実の世界に近い。男たちは夢におされ、何とか生き続けるために、血の汗を流す。

クーラのフェイスブックのカバー写真


●母国を離れた1人として、痛切な望郷の感覚
この意味で、このオペラへの私のレスペクトは深く、非常に個人的だ。
私自身、「約束の地」を見つけるために25年前に母国アルゼンチンを離れた1人として、西部の娘で見事に描かれている故郷を失った感覚を100%理解する。私は今も、記憶のなかにこの痛烈な無力感を呼びだすことができる。それは、ヨーロッパで私たちの新しい家を認識するまで、長年にわたって私と私の家族を苦しめた。

●ジョンソンの複雑な性格
私はいつもジョンソンに非常に複雑なキャラクターを見ている。
彼は人生を知っている。必要であるならば嘘をつき、泥棒で、ニーナ・ミケルトレーナのような狡猾な女性を扱うことができる。
そして、自分に何が起こったのか、驚く彼の純真さ。この、予想していなかった真の愛の発見、それは明らかに、彼の人生を、心の中で尊敬されるよう導く。

粗暴さ、力によるルールの無視、しかし悔い改め、よりよい未来への希望が、ジョンソンの性格のニュアンスであり、彼のアリアの間だけでなく、リアルな会話のなかでも表示され、これらがオペラの骨格を形成する。

実際に彼の心理のキーフレーズは、このような文章に見つけることができる。
“Non so ben neppure io quel che sono”… 「私だってまだ、自分が何なのかよくわかっていない」
この問いは、ジャコモ・プッチーニ自身に適用することはできるだろうか?

我々は結論づけることができるだろうか?彼が、自分自身の不安定なタッチを男性のそれぞれのキャラクターにふきこみ、はるかに強い女性の腕の中にそれらを投げだすことで、自分の弱さを克服しようとしていると?
フロイトは微笑む。

Jose Cura 11 03 2016



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作品とキャラクターの解釈を、どの作品、どの役柄でも徹底して掘り下げ、研究する、そういうクーラの姿勢の一端がわかる一文ではないでしょうか。
このようなクーラの解釈にもとづく、西部の娘の演出、主演のプロダクションをぜひ、みてみたいものです。近いうちに、どこかの劇場で実現することを願っています。
今回、クーラも、また共演者、コーラスとのアンサンブルも良好で、キャスト同士の連帯感も伝わる舞台だったようです。
キャストが公開しているリハーサルや舞台裏の写真からもうかがえます。



アマリッリ・ニッツァがFBに掲載した、指揮者、ホセ・クーラ、クラウディオ・スグーラと一緒のリハーサルの写真。






*写真は、劇場やミニー役アマリッリ・ニッツァ、Kartal Karagedikら、共演者のFBなどからお借りしました。
 → Amarilli Nizza
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ホセ・クーラ プッチーニの西部の娘 Jose Cura / La Fanciulla del West / Puccini

2016-03-24 | オペラの舞台ープッチーニの西部の娘


プッチーニのオペラ「西部の娘」は、ホセ・クーラの個性、キャラクターにぴったりの作品です。
主人公ミニーの相手役ディック・ジョンソンのアリア「やがて来る自由の日」は、クーラが国際的なキャリアをひろげるきっかけの1つとなった、プラシド・ドミンゴ主催オペラリア1994年で優勝した時のファイナルで歌った曲でもあります。その時の動画がYoutubeにアップされていますが、とても強靭な声、若々しい歌唱です。

Jose Cura 1994 "Ch'ella mi creda" La fanciulla del West




今年2016年は、この「西部の娘」に2つの劇場で出演する予定です。まずは、ドイツのハンブルク州立歌劇場で、2016年6月4, 9, 12,15, 24。ミニーはBarbara Haveman。→劇場のページ
*ハンブルクの舞台の写真、動画、またクーラのインタビューを紹介した記事はこちら→「西部の娘 プッチーニは最もエロティックな作曲家の1人」

そして秋には、ウィーン国立歌劇場で、2016年11月27、30日と、12月3、6日です。
*4/8補足 ウィーン国立歌劇場の2016/17シーズンが正式発表されました。12/3がライブストリーム予定のようです。 

*追加 ライブストリームされた映像がネット上でアップされています。いつまで見られるかわかりませんが、リンクを。
 歌唱も絶好調、演技もクーラならではの説得力と存在感で素晴らしい舞台です。

「西部の娘」第1幕 ウィーン2016年
 

「西部の娘」第2、3幕 ウィーン2016年




これまでクーラは、ロンドン、チューリヒ、ウィーンなど各地で、この「西部の娘」のディック・ジョンソン(実は盗賊団の首領ラメレス)役を歌ってきました。2008年にロンドンのロイヤルオペラに出演した際に、インタビューにこたえ、この作品についての考え、解釈を語っています。以下に、そこから抜粋して掲載しました。
また、Youtubeにあがっているいくつかの場面の録音(音声のみ)を紹介します。とても美しいメロディがいっぱいで、楽しいオペラだと思います。




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●オペラのマカロニ・ウエスタン
「西部の娘」は、深い心理的背景を持つオペラではないことは事実だ。裏切りを描くオテロやサムソンとデリラ、アイーダ、またはショービジネスの争いを反映した道化師などとは違い、これは理想的なラブストーリーの一種。マカロニ・ウエスタンだ。

深い分析が必要なプロットはない。ラストも楽観的で、皆が他の人を許し、死も裏切りもない。私たちが毎日ニュースで目撃するものを考えると、オペラも悪くないと思わせる。しかし作曲法という点では、信じられないほど素晴らしい。



●進化したオペラ
同じプッチーニの「外套」と同様に、ほとんど演劇のリズムで動くオペラ。まるで話しているように歌う。型にはまった演技や動きは許されない。テキストの流れに沿った自然な演技が求められる。ジャンルの進化という意味では完璧なオペラだ。

プッチーニの「西部の娘」は立って歌う古いスタイルのオペラではなく、真にモダンな作品。若い人たち、オペラに行ったことがなく初めて体験したい人のためにとって、理想的なオペラだ。彼らにぜひ「西部の娘」をすすめたい。

プッチーニのオペラ、西部の娘で主要なものはノスタルジアだ。互いにコミュニケーションができないので、あらゆるところに孤立感がある。だから演出で現代的な機器を取り入れてしまっては、すべてが台無しになる。

●写実的で、リズムは話し言葉
プッチーニは100%ヴェリズモの作曲家ではなかった。彼は写実的な作曲家で、彼のオペラは写実的であり、真実だ。リズムはほぼ話し言葉。西部の娘はまさにそういうオペラであり特定の型に定義するのは不可能だ。



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ホセ・クーラの「西部の娘」は、残念ながら全曲CDもDVDもありません。2008年に出演したロンドンでのラジオ録音から、いくつかの場面がYoutubeにあります。クーラは、ワイルドな荒くれ者だが、実は知的で誠実な内面をもつ主人公ジョンソンの雰囲気ぴったりで、音声だけですが楽しいです。

ロンドンROH2008年の公演から、第1幕のミニーとディック・ジョンソンのデュエットを。ミニーはエヴァ= マリア・ウエストブロック、パッパーノ指揮。
Jose Cura Act 1 "Love duet" 2008 La Fanciulla del West




プッチーニの西部の娘、2008年ロンドンROHの舞台から、第2幕のジョンソンとミニーの二重唱。プッチーニらしく官能的で美しい。クーラとウェストブルック。
Jose Cura "Hello! ..." Love Duet (Act 2) 2008 La Fanciulla del West


同じく2008年ROH、パッパーノ指揮の公演から、ホセ・クーラの第2幕ジョンソンのアリア「ひとこと言わせてくれ~」を。
Jose Cura "Una parola sola...or son sei mesi " 2008 La fanciulla del west


2008年ROHの公演から有名なアリア「やがて来る自由の日」”Ch'ella mi creda”を。絞首刑となるジョンソンが愛するミニーのため訴える歌。
Jose Cura "Ch'ella mi creda" 2008 La Fanciulla del West




写真の怖い3人組は、ROHで、演出家と指揮者パッパーノ、クーラ




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