人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

ホセ・クーラとドイツの音楽雑誌 『Das Opernglas』 / Jose Cura and Das Opernglas

2017-05-07 | 雑誌――表紙や記事



ホセ・クーラは今年2017年、ドイツの著名なオペラ雑誌『Das Opernglas』の2月号の表紙に登場しました。
ドイツ在住の方から教えていただいて、注目するようになったこの雑誌、調べてみたら、これまでにクーラは6回、表紙に登場していました。

もちろん、表紙以外にも、インタビューやレビュー、紹介記事などで沢山とりあげられていますが、今回はこの表紙にでた号に注目して紹介したいと思います。ただし、ドイツ語は読めませんので(確か第2外国語だった笑)、内容を細かく紹介することは残念ながらできません。興味をお持ちの方は、ぜひ、雑誌のHPをごらんください。

幸い『DAS OPERANGLAS』は、バックナンバーの含めて記事をネット上で検索でき、注文もできます。クーラが表紙の号を検索したところ、残念ながら1つだけ品切れでしたが、一番古い、1997年発行(もう20年前!)のものも、ちゃんときれいな状態でドイツから郵送され、無事到着しました。

トップの写真は、我が家に到着したクーラが表紙の『Das Opernglas』誌の各号。
クーラのキャリアの節目節目に大きく取り上げてもらい、表紙を飾ってきた、ほぼ唯一の雑誌といえるのではないでしょうか。


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●1997年10月号

表紙に登場の1回目は、1997年の10月号でした。
この年は、5月にトリノでアバド指揮によるヴェルディのオテロにロールデビューし、世界的に注目を集めた年でした。しかも11月にドイツのいくつかの都市でコンサートが行われ、これがドイツ・デビューでもありました。
90年代後半に、クーラの才能と努力が一気に花開いた時期の象徴的な表紙登場です。



中身は、同年のトリノでのサムソンや、ドミンゴが指揮したプッチーニアリア集のアルバム録音の様子をはじめ、それまでの舞台の写真などがたくさん掲載されています。


若いですね。


これは、この号に掲載されていたクーラのコンサートの広告。ミュンヘン、マンハイムやケルンなど5ヶ所を1週間で回る、なかなかのハードスケジュールです。




●2001年1月号

2回目は2001年1月号。残念ながら売り切れでした。
インタビュー記事の見出しには「指揮が私の職業。歌は趣味だった・・」などの文字がありましたので、クーラのそれまでの音楽的志向、キャリア展開などについて語っていたのかもしれません。

99年から2000年にかけてエージェントから独立、自分の求める芸術的な道を自分らしく歩む決断をし、自らマネージメントとプロダクション制作のための会社Cuibarをたちあげたのがこの年2001年でした。それにより様々な攻撃を受けたりして、苦闘の時期でもあったようです。
  → 以前の投稿でくわしく紹介しています。
もしチャンスがあれば、このインタビューを読んでみたいものです。




●2003年2月号

表紙3回目は2003年2月号、ハンブルクでのオペラ出演を控えて、直前での表紙登場とロングインタビュー掲載です。
この年の2月、ハンブルク歌劇場にデビューしました。これがちょっと変わっていて、前半のカヴァレリア・ルスティカーナ(マスカーニ)では指揮者として登場、そして後半の道化師(レオンカヴァッロ)では歌手としてカニオを歌うというプロダクションです。

クーラの経歴、指揮者として学んできたことを尊重して企画されたのでしょうか。こんなユニークな公演はたぶん、他にはあまりないように思います。当時の録画がないのが大変に残念です。
 








"Very hot heart and very cold mind!"と題したインタビュー、「熱い心と冷静な判断力」というような意味でしょうか。

内容は、クーラのこれまでのキャリア、作曲や指揮について、指揮者としての自分と歌手としての自分の違い、自分のレーベルやプロダクションを設立したことの意味、オペラ演出について、など多岐にわたっています。

2003年3月のアメリカによるイラク侵攻の直前に出たこのインタビューの冒頭、クーラは以下のように語っていました。

「おそらく2003年は決定的な年になると思う。私たちが経験する世界的な危機は、経済的な危機だけではない。基本的な問いは――戦争か、平和か、だ。このような不確実な時代、アーティストは団結して協力すべきだ。音楽と劇場を通じて人々を慰めることは私たちの義務。我々は不快な状況から遠ざかることはできない。」





●2008年1月号

4回目は08年1月号です。この年、ケルンでヴェルディの仮面舞踏会で演出家としてもデビューしています。

困難を乗り越え、設立したプロダクションも軌道に乗り、自分で自分の仕事とキャリアの方向性を選択しながら歩みを続けてきたクーラ。このインタビューは、成熟したアーティストとしてのクーラの多面的な姿を浮き彫りにしています。

エージェント独立以降のあゆみ、多面的に仕事をすることへの批判に対して、スターダムについて、自分のレーベルでのCDリリース、ネルーダの詩に作曲した自作曲のアルゼンチンでのコンサート、本の出版、マスタークラス、今後の予定など、今回も非常に盛りだくさんです。





キャリアの節目節目にこの雑誌のインタビューで語ってきたクーラ。この号では、ワーグナーのパルジファルに挑戦することを明言していました。2010年ベルリン・ドイツ・オペラの予定だったようです。しかし残念ながらキャンセルされました。
結果的にクーラのワーグナーデビューは、今年2017年2月のタンホイザーパリ版仏語上演を待って実現したわけですが、もしこの時のドイツ語でのワーグナー挑戦が成功していれば、その後のクーラのキャリア展開は大きく違っていたかもしれません。

「2010年にベルリン・ドイツオペラでコンサート形式でパルジファルを歌う。これは、それがうまくいくかどうか、それがどのように機能するかを見るための第一歩だ。ワーグナーの役柄は確かに私にとって魅力的だが、同時に、ドイツ語は少し怖い。これまで私は、この点で期待を果たすことができないと懸念してきた。長さや激しさの点ではワーグナーは問題ではない。私の本当の挑戦は言語だ。
しかし、コンサート形式でのデビューをオファーされたことで、スコアを持ち、歌、テキスト、音韻、そしてすべての子音に完全に集中することができるので、受け入れやすくなった。その後に、私はその役柄をどう管理し、私の解釈に対する反応がどうだったのかを見ていく。ドイツの首都でパルシファルのデビューをするというのは確かにクレージーなことだ。」





以前、ブログの別の投稿でも紹介しましたが、それまでの数年間を振り返って語ったクーラの言葉は、苦難を乗り越えたつよい意志と静かな自信に満ちています。

「私がすべてのエージェントとの関係を絶った2000年以降、そして私のレコードレーベルErato Discsが閉鎖されたことが加わって、私は本質的に砂漠の中に1人ぼっちだった。それは決して簡単ではなかったが、私にとっては非常に有益な時間だった。私は1人であったが、それにもかかわらず私は生き残った。
自分自身で完全に責任を負い、同時に成功を収めること――我々のビジネスの中の考え方では、これらは同時に成立しえない。この種の主張はルール破りを意味し、望ましくないこととされている。

幸いなことに、この段階は終了した。私は今、私自身だ。人生におけるように、ステージの上でも自分自身だ。危険がないわけではないが、今私は確信している。良いアーティストであれば、譲歩や妥協をせずに、よく生き残ることができる。それが私が学んだ最も重要な教訓だ。人は全ての人を喜ばせる必要はない。単にそれを芸術的な意味で意味でいっているわけではない。誰もが私を好きになるわけではない。もし誰からも気に入られるのなら、何らかの方法で支払われているということだ――金銭や別の方法で。」






●2011年5月号

表紙登場5回目は2011年5月号です。
2010年にカールスルーエで、サムソンとデリラの演出、舞台デザイン、主演の舞台を成功させ、ますますマルチタスクの活動をすすめるクーラの、ハードは働きぶり、またインターネットの発展で変容する音楽マーケットの状況、アーティストの努力の成果が奪われている現状などをはじめ、さまざまに語っているようです。








●2017年2月号

そして6回目が今年の2月号です。

タンホイザーのパリ版フランス語上演によるワーグナーデビューと、ブリテンの英語オペラ、ピーター・グライムズの主演、演出、舞台デザインという、2017年の2つの大きな挑戦について、中心的に語っています。






読んでいて感じるのは、クーラのことを長年にわたって取材し続け、インタビューで語りあってきた編集部とクーラとの信頼関係です。クーラの初期、エージェント独立の困難な時期、その後の奮闘などをよく知っていて、信頼しあう編集者との長い付き合いは、本当に貴重だと思います。

ひとりのアーティストには、誰でも長年のキャリアのなかで、山や谷、さまざまな試練もあるかと思います。とりわけクーラの場合は、大手のレーベルやエージェントから独立し、大劇場にたいしても、メディアにも、媚びることも遠慮することなく、自らの芸術的信念にもとづいて独立独歩で活動してきました。その過程でいろんな攻撃や不利益も被りましたが、それを乗り越えて、つねに新しいことに挑戦し、今日、成熟したアーティストとして活動を続けています。この雑誌、とりわけ編集部が、こうした歩みをよく知り、系統的にクーラのインタビューを掲載してくれていることに、1読者、ひとりのクーラファンとして、心から感謝したいと思います。


●おまけ


こちらは表紙ではありませんが、2015年にインタビューで登場した時の紙面です。




こちらは雑誌のHPの画面。記事の検索、バックナンバーの購入、記事単位でのPDFでの購入もできますので(ドイツ語)、興味をもたれた方はのぞいてみてください。


コメント
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