人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2016年 ザルツブルクでのインタビュー 「オテロに必要なのは“肌の色”だけではない」 Jose Cura interview

2016-03-20 | オテロの解釈


3/19に初日を迎えた、ホセ・クーラ主演のザルツブルク復活祭のオテロ。まだ現地の新聞のレビューを見ていないのでよくわかりませんが、ネットに即日掲載されたレビューでは、まずまずだったようです。
演出には少しブーイングが出たと書いていたのもありました。指揮、舞台、衣装は拍手を受けたそうです。
キャストでは、デズデモーナが一番大きな喝采を受け、ホセ・クーラのオテロも、全部の観客がそうだったわけではないが大多数から拍手されたとのことです。日本時間で27日未明のラジオ録音放送を楽しみにまちます。
→ラジオ放送プログラム 
*追加情報 クラシカジャパンで来月放送されるようです。初回放送4/23(土)21:00~23:45 →番組案内 →詳しい放送日時
スタッフ、キャストなど詳しいことは「告知編」「リハーサル編」をごらんください。

実際の舞台、レビューなどは、「リハーサル編」「レビュー編」をどうぞ。

このオテロを前に、クーラはザルツブルクでKURIERのインタビューを受けました。
オテロについて、指揮のキャリア、将来、オペラと世界の危機、歌手のルックスとアーティストとしての成長など、興味深い内容についてインタビュアーの質問に答えています。
表題は、"Otello braucht nicht nur die Hautfarbe"――「オテロに必要なのは“肌の色”だけではない」と訳してみましたが、間違っていたらすみません。
原文はドイツ語ですが、クーラのFBには英文も掲載されています。→こちら

原文をお読みになりたい方はこちらを→リンク


主な内容を抜粋して訳してみました。語学力がないので、直訳、誤訳が多いとは思いますが、ご容赦ください。ぜひ原文もご参照ください。

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Q(インタビュアー)、あなたのオテロの見方は長年にわたって変更されてきた?

A(クーラ)、私がオテロを演じ始めた時に、私の髪は真っ黒だった。しかし今では、「塩と胡椒」(白髪混じりの意味か)だ。私の中のこうした変化は、私の解釈の変化をも説明している。それに加えて、この間に、私はオテロを演出したし、この4月のシェイクスピアの没後400年の記念日に、初めて指揮をする予定だ。
私は謙虚に言うことができると思う。私は現代のオテロに関して、非常に「徹底的な」専門家であると。これは傲慢ではない。ただ長い間のハードワークの結果だ。

Q、メトロポリタン・オペラが歌手の黒塗りを停止して以来、最近オテロについてかなり活発な議論が行われているが・・?

A、オテロは肌の色だけでなく、役柄と一致した声を必要とする。したがって、オペラで白人のキャスティングを回避することは非常に困難だ。
私は良い意図を理解するが、また、その中に「隠れた罠」を見る。
もし黒人だけが黒人の役を演じることができるのなら、白人だけが白人の役を演じられることになる。それでは、黒人俳優は決してハムレットを演じられないのか?リチャードⅢ世は?また…?
この新しい「政治的に正しい流行」は、黒人のプロフェッショナルを従事させない最高の口実を提供している。私に言わせれば、それは、顔を黒くメイクする以上に、人種差別の悪臭を放つ。私の黒人の友人の何人かは、実際にこうした考え方を懸念している。



Q、ザルツブルク復活祭音楽祭は、来年2017年に50周年を祝う。それは常に豪華な祭とされている。こうした高級感のようなものは、今日の社会に適合しないと思うか?

A、ロールス・ロイスがガレージに収まるのと同様に..。多くの車のブランドがあり、それぞれの人が、その経済力に合ったものを購入することができる。
ザルツブルク復活祭音楽祭は、「通常の」チケット価格でやっている他のオペラハウスを後援している、多くの同じ資産家たちの豪華なランデブーだ。それはそれで結構なことだ。

Q、オペラは近年、多く変わりつつあるようだ。いくつかのオペラハウスは、より博物館のようになり、他のものはより大胆に。オペラは危機的状態になっているのか?

A、世界が危機的状態にある。この修正と逆修正のための巨大な瞬間から逃げることはできない。私は、社会の良識を信頼している。しかしそれは長い時間がかかるだろう。

Q、若い視聴者を引き付けるために何が必要だろうか?

A、知的誠実さ、感情のリアリティだ。審美的な提案であるかどうかが問題ではなく、彼らに嘘をつかないことを示すなら、若い人たちはあなたについていく。



Q、有名なテノール歌手プラシド・ドミンゴは現在バリトンロールを歌っている。この決定についてのあなたの意見は?

A、アーティストには、彼が望む方法で作品を提示する権利がある。一方、観客は、アーティストの提案に従う、または従わない権利を有する。

Q、指揮者としても活動しているが、それは将来的にあなたのためにどのような重要性をもっている?

A、作曲と指揮は私のバックグラウンドだ。歌のキャリアは、それへのアプローチを豊かにした。私が数十年前に夢見ていたフルタイムの指揮者として、自分のキャリアを終わること、それ以上に私にとって自然な事はない。
しかし、それが実現するかどうかは、私の力を超えることだ。とはいえ、文句をいうことはできない。私が望むほどにはたくさん指揮をしていないが、良い形でバトンをキープしている。また現在、私が作曲した作品を発表しつつある。昨年2月にマニフィカトを初演、そして2017年3月にはEcce Homoの初演を迎える。

Q、あなたの同僚の中には、オペラハウスのトップを目指す人もいるが、あなたはどう考えている?

A、イエス、しかし恐らく理由は同じではない。30年以上の舞台の後、私は誇りを持って言うことができる。私の芸術的信条を定義するスタイルがあると。
劇場でフルタイムで働くことは、共有を望むカンパニーに、私の信条を伝え育てる良い方法だろう。ある者はこれを読んで、私が世間知らずだと考えるだろうが...。



Q、今日、オペラでルックスは重要なのか?

A、ルックスはゴールではなく、「売り込み手段」として非常に重要になることがある。私自身、ずっと前に、「オペラのセックスシンボル」として売りだされていた。だから、私にはこの問題について語る権利があるだろう。
もし、今日ますます多い種類の「単なる」商業的キャリアを望むのなら、良い外見は違いをうむだろう。しかし自らの才能にもとづいてキャリアを築き、長年のハードワークの後に、アーティストと呼ばれるようになろうとするのなら、それは違う話だ。
もちろん、我々の国民は夢を求めている。そして歌手が、その役割に「見える」ということは、ベターなことだ。しかしこれに対処するには、多くの方法がある。
José Cura 10 - 03 - 2016

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最後に、3/19初日の夜に放送された現地TVのニュースクリップを。残念ながらクーラの歌声は入っていませんが、舞台の様子、いくつかの場面が見られます。またアルヴァレスのイアーゴの歌が少し聞けます。
"Otello" bei den Osterfestspielen in Salzburg


*写真はフェスティバルの公式FBからお借りしました。
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2013年 ホセ・クーラ オテロの解釈 From A Conversation with Jose Cura

2016-03-14 | オテロの解釈


前回の投稿「2013年 メトロポリタンオペラ METのオテロ ヴェルディ」の最後に記した、2013年3月のニューヨーク大学での対談“A Conversation with Jose Cura”から、改めて、オテロの分析と解釈の部分を紹介したいと思います。

フレッド・プラットキンさんを聞き役に、オテロをはじめとして、カヴァレリア・ルスティカーナ、アイーダ、アンドレア・シェニエなどのオペラにまつわる様々な話、著作権の話、バッハやモーツアルトなど、話題も多岐にわたり、非常に興味深く楽しい対談です。
残念なことに、英語での対談で字幕がありません。しかしオテロの解釈の部分はとりわけ興味深く、ここまで踏み込んだ話は他のインタビューにもありません。全体を正しく日本語で紹介することは残念ながら私の語学力では難しいので、Madokakipさんのブログのコメント欄でブログ主のMadokakipさんが、オテロに関連する部分の概略を日本語に訳してくださっていますので、ほぼそれをもとにして抜粋して紹介させていただきました。興味のある方は、ぜひMadokakipさんのブログをコメント欄含め、直接ご覧になってください。
なお、若干加筆をしたこと、話の順番は、前後している場合があることをお断りしておきます。

VIMEOのページはこちら → A Conversation with Jose Cura
ぜひぜひ、直接対談をご覧になっていただきたいと思います。いくつかDVDや録音も紹介しています。私は全部は聞き取れませんが、とても楽しかったです。率直で自由闊達な話しぶり、ジョークも多く、クーラのフランクな人柄が伝わってくると思います。最後の質疑応答ふくめ1時間45分ほどです。
from Casa Italiana Zerilli-Marimo
Fred Plotkin in conversation with Argentinian tenor Jose Cura, starring in the title role of Verdi's "Otello" at the Met
Casa Italiana Zerilli-Marimo
New York University
March 12, 2013



●オテロは転向者・裏切り者・傭兵
自分のオテロは高貴じゃないと批判される。しかしオテロはイスラムからキリスト教に転向し、イスラム教徒殺戮のためクリスチャンに雇われた男。9・11を経験して、これがいかに特殊な状況なのか、実感を伴って感じられるようになった。例えば、アメリカ人に生まれながら、サダム・フセインに雇われてアメリカ人を殺戮し、“喜べ!アメリカ人を殺してやったぞ!”と高らかに宣言するような人間がいたとして、こんな人間のどこがノーブルといえるのか。理由はビジネス以外ありえない。

ジョージ・クルーニーの映画「The American」を見た。主人公は、自分はいつ殺されるのかと常に怯え、常に後ろを振り返っている。オテロの裏切りにも同種の恐怖が伴っていて、それがカッシオたちへの極端な疑心暗鬼につながっている。



●オテロを陥れたもの
オテロを陥れたのは、”ハンカチーフ”ではない。
こうした状況下で、オテロにとって、自らが黒人であることの受け入れがたさ。オペラにはないが、シェークスピアの原作で描かれている、オテロがデズデーモナの父親に受け入れられないことによるコンプレックス。デズデモーナの父が娘について言い捨てた言葉、「父親を謀りおおせた女だ、やがては亭主もな」の言葉がきいている。

近年の世界情勢を考慮してか、オペラハウスの字幕で「傲慢な回教徒どもは海中に葬り去った (第1幕冒頭のEsultate )」の部分を訳さない傾向があるが、これはナンセンス。ここの関係にこそ、オテロの性格を理解する鍵がある。



●デズデモーナの愛と死
第1幕のオテロとデズデーモナの二重唱で、「金星が輝いている」と歌われている「金星」は、デズデーモナのことを指している。2人は星の話をしているのではなく、星に彼女の性(処女性)を重ね合わせたダブル・センス。つまり、今すぐにでもSexしたいという鼻息の荒い歌なのだ。戦争から帰ってきたばかりでもあり。

オテロはまさにエロスとタナトスの王道を行くオペラ。第4幕で、デズデーモナが死を予感して、婚礼のドレスを出してと頼み、逃げもせず、夫の手による死を待つ。これは究極の“愛ゆえの死”によるオーガズム、究極のマゾキズムといえる。



●オテロ崩壊のきっかけ
デズデーモナ殺害に至るオテロの崩壊の直接のきっかけは3幕にある。
彼の中では、イスラム教徒を殺すという任務はまだ全て完了していないという理解なのに、ベネチアから召還命令が入り、キプロスの統治をカッシオに譲ることになる。メトの公演を見た人は、私がこの場面で、召還命令の紙をロドヴィーコから受け取ったかと思うと、床にポトンと落として、落ちた紙を蹴り飛ばしたりするのを見ただろう。この時、オテロは、ロドヴィーコというベネチア=クリスチャンを代表する人間に挑戦を突きつけ、無礼を働く。

これが変えようのない決定だと気付いた時、彼の心の中に、“自分は役立たずのニグロに戻ってしまった”という思い込みが生じる。
彼に残ったのは、妻デズデーモナだけだが、その彼女も殺さねばならない。



●オテロの死
オテロは百戦錬磨を経てきた軍人。だからこそ、どのように刺すとどれくらい生きられるか、十分にわかっている。
自分に剣を刺してから完全に死ぬまで5分くらいある。心臓をすぐに刺さずに、腹部を刺して段々窒息し、剣を抜いてからは15秒くらいであっという間に死んでしまう。これらのタイミングがすべてヴェルディの音楽に書き込まれている。
例えば剣を抜くタイミングは、最後の“ah! un altra bacio”のah!にある。



●オテロ、最後まで臆病者
第4章、最後の死の場面でも、オテロは英雄ではなく、臆病者であることが示される。
同じヴェルディのアイーダのラダメスは、アムネリスに捕らえられた時、潔く罪を認め、自らの命を他人に託すのに対して、オテロはきちんと事情を説明することもなく、さっさと自害する。



●テアトロ・コロンのオテロ
自分のオテロ解釈をすべて詰め込んだのが、2013年7月のテアトロ・コロンで演出・主演するオテロだ。

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*クーラが述べていたテアトロ・コロンのオテロは、カルロス・アルヴァレスのイアーゴ、カルメン・ジャンナッタージョのデズデモーナで上演されました。クーラ自身が編集作業をしていたDVDも、作業は終了したらしいですが、まだ発売されてはいません。何らかの形で公開してほしいものです。この演出の構想については、またいずれ紹介したいと思っています。

*クーラのオテロの解釈については、以前の投稿「2012年 オテロとヴェルディ Interview / Otello at the Slovak National Theatre」でもインタビューでの発言を紹介しています。少し違う角度からのもので、こちらもあわせて見ていただけるとうれしいです。

3年前のことになりましたが、すばらしい観賞記と対談の日本語訳をブログに掲載してくださったMadokakipさんには、改めて感謝申しあげます。ありがとうございました。

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2012年 ホセ・クーラが語るオテロとヴェルディ Interview / Otello at the Slovak National Theatre

2016-02-19 | オテロの解釈


1997年のロールデビュー以来、これまでに少なくとも200回以上、オテロを歌い、演じてきたホセ・クーラ。オテロのスコアと台本の解釈を長年にわたって深め、自らオテロの解釈についての本も出版しています。「オテロは、人種差別、裏切り、欺瞞についての深い心理的なドラマ」という立場から、これまでの英雄的なオテロ像を否定するクーラの解釈と、劇的でスリリングな歌唱・演技は、つねに賛否両方の評価がされてきました。

2012年にスロバキア国立劇場に出演した際に、インタビューで、オテロの解釈とヴェルディについてまとまった話をしています。
以下は、そこからツイッター用に抜粋して訳した文章に若干補足したものです。字数制限のため意訳、省略が激しいこと、私の語学力不足から誤訳も多いだろうことをあらかじめお断り、お詫びしておきます。

興味のある方には、こちらにインタビュー全文(英文)があります。原文と照らしての修正意見、大歓迎です。



――真のオテロとは?

真にオテロが何者であるのか、誰も言うことはできないと思う。500年もの間、生き続けてきた巨大なキャラクターであり、彼に関する最終結論は、未だ出されていない。
オテロが複雑な心理をもつ巨大なキャラクターであることは事実であり、パフォーマーにとっては、オテロは、それを演じる器であるか否かのフィルターとして働く。すなわち、ひとつは、オテロを「ただ」歌うこと(もちろんそれ自体がすでに挑戦)であり、もうひとつは、オテロを「描き出す」ことだ。キャラクターに「なる」(to be)こと――ただ歌うだけではなく――それは現代のオペラがあるべき姿であり、現代オペラのふりをしているある種のスノビズムに陥るべきではない。

ヴェルディに立ち返れば、オテロは「ベルカント」ではない。ヴェルディは「私のオペラはメロドラマだ」“My operas are melodramma”(メロドラマ=人間ドラマというような意味か?)と繰り返し世界に向かって叫んだ。また手紙をつうじて訴えた。
しかし100年以上の後、ヴェルディに関する誤ったドグマの崩壊を恐れる多くの人々は、彼の声を聞こうとしない。今日、ヴェルディに関する多くのことに光があたっている下で、いわゆる音楽学者を自称する者によって50年以上前に作られた誤った教義が、今でも通用しているのは信じられないことだ。



――オテロに対するアプローチは?

まず第一に、私たちは「英雄」について語っているわけでないということへの同意が重要だ。そうではなく、背教者(彼はヴェネツィアでの政治的将来のために、キリスト教を受け入れ、イスラム教徒の信仰を捨てた)であり、内通者(イスラム教徒と戦い、殺すことを受け入れた)であり、臆病者(彼は暴力的に妻を虐待し、殺す)、そしてお金目当ての傭兵、プロの殺人者だ。

私自身はオテロのいずれの側面にも似ていないので、自分をオテロに結びつけることはできない。しかしキャラクターの心理を伝えるために、自分の人生で経験したことのない感情を観察し、研究し、再現する能力を使う必要がある。

――オペラの冒頭でオテロは英雄として描かれているが?

「喜べ、私はイスラム教徒を殺した!」と叫ぶ、キリスト教徒に転向したイスラム教徒、私にはあまり英雄的には聞こえないが‥。



――オテロの愛情深さと強さの不統一をどうみる?

誰が、強さと威厳は、情熱や感受性と両立しえないというのだろうか?それどころか、この複雑な個性がキャラクターをとても面白くする。
例えば、偉大な指揮官であるオテロが、妻と2人きりの時、戦闘を思い出して恐怖に崩れ落ちる(心的外傷後ストレス障害/PTSDのエピソード)。

――なぜオテロはデズデモーナを殺した?

それは長い分析であり、ここはそのための場所ではない。
簡潔にいうならば、一方には、自分が関与してきた残忍性を自身に説明する弁解としての儀式を必要とするオテロがあり、そしてもう一方には、抵抗なしに暴力を受け入れるデズデモナの心理的依存性がある。

――オテロがあなたの気持ちに迫ってくるのはなぜか?

私はオテロのキャラクターの負の側面と一体感を持たないので、言葉のロマンチックな意味では「私の心に近い」とはいえない。しかしオテロは、ステージにあがる歌手・俳優にとって巨艦であり、ベートーヴェンの第九交響曲やバッハのミサ曲に匹敵する。人間として、音楽家としての私に刻印するものだ。



――ヴェルディの音楽の評価は?

もしヴェルディがこれ以上語るべきものを持たないのなら、私たちはもう彼を演奏することはない。問題は、私たちはヴェルディが言いたかったことに耳を傾けているのか、それとも、いまだに、オペラのある種の「知識人」によるヴェルディに関する言説が唯一の真実だと考えているのではないか、ということだ。
もしそうなら、もはやヴェルディが語るものは何もない。クロロホルムのなかに彼を保存して、「すでに述べられたこと」の中でだけで、私たちは主張していることになる。

――ヴェルディの音楽を正しく解釈するためには?

テキストとフレージング、アクセントに執着すること、そしてドラマを伝えるために声を変形させることを恐れてはならない。私の主張では十分ではない。ヴェルディの手紙を読んでほしい!
そして、ヴェルディの時代から取り巻いてきた「偽ヴェルディ司祭」に耳を傾けることをやめることだ。ヴェルディ自身が、決して彼らに対するたたかいをやめることはなかった。



――キャリアの成功のためには?

オスカー・ワイルドの言葉を。「自分らしくあれ。他の人の席はすでに埋まっているのだから」
“Be yourself; everybody else is already taken…”

――レパートリーの選択、オペラ劇場の状況をどうみる?

それは長く、非常に複雑な問題だ。もし生活費を稼ぐためというプレッシャーがなければ、役柄の選択に、よりリラックスしたアプローチができる。しかし実際には、興行の失敗への恐れから、常に同じ30~40タイトルをやっているため、可能性が抑制されている。
それに加え、大部分の聴衆は、過去の思い出の中にいて、過去のように歌う「新しい歌手」を求めている。私自身、今日でも時々、50年やそれ以上前のこの歌手、あの歌手のようにオテロをやらないといって批判される。
それは、エロール・フリン(1930年代のハリウッド映画で活躍した俳優)のように演技しないからといって、現代の俳優を批判するようなものだ。物事は進んでいる。過去の俳優のような演技を夢見るものは誰もいない。いかに偉大な俳優だったとしても。我々の社会の現実は大きく変わっているのだから、こんなことは滑稽だ。オペラは未だに革命の途上にある。

――将来のプランは?

我々は難しい時代に生きている。誰にも翌年何が起こるか、はっきりとわからない。計画自体が大胆なことになった。確かなのは、何が起こるかに関係なく、より良いアーティストになるために懸命に働くことだ。



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以上、インタビュー記事から主な内容を抜粋しました。いつもそうですが、クーラらしい、率直な表現、言葉です。そこがまた批判を受けやすい点でもありそうです。しかし彼の音楽・芸術に対する一貫した姿勢は伝わってくるのではないでしょうか。
写真はスロバキア国立劇場のHP等からお借りしました。(2012年スロバキア国立劇場でのオテロから)
最後に、YouTubeにある、スロバキアでのオテロの舞台やクーラのインタビューの様子を報道したニュース映像を。

José Cura as Otello at the Slovak National Theatre
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