人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

ホセ・クーラ 平和への思い、公正な社会への発言

2016-02-28 | 芸術・人生・社会について①


ホセ・クーラは、インタビューなどで、紛争と平和、社会的公正の課題など、社会問題について積極的に発言しています。そこには、彼自身が育ってきた背景の影響もあるでしょうし、アーティストとして生きる初心を忘れず、バックボーンとして今も貫いている姿勢が感じられます。

●民族的ルーツと生い立ち
クーラは1962年に南米アルゼンチンで生まれました。父方の祖父母は中東レバノンからの移民です。母方は、祖母はイタリア、祖父はスペインからの移民。まさに「移民の国」アルゼンチンらしい一族のルーツです。欧米中心でない視野をもっている理由のひとつはここにあるのでしょうか。

 

●平和のためのレクイエム(1984)
アルゼンチンでは、1976年にクーデターによって軍事政権の圧政が始まり、1983年まで続きます。クーラの多感な青少年期は、ちょうど軍政下にありました。
軍事政権は1982年、イギリスとの間でフォークランド戦争(マルビナス戦争)を引き起こします。そして徴兵制のもと、当時20歳頃のクーラも予備隊にいたそうです。幸い、戦争は約3カ月で終りますが、もし長引いたら、クーラも前線に送られ、このユニークで多面的なアーティストは誕生しなかったかもしれません。クーラは後に、「戦争が短かったことを神に感謝した」と述べています。
この戦争でアルゼンチン側は多くの犠牲者を出しました。友人も出兵したそうです。大学で指揮と作曲を学んだクーラは、戦争の犠牲者を追悼するレクイエムを作曲しました。



このレクイエムは未発表です。クーラのインタビューによると、2007年に初公開を予定していましたが、残念ながら母国の関係機関のサポートが得られなかったとのことです。クーラはこの犠牲者を悼む曲を、戦争に関与したイギリスとアルゼンチン両国の2つの合唱団で演奏したいと希望していました。しかしその当時は、まだ戦争の傷は癒えたとしても、しこりが残っていたとのことです。
「どこかでステージにあげられることを願っている。死ぬ前に、たとえアルゼンチン国内でなくとも」とクーラは述べていましたが、2015年から3年間のプラハ交響楽団でのレジデントの期間に、実現するかもしれません。



●アーティストとしての原点は平和への願い
アルゼンチンでは、民主化後も、軍政の影響による経済的混乱は続きます。このことが、クーラの少年時代からの夢である指揮者・作曲家としての出発を困難にしたようです。生活のために歌手への道を選んだのでした。
そしてイタリアに移住し、テノール歌手として国際的に活動をひろげるなかで、1997年にはじめて出した2つのCDのうちの1つが、アルゼンチンの曲を集めた「アネーロ」(Anhelo)です。愛と平和をうたったチリの詩人で、ノーベル賞受賞者のパブロ・ネルーダの詩をもとにした曲を多く収録しています。クーラ自身がネルーダの詩に作曲した曲もあります。

「アネーロ」録音風景
  

José Cura - Sonetos de Amor y Muerte ネルーダ「愛のソネット」より「もし私が死んだら」、クーラ作曲


この「アネーロ」のCD付属のパンフレットにクーラはつぎのように書いています。

"But if, on the other hand, my art succeeds in planting the seed of peace within man's heart so that it may grow there, then my life will have had some meaning - but be a star by night."
「もし私の芸術が平和の種を人々の心の中にまくことに成功し、そしてそれがそこで大きく育つことができたなら、私の人生は何らかの意味をもつだろう。一夜にしてスターになることなどではなく。」

クーラはこの言葉を、自らのアーティストとしての初心として、最近もインタビューなどで繰り返し引用しています。



●社会問題への関心と発言
「社会に関与することは、全ての有名人の責務でもある。私はしばしば、他者の問題を自分の肩に背負い、そのためしばしば打撃を受ける。しかし偽善者であることより、私は、そうした打撃に耐えるほうを選ぶ。」

このインタビューで述べたような社会問題への関与のひとつとして、2009年には、国連気候変動首脳会議へ気候問題の正義を求めるキャンペーンに参加しました。その訴えの動画がYoutubeにあがっています。この中でクーラが作っているのは、2010年に演出・主演した「サムソンとデリラ」のセット模型です。
José Cura - Climate Ally


●現代社会への懸念とクラシック音楽の未来
アーティストとして、社会と芸術・音楽の役割、関係についての発言も多いです。

(2015年1月のプラハでのインタビューより)
Q、加速する今日、現代社会にオペラのようなクラシック音楽の将来はあるか?
A、社会の急激な変化について私も懸念する。われわれは一度立ち止まる時間を必要としている。私が懸念するのは、憎悪と暴力、不正と腐敗の現実のエスカレーションだ。それは、社会のルーツを荒廃させている。これらに対して、今、我々が緊急に何かをしないならば、クラシック芸術の将来があるかどうかなど、重要ではなくなってしまうだろう。

Q、現代社会の深刻な問題に芸術家として何ができるか?
A、私はアーティストとして確信している。私たちは美の大使である。可能な限り最高レベルで社会の雰囲気を保つ大きな責任をもっている。
しかし劇場やギャラリーに行った後、ジャーナリストが襲撃されたり、12歳の少女が服の下に隠した爆弾で200人の人々が亡くなるニュースを読む今日、オペラやバレエや絵画の美しさで人々を説得することは難しい。
もし今、我々がやっていることを続けるなら――憎悪、殺りく、戦争――誰も劇場に行く時間をつくったり芸術に関心を持つことはできない。
だから答えは明確だ。現実の外にあるのではなく現実の一部である芸術を創ろう。そうすれば我々は何かを変えるチャンスを持つ。

(2015年7月、ブエノスアイレスでのインタビューより)
Q、欧州の経済危機についてどう考える?
A、私たちが直面する危機は、経済的危機だけでなく道徳的危機、またスペインだけでなく世界の問題だ。それは始まりだ。経済危機は、この危機の結果の一つである。現在直面している道徳的危機、それは、より長く、より多くの痛みと深刻な結果を及ぼす。そして、私はそれをより懸念する。



Q、世界が直面する危機に、芸術は対抗できるか?
A、私は、いま世界は、後戻りできなくなる前に、秩序をもたらすうえで、社会的に非常にデリケートで緊急な瞬間を通過していると思う。
この中で、芸術は大きな役割を担っている。すべての遺産としての芸術。断っておくが、"すべての"とは、人々にアレルギーを起こす、クラシックをとりまくエリート主義やポピュリズムを意味しない。
古典芸術は、すべての人のためのものだ。そのように言うのが政治的に正しいからではない。古典芸術は、人間の不思議さの真髄であり、それは神の息吹を受け止めたときに達成できるものだからだ。
古典芸術の美を再構成し、理解することは、最高の解毒剤だ。そのためには、スローガンではなく実際に、教育を受け、成長することが必要だ。
問題はあらゆるレベルで教育、文化を”買う”こと。それが危険だ。なぜ資本による芸術に接することが人々に多くの恵みをもたらさないのか、ということだ。収縮した地球に秩序をもたらすため始めなければならない。



(2015年9月スロバキアでのインタビューより)
ステージの上でのリアリズムが重要だ。我々は非常に奇妙な世界に住んでいる。テレビをつけると、あるチャンネルは、例えばウォルト・ディズニーの夢の想像の世界を描く。そこではすべてがハッピーエンドに終わる。
しかし他のチャンネルに替えると、アフガニスタンでの爆撃、生活に苦闘する人々、事故、レイプやその他、数々の悲劇がある。それが現実の世界のニュースだ。
我々はその現実の社会を気にしないふりをしている。我々が住んでいる世界に疑いを持たないというメンタリティで、毎日、自慰行為をしているのだ。毎日毎日、我々は架空の世界を体験しているにすぎない。

●文化・芸術予算の削減への抗議
各地で文化予算の削減が深刻な影響を及ぼしています。イタリアでクーラ自身がもっていたいくつかのオペラの計画も「ベルルスコーニの予算削減で全てダメになった」と述べていました。
2015年4月4日と5日、クーラはイタリアのマッシモ・ベリーニ劇場で、ラフマニノフ交響曲第2番などと、世界初演となるクーラ作曲のマニフィカトを指揮しました。第1曲めを指揮した後にクーラは、観客に向かって語りかけました。補助金削減によって、4か月の賃金未払いや雇用継続の保障がない非正規雇用に抗議するオーケストラや劇場スタッフに連帯を表明しました。

 

「私は、この数日間、劇場の教授、合唱団、アーティスト、スタッフとともに、友情の美しい時間を過ごしてきた。私は、家族、子供、日常生活にも影響を与える賃金不払いへの彼らの懸念を共有する。大きな懸念は将来のためだ。我々は未来に約束があるならば、すべての犠牲を払う準備がある。しかしそれが暗黒しかないなら、壊滅的だ。ベリーニ劇場はシチリア島のために文化の灯台に戻ってほしい。」

José Cura esprime solidarietà ai dipendenti del Teatro Massimo "Vincenzo Bellini" - 04/04/2015




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