中東オマーンの首都マスカットの王立歌劇場で、レオンカヴァッロのオペラ道化師に出演したホセ・クーラ。イタリアのローマ歌劇場ツアーによる3月15、17日の2公演でしたが、湾岸諸国の各地から観客を集め、スタンディングオベーションを受ける大成功だったようです。
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今回は、レビューを紹介したいと思います。アラビア語はまったく理解できませんが、幸い、英語のレビューがありました。大歓迎、大好評だったことがわかりました。そこから抜粋しています。またローマ歌劇場のHPに掲載されたニュースも今回の公演の背景がわかるので紹介しました。訳の不十分さをご容赦ください。
写真は王立歌劇場マスカットのHP、フェイスブックからお借りしました。元のページには、カラフルな40枚近い画像がアップされています。ぜひご覧になってください。
≪道化師の涙、愛と血の切ない物語≫
「先週、ローマ歌劇場は、ルッジェーロ・レオンカヴァッロの1892年作の暗い喜劇「道化師」2公演を発表した。80分の長さで、このオペラはしばしばダブルビルで行われるが、木曜日の夜、王立歌劇場マスカットでは、2幕によるメイン公演(もともと1幕だが間に休憩を入れている)として行われた。この1992年のプロダクションは、世界的に有名なイタリアのステージと映画監督のフランコ・ゼフィレッリによって制作され、ステファノ・トレスピディによって王立歌劇場の舞台で忠実に復活した。その演出は、にぎやかで、カラフルかつ非常に活気にあふれ、現代世界に設定された現代的な作品を創造しようとするレオンカヴァッロの意図を反映している。・・」
「ローマ歌劇場の65人のコーラスメンバーと58人のパントマイムとエキストラは、1950年代と60代のファッションを混合した服装を着ていた。ソリストと11人のアクロバットは、2003年にゼフィレッリと共同でライモンダ・ガエターニにデザインされた、戯画化された伝統的なピエロのコスチュームを身に着けて、群衆の前に現れた。・・・」
「55歳のアルゼンチンのテノール、ホセ・クーラが演じた一座の座長のカニオが夜の公演を告知する。クーラは、2007年にこのオペラを再構想した「La Commedia e Finita」をはじめ、30カ国の異なるプロダクションで何百回もCanioを演奏してきた。王立歌劇場での彼のパフォーマンスは、彼を国際的な名声に導いた暗いバリトンのような音色とともに、彼独特の大胆かつ鮮やかなテノールの品質を示した。・・・」
「孤独で、カニオは絶望的な強迫観念のなかに追い込められる。彼は心が壊れているにもかかわらず、ピエロを演じなければならない。ホセ・クーラは第1幕の終わりに、ドラマのカーテンが降りるように、魅力的な『衣装をつけろ "Vesti La Guibba"』を歌った(顔に化粧をしながら)。・・」
「・・(後半)悪意のある道化者役のトニオが、再びカニオの嫉妬に火を付けた。聴衆をそのリアリティによって魅了した。・・・激怒しながら、カニオはネッダを刺し、死にかけたネッダがシルヴィオと叫んで助けを求め、彼の身元を知らせたため、彼も刺された。
その悲劇的な音でオペラは突然終了したが、幸いなことにオマーンでは、アクロバットが講堂に現れ、座席の裏側を歩いて一輪車に乗ってサーカスを演じた。これが第3幕となり、彼らが30分間に渡って騒がしく動き、劇場ホールにまで移動した。」
「omanobserver.om」
≪フランコ・ゼフィレッリ監督「道化師」へのオマーンへの熱意≫
「湾岸諸国からの国際的な聴衆による熱狂的な拍手が、ローマ歌劇場のアンサンブルによってマスカットのロイヤル・オペラハウスに持ち込まれたレオンカヴァッロの道化師のパフォーマンスを歓迎していることを示した。フランコ・ゼフィレッリの演出と素晴らしい音楽の貢献との非常に成功した結合によって成功を収めた。パオロ・オルミの指揮によるオーケストラとロベルト・ガッビアーニ指揮の合唱団が祝福された。
キャストは非常に重要だった。カニオの情熱的な解釈によって成功した素晴らしいホセ・クーラによって導かれた。ダビニア・ロジェリゲス(ネッダ)、マルコ・ブラトーニャ(トニオ)、ゲジム・ミシュケタ(シルヴィオ)、フランチェスコ・ピッタリ(ベッペ)と一緒に。」
「この約50年間に近代化されてきたが、アラブ諸国におけるこのローマ歌劇場のツアーは、スルタンのカーブース・ビン・サイード(国王)の先見の明によって、このように成功した。熱心に西洋文化に開放され、大規模で素晴らしいモスクのまわりにオペラハウスの建設を同時期(2007年)に始めた。その当時、アラビア半島で唯一のものだ。
優秀な音響と最先端の技術設備を備えた王立歌劇場は、ローマ歌劇場の最初のオマーンツアーを主催した。カルロ・フオルトス監督は、『この歴史的な機会は、ペルシャ湾岸の一部の国、特にオマーンの、ヨーロッパと西側に向かって発展しているという大きな文化的開放によって可能になった』と語った。スルタンは、彼らの伝統を守りながら、世界の他の国々との橋渡しを特に慎重に行ってきた。『道化師』のようなレアなドラマのプロダクションを主催することを決定することは、かなりの勇気の証である。1992年にローマ歌劇場でゼッフェレッリによるプロダクションを選択した。中東の国の多くから愛された演出家であり、2011年には、劇場は彼の演出によるトゥーランドットで開幕した。そして再び、イタリアのプロダクションのスキルと優雅さが認められている。」
「operaroma.it」ローマ歌劇場ニュース
指揮者のオルミさんのFBに掲載された新聞の画像
ゼフィレッリ財団のツイート
Grande successo per i #Pagliacci di Leoncavallo con allestimento e regia di #FrancoZeffirelli portati in Oman dal Teatro @OperaRoma. Il resoconto della prima su la @repubblica Roma pic.twitter.com/xGLzjfdTb7
— Fondazione Zeffirelli (@FondZeffirelli) 2018年3月16日
劇場のフェイスブックに掲載された、道化師公演のダイジェスト動画。総大理石造りの豪華な劇場のロビー、内部や公演の一部が見られます。後半部分にクーラらしき姿が少し映っています。ただし、背景に流れている歌は、残念なことにクーラではない別のテノールのものです。
初日の後、ローマ歌劇場の文化協力プロジェクトのマネージャーであるパオロ・ペトロセッリさんと。同氏のインスタより
クーラの父方の祖父母は中東のレバノンの出身です。母方の祖父母はスペインとイタリアの出身で、クーラは中東、スペイン、イタリアをルーツに持つ移民一家の一員として、アルゼンチンで生まれ育ちました。祖父母のルーツの地域での公演に、クーラ自身も「感情的な愛着」を感じたとインタビューで述べていました。
そういう点では、イタリアと中東との文化交流事業としてのオペラ公演で、主役としてクーラは、出自の点でも、キャリアのうえでも、最も適任だったと思います。発表された当初は、なぜオマーン?と思いましたが、中東との文化交流を担う重要な文化大使の役割だったわけです。
今回は短い公演旅行、しかもクーラ自身は、その直前直後ともにスケジュールが詰まっていて、非常にあわただしい旅だったと思います。幸い体調を維持し、無事に公演が終えられて本当に良かったです。
オマーンは治安が安定しているそうですが、祖父母の故郷レバノンは、シリアとイスラエルに隣接し、とりわけシリア情勢の悪化にともない、多方面で甚大な影響を受けていることが伝えられています。中東全体が平和と安定への方向に前進し、祖父母の地レバノンでも、クーラが欧州と中東との文化交流大使として、オペラ公演を再び実現する日が遠くないことを願わずにいられません。
*画像は劇場のHP、FBなどからお借りしました。