人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(レビュー編) 2016 ザルツブルク復活祭音楽祭オテロ Salzburg Easter Festival 2016 Otello / Jose Cura

2016-03-29 | ザルツブルク復活祭音楽祭2016のオテロ


ティーレマン指揮、ホセ・クーラ主演のザルツブルク復活祭音楽祭2016のオテロ、3/19、27の公演が無事終了しました。ボータ、ホロストフスキーのキャンセルをうけて、クーラとカルロス・アルヴァレスが出演しました。
  *これまでの関連する投稿 → (放送編) (リハーサル編) (告知編) (インタビュー「オテロに必要なのは“肌の色”だけではない」)
  

ザルツブルクのフェスティバルだけあって、初日19日の舞台は、現地テレビ放送、ネットラジオ放送、ネットのオンデマンド放送と複数の方法で鑑賞することが可能でした。また今後日本では、クラシカジャパンが4月に、そしてNHKも放送するらしい(NHKは未発表)ということです。放映予定などについては →(放送編)にまとめました。

当日の公演は、レビューで賛否が別れ、一部の観客からブーイングがあったそうです。主には演出に対してでしたが、歌手、またクーラに対しても辛い評がありました。しかし、録画ではありますが私自身が観賞した印象としては、クーラに対するブーイングやレビューによる批判には納得がいきません。
クーラは、直前まで喉頭炎にかかっていたとのことで万全のコンディションではなかったかもしれませんし、ボータを想定した舞台と演出、ティーレマンの細部にわたり丁寧で美しいが遅いテンポの指揮・・などはクーラにとって多少、制限として働いたかもしれません。しかし、シンプルで最小限の動きと舞台セットのもと、オテロに対する深い解釈と経験にもとづき、リアルな演技、メリハリのある迫力の歌唱、ドラマティックな感情表現で、最善をつくし、ヴェルディのオテロを描き出したと感じました。

ネット上で数多くのレビューを読むことができますし、今後、日本語でも感想や批評があがると思いますので、ここでは、クーラを評価したレビューをいくつか紹介させていただきます。語学力が不十分なので、誤訳があるかもしれないことをご容赦ください。

冒頭は幕が開いたまま、暗い中にオテロとデズデモーナが抱き合って立っている。すぐ退場。その後、"Esultate"で再登場、オテロは軍服風の上着。


●「確かにホセ・クーラは、オテロに必要な資質の多くを持っている。彼の "Esultate"はまだ少しは抑制され、ムラがあったが、しかし、最後の彼の死は、ファーストクラスであり、歌詞にもとづいて偉大な知性とともに歌われた。・・そして、もちろん、彼の演技、潜む噴火、彼の柔らかい瞬間、恍惚が軌道に乗る。彼は疑いなく、オテロが最前列に所属するために必要な比喩的な確実性を持っている。」(Der Neue Merker)

1幕のデズデモーナとの2重唱。暗く星空のような舞台、鏡を使用して、2つの角度から2人の姿が見える。たったまま、激しくキス、抱擁しあう。鏡で2組になった姿がエロティック。







●「ホセ・クーラのタイトルロールは納得力があった。…そして、ほとんど申し分がなかった。」(Frankfurter Neue Presse)

●歌唱の面では、プロダクションはフェスティバルに値する――オテロのホセ・クーラは、フルカラーのテノール、脆弱な優しさと、しかしまた燃えあがる火によって納得させた。」(Sudwest Presse)

デズデモーナの言葉で戦場を思いだし、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で崩れ落ちるオテロ。


第2幕冒頭、イアーゴがオテロに疑惑の種をまくシーン。なぜかオテロはコーヒー?を飲みながら登場。動揺してカップを落として割り、破片を集めて元に戻そうとする。妻との関係の破綻と復旧への願望を象徴しているのか?






●「ホセ・クーラは、長く演じ続け、役割の歌唱に対処する賢明な方法を知っている経験豊かなオテロだ。彼は通常、火花をちらすパフォーマンスをおこなう。ここでは、彼は不思議なことに、妙に抑制的だった。疲れて、孤独な敗者のように巨大な部屋を通って潜入する。おそらく、演技のコンセプトがヨハン・ボータのために設計され、変更されなかったのではないか。」(Salzburger Nachrichten)

●「はじめかから、ホセ・クーラは、壊れて老いた、若々しい英雄的カリスマは遠い記憶であるオテロを歌う。ホセ・クーラのテノールは、多くの状況でくもっていて、その限界に挑戦しているが、まだたくさんの豊満さをもっており、彼は最終的なブーイングには値しない。」(Wiener Zeitung)

妻への疑念を深めながら、直接確かめることもできないオテロ。




第2幕、オテロとイアーゴの緊迫したシーン。全体に暗い舞台に、照明を部分的に当てて効果を出している。


オテロとイアーゴの力関係に特色がある演出。2、3幕とも、イアーゴは妙にふてぶてしく、協力を懇願するオテロを無視したり、突き飛ばしたり。すでに力関係が逆転している。"si pel ciel"の終了後にはブラボーも飛んだ。




3幕、本国からの使節や群衆の前で、妻を罵倒するオテロ。






●「主役のホセ・クーラとドロシア・ロシュマンは、ともに強力かつ自信に満ちていた。たとえ2人がケミストリーのうえでは夢のカップルでなかったとしても。初演時の2人へのブーイングは理解できないままだ。ドロシア・ロシュマンは、素晴らしい感性を持つ、非常に繊細な瞬間やハリケーンのような激しさとドラマチックなものを満たすことができることを証明した。同じことは、ホセ・クーラにも言うことができる。」(Klassik)

第4幕、最後のシーン。ベッドはなく、上部にウエディングドレスがかざられた白い壁、白い照明のもとで、2人の修羅場がすすむ。愛撫したり、一転して暴力的になったり、クーラの演技はDV夫を的確に描写した。




ラストシーン、オテロの死。



●「クーラは、最後のシーン“Niun mi tema”で、(オテロに必要な)この切迫感を実現した」(NZZ)

●「タイトルロールでホセ・クーラは優れていたが、ただいくつかの欠点のためだけに、初演の聴衆の最も口さがない部分に不当に罰せられた。」(NMZ)

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3SATで放送された録画が、さっそくYoutubeにアップされています。画質はよくありません。しかも、もともと暗い舞台、照明なので、少し見にくいですが、音はそれほど悪くはないと思います。クラシカやNHKの正規の放送を待つのが一番ですが、ちょっと雰囲気を知りたい方のために、いつまであるかわかりませんがリンクを。
→ 3/29やはり削除されていましたが、また別のがアップされていましたので差し替えました。

Otello 2016, Salzburg - Cura, Roeschmann, Alvarez, Bernheim, Thielemann






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