人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

ホセ・クーラ フェイスブックでファンの質問に答える(3) / Jose Cura answered the questions of his fans

2017-01-26 | ファンの質問に答えて



ホセ・クーラの、フォロワーからの質問に何でも答えてくれるコーナー「QUIZ ME ABOUT...」紹介、今回で3回目、これでとりあえず最後です。
これまでのは → (1)  (2)

今回は、若い歌手からの質問に対するアドバイス、ここには日本の学生さんからの質問もあったようです。
そして、クーラのつよい信念でもある、オペラ歌手における演技と歌唱の切り離せない関係性、などに関する回答を紹介したいと思います。

いろいろなインタビューでも繰り返し語られているテーマではありますが、ファンの質問にたいして、直接クーラが自身がフェイスブックに書き込んだ回答ですので、いっそうリアルで、率直な内容になっているのではないかと思います。

繰り返しますが、語学力不足のために、誤訳やニュアンスの違いがあるかと思います。非力ゆえご容赦いただくとともに、直接、クーラのフェイスブックの2016年6月頃のポストをご覧いただきますようお願いします。


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――若い人からの質問に対して

Q、高音を歌う前に、私は怖がってしまう。 あなたはその気持ちとどうやって戦う?また母音をうまく歌えないが、どのような訓練方法が良い?

A、このための近道はない。テクニック!


Q、優れた声と堅実なテクニックを持った若い才能ある人々が、オペラ歌手としてのキャリアをスタートさせるための助言は?

A、(すでに一定の準備ができた段階であることを確認したうえで)私は当たり前の助言をするつもりはない――エージェントを探す、オーディションを受ける、等々。それはあまりにも当然で、あなたはすでにそうしていなければならない。

私はあなたに、私が非常に若い時に先生が与えてくれたのと同じ、現実的なアドバイスだけをしたい――“すべてのお金を1頭の馬だけに賭けてはいけない..."。

この仕事は、以前のようではなくなっている。ある面では、人間的な質の要素における衰退のため、ある面では分配されるべきケーキの部分(予定されていたお金としてのスポンサー、公的助成)が以前より小さくなったために。そして、それに比例して、汚い貪欲さは増大している...。

最終的には、夢を追い求めるのを止めずに、あなたの夢のため、頑張り、激しくたたかえるように自分自身を準備しよう!

しかし、注意が必要だ――あなたは蜃気楼のうしろで人生すべてを浪費したくはない。
ある時点で、もしあなたが、正直なところ、自分を"そのもの"にすることができないと分かった時には、小規模な劇場、脇役、合唱団など、いつでも、芸術の業界の非常に優れたプロフェッショナルになることができる。

誰もがスターであることを「運命づけ」られているわけではない。..
同様に、すべてのいわゆる「スター」が、そうみなされるに値するというわけではない...。





――声のコンディション、年を重ねた将来のこと

Q、声の状態によって、あなたのパフォーマンスは左右される?


A、歌手は声だけではない。歌手の楽器は全身だ。
例えば、しばしば起こることだが、私には背中の痛みがあり、私のエネルギーは痛みによって消耗してしまう。
したがって全体としては、忘れられないほどの公演はごくわずかだ。経験とテクニックは、そうした悪い時に対処するためにある。
しかし、私が身体的にも精神的にも、最高の状態にある時には、花火だ。 あなたが知っているように。


Q、あなたはテナーからバリトンに変わる?そういう人をどう思う?

A、おかしな話だ!これまでも、時が来たら、ソプラノはメゾに変わってきた。また、いつも、そうするテノールはいた。
しかしドミンゴがそれをすると、誰もが、彼が最初にやったと思う...。
私は何度も言ってきたが、それぞれのアーティストは、彼/彼女が最高だと信じている方法で作品を発表する権利がある。
聴衆は、それに従うか、否かについて、同じ権利を有する。


Q、あなたは65歳や75歳でまだ主役をやっていると思う?

A、私は、自分は出演をしていると思う。
ストップ。私が何を演じるのか、もしかすると、テナー、バリトン、バス、または歌を歌わずに演じる・・それはわからない。
それは私の体の年齢の重ね方しだいであり、またケアの仕方、遺伝にも左右される。これまでのところ、私は白髪ではあるが、残りの部分については不平を言うことはできない。私の顔にはしわはなく、声にも...。





Q、常にキャラクターの描写に全力をあげているが、オペラでの演技に対するあなたのアプローチは?

A、私のモットーは、ドラマの俳優は俳優であり、歌手は歌手、しかし、オペラのパフォーマーは(そう呼ばれる人ではなくて、本当の)は驚異的な存在である ―― オペラ歌手は、俳優のように良い演技者であり、偉大な歌手のように良い歌手にならなければならず、両方のものが組み合わさった時、比類のない驚きが生まれる。

問題は、今日において、誰かを俳優と呼ぶように(現代の映画の技術のおかげ)、同様に、オペラを歌う人はオペラ歌手だという事実だけにもとづいて、誰かをオペラ歌手と呼んでいること...(ため息!)。

ノー。
オペラを歌う人は、オペラ歌手、そうだ。しかし、たとえ彼が世界で最高の歌手であっても、オペラ・パフォーマーではない。
メロドラマ(音楽のドラマ)を専門とする、歌手・俳優として等しく優れているのが、オペラ・パフォーマーだ。
我々がこの定義を受け入れる時、我々はたぶん、前に進むだろう。

私の演技方法が嫌な人もいる。彼らは、私が歌と同じように演技を重要視していることが受け入れられないために...。
これへのコメントはない――気づいてくれてありがとう!

私は言うが、私たちが将来、オペラの公演をしようと望むのなら、私たちは考え方を変えるか、または私たちの芸術の形に別れを告げる。なぜなら、現在の世代の多くの人々、そして将来のほとんどすべての人々が、それを彼らの文化的ニーズのための選択肢とはみなさないだろうから。

イエス。オペラについていく少数派は常にいるだろうが、投資を正当化するのに十分な人ではなく、州政府は劇場への支援を撤回するだろう。また、オペラを愛するためではなく、商業的利益のためにそこにいる私的スポンサーも。

我々は、価格を下げることによって、古典芸術をみんなに届けることについて、たくさん(無駄に何度も)話しあっている。これは役にたたないデマゴギーだ。
オペラ座に行くチケットは、サッカーのチケットよりも安い。つまり、同じレベルの席では、2つの主要チームの試合を見るよりも、ウィーン国立歌劇場に行くほうがはるかに安い。
だから価格は、人々が劇場に行かない理由ではない。退屈、それが多くの場合だ。
楽しい時間を過ごすことができるとわかっているから、レアル・マドリード、バルセロナやバイエルン・ミュンヘンのチケットを喜んで買うのと同様に、ショーにカリスマ的なパフォーマンスが含まれていることを知っているなら、オペラに行くためにもお金を支払うだろう。





Q、あなたは経験したことのないような役柄をリアルに演じるが、役にどうやって接近する?

A、誰もが描写の技術で才能を持っているわけではない。だからこそ、ドラマの俳優は、この才能がないなら、どんなキャリアも築くことはできない。つまり、彼は、まず演劇学校に入ることさえ考えられないだろう。

意外にも、オペラにおいては、ここから問題が始まるのだが、このことは主な懸念ではない。きちんと歌うことができれば、彼らは、ある日、必要な演技のスキルをあなたの頭に入れることができるだろうと期待して、音楽学校に入学が認められるだろう。

間違っている。オペラのパフォーマーとして訓練される学校に入学するための試験は、歌と演技の両方で同じように厳しくなければならない。さもなければ、ふさわしいショーを創る時が来たときに、私たちが知っているあらゆる問題を引き起こし、キャリアの本質がその出発において崩壊する。
そして、オペラのパフォーマーが、まともなダンサー、そして、多くの役で必要な戦いの振り付けなどのために、適切なファイター(主に男性)でなければならないということは言うまでもない。

ここまでは、理想。さて、あなたは私がどうやってやるのかを聞いてきたわけだが?

奇跡はない。俳優の訓練。歌手としてのトレーニング。武道の訓練。基本的なダンストレーニング(たとえダンスが私の得意分野ではないとしても...)、武器(銃、ライフル、剣)の使用法、等々・・。
奇跡も、驚きもない。

そう、才能。才能はいつか木に成長する種。木、自体ではない。
したがって、あなたはそれを植え、水をやり、土壌を豊かにし、間違った枝を切り、葉を健康に保ち、害虫やその他の危険な動物を遠ざけるようにする必要がある(ビジネスにおいては、それが多い――私を信じてほしい)、等々。そして、多分、ある日、あなたはアーティストになるかもしれない。

人々は、なぜそれを、焦らずにすすまなければならないのか、私に尋ねる。なぜキャリアが長いことが重要なのか?
私は答える。「アーティストのプロジェクト」を「熟達したアーティスト」に変えるために、それだけの長さのキャリアが必要だからだ。
これを短くする方法はない。ウィキペディアの解決策もソフトウェアの助けもない。
時間。よく使用され、適切に資本にされた時間。


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若いアーティストに対して、夢をあきらめないための努力とともに、時には、スターになれないとしても、決断して他の場所で優れたプロフェッショナルになれると、きわめて現実的で、温かい激励をしているのは、またクーラらしいと思います。

指揮者、作曲家をめざしながら、アルゼンチンの軍政後の経済的混乱のなかでは思うようにならず、家族を守り、生きていくために、合唱団やいろんな仕事を経験したクーラ。そして、渡欧して、オペラ歌手として、国際的なキャリアが拓けていくなかで、夢を失わず、努力を続けるなかで、本来の志望であった指揮者、作曲家としての活動の場を得ることができ、そしてさらには演出、舞台デザインなど、多面的な活動を発展させています。

オペラ歌手に求められるのは、単なる歌手でも役者でもなく、歌と演技の両方で卓越したパフォーマーであるというのは、クーラの一貫した信念であり、彼のアーティストとしてのユニークな特質でもあります。長年のキャリアをへて、今まさに、彼自身、成熟したオペラのパフォーマーとして、アーティストとして、結実の時を迎えているように思います。

3回にわたってしつこく(笑)紹介してきましたが、この質問回答コーナーは、昨年の6~7月にクーラのフェイスブック上で取り組まれたものです。私が出した質問にも答えてもらえたということもあり、私には本当に楽しく、興味深い企画でした。クーラ自身も大いに楽しんで回答を書いてくれたようです。
また開設された時には、ぜひ、これを読んでくださった皆さんも、質問を寄せて、クーラとの対話を楽しんでみてはいかがでしょうか。







*写真は2016年ドブロブニク・サマーフェスティバルの報道などからお借りしました。
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ホセ・クーラ フェイスブックでファンの質問に答える(2) / Jose Cura answered the questions of his fans

2017-01-22 | ファンの質問に答えて



前回に続いて、ホセ・クーラが昨年6月にフェイスブックで開設した、フォロワーからの質問に、何でもクーラ自身が答えてくれるコーナー「QUIZ ME ABOUT...」から、いくつかの質問と回答を、抜粋して紹介したいと思います。
掲載順や質問者などは、まったくばらばら、順不同です。  → 前回の「質問に答える(1)」

まずは、細かい質問から・・。

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――あなたの好みは?

Q、ワインは赤?白?
A、赤

Q、犬か?猫か?
A、猫

Q、昼?夜?
A、昼

Q、暑い?寒い?
A、なし

Q、ヒーロー?悪者?
A、本当のヒーロー

Q、ケーキか?パイか?
A、パイ

Q、シェイクスピア?セルバンテス?
A、シェイクスピア


――オペラの作曲

Q、オペラを作曲することについて考えたことがある?


A、私はそれをしている...


――スケジュール管理

Q、各地を旅行しながらの公演、リハーサル、演出、作曲、指揮・・たくさんの活動をしながら日々のスケジュールをどうやって整理する?


A、イエス、時にはあまりにも多い。私はそれを受け入れる。
しかし私は、私の巨大な好奇心のリストを、箱の中に閉じ込めたままにする方法を知らない。
私には1つのルールがある――潜在的な結果が平凡でない限り、仕事から逃げない。そうであれば、ストップして、自分自身に対して正直であること。
これまでのところ、うまくいっている。

あなたたち、私が愛する聴衆は、私が創造的な道のりを終える時を誰よりも先に知るだろう......しかし、それは、まだ長い道のりだ!!!





(次に紹介するのは、実は私の質問です(*^_^*) 同じ質問を2回とりあげて回答してくれました。)




――役柄と演技について

Q、舞台で役を演じる時は、あなたは完全にその人になりきる?それとも、冷静に演技と歌をコントロールする?
誰かが、あなたはキャラクターを「歌う」のではなく、キャラクターを「生きる」といっていたが、それは本当?


A、有名な逸話がある。
ダスティン・ホフマンは、映画「マラソン マン」(1976)の撮影の時、シーンの前にスタッフに言った。
「5分待ってほしい。周りを2、3回走ってくれば、撮影のために、本当に疲れて赤くなる。」
そして彼のパートナー、ローレンス・オリヴィエは答えた。
「ダスティン、ふりをするだけで十分じゃないの?」
私は、ホフマンの「アクターズ・スタジオ」のトレーニングと、オリヴィエの「ロイヤルアカデミー」のトレーニングの間に、舞台上またはカメラの前で、あなたの必要とするものが何であるかを見つけ出す余地があると推測する。

しかし、一つの事は真実だ。映画の中では、目的に応じて、多かれ少なかれダメージを与えて自分自身を追い込むことができるが、オペラではできない。なぜなら、何をするにしても、その後まだ、ちゃんと歌を歌えなければならないからだ。

私は、何度か、深く、役に入り込んでいった経験がある。感情のために歌をおろそかにしたと後に批判されることはわかっていたが、私は言わなければならない。完全に感情移入している瞬間を体験する感覚は、他の何事にもかえられない。疲れ果てるが、達成感で満たされる。
とはいえ、それは健康的なことではないので、いつもそうすることはできない...。


(こちらは、同じ私の質問への2回目の回答)




Q、ポジティブなキャラクターを演じる時には、それは甘美な言葉だが、しかし、異常な精神状態におかれた役を演じるたび、あなたがその人物に“なりきる”と、最後を精神病院で迎える危険がある。もし正直であれば、そうだという俳優はいないだろう。

それと違うやり方は、リハーサルの期間や訓練中に、特定の態度や、特定の「極端な」感情を「試してみる」ことによって、パフォーマンスの中でそれらを再現するための正しい「カラ―」を見つけること。
演技は、ふりをすること。説得力があるかないかはあっても、ふりをすることだ。ここに芸術がある。成功を収めている俳優が、そうでない俳優との違いをつくるものがここにある。その逆のことは、演奏家にとって壊滅的だ。


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多くの仕事にチャレンジする忙しい日々の中で、このように、私を含む、ファンからのいろんな質問に、ひとつひとつ誠実に答えてくれたことに、またクーラ自身もそれを楽しんでいるようにみえることに、とても驚きました。

特に、私の質問への回答で、演技についての理論的な解説、彼の“演技論”に加えて、批判を承知で役柄に没入した体験、それには何物にも代えがたい魅力があることを、正直に語ってくれたことが、たいへん印象的でした。
リアルな演技と歌唱を統一的に追求してきた、クーラというアーティストの生きた精神、心のうち、彼の魅力の源泉にちょっと触れたような気がして、嬉しかったです(*^_^*)

日本語訳が不十分なために、誤訳やニュアンスの違いが少なくないのが残念ですが、興味がおありのかたは、ぜひ、クーラの公式フェイスブックの2016年6月頃の投稿をご覧ください。

この「質問に答える」シリーズ、次回は(まだ続く・・)、若いアーティストから寄せられた質問に対するアドバイスや、オペラ歌手としての歌唱と演技の関係に関する回答を紹介したいと思います。次回が最後の予定です(笑)




*写真は2016年7月のドブロヴニク・サマーフェスティバルの際の報道からお借りしました。
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ホセ・クーラ フェイスブックでファンの質問に答える(1) / Jose Cura answered the questions of his fans

2017-01-20 | ファンの質問に答えて



ホセ・クーラは、フェイスブック(FB)で様々な試みをしています。ファンとの交流を大事にして、双方向にしてゆくために、2016年の6月には、FBで以前から予告していた新セクション、質問コーナーを開始しました。
話題は私生活を除く仕事の面で、誰でもFBのコメント欄に書き込むことで質問ができ、それに対しては基本的に、直接クーラから回答がアップされるというもの。

約1カ月くらい続いたこの質問コーナーには、さまざまな問いかけが多くのファンから寄せられ、その多くに対して、結果的にはチーズの好み(笑)にまで、1つ1つ丁寧に答えてくれました。実は、私も拙い英語でいくつかチャレンジしてみたのです。それにも、しっかり回答してくれました!

ということで、今回は、質問回答コーナーでのファンとクーラとのやりとりから、いくつか抜粋して紹介したいと思います。
クーラの人柄、考え方がよくわかり、また一般のインタビューなどに比べても、編集が介在しない直接のクーラの声であり、いっそう率直に語っている様子で、とても興味深いです。
私の質問への回答についても、おって紹介したいと思います。テーマはアトランダム、日時も質問者もバラバラです。
いつもどおり、日本語訳は不十分であり、誤訳、ニュアンスの違い等、あるかと思いますが、大意をつかんでいただくということで、どうかご容赦ください。原文は、クーラのFBの6月4日以降のポストをご参照ください。





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――芸術のために死ねるか

Q、芸術のためには死をもいとわない?

A、私は自分の愛する仕事をする。自分自身が非常に多くの才能を受け、それにより生活の糧を稼ぐことができのは、特権であると考えている。
私は非常にロマンチックな人間だ。私の才能は、お互いを補完し、豊かにする。
しかし、それらのために死ねるかと問われるなら、私の答えはNOだ。
私は、家族のため、友人のため、正義を守り、よりよい社会のためになら、死ぬだろう。しかし、もし芸術を続けられなくなったとき、私は死ぬことはない。

もちろん非常に落ち込むだろうが、私は、私の人生を他の活動とともに歩むだろう。我々の、苦しんでいる地球のために、やるべきことは山ほどある。
私は理解する。あなたが人生のなかで、芸術を離れて何ももたないなら。もし友人も家族もなく、社会的な関係をもたない、など、あなたが芸術という唯一のものを失うなら、あなたは死ぬだろう。

(芸術のための死という)このロマンチックな芸術へのアプローチは、非常に「映画的」だが、何百万人もの人々が「現実の」理由で、時々刻々、死んでいる世界においては、未熟で不公平だ。


――演出家としての活動について

Q、ヴェルディの4幕イタリア語版ドン・カルロを計画している時に、演出家が5幕フランス語版に変更することはできる?

A、超強力な演出家が望むなら可能かもしれないが、私はそのようなことを見たことはない。

Q、演出家の自由度は?

A、劇場との契約に保護条項がある。
コンセプトが良くないと思うなら劇場は拒否権を持っている...ただ非常に悪いものも見かけるが、これがこれまで適用されたのかどうかわからない....。

Q、演出家として、必要とするリハーサル時間は?
A、自分が新プロダクションをつくる場合、ピアノとのステージングで4週間、オーケストラとステージングのリンクのために1週間。そして、ドレスリハーサル。
もちろんこれは、実際のリハーサルについての話だ。しかし準備期間には、事前に2年をついやしている。構想のために1年、構築するために1年。





――「ホセ・クーラの歌が嫌い」に対して

Q、クーラの歌い方が嫌いという人がいるが?

A、音楽、歌、絵画などは他者とコミュニケートする言葉だ。これは、誰もがあなたと同様の方法ですべきだということを意味しない。
ある者はそうするし、ある者はそうでない。間違いは、「過剰に嫌う」ことが「憎む」になること。人々は、何かを好きでないことは、それが間違っていることを意味するものではないことを忘れてしまう。

「過剰な愛」と同様に、人々を、彼らが好きな人を「世界で最高」であるふりをするように駆り立てる。どちらの行為も、ファナティシズム(狂信)に結びつく。そして、どこにも導かない・・。

ある者の行為、思考、そして歌、指揮などを、そうすべきものとして真似することは、自分たちだけが正しいと主張していることだ。
ノー。もしそれがエゴイズムでなければ、エゴイズムとは何だろうか。


――タンホイザーとピーター・グライムズについて

Q、2017年に、初のワーグナーに挑戦、ブリテンのピーター・グライムズにデビューするが?

A、タンホイザーの音楽、一般にワーグナーは、私のように、音楽と演技とのリアルな結びつきを求める者にとっては、理想的とはいえない。しかしこれはスタイルの問題であり、私が解決すべき問題だ。

それには関係なく、ワーグナーの音楽は、信じがたいほどの音のモニュメントだ。残念なことに、台本は愚かしいけれど...。
とにかく私は、タンホイザーをやってみたかった。
なぜなら、私は少なくとも一生に一度は、ワーグナーのオペラを演じたかったからだ。ドイツ語は私には手が出せないので、この「フランス語上演」のチャンスを手放すことはできなかった。

ピーター・グライムズについては、私の“深い思い”を伝えるにはまだ早すぎる。いま進行中だからだ。しかしそれは、私にとって、理想的なオペラだ。次のような理由によって。
ピーター・グライムズは、音楽とドラマの完全な結合だ。もし仮にそこから音楽を削除し、台詞だけを語ったとしても、それらは完璧に意味をなしているだろう・・。





――出演を決める基準について

Q、オファーを受けるか、拒否するか、何によって決める?

A、1番は演目、作品。 私が良い仕事を行うことができるかのかどうか、確認する必要がある。

2番目は、場所(プロダクションを含む)と、カンパニー(劇場や主催者のことか?)。

出演料については、市場における製品と同じように、我々の価格は固定され、独自に動く。だからアーティストに連絡を取る人は、あらかじめ彼の価格を自分の手のうちで知っている。


――伝統的演出と読替え

Q、オペラの物語の時代を変更する作品をどう思う?

A、問題は時間の枠ではなく、コンセプト。最初から最後まで関心を保持できる良いコンセプトこそ、舞台を成功させる唯一の方法だ。

演出コンセプトが、作品をリアルタイムに置くかどうかは、二次的なこと。私たちが「伝統的」とよんでいるものでも、いくつかの公演は、実にひどいものがあり、その逆も同様だ。

芸術を保護するために箱の中にしまい込むなら、空気の不足によって、それを殺してしまいかねない。
私たちは一度、理解する必要がある。アーティストに対して、同意したり反対したりする必要はないことを。

好きか嫌いかがあるだけだ。もしそれが好きなら、私たちはそれを求める。そうでなければ無視する。
しかしアーティストにとって、聴衆が求めるものを行うふりをすることは、芸術の本質を殺すことだ。

時の経過は、誰が正しいか、誰がそうでなかったか、教えてくれる。それは常にそうだった。いま我々が巨匠とみなす芸術家たちに対する、当時のレビューを読んでみればわかる・・。





――ストレスについて

Q、キャリアの中で最もストレスフルなステージ状況とは何?

A、あなたはステージ上の事故などを想定するかもしれないが、それはストレスではない。
舞台上の事故は、人々が思っているよりも、実ははるかに多い。時には、観客はまったく気づいていない。
それは多かれ少なかれ危険だが、しかし抜本的な何かが起こる場合を除いて、それは面白いエピソードとしてとどまる。

ステージの上で常に観察される存在であること、それは、生きる糧を稼ぐためのストレスの多い道だ。バランスのとれた虚栄心(それがなければ苦しむ)と言うべき信念を必要とする。そうでなければ、なぜ、そこにいるのか?

パフォーマーは物語を伝える人だ。伝えるべき物語を何も持たなければ、そして本当の人生がどのようなものかを知ることができないならば、舞台で生き残る方法はない。
もしくは、生き残ることができても、あなたは、誰の心にも触れることはできない。もし多くの人の心に触れることを望まないのなら、それも悪くないだろう。だが、とにかく、それは私のスタイルではない。

先日、私の友人から、他の誰かと言い争いになったと聞いた。その人は、「私はクーラが好きじゃない。演技が見たければオペラではなく演劇に行く。オペラに行くとき、私はただ歌を聞きたいのだ...」と言ったと。
私は賛辞として受け取ったが、それはオペラで何が起こっているかを多く語っている。演劇、映画は1960年代に大きな革命を行った。しかしオペラはいまだ、多くが1900年代のままだ。

同僚や私は、「手法」のアップデートのためたたかっているが、「象」は動かない。もし今日、エロール・フリンのように演じるなら笑われる。しかし今も多くは、過去のレジェンドたちのやり方を、歌の唯一の方法とする。
過去の伝説的な歌手たちは、素晴らしかった。そして我々は、彼らに多くを負っている。しかし、もし我々が生き残るために彼らをコピーするなら、彼らは私たちと一緒に、真っ先に怒っただろう。

結局、伝説的な歌手たちを模倣することは、彼らの仕事への侮辱になる。当時、彼らは、彼ら自身の革命を導くためにリスクをとった。その結果、オペラが前進することができた。
我々が彼らを模倣することは、彼らが始めた前進を阻止する。彼らの努力とリスクが無価値となってしまう。
Now, that's stress ―― 今、それがストレスだ。


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オペラ歌手として、演出家として、歌唱と演技のスタイルなど、芸術活動の中身に関する質問に加えて、公演を選ぶ優先順位や、出演料決定の仕組み、演出にかける準備期間など、ちょっと興味深い、内輪話的な回答もあり、どれもおもしろいやりとりです。

「芸術のために死ねるか」についても答えも、いかにもクーラらしいと思いました。いつも、社会の現実と離れた芸術至上主義を戒め、常に社会との関係で芸術と自らの活動を考える視点をもっています。正義と、より良い世界を守るためなら死ねると断言するのは、シェニエかカヴァラドッシか・・(*^_^*)

まだまだ、クーラが答えた質問はたくさんあります。興味のある方は、ぜひクーラのフェイスブック(2016年6月頃)を直接のぞいていただきたいと思います。
ひきつづき、私の質問への回答を含め、また紹介したいと思っています。
問題は、日本語訳がなかなか追いついていかないこと・・(苦笑)



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ホセ・クーラが作曲し、歌う、パブロ・ネルーダの詩 / Jose Cura and Pablo Neruda 

2017-01-16 | 指揮者・作曲家として



以前の投稿で、ホセ・クーラが、チリのノーベル賞詩人パブロ・ネルーダの詩に作曲した、音楽ドラマ「もし私が死んだら」を紹介しました。
そのうちの2曲を、昨年11月、ドイツとルクセンブルクのコンサートで、クーラが歌い、ラジオ放送されたことも、すでに紹介した通りです。

「2015年 ピエタリ・インキネンとホセ・クーラ プラハ響とクーラ作曲作品を初演」
「2016年 ホセ・クーラ ドイツとルクセンブルクでラテンアメリカの曲コンサート」


実は私は、このドイツのコンサートの録音を、この間、何度も繰り返して聞いて、聞くたびに、表現や声のニュアンスに新しい発見をして、楽しんでいます。

もともと作曲家・指揮者志望で、作曲と指揮を大学でも専攻したクーラ。このネルーダの詩に作曲するについては、次のように語っていました。


(再掲 2016年インタビューより)

「この"Si muero, sobrevíveme!"(「もし私が死んだら」)は、何年も前に私が作曲したもので、詩人の妻、マティルデ・ネルーダとパブロとの間の、詩の形による、25分間の対話だ。」

「ハイ・バリトンのために書いた。なぜなら、私は、バリトンの声は、室内楽にとって最も美しいものと考えているからだ。女性にとってのメゾ・ソプラノのように。ミドルゾーンは、声がより甘く、より柔らかく流れる場所。これは私自身のボーカルを反映している。高い音を歌うことができる暗い声だ。
普通の歌のように歌うことはできない。聞くだけでは学ぶことができないという意味で、それらは知的で、音楽をよく読み、深く理解することが必要であり、実際には、ピアノと歌による長いデュエットだ。」

「ネルーダの詩は感覚を目覚めさせ、昔ながらの方法で演劇的。それぞれの言葉には演劇とドラマが満載されている。選択肢は、言葉にそってメロディーを書いたり、音楽を書くこと、しかしそれは、ネルーダの魅惑的な世界を開く感覚的な豊かさをともなうことが必要だ。」

「音楽の複雑さはテキストの複雑さに関係しているので、純粋なメロディーを聴く必要はない。メロディーそれ自体を提示することから離れて、詩に集中しなければならない。」

「私の曲で、私の心と魂にふれてほしい。ネルーダのドラマの中で、親密な愛の物語を描きたかった。
この作品は音楽だけでなくドラマ。パブロと妻との会話。人間が書くことができる最もロマンチックで官能的な言葉。」





“メロディを追うのではなく、詩に集中してほしい”というのが、作曲家としてのクーラの願いです。
しかし私には、スペイン語はまったく理解ができないために、せっかくのクーラの思いを受け止めることができずにいました。

それで今回は、再度、クーラの「もし私が死んだら」からの2曲の音源リンクを紹介するとともに、スペイン語の歌詞と、恥ずかしながら自作のその簡易的な日本語訳を掲載したいと思います。
やはり詩は比喩などが難解で難しく、日本語の訳は、訳詞とはとてもいえないレベルのもので、とりあえず単語を訳して並べた程度です。誤訳も多々あると思います。さらに意味が通らない部分もありますが、やむをえない事情によるものとご容赦ください。

ぜひ、つぎに紹介する音源、クーラの表現するネルーダの愛の世界を味わいながら、スペイン語、そしてその意味(まことに不十分で申しわけありませんが)を参照にしていただければと思います。
本当は正しい訳詞があれば良いのですが・・。もしスペイン語に堪能の方で、訳の誤り、改善案をご教示いただければ、本当にありがたいです。


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→ ホセ・クーラ作曲 「もし私が死んだら」から2曲  
 *2曲あわせて6分ちょっと。音源がファンページのブラボ・クーラにアップされいますので、そのページに飛びます。 
  歌詞を見ながら聞いていだたくためには、右クリックで〈新しいタブで開く〉にしていただいたほうがよいと思います。


≪ 1曲目 ≫
DE NOCHE, AMADA 79番目のソネット

PABLO NERUDA(パブロ・ネルーダ)

De noche, amada, amarra tu corazón al mío
夜には、私の愛、あなたの心と私に結んで

y que ellos en el sueño derroten las tinieblas
そして夢の中で、暗闇を破るために

como un doble tambor combatiendo en el bosque
森の中でふたつの太鼓がたたかうように

contra el espeso muro de las hojas mojadas.
濡れた落ち葉の厚い壁に抗して。

Nocturna travesía, brasa negra del sueño
夜の交差点、黒炭のような夢

interceptando el hilo de las uvas terrestres
地上の葡萄との糸を断ち切りながら

con la puntualidad de un tren descabellado
風変りな列車の時間厳守さとともに

que sombra y piedras frías sin cesar arrastrara.
それは影と冷たい石を引きずりながら。

Por eso, amor, amárrame el movimiento puro,
だから、愛する人よ、私を純粋な動きに結びつけて

a la tenacidad que en tu pecho golpea
あなたの胸を打つ強さに

con las alas de un cisne sumergido,
水のなかの白鳥の翼とともに

para que a las preguntas estrelladas del cielo
天の星たちの質問に

responda nuestro sueño con una sola llave,
ひとつだけの鍵がある私たちの夢をこたえるために

con una sola puerta cerrada por la sombra.
影によって閉ざされたたったひとつのドアの。


≪ 2曲目 ≫
PENSÉ MORIR 90番目のソネット

PABLO NERUDA(パブロ・ネルーダ)

Pensé morir, sentí de cerca el frío,
私は死ぬのかと思い、体に冷たさを感じ

y de cuanto viví sólo a ti te dejaba:
私が生きた後、そこに残すすべてである、あなたを思う

tu boca eran mi día y mi noche terrestres
あなたの口は、私の大地の昼と夜

y tu piel la república fundada por mis besos.
そしてあなたの肌は、私のキスで築かれた共和国。

En ese instante se terminaron los libros,
その瞬間、本も

la amistad, los tesoros sin tregua acumulados,
友情、これまでに蓄えられた宝もの

la casa transparente que tú y yo construimos:
あなたと私が建てた透明な家も、終わる――

todo dejó de ser, menos tus ojos.
すべてがなくなる、あなたのふたつの瞳の他には。

Porque el amor, mientras la vida nos acosa,
人生がわたしたちを苦しめるとき、愛だけが

es simplemente una ola alta sobre las olas,
押し寄せる波よりも、高く波打つ

pero ay cuando la muerte viene a tocar a la puerta
しかしもし、ああ、死が近づいてきてドアをノックするなら

hay sólo tu mirada para tanto vacío,
あなたのまなざしだけが、その空虚に対し残り

sólo tu claridad para no seguir siendo,
あなたの輝きだけが、失われず

sólo tu amor para cerrar la sombra.
あなたの愛だけが、暗闇を閉じる。




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2008年 ホセ・クーラ マスネのル・シッドと父の死 / Jose Cura / Le Cid by Massenet

2017-01-14 | オペラの舞台―その他



ホセ・クーラは、2008年、スイスのチューリヒ歌劇場で、マスネのオペラ、ル・シッドに出演しました。上演されることも少なく、めずらしい演目です。
実はこの出演の際に、クーラは、故郷アルゼンチンに住む最愛の父の死という悲劇にみまわれました。その一報を受けたのは、新プロダクションの初日の幕が開く、その朝だったそうです。

突然の悲報に加えて、めずらしいオペラのために、すぐに代役をたてることもかなわず、クーラは父の死を悲しむ間もなく、初演の舞台にたち、終幕まで歌い、演じました。
その時の舞台について、クーラのインタビュー、レビュー、録音などから紹介したいと思います。


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――2009年8月のインタビューより

Q、チューリヒでのマスネのルシッドの初演の日に、あなたは父親の死を知った。しかし、あなたは歌い続けたが?

A、イエス。それは悪夢であり、同時に、とても特別な状況だった。
この種のメッセージは、予期せずに届くということを直感的に知っていた。
しかし、父が亡くなったとしたら、私は崩れ落ち、一週間は涙にくれるだろうと思っていた。

ル・シッドのプレミアの日に、私は何をすべきか何もわからなかった。また迷ってもいた。
加えて、今私が歌わなければ、公演はキャンセルされた。レパートリーにル・シッドを持つ歌手はいなかったのだ。

途中でたびたび、私は自分自身にいった――"歌っている間、すべてをさらけだそう"。
劇場のマネージャー、アレクサンダー・ペレイラは、開演前に私のことを発表した。
そしてあえていえば、私はかつてないように歌った。いずれにせよ、これまでにないほど激しかった。
確かにそれを繰り返すことはできないだろう。私は、このパートを再び歌う必要がないことを願う。





Q、どんなふうに違っていた?

A、私は歌いながら泣いた。指揮者も泣いていた。観客もそうだった。
私は、終幕後のスタンディング・オベーションが、私のためではなく、私の父のためであったと信じている。
しかも、マスネのル・シッドは、最初から最後まで、父と息子の葛藤を扱っている。思い返せば、父に対するそれ以上の美しい賛辞はあり得なかったと私は信じる。

Q、歌っている作品に不安を感じることはある?

A、少し。アーティストの最も重要な特質、最も特徴的な性質は正直でなければならないことだ。私は本当に精神的に打ち込める何かをしているとき、より正直に、より純粋になる。
私は、限られた数の役柄の間で、あまりに多く歌ってきた。また私は、私の職業の有限な性質、限界に対して敏感だ。
最近亡くなったジュゼッペ・ディ・ステファノは、カラフルで、豊かに変化し、恐らく過度の人生を持っていた。彼は86歳まで生きたが、彼のキャリアのピークは、20年もなかった。
父の死は、全てがいかに有限で、限られているかを、私にふたたび痛感させた。







――2009年1月のインタビューより

Q、音楽のキャリアの始まりは?

A、それを私は覚えていないし、約1年前に亡くなった父にもう尋ねることもできない。
私は父がいつも言っていたことを覚えている。
「OK、ミュージシャンになりたいんだね、それはいい。だが、仕事は何をするつもりかい?」

ステージにあがっていない私の人生を、ほとんど思い出すことができない。ほぼ12歳の時に始めて、今、33年たった(当時)ので、ステージ上の思い出が、それ以前の記憶よりもはるかに長くなっている。
私はただアマチュアとして、コーラス、ポップミュージック、スピリチュアル、ジャズや、それと同じようなものを歌った。そしてブエノスアイレスの音楽学校で学びながら、作曲と指揮をすることが、自分自身を表現する方法だった。

それがなぜ私の職業になったかは思い出さないが、私が15歳の時に、父に「指揮者になりたい」と言ったことをおぼえている。
運命は人を何かに向かって突き動かすものだ。私が勉強をほぼ終えたとき、先生の一人が私に、正しく歌う方法を学び始めるほうがいいと言った。なぜか、私は歌手になりたいとは思わなかった。彼は、ヴァイオリン、フルート、トロンボーンなど、私が演奏できる楽器のすべてを理解することが良い指揮者であることを助けるのであり、それと同様に、歌を勉強することによって、私はもっと良い指揮者になることができると言った。
だから私は、本格的に歌を学び始め、1つのことが別のものにつながった。そしていま私はここにいる。





――2008年、チューリヒの舞台のレビューより

●スター・テノール、ホセ・クーラのためのスタンディングオベーション、エキサイティングなステージ、印象的な音楽!
ル・シッドの初演は、悲劇的な状況の下で行われなければならなかった。・・プレミアの朝、ホセ・クーラの父親が亡くなった。パフォーマンスがまだ舞台で行われているという事実は、すべての参加者のプロフェッショナリズムの証である。
特にホセ・クーラは、この重い個人的な運命にもかかわらず、素晴らしい夕べをつくりあげた。
最後に指揮者ミシェル・プラッソンがステージに来て、クーラを抱きしめた時、劇場中で誰もが胸を熱くした。オーディエンスは、尊敬と感謝の気持ちを込め、ホセ・クーラにスタンディングオベーションで敬意を表した。





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いくつか、チューリヒの舞台の録音(音声のみ)がYouTubeにアップされていますので紹介します。
正規のものではないため、音質が悪いのが残念です。

第1幕 主人公のロドリーグは、父から、父の名誉を汚した相手への復讐を請われる。ところがその相手は、ロドリーグの恋人シメーヌの父だった。苦悩するロドリーグ。父と息子の二重唱。
Jose Cura 2008 Le Cid Act1 duo



第3幕 苦悩の末に、父の名誉のため恋人シメーヌの父を決闘で倒したロドリーグの苦悩。父を失いショックを受け、復讐と裁きを求めつつ、ロドリーグを愛し続けるシメーヌの苦しみ。その2人の二重唱。
Jose Cura 2008 Le Cid duo



第3幕  有名なアリア。戦場に赴くロドリーグの祈り「おお、父なる主よ!」
Jose Cura 2008 "O souverain, o juge, o père" Le Cid



こちらは同じ「おお、父なる主よ!」ですが、コンサートヴァージョン。
José Cura "O souverain, o juge, o père"



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最愛の父の死に直面しながら、舞台に立ち続け、悲しみをすべて歌と演技にそそぎこんだクーラの姿は、劇場のすべての人々に感銘を与えたようです。
プロフェッショナルな舞台人として、当然のことかもしれませんが、本当に、胸に迫るエピソードです。
そういう背景を知って、父と息子の葛藤、父の名誉と恋人との愛の板挟みを描いたル・シッドでのクーラの歌唱を聴いてみると、やはりいつも以上の激しさと悲痛さを感じました。特にクーラが「父なる主よ!」と歌った時、劇場中が涙であふれたと書いたレビューもありました。
映像が何らかの形で公表されることを願います。


 

 



*写真は、クーラのHPなどからお借りしました。
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ホセ・クーラ 家族について、仕事と家庭のバランスについて / Jose Cura talk about family

2017-01-04 | 人となり、家族・妻について

 *2016年7月、ドゥブロヴニク・サマーフェスティバルでの写真(リハーサル中)


現在54歳のホセ・クーラですが、22歳の時に、15歳から付き合っている妻シルヴィアさんと結婚して以来、3人の子どもたちにも恵まれ、安定した家庭を築いてきました。
以前の投稿 「ホセ・クーラ 妻、家族、愛について」 でも、妻や家庭に関するクーラの発言を掲載しました。

今回は、その後、FBやインタビューで紹介された画像や、仕事と家庭の両立に関する考え、映画監督となった長男ベンのインタビューなどを紹介したいと思います。


――子どもたちの成長

昨年11月、ホセ・クーラはめずらしく、自分の3人の子どもたちの写真を2枚、フェイスブックに掲載しました。
つぎのようなメッセージをそえて・・。

「よく子どもについて問われるが、これまで家族をメディアに公開することに慎重だったので、あまり語ってこなかった。今回は特別。もう彼らは子どもじゃない・・。」

1枚目は、1996年撮影のもの。



長男ベン7歳(左)、長女ヤスミン・ゾーイ2歳(右)、次男ニコラス6カ月(真ん中)。
そして2枚目の写真は、20年後の現在・・




2016年9月、20年前と同じポーズでとった3人の姿。マドリードの自宅のようです。
27歳の長男、長女22歳、次男20歳。一番小さかった末っ子のニコは、190cmくらいはある大柄な父をも超えて、身長2m以上に。3人とも、かつてのかわいらしい面影が残っていますね。
すでにベンは結婚してイギリス在住、ヤスミンさんもイギリスの大学で学んでいて、家を離れているようですが、幸せな家族の様子がうかがえます。
クーラも、この子どもたちの父親として、家族のために時間をつくり、役割を果たすために努力を続けてきたようです。


――音楽活動と家庭とのバランス、子どもたちの将来について 2016年クロアチアでのインタビューより(再掲)

Q、キャリアのためにあきらめたことは?

努力をすれば、キャリアと家族の生活のバランスを完全にとることができる。
簡単なことではないけれども、私は公演の間に数日あれば、休息をとる代わりに、いつも最初の飛行機で家に帰った。
また、スケジュールが空いていても、私は多くのプロダクションを断ってきた。それは、少なくとも週に一度は家族に会いたいという私の願いのため。それは不可能ではない。

もちろん、そのために失ったものもあるが、しかし、私は重要な瞬間には、いつも家族とともにいた。
そして、それを証明するのは、私の子供たちが今は立派な大人になっていることだ。
また言うまでもないが、私は31年間、幸せな結婚生活を続けている。確かにこのビジネスでは珍しいかもしれないが。

Q、クーラの名前をもったあなたの子どもたちの将来を心配する?

A、私の名前を身につけることは、彼らがクラシックの音楽家であるなら、おそらく有用であろう。しかし、彼らはそうではない。
私の子どもたちは、すべての息子たちが誇りを持っているように、名前を「着る」が、一方で、それぞれの人生の中で、自分の名前を「仕立て」ていく。





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長男のベン・クーラは、イギリスで学び、俳優として活動しています。さらに映画監督としてCREDITORSを完成させ、多くの賞も受けたようです。
昨年のインタビューで、再び父と家族のことを語っていましたので、その部分を紹介したいと思います。


――世界中を”放浪”する生活のなかで

Q、どういう家庭で育った?

ベン:アルゼンチンで生まれ、1歳の時に、両親とともにイタリアに移住した。6歳の時にフランスに移った。
一度に数週間から数ヶ月間にわたって、世界中を旅行し、繰り返しヨーロッパ中や米国へ旅をした。私が11歳になった時、スペインに移動し、地元のフランス系の学校を修了した。

育った自宅での生活は、オペラ、クラシック音楽、ビージーズ、マイケル・ジャクソンやマライア・キャリー・・英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、そして旅行、世界中のオペラハウスを放浪する――このミックスだった。

そして最も重要だったのは、あらゆる劇場、ショービジネス、世界中を駆け回る狂気のような生活の中で、私の両親が、ごく普通の子どもとして私を育て上げるために、ベストを尽くしてきたことだ。





Q、両親が教えた最良の資質は?

ベン:人の誠実さ、寛大さ、優しさ、そして献身が最も大切であること。お金や持ち物は一面にすぎず、人はそれによって定義されないこと。ハードワーク、情熱、打ち込むこと、何であれ、やりたいこと全てが大切なものだということ。

創造的な職業に捧げる生活をし、その価値を理解するだけでなく、父母たちが育ったのと同様に、子どもを信頼することができる人々に囲まれて育ったことは、私にとって非常に幸運だった。

Q、父のオペラのキャリアから学んだことは?

ベン:自分が正しいと考えて行うことを除いて、自分のコントロールの外にある多くのものがあること。持続とハードワークは常に結果をもたらすこと。そして正直と誠実さは、時に有利な機会を失うこともあるが、それにより安眠を得られるということだ。

(by「Filmcourage」




父ホセの苦闘と信念にもとづいて多面的な活動を広げる歩みをみて育っただけに、ベンが語る中身は、日頃の父クーラの生き方、信条をよく理解し、学んでいるように思います。俳優、監督としてベンの今後も楽しみです。 → インタビューの原文はこちら


――愛犬と

ペットも家族の一員ということで、クーラが2016年のクリスマスのメッセージに添えた愛犬シンバとパルの写真も。

こちらは子犬の頃。



そして現在。




こちらは数年前に病気で死んだ愛犬サミルと一緒の写真。




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あまり多くはありませんが、クーラはこうして時々、家族や愛犬の様子をフェイスブックなどに紹介してくれます。そこには、世界を飛び回るオペラ歌手でありながら、ごく普通の家庭の夫であり、父であり、1人の人間としての、地に足をつけた暮らしを大切にしている様子がわかって、ほっとするとともに、とても身近に感じられます。

またクーラは、以前も何度か紹介しましたが、自分の手を使って仕事をするのが大好きなのだそうです。オペラの舞台デザインの仕事のうえで模型やミニチュアをつくるのはもちろんのこと、家の大工仕事や庭の芝刈り、ガーデニング、野菜栽培など、家庭の分担としても、趣味、気分転換でもあるのか、よくやるのだそうです。
そして昨年の夏の休暇の際に、あたらしく挑戦したのが、「パンを焼く」こと(笑) じっくりこねて発酵させ、時間をかけて焼きあがりを待ち、その結果、大きくふくらんだパンが焼けるのが、とても感動的だったとのこと。何でも即席で安直なやり方が多い現代で、じっくり時間をかけた手仕事の大切さを強調していました。凝り性のクーラらしく、酵母や小麦も試行錯誤して選んだそうです。
そこで、クーラがFBにアップした、自作のパンの写真(笑)を最後に紹介します。

全粒パン


コーンブレッド


スペルト小麦のパン


*画像はクーラのFBなどからお借りしました。
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ホセ・クーラから2017年新年のあいさつ / Jose Cura "Happy New Year 2017"

2017-01-02 | お知らせ・その他




2017年を迎えました。皆様にとって、健康で実りある年となることをお祈りいたします。

ホセ・クーラは、新年にあたって、フェイスブックにメッセージを掲載しました。トップに掲載した画像の左側のイラストをそえて、以下のような内容でした。





“2016年は世界にとって本当に厳しい年だった。2017年も、すべての面でさらに厳しくなりそうだ...。
 しかし、もし、善良な人々が力を合わせれば、ダメージを最小限に抑えることができる!
 この友好関係を求める私たちすべては、手をつなぎ、前に足を踏み出そう! Peace and Love! ”


一般的なあいさつや、祝賀気分ではなく、社会的なメッセージを込めているところが、クーラらしいです。

さて、今年は、クーラにとって、本当に挑戦の年、アーティストとしての新しい地平をまたひとつ拓く年になると思われます。


●ワーグナーに初挑戦の年

今年はじめてのオペラ公演は、2月の19、22、25、28日、モンテカルロ歌劇場です。
演目は、ワーグナーのタンホイザーのタイトルロール。クーラにとって、はじめてのワーグナー挑戦となります。
しかも、めずらしいパリ版フランス語上映。もちろん新プロダクションです。

 → 詳しくは、ブログの記事 「(緊急告知編) 2017年 ホセ・クーラ ワーグナーのタンホイザーに初挑戦」


モンテカルロ歌劇場HPより





――ついに実現するワーグナーでのデビュー(2016年9月のリエージュでのインタビューより再掲) 

Q、2007年のインタビューでは、2010年にコンサート形式でパルジファルを歌うと聞いたが?


A、私はドイツ語を怖れ、自分のスコアを知っていたが、コンサート形式なら可能だろうと思い、受け入れた。しかしコンサートは残念ながらキャンセルされた。

Q、ついに2017年2月に、モンテカルロでワーグナーのタンホイザーにデビューするが?
A、タンホイザーは、偉大で、巨大な、非常に難しい役柄であり、私は怖ろしく怯えていることを告白しなければならないが、もし私がマスターしていない言語でそれを解釈しなければならないならば、それは単に不可能だっただろう。少なくとも、フランス語版のおかげで、私はワーグナーを歌うことができる。

Q、このフランス語版タンホイザーのプロジェクトはどのように始まった?

A、私がヴェルディのオペラ、スティッフェリオのためにモンテカルロ歌劇場に行った時、Jean-Louis Grindaは、タンホイザーのパリ版をやりたがっていた。彼が私に提案し、私はやりたかったと答えた。そして、それがフランス語で正式に書かれた唯一のワーグナーであるので、私の唯一のワーグナーへの挑戦となるだろうと思う。

Q、言語だけでなく、長さも問題になる?

A、私はタンホイザーと苦闘している。キャラクターのなかに意味を見いだすために、多くの労力を費やす。音楽が展開するにつれて、つぎつぎ現れ、3秒で表現されている可能性すらあるメッセージをつかみとるために。
レトリックはワーグナーのスタイルの一部であり、その音楽の美しさは信じられないほどだ。しかし、イタリアオペラのリズムに慣れ、「リアリズム」の演技のなかにいる人間には、多くの思考が必要であり、私はバランスを見つける必要がある。


●はじめての英語のオペラ、ブリテンのピーター・グライムズの主演・演出

もうひとつの大きなチャレンジは、5月にドイツのボン劇場で、初めてのブリテンのオペラ、ピーター・グライムズに、演出・舞台デザインと主演でのぞむことです。長年、やりたいと願ってきたピーター・グライムズがはじめて実現します。しかも演出も。
重責ですが、大変な喜びだと思います。


ボン劇場のHPより、日程


キャスト、スタッフ



――最大のチャレンジ、ピーター・グライムズ(同じく、2016年9月のリエージュでのインタビューより再掲)
Q、2016-17シーズン中のもう一つの冒険、20世紀の英語のオペラで歌い、演出する?


A、ピーター・グライムズは、私のキャリアにおける最大のチャレンジ。
私はいつも、これを歌うことが夢だと言い続けてきたが、ボン劇場の人々が、私のインタビューでそれを読み、私を雇った。そしてまた、私は誘惑に抵抗できなかったために、演出もおこなう。
ブリテンにおいて、私はほとんどゼロからスタートする必要があり、特に美学、言語、音楽、30年の歌のキャリアの後に、これは非常にリフレッシュになる。
台本は本当に信じられないすごさ、素晴らしいスコア、音楽とアクションとの間の結びつきは総合的で、私自身にとっては、ワーグナーよりも、はるかに快適な方法だ。このプロジェクトは、私の情熱を大いに鼓舞してくれる。

Q、ホセ・クーラにとって、残っている探求は?

A、私のキャリアにおいては、私を魅了し、最も喜びを与えてくれるキャラクターにアプローチし、そして、私が快適に感じ、人びとに何らかのおもしろいものを提供できる場所で過ごすことができた。アーティストとして幸運である場合、期待にこたえ、妥協を受け入れず、自分自身に対して厳しくあることが不可欠だ。
私は、歌手として夢見たすべてをやることができた。まだピーター・グライムズが残っていたが、今シーズン、歌えることになった。成熟した役柄のためには、何年もかかる。明らかに、成熟度の点では、最初のピーター・グライムズは、250回演じたオテロのようにはいかない。だから私は、かなりの時間をかけて、ブリテンの英雄を解釈することができるよう願っている。


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いつも好奇心とチャレンジ精神をもち、リスクを恐れず、新しいこと、おもしろいこと、価値あることを求めて、歩み続けるクーラ。
それぞれの挑戦が、成功し、豊かな経験と成果をもたらしてくれることを願うばかりです。

この他、2017年のスケジュールについては、スケジュールを紹介した以前の投稿、そしてクーラの公式カレンダーをご参照ください。


●ナレーターに初挑戦

チャレンジといえば、昨年、クーラは、ドキュメンタリーのナレーターの仕事でもデビューしました。
それは、イタリアの有名な高級赤ワイン、アマローネのワイナリーをとりあげたドキュメンタリーの、スペイン語版のナレーションです。
アマローネは、クーラが最初に欧州に移り住んだヴェネト州ヴェローナ近郊で生産されているそうです。クーラの好きなワインの1つでもあるとのこと。
ワインづくりの地道で丹念な手仕事の伝統は、クーラとも共通するものを感じます。

ナレーターデビューを紹介したクーラのFB



動画の初めの方と、終りに近い部分で流れるスペイン語のナレーションがクーラです。YouTubeより
Masi. El Sabor del Tiempo de A. Segre



ドキュメンタリーの監督は、アンドレア・セグレ。移民問題など取り上げた映画で、たいへん評価の高い監督で、社会学者だそうです。
移民を迎え入れ、民族や人種による差別を乗り越えた寛容で民主的な社会を探求する監督が、イタリアの土壌に根差した食文化、伝統と熟練の技で守り続けられているワイン醸造のドキュメンタリーを手掛けているというのは、たいへん興味深く、示唆に富むことのように思います。
それぞれの民族、地域の、良い伝統文化を大切にし守るということと、他民族、移民を受け入れ、共存するということは、決して矛盾するものではないのだといことを伝えようとしているように思われます。

クーラ自身もアルゼンチンから、1991年にヴェローナに移住してきました。当時イタリアで移民排斥の勢力が伸長し、やむなくフランスに移り住んだ経験をインタビューで語ったこともあります。そういうクーラが、このヴェローナ近郊で生産されるワインのドキュメンタリーでナレーターをつとめたことに、私は少し胸が熱くなりました。





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