人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(録画編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-06-30 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017



ホセ・クーラが出演したワロン王立歌劇場のオテロ、予定通り、6月27日の公演(日本時間28日朝3時~)がCultureboxでライブ放送されました。

今回のクーラのオテロ、一言で感想をいうと、「鬼気迫る」オテロ、大変な迫力の舞台でした。
とはいえ、決して単に叫んだり、わめいたりというものではなく、その逆に、凄まじいパワーとエネルギーを秘めて、抑えた表現、時にはソフトに、やさしく歌う。非常にメリハリのある歌唱で、フルパワーを発揮するところとそうでないところとのギャップがまた、オテロの恐ろしさを倍増させています。しかも、抑えた時も激しい表現の時も、クーラの声が非常に美しく響き、凛とした迫力が最後まで維持されました。

とにかく、あれこれ私の感想などを伝える前に、実際の録画をご覧いただければと思います。

Cultureboxのサイトで6か月間、オンデマンドで視聴可能のうえ、YouTubeの公式チャンネルにもアップされています。 → 終了 別のリンクを紹介します。

“Otello” de Verdi - Opéra Royal de Wallonie


Otello - Live Web
SEASON : 2016-2017
LENGTH : 2:50
SONG LANGUAGE : Italian
CONDUCTOR : Paolo Arrivabeni
DIRECTOR : Stefano Mazzonis di Pralafera
CHOIRMASTER : Pierre Iodice

Otello: José CURA
Desdemona: Cinzia FORTE
Iago: Pierre-Yves PRUVOT
Cassio: Giulio PELLIGRA  Emilia: Alexise YERNA  Lodovico: Roger JOAKIM
Roderigo: Papuna TCHURADZE  Montano: Patrick DELCOUR  An Araldo: Marc TISSONS

Opéra Royal de Wallonie-Liège






録画から、主な場面を抜粋して少し紹介したいと思います。

≪第1幕≫




冒頭のオテロの凱旋場面、"Esultate"。血まみれの服で登場、いつもより声が伸びやで余裕がある印象。






酒盛りの騒動で、怒りのオテロ。




オテロとデズデモーナの愛の二重唱。クーラの声がやさしく、とても美しくて驚きました。









こんな態勢でも、美しいピアニッシモを響かせるのには、またもやびっくりです。




≪第2幕≫




イアーゴの策略により、徐々にデスデモーナへの疑念を深めていくオテロ。




カッシオへの許しを請うデスデモーナ、これにより疑いをさらに深めるオテロ。


デズデモーナに問うこともできず、疑念に凝り固まっていく。一方で、妻からハンカチーフを奪い、さらに罠を練るイアーゴ。2組の夫婦それぞれの行き違う思いを歌う四重唱。




ついに妻の「裏切り」に対する復讐を決意するオテロ。






自らを陥れたイアーゴへの怒りを爆発させるオテロ。


逃げるイアーゴを追い詰め・・


巧みに足掛けでイアーゴを引き倒し・・




組み伏せるオテロ。




これはもう、秒殺かと・・。イアーゴ役の方、芝居と分かっていてもさぞ恐ろしかったことでしょう。


少年時代からラグビーやサッカーで鍛え、カンフー黒帯、ボディビルでセミプロのアスリートだったという、クーラの身体能力あってこその演技と身のこなしです。


疑念と怒り、復讐の念の恐ろしい形相。




オテロとイアーゴの二重唱、大迫力の "Sì, pel ciel"へ。








≪第3章≫




オテロとデスデモーナの二重唱。もはや愛はなく、とりつくろった笑顔と、その下の深い絶望、怒りが表情に時折うかぶ。










デズデモーナを追い詰めたことで自らも追い詰められ、泣き崩れながら歌う、 "Dio! mi potevi scagliar"






本国からの伝令を読むオテロ。カッシオに提督を譲り、自らは本国に帰還を命じられる。


地位、任務、誇りとプライド、そして妻の愛、すべてを失ったと思い込み、崩壊するオテロ。本国からの使者らの面前で妻を殴打する。


恐ろしい形相でカッシオを睨みつけるオテロ。戸惑うカッシオ。




ついに倒れ、痙攣するオテロ。



≪第4幕≫


デズデモーナの眠る寝室に入るオテロ。


一気にナイフで殺害するつもりが思いとどまる。


最後までかみ合わない、オテロとデズデモーナ。一方的に自滅にすすむオテロ。








ようやく自らの過ちに気づくオテロ、しかし最愛の唯一の理解者である妻はもう・・。




自らも死を選び、ひん死のオテロ、くちづけを求めて妻の体に手をのばすが力尽きる。




オテロの死。終幕



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圧倒的な存在感、登場しただけで、クーラのオテロの威厳、パワーに圧倒されるような舞台でした。
しかも、リアルで無駄な動きのない演技に加えて、歌唱の表現力においても、声の響きにおいても、さらに深化し、進化しているように感じました。これらがさらにドラマ性を強め、深めています。

今年2月にワーグナーのタンホイザーに初挑戦し、さらに5月にはブリテンのピーターグライムズの初演出と初主演。こうした新しい地平を開く挑戦を成功させ、あらたな次元に至った段階のオテロといっても過言ではないと思います。

録画を見てまだ興奮が冷めず、言葉が冷静さを欠いていて恐縮ですが、クーラの存在、力量があまりに頭抜けていて、そのため、カッシオやイアーゴが好演しているにもかかわらず、格が違いすぎて、なぜオテロがあんなカッシオに嫉妬し、絞め殺そうと思えば軽々とできる(笑)格下のイアーゴに騙されてしまうのか・・。こういう疑問がよぎります。

同時に、だからこそ、オテロが、ただの策略と嫉妬のためではなく、自らの根源的な理由によって自滅していく姿が浮き彫りになっています。ムーア人であることのへ差別と偏見、オテロ自身が抱える深いコンプレックス、改宗と背教、裏切りへの過敏な反応、軍人であり戦場での大量殺人者であることによる心的外傷後ストレス障害(PTSD=クーラが繰り返しその症状に苦しむ姿を表現している)など、オテロ自滅への道とその背景がリアルになった舞台、クーラのオテロ解釈が際立った舞台だったと思います。そういう意味では、いろいろ議論のある黒塗りのメイクのその意味が裏付けをもっていると感じられました。

よろしければ、ご鑑賞された皆様には、ご感想など、コメントいただければ幸いです。





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(放送編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-06-26 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017




ホセ・クーラが出演中の、ベルギー・リエージュ、ワロン王立歌劇場のヴェルディのオテロ。ネットライブ放送が予定されていましたが、ようやくCultureboxのHPでライブ放送の告知が出されました。

クーラのオテロの正規の映像は、長い間2006年のリセウ大劇場のDVDしかありませんでしたが、昨年ザルツブルク復活祭音楽祭2016のオテロがライブ放送され、さらに今年DVD、ブルーレイでも発売されました。
今回はそれに続いてのライブ放送、1997年にアバド指揮でオテロにデビューして以来、20周年の今年、21年めに足をふみいれた円熟のオテロがまた、ライブで見られるというのは本当にうれしいことです。


放送されるのは6月27日(火)午後8時からの公演(現地時間)です。日本時間では、28日(水)午前3時からです。

以下のCultureboxでライブ中継されます。画像をクリックしてください。Cultureboxのオテロのページにリンクを張っています。

また、見たいけれど夜中に起きてみるほどは・・という方も大丈夫です。半年間はオンデマンドで視聴可能なようです。

ワロン王立歌劇場はベルギーの劇場ですが、収録・放送してくれるのはフランス公共放送の傘下にあるフランスTVとCultureboxです。文化・芸術を通じての諸国民の理解と融合をうたい、文化政策としてオペラをはじめとする文化芸術プログラムを積極的に無料ネット配信してくれているフランス政府とフランスTVに心から感謝です!




Otello - Live Web
SEASON : 2016-2017
LENGTH : 2:50
SONG LANGUAGE : Italian
CONDUCTOR : Paolo Arrivabeni
DIRECTOR : Stefano Mazzonis di Pralafera
CHOIRMASTER : Pierre Iodice

Otello: José CURA
Desdemona: Cinzia FORTE
Iago: Pierre-Yves PRUVOT
Cassio: Giulio PELLIGRA  Emilia: Alexise YERNA  Lodovico: Roger JOAKIM
Roderigo: Papuna TCHURADZE  Montano: Patrick DELCOUR  An Araldo: Marc TISSONS

Opéra Royal de Wallonie-Liège

DATES : Tue, 27/06/2017 20:00~
 
フランス 中央ヨーロッパ夏時間 (CEST UTC+2)
日本との時差は、マイナス7時間ですので、日本では28日(水)早朝3時からとなります。


Cultureboxのページを開いて、下側にあるタブをクリックすると、クーラや指揮者、演出家などのインタビュー動画(フランス語)のリンクもあります。
また関連動画として、同じくタブを開くと、今年2月にクーラが初挑戦したワーグナーのタンホイザーパリ版フランス語上演の録画のリンクがあり、まだ視聴できます。





これまで見たいくつかのレビューは、全体として非常に高評価です。
演出・舞台は、クラシックでわかりやすく、衣装がたいへん美しく豪華だということです。
またクーラをはじめとする出演者、指揮者、オーケストラ、そして合唱団を含むアンサンブル全体が大変に高く評価されていました。
 → 初日の写真を紹介しています (初日編)

とりわけクーラのオテロは、好みが分かれるところではありますが、長年のスコアと脚本の分析、経験にもとづいて、ヴェルディが求めるドラマを全身全霊で描き出そうとします。
美しい歌唱、美しい声の「ベルカント」ではなく、オテロは「ドラマ」だという確固とした信念にもとづいて、時にはあえて声を醜く歪ませることもいとわず、オテロの苦悩と複雑な人間性の表現をめざしています。見る者をドラマに引き込み、心をざわざわさせるオテロです。

ザルツブルク復活祭2016のオテロは、ティーレマンという指揮者とクーラの方向性とは、違う面があり、本来の激しくドラマティックで燃えるようなクーラのオテロとは少し違う舞台だったようにも思います。そういう点では、今回のライブ放送こそ、20年の経験を経た、円熟のオテロの集大成となるのではないかと期待しています。

キャンセルなく、万全な体調で良い舞台、納得のパフォーマンスとなることを心から期待しています。



初日の6月16日の舞台は、ベルギー王室の方々も鑑賞され、終演後、出演者らと交流があったようです。劇場のフェイスブックに掲載されました。






フェイスブックに掲載された、ファンとの写真
、真ん中の2人が、クーラとデズデモーナ役の チンツィア・フォルテ。
クーラは短パン姿でリラックスしているようです。チーム全体がうまくいっている様子がうかがえます。




こちらは現地で鑑賞した若い女性がインスタに投稿したクーラとの写真
「私とオペラとの最高の出会いだった!ホセ・クーラ、偉大なアーティスト、素晴らしい歌手!」とメッセージがつけられていました。
クーラの描くドラマがこの女性にストレートに届いたのですね。それにしてもこの髪型は・・(笑) ライブ放送の日には、髪を少し切り、髭を剃って、顔がよく見えるようにしてほしいと思うのですが・・。






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1998年 ホセ・クーラ、パヴァロッティの代役でパレルモ・マッシモ劇場のアイーダ出演 / Jose Cura in Aida at Teatro Massimo

2017-06-23 | オペラの舞台―ヴェルディ



現在、各地で来日公演を行っているイタリア・シチリア島のパレルモ・マッシモ劇場。アンジェラ・ゲオルギューのトスカ、レオ・ヌッチがパパ・ジェルモン役の椿姫など、豪華な配役で話題です。

ところで、公演のHPを見ると、マッシモ劇場の紹介として、「1974年から24年間修復のため閉鎖。1998年再開、こけら落とし公演はヴェルディ『アイーダ』だった。ホセ・クーラがパヴァロッティの代役として登場、オペラ界の話題をさらった」と書いてあります。
今回は、この公演について紹介したいと思います。








Aida (Giuseppe Verdi)
Teatro Massimo di Palermo 1998 , re-opening of the theater
Norma Fantini (Aida)
Jose Cura (Radames)
Barbara Dever (Amneris)
Giorgio Zancanaro (Amonasro)
Andrea Papi (Ramphis)
Conductor= Angelo Campori


確かにこの時、クーラがパヴァロッティの代役としてラダメスを歌っています。初来日して新国立劇場開場記念アイーダのラダメスにロールデビューしたのがこの年、1998年の1月。そして、このマッシモ劇場のリニューアルオープン記念公演は、その少し後の1998年4月22日と5月22日の2公演でした。
くしくも、日本とイタリアの両国で、重要な劇場のオープン記念・再オープン記念という祝祭にクーラが連続して出演したことになります。それから来年でちょうど20年になります。

すでに新国立劇場のアイーダについてはブログで紹介していますので、今回はパレルモ・マッシモ劇場のリニューアルオープン公演について、クーラのインタビューや、公演の録画などをいくつか紹介します。


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――1998年のパレルモ・マッシモ劇場のリニューアルオープン公演、事前のインタビューより

●世代交代の瞬間


私は、パレルモ市民の期待に応えられることを願っている。長く待たれていたことをわかっているし、またパヴァロッティが出ないことで失望している人がいることも知っている。しかし、おそらくこれらの人々も、私がパレルモに来たことを喜んでくれると思う。

世代交代は、遅かれ早かれ、我々が取り組まなければならないものだ。
私はこのような偉大なアーティストの代わりに出演することを誇りに思っている。マッシモ劇場のリニューアル・オープンは、今世紀の終わりのイタリア、そしておそらく世界においても、最も重要な文化的イベントの1つだ。
オペラハウスをリニューアル・オープンに出演する栄誉は、イタリアのテナーに属するべきであるというのは当然のことだ。しかし、パヴァロッティには、彼の声が素晴らしいコンディションにあるとしても、65歳近い男性としての身体的な問題がある。ラダメスは大きな物理的な力を必要であり、そしてこれは世代交代の瞬間だ。
パレルモに来るためには、自分のカレンダーを完全に変更しなければならなかった。それができたのは奇跡のようだ。





Q、あなたは、しばしば優れた「代役」にたっているが?

A(クーラ)、そう、パヴァロッティは私が代役をした3番目だ。今年はすでに、オテロのプラシド・ドミンゴとカルメンのホセ・カレーラスに代わった。そして今はパヴァロッティの代わりをしている。それについての判定は、他の人に委ねる。


Q、ラダメスは、すでに東京でゼフェレッリ演出で歌っている。この役割の声の難しさとは?

A、私がオテロにデビューしたとき、誰もが私に言った――「注意するように。それは虐殺だ」。
私はそれに対して、「彼らはラダメスがどれほど難しいか分かっていない。声楽的にはるかに難しいものだ」と答えた。

この4幕のオペラで、このキャラクターを「維持」することは、ヴェルディのレパートリーの中でも最も難しいものの1つ。
カーテンが上がると、すぐに、テノールは「清きアイーダ」 "Celeste Aida"を歌わなければならない。それは大きなテストだ。
私はこのアリアを歌ううえでの、私自身のやり方を見つけたと思う。パレルモでそれをうまくやれることを願っている。


マッシモ劇場リニューアル開場公演アイーダでの、第1幕、冒頭のクーラの「清きアイーダ」
Jose Cura amazing! "Celeste Aida" Palermo 1998



Q、アイーダで何が一番好き?

A、アイーダの偉大な音楽は、第3幕から始まる。
最初の2つの幕は型どおりだが、第3幕以降は、より現代的で、より演劇的だ。
アイーダは、巨大なスペクタクルを見たい聴衆を満足させるオペラになってしまっているが、 第3、第4幕では、革命的なヴェルディを聞きたい人にもアピールする。


第3幕、アイーダと会い、エジプトを離れ、エチオピアで暮らそうと誘われたラダメス。悩みつつ決意したが、アイーダに巧妙に聞かれて、軍の行軍経路の機密を口にしてしまう。そこに現れるアイーダの父であり敵国の王アモナズロ。愕然とするラダメス、さらにそこにアムネリスとラムフィスらが現れる。喜怒哀楽、感情、局面が二転三転するドラマティックな場面。
Jose Cura 1998 "Pur ti riveggo" Aida



Q、アバド指揮によるオテロの経験は重要だった?

A、私のキャリアの転換点になっている。私はオテロが別のやり方でやれることを実証した。
多くの人が私の現代的な解釈を高く評価したが、他の人は私を批判した。しかしそれは普通のこと。
それはアーティストとして成長するために取らなければならないリスクだ。

Q、4月14日にパレルモに到着する。劇場デビューの1週間と少し前。リハーサルの時間が短すぎるのでは?

A、カレンダーのうえでは、私が来ることができたのはまったく奇跡的だ。

Q、「アイーダ」はパフォーマーにとって何を意味する?

A、大きなテスト。
長年にわたって、私はラダメスのキャラクターを避けようとしてきた。彼への対処は私を圧倒することだった。
私を納得させたのはゼフィレッリ。彼は、「アイーダ」の演出を受け入れるのは、私が出演する場合だけだと私に言った。
今、私は結果に満足している。

Q、ゼフィレッリがいないと、マッシモのラダメスは日本でのものと違う?

A、計画では、キャラクターの設定はその時とは変わらずにとどまり、おそらく時間とともに進化し、声の観点からは改善されている。
パレルモでは、私は別のグループのなかに収まって歌う必要がある。私は、到着した時に誰かが言ったような愚かな人間ではない。
「どれも私が言うようにならなければ、私は抜ける」――この種の行動は、私の一部でもなく、そしてそれは助けにはならない。またどんなアーティストのものでもない。



第4幕、ラダメスを救いたい、愛を訴えるアムネリス、それに対し毅然と拒絶し、アイーダへの真心と自らの誇りを歌い、審判の場に向かう。丁々発止の二重唱。
Jose Cura 1998 "Già i sacerdoti adunansi .." Aida



Q、あなたのデビューは?

私のキャリアはちょっと説明しにくいが、試してみよう。私は1993年にトリエステで初めて、現代オペラを歌って主役を務めた。翌年、「運命の力」のノーカット版に出演し、実際上、国際的キャリアを開始した。

初めから、私の音楽との関係は愛憎ともにあった。
12歳でギターを弾いて歌い始めた。15歳で合唱団を指揮し、17歳で、作曲と指揮を学び始めた。
19歳くらいで、歌を始めたが、残念なことに、間違った教師によって、声を傷つけ、不適切な、間違ったテクニックのために、22歳くらいであきらめた。良いこと以上に苦しんでいた。私は自分自身に言った――歌がこのようなものなら、やめるほうがよい、と。
それが私が26歳になるまでにやったことだ。その後、私は研究を再開した。そして今度は、私は正しいテクニックによってうまくいった。それを楽しむことができるかどうか ―― それは別の問題だ。

Q、歌うことはどういう意味?すべてを忘れさせる?

A、全く逆で、私はすべてを覚えている。
私がステージにいるとき、まさにそれは過去と現在が一緒に来ているかのようだ。
私のパフォーマンスのどれもがアクシデントの結果ではなく、むしろ一緒に束ねられた多くの経験の結果だ。
ステージに立つことは、私の人生の中で最も幸せな時間。家族の中で家にいるときのように。私は安全で、私を害する可能性のある、あるいは害したい人から遠く離れていると感じる。

Q、オペラが終わった時、どのように感じる?

A、レース後のマラソンランナーのように身体的に疲れているが、エネルギーにあふれている。それは愛する女性を愛している時と同じ。あなたはあなたの最高のものを与え、終わったら、疲れてはいるが喜びに満ちている。


石牢に閉じ込められたラダメス、そこに現れたアイーダ。ともに死を覚悟した哀切な2重唱。
Jose Cura 1998 Aida last "La fatal pietra sovra me si chiuse"




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(初日編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-06-17 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017



2017年6月16日、ベルギーのリエージュにあるワロン王立歌劇場で、ホセ・クーラ主演のヴェルディのオテロ、初日の舞台が開きました。今回は、劇場のFBに掲載された写真を中心に紹介したいと思います。

何度も繰り返して恐縮ですが、クーラは1997年にトリノでアバド指揮、ベルリンフィルによるオテロでデビューして以来、20年、約300回、オテロを歌い、演じてきました。クーラは現在54歳、長年の経験を積み、円熟期のオテロです。

こちらの写真はクーラのFBに掲載された、初日の舞台の直前、メイク室での様子の自撮り。今回は、顔を黒く塗っていますので、台本通り、肌の黒いムーア人としての演出のようです。
この写真を見ると、やはり髪と髭はかなり白いものの、顔はもともと目が大きくて童顔っぽく、肌の張りもまだまだ若々しいように思えます。
"Getting ready for Otello premier in 15'!"とコメントが添えられて、初日の舞台にむけ、気合十分ですね。





クーラが主演した昨年のザルツブルク復活祭音楽祭2016でもそうでしたが、近年ではオテロを黒く塗らないという演出の傾向があるそうです。これに対してクーラ自身は、オテロのテーマの重要な1つである人種差別を見えなくするものだという懸念をもっているようです。

以前の投稿「オテロに必要なのは“肌の色”だけではない」などで紹介しています。

今回は、これまで紹介したクーラのインタビューなどから、オテロ論、また解釈について抜粋・再掲しながら、初日の舞台の写真を紹介したいと思います。


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Conductor : Paolo Arrivabeni
Director : Stefano Mazzonis di Pralafera
Choirmaster : Pierre Iodice

Otello: José CURA
Desdemona: Cinzia FORTE
Iago: Pierre-Yves PRUVOT
Cassio: Giulio PELLIGRA  Emilia: Alexise YERNA  Lodovico: Roger JOAKIM
Roderigo: Papuna TCHURADZE  Montano: Patrick DELCOUR  An Araldo: Marc TISSONS

Opéra Royal de Wallonie-Liège
2017/6/16,20,22,25,27,29




第1幕、敵に勝ち、嵐を乗り越え帰還したオテロ、第一声「Eslutate」の直前でしょうか?




――2016年ザルツブルクでのインタビューより

Q、メトロポリタン・オペラが歌手の黒塗りを停止して以来、最近オテロについてかなり活発な議論が行われているが・・?


A(クーラ)、オテロは肌の色だけでなく、役柄と一致した声を必要とする。したがって、オペラで白人のキャスティングを回避することは非常に困難だ。
私は良い意図を理解するが、また、その中に「隠れた罠」を見る。
もし黒人だけが黒人の役を演じることができるのなら、白人だけが白人の役を演じられることになる。それでは、黒人俳優は決してハムレットを演じられないのか?リチャードⅢ世は?また…?
この新しい「政治的に正しい流行」は、黒人のプロフェッショナルを従事させない最高の口実を提供している。私に言わせれば、それは、顔を黒くメイクする以上に、人種差別の悪臭を放つ。私の黒人の友人の何人かは、実際にこうした考え方を懸念している。





オテロとデズデモーナの愛の二重唱の場面のようです。




――2012年スロバキアでのインタビューより

Q、オテロに対するアプローチは?


A、まず第一に、私たちは「英雄」について語っているわけでないということへの同意が重要だ。そうではなく、背教者(彼はヴェネツィアでの政治的将来のために、キリスト教を受け入れ、イスラム教徒の信仰を捨てた)であり、内通者(イスラム教徒と戦い、殺すことを受け入れた)であり、臆病者(彼は暴力的に妻を虐待し、殺す)、そしてお金目当ての傭兵、プロの殺人者だ。

私自身はオテロのいずれの側面にも似ていないので、自分をオテロに結びつけることはできない。しかしキャラクターの心理を伝えるために、自分の人生で経験したことのない感情を観察し、研究し、再現する能力を使う必要がある。

Q、オペラの冒頭でオテロは英雄として描かれているが?

「喜べ、私はイスラム教徒を殺した!」と叫ぶ、キリスト教徒に転向したイスラム教徒、私にはあまり英雄的には聞こえないが‥。




クラシックで、色彩豊かな、エキゾチックな雰囲気の舞台。



イアーゴの策略により妻への疑念を深め、復讐を誓う。第2幕の「大理石のような空にかけて誓う」の場面か。


――2013年インタビューより

●オテロを陥れたもの


オテロを陥れたのは、”ハンカチーフ”ではない。
こうした状況下で、オテロにとって、自らが黒人であることの受け入れがたさ。オペラにはないが、シェークスピアの原作で描かれている、オテロがデズデーモナの父親に受け入れられないことによるコンプレックス。デズデモーナの父が娘について言い捨てた言葉、「父親を謀りおおせた女だ、やがては亭主もな」の言葉がきいている。

近年の世界情勢を考慮してか、オペラハウスの字幕で「傲慢な回教徒どもは海中に葬り去った (第1幕冒頭のEsultate )」の部分を訳さない傾向があるが、これはナンセンス。ここの関係にこそ、オテロの性格を理解する鍵がある。

デズデーモナ殺害に至るオテロの崩壊の直接のきっかけは3幕にある。
彼の中では、イスラム教徒を殺すという任務はまだ全て完了していないという理解なのに、ベネチアから召還命令が入り、キプロスの統治をカッシオに譲ることになる。メトの公演を見た人は、私がこの場面で、召還命令の紙をロドヴィーコから受け取ったかと思うと、床にポトンと落として、落ちた紙を蹴り飛ばしたりするのを見ただろう。この時、オテロは、ロドヴィーコというベネチア=クリスチャンを代表する人間に挑戦を突きつけ、無礼を働く。

これが変えようのない決定だと気付いた時、彼の心の中に、“自分は役立たずのニグロに戻ってしまった”という思い込みが生じる。
彼に残ったのは、妻デズデーモナだけだが、その彼女も殺さねばならない。





――2012年インタビューより

Q、オテロの愛情深さと強さの不統一をどうみる?


誰が、強さと威厳は、情熱や感受性と両立しえないというのだろうか?それどころか、この複雑な個性がキャラクターをとても面白くする。
例えば、偉大な指揮官であるオテロが、妻と2人きりの時、戦闘を思い出して恐怖に崩れ落ちる(心的外傷後ストレス障害/PTSDのエピソード)。


Q、なぜオテロはデズデモーナを殺した?

それは長い分析であり、ここはそのための場所ではない。
簡潔にいうならば、一方には、自分が関与してきた残忍性を自身に説明する弁解としての儀式を必要とするオテロがあり、そしてもう一方には、抵抗なしに暴力を受け入れるデズデモナの心理的依存性がある。





――2001年インタビュー

●オテロはハンカチーフの物語ではない


オテロを失われたハンカチーフに関する愛の物語とするならば、それは死ぬ。シェイクスピア、それからヴェルディとボーイトは、はるかに大きな問題を扱っており、物語は彼らの媒体にすぎない。
それは愛、名誉、人種、政治、階級についてだ。





――2016年インタビュー

●オテロの現代的テーマ


この傑作は、今日と非常に関連し、現代的だ。なぜなら、人種差別、外国人嫌悪および難民の問題は、現代のヨーロッパの最も重要な問題だからだ。
これは裏切り、搾取、残酷さ、家庭内暴力や虐待などの重要なテーマについても同様だ。この500年間で何ら変わっていないことを考えさせられる。オテロは今日の人々に、私たちの時代について語っている?


●オテロへの愛

このオペラとの愛は20年間続いている。毎回そのたびに、より多くの発見をする。これは、“真実の愛”というべきものだ。そして決して終わることのない、ネバー・エンディング・ストーリーだ。





Q、真のオテロとは?

●ヴェルディの手紙に学ぶ、「オテロはベルカントではない、メロドラマだ」


オテロが複雑な心理をもつ巨大なキャラクターであることは事実であり、パフォーマーにとっては、オテロは、それを演じる器であるか否かのフィルターとして働く。すなわち、ひとつは、オテロを「ただ」歌うこと(もちろんそれ自体がすでに挑戦)であり、もうひとつは、オテロを「描き出す」ことだ。キャラクターに「なる」(to be)こと――ただ歌うだけではなく――それは現代のオペラがあるべき姿であり、現代オペラのふりをしているある種のスノビズムに陥るべきではない。

ヴェルディに立ち返れば、オテロは「ベルカント」ではない。ヴェルディは「私のオペラはメロドラマだ」“My operas are melodramma”(メロドラマ=人間ドラマというような意味か?)と繰り返し世界に向かって叫んだ。また手紙をつうじて訴えた。
しかし100年以上の後、ヴェルディに関する誤ったドグマの崩壊を恐れる多くの人々は、彼の声を聞こうとしない。今日、ヴェルディに関する多くのことに光があたっている下で、いわゆる音楽学者を自称する者によって50年以上前に作られた誤った教義が、今でも通用しているのは信じられないことだ。

Q、ヴェルディの音楽を正しく解釈するためには?

テキストとフレージング、アクセントに執着すること、そしてドラマを伝えるために声を変形させることを恐れてはならない。私の主張では十分ではない。ヴェルディの手紙を読んでほしい!
そして、ヴェルディの時代から取り巻いてきた「偽ヴェルディ司祭」に耳を傾けることをやめることだ。ヴェルディ自身が、決して彼らに対するたたかいをやめることはなかった。





●2016年――オテロの指揮にあたって

私は、このオテロの私のパートだけではなく、オペラ全体を熟知している。全てのキャストの音符、全ての歌詞と楽器のパートをほとんど暗譜している。少し努力すればデズデモーナのパートも歌うことができる...それは、毎回毎回、より詳細な多くのことを発見しつづけるための作業工程の一部だ。ネバーエンディング・ストーリーだ。

ヴェルディの音楽と手紙を土台においた役柄の解釈、ヴェルディのスコアに対する革命的読解の旅はまだ終わっていない。


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今回の演出は、2011年が初演のようですが、かなり正統派の古典的な舞台のように思われます。その点では、アーティストの歌唱と演技に違和感なく集中できるのではないかと思います。
20年の探求を経てのクーラのオテロ、今回はどのような舞台を見せてくれるのでしょうか。良いコンディションで最後まで無事に出演できることを願っています。
ネットでのライブ放送は6月27日午後8時から(現地時間)の予定です。詳細が発表されたらまた報告します。



*写真はワロン王立歌劇場のFB、クーラのFBからお借りしました。
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(告知編)ホセ・クーラ 道化師でオマーン王立歌劇場にデビュー / Jose Cura's Pagliacci in Royal Opera House Muscat:Oman

2017-06-12 | オマーンの道化師




来年2018年のホセ・クーラのカレンダーは、まだ一部しか発表されていませんが、劇場側の発表によって新スケジュールが明らかになりました。
中東オマーンの首都マスカットにある、オマーン王立歌劇場です。
(*注) この公演については、劇場は発表し、シーズンカレンダーにも明記していますが、クーラの公式カレンダーには現時点では未掲載です。
 *掲載済みです

何度か紹介していますが、クーラの父方の祖父母は中東レバノンからの移民で、クーラもかつてレバノンから招かれて、世界遺産のバールベック古代遺跡でプッチーニのトスカに出演したことがあります。2000年のことで、その際、レバノン政府からナイトの称号を授与されたとのことです。

しかし同じ中東に属するといっても、地中海沿岸のレバノンと、アラビア海沿いのオマーンでは、距離もかなり離れています。クーラがオマーンで出演するのは、初めてだと思います。


(参考)レバノン バールベック古代遺跡



グーグルマップより


日時は2018年3月15、17日。演目は、クーラの18番ともいえるレオンカヴァッロの道化師、カニオ役です。
プロダクションはローマ歌劇場のフランコ・ゼフィレッリ(Franco Zeffirelli)演出によるものだそうです。
指揮は、新国立劇場にも出演しているイタリアのパオロ・オルミ、トニオはクーラとはオテロやエドガールで共演したマルコ・ブラトーニャ、ネッダはダビニア・ロドリゲスです。

PAGLIACCI
Opera by Ruggero Leoncavallo
performed by Teatro dell’Opera di Rom

MARCH 2018
15 THURSDAY 7:30 PM
17 SATURDAY 7:30 PM
conducted by Paolo Olmi

Canio = José Cura
Tonio = Marco Vratogna
Nedda = Davinia Rodriguez


劇場のパンフレットに掲載された舞台画像



劇場HPに掲載されている2017/18シーズンパンフ(PDF)―― 画像にリンクを張っています。
クーラの道化師の他に、オペラでは、クリスティン・ルイスとグレゴリー・クンデのアイーダも。
コンサートでは、ロベルト・アラーニャ夫妻、ファビオ・アルミリアート、クーラと同郷のマルセロ・アルヴァレスなどが出演を予定しています。




そしてびっくりするのは、劇場の豪華さ。2011年にオープンした新しい建物ですが、総大理石造りで、内装には木をふんだんに使っているそうです。
オマーンは中東屈指の劇場とオーケストラを擁しているという紹介記事もありました。

産油国の財力を生かして文化の振興に努めているということでしょうか。欧米のオペラ劇場から積極的に優れたプロダクションを招聘しているようです。
オマーンは治安が安定してるということですが、現代世界の様々な問題の焦点のエリア、そしてクーラのルーツの1つでもある中東で、クーラが何を思い、どんなパフォーマンスを見せてくれるのか。
続報、インタビューの掲載などを期待したいです。











*画像は劇場HPなどからお借りしました。
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(リハーサル編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-06-10 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017



少し前にも紹介しましたが、ホセ・クーラは1997年にヴェルディの傑作オペラ、オテロのタイトルロールにデビューして、今年でちょうど20周年を迎えました。
  → 「オテロのデビューから20年」
そして21年目に踏み出した円熟のオテロ、現在、ベルギーのリエージュのワロン王立歌劇場でリハーサル中です。

劇場のフェイスブックにリハーサルの写真がいくつか掲載されましたので紹介したいと思います。

6月16日に初日、全部で6公演です。
幸い、今回もライブ放送の予定がありますので、それについても紹介しています。


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<劇場FBの告知>



<劇場の公演概要紹介ページ>


Conductor : Paolo Arrivabeni
Director : Stefano Mazzonis di Pralafera
Choirmaster : Pierre Iodice

Otello: José CURA
Desdemona: Cinzia FORTE
Iago: Pierre-Yves PRUVOT
Cassio: Giulio PELLIGRA  Emilia: Alexise YERNA  Lodovico: Roger JOAKIM
Roderigo: Papuna TCHURADZE  Montano: Patrick DELCOUR  An Araldo: Marc TISSONS

Opéra Royal de Wallonie-Liège
2017/6/16,20,22,25,27,29



<リエージュの街の告知ポスター>




<オテロの紹介動画>

劇場がアップしているものですが、どうやら前回の公演(2011年)の舞台映像のようです。

Otello de Verdi - Opéra Royal de Wallonie-Liège - Teaser




<リハーサルの画像>

クーラのオテロと、イアーゴ役のPierre-Yves Pruvot。
何だか2人、よく似ていますね? ボサボサの髪に髭面、体形も、服装まで・・(笑)
これはたまたまなのか、それとも、イアーゴはオテロの光と闇、表と裏の一方の側という解釈から? ちょっと、うがちすぎですよね(笑) クーラは、ピーター・グライムズの時からの髪と髭を伸ばしたままで、このオテロもやるのでしょうか?



リラックスした雰囲気、クーラが話しているのは演出家?



大勢の子どもたちに囲まれたデズデモーナと。第2幕の第3場、オテロは左側に置かれた一段高い椅子に座っているようです。





舞台となった地中海に浮かぶ島、キプロスの南国風の雰囲気を出すためか、ヤシの木が植えられた舞台セット。



舞台セットは、かなりクラシカルな、オーソドックスなものに思われますが、演出はどうでしょうか。







指揮者のパオロ・アリヴァベーニとオーケストラのリハーサルの様子








<ライブ放送の予定>



インターネットによるライブ中継があるのは、2017年6月27日、現地時間20:00~です。
日本時間では、6月28日の午前3時から。

2月にモンテカルロのクーラ主演のタンホイザー仏語上演を放送してくれたCultureboxで放送されるようです。
詳細がわかりましたら、また紹介したいと思います。


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このプロダクションは再演で、2011年の初演の時は、昨年亡くなったダニエラ・デッシーとファビオ・アルミリアート夫妻が出演していたようです。当時の舞台写真が劇場のHPにありましたので、舞台の様子を知る材料として、いくつか紹介します。





        


最後に、今は亡きデッシーの美しい舞台姿を。



*画像はワロン王立歌劇場のHP、FBなどからお借りしました。
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ホセ・クーラと母国アルゼンチン――映画「ローマ法王になる日まで」を見て

2017-06-08 | 人となり、家族・妻について



ホセ・クーラの母国は南米アルゼンチンです。クーラは1962年にアルゼンチンの第3の都市ロサリオに生まれ、91年にイタリアに移住するまでは、首都ブエノスアイレスに住んで作曲家、指揮者になるための勉強を続けていました。

今、公開されている映画『ローマ法王になる日まで』(イタリア映画 原題"CHIAMATEMI FRANCESCO - IL PAPA DELLA GENTE"=『フランチェスコと呼んでーみんなの法王』)は、南米アルゼンチン出身の現在のローマ法王フランシスコの半生を描いたものです。クーラの生まれ育った時代ともちょうど重なる時期のアルゼンチンを背景にしています。

今回は、先日鑑賞したこの映画と重ねあわせて、あらためてクーラの生い立ち、アルゼンチンへの思いなどを紹介したいと思います。

まずは、まだ映画を鑑賞されていない方は、ぜひ、この予告編をご覧ください。

映画『ローマ法王になる日まで』予告編



こちらは映画の予告チラシです。




映画は、法王選挙のためにバチカンに滞在しているベルゴリオ枢機卿(現在の法王フランシスコ、本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)が半生を振り返るシーンから始まり、彼がまだ、化学を学ぶ学生だった1960年のアルゼンチンに戻ります。
映画のネタバレになるので詳しくふれることはしませんが、神父になったベルゴリオは、若くして南米イエズス会の管区長という地位に任命されました。そこから苦難と激動の時代に直面します。
1976年にクーデターで始まった軍事独裁政権のもとで、反政府の動きが徹底的に弾圧され、密告やスパイも横行、疑いをかけられて多くの市民が連行され、激しい拷問を受け、3万人もの人々が犠牲になったということです。

こういう時代にどう生きるのか、どう生きたのか――スクリーンにリアルに映し出される軍の蛮行、突然の連行・拉致、苛烈な拷問、銃殺・・徹底的に自由と民主主義、人権が抑圧された社会の様相が描かれ、ひたひたと押し寄せる恐怖を目の当たりにするとき、この答えは決して簡単なものではないことを思います。

教会が軍事政権に対決せず、司祭が銃殺されても黙殺するような状況で、苦悩し無力感、罪悪感を抱えながら、反体制派を匿い、逃走を手助けし、大統領に直訴までするベルゴリオ。貧困と抑圧、困難ななかで生きる民衆の立場に立ち続けようとする彼の姿は、とても感動的です。

ルケッティ監督は、信者ではなく無神論の立場から、事実の徹底した調査を土台に、冷静に描写します。英雄伝ではなく、人間的に苦悩し、自らの信念(この場合は信仰)にてらして困難な時代を誠実に生きようとする姿は、神を信じる者、信じない者の垣根を越えて、感銘を与えます。


こちらは劇場で購入したパンフレット



ホセ・クーラが生まれたのは1962年12月。ベルゴリオが神父になることを決意した2年後です。そして軍事独裁政権が始まった1976年には、クーラは13~14歳でした。日本でいえば中学生、クーラもラグビーに夢中になっていた頃でした。

映画では描写されていませんが、軍事政権がイギリスとの間にフォークランド戦争を始めたのは1982年3月。クーラは19歳、ロサリオの芸術大学で指揮と作曲を専攻する学生でした。そして徴兵制が敷かれていたアルゼンチンで、クーラも予備隊に所属させられ、3か月続いたこの戦争がもしもっと長ければ、クーラも戦場に送られていたということです。この戦争による犠牲者は、アルゼンチン側で650人近く、負傷者も1000人以上、イギリス側も犠牲者250人余、負傷者800人近くにのぼったそうです。

1983年にようやく終わった軍事独裁の時代。その時クーラは20歳になっていました。多感な10代から20代初めの時代を圧政下で過ごし、さらにその後、経済的な混乱が続いたということで、作曲家、指揮者になる夢を実現することは非常に困難でした。91年に将来の希望を託し、イタリアに渡りました。

この映画を見たことで、これまでも紹介してきたクーラの言葉、その歩み、そして平和と自由への思いについて、よりリアルに、より重く受け止めることができたように思います。クーラの言葉を、いくつかのインタビューから抜粋してみました。



1962年12月にアルゼンチンのロサリオに誕生


≪2016年インタビューより≫

●軍事政権下の子ども時代について


私が子どもの時、パブロ・ネルーダの仕事や人物について話してくれる人はいなかった。私がラテンアメリカの詩を発見し、学んだのは、すでに大人になってからだった。
私が学校に行った40年前、アルゼンチンは軍事独裁政権が支配していた。私たちはパブロ・ネルーダの詩を知らなかった。彼が共産主義や社会主義の思想をもっていたためだ。私たちはガルシア・マルケスなど革新的な文学偉業も読めなかった。当時情報へのアクセスは非常に限られ、これらの人々は国家の敵とみなされていたからだ。





≪2015年ノヴィ・ソンチでのインタビューより≫

●軍政後の経済的混乱のもとで


指揮と作曲を研究していたが、歌うために離れた。・・
軍事政権の支配とイギリスとの戦争の後、我々はアルゼンチンで民主主義を構築し始めた。しかし作曲家や指揮者でやっていくことは不可能だった。聖歌隊で歌って、ささやかではあるが着実な給与を得た。そして何年間かの中断の後、しかし私は、自分の職業に戻ってきた。それが指揮と作曲だ。

若い頃ボディビルダー、電気技師や大工として働いていた。さまざまな仕事をしてきた。人生経験の荷物がより大きいことは、我々にとって、より豊かな、表現のための言葉になる。・・ジムで教えたり郵便配達もした。頑強な身体と精神を持ったことに感謝する。ある日、自転車で郵便配達中に歩道に落ちた。鼻の傷はその時。幸い鼻骨は壊れなかったが、そうなら歌手になっていないだろう。





≪クロアチアでのインタビューより≫

●イタリアに移住後の苦難


私は財布にコイン2つで、90年代初めにイタリアに着いた。仕事がなく、家族と共に生き残ろうとしていた。私は絶対的に何も持たない者で、お金もなく、ドアをノックし「私に仕事はないだろうか」と尋ね回らなければならなかった。
それは私にとって、各地からヨーロッパへ何千もの難民が到着している状況を非常に連想させる。私はミュージシャンであるという利点があった。私は主張したが、まだ証明していなかった。私はテノールだったが、私はそれを証明しなければならなかった。
私はアルゼンチン人だったが、当時のイタリアでは非常に困難だった。ちょうど北部同盟が出現した時で、私は北部同盟がもっとも強かったヴェローナに住んでいた。そして外国人が排斥されたために、私は離れなければならなくなった。 私の祖母はイタリア出身であり、何人もの親友がいて、私はイタリアを本当に愛している。しかし彼らは私を失った。その後、フランスに移った。そこはとても良かったが、主に天候のためにスペインに移り住んだ。ラテン系の私たちにはパリは雨が多すぎた。





≪2016年ジュールでのインタビューより≫

●若者のリードで新しい世界を


私はいつも理想主義者だった。これまで多くの経験をし、信じがたいような事も少なくなかった。しかし一方で、今日、シリアの若者のおかれた状況は、私たちが想像することさえできないということも知っている。

多くの人々が私に尋ねる。どうして今、素晴らしい歌手が、世界の特定の地域からヨーロッパに来るのかと。
答えは簡単だ。南米に住む人びとにとって、毎日の生存のための糧を得ることが、彼の成功に依存するからだ。

私たちは、言葉の良い意味での健全な「生活のための怒り」を失っている。だが、それをやらなければならない。我々は、この強力なエンジンを取り戻す方法を見つける必要がある。新しい世代がより「ソフト」になる前に。

若者がリードする必要がある。そして彼らの手に未来はある。なぜなら世界の混乱の責任は、我々の世代、その親の世代にあるからだ。世界を腐敗させた国のトップを退陣させなければならない。彼らは全員50代、60代だ。混乱を作りだした者に、それを修正することはできない。古いでたらめの左右の全体主義、ファシストらは消えるべきだ。ゼロからスタートする必要がある。それから、我々は新しい地球を手に入れることができるだろう。





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トップの3枚の写真(このすぐ上と下の写真も同様)は、2007年、故郷ロサリオ市のシンボル、モニュメント・ア・ラ・バンデラ(国旗の記念碑)の前で歌うクーラの姿です。

軍政下はまだ少年だったとはいえ、たいへんな時代を生き抜いてきたものです。クーラは、テノール歌手として世界的に有名になって以降も、「平和の種をまく」ことをアーティストとしての自分の責務と考えて行動し、機会あるごとに平和について、社会的公正について、発言しています。貧困や格差、戦争、社会的不公正への怒り、よりよい社会を希求する強い思いをもっています。
これまでのクーラの発言の一部を、以前のブログでまとめて紹介していますが、それだけにとどまらず、ほとんど毎回のインタビューで何らかの社会的な問題について発言しているといえます。

またクーラは、フォークランド戦争の犠牲者を追悼するレクイエムを1984年に作曲しています。かつて2007年に初公開が予定されていましたが、残念ながら母国の機関のサポートが得られなかったとのことで実現しませんでした。クーラはこの曲を、イギリスとアルゼンチンの2つの合唱団で演奏したいと希望していたそうです。しかし当時はまだ、「戦争の傷は癒えたとしても、しこりがあった」そうです。「どこかでステージにあげられることを願っている。死ぬ前に、たとえアルゼンチン国内でなくとも」というクーラの希望がかなえられることを願っています。

アルゼンチンで、映画が描いた暗黒の時代が終わったのは、わずか34年前。また日本でも、小林多喜二が虐殺されるなど同様の暗黒の時代が終わったのも、72年前です。
今また、共謀罪法案や憲法9条改正の動きがすすむもとで、今、この映画が公開された意義はとても大きいように思いました。





映画パンフより


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ホセ・クーラ テノールの高音とドラマの解釈――トゥリッドゥのアリアに関して

2017-06-02 | オペラ・音楽の解釈



これまで何回か紹介してきましたが、カヴァレリア・ルスティカーナの主人公トゥリッドゥは、ホセ・クーラが長年歌い続け、愛してやまない役柄です。
すでにクーラは、50歳代になってこのトゥリッドゥの役は「卒業」したそうですが、つい先日、クーラのインスタグラム上で、フォロワーからトゥリッドゥのアリア「母さん、あの酒は強いね (Mamma, quel vino è generoso)」の歌い方について質問が寄せられ、クーラが回答していました。
その中身が、クーラのオペラの歌唱と演技に対する姿勢をよく示していて興味深かったので、紹介したいと思います。

クーラは、インスタフェイスブックの投稿は自分で管理しているので、時折、フォロワーのコメントに返信してくれたり、時間があれば、このような質問に対して、丁寧に答えてくれることがあります。私も何度か返信をもらって、とてもうれしかったことがあります。

以前は、質問コーナーを開設して、さまざまな質問にまとめて回答したこともありました。 →  「ファンの質問に答えて」


今回は、特にそういう質問受付中ではなく、クーラはベルギーのワロン王立歌劇場でオテロのリハーサル中だと思われます。
いつものように不十分ですがざっくり訳してみました。誤訳、直訳、お許しください。







(フォロワーの質問)
●なぜ他のテノールのようにハイノートを伸ばさない?

質問してもいいですか?
1996年のラヴェンナでのカヴァレリア・ルスティカーナ、またそれから数年後のあなたのパフォーマンスについて。
トゥリッドゥの最後、「母さん、あの酒は強いね (Mamma, quel vino è generoso)」の終わりの「さようなら(addio)」で、あなたはどちらの公演においても、多くのテノールがやっているように(私のすべての時代におけるオペラのヒーロー、コレッリは特にそうだ)、ハイCを思い切り伸ばすことをしていない。

その理由は、単に作曲家マスカーニがその部分をハイCで書いておらず、それは、悲惨なトゥリッドゥを、大声をたててではなく、すすり泣く声とともに去らせるため――彼が最後に自分の愚かさを理解していたということからなのだろうか?

私はもちろん、あなたがそれ以上のことができることを知っている。
私は、本当にその理由を知りたいと思う。

(追伸)お世辞ではなく、両方のパフォーマンスは並外れていた。あなたは、歌だけでなく、演技も素晴らしい。







(クーラの回答)
●オペラは勇気ある解釈を必要としている


まずはじめに、それはハイDo(C=ド)ではなく、La b(A=ラ)であり、テノールにとっては容易な音だ。
だからそれを長く伸ばすことは、技術的な問題ではなく、(悪)趣味の問題であり、さらにはドラマに関する問題だ。

トゥリッドゥは母親の腕を振りほどいて去って行き、死ぬ。彼は走り去りながら、声を乱しているので(breaks the note)、テノールが何かを証明するために、それを伸ばすことはできない。それ(スコア)は、まさにそのように書かれている。

「ある晴れた日に」( "Un beldìvedremo")の終わりと同じだ。そこでは、蝶々夫人は、感情の高まりによって、彼女のハイSib(B=シ)を壊すべき( should break )である。それを永遠に伸ばしてはならない。

しかし、誰もそうしない。それは、声を乱すと良い歌手ではないと言われることを恐れているから...(ため息)。

現代的なオペラになるためには、勇気ある解釈を必要としている。きまぐれな演出などではなく...。









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この動画が、質問者が例にあげた1996年のカヴァレリア・ルスティカーナ、ムーティ指揮の舞台のトゥリッドゥのアリアです。
Jose Cura 1996 "Mamma quel vino è generoso"



ファンとの対話を大切にすることや、オペラの解釈、芸術的な問題について、率直に、フランクに語る、クーラらしい回答です。
また、オペラにおいて、クーラは、テノールのテクニックやハイノートを見せ場にするのではなくて、スコアと脚本に誠実に、ドラマと登場人物のキャラクター、心理に立脚して、一つ一つの音、歌を組み立てているのがわかると思います。オテロでも、ドラマのためには声を歪ませることを避けてはならないと繰り返し発言しています。

これまでもクーラに対しては、かつての伝説的な歌手のように歌わない、ここぞという「聞かせどころ」で期待どおりに歌わない、という批判が少なくありませんでした。しかしそれは、きまぐれや自己流、ましてや歌えないのではなく、オペラのドラマを描き出すアーティストの信念にもとづいたものということができると思います。この点でも、頑固です(笑)。そこがまた魅力でもあります。








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