人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

ホセ・クーラのクリスマス in ウィーン(2007, 2009年)

2021-12-18 | コンサート ③

 

 

 

毎年12月にウィーンでは、コンツェルトハウスの大ホールで ”CHRISTMAS IN VIENNA” のコンサートが開催されてきました。例年、スター歌手が出演し、ウィーン少年合唱団やウィーン・アカデミー合唱団と共演する豪華なイベントです。

しかし大変残念なことにコロナ禍のため、2020年に続き今年2021年の開催もキャンセルとなってしまいました。

今回は、これまでホセ・クーラが出演した2007年と2009年の2回のコンサートから、いくつかの動画をご紹介したいと思います。

珍しくクーラがドイツ語で歌っているものもあります。

 

 

 

 

2007 – Elīna Garanča, José Cura, Eteri Lamoris, Paul Edelmann

2009 – José Cura, Bernarda Fink, Tamar Iveri, Boaz Daniel

 

ーー歌手と聴衆にとっての ”CHRISTMAS IN VIENNA”の重要性は、ホセ・クーラの言葉でよく示されている。

  "一生に一度はウィーンでクリスマスを歌わなければならない" (ホセ・クーラ)

 

 

 

 

 

 

●2007年 モーツァルト「ベネディクトゥス」 "Benedictus" Mozart

 

 

●2009年 クリスマスのうた Lieser rieselt der Schnee & Frohliche Weihnacht

 

 

●2007年 ビゼー「アニュス・デイ」

 

 

 

 

 

●2009年  アルバート・ヘイ・マロッテ「主の祈り」

Jose Cura "The Lord's Prayer" (Albert Hay Malotte)  Christmas in Vienna 2009

 

 

●2009年 「アウローラ」から「旗の歌」 

 

 

●2007年の公演 全体の動画

Chrismas in Vienna 2007HD

 

 

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ホセ・クーラ、演技について、声のケアについて、世界の劇場についてーー2000年、アメリカでのインタビュー

2021-12-08 | 人となり、家族・妻について

 

*画像は記事に直接関係ありません。この画像は2000年のブダぺストでのインタビューのものです。

 

 

ホセ・クーラは2021年12月5日、59歳の誕生日を迎えました。1962年生まれです。

91年に渡欧してから30年、母国アルゼンチンで音楽活動を始めた時からは40年以上のキャリア、経験を積んできました。

コロナパンデミックで2020年春以降、世界中で困難な状況が続いていますが、クーラが健康で元気に、アーティストとしての実りの時期を過ごしていることに、心からのお祝いを伝えたい思いです。

 

今回は、2000年1月に公表されたインタビュー記事、99年に取材したものと思いますが、クーラがアメリカのMETデビュー後に受けたインタビューを紹介します。

少し前の記事(「ホセ・クーラ 欧州移住から30年を迎える 1991~2021年」)でも、99年9月のMETのシーズン開幕公演でクーラがカヴァレリア・ルスティカーナに出演する前のインタビューから抜粋して紹介しましたが、今回は公演後の記事です。そして前回の記事はクーラの生い立ち、経歴が中心でしたが、今回は、よりざっくばらんに、クーラの様々なものに対する考え方などを聞いていて、とても興味深いです。抜粋して訳してみることにしました。

いつものように誤訳等たくさんあると思いますがご容赦ください。

 

 


 

 

 

 

 

≪ エドゥアルド・マチャドによる ホセ・クーラ インタビュー ≫

 

(抜粋)

 ……

彼はラテン系とイタリア系の両方の顔を持っていて、歌う映画スターのようだった。並外れた声と天性の演技力を備えた人気急上昇中のテノール歌手であるクーラは、専門家の間では本格的な音楽家として知られている。このアルゼンチンのテノールは、12歳で声楽のレッスンを始め、15歳の時、故郷のロサリオで行われた野外合唱コンサートで指揮者としてデビューした。クーラは作曲家か指揮者になりたかったが、その声によって、ブエノスアイレスのテアトロ・コロンの奨学金を得た。

現在、彼のレパートリーには、サンフランシスコ・オペラの「カルメン」、マドリッドの「オセロ」、メトロポリタン・オペラの「カヴァレリア・ルスティカーナ」、ワシントン・オペラの「サムソンとデリラ」など、30以上のオペラが含まれている。このインタビューのために会ったとき、私たちはスペイン語で話した。彼は気さくでカリスマ性のある男だ。彼の妻が近くに座っていた。

….

 

Q、オペラのオープニングナイトを見に行ったが、とても楽しめた。あなたは素晴らしい俳優でもある。なぜオペラをやろうと思った?

A、ホセ・クーラ 
私は自分の仕事を愛しているが、演奏の他の側面、音楽そのもの、指揮、教えることなども大好きなので、どちらが自分にとっての優先事項であるかは自分でも言えなかった。つまり、私がオペラに関して愛するもののリストで、歌は必要不可欠なものではあるが、唯一のものではないということ。しかし、オペラの法則がそうである以上、テノールであることへの要請は、他のものよりも重要度が高い。だから私が心がけているのは、俳優として歌うこと、そして、ただ歌うのではなく、完全な音楽家として音楽を行うということだ。

 

Q、 声を出すだけではなく?

A、そう。あなたのように演劇に慣れている人は、「ああ、この人はオペラ歌手だけど、演技している、自分のやっていることを信じているんだ」と言うだろう。それが違いをつくる。

 

Q、それが私にとって違いをつくるものだった。それは静的ではなかった。私は演劇出身なので、オペラには少し苦手意識がある。なぜオペラなのか?

A、それは、背の高いスポーツ選手に、「なぜマラソンではなくバスケットボールなのか」と聞くようなものだ。他の世界で20番めになるのではなく、自分の世界で最初の1人になるために、自分の適性を分析する。重要なのは、オペラは別の方法でできると思っているし、それこそ先日の夜、あなたが評価してくれた方法でもある。

 

Q、オペラをどれだけ変えたい?

A、自分が関わるすべてのオペラに、これらを適用している。現代的で知的な批評家もいるが、残念ながら、自分が慣れ親しんだものに固執して、"Don't dare touch "(「あえてふれるべきでない」)と言う人もいる。中には、私があまり上手な歌手ではないので、演技力でカバーしていると言う批評家もいる。

 

Q、両方の能力を兼ね備えていることが認められないのだろう?

A、まあ...。

 

Q、演出のゼッフィレッリ氏によってすでに設定された枠組みの中で、あなたがとても自由だったことに私は魅了された。演劇ではありえない。そういう強い枠組みの中で、どのようにして自由を見つける?

A、フランコ(ゼッフィレッリ)とは、過去に一緒に仕事をしたことがある(*東京の新国立劇場開場記念公演の「アイーダ」のことと思われます)。今回ここにはいないが、彼のことを知っている。彼は、誰かが彼自身の考えを使って、自分が解釈したものとは違う雰囲気を作ってくれることを喜んでくれると思う。彼は、「自分の引いた線に従え」と言うような人ではない。

 

Q、私は1度、彼のために働き、映画「The Champs」で歌ったが、私はとても若かった。

A、彼のいつものやり方は、「聞いてほしい。このドアから入って、もう一方のドアから出てきてほしい。ある時点で、この椅子のところに行ってこの花に触れて。あなたが何をどのようにしようとしているのかを見せてほしい。私は、それがどう見えるのかを伝えよう」というものだ。

偉大な演出家は、アーティストに対し、「さあ、指を立てて。目を閉じて」とは決して言わない。一緒に作っていくので、あなたがしていることであり、あなたは私が言っていることがわかるだろう。

だから私の解釈は危険なものではなかった。このセットはシチリア(METのカヴァレリア・スルティカーナの舞台)のようだ。古臭いと言う人もいるかもしれないが、シチリアに行ったことがある人なら、まさにその通りだ。だからセットの中では、普通のシチリア島の普通の人と同じように振る舞うことができる。それは物事を簡単にする。もし、動きのある超近代的なセットがあったら、ある瞬間にある場所にいないと殺されてしまうとか、場違いな感じに見えたりする。しかし、このセットでは、自然に近い空間を楽しむことができる。なぜならそれは完全に...

 

Q、世界?

A、それは自然な、教会、階段、ドア......

 

 

 

 

Q、あなたは指揮もする。自分が誰かに指揮されているのは?

A、俳優が映画の監督をする時も同じ。カメラの前にいる時と、カメラの後ろにいる時は別だ。もし十分にオープンで柔軟性があれば、両方の世界を利用してひとつにすることができ、アーティストとして非常に豊かになるだろう。カメラの前にいる時、カメラの後ろにいる人たちが何を見ているのかを知るということ。

 

Q、それと同じこと?

A、同じことだ。操り人形のように上下に動かされるのではなく、そこで起こっていることを一つ一つ理解できるから、私は、指揮者が何を得ようとしているのか正確に知っている。

 

Q、あなたは操り人形とは正反対の人だと思うが?

A、たぶん、それが人々を動揺させている...。

 

Q、伝統主義者?

A、いや、彼らには、私を箱に入れて「さあテノール、前に立って歌いなさい」と言うことはできない。それは「ただ黙って歌いなさい」というようなものだから。

 

Q、この国では、それは彼らがしていること。彼らは、複数の分野を持っている人を理解できない?

A、過去2年間、私は写真に没頭してきた。写真を撮るのは大好きだ。写真を扱うことで、ステージ上での光の働きを理解するのに役立つ。音楽がどのように作用しているかを知るだけでなく、ライトがどのように作用しているか、そしてそれが生み出す効果を知ることができる。全く新しい世界が広がる。

 

Q、私の友人にはブロードウェイの歌手がたくさんいるが、彼らは自分の声のケアに途方もない時間を費やす。あなたは?どのようにケアを?

A、実は、全く気にしていない。

 

Q、しない?

A、私が言うのは、怠けているのではなく、普通の生活を送ろうとしているということ。もちろん、公演を控えている時に、雪の中に裸足で出かけていって運命に挑むようなことはしないが、私は自分の声の奴隷ではない。お腹が空いたら食べて、疲れたら寝て、体が汚れたら洗う。他の人と同じに。

公演の当日は、2時間前には劇場にいて、公演後はメイクを落とすために2時間滞在するので、通常、他の人がベッドにいる時間に、まだ1日の真ん中にいる。だから疲れをとるために日中に睡眠をとるようにしている。でも、それ以外に特別なことはない。私はスカーフ・テナーではない。

 

 

 

 

 

Q、アメリカは非常に自己中心的な国なので、あなたがメトロポリタン歌劇場(MET)に出演することを非常に重要視している。METはオペラの中心?デビューするのはどのような意味?

A、これはとても興味深い質問で、私は危険な回答をしようと思う。METをみるには2つの方法がある。それは、アメリカ合衆国で最も重要な劇場であり、そう言うことは、アメリカ大陸で最も重要な劇場であることをほぼ認めていることになる。テアトロコロンもかつては素晴らしい劇場だったが、現在は建物は別として、経済的な事情で以前のような素晴らしいものではなくなっている(*99年当時の話であり、その後リニューアルオープンし、クーラも何度か出演している)。チリ、ブラジル、メキシコにも素晴らしい劇場があるが、お金がないという理由だけで、METのように効率的に機能させることができない。それはさておき、METがアメリカ大陸で最大のオペラハウスであるというのは明白な結論だ。それに続いて、サンフランシスコやシカゴがあり、ワシントンのように非常に力を入れている劇場もある。

しかし、METはMETだ。METが、コベントガーデンやウィーン、スカラ座よりも重要だということを意味するものではない。到達しなければならない頂点であり、そこで公演をしなければならないいくつかの、5つか6つの大劇場がある。しかし、METは世界で唯一の大劇場ではない。

私は個人的には、METの内部での極度のセキュリティ対策に苦しんでいる。

 

Q、この街はとても過激になっている。

A、そう、すべてにおいて非常に極端。アーティストにとっては、とても攻撃的だ。

舞台は、私たちの魂と無邪気さの中にあるファンタジーの場所だ。私はアーティストで、ステージは私の場所だが、ステージに到達するためには許可を得る必要がある。

 

Q、アメリカの劇場はどこも同じような状況だが?

A、私は彼らを非難しているわけではない。彼らは劇場を警備するという仕事をしている。この国が厳しい国であり、彼らが気をつけなければならないのは、彼らのせいではない。

ただ、この国での働き方、生き方、日常生活のあり方が、少しアグレッシブすぎるというのは事実だ。このエネルギーが、多くの良いことを後押しし、実現させているのだと思う。しかし、時には、この強さが攻撃性に変わり、自分の特性を守るために防御策をもたなければならない。

その点を除けば、芸術的には、オーケストラ、コーラス、雰囲気など、METは素晴らしい。ステージに立つと、ポジティブなエネルギーを感じることができる。文字通りの意味で、誰もがあなたに足を折ってほしいと望んでいるような他の劇場とは違う。

 

Q、この国では、オペラは芸術として認識されておらず、さらに費用がかかるため、一般の人には全く縁のないものと思われているが?

A、例えば、METはそれ自体が企業だ。スポンサーやチケット販売を通じて、自分たちでお金を稼いでいる。自分たちで決断し、自分たちの収入を管理している。すべての劇場がそのような恵まれた状況にあるわけではない。その分、チケットも高いだろう。

しかし世界中で、昔のようなブラックタイのガラ・イブニングがある一方で、少しずつ、誰もが参加できて、チケットが映画館のチケットとあまり変わらないようなパフォーマンスが増えてきていると感じる。オペラは、ライブアートの中で最も制作費がかかるものだ。コーラスには少なくとも100人の歌手がいて、オーケストラ・ピットには少なくとも90人のミュージシャンがいて、さらに50人か60人があらゆることを動かしている。つまり300人ほどの人々が動くことなしに、アイーダを上演することはできないということだ。

それが費用がかかる要因だが、しかしそれに対する解決策があるとは思えない。コーラスがあるところには、コーラスがなければならない。そして、コーラスの一員であるなら給料をもらいたいと思う。等々......お金はどこからか来なければならない。劇場の大きな負担は、偉大なアーティストたちのギャラだと言う人もいる。しかし1つのプロダクションで高額のギャラを得るのは1人か2人のアーティストだけで、他の人たちは劇場機構の一部だ。

 

 

 

 

Q、もう一つ政治的な質問を。オペラは、ラテン系の人々にとって最もオープンな場所であり、国籍や肌の色などによる偏見がないように思われるが?

A、オペラでは、まず声が重要だ。それは、世界で最も美しい声、または最大の声でなければならないという意味ではなく、舞台に立つためには、ある特定の種類の音を出す必要があるということだ。

それから、白人で金髪である前提のキャラクターに対して、白人で金髪のパフォーマーを望む演出家もいる。もしかしたら、有色人種のソプラノがその役を演じたら、「台本」の観点から見ると違和感があるかもしれない。でも、そういう意味では、今はもっとオープンになっていると思う。

映画のような制限はない。映画では、キャラクターが金髪であると想定されている場合、黒人女性を起用することはないだろう。キャラクターが黒人であることが前提であれば、金髪の女性を起用することはできない。またスーパーマンを想定しているのであれば、太っていてはいけない。映画はそういうものだ。

オペラはもう少し柔軟性がある。しかし、映画の影響がオペラにも浸透し始めており、キャラクターを演じられる人を求める監督が増えてきている。まず必要なのは声だが、その他の要素もすべて備えるようにしなければならない。しかし、キャラクターを作るのは、次のことを確信することだ。もしラテン系の恋人の役を演じるとしたら、それほど容姿が良くなくても、同じように誘惑することができる。そのためには、適切なエネルギーを伝えることが大切だ。見た目だけではなく、そのエネルギーを「信じる」ことで、自分の存在感を高めることができる。

 ……

 

Q、あなたがインスピレーションを受けるものは?

A、献身的な関係だ。私にとって、コミットしていない同僚と舞台上でやりとりすることほどイライラすることはない。もしあなたが俳優なら、それが一番大事なことだろう。アクターはエネルギーと情報を絶え間なく提供する。観客とは別に、そのエネルギーを受け止め、フィルターにかけ、自分に返してくれる人が目の前に必要だ。あなたはそれを受け取り、そしてまた同僚にそれを返す。それはピンポンだ。誰かにエネルギーを送っても何も返ってこないと、30分もステージに立つと疲れてしまう。なぜなら、あなたがすべての仕事をしているから。あなたは投影しているのに、誰かがあなたのエネルギーをすべて吸い取る。さらに悪いことに、壁があるために聴衆は何も受け取ることができない。

 

Q、次は何を歌いたい?予定は?

A、次のオペラは「オテロ」。とても深いキャラクターを作ることができるので、本当に私にとって大好きなオペラ。私のオテロについては、オペラ関係者から激しい批判を受けている。

 

Q、すでに (笑)?

A、そして、劇場関係者からは素晴らしい賛辞を。私は自分が感じるオテロを作りたいと思っているので、それは嬉しいことだ。オテロは僧侶ではない。かつては英雄であり、かつては将軍であったが、今はただの無の断片がばらばらに分裂しているような男だ。それが私の感じるオテロ。

もちろん、最初にこのように演じたとき、オペラファンは皆、「ああ、音が足りない」「十分な"ノイズ "がない」と言った。そして、演劇好きの人たちは「なんて素晴らしい演技だ」と言った。次の課題は、その間のギャップを埋めて、みんなを納得させることだ。

 

Q、次のオテロは?

A、マドリッド、パレルモ、そして来年の3月にはワシントンで...。

 

Q、何かエピソードは?

A、私が初めて歌ったときのことだが、舞台上で警報が鳴る瞬間があって(第1幕の後半)、その時、彼は妻と愛し合っていたところだった。私の解釈は、警報を聞いた彼は、ズボンをつかんで半裸で走り出してきたというものだった。実際の生活ではそうするだろう。私はズボンだけで、それを引き上げながら出ていって、ひどく批判された。みんなからは胸の筋肉を見せようとしているとみんなから言われた。

 

Q、(笑)今度はヌードで出てみては?

A、いや、それはもうないと思う。私も太ってきた、わかるだろう?

 

(「José Cura by Eduardo Machado」)

 

 


 

 

インタビュアーは、アメリカ在住の劇作家のマチャド氏。演劇が専門の彼にとっても、クーラのMETでの演技は、とても驚きであり、自由闊達で自然なものに感じられたようです。

METについても、社交辞令抜きに率直に語るクーラ。アメリカ社会や歌劇場の状況、オペラにかかるお金の問題、オペラと人種についてのテーマ、等々についても、フランクに自分の考えを語っています。

インタビューの最後の、オテロの第1幕、凱旋の場の後、妻との再会を果たしたオテロが、カッシオらの騒ぎで急きょ呼び戻された場面のことを語った部分は、面白いところです。舞台上の演技にはすべてドラマの解釈による裏づけがあって、決して観客におもねたり受けを狙っているわけではないことを語っています。でも太ったからもうやらないというのは、はやり前は自信があったから、ということでしょうか(笑)。

 

 

 

*画像は、2000年ブダペストでのインタビューの際のものからお借りしています。今回紹介したアメリカでのインタビューとは関係ありません。

 

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(舞台写真編)2021年 ホセ・クーラ、エストニアでコンサートーー歌、作曲、指揮

2021-12-04 | コンサート ②

 

 

前回の記事に続いて、ホセ・クーラがエストニアで出演した2021年11月18、19日のコンサートから、舞台写真を中心に紹介したいと思います。

もともと今回のコンサートは5月に予定されていたのですが、コロナ禍のため延期になり、11月にスケジュールを組みなおしたものです。幸い、無事に開催され、ラジオ放送で聞くこともできました。

冒頭からクーラのトークが始まります。コロナ禍で久しぶりの満員のホールで歌える喜び、また恒例となった携帯電話のチェックのお願い(苦笑)など、相変わらず率直で、ユーモアたっぷりです。

12月4日現在、まだ聞くことはできますので、ぜひ以下の画像に張ったリンクからどうぞ!

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

Performers:
José Cura (tenor)
Monika-Evelin Liiv (mezzo soprano)
Rovshan Mamedkuliyev (guitar, Russia)
Estonian National Symphony Orchestra
Conductors José Cura and Mario De Rose

 

今回のコンサートは前半、後半に分かれていました。ラジオだけでは、舞台がどんな配置、雰囲気だったかわかりにくいと思いますので、主催者のFBから画像をいくつかお借りして紹介したいと思います。

 

 

≪ 前半① ―― アルゼンチン歌曲 ≫

 

 

 

前半のアルゼンチン歌曲では、室内楽編成のオケとソロのギターとピアノを配置し、その中央付近にクーラが座って、最小限の動作で指揮をしながら歌っています。これはこの間の、アルゼンチン歌曲コンサートで共通しているようです。

そしてクーラは、オケやギタリスト、ピアニストと対話をしているような親密な雰囲気で歌い、また曲の間には、ユーモアたっぷりのトークで客席を和ませていました。

 

 

 

 

≪ 前半② ――クーラ作曲のギター交響曲 ≫

 

前半の2つめの部分は、クーラがパンデミック中に作曲した、オーケストラとギターのための協奏曲「復活ための協奏曲」です。

少年のころからギターを習ってきたクーラは、長年、ギター協奏曲を作曲したいと思っていたけれども、舞台のスケジュールが多忙すぎて、なかなか着手できなかったそうです。そして昨年来のパンデミックに直面、突然のステイホームによってできた時間を、作曲に注ぎ込んで完成したのがこの曲とのことでした。表題にはパンデミック後への希望を込め、「復活」という言葉が入っています。

ラジオの音だけでは誰が指揮をしているのかわかりませんでしたが、写真を見るとやはり作曲者のクーラが指揮をしていました。ギタリストにロシアのロブシャンマメドクリエフ氏を迎えています。このギター協奏曲は、今年9月にドイツのザールブリュッケンで世界初演され、今回が2回目、そして初めて録音されラジオで公開されました。

 

 

 

 

 

≪ 後半 ーー オペラのアリアとデュエット ≫

 

後半、クーラは歌手として、オペラのアリアをやゲストのメゾソプラノのモニカさんとデュエットをしました。指揮は同郷で友人のマリオ・デ・ローズ。

クーラが歌ったのは、レオンカヴァッロのオペラ「道化師」から、通常バリトンが歌う「プロローグ」、続いて主人公カニオの「衣装をつけろ」、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」からトゥリッドゥとサントゥッツァの二重唱。

 

 

そしてアンコールと思われるのが、プッチーニの「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」、最後は、クーラのイエスタディの弾き語りでした。

 

 

 

 

 


 

 

●コンサート主催者のFBに掲載された70枚近い舞台写真

 

こちらに、紹介した写真以外にもたくさんの写真がありますので、ぜひご覧になってください。アルバム名をクリックすると見られます。

 

 

 

●共演したギタリスト・マメドクリエフ氏のインスタより

 

 

●オケのメンバーのインスタより

 

 

 

●リハーサルの様子とクーラのインタビュー動画

 

クーラがアルゼンチン歌曲の指揮をしているリハーサルの様子が収録されています。また、クーラのインタビュー動画、リトアニアとの出会い、西部の娘を演出・指揮したこと、様々な活動をすること、才能という種を伸ばす努力について、エストニア初演のギター協奏曲について等々……を英語で語っています。

 

 

 

●クーラが作曲したギター協奏曲のスコアの写真とラジオ生中継の告知ーークーラのFBより

 

” 金曜日のエストニア時間19:00(18:00中央ヨーロッパ)、タリンでの私のコンサートの生放送を聴いてほしい。素晴らしいプログラムのなかでも、エストニア初演の私のギター協奏曲「Concierto paraunResurgir」が、ロブシャン・マメドクリエフ氏のギター演奏で、初めて放送される。 お見逃しなく! ”

 

 

 

●主催者のFBに掲載されたコンサートの告知動画

 

 

 

 

●コンサート告知でのクーラ紹介記事

 

 

(抜粋)

 ……

アルゼンチン出身のオペラテノール、ホセ・クーラが、エストニア国立歌劇場(Rahvusooper)、メゾソプラノのモニカ=エブリン・リーヴ、エストニア国立交響楽団(ERSO)とともに、金曜日の夜にタリンで公演を行う。

クーラは、指揮者、作曲家、そして歌手という実質的に3つの異なる役割を担い、レオンカバッロのオペラ「道化師」、マスカーニのオペラ「カヴァレリア・スルティカーナ」…のアリアを演奏する。

「地球の反対側に旅して、自分で作曲した歌とともに演奏するというのは、最高に素晴らしく、言いようのない気分。一緒に育ってきた作品たちだ」とクーラは語った。

エストニアでは、クーラ自身が作曲したギター協奏曲「Concierto para un Resurgir(「復活のための協奏曲」)」も初演される。この曲は、コロナウイルスのパンデミックの際に制作されたもので、ライブ音楽が苦しめられている静寂の日々が早く終わるようにという願いが込められている。「創作の着想は、混乱した時代に誠実さと真摯さを示した人々への賛辞でありたいということ」とクーラは語っている。

ホセ・クーラが1990年代の後半に、世界的に有名になった。そのパワフルなテノールの声は、世界のトップオペラハウスの舞台で披露され、2011年のサーレマ・オペラ・デイズで初めてエストニアの観客の前に姿を現し、厳しい批評家たちをも魅了した。

エストニア国立オペラが新シーズンのフェアを開催
2018年9月には、エストニア国立オペラでプッチーニの「西部の娘」で、演出家、指揮者、舞台・照明家を務めた。

 …

 

 

●エストニア国立交響楽団のシーズンパンフレットより

 

 

*画像は主催者、オーケストラのSNS,HPからお借りしました。

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