人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2018年 ホセ・クーラ、ロックン・ロールを歌うーーハンガリー・トカイでコンサート

2018-08-15 | コンサート




ホセ・クーラは、7月に、4カ所のサマーフェスティバルで野外コンサートを大成功させ、現在は、休暇中です。

次の予定は、9月21日に初日を迎える、バルト三国エストニア・タリンの国立歌劇場のプッチーニの西部の娘です。
クーラは演出と舞台デザイン、そして初めてこの演目で指揮も手掛けます(21、23日のみのようです)。長年歌い続け、クーラの代表的な演目でもある西部の娘。今回は出演はせず、指揮者としての登場ですが、どんな舞台になるのか楽しみです。

前半の3回のコンサートについては以前の記事で紹介しています。
 → 「2018 夏のコンサート――ヴィンタートゥール、ザグレブ、ヴェスプレーム」

今回は残る1つ、7月28日ハンガリーのトカイで開催された、これも野外コンサートの様子を紹介したいと思います。





José Cura in Tokaj
Date: July 28, 2018 at 20:30
Location: Tokaj, Festival Fesztiválkatlan

The concert performs with the winners of the classical music talent show Virtuozok public media.
José Cura and his guest
Boglárka Koós, Bojtos Luca, Zoltán Sándor, Dániel Ali Lugosi, Korossy-Khayll Csongor and Tamás Kökény.
The Hungarian State Opera House Orchestra
Conductor Peter Pejtsi



7月28日の夜8時半からのこのコンサート。クーラとともに、ハンガリーのコンテストを勝ち抜いた優秀な若手アーティストが出演したようです。オケは、ハンガリー国立歌劇場管弦楽団、指揮は、2015年にクーラとマホ・アンドレアとのコンサートでも共演した、チェリストでもあるPeter Pejtsiさんです。

コンサートの内容は、クラシックの有名なアリアやデュエットもあり、オーケストラと器楽ソリストとの共演、そしてクロス・オーバー、ロックンロールなど、非常に幅広く多彩なものだったようです。

そしてフェスティバルのコンサートならではのお楽しみ、サプライズもいくつかありました。かなりびっくりです(笑)







――ホセ・クーラ、"新曲"に挑戦

≪ホセ・クーラ、初めてリゴレット「女心の歌」(!)を歌う≫

若いときからクーラは重めの声で、スピント、ドラマティックな役柄が多く、多くのテノールが歌う「愛の妙薬」のネモリーノや、「リゴレット」のマントヴァ公のアリア「女心の歌」を歌ったことは、私がいろんな録画や記録を見た範囲では、一度もなかったように思います。

そして今回、55歳になったクーラが、コンサートではありますが、「女心の歌」に初挑戦したのには驚きました。クーラ自身も「初めて」と言っていました。「女心の歌」といえば、パヴァロッティに代表されるような、軽く高い声のテノールの歌です。クーラのこの歌、いろいろご意見はおありかと思いますが(笑)、観客がSNSにアップした動画をどうぞご覧くださいませ。(曲の途中までのみ)




途中、オケが乱れるのもご愛敬ですが、クーラ、なかなかの余裕の歌いぶりです。"年を重ねても好色なマントヴァ公"(笑)という感じで、楽しませてもらいました。


≪ホセ・クーラ、初めてロックンロール(!)を歌う≫

もう一つのサプライズは、クーラが女性歌手Boglárka Koósさんとの共演で、「プラウド・メアリー」(Proud Mary)を歌ったことです。

これは、1969年にロックバンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルが発表、その後、大勢のアーティストにカバーされてきた名曲とのことです。

これまでもクーラは、クラシックとポップスなど他ジャンルの音楽との間に、垣根をつくるのは間違っていると、発言しつづけてきました。実際に、ポップスのCDを出したり、コンサートで、イエスタディやレット・イット・ビーなどビートルズの曲を好んで歌ってきました。しかしこれまではバラード、メロディアスな曲が主で、いわゆるロック、ロックンロール系の曲は、観客の前では歌ったことがなかったようです。

初めて披露したクーラのロックンロール。クーラが自分でFBにアップした動画でどうぞ!



●動画に添えられたクーラのメッセージ
"My first Rock: Proud Mary with Réka Koós 😂"

プレスリーを思わせるような低音で、共演の女声ボーカルに合わせていく様子、意外と(?)おもしろい魅力があるのではないでしょうか。何より、共演者とともに音楽を楽しんでいるのが素敵です。
また初めは少し気恥ずかしげ、遠慮がちでしたが、後半は、吹っ切って(笑)すっかりノリノリで歌っています。
ぜひこれからも、いろんな歌、いろんなジャンルに挑戦してもらいたいです。それこそプレスリーや、クイーン、いろんな楽曲が、クーラのオペラで鍛えた声の威力と表現力によって、ユニークで新しい表現をつくりだすのではないかと思いました。



――コンサート紹介動画

主催者FBに掲載された終了後の紹介動画です。ハンガリーの聴衆の反応、クラシックとポップ音楽についてなどについて語るクーラのインタビューと、椿姫の二重唱、先ほど紹介したクーラの「女心の歌」をはじめとするコンサートの様々な場面を抜粋、そして最後は、例の「プラウド・メアリー」を少し長めに収録しています。





こちらはハンガリーのネットTVがアップした動画。リハーサルの様子、クーラのインタビュー、若手アーティストの紹介、そして最後は、クーラの歌う「女心の歌」を少々。サービス精神旺盛なクーラ、最後のハイノートを思いっきり伸ばして歌っています。

José Cura és a Virtuózok - Tokaj, Fesztiválkatlan




――クーラのインタビュー記事

ネットに掲載された、コンサートの紹介とクーラのインタビューをまとめた記事より、一部抜粋しました。

≪私たちは家族のように≫

ホセ・クーラは、21世紀のスターテノールの中でも、最も有名なオペラのタイトルを演じてきた。
彼はまた、ハンガリー国立歌劇場のアンサンブルとともに、トカイで公演することを選んだ。

「ハンガリーのエルケル劇場での初めてのコンサート以来、このオーケストラとは18年間の付き合いだ。
私たちは家族のように、一緒に年をとってきた。かつて髪の毛がたくさんあった時代も覚えている。
私はハンガリーが好きで、ここで歌うだけでなく、友人や知人を訪れる」

ホセ・クーラは語った。

マエストロ・クーラの軽快なスタイルがステージで感じられた。
同時通訳者が歌詞をプロジェクタに翻訳したため、ユーモラスな会話も、英語をあまり話さない人にも理解された。
クラシックの曲に加えて、このコンサートでは、ポップ・ミュージックのジャンルから多くパフォーマンスを作り出した。

「20世紀、ロックミュージックとシリアスな音楽を区別するひどいレッテル貼りがなされた。
これは大きな嘘であり、それ以前にはなかったことだ。
ポップ音楽はあまり良くないが、クラシック音楽は素晴らしい――などと言うことはできない。
良い音楽と悪い音楽がある。
本当に良いポップミュージックやロックミュージックはたくさんあるし、そして、つまらないクラシック音楽もある――もちろん、それが正解だ」

ホセ・クーラは付け加えた。

www.boon.hu」より







――18年前のハンガリーでのコンサートより

インタビュー記事でクーラが語っていた2000年のブダペストでのコンサート、DVDにもなっています。
オペラアリアコンサートで、観客から熱狂的な喝采を受けました。いくつかの曲がアップされています。そのうちのトスカから「星は光りぬ」を。
やはり18年前なので、若いです。声も、姿も。

José Cura E lucevan le stelle Cavaradossi Tosca Budapest




――ワインの町トカイ、夏のコンサートを楽しむユニークな会場

このコンサートは、ハンガリーのトカイという町で行われました。トカイといえば、貴腐ワインなど高級ワインで有名です。
クーラも、記念品としてロゴ入りのワインをプレゼントされたり、また家族でワイン農園を訪問したりしたようでした。


主催者のFBに掲載されたコンサートの写真アルバムです。右上のFマークをクリックすると、FBでたくさんの写真を見ることができます。



コンサートの様子、写真を紹介した音楽関係のFBより。



ワイン農園・醸造所のFBより。



ユニークで広大なコンサート会場Tokaji Fesztiválkatlan。山々に囲まれた場所に作られた施設で、広い駐車場、建物の1階には、室内ホール、大小の会場、ワイン販売所や売店などがそろっています。結婚式場もあるそうです。
建物の2階というか屋上部分が、野外コンサート会場になっています。ぜひ一度行ってみたいものです。

今回のコンサート、いつものように、そしていつにもまして、観客を楽しませ、観客、共演者と一緒になって音楽を楽しむ、クーラの個性あふれるコンサートだったようです。
プログラム全体はわかりませんが、クーラは、紹介した椿姫の二重唱、「女心の歌」、「プラウド・メアリー」の他にも、アップされた動画などからわかる範囲でも、西部の娘からジョンソンのアリア、ラテンラブソング、「イエスタディ」、「レット・イット・ビー」、「Somewhere(どこかに)」などを歌ったようです。歌だけでなく、ギターやドラムなども演奏している姿もありました。

堅苦しくなく、楽しく、豊かな音楽の世界を、ジャンルの垣根を越えて、多くの共演者とともに多彩に表現するクーラのコンサート。これまでもクーラの公演をネット放送してくれてきたハンガリーのTV局の皆さんの力で、何らかの形で放送されることを願っています。よろしくお願いいたします。













*画像や動画は主催者や関係者からSNSに投稿されたものをお借りしました。

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ホセ・クーラ 2018 夏のコンサート――ヴィンタートゥール、ザグレブ、ヴェスプレーム

2018-07-16 | コンサート




毎年夏のシーズンには、ヨーロッパ各地でサマーフェスティバルが開かれ、多彩なコンサートが行われています。ホセ・クーラも、この7月前半に、3か所の野外コンサートに出演しました。

それぞれ、とても楽しそうな写真や、非公式のものですが動画もアップされていますので紹介したいと思います。
こうしたコンサートは、クーラのエンターテイナーぶり、多彩さ、人間的な豊かさ、フランクさが発揮されて、とても魅力的です。私もぜひ一度は、欧州のサマーフェスティバルでクーラのコンサートを体験したいと願っています。

今回紹介するのは、7月7日スイス・ヴィンタートゥール、7月10日クロアチア・ザグレブ、7月13日ハンガリー・ヴェスプレームです。

先月6月、クーラは、プラハで演出したナブッコの初演の準備と、プラハ交響楽団でのレジデントアーティストとしての最後のコンサートがあり、ほとんどマドリードの自宅から離れたままの忙しさだったと思います。しかもその後、すぐにコンサートツアーに出発しました。なので、この3公演が終わり、次の7月28日ハンガリー・トカイでのコンサートまでの間、いま、ようやく一息、というところでしょうか。

また9月には、演出・指揮もする西部の娘の新プロジェクト(これまでのブログ記事 告知編、 インタビュー編)が始まるのに加えて、クーラの2012年制作のカヴァレリア・ルスティカーナと道化師のプロダクションがアメリカ・サンフランシスコ歌劇場で上演されます。9月に向けて、この暑い夏も、ますますクーラはパワフルに活動することとと思います。




≪ 7/7 スイス・ヴィンタートゥールでのクラシック・オープンエア、オペラガラコンサート ≫




Jose Cura =Tenor, conductor
Ana Maria Labin
Eva Vogel

スイスのチューリッヒ郊外の街、ヴィンタートゥールでの野外コンサートです。
当日はコンサート開始前に、会場である広い公園で、ピクニック・ディナーの予約販売があったり、いろんな売店が出たりして、テーブルやシートを敷いて食事を楽しんだようです。
また開始後も、前の方のイス席の他に、後方や側方では、芝生の上で好きなスタイルで鑑賞できたようです。






主催者のフェイスブックに投稿されたコンサートの動画のリンクを2つ。この他にも、公式FBには、遠くからのカメラではありますが、コンサート前半部分が収録された録画もアップされています。クーラの歌やトーク、指揮するところもあります。クーラ指揮のサムソンとデリラの間奏曲はなかなかの迫力でした。興味がおありの方はどうぞ。

●クーラは指揮者も兼ねていたようで、共演の女性歌手2人の歌を指揮しています。



●クーラの「誰も寝てはならぬ」。野外フェス・ヴァージョン(笑)で、最後のVincerò!は思いっきりのロングトーンです。

 
≪ 7/10 クロアチアのザグレブ・クラシック2018、フィナーレ ≫




TUESDAY, 10 July 2018 at 21:00
King Tomislav Square

Zagreb Classic Festival Orchestra
José Cura, tenor
Evelin Novak, soprano
Dian Tchobanov, conductor


クロアチアの首都ザグレブでのサマーフェスティバル、最終日のコンサートです。
公式FBにたくさんの写真がアップされています。大勢の観客がコンサートを楽しむ様子や舞台上のクーラや共演者の写真など、たっぷりと70枚。
今回のトップの画像も、ここからお借りしています。右上のFマークをクリックするとすべての写真をFB上で見ることができます。




同じザグレブのコンサートから、共演したオーケストラのFB掲載の写真。




こちらは非公式ですが聴衆が録画してYoutubeにアップされたものです。

●西部の娘、ジョンソンの「やがて来る自由の日(Ch'ella mi creda libero e lontano)」

気の毒なことに、野外コンサートならではのアクシデントに襲われるクーラ。顔のまわりを飛び回る蚊を追い払いながらのジョンソンのアリア・・。
別な動画のなかでこれについてのクーラのコメントも。20年前、やはり野外コンサートでアリア中に蚊を吸い込んでしまったことがあり、5分中断を余儀なくされたとか。ユーモラスに語っていましたが、その時はさぞかし大変だったことでしょう。ということで、蚊を追う手の動きも、どことなくジョンソンの動作らしくみせるあたりが、クーラらしい(笑)

Jose Cura koncert part1 of 2 Zagreb classic koncert 10.7.2018



●トスカのカヴァラドッシのアリア「星は光りぬ(E lucevan le stelle)」

Jose Cura koncert part2 of 2 Zagreb classic koncert 10.7.2018



●プッチーニの蝶々夫人とラ・ボエームから、それぞれ美しい二重唱を。

クーラはこの2つのオペラに出演することはもうありませんが、こうしてコンサートでは歌ってくれるのでうれしいです。
実は私は、クーラが歌うこの2つの二重唱が大好きで、非公式ながら動画をアップした見知らぬクロアチアの方のFBに、お礼を書き込んでしまったほどです。
前半の蝶々夫人と後半のボエームの間、2人が拍手に応える時間があり、しばらく間隔があります。

Madama Butterfly duet , La boheme duet












≪ 7/13 ハンガリー・ヴェスプレームフェスティバル 2018 OPERAEST ≫






José Cura
Miklósa Erika Kossuth
Ramón Vargas
Rost Andrea
Conductor: Balázs Kocsár

ハンガリーの美しい古い街、ヴェスプレームでの夏のフェスティバル。第15回目の記念として、今回は4人のオペラスターが出演しました。
チケットは早々にソールドアウトしていました。
クーラは第1回に出演して以来、今回が3回目の出演です。

2人のテノール、2人のソプラノによって、美しい二重唱やオペラアリアがたくさん歌われたようです。 → 告知編
写真がたくさんアップされています。動画はあまり出回っていませんが、フェス事務局に問い合わせたところ、終了後に動画も公開する予定だと回答してくれました。
DVDなどまとまった形で公式動画がリリースされることを願っています。楽しみに待ちたいと思います。


●フェス公式FBにアップされた写真。60枚近くあります。
二重唱の写真がたくさんです。
特に今回、クーラは初めて、モーツアルトのドンジョバンニに挑戦(!)、ドン・ジョヴァンニがツェルリーナを誘惑するシーンの「お手をどうぞ」を歌いました。
そのため写真も、なかなかセクシーな表情です。





●同じくヴェスプレームフェスの舞台の様子。カメラマンのFBより。




●ヴェスプレームフェスの後に、クーラがインスタに投稿したラモン・ヴァルガスの珍しいツーショット。

With my colleague Ramón Vargas today in Veszprém!

José Curaさん(@josecuragram)がシェアした投稿 - <time style=" font-size:14px; line-height:17px;" datetime="2018-07-14T00:21:59+00:00">2018年 7月月13日午後5時21分PDT</time>



●ヴェスプレームフェスのコンサートの前に、クーラとアンドレア・ロスト、エリカ・ミクローザ

A VeszprémFestet sem hagytuk ki... #rostandrea #josecura #miklosaerika #veszpremfest

Kultúrpartさん(@kulturpart)がシェアした投稿 - <time style=" font-size:14px; line-height:17px;" datetime="2018-07-13T17:05:07+00:00">2018年 7月月13日午前10時05分PDT</time>










*画像はフェスティバルやクーラ、出演者のFBからお借りしました。
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(告知編)2018年 ホセ・クーラ、ヴェスプレーム・フェスティバルに出演 / Jose Cura in VeszprémFest 2018

2018-04-23 | コンサート




ホセ・クーラのこの夏の新しい出演予定がカレンダーに追加されました。そのうちの1つは、2018年7月13日、ハンガリーのヴェスプレーム・フェスティバルでのコンサートです。
クーラ本人がフェスティバルの記者発表にも出席したほか、クーラの公式カレンダーにも掲載されました。

フェスティバルのフェイスブックに記者発表の様子の写真、動画なども掲載されましたので、お借りして紹介したいと思います。






VeszprémFest, July 13, 2018
Argentinean tenor Jose Cura
Mexican tenor Ramon Vargas
Hungarian sopranos Erika Miklosa and Andrea Rost








今年のヴェスプレーム・フェスは7月11日~14日の日程です。
15回目の節目の年だそうです。クーラが出演するのは、7月13日のオペラコンサートです。

出演者は4人。テノールのクーラと、同じくテノールのラモン・ヴァルガス。そしてソプラノも2人、エリカ・ミクローザとアンドレア・ロストです。


この下の2つ↓は、クーラが3月29日にコンサートのためにブダペストを訪れた際にフェスティバルの記者会見に同席した時の動画です。
フェイスブックにアップされたもので、短いですが、クーラが英語で語り、ハンガリー語に通訳されている様子がわかります。








記者発表に同席したエリカ・ミクローザさんがフェイスブックにアップした、クーラとの写真。




こちらはフェス主催者がアップした紹介動画。クーラの以前出演した際のインタビューに加え、4人の出演者が歌っている様子が紹介されています。

Jose Cura Ramon Vargas Erika Miklosa Andrea Rost




この下も同じく紹介動画ですが、こちらは新しく収録したクーラのインタビューで、今年の企画の魅力を紹介しています。
びっくりしたのは、クーラが他の出演者を紹介して、最後のラモン・ヴァルガスのところで、「2人でドン・カルロのデュエットを歌う」「ラモンがテノールで自分はバリトン」と語っている!ように聞こえるところです。

2人のテノールのコンサートでどういう演目かと思っていましたが、クーラがドン・カルロのバリトンロールであるロドリーゴを歌い、ヴァルガスと二重唱とは・・! 
ぜひ、DVDなどで聞きたいものです。

José Cura - VeszprémFest, 2018. július 13.



こちらはラモン・ヴァルガス版です。
ヴァルガスはクーラについて、「大切な友人で相互にリスペクトしてる。クーラは素晴らしくて面白くて強い個性、特別な声の持ち主」と紹介しています。

Ramón Vargas - VeszprémFest, 2018. július 13.




このヴェスプレーム・フェスにクーラが出演するのは、今回が3回目です。

1回目は、フェスティバル自体が第1回目の2004年でした。その時の様子を紹介した動画です。
クーラが歌っている様子が見られますが、ここでの指揮は、ピアニストとしても有名だったゾルタン・コチシュです。
そしてこの動画にはありませんが、このコンサートでクーラは、指揮者としても出演し、ピアニストのコチシュと、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団とともに、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏しています。

Jose Cura VeszprémFest 2004



2回目は2010年、ハンガリーのメゾソプラノ、イルディコ・コムロージと。カヴァレリア・ルスティカーナ、カルメン、サムソンとデリラなどからオペラアリア、デュエットを歌っています。クーラは指揮もしていますし、お楽しみは、アンコールだったのか、めずらしくクーラがドイツ語で、レハールの「唇は語らずとも」を歌っているところです。
コンサートの楽しい抜粋動画になっていますので、ぜひごらんになってみてください。

José Cura & Komlósi Ildikó - 2010.07.30. Veszprém Aréna



クーラはつねに、クラシックは堅苦しいものではなく、だれもが楽しめるものだという信念から、舞台上では自分も楽しむし、観客が楽しめるように全力投球するエンターティナーです。
クラシックを神聖視する人たちからは批判されたこともありますが、コンサートは、観客を愛し、観客から愛が返される、ともに愛し合う場だというクーラの姿勢に変わりはありません。

日本では、2006年以来、来日がなく、身近にクーラの公演に接することができないのが本当に残念です。
ぜひ近いうちに機会をつくって、夏のコンサートに行ってみたいものです。

この夏、欧州に旅行を検討されている方でクーラに興味をお持ちのかたがもしいらしたら、ぜひ、夏のコンサートを検討してみられてはいかがでしょうか。
ここで紹介したハンガリーでは、このヴェスプレーム(7/13)の他、ワインで有名なトカイでもオペラアリア・コンサート(7/28)が予定されています。また、スイスのチューリヒ郊外のヴィンタートゥールの野外コンサート(7/7)にも出演予定です。
 → クーラの公式カレンダー





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ホセ・クーラ 2018年ワルシャワ・ニューイヤーコンサート / Jose cura 2018 New Year Concert in Warsaw

2018-02-04 | コンサート




ホセ・クーラ、2018年最初の出演は、ポーランドの首都ワルシャワのニューイヤーコンサートでした。
約3時間のコンサートで、テノールのクーラをメインに、ソプラノ、メゾ、バスの若手歌手が共演しました。録音がラジオで3回に分けて放送され、またネットTVでも、2回に分けて録画放送してくれました。

チケットは早々に完売したようですが、当日のコンサートは、インターネットを通じて日本でも録音、録画を視聴することができました。録画は我が家の回線の問題なのか画質が良くなくて残念でしたが、録音、録画とも音質はとても良好で、この素晴らしいコンサートを共有してくれたポーランドの主催者、ラジオ、TVに対して、感謝の気持ちでいっぱいです。





≪クーラのメッセージ≫

昨年12月、テアトロコロン出演のため滞在中のアルゼンチンからネットを通じて、このコンサートについて語ったクーラのメッセージ。主催者のFBより。



≪ 出演者 ≫

The 13th New Year Concert in Warsaw
José Cura (tenor)
Aleksandra Kubas-Kruk (soprano)
Iryna Zhytynska (mezzosoprano)
Wojtek Gierlach (bass)
Conductor: Mario de Rose
The Polish Radio Orchestra
The National Philharmonic Concert Hall

第13回ワルシャワ ニュー・イヤー・コンサート
指揮 マリオ・デ・ローズ
ホセ・クーラ、アレクサンドラ・クバスクルク、イリーナ・ジーティンスカ、ヴォイテク・ギララッハ
ポーランド国立放送交響楽団
国立フィルハーモニー・コンサートホール





≪ 演目 ≫(クーラの歌のみ)

コンサートでは、クーラの同郷の友人マリオが指揮するポーランド国立放送交響楽団とともに、クーラと若手歌手たちが順番に登場してソロやデュエットで歌いました。
全体の演目は一覧がないのですが、クーラが歌ったのは次の曲でした。


①♪ レオンカヴァッロのオペラ「道化師」より ~ プロローグ(トニオのアリア)   
②♪ ヴェルディのオペラ「椿姫」より ~ 第3幕、ヴィオレッタとアルフレードのデュエット「パリを離れて」
③♪ プッチーニのオペラ「トスカ」より ~ 第3幕、カヴァラドッシのアリア「星は光りぬ」
④♪ ラテンラブソング "Somos novios" & "Esta tarde vi llover"
⑤♪ レハールのオペレッタ「メリー・ウィドウ」より ~ 「唇は語らずとも」 ソプラノとデュエット
⑥♪ ビートルズの「イエスタデイ」("Yesterday") ギター弾き語り
⑦♪ プッチーニのオペラ「トゥーランドット」より ~ 第3幕、カラフのアリア「誰も寝てはならぬ」
⑧♪ ヴェルディのオペラ「椿姫」より ~ 第1幕、「乾杯の歌」 4人全員
 


クーラが最初に歌った「道化師」のトニオのプロローグは、バリトンの曲ですが、クーラは好んでコンサートで歌っています。 
ラテンのラブソングは、クーラのアルバム「ボレロ」にも収録されているメキシコ出身の作曲家アルマンド マンサネーロの2曲です。

イエスタディは、アンコールでクーラがよく弾き語りをしています。歌の前に、なぜ自分がギターを習いはじめたのかエピソードを語って、観客を爆笑させていました。
ファンサイト、ブラボクーラのFBページに掲載された動画をシェアさせてもらいます。





他にも、クーラ18番のアリアがあり、美しい二重唱、合唱もありで、本当に楽しく、美しく、華やかなコンサートでした。
若手歌手の皆さんも素晴らしい歌声を聞かせてくれました。

実はクーラは、その直前に夏のアルゼンチンでのオペラ出演のために1か月近くを過ごし、その後、真冬のポーランドへ移動しました。その気候の変化のためもあるかと思いますが、風邪をひいていてハンカチが手放せない状態でした。熱もあったのでしょうか、少し体も辛そうにみえました。それでも体調不良をおして出演し、少々鼻声でしたが、美しく張りのある歌声を聞かせてくれました。
曲の前や後に、前回このホールに出演した時のことや曲の紹介など、話でも観客を楽しませ、いつも通りのエンターテナーぶりでした。

そして一番のサプライズは、ドイツ語で歌わないクーラの非常に珍しいドイツ語の歌「唇は語らずとも」。途中、ソプラノがポーランド語で歌い始め、クーラもびっくりという演出があったり、最後のフレーズは2人でポーランド語で歌ったようで、楽しい演出でした。
歌の前には、16年前にこのホールに出演した時の思い出を語って、初めて「眼鏡(老眼鏡)」をかけたエピソードを紹介していました。
同じくブラボクーラFBページから、動画をシェアさせてもらいます。





やはりこれを聞かなければと思わせるクーラの力強い「誰も寝てはならぬ」を。これもブラボクーラFBからのシェア。
風邪のためにいつもより抑え目ではありますが、観客の熱狂的な拍手が鳴りやまず、スタンディングオベーションが起きました。一方のクーラは、観客の喝さいに応えつつも、アンコールを求める観客に、歌い終わってもうフラフラだというジェスチャーをしていました。




≪ラジオのオンデマンド放送≫

ありがたいことに、約3時間のコンサート全体が、オンデマンドで聞けるようになっています。いつまで聞けるかはわかりません。
司会者の話から始まって、オケの演奏、クーラの歌はもちろん、各ソリストたちの歌が聞けます。ただし、レハールと「誰も寝てはならぬ」は、なぜかラジオ放送ではカットされていました。その代わりに、ポーランドで大ヒットしたクーラのポップスアルバムからの歌が1曲流れます。
リンク先で、プレイヤーの再生ボタンを押してください。


●第1部 (クーラの歌は①のみ)




●第2部 (クーラの歌は②③⑥)




●第3部  (クーラの歌は④⑧)





――いくつかコンサートの様子を画像で

オペラはもちろんクーラにとって、深い解釈、表現力、存在感を全面的に発揮するメインの舞台ですが、こういったコンサートもまた、クーラならではの魅力にあふれています。堅苦しい退屈なことが大嫌いで、クラシックもポップスも区別せず、良い曲を歌うという姿勢を貫いています。そして観客とコミュニケーションをとり、曲の合間には、フランクでユーモアあふれる語り口のトーク。出演者やオーケストラをリスペクトし、仲間とともにステージをつくりあげることを大事にしています。そして何といっても、クーラの美しく強靭な声、多彩な表現をひとつのステージで聞けるというのがいいですね。

演出や指揮、作曲の比重が高まりつつあるクーラですが、こういう楽しいコンサート出演は、ぜひ長く続けてほしいと思います。かなうことなら日本でも・・。


とても美しかった椿姫のデュエット








リハーサルでしょうか、ギターの弾き語りをするクーラ




クーラの顔が大写しになったパンフレット


新年らしく華やかで美しい劇場内


*画像は主催者FBなどからお借りしました。
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ホセ・クーラのクリスマス・ソング / Jose Cura sings Christmas songs

2016-12-24 | コンサート



ホセ・クーラは、2016年、地元スペインのリェイダでのコンサートを最後に、今年の公演をすべて終了しました。
今年も多彩な活動で充実していましたが、来年2017年がまた、たいへんチャレンジングな年になる予定です。何と言っても、2月には、初めてのワーグナーであるタンホイザーに主演、そして5月には、これも初めてのブリテンのピーター・グライムズの演出と主演を控えています。 →2017年スケジュール
クリスマス休暇中も、たぶんクーラのこと、家族と過ごす時間を大切にしつつも、タンホイザーの勉強をはじめ、仕事の準備で大忙しなことと思われます。

クーラは先日、フェイスブックに下のような画像をアップしました。
"Peace & Love"のメッセージをつけて。




ということで今回は、クリスマスにあたって、世界の平和と愛を祈りながら、クーラの歌う、クリスマスにちなんだ曲を紹介したいと思います。


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●Silent night

まずは、「きよしこの夜」Silent nightを、毎年恒例のウィーンのクリスマスコンサートから。
2007年、ホセ・クーラ、エリーナ・ガランチャなど4人が、それぞれの母国語の歌詞で歌っているようです。
Christmas in Vienna 2007 - Jose Cura, Elina Garancha, Eteri Lamoris, Paul Edelmann



つづいて2002年、イギリスのソプラノ歌手レスリー・ギャレットとホセ・クーラのデュエットで。画質が非常の悪いのが残念です。
 → FBの動画ページにとびます。

このコンサート全体のDVDも発売されています。












●Missa Criolla

アルゼンチンのアリエス・ラミレスが作曲した、スペイン語のミサ曲「ミサ・クリオージャ」
1999年、アルゼンチンに帰国した際のコンサートなのでしょうか?短いですが貴重な映像です。
Missa Criolla 1999 (short exerpt)


同じく「ミサ・クリオージャ」、2006年、イタリアのアッシジでのクリスマスコンサートから。
Concerto di Natale 1 - Cura



●Puccini Messa

2006年アッシジのコンサートから、プッチーニのミサ曲を。
Jose Cura 2006 Puccini Messa



●The Lord's Prayer 

アメリカのアルバート・ヘイ・マロッテが作曲した「主の祈り」を。
Jose Cura "The Lord's Prayer" (Albert Hay Malotte)



●Agnus Dei
2007年のウィーンのクリスマスコンサートから、ジョルジュ・ビゼー作曲アニュス・デイ(神の子羊)。
Jose Cura "Agnus Dei" Georges Bizet



●Benedictus
2007年のウィーンのクリスマスコンサートから、モーツァルトのレクイエムの第12曲「ベネディクトゥス」(祝福された者)。
Jose Cura "Benedictus" Mozart



●Hallelujah
最後は、2009年のウィーンのクリスマスコンサートから、ヘンデルのメサイアから「ハレルヤ・コーラス」。
Tamar Iveri, Bernarda Fink, Jose Cura, Boaz Danielと合唱
Jose Cura "Hallelujah"





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今年も間もなく終わりますが、世界各地で、テロや紛争、貧困と格差の拡大、差別と分断の激化など、さまざまな困難におおわれた年でした。
今、この瞬間も、家を失い、傷つき、苦しむ子どもたちが世界各地に増え続けていると思うと、胸が痛み、無力感にさいなまれます。

クーラは、これまでも何度か紹介しましたが、軍事政権下で青少年期を過ごし、経済的混乱から指揮者・作曲家の道を閉ざされたために、アルゼンチンからイタリアに1991年に移住しました。当時のことをふりかえって、現在のシリア難民の人々と自分を重ね合わせて語ったこともあります。当時イタリアで移民排斥勢力が増大したために、イタリアからフランスに移動せざるえないという経験もしています。こうした経歴を背景にして、クーラは自らのアーティストとしての原点は、音楽活動をつうじて、平和の種をまくことだと述べています。

もちろん音楽や芸術で、平和が実現できるというような簡単で単純なことではありません。
しかしクリスマスを前にしたこの時、世界から軍事的な紛争やテロが一掃され、誰もがささやかでも幸せを得られる社会の実現を心の底から願わずにはいられません。
希望を失わず、自分にできることを、自分の足元からやっていきたいと思います。












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(ガラ・コンサートとインタビュー) ホセ・クーラ 2016年ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル / Jose Cura / Dubrovnik Summer Festival 2016

2016-11-23 | コンサート



ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2016に出演したホセ・クーラ。これまで、(オープニング編)(写真展編)、さらに来年の演出予定に関する(告知編)を掲載してきました。

たいへんしつこくて恐縮ですが、最後に、2日目、2016年7月11日のガラ・コンサートの様子を伝えつつ、現地クロアチアでクーラが受けたインタビューから、興味深い内容を抜粋して紹介したいと思います。

インタビューは、いつも以上に踏み込んだ内容です。経済的危機と文化の問題、母国アルゼンチンとの関係、自身のアルゼンチンから移住した経験と移民排斥、シリア難民など現代の問題、商業主義と若手アーティストの使い捨てへの批判、クラシック音楽のエリート主義など、さまざまなテーマで率直に述べています。
なお、いつものことですが、原文がクロアチア語のために、翻訳に誤りや直訳による不十分さが多々あることを、あらかじめお詫びします。クーラのユニークで我が道をゆく生き方を伝えたいという思いだけでやっている稚拙な素人翻訳で、すみません(>_<) 





Dubrovnik Summer Festival2016 Gala concert
Croatian Radio and Television Symphony Orchestra
José Cura= tenor
Linda Ballova= soprano
Mladen Tarbuk= conductor

コンサートでは、前半が、ヴェルディのオテロからアリアやデュエット、後半がアルゼンチンなど南米の音楽が中心に演奏されたようです。
まずは、ガラコンサートの全体の様子を伝えるダイジェスト動画を。
クーラの登場の様子やソプラノ歌手とクーラの歌、会場の様子とクーラのインタビューなどが映っています。
クーラは、「サウナのような暑さ」をいいつつ、観客が素晴らしく、良いコンサートだったことなどを語っているようです。

Gala concert
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ピアソラのChiquilin de Bachin= チキリン・デ・バチン(バチンの少年)を歌うクーラ。
画像をクリックすると、クーラのFBの動画にとびます。



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――2016年「NACIONAL」のインタビューより   → 原文のページ

Q、ドゥブロヴニクの印象は?

A、到着したばかりで、まだ多くを言うことができない。リハーサルをして、フェスティバルのオープニングとガラ・コンサートをやった。私は街を歩いていない。唯一、ホテルとメイン広場を見た。しかし、ここがユニークな歴史的、建築空間であることを確信した。私の家族は私より先に到着して、本当に熱心だった。

Q、オープニングコンサートでは、歌と指揮をおこない、観客を喜ばせたが、どのようにしてそれをやるのか?

あなたがプロではないと、外からはすべてが困難に見える。サッカーと同じで、すごいことのように見えるが、しかし、あなたがどうやっているのか不思議に思うことを、サッカー選手は簡単にやる。仕事の一部について、あなたが専門家であり、訓練を受けているならば、痛みを伴う運動を意味することがあっても、何も難しいことはない。
私は15歳でステージに立ち、間もなく40年になる。奇跡や偶然、運によるもの何もなく、ただ非常なハードワークの結果だ。

ドゥブロヴニクでは、塔の上で歌うために、登ったり降りたりしなければならなかった。気温40度と高湿度のなかでは厳しい身体活動だった。
2日前にリュブリャナでオテロを演じたので、私のカレンダー上でコンサートの日程を確保するのはかなり複雑だった。幸いにも頻繁な便があり、どうにか可能だった。

オープニング・プログラムは、伝統的な要素を含み、聴衆とコミュニケーションをとり、華麗な女優OlgaPakalovićがガブリエル・ガルシア・マルケスによって書かれた最後の手紙からスペイン語の詩を話す部分など、本当に感動的な瞬間だった。

ガラ・コンサートでは、今年没後400周年を迎えたシェイクスピアを記念して、私は最初の部分でオテロを歌った。
オープンスペースでのコンサートはとても繊細で、鳥の鳴き声も非常に騒がしい。そのような環境では、必要な親密さを作り出すことは困難だ。
コンサートの第2部では、ラテンアメリカとスペイン音楽との関係を中心にして、美しいオーケストレーションで4つのラテンアメリカのラブソング、バラードを歌った。それらのうち、いくつかは国際的にも知られており、人々の反応は予想以上に素晴らしかったと聞いた。





Q、何年も前、90年代初頭に、あなたはアルゼンチンを後にした。あなたは魅力的な国際的なキャリアを作り、後悔していないと思う。もしあなたがあなたの国に残ったら?

A、そうはならなかっただろう。
まず第一に、アルゼンチンは地球の向こう側にあり、本当に世界の出来事から遠い。
そこで何らかの地元のキャリアを持つことはできる。私には、アルゼンチンに残り、そして依然として生き残るために苦労している多くの友人や同僚がいる。しかし劇場がわずか2つか3つしかないので、まともな人生を送ることができる程度に仕事のスケジュールを満たすことは非常に困難だ。
ブエノスアイレスには大規模な劇場テアトロ・コロンがあるが、ロサリオ、メンドーサなどの都市ではより小規模で、プロフェッショナルが生き残れるような強力な活動はない。したがって、チリ、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル...彼らは多く旅をしなければならない。厳しい戦いだ。ドイツが120以上の劇場を持つような、ヨーロッパとは対照的だ。





Q、アルゼンチンを長らく支配してきた政治的、経済的混乱が文化や芸術にどのような影響を及ぼしている?文化は常に最初の犠牲者?

A、実際には、文化に関する混乱がある。文化を扱うカルチャー・ビジネスと混同しないでほしい。これらは同じではない。

アルゼンチンの経済危機以来、軍政の後の経済混乱がまだ回復していなかった時期ほど深刻ではないが、道徳的危機ははるかに悪化した。経済危機は実際には道徳的危機の結果である。人口の半分がお金を持っていて、それ以外の半分が持たないのならば、それは道徳的危機だ。しかし、経済危機はビジネスや文化に影響を与えている。

文化のためのお金がないと、人々は無知のままになる、とよく言われる。私はそれには同意しない。図書館は無料で、博物館への入場も無料、もしくは非常に安く、学生や年金生活者の場合は無料だ。そしてそれはアルゼンチンについてだけではなく、世界について話していること。すべての政府の同じ決まり文句 「お金がないと、文化が低下する」。私は、人間が文化に関心があるならば、そうはならないといいたい。学生ならば、スカラ座のコンサートにわずかなお金で行くことができる。もちろん、一番良い席ではないが、そこは文化とは関係ない、社会的、政治的な自己顕示欲に関係すること。これはポリティカル・コレクトネスではないかもしれないが、私は偽善の別名であるポリティカル・コレクトネスを嫌う。もし、あなたが読んでみたいと思えば、また世界やヨーロッパのギャラリーや博物館で芸術と出会いたいのであれば、それは無料または非常に安価だ。

Q、文化に飢えているなら!

A、もちろん、あなたが飢えをつのらせているなら。しかし、今最も訴えているのは、文化事業に生きている人々だ。私を含め、私は実際にプロだ。私たちは、好きなのでこの仕事をしているが、アーティストと演出家、舞台裏で、主に、よりお金について考えている人々を意味する。アーティストたちは、この職業について、彼のキャリアの中でさらなる進展がなく、その職業で生きていくためにはますます激しく戦わなければならないほど困難であると感じて、対処し始めている。それでは生活のために職業を維持することは困難だ。それはリスクだ。

プロフェッショナルになるほど、仕事において非情でハードになる危険も大きく、あなたがしていることの本当の価値、芸術の本質についての概念を見失ってしまう。それは、人々とのコミュニケーションと感情の交換であり、人々に良いエネルギーと、可能な場合には笑いを伝達する能力だ。





Q、国際的なスターとして、あなたは母国アルゼンチンでの音楽シーンの発展を助けることができると思う?

A、アーティストとその国との関係は、常に非常に議論の余地があるものだ。「誰も彼の村では預言者ではない!」というイエス・キリストの言葉がある。
私は、アルゼンチンにおいて最終的に認められるのに25年以上かかった。国民はそうではないが、行政からはそうだった。昨年、彼らは、私に、上院による特別表彰を与えたが、それは観客だけでなく、行政機関によって認められたということ。しかし、それ以外には、残念なことに、それを無視しようとする理由のために、国とその機関との流動的な関係はない。

ある者は意見を大声で表明することもできる。おそらく、私とアルゼンチンの機関の間には強い兄弟関係がないので、私は政治について、静かにしていることができる。私が言っているのは機関の考えのことであり、聴衆が私を好きでいてくれることは知っている。
行政機関は誰が権力を持っているかに応じて、常に愛と憎しみの間にある。幸いにも、これは3年から4年ごとに変化しているが、どこにでもあることだ。一番の例は、おそらくこれまでにおいても、現在でも世界最高のサッカー選手であるリオネル・メッシだ。彼は、ヨーロッパに来て英雄になるまで、自分の国でそれを経験しなかった。

Q、あなたは何年も前にヨーロッパに到着したが、北と南、南米とヨーロッパの違いについてどんな経験を?カルチャー・ショックは?

A、イエス、私は財布に2つコインをもって、90年代初めにイタリアに到着した。私は仕事がなく、家族と共に生き残ろうとしていた。最初のショックは、私が絶対的に何もない者になったこと、お金もなく、私はドアをノックして、「私に仕事はないだろうか」と尋ね回らなければならなかった。

それは、私にとって、各地からヨーロッパへ何千もの難民が到着している状況を非常に連想させる。
もちろん、私はミュージシャンであるという利点があった。実際、私は、ミュージシャンであると主張したが、まだ証明していなかった。そう、私はテノールだったが、私はそれを証明しなければならなかった。私はアルゼンチン人で、シリア人ではなく、テロリストの支配する国から来たわけではなかった。これらはまだ酌量できる状況だったはずだが、当時のイタリアでは非常に困難だった。実際、ちょうど分離主義者とファシストの党、北部同盟が出現した時で、私は北部同盟がもっとも強かったヴェローナに住んでいた。そして外国人が排斥されたために、私は離れなければならなくなった。

実際には、私の祖母はイタリア出身であり、何人もの親友がいて、私はイタリアを本当に愛している。しかし彼らは私を失い、そして、私は国際的なスターとして、それらを使用するようになった。
その後、フランスに移った。そこはとても良かったが、主に天候のために、スペインに移り住んだ。パリは雨が多く、ラテン系の私たちには多すぎた。





Q、あなたは商業的なクラシック音楽産業を嫌っており、そのため、仕事を手配するエージェントを持たないと聞いたが?

A、私は業界を嫌っているわけではない。しかしその業界が、品質に十分注意を払うことなく、獲得した結果であるマネーに基づいている時、それを嫌う。

時には、本当に良い者が、国際的に有名になることがある。それは問題ではない。
時には、いくつかの奇妙な理由で、より有名になり燃えあがる。実際には、経験から話すと、それは「とりあげる、使う、却下する」というモットーの下で、放り出されるだろう。これが今日、若いアーティストたちに対してやっていることだ。
いくつかの興味深い可能性を検出すると、実際のメリットと理由もなしに、彼らに一晩で大スターに変身できるという錯覚を与える。ロマンティックな言葉を使うと、それを才能と呼ぶかもしれない。しかし、才能は単なる種であり、それは大樹ではない。まだ家を建てられるだけの多くの木を持たず、種だけがある。彼らが「キャリアを築いている」という時、それが今日、若い人々に起きていることだ。しかし才能以外、何ももたない。そして幻想を与えられた彼らは、若くて理想主義に満ちているので、それを信頼し、使い捨てられる。彼らを保護し、彼らのプロフェッショナルとしての発展を助けるのではなく、わずかな期間にそれらを打ち上げ、悲劇を起こす。

いくつか非常に有名な例がある。 エイミー・ワインハウスのことを考えてみてほしい。プレッシャーによって倒れた。彼女は次のバーブラ・ストライサンドになる可能性があった、素晴らしい声と才能をもつ若い女性であったことは否定できない。しかしバーブラは、長く日陰で歩み、ステップを前に踏み出すに十分強くなるまで、自分の時を待って、そのようになった。

いまは、若い世代にとって非常に危険な時だ。私たちはすでに確立されており、自分を外部から守る方法を知っている。しかし若い人たちはそうではない。
これは業界への憎しみではなく、業界内で、自身の利益のためだけにそこにいる者への憎しみを意味する。





Q、あなたは第4のテノールとしてメディアに扱われたが、それはあなたへの侮辱だった?

A、おそらくいまだに私を第4テノールと表すことはないのでは!?これは前世紀のものだ。

しかしながら、私が第4のテノールだと想像すると、それは私への侮辱ではなく、他の3人に対してだ。彼らは私の父の年代であり、伝説になるための莫大な操作に投資しているという、単純な理由から。
私は自分より若い若者と比較されるべきではない。そう、今、私はこのビジネスで30年間やってきた。私が「第4のテノール」といわれ始めたとき、私は言った―― ちょっと待ってほしい、私はまだ、ただの子どもだ!

Q、3大テノール、世界中での大規模な有名なオペラ・アリアのコンサートなど、このようなコンセプトでのクラシック音楽の普及についてどう思う?

A、私はクラシック音楽の普及を問題だとは思わない。私が問題だと思うのは、クラシック音楽のエリート主義だ。
それが書かれた当時、楽しみのための音楽であり、これは過去におけるポップミュージックだった。一般の人々のための音楽であり、エリートのための音楽ではなかった。

エリートのための音楽は教会音楽だった。それ以外の、300年から400年前の音楽は、すべての人のためのものだった。それは20世紀に始まり、この文化の断絶は、人々の間での分裂など、多くの深い理由からのものだ。政治家がそれらを操作する。

このような音楽の分裂はばかげている。シューベルト(Schubert)と同様に、ジョン・レノン(John Lennon)、マッカートニー(McCartney)の曲は良い。





Q、あなたは、主に指揮者として教育を受け、後に歌うようになり、それから演出、舞台デザインを手掛けるなど、真の意味で舞台をコントロールしている事実によって、世界の音楽シーンにおいて独特な存在だが?

A、私は目障りといわれている!

Q、私はクロアチアで、それを行うことができる人を知らないが?

A、あなたは世界中の人を知っている?私はこの質問を受けるとき、傲慢になりたい。なぜなら、私がすべてのことをやっていることで、非常に批判されるからであり、傲慢でいることは本当に大事なことだ。




Q、他にもあなたは写真家として?

A、私は言葉の真の意味での写真家ではない。写真は私の趣味。
人々は通常、音楽を趣味にするが、しかし私はミュージシャンであり、私たちは音楽を趣味になることができない。私は何か他のものを見つけなければならなかった。
私はいつも、自分の作曲は良いと思っていたけれども、写真は、スイスの出版社が出版することを提案するまで、公開するつもりはなかった。私は、人々が、私をふくむ公的な人物が、何を愛し、何を嫌い、どのように自分の周りの世界を見ているのか、理解したいと思っているという事実に興味をもった。だからこそ彼らは、私の写真や、パヴァロッティの絵や本を買う。ドゥブロヴニクでそれらの一部が公開される。







最後は、アンコールの定番、トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」
Jose Cura



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暑い夏の野外コンサート、スケジュール調整など、いろいろな困難な条件はあったようですが、歴史と伝統のあるサマー・フェスティバルで、指揮と歌、そして写真という、クーラの多面的な能力が発揮される場となり、大喝采をうけて大きく成功したようです。さらに来年2017年のフェスティバルでは、プッチーニのトスカを演出することがアナウンスされています。このフェスティバルとクーラとの関係が、さらに続いていくことを願いたいです。

またいつも率直にものをいうクーラですが、このインタビューでは、「偽善の別名であるポリティカル・コレクトネスを嫌う」といい、かなり逆説的な言い方もしていて、クロアチア語からきちんと真意が伝わるようにできたのか、たいへん心配なところでもあります。疑問に思った方は、ぜひ、原文のページをご覧ください。

シリアをはじめとする難民問題への言及は、とりわけ彼自身の辛い経験と結び付けて語られていて、胸に迫りました。移民排斥の政治勢力が伸びるなかで、祖母の地であったイタリアから追われるように離れたというのは、初めて読んだエピソードです。
若いアーテイストたちに心を寄せた商業主義批判は、彼自身も体験したことでもあり、また自分の決断で断ち切り、自分の足で自分の道を切り開く決意をしてこれまでやってきたクーラならではと思います。

日本ではこういう彼の姿や発言は、まったく紹介、報道されることがありません。そのため語学力のなさをかえりみず、無謀にも訳してみました。内容の誤りはすべて私の責任であり、それについては申しわけありませんが、ぜひ、クーラのユニークで我が道をゆく姿勢の一端を知っていただければと思います。読んでいただき、ありがとうございました。










*写真はフェスティバルのHPなどからお借りしました。
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(オープニング・コンサート編) ホセ・クーラ 2016年ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル / Jose Cura / Dubrovnik Summer Festival 2016

2016-10-24 | コンサート



ホセ・クーラは、この夏、クロアチアのドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2016に、7月10日のオープニング・コンサートで指揮者として、さらに翌11日のガラ・コンサートでは歌手として出演しました。

フェスティバルの概要については、少し前の「(告知編) 2017年 ホセ・クーラ トスカを演出 in ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル」でも紹介しましたが、クロアチアの世界遺産に登録されている美しい街ドゥブロヴニクの伝統あるフェスティバルで、毎年7月から8月の1か月余りにわたり、演劇やバレエ、オペラ、コンサートなどが行われる、大変歴史もあり、人気もある行事だそうです。
* フェスティバルについては → 2016プログラム HP

今回は、オープニング・コンサートの様子を紹介したいと思います。
ドレスリハーサル、そしてオープニング本番のそれぞれの画像や動画が、フェスティバルのFBやメディアに大量に掲載されました。

また、クーラへのインタビューもアップされています。直接、フェスティバルに関することは少しだけですが、現代のアーテイスト、演出家について、母国への思い、ディーヴァたちについて、オペラにおける歌と演技、キャリアについて、家庭生活など、多岐にわたる非常にたくさんの質問で、クーラという人を知るうえで、おもしろい話が多いです。とても長いですが、興味のある設問だけでも読んでいただければと思います。
なおいつものことですが、語学力の問題で、訳に誤りや不十分な点が多いと思います。すみませんが、大要をつかんでいただければと思います。







まずは、コンサートの一部を撮影した動画を。
7/10オープニングコンサートでヴェルディのオペラ、ナブッコの「行けわが想いよ黄金の翼に乗って」。後半、コーラスと一緒に歌いながら、楽しそうに指揮。
José Cura - Va Pensiero - Dubrovnik Summer Festival 2016


こちらはプッチーニのオペラ、つばめの一場面、4重唱「あなたのさわやかな微笑みに乾杯」。指揮者のクーラも歌に仲間入り。つばめは、演出・指揮をしているが、最近は歌うのはめずらしい。
Bevo al tuo fresco sorriso - Cura, Suriani, Korac, Ballova


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教会の塔のうえで、道化師のプロローグを歌う


――ドゥブロヴニク・サマーフェスティバルにむけたインタビューより(2016年)

●促成された浅薄、凡庸ではなく、自分らしく、より深い生き方を
Q、あなたは、これまでもクロアチア(リエカ、ザグレブ)で演奏してきたが、ドゥブロヴニク・サマーフェスティバルは初めてだ。何を期待する?

A、私はクロアチアで数回行ったことがある。クロアチアのミュージシャンの素晴らしいプロ意識とその国民の偉大なエネルギーを十分感じることができた。
ドゥブロヴニクは初めてだが、都市がいかに美しいか、よく知られているので、とても楽しみだ。

Q、あなたは、何十年もの間、世界のオペラのステージに立ってきたが、あなたの世代の歌手と、現代の歌手たちとの違いを感じることがある?

A、前の世代の歌手と現在の歌手との間の違いは、一般社会におけることと同じだ。もちろん、例外もあるし、一般化は常にリスクを伴う。
しかし、最も顕著な違いは、かつては、名声には品質を伴っていたが、今日では、もしあまり良くない場合でも、有名になることができることだ。時には、まったく良くない場合であっても。
観客が「もみ殻から小麦をより分ける」方法を知っているのなら、これは大きな問題ではない。しかし、今日、どの製品の消費者も、長期熟成よりも、「促成」の方を好む。

だから我々は、「現瞬間」のサッカー選手、「現瞬間」のトップモデルを持っている。「現瞬間」の政治家、「現瞬間」のテノール、「現瞬間」のポップ歌手、等々。そして、この瞬間とは、ごく短い期間...。この世界的な現象は、より深い生き方を損ない、ますます浅薄なものをもたらす。その結果は、はかない魅力のまばゆい光を装う、かつてないほどの凡庸さだ。

Q、マスタークラスでの生徒へのアドバイスは?

A、“Be yourself, everybody else is already taken”.
「自分自身であれ、他の人の席は皆、埋まっているのだから」




●自分自身を実現させるための向上心、自分に対して最大を求める
Q、あなたの野心は、指揮、作曲、プロデューサー、演出、歌、デザインや写真撮影などのキャリアにおいて、どの程度までの動機となっている?

A、まず、「野心」を定義する必要がある。「経済的な貪欲さ」というのであれば、それは私には「ない」。
多くのことをするのは、実際は、稼ぎを減らす一番の方法だから・・。トップテノールの出演料は、指揮者または演出家の報酬よりもかなり高いので、もし私がすべての時間を歌うのなら、はるかにたくさん稼ぐだろう。しかし、満足感はより少なくなる。

逆に、「野心」の言葉の本来の意味にもとづいて、目標を成し遂げるためにいくつかの経路をとるというのならば、それは「イエス」。
「向上心」は、私の人生をコントロールするもの―― 全面的に満ちた解釈者として、自分自身を実現するために。

Q、あなたは常に、すべてのプロジェクトの中で、自分自身と他の参加者の両方から、最大のものを求めている?

A、人々からベストを引き出すには、独裁的に圧力をかけるのではなく、実例によって示すことだ。だから私は、常に、他の人々に対してより、はるかに多くのことを自分に求めてきた。




●真のプロフェッショナル、良い演出家と悪い演出家
Q、あなたは、指揮者や演出家との、良好な相互作用を持っている?

A、両方において、彼らが本当の専門家であるならば。
残念ながら、「文化ビジネス」は、非常に「とらえどころのない」状態にあり、多くのはったりの存在を許している。プロのパフォーマーであると主張している全てが、本当の専門家ではない。

私が通常、活動しているレベルにおいて、歌手も、楽器奏者も、ステージ技術者も、その分野でより良くなるために、人生の長い年月を投資してきた人々であることを忘れてはならない。彼らはあなたの無知を広めるためにそこにいるわけではない。ハードで効率的な働きぶりで、彼らの尊敬を得る必要がある。

Q、現代の演出家は、ステージングにおいて、誇張が多い...?

A、良い演出家と悪い演出家がいる。歌手や指揮者にも良い、悪いがあるのと同じように。しかし問題は、歌手ならば、歌えないならステージにあがることはないが、演出家は、はったりでも可能で、その場所に、「友人」とともに、すすむことができる。それらの多くは、そのままでは役にたたないが、汚い仕事をするための素晴らしいアシスタントを持っていて、彼らによって信用を得ている。
とにかく、私は、良い演出家が、レギュラーのパフォーマーを向上させることができるのと同様に、良いパフォーマーは、常に、多かれ少なかれ、悪い演出家を救い、舞台を前にすすめるだろうと信じている。理想的とはいえないけれども...。

Q、オペラの作品の古典的な解釈を好む?それとも新しく前衛的なもの?

A、私は、知的な解釈を好む。流行は重要ではない。まれではあるが、良い手の中にある時は可能だ。




●母国アルゼンチンへの思い
Q、オラシオ・アマウリとヴィットリオ・テラノバ(アルゼンチン時代とイタリア移住後のクーラの歌の先生)は、ボーカルスキルの形成にどれくらい重要な役割を?

A、人生において出会ったすべての人と同様に大切であり、それが最も成長する時期においてであるなら、なおいっそう。もしその人物が、トップクラスで、素晴らしいメッセージを送ってくれる良い教師であるとしたら、それは夢のようなことだ。 
私はオラシオとヴィットリオを尊敬している。ただ私を教えてくれたというだけでなく、私の人生のなかで、崖から落下せずに登っていくための「足がかり」を求めていたその時に、それを与えてくれたからだ。

残念なことに、オラシオは少し前に亡くなった。彼はまだ若かったし、その死はブエノスアイレスの歌のファミリーに大きな穴を残した。

Q、あなたはどのくらいアルゼンチンと結びついている?アルゼンチン人とはどういう人々?

A、自分のルーツを否定する人間は、枯れる運命にある植物のようなものだ。アルゼンチン人は、さまざまな国からの人々による巨大なカクテルの結果であり、いろんな食材をミックスする時のように、その結果は、時には、おいしく、時々・・。

私は、原点である私の国を愛しているし、そして母国との芸術的な関係がとても少ないことを残念に思っている。政治と芸術が同じことのまわりに巻きつく時に起こる。こういう異常で、また残念ながらとても一般的な結びつきにおいて、そのどちらかがリスクを負うことになるのは、簡単に推測できるだろう。




●偉大なディーヴァたちから学んだこと
Q、あなたはミレッラ・フレーニ、カティア・リッチャレッリ、モントセラト・カバリエから、現代のエレーナ・ガランチャやアンナ・ネトレプコまで、世界で最も偉大なオペラのディーヴァと共演してきた。態度や仕事へのアプローチの違いを感じる?例えば、フレーニとネトレプコの間で?

A、誰ひとりとして、ハードワークと多大な犠牲なしには、ディーヴァになる資格に到達することはできない。

私は、ミレッラが間近で歌うのを見て、非常に多くの技術的なことを学んだ。カティアから、繊細でありながら、タフになる方法を学んだ。とても年をとっても、非常に確固としたカバリエとステージを共有することにより、ガッツの意味を学んできた。

エリーナは、仕事のうえでの私の親友のひとりで、プロフェッショナルがどうあるべきかの注目すべき実例だ。完全に仕事と家庭のバランスをとる、素晴らしい経歴を持っている。そして、アンナは、彼女の成功が、彼女がかわいい女の子であるという事実によるものではないことを、全ての人々に対して証明している...。

●メニューインのオーケストラを指揮
Q、ユーディ・メニューインの後継者として、いくつかのシーズン、シンフォニア・ヴァルソヴィアをリードするために選ばれたが、それはどのような経験?

A、非常に光栄なことだった。メニューインの指揮台を継承するという意味だけでなく、オーケストラの信頼を得たという意味でも。当時、シンフォニア・ヴァルソヴィアは、エキスパートたちの印象的なグループであり、そこから私は多くのことを学んだ。
彼らとともに働くことは、私の指揮のスキルを大いに向上させてくれた。




●レパートリーについて
Q、イタリアのレパートリーを歌うとき、イタリア人の考え方、コミュニケーションの方法を知ることは重要か?同様に他の国、他の言語についても?

A、より多くその国家の個性を理解し、自分の芸術のなかにより良い内省をもつことができる。

Q、一番好きなレパートリーは?

A、作曲の歴史的な時期とは無関係に、私には、自分の感情に「触れない」だけでなく、「技術的な満足」への空腹も満たしてくれない作品を演奏するのは、つらいことだった。人生において、傑作に挑戦する機会を持つことは、人間が試みる最もやりがいのある経験の一つだ。

●キャリアと現段階
Q、あなたは今日、どのような段階にある?

A、私自身は、まだ「4分の1」の月だとはいわないが、しかし、「満ちつつある半月」だということができる――決して立ち止まってはならない、決してそれが当たり前だと思ってはならない。

Q、あなたのキャリアの中で、ある役柄があまりに早く来たために、声や肉体的な面で十分に準備ができていなかったことは?

A、私が歌ってきたそれぞれの役柄が、適切なタイミングで行われてきたという証拠は、25年間の国際的なキャリア、そしてほとんど40年間、ステージに立ってきた後に、今も私が元気で活動できているということだ。

もちろん、私たちはみな、経験の光の下で物事をやり直したいと思う。しかし、これは私たちがそれらをしたとき、誤ってやった、という意味ではない。ただ「若くして」おこなったということ...。

Q、メディア、音楽専門家やファンが、あなたに24時間スターでいることを期待するのは、あなたにとっては負担?

A、イエス、それは問題であるかもしれない。それが私の人生だった。私が「ゲーム」の表層を断ち切ることを決めるまでは。
有名であるなら、ファンやメディアから、必然的にいやがらせの対象になるというのは、本当ではない。人は、植えたものを収穫する。

Q、歌手のキャリアが、人間の声のような微妙で繊細なものに日常的に依存しているということは、負担になる?

A、短命なものに依存するのが、あなたの人生でなく、あなたのキャリア、職歴だけであるのなら、それは問題ではない。あなたの仕事とあなたの人生を、同じフライパンに入れてはいけない…。




●聴衆との関係について
Q、コンサート後、聴衆は「ブラボー」を叫び、花を贈るけれど、あなたはその晩の自分自身に非常に不満があるということは?

A、誠実な聴衆の真の愛は、1回のパフォーマンスの技術的な結果と結びついているわけではないが、コミットメントの程度による。

あなたが表面的な愚か者でないのなら、彼/彼女が素晴らしい体を持っているという理由だけで、恋に落ちることはない。
同じことが、アーティストと聴衆との間の愛に適用される。この素晴らしい感情、それは長年の交流の結果であり、ハイノートを歌うことへの、はかない「熱狂」と混同すべきではない。

Q、テノールは、精神的に落ち込む傾向があるという神話は?

A、私も憂鬱になる時がある。脳が活動しているすべての人間と同様に。...しかし、それは、私のビジネスには関係がない。

●オペラにおける歌と演技
Q、あなたはテノールの中で最高の俳優の1人であると言われているが、ボーカル・パフォーマンスだけでなく、よい演技をすることは重要?

A、そう、しかし一部の人々は、同じ理由から、私の演奏を好きでない..。
彼らは、「良い演技を見たければ、演劇に行く。私がオペラに来るとき、私はただ、歌を聞きたいのだ...」と。

私にとっては、良い演技は、良いオペラパフォーマーのための絶対必要条件だ。

驚くことだが、そしてここから問題が始まっているが、ほとんどのオペラ界では、このことが主要な問題ではない。あなたが適切に歌える場合、音楽学校に入学すると、たぶん誰かが、あなたの「歌手の頭脳」に必要な演技力を注入してくれるだろうと、希望的に考えるかもしれない。しかしそれは違っている。
しかしオペラパフォーマーを訓練する学校に入る試験は、歌と演技の両方で、同じように厳しくあるべきだと思う。そうでなければ、適切なショーをやるべき時に、我々が知るすべての問題が起き、キャリアをスタートから損なってしまう。

俳優は俳優、歌手は歌手だ。しかしオペラパフォーマーは、両方である必要がある:質と関わりあいにおいて、歌手や俳優と同じレベルであること。言うまでもなく、オペラパフォーマーは、ダンサーであり、ファイターでもあることが必要だ。主に男性は、役の多くで戦いの振り付けがある。

Q、あなたは自分の直感に耳を傾ける?失敗して間違った決断をしたことは?

A、直観は「過大評価」されている。私はいつも、非常に直感的だったが、それは、私がベストを得るために努力してきた経験にもとづいて、その使い方を学んだ時だけだ。




●仕事とストレス
Q、あなたの人生はタクシー、空港、劇場、ホテルの部屋の間を行き来し、人々が信じるほど華やかではない。そのような生活はストレスが多い?

非常に。とても多く、私はそのために個人的に多大な犠牲を払ってきた。まるで遊牧民のような生活を長年してきたので、今は、健康の観点からだけ見ている。このごろは、私は自分の将来を「再調整」することを真剣に考えている..。

Q、あなたは、あなたの名前とクーラのブランド、あなたのために働くチームに責任を感じる?

A、かつて、たくさんの人が、私と一緒に「食べる」だけではなく、それらの多くが「私から食べている」...そのような時があった。しかし、もう、今はそうではない。私が、私自身の権利でアーティストになるために、製品であるのをやめた時から、私は、ただお金を稼ぐことだけが狙いの人からの関心を失った。その反対に、私のモラルを評価する人たちから、尊敬を得た。ここまでは順調といえる。

Q、近年であなたの最も著名な役の一つはオテロだが、その後にくるのは?

A、ワーグナーのタンホイザーが2017年1月、ピーター・グライムズを同じ年の5月。私はこの2つの完全に異なる挑戦が、私のキャリアに全く新しい次元を追加することを期待している。

Q、稼いだお金の投資は? 今日の物質的な世界で、お金の重要性は?

A、日常の現実的なニーズに対処するためのお金の重要性を否定することは、偽善的だ。しかし、お金がすべての問題を解決すると考えることは、愚かしい。

Q、パフォーマンスの後にどうやってリラックスする?

A、レストラン、またはルームサービスが終っているために、自分のホテルの部屋に戻ってピーナッツを食べる回数は、人々が考えるよりも多くなっている。私の好ましい状況の一つは、一緒に働いてきた人たちとのショーの後、テーブルを共有し、一緒にクールダウンすること。




●年とともに、ますます時間が足りなくなる
Q、朝の7時から真夜中過ぎまで、活動を持続しているにもかかわらず、あなたにとって1日は、まだ短かすぎる?

A、常に。そして私が年をとるにつれて、さらに悪化している。若い時、私の場合、より若い時、それぞれの日は、数えて、覚えていることができる実体だ。しかし、年をとると、もっと時間が可溶性になる。月、週、日は、より速い速度で、連続して、一緒に溶けてしまう。

私が、私の後に残しておきたい全てのもの、私の遺産を完成させることができないという思いは、私を悩ませる…。パフォーマーとしての日常の仕事の上に、私は今、オテロのより良い理解のための大きな著書に取り組んでいる。また、初演が迫っている私の古い作曲作品に再び手をいれている。私の「マニフィカト」は、昨年の2月に初演され、オラトリオ「この人を見よ」はプラハで2017年3月に初めて公開される。

●キャリアと家庭
Q、キャリアのためにあきらめたことは?

人々の考えに反して、努力をすれば、キャリアと家族の生活のバランスを完全にとることができる。
簡単なことではないけれども、私は公演の間に数日あれば、休息をとる代わりに、いつも最初の飛行機で家に帰った。また、スケジュールが空いていても、私は多くのプロダクションを断ってきた。それは、少なくとも週に一度は家族に会いたいという私の願いのため。それは不可能ではない。

もちろん、そのために失ったものもあるが、しかし、私は重要な瞬間には、いつも家族とともにいた。そして、それを証明するのは、私の子供たちが今は立派な大人になっていることだ。また言うまでもないが、私は31年間、幸せな結婚生活を続けている。確かにこのビジネスでは珍しいが...。

過去の私の多忙な公的な経歴のなかで、私が残念に思っているのは、私が25年前にアルゼンチンを離れてから、私の親友たちとの大きな友情を確かめる、非常に多くの機会を逃してきたこと。しかし、新しい友人関係は、時間と献身を必要とするが、強く結ばれた友情は、永遠に続く、ということだ。長い間、そうできなかったことを、私は本当に後悔して、修正のために全力で試みている。そのなかで私は、自分が素晴らしい人たちに囲まれている幸運を実感している。繰り返すが、人生においては、あなたが植えたものを収穫する。




Q、あまり知られていない事実だが、あなたは、ボディビルダー、電気技師、大工などをやってきた。オペラスターというより、働く男の手を持っている?

A、人の手は、ただ単に物理的なものではなく、精神的な態度にも。

Q、写真家として、あなたは、満たされない人、不幸や孤独な人を多く撮影しているが、それはなぜ?

A、人間の最も貴重な資質の一つは、世界を観察することができることであり、そして、このような観測の結論として、良いものと悪いもの、その結論を活用することだ。
信じられないかもしれないが、人々の考えに反して、成功している者の最初の結果のひとつは、孤独。誰かに起こる最悪のことは、その仕事が「他人の皮膚の中」にいなければならないことだ。
苦闘すること、または少なくとも他者の波乱を理解する感性は、良い俳優になるために必要だ。

Q、クーラの名前をもったあなたの子どもたちの将来を心配する?

A、私の名前を身につけることは、彼らがクラシックの音楽家であるなら、おそらく有用であろう。しかし、彼らはそうではない。私の子どもたちは、すべての息子たちが誇りを持っているように、名前を「着る」が、一方で、それぞれの人生の中で、自分の名前を「仕立て」ていく。

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非常に多くの項目にわたった、長いインタビューでした。読んでいただき、ありがとうございました。
いつもながら、クーラらしさ満載の答えぶりだったと思います。自分の才能、与えられた能力を最大限に生かしきるために、また家庭のためにも、いつも全力投球、それでも時間が足りず、やりきれないことを残すかもしれないこと考えると、クレージーになると語るクーラ。どこまでパワフルな人なのか、驚くほどです。ぜひ、インタビューで答えているように、体には気をつけてほしいものです。

最後に、この動画は、オーケストラとのリハーサルの様子とクーラのインタビュー少々。後半、ノリノリで指揮している様子が楽しいです。
20160708



大切な家族も一緒に。














*写真はフェスティバルのHP,FBなどからお借りしました。
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1999年 ホセ・クーラ パリのコンサート Jose Cura "Italian Concert" in Paris

2016-04-15 | コンサート


1998年に初来日したホセ・クーラですが、その翌年、1999年にパリで開かれた「イタリアン・コンサート in パリ」での歌声を紹介します。残念ながら音声だけですが、Youtubeに多くの曲があがっています。

この時、クーラは36歳、世界的に注目され、まさに上り調子の時。96年にウィーン国立歌劇場、97年ミラノ・スカラ座、そしてこの年、99年にはメトロポリタンオペラ(MET)と、各地の主要な歌劇場にデビューしています。

クーラは1991年にアルゼンチンからイタリアに移り、声楽のレッスンを受け声を開発しながら、徐々にプロとしての舞台の場を増やしていきました。90年代末は、クーラの才能と努力が花開いた時期であり、またエージェントの売り出し方への疑問や矛盾に直面するなど、その後のキャリアにむけて大きな岐路ともなった時期でした。

もちろん現在も魅力的ですが、とりわけ若い当時の声は、とても輝かしく、みずみずしく、声楽の教師に「30年に1人の声」といわれるのも納得できる、独特の魅力にあふれています。録音だけですが、十分楽しめるように思います。以下、どれから聴いていただいても、また好きなものだけ聴いていただいて、もちろんいいのですが、一応、コンサートでの曲順どおりにならべて見ました。

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ヴェルディの「運命の力」より、第3幕ドン・アルヴァーロの「生きることは地獄だ、この不幸な者には…おお、あなたは天使の胸に抱かれ」。
この年、スカラ座にもアルヴァーロ役で出演しました。また今年2016年5月、ヴィースバーデン五月音楽祭で18年ぶりにアルヴァーロを歌います。
Jose Cura "La Vita E Inferno ~ O Tu Che In Sen" La Forza del Destino


ヴェルディの「エルナーニ」より、 第1幕「ありがとう、愛する友たちよ」
Jose Cura 1999 "Mercé, diletti amici" Verdi Ernani


ヴェルディ「ドン・カルロ」より、第1幕「彼女を失ってしまった」  ドン・カルロには何回も出演していますが、オペラ全曲は正規の録音も動画もありません。
Jose Cura 1999 "Io l'ho perduta" Don Carlo (Verdi )


レオンカヴァッロ「道化師」より、「衣装をつけろ」 カニオ役は「歌手として最後に歌うならこれ」というほど、クーラ自身も打ち込んでいる役です。
Jose Cura "Vesti la giubba" 1999 Pagliacci


プッチーニ「妖精ヴィッリ」より、 第2幕「ここがあの家 - 苦しい僕のこの思いを」 ヴィッリは1994年、クーラが初めて全曲ライブ録音した記念すべきオペラです。その後も06年にウィーンで、07年にジェノヴァで出演しました。
Jose Cura 1999 "Ecco la casa...Torna ai felici di" Le Villi


プッチーニ「エドガール」より、第2幕 「享楽の宴、ガラスのような目をしたキメラ」 めったに上演されないエドガールですが、さらにその4幕版の世界初演に主演しています。その時のことは別の投稿で紹介しています。
 →「2008年 プッチーニのエドガール 4幕版 世界初演
Jose Cura "Orgia, chimera dall`occhio vitreo" Edgar


プッチーニ「マノン・レスコー」より、第1幕デ・グリューの「見たこともない美人」 前年の1998年には、スカラ座でマノン・レスコーに出演しています(DVDもあり、リッカルド・ムーティ指揮、マノンはグレギーナ)。
Jose Cura "Donna non vidi mai " Manon Lescaut


プッチーニ「マノン・レスコー」より、第1幕デ・グリューの「美しい人たちの中で」
Jose Cura "Tra voi belle" Manon Lescaut


ポンキエッリの「ジョコンダ」より、「空と海」 1997年スカラ座デビューの時はこジョコンダのエンツォ役でした。どこまでも空につきぬけていくような歌声は、若い頃のクーラの魅力です。
Jose Cura 1999 "Cielo e mar" La Gioconda


プッチーニの「トスカ」より、第1幕の「妙なる調和」 カヴァラドッシ役はクーラがずっと歌い続けている役です。
最近の歌声は、別の投稿「2014年ハノーファーのトスカ」で紹介しています。
Jose Cura 1999 "Recondita armonia" Tosca


プッチーニ「西部の娘」より、「やがてくる自由の日」 
別の投稿「ホセ・クーラ プッチーニの西部の娘」で、2008年ロンドンのロイヤルオペラでのラジオ放送の音声やクーラの楽曲解釈を紹介しています。
Jose Cura "Ch'ella mi creda" La Fanciulla del West


チレア「アドリアーナ・ルクヴルール」より、「私の心は疲れ」
Jose Cura "L’anima ho stanca” Adriana Lecouvreur


クーラの故郷、アルゼンチンの歌曲
Jose Cura Anhelo


ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」より、第4幕「五月の晴れた日のように」、処刑を前にしたシェニエの辞世の歌。2006年のボローニャ歌劇場来日公演でも出演、DVDもあります。
Jose Cura 1999 "Come un bel dì di maggio" Andrea Chénier


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ホセ・クーラは現在、50代前半。年とともに少しずつ声は重くなりました。一方で経験と解釈の深まりによって、劇的で力強い歌声は、いまもとても魅力的です。


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2000年 ブダペストのコンサート JOSE CURA in concert Budapest 2000

2016-03-06 | コンサート


ホセ・クーラはハンガリーのブダペストで、これまで何回もコンサートを行っています。しかし、正規の映像が発売されているのは、この2000年のオペラコンサートだけです。
2008年に発売されたDVDには、特典映像として、"Star Without Cult"と題するインタビューがついています。家族のこと、音楽をはじめたきっかけ、音楽に対する姿勢・・など、さまざまな話とともに、ブダペストでのオーケストラと指揮のリハーサル、劇場やハンガリーの市街地で趣味のカメラを構える様子など、魅力的な映像も挿入されていました。

コンサートの曲目は、主にプッチーニとヴェルディのオペラアリアで、クーラが指揮したヴェルディ「運命の力」序曲や、プッチーニ「マノン・レスコー」間奏曲なども入っています。
アンコールも3曲歌い、まだ拍手がなりやまず、汗だくの額をタオルで拭きながら、観客の声援にこたえています。

クーラHPのDVD紹介


現在、アマゾンでは、DVDは在庫切れで入手が難しくなっているようです。画質はよくありませんが、Youtubeにあがっている何曲かを紹介します。

ホセ・クーラ コンサート in ブダペスト 2000
ファイローニ・ハンガリー国立歌劇場室内管弦楽団
JOSÉ CURA IN CONCERT BUDAPEST 2000
Artists: José Cura.
Conductor: José Cura, Janos Acs
Failoni Orchestra of the Hungarian State Opera




プッチーニのトスカから「星は光りぬ」
José Cura E lucevan le stelle Cavaradossi Tosca Budapest




レオンカヴァッロのラ・ボエームから "Testa adorata!"
José Cura Marcello (from La Boheme by Leoncavallo) Budapest


プッチーニの西部の娘から「やがて来る自由の日」
José Cura Puccini La fanciulla del West Ramerrez-2 Budapest


ヴェルディのマクベスから"Ah,la paterna mano"
José Cura Macbeth Verdi Macduff Oh figli, miei... Budapest




特典映像の一部をYoutubeから。インタビュアーにこたえて、7歳でピアノをはじめたが教師に「他の趣味をやったほうがいい」とすすめられたこと、指揮を学んでいたが、なぜ歌を始めたかなど、語っています。「運命の力」序曲のリハーサルの様子も。
Interview JOSE CURA in concert Budapest 2000


           

最後に、DVDには収録されていない、「アヴェ・マリア」を。
José Cura Bach - Gounod: Ave Maria Budapest 2000




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2015年5月 ホセ・クーラ & ロスト・アンドレア コンサート / Rost Andrea & Jose Cura in Gyor

2016-02-21 | コンサート


昨年2015年5月3日、ハンガリーのジュール(Gyor ジェール?)でホセ・クーラのオペラコンサートが開催されました。

会場は、ジュール・アウディ・アリーナ。ジュールには自動車会社のアウディの工場があり、その名を冠した多目的アリーナです。大規模施設ですが音響は非常に良いとのこと。この巨大アリーナに4000人の観客が、それも多くの若い人たちが集まったそうです。

  

共演はソプラノのロスト・アンドレア。英語風によぶとアンドレア・ロストですが、ハンガリーは日本同様に、姓・名の順によぶそうで、親しみを感じます。このコンサート直後の2015年6月には、ハンガリー国立歌劇場とともに来日して、モーツァルトのフィガロの結婚の伯爵夫人などに出演しました。

オーケストラはジュール・フィルハーモニー管弦楽団です。実はクーラは、このジュール・フィルとともに、この同じアリーナで、今年2016年4月23日、オテロの原作者であるシェークスピア没後400年のまさにちょうど記念日、ヴェルディのオペラ、オテロを初めて指揮する予定(コンサート形式)です。1997年以来20年間オテロを歌手として歌い、2013年に初演出、そして今度は指揮者としてオテロを振ります。もちろんクーラ本人は歌いません。「我々は若い歌手を育てる必要がある」と会見で話していました。





さてロスト・アンドレアとのコンサートですが、ハンガリーのネット・ラジオ、バルトーク・ラジオが2回、録音を放送してくれ、日本でも良い音質で聴くことができました。ハンガリーはネットラジオやネットTVがとても発達している印象を受けました。
コンサートでの曲が、音声だけですがいくつかYouTubeにあがっていますので紹介を。
円熟のベテラン2人のとても楽しいコンサートだったようです。
Concert: Gyor Audi Aréna, 2015
Rost Andrea & Jose Cura
Gyor Philharmonic Orchestra

レオンカヴァッロの道化師からカニオのアリア「衣装をつけろ」
Jose Cura 2015 "Recitar! ...Vesti la Giubba" Pagliacci


ヴェルディのオテロから第3幕、オテロの独白
Jose Cura 2015 "Dio! mi potevi scagliar" Otello


ヴェルディのオテロ第4幕ラスト、オテロの死 ”Niun mi tema”
Jose Cura 2015 "Niun mi tema" Otello


プッチーニのトスカから「星は光りぬ」
Jose Cura 2015 "E lucevan le stelle" Tosca


アンコールで歌われたヴェルディの椿姫「乾杯の歌」 途中でクーラがワインの栓を抜く音、グラスを鳴らす音が聞こえます。
Jose Cura 2015 "Brindisi" (Drinking song) La traviata


ヴェルディのオペラ、椿姫から、第1幕のヴィオレッタとアルフレードのデュエット
Jose Cura "un di felice eterea" 2015 La traviata


ホセ・クーラとアンドレア・ロストが歌うイエスタディ 12歳からギターを学んだクーラが弾き語りしています。アンコールの定番。
Jose Cura 2015 "Yesterday"


アンコールの最後はお決まりの、プッチーニのトゥーランドット「誰も寝てはならぬ」
Jose Cura 2015 "Nessun dorma" Turandot


最後に、コンサートの様子を報道したハンガリーのニュースの動画を。
Lélekemelő opera






写真はコンサートを報道したHPなどからお借りしました。
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