人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2006年インタビュー メイクなし、素顔のホセ・クーラ The Real José Cura

2016-04-29 | 人となり、家族・妻について


ホセ・クーラが2006年に受けたインタビューで、私生活、本人の生活、性格などについて、語ったものがあります。
たわいもない、身辺のことについて多く聞いていますが、飾らない人柄、普段の暮らしぶりが垣間見えるので、興味ある方(もちろん私も)にとっては面白いのではないかと思い、紹介します。この第1問と2問の性格について、1も2も「頑固」というのが、笑ってしまいました。自他共に認める頑固者ということですね(笑)。

すでに10年も前のことですので、現在とは、すでに変わっている部分も多々あると思います。ご了承ください。またいつものように誤訳、直訳、ご容赦ください。
原題"Without Make-up: The Real José Cura"

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●性格の主な特徴は?

頑固

●主な欠点は?

同じ。頑固すぎるところ。

●星座は?

射手座

●迷信を信じる?

全く全然

●大人になったら何になりたかった?

大人。“真面目な(シリアス)”とよばれる人間に。実際には、私は永遠の子どものままでいるけれど。

●これまで復讐を叫んだことは?

オペラのなかでだけ。実生活には、それにつながるものは何もない。

●印象に残った本は?

『The Mediocre Man』(『平凡な男』)。ホセ・インヘニェーロス、アルゼンチン哲学者の著書。しばしば、この本のいくつかの章、いくつかの部分を読み返す。



●現時点で、人生に最も欠けているものは?

やっていること、やりたいこと、すべてのための時間。決して十分に持てることはないように思う。

●お金の重要性についてどう考える?

正しく適切に。お金なしで生活する方法も知っていたし、そして今は、ありがたいことに、不足していない。そこには大きな違いがあることを認識している。

●心配していることは?

家族のなかで今ちょうど起きていることのために自分が存在していないこと。息子の野球の試合から十代の娘の初恋についてまで、その事柄の大小にかかわらず。主には、(公演で世界中をまわるため)家庭に不在の父親であることが心配だ。

●どのような権威と権力を持ちたいと思う?政治的役割は?

政治、それは絶対ない。芸術監督や音楽分野の他のポストのオファーを受けてきた。しかし今は、歌と指揮で、より多くの音楽をつくっていきたい。



●誰または何があなたを当惑させる?

当惑というよりイライラを感じるのは、私のキャリアの大部分が、もっぱら「外見が良い」ことに結びついている、とみなす人々に対してだ。私は自分自身が、真面目なプロフェッショナルとして証明されていると信じている。いわば強みと弱点もふくめて。
私のルックスはすでに時間の痕跡を示している。ますます髪はグレーになる。そのプロセスは容赦ない。

●最もリラックスして心を落ち着かせる状況は?

家にいる時。15日間ずっと家にいられたらと思う。

●学校で好きだった科目は?

正直に言って、私は学校はあまり好きではなかった。私はしばしば「アナキスト」だった――学校が課すルールからしばしばエスケープした。しかし、人文・社会科学系の科目は好きだった。

●好きな街は?

好きな街は持っていない。私は、世界の市民、本当に流浪の民だ。

●好きな色は?



●理想的な休暇は?

自宅にいること

●夜型?昼型?

仕事の時は、大幅に夜型になる。しかしもともとは、夜更かしはしない。

●好きな季節は?





●食べ物は?

ちょうど今、再びダイエットに行っていることを言わなければ..。それはデリケートな問題。しかしもちろん、食べ物ととてもよい関係を持っている。

●好きな料理?

何も飾りのないもの。プレーンパスタ。しかし、文字通り熟成したパルメザンで覆いつくしたような...。あなたは、私がパルメザンチーズを食べるために、飾りにパスタをかけていると言うかもしれない。

●赤ワイン?白ワイン?
もちろん赤ワイン。“Barolo”「バローロ」のようなフルボディのワイン。

●楽屋では?
私はスパルタ主義なので、特別なものは何もいらない。ただ飲料水のボトルと紅茶だけ。

●どのように死にたい?

可能であれば年をとってから。しかし、そうでなかったら2つの選択肢。1つは、病気とたたかっての英雄的な死、もう1つは、より簡単に、より苦痛のない死、眠っている間に。

●現在のあなたの考え方は?

最大限ポジティブに。

●あなたのモットー?
今を楽しめ-Carpe diem
この日をつかみ、最大限に活用せよ

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アンドレア・シェニエの解釈――信じるものを守るために立ちあがる Jose Cura / Andrea Chénier 

2016-04-29 | オペラ・音楽の解釈


ホセ・クーラの最後の来日は2006年、ボローニャ歌劇場のジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」でした。共演はマリア・グレギーナ、バリトンのカルログエルフィ。ボローニャでの公演がDVDにもなっていますし、来日公演をご覧になった方も多いかと思います。
 →クーラのHPのDVD紹介ページ

 

ボローニャ歌劇場でのリハーサル風景
Rehearsing Andrea Chenier in Bologna (exerpt)


クーラは、このアンドレア・シェニエを、共感できるオペラのキャラクターとしてあげています。
いくつかのインタビューからシェニエの解釈や作品論を、またいくつかのクーラの録音などを紹介したいと思います。

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●共感できるのはシェニエとトスカのカヴァラドッシ
人格的な意味で共感できる役柄は、アンドレア・シェニエとマリオ・カヴァラドッシ。両者は類似している。自ら信ずるものを守るために立ち上がり、そしてそのために死ぬ。

ジョルダーノのアンドレア・シェニエとプッチーニのトスカ、2つのオペラは構造も非常によく似ている。アリアの場所、デュエットの文脈、これらは実質的に同じだ。アリア「星は光りぬ」と「五月の晴れた日のように」は兄弟だ。

シェニエの作曲はトスカに4年先行している。シェニエと違って、トスカは途切れのない傑作だ。しかしシェニエとカヴァラドッシは、ともに人間的にポジティブ。ステージに行くたびに、「自分自身であること」を主張し、そして死ぬ。



――2014年ストックホルムでのインタビューより
●彼らは変革の萌芽

彼らは人々の魂に向けて語る。画家、作曲家、演奏者、哲学者、詩人など、いわゆる知識人であり、彼らは常に変革の萌芽である。

そのために彼らの多くは、身体的または社会的な死をも含む高い代償を払ってきた。アンドレア・シェニエはそうした人々の1人。彼は両方の代償を払った。最初は社会的な信用を奪われ、そしてギロチンに。

私自身が一種のドン・キホーテなので、シェニエであることにくつろぎを感じている。
シェニエの性格と精神を明らかにしている"Improvviso"(独白)は、真のプロテスト・ソング(抵抗の歌)だ。

●ジョルダーノは良い作曲家だが、天才ではなかった
アンドレア・シェニエのオペラ全体の中で、最も重要であり、キャラクターにとってのターニングポイントとなるフレーズの一つは、ぎこちなく音楽に埋もれたままになっている。
それは、“La eterna cortigiana curva la fronte al nuovo iddio”(同じ年老いた売春婦が新しい神にひざまずく)。群衆が新しい司令官に盲目的に熱狂している様をみながら、シェニエが言う言葉だ。

(キーとなるフレーズが埋もれていること等について)ジョルダーノは良い作曲家であったが、天才ではなかった。ヴェルディやプッチーニならば、このようなことは想像もできない。

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クーラがこのオペラ全体のキー・フレーズだと指摘したセリフは、ボローニャ歌劇場の公演DVDでは「永遠の奴隷だ!新しい神を拝もうと列をなして!」という字幕がついていました。確かに、音楽の流れの中に埋もれており、指摘されて改めて見なければ、このフレーズは印象に残らず、見落としてしまうと思いました。
フランス革命のなかで力を発揮し、その後の恐怖政治、反革命、混乱の時代のなかで断頭台に送られたシェニエ、そのシェニエをめぐる時代のうねりと転換点を見すえたシェニエの透徹した視点を示すフレーズが、オペラのなかで十分に生かされていないというのが、クーラの指摘なのだと思います。
クーラ自身、情熱的な熱血漢で、社会的関心も高く、シェニエの人物像に共感を感じているだけに、また、そして、作曲家、指揮者としても活動しているクーラだけに、シェニエの人物像、物語をより深めることに十分成功していないジョルダーノの音楽上の弱点を指摘しないではいられないのでしょうか。



クーラが人格的に共感できるという悲劇の詩人シェニエ、クーラのこれまでの動画や録音からいくつか紹介します。

1997年、ウィーンでコレッリを囲むコンサートより。「5月の晴れた日のように」。熱く歌いあげている。今の成熟した声、表現とはまた違う若い魅力がある。
Jose Cura "Come un bel dì di maggio" Andrea Chénier


同じく、シェニエの辞世の句「5月の美しい日のように」、1999年パリ、コンサートのため、やや明るめの表現でドラマティックに盛り上げている。
Jose Cura 1999 "Come un bel dì di maggio" Andrea Chénier


アンドレア・シェニエから第2幕の二重唱「甘美な時よ、崇高な愛の時よ!」を。2001年ベルリンでのコンサートより(音声のみ)。録音良くないが美しい。
Jose Cura 2001 "Ora soave, sublime ora d'amore!" Andrea Chénier


一番最近のもので録音がある、同じく「5月の美しい日のように」の2013年ウィーン国立歌劇場。解釈を深め円熟した味わいのシェニエ。革命の激動に散った詩人の生への哀惜、誇りと諦観が切ない。
Jose Cura 2013 "Come un bel dì di maggio" Andrea Chénier


最後に、上にあげたものとダブりますが、クーラの「5月の美しい日のように」だけを年代別に1999、2001、2004、2013年と並べたマニアックな(笑)ものを。こうして聴くと、初期の若々しい声の魅力とともに、年を重ねるごとの解釈と表現の深まりが聴きとれるように思います。
José Cura Andrea Chénier "Come un bel dì di maggio" 1999~2013










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(本番編) 2016 オテロを指揮 ジュールフィル Jose Cura / Otello / Gyor Philharmonic Orchestra

2016-04-27 | オペラの指揮


シェークスピア没後400年の記念日、2016年4月23日、ホセ・クーラは、ハンガリーのジュールで、ジュールフィルハーモニー管弦楽団を指揮して、ヴェルディのオテロをコンサート形式で上演しました。ジュールフィルはこのコンサートの直後に、日本ツアーに出発しました。ツアーの成功、そして今後も、クーラとジュールフィル、日本との縁がさらに深まることを願っています。

当日の様子やリハーサル、直前に受けたインタビューなどを紹介します。
 *合唱団とのリハーサルの様子やヴェルディやオテロの魅力と解釈などについてのインタビューはこちらの投稿をごらんください。→(告知編)

会場は、アウディ・ジュールアリーナ、4000人、5000人規模で収容可能な多目的の巨大なアリーナです。クーラは指揮者であるとともに、演出と舞台のデザインを行いました。コンサート形式ですが、階段や簡単なセットを使い、演技もつけた半演奏会形式のようでした。白と黒を基調にしたシックな舞台で、大スクリーンも使用しています。









クーラは直前に受けたインタビューで、「オテロを指揮することは巨大な挑戦だ」と語りました。その内容について、ハンガリー語から訳してみました。誤訳、直訳、ご容赦ください。

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●称賛すべきハンガリー国立合唱団
ハンガリー国立合唱団とのリハーサルは非常に良い雰囲気だった。リハーサル中に合唱団がこんなに笑っていたのは、それほど頻繁にあることではない。合唱団がリハーサルの数時間の間、リラックスしていた。

コーラスの仕事に非常に満足できた。ハンガリー国立合唱団の成果を賞賛する。オーケストラに所属する合唱団として、彼らは、オペラ座の合唱団よりも、より柔らかいトーンを歌う上で大きな利点を持っていた。

テナーのセクションは特別に賞賛されるべき。いくつかの合唱団の場合、
他の声がテナーの声を「隠す」ほうが良いことがある。しかし、これはハンガリー国立合唱団にとっては不要だ。





●オテロの指揮は巨大な挑戦、並はずれたプレッシャー

20年間オテロを歌い続け、3年前にはブエノスアイレスのテアトロコロンでオテロの演出をした。この作品とともに長い年月を過ごした後、オテロを指揮することは、巨大な挑戦だ。新しい未知の音楽を扱うようには、簡単には近づけない。並外れたプレッシャーがある。

しかし数え切れないほど様々な状況で、多くの指揮者の下でオテロを歌ってきたことは、大きな利点でもある。この非常に複雑で長い作品の演奏において、何がよく働いて、何がうまく動作しないのか、よく知っている。

●リハーサルは登山のようなもの
一週間のリハーサル期間、我々はスーパーチームを待っていた。リハーサルの期間は、山を登るようなもの。国際的なソリスト、ハンガリーの合唱団、オーケストラ、そして観客と、一緒に頂上に到達したい。

私は、成功に非常に自信を持っている。何千人もの人々にクラシック音楽を伝えることは小さくはないタスクだ。しかし彼らのプロの仕事と、シェイクスピアとヴェルディの素晴らしい作品の質に助けられる。





●オテロの現代的テーマ
この傑作は、今日と非常に関連し、現代的だ。なぜなら、人種差別、外国人嫌悪および難民の問題は、現代のヨーロッパの最も重要な問題だからだ。

これは裏切り、搾取、残酷さ、家庭内暴力や虐待などの重要なテーマについても同様だ。この500年間で何ら変わっていないことを考えさせられる。オテロは今日の人々に、私たちの時代について語っている?

●オテロへの愛
このオペラとの愛は20年間続いている。毎回そのたびに、より多くの発見をする。これは、“真実の愛”というべきものだ。そして決して終わることのない、ネバー・エンディング・ストーリーだ。





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巨大なアリーナで行われたクーラの初めてのオテロ。いろいろ困難もあったと思うが、それを越えて大きく成功しました。オケ、合唱団、子ども合唱団、スタッフ、観客、大勢の人びととの共同をつくるうえで、クーラの経験と蓄積とともに、ユーモア、カリスマ性が大きな力を発揮したようです。
合唱団の方も、リハーサル後、ツイッターで、「ホセ・クーラの指揮とヴェルディがオテロの人生の奇跡を創り出した」「ぜひこの雰囲気を感じてほしい」と発信していました。

公演の様子を報道したニュース動画。クーラの指揮や舞台の様子が分かりますが、音楽にアナウンスが被って聴きとれないのが残念です。
Kulturális főváros lehet Győr


会場で開催された公開リハーサルの様子。アリーナの防災訓練もかねて(笑)、会場いっぱいの子どもたちを集めて行われた模様です。
Kritikus tömeg 2016


                          



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2007年ベッリーニのノルマ グルベローヴァ、ガランチャ、クーラ Norma/ Gruberova, Garanca, Jose Cura

2016-04-24 | オペラの舞台―その他


ホセ・クーラは、“ヴェリズモ・マニア”と自称したこともあるほど、ヴェリズモ・オペラを愛し、道化師のカニオやカヴァレリア・ルスティカーナのトゥリッドゥを長く歌い、それらの役柄を愛してきました。とりわけトゥリッドゥは「最愛のトゥリッドゥ」と表現しています。こうしたヴェリズモ・オペラだけでなく、プッチーニやヴェルディのオテロなどの作品で、感情とドラマを力強く、激しく表現することで高い評価を得てきました。

しかし、このようなクーラのキャリアのなかでも、数少ないですが、いわゆるベルカントオペラに出演したこともあるのです。ベッリーニのノルマ、ベルカントオペラでも後期の作品だそうです。1996年のロサンゼルスと、2007年のウィーンです。

今回紹介するのは、2007年のウィーン国立歌劇場でコンサート形式で行われた公演です。
キャストがなんといってもすごい。ノルマはエディタ・グルベローヴァ、アダルジーザはメゾソプラノのエリーナ・ガランチャ。そしてポリオーネがクーラです。もう二度とこの3人が舞台で揃って歌うことはないのではと思われます。
残念ながら、これも正規のCDやDVDはありません。Youtubeにいくつかの場面の音声のみがあがっているだけです。でもこれが、本当に美しい。美しい曲に、美しい声、美しいハーモニー。あらすじはドロドロの三角関係、嫉妬と愛憎うずまく物語ですが、そこはベルカント、ため息のでるような美しいメロディの連続です。そしてグルベローヴァとガランチャが素晴らしいのはもちろんですが、クーラのポリオーネがまた魅力的です。オテロなどを歌う時とはまた違った、クーラの声と歌唱をぜひ聴いてみてください。

私は、疲れた時、なんだかつらい時、この曲を聴くことがあります。物語の中身は別として、美しい音楽で、なぜか胸の奥が温まってくるような気さえします。
ただし今回あげたのはテノールの入る場面だけで、ノルマの有名なアリア「清き女神」はありません。中心です。 
*6/1 グルベローヴァのアリア「清き女神」を追加しました。
Edita Gruberova "Casta Diva" 2007 Norma



Norma (Bellini)
Norma - Edita Gruberova
Adalgisa - Elina Garanca
Pollione - José Cura
Friedrich Haider
Wiener Staatsoper 16.11.2007

第1幕、ローマの総督ポリオーネ、子どもまでもうけたノルマへの愛が冷めて、若い尼僧のアダルジーザを愛していることを友人に告白する場面。
Jose Cura "Meco all`altar di Venere" Norma


第1幕、アダルジーザに対し、2人でローマに行き幸せに暮らそうと口説くポリオーネ。美しくセクシーな二重唱。
Jose Cura, Elina Garancha Norma Act1 duo


ノルマの家でかちあってしまった3人、ポリオーネに裏切られ復讐を誓うノルマ、開き直るポリオーネ、茫然とするアダルジーザがそれぞれの思いをぶつけあう、ドラマティックな三重唱。
Edita Gruberová , Elina Garancha , Jose Cura Norma act1 trio


嫉妬に燃えたノルマが、最後に2人を許し、自らこそ裏切り者だと火刑台にすすもうとする。悔いたポリオーネもともに火刑台に。ラストの場面。
Edita Gruberová, José Cura Norma last duo


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このような素晴らしい舞台がCDやDVDにもならず、数多く埋もれていると思います。ウィーン国立歌劇場はライブ中継を開始し、アーカイブ化をすすめていますが、こうした過去の作品もできるだけ多く観賞できるようにしてほしいものです。



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ホセ・クーラ 外見について、フィジカルについて Jose Cura / about looks, physical ability

2016-04-21 | 人となり、家族・妻について


若い頃のホセ・クーラは、とてもハンサムでした。また少年時代からラグビーをはじめ、さまざまなスポーツに熱中し、一時はセミプロのアスリートだったということで、テノールとしては体格も良く、身長190cm近い頑強な体に恵まれていました。

しかしインタビューでも何度か語っていますが、それゆえに直面した困難も大きく、デビュー後に所属したエージェントから、「セクシーオペラスター」路線で売り出され、自らの芸術への道とのギャップに苦しみ、ついにエージェントと決裂する決断までしています。
→ くわしくは「ホセ・クーラ スターダム、人生と芸術の探求」をお読みください。

これまでのインタビューで、外見についてのクーラの考え方、また自身のフィジカル面について語っています。興味深い部分を抜粋して紹介したいと思います。



●最大限のものを見せることが責任――2006年インタビューより
人生の30年間をアーティストに相応しくなる努力をしてきたのであって、見た目の良い人間と見られるため費やしたのではない。真面目な音楽家だということを納得してもらうのに数年かかった。

ステージ上でも、私の経歴にも、偶然の結果はない。チャンスも、才能のある人間としての幸運も、メディアが言うような一夜のセンセーションでつくられたものではない。30年間のハードワークの結果だ。



ただ格好良くサムソンやオテロのような役を歌う方法はない。それでは最後の2幕は歌えない。いくら容姿が優れているからといって、ステージにあがり、そのあと何が出来るのか。

オペラの矛盾点の1つは、素晴らしい声が必ずしも素晴らしい外見に伴うわけではないということだ。基礎はともかく容姿の非常に優れた俳優を想像することはできる。しかし彼が声を持たないなら、その容姿の良い男に声を与えることはできない。

完璧なパフォーマーとは、美しい誰かではない。彼自身の身体で与えうる限りを努力をつくしたプロフェッショナルである。他と比べてではない。自分の最大限のものを見せなければならない。これはアーティストとしての責任だ。



●強い心肺機能、セミプロのアスリートだった――04年インタビューより
今日においては、ステージに不向きだからといっても逃げられない。私は若かった時、セミプロのボディビルダーで、カンフーのトレーニングも受けていた。しかし24歳の時にそれらをすべてあきらめた。それは私がすすむべきビジョンのためだ。
当時、私の上腕は太すぎて、自分の後頭部に触れられないほどだった。そのころはシュワルツェネッガーと超人ハルクのルー・フェリグノが私たちみんなのヒーローだった。



長年にわたってセミプロのアスリートだったので、食事法もそこから学んだ。舞台の前には、エネルギー補給のためにパスタの大皿を食べる。メイク、歌、舞台後のあれこれ。一気に5時間、仕事を続けることができる。

20代の5年間は菜食主義者だった。今より20キロ以上、体重は少なかった。今も食事の際のワイン以外に酒は飲まない。なくてはならないものではないが、自宅ではパイプを吸う。外で喫煙はしない。

かつては激しいウェイトトレーニングのために、背中と膝にケガが多かった。しかしジムでの年月のおかげで強い心肺機能をもった。心拍数は安静時52~54、ステージ上においても他の人の安静時の80にすぎない。私は決して息切れしない。



40代になって、髪と爪のためにビタミンEを含むサプリメント、冬はビタミンCをとる。顔に関してはネアンデルタール人だ。舞台できついメイクをするので、妻にはスパでフェイシャルを受けるよういわれるが‥。

毎晩、初めてステージに上がる時、多少の緊張は必要だ。少しナーバスになるのは当然だし、いいことだ。そして、それが観客との間の距離を縮めるのに役立ってくれる。



2004年アテネオリンピックの聖火りレーに参加、オリンピック賛歌と「誰も寝てはならぬ」を歌った。


●「外見がよいと愚か」というのなら・・2010年のインタビューより
Q、あなたのキャリアの初期、雑誌の表紙を飾った。タイトルは「ホセ・クーラーセクシュアル・ドリーム」“Jose Cura- a sexual dream”だったが‥?

A、こうしたキャッチフレーズは私から離れなかった。人々は、私が「セックス・シンボル」だったことを覚えていても、誰も、現在の自分になるために、私がどれほどのハードワークをしてきたかは考えない。
“外見が良く魅力的なら、あなたは愚かだ。賢くて知的なら、ハンサムではありえない”‥こんな決まり文句があるのなら、私は眼鏡をかけ、腹周りを太らせる。これで人々は、私のプロフェッショナルとしての尊厳に気がつくだろうか。

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ヨーロッパデビューから20年以上たち、現在、53歳、体重は若い頃から20キロ以上増え、髪も髭も白いものが目立つようになりました。本人はあえて外見に構わないようにしているようにも思いますが、アーティストとして長年のキャリアを経て、円熟の時を迎えた自然体の姿は、それ自体が魅力的です。自分らしく生きるために、たたかいつづけてきた探求の旅は、まだまだ続きます。



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(クラシカジャパン編) 2016 ザルツブルク復活祭音楽祭オテロ Salzburg Easter Festival 2016 Otello

2016-04-19 | ザルツブルク復活祭音楽祭2016のオテロ


4月23日(土)より、ザルツブルク復活祭音楽祭2016のティーレマン指揮、ホセ・クーラ主演のオテロが、クラシカジャパン(Classica Japan)で放送が始まります。3月19日の収録です。
演出を中心に賛否両論の評価を受けた舞台ですが、非常に美しい舞台、美しいオケ。そして、好みはいろいろかもしれませんが、オテロを歌うにふさわしい年齢と経験を重ね、解釈を深めてきた円熟のクーラのオテロ、ベテランのアルヴァレスとレシュマンとの共演。見ごたえのある作品だと私は思います。

これまでいくつかの投稿で紹介してきました。詳しくはそちらを見ていただけるとうれしいです。
  (レビュー編) (放送編) (リハーサル編) (告知編)
またザルツブルクでのクーラのインタビュー「オテロに必要なのは“肌の色”だけではない」も興味深い内容です。

クラシカジャパンの放送予定は以下です。 →クラシカのHP
*5/26 さらに6月も放送のようです。 *4/24 5月の放送予定も掲載されていましたので、差し替えました。
*12月、そして12月も上映するようです。11/19~ → クラシカジャパンHP


[出演]ホセ・クーラ(オテロ/テノール)ドロテア・レシュマン(デズデモナ/ソプラノ)カルロス・アルバレス(イアーゴ/バリトン)ベンジャミン・ベルンハイム(カッシオ/テノール)クリスタ・マイヤー(エミーリア/メゾ・ソプラノ)ゲオルク・ツェッペンフェルト(ロドヴィーコ/バス)ブルール・マグヌス・トーデネス(ロデリーゴ/テノール)チャバ・ゼゲディ(モンターノ/バリトン)ゴードン・ビントナー(アラルド/バリトン)
[演目]ジュゼッペ・ヴェルディ:4幕のドランマ・リリコ『オテロ』[台本]アッリーゴ・ボーイト[原作]ウィリアム・シェイクスピアの悲劇『オテロ』
[演出]ヴァンサン・ブサール[装置]ヴァンサン・ルメール[衣裳]クリスチャン・ラクロワ[照明]グイド・レヴィ[映像]イザベル・ロブソン[ドラマトゥルギー]シュテファン・ウルリヒ
[指揮]クリスティアン・ティーレマン[演奏]シュターツカペレ・ドレスデン、ドレスデン歌劇場合唱団、ザルツブルグ祝祭児童合唱団[合唱指揮]イエルン・ヒンネルク・アンドレセン
[収録]2016年3月19日ザルツブルク祝祭大劇場「ザルツブルク・イースター音楽祭2016」
■字幕/全4幕:2時間45分(番組枠)

→クラシカジャパンの解説のページ

クラシカジャパンのプレス資料。「賛否両論を呼んだプレミエ公演を、ライブの臨場感そのままに放送」だって(笑)


クラシカのCM
【クラシカ・ジャパン 4月】【ヨーロッパ直送宣言!】ザルツブルク・イースター音楽祭2016『オテロ』






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(告知編) 2016 オテロを指揮 ジュールフィル Jose Cura / Otello / Gyor Philharmonic Orchestra

2016-04-18 | オペラの指揮


ホセ・クーラは昨年、ハンガリーのジュールフィルハーモニー管弦楽団と客演指揮者として契約したことを記者会見で発表しました。
そしてシェークスピア没後400年記念日の2016年4月23日、シェークスピアを原作とするオペラ、ヴェルディのオテロを指揮者として振ることが決まっています。
 → ジュールフィルのHP

クーラ自身は歌いません。会見では、「我々は若い歌手を育てる必要がある」と語っていました。
 →直近のクーラが歌ったザルツブルクのオテロについては、これまでの投稿をご覧いただけるとうれしいです。

すでに今週土曜日に迫った本番にむけて、リハーサルがはじまっています。リハーサルの様子や、事前に受けたインタビューからクーラの思い、公演の概要、オテロの解釈などを紹介したいと思います。

*5/26追加 すでに終了した公演の様子、画像、クーラの発言などについては →(本番編) 2016オテロを指揮 ジュールフィル
 
*4/19追加 クーラのFBに合唱団とのリハーサル中の様子がアップされました。 →クーラのFBページ
歌い、踊り、芝居する指揮者(笑) 後半、爆笑、爆笑でとても楽しそうなリハーサルです。


ジュールフィルハーモニー管弦楽団の客員指揮者には、これまでギルバート・ヴァルガ、ゾルタン・コチシュとともに、日本の小林研一郎らの名前があり、日本にもなじみのあるオケのようです。
場所は、ハンガリーのジュールにあるアウディ・アリーナという4000人規模の大会場です。コンサート形式で、若い人たちに来てもらいたいと企画したようです。現在のところ、ネットラジオ中継などの情報は入っていません。最近のハンガリーでのコンサートは2回とも録音・録画が放送されたので、今回も楽しみに待ちたいと思います。

ジュールの街に貼られた巨大ポスター

Saturday, 23 April, 2016 - 19:00 Audi Arena, Gyor
Program: Verdi Otello
The stage version of the opera is performed on the 400th anniversary of playwright William Shakespeare’s death.
Győr Philharmonic Orchestra, conducted by José Cura
Featuring / Christian Juslin / Gabrielle Philiponet/ Piero Terranova / Zsófia Kálnay / Gergely Boncsér / Marcell Bakonyi
Hungarian National Choir



公演に向けてクーラが受けたいくつかのインタビュー(2016年3月頃)から、抜粋しました。ハンガリー語からなので、誤訳やニュアンスの違いが多いかもしれません。あらかじめお断りしておきます。

●ヴェルディの音楽のくみ尽くせない魅力
Q、ヴェルディの音楽の何が特別か?
A、ヴェルディは天才であり、彼の音楽に私は感嘆する。主に彼の成熟期の作品だが、私はこれらの専門家でもある。
しかしヴェルディは、私の一番好きな作曲家というわけではない。

私の好きな作曲家はヨハン・セバスチャン・バッハ。そしてヴェルディの成熟した音楽には、バッハのような特徴がある。
それは彼が、彼の作品を演奏する方法について、スコアの中であまり多くの説明をしていないことだ。ヴェルディはこう言っているかのようだ。「もし君が優れているのなら、君は私が言いたいことを理解するだろう。しかし君が私の音楽を理解するために多くの説明が必要というなら、まだ君は十分に良いとはいえない」と。

ヴェルディの音楽における、決して尽きないパフォーマンスの可能性へ「開かれた扉」は、とても魅力的だ。ヴェルディの解釈の秘密を所有する唯一のものだと自ら主張する学校の存在など、私には決して理解できない。ヴェルディは、ヴェルディ音楽の「自称」司祭たちが彼の音楽に課している制限に対して、真っ先に怒っただろう。

Q、数多くオテロを演じてきたが、毎回、新しい側面にこだわっているのか?
A、オテロの中核の概念は、シェイクスピア以来、またはさらにその原作者から変わっていない。しかしこの「中核」に埋め込まれている数多くの詳細を発見することは、私にとって最も刺激的なことだ。この決して止まらないプロセス!



●ジュールの公演 指揮と舞台デザインを担当
Q、コンサート形式で実施されるがそれについては?
A、パフォーマンスが良ければ、それは良いということだ。形式は重要ではない。フルステージの舞台であっても、同様に、指揮、場所、雰囲気、観客と出演者、天候・・多くの要素に依存する。
私は多くの理由から、このコンサートが非常に特別なものになると期待している。しかし、また、非常に異なる面がある。普通の劇場ではなく、アリーナで演奏することだ。

Q、指揮と舞台デザインを?
A、この場合、舞台デザイナーは通常の状況とは違い、演奏するための「空間」をデザインする。アリーナでおこなう限界のなかで、観客の助けになるように、パフォーマンスに焦点を当てた照明をデザインする。

●オテロの解釈と現代
Q、あなたのオテロの解釈は?
A、(オテロをめぐっては)これにはヴェルディ自身の永遠のたたかいがあった。彼はいつも不満を表明してきた。「私はベルカントを書いていない。ドラマを書いたのだ」と。真のヴェルディ演奏者は、これを解釈規則にすべきだ。
オテロにおいて、言葉とその意味は、音楽自体と同様に重要だ。言葉が音楽の媒介物で、時折、ドラマのメッセージを伝えるベルカントとは違う。ベルカントの優先順位は、そのつくりだす音の美しさ。しかしオテロのような音楽ドラマは、盟友として音楽を用いて、言葉の意味を伝える。

Q、今回の舞台に現在の世界を反映させる?
A、我々の生きる世界は、もうこれ以上の衝撃を与えるものを必要としていない。世界的な混乱は、控え目に言っても、混乱を例示するどんな強調でも、レトリックになってしまうようなものだ。
しかしオテロのような作品は、500年間、何も変わらないことを考えさせ、非常に「現実的」であるということは真実だ。議論の尽きない宗教についてだけでなく、ドメスティックバイオレンス(DV)、あるいは裏切り、人種差別、外国人嫌悪、人間の使用と乱用など。



●オテロとシェイクスピア
Q、シェークスピアがユーモラスだというのは?
A、真剣であることと深刻ぶることは違う。後者は傲慢と退屈の根源だ。偉大なアーティストは熱心に自分の仕事をするが、決して深刻ぶることはない。モーツァルトとシェイクスピアがその良い例だ。良いユーモアのセンスを持っているのは健康な事だが、これは生活をおもしろおかしく過ごすことだけを意味するものではない。良いユーモアをもつことと、表面的であることは混同すべきでない。

Q、オテロの原作については?
A、ヴェルディのオテロの脚本家であるボイトは見事な仕事をしており、原作を尊重している。またオペラのオリジナルソースが、シェイクスピアのテキストではないことはとても興味深い。
原典はイタリアの小説家・詩人のツィンツィオだ。彼はシェークスピアがオセローを書く1世紀前に生まれた。シェークスピアのドラマは、ツィンツィオの「百物語」と題した作品集に基づいている。



●人生と芸術、読書について

Q、好きなオペラは?
A、それは、劇場で私が働いているところをあなたが見ることができる作品だ。私の年齢で、これまでのキャリアを経て、自分が好きではないようなオペラには出ない。

Q、あなたにとって芸術の魅力は?
A、何か言いたいことがあり、公然と叫びたいことを持つ時、何も彼を止めることはできない。もちろん多くの勇気が必要で、たたかい、ラフな道を行かなければならない。我々の願いは決して不可能なミッションではないという認識、それが我々をつよくしてくれる。

Q、困難の時、文学から慰めを得た?
A、文学は常に私の人生の一部だ。哲学者ホセ・インヘニェーロスブックの著書「平凡な男」は常にベッドサイドにある。他者の妬みと戦わなければならない時、私を癒してくれる。

Q、多忙ななかで本を読む時間は?
A、私たちの脳が多くの物事を処理し知覚することは驚くほどだ。現代的な技術のデバイスによって私たちの能力の発達を妨げることはできない。いつでも可能な限り読む。

Q、今何を読んでいる?
A、いつも同時にいくつかの本を読む。さまざまなトピック、職業に関連して、また短編小説、他の好きなジャンル、楽しみのためのコミックなど。ちょうど、Reverteの「善良な人々」を読み終えた。いまは現代美術家サルバドール・ダリの本を読んでいる。またクリストファー・コロンブスについて驚くような内容の面白い日記も読み始めたところだ。



●人生哲学は「今を楽しめ」
Q、あなたはこれまで「第4のテノール」などのレッテル張りを拒否してきたが「ルネッサンスマン」というレッテルは?
A、私は説明を求めて物事をするわけではない。ただ行う。例えば、私は自分が写真家だと主張したことはない。写真は趣味だ。世界を観察したいという私の欲求を大いに助けてくれる。
結局のところ、私はいつも言うのだが、人生は「ほんの少し」のことをするためだけでも余りにも短い。「今を楽しめ」が私のモットー、そして、私の人生哲学だ。

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2016年4月15日に公開された記者会見の動画。残念ながらハンガリー語で字幕もないため、内容は聞き取れません。左側の女性は、デズデモナで出演するGabrielle Philiponet
José Cura Győrben rendezi az Otellot

同じく会見の動画、後半にクーラのインタビューと昨年のロスト・アンドレアとのコンサートの様子が少し見られます。
Újra Győrben vezényel José Cura


Gabrielle Philiponetとホセ・クーラがコンサートで歌ったオテロとデズデモーナの二重唱「もう夜もふけた」 2013年トルコ
G. VERDI / OTELLO "Già nella notte densa" José CURA & Gabrielle PHILIPONET, conductor Vladimir LUNGU


リハーサルに熱中するあまりか、いつにないユニークな表情の写真(笑)

妙に短い指揮棒を使っていると思ったら、鉛筆のようですね(笑)


1996年のオテロロールデビュー以来、20年間オテロを歌い演じ続け、2013年には故郷アルゼンチンのテアトロコロンでオテロを演出・舞台デザインしました。そして今回が、はじめての指揮者としてのオテロです。巨大な会場で特有の困難はあると思いますが、大勢の人々が楽しめるコンサートにしたいというクーラの情熱あふれる指揮で、オテロが大きく成功することを願っています。


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1999年 ホセ・クーラ パリのコンサート Jose Cura "Italian Concert" in Paris

2016-04-15 | コンサート


1998年に初来日したホセ・クーラですが、その翌年、1999年にパリで開かれた「イタリアン・コンサート in パリ」での歌声を紹介します。残念ながら音声だけですが、Youtubeに多くの曲があがっています。

この時、クーラは36歳、世界的に注目され、まさに上り調子の時。96年にウィーン国立歌劇場、97年ミラノ・スカラ座、そしてこの年、99年にはメトロポリタンオペラ(MET)と、各地の主要な歌劇場にデビューしています。

クーラは1991年にアルゼンチンからイタリアに移り、声楽のレッスンを受け声を開発しながら、徐々にプロとしての舞台の場を増やしていきました。90年代末は、クーラの才能と努力が花開いた時期であり、またエージェントの売り出し方への疑問や矛盾に直面するなど、その後のキャリアにむけて大きな岐路ともなった時期でした。

もちろん現在も魅力的ですが、とりわけ若い当時の声は、とても輝かしく、みずみずしく、声楽の教師に「30年に1人の声」といわれるのも納得できる、独特の魅力にあふれています。録音だけですが、十分楽しめるように思います。以下、どれから聴いていただいても、また好きなものだけ聴いていただいて、もちろんいいのですが、一応、コンサートでの曲順どおりにならべて見ました。

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ヴェルディの「運命の力」より、第3幕ドン・アルヴァーロの「生きることは地獄だ、この不幸な者には…おお、あなたは天使の胸に抱かれ」。
この年、スカラ座にもアルヴァーロ役で出演しました。また今年2016年5月、ヴィースバーデン五月音楽祭で18年ぶりにアルヴァーロを歌います。
Jose Cura "La Vita E Inferno ~ O Tu Che In Sen" La Forza del Destino


ヴェルディの「エルナーニ」より、 第1幕「ありがとう、愛する友たちよ」
Jose Cura 1999 "Mercé, diletti amici" Verdi Ernani


ヴェルディ「ドン・カルロ」より、第1幕「彼女を失ってしまった」  ドン・カルロには何回も出演していますが、オペラ全曲は正規の録音も動画もありません。
Jose Cura 1999 "Io l'ho perduta" Don Carlo (Verdi )


レオンカヴァッロ「道化師」より、「衣装をつけろ」 カニオ役は「歌手として最後に歌うならこれ」というほど、クーラ自身も打ち込んでいる役です。
Jose Cura "Vesti la giubba" 1999 Pagliacci


プッチーニ「妖精ヴィッリ」より、 第2幕「ここがあの家 - 苦しい僕のこの思いを」 ヴィッリは1994年、クーラが初めて全曲ライブ録音した記念すべきオペラです。その後も06年にウィーンで、07年にジェノヴァで出演しました。
Jose Cura 1999 "Ecco la casa...Torna ai felici di" Le Villi


プッチーニ「エドガール」より、第2幕 「享楽の宴、ガラスのような目をしたキメラ」 めったに上演されないエドガールですが、さらにその4幕版の世界初演に主演しています。その時のことは別の投稿で紹介しています。
 →「2008年 プッチーニのエドガール 4幕版 世界初演
Jose Cura "Orgia, chimera dall`occhio vitreo" Edgar


プッチーニ「マノン・レスコー」より、第1幕デ・グリューの「見たこともない美人」 前年の1998年には、スカラ座でマノン・レスコーに出演しています(DVDもあり、リッカルド・ムーティ指揮、マノンはグレギーナ)。
Jose Cura "Donna non vidi mai " Manon Lescaut


プッチーニ「マノン・レスコー」より、第1幕デ・グリューの「美しい人たちの中で」
Jose Cura "Tra voi belle" Manon Lescaut


ポンキエッリの「ジョコンダ」より、「空と海」 1997年スカラ座デビューの時はこジョコンダのエンツォ役でした。どこまでも空につきぬけていくような歌声は、若い頃のクーラの魅力です。
Jose Cura 1999 "Cielo e mar" La Gioconda


プッチーニの「トスカ」より、第1幕の「妙なる調和」 カヴァラドッシ役はクーラがずっと歌い続けている役です。
最近の歌声は、別の投稿「2014年ハノーファーのトスカ」で紹介しています。
Jose Cura 1999 "Recondita armonia" Tosca


プッチーニ「西部の娘」より、「やがてくる自由の日」 
別の投稿「ホセ・クーラ プッチーニの西部の娘」で、2008年ロンドンのロイヤルオペラでのラジオ放送の音声やクーラの楽曲解釈を紹介しています。
Jose Cura "Ch'ella mi creda" La Fanciulla del West


チレア「アドリアーナ・ルクヴルール」より、「私の心は疲れ」
Jose Cura "L’anima ho stanca” Adriana Lecouvreur


クーラの故郷、アルゼンチンの歌曲
Jose Cura Anhelo


ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」より、第4幕「五月の晴れた日のように」、処刑を前にしたシェニエの辞世の歌。2006年のボローニャ歌劇場来日公演でも出演、DVDもあります。
Jose Cura 1999 "Come un bel dì di maggio" Andrea Chénier


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ホセ・クーラは現在、50代前半。年とともに少しずつ声は重くなりました。一方で経験と解釈の深まりによって、劇的で力強い歌声は、いまもとても魅力的です。


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ホセ・クーラ ポップスとクラシック音楽 Jose Cura / pop music & classical music

2016-04-11 | 芸術・人生・社会について①


音楽好きの家庭で、ポップス、ジャズ、クラシック・・さまざまな音楽を聴いて育ったというホセ・クーラは、ポップスとクラシックを区別することを嫌い、音楽には、良い音楽とそうでない音楽の2つしかないと語っています。これまでも、さまざまな機会でビートルズの曲をギターで弾き語りをしたり、ポップスのコンサートも実施してきました。

これまでのインタビューなどから、クーラのポップスとクラシックについての考え方、音楽観などを抜粋してみました。またいくつかの動画も紹介します。



2015年ブダペストでのマホ・アンドレアとのコンサートからダイジェスト(音声のみ―約13分)
Jose Cura 2015


●音楽はすべての人々の財産――2000年インタビューより
モーツァルト、プッチーニ、ベートーベンやシューベルトなどの作曲家も、生きていた時は、今日のポップスターのように扱われたことを忘れてはならない。今日では、彼らは不可侵であると考えられている。

(古典音楽の作曲家)彼らは技術的な理由からオペラハウス用の音楽を書いた。当時はマイク、スクリーンなどは知らなかったからだ。彼らも今、生きていたら、野外コンサートに適した音楽を書くだろう。

音楽はすべての人々の財産だ。しかし多くの人はオペラハウスに行くことができない。野外コンサートなどの試みは、クラシック音楽に親しむ人をつくる方法の一つだ。

人々がポップ・ミュージックとクラシック音楽を区別する理由が私にはわからない。良いものと悪いもの:私にとって、音楽には、ただ、2種類があるだけだ。

クラシック音楽にもひどいものはある。ポップ・ミュージックにも素晴らしいものがある。その逆も同様だ。ジョン・レノンの曲は、シューベルトによって書かれた曲と比べても、決して悪くない。



●両方を学ぶことは誰にとっても良い学校――2015年5月、ノヴィ・ソンチでインタビュー
私は誰もがクラシック音楽を聴くよう奨励されるべきだとは思わない。パスタが食べたい人にステーキを渡すようなものだ。ポイントは、人々が特定のアーティストを認識しようとする時、それを助けることだ。

何を演奏するのか、それがビートルズ、クイーン、またはバッハやモーツァルトの曲かどうかに関わりなく、最も重要なのは、あなたがそれを良くやるかどうかだ。そこに鍵がある。

クラシック音楽家はポップ・ミュージックを、ポップ・ミュージシャンもクラシック音楽を演奏する必要がある。誰にとっても良い学校だ。

ポップの世界はクラシック音楽家に柔軟性を与え、クラシック音楽は今度はポップスに規律を与える。ちょうどクラシックの訓練を受けたフレディ・マーキュリーのようなミュージシャンを見るように。



●iPodにはカーペンターズの曲がいっぱい入っている。カレン・カーペンターが亡くなった時は泣いた。

●(クラシックの他に好きな音楽は?)ジャズ、後期ロマン主義、またはポップスなど、ジャンルに関係なく。しかし私にとって、最も美しい音楽は沈黙だ。私の人生は全て音楽とともにある。仕事以外では沈黙を好む。(2011年)

●子どもたちには、クラシック、オペラであろうと、ポップスであろうと、良いパフォーマンスを観賞できるように育てようとした。

●私がポップに染まったのは60年代。若かったとき、ロサリオ(アルゼンチン)の路上でビートルズの歌を歌った。また後に、妻とアルゼンチンからイタリアに移住した時、私はストリート・ミュージシャンとして生活の糧を得ていた。

●私にとって、音楽にポップ、クラシックの区別はない。自分のオペラコンサートは、ポップ・コンサートでもある。プッチーニやヴェルディのアリアも当時のヒット曲だから。

2003年プラハのオペラコンサートのアンコールで、ビートルズのイエスタディ、ギター弾き語り。
José Cura in Prague - Yesterday


同じくイエスタディ、これは最近2015年のハンガリーでのコンサートで、ロスト・アンドレアと。
Jose Cura 2015 "Yesterday"


ポーランドでミリオンセラーになったポップアルバム"Song of love"から、"Tell Me"
Ewa Malas-Godlewska & Jose Cura, Tell Me


同じくポーランドのEwa Malas-Godlewskaとコンサート終了後、会場に入れず極寒の外で待った1万人以上の人たちを前に歌った"Song of Love"
Ewa Malas-Godlewska & Jose Cura, Song of Love - Concert


クーラとサラ・ブライトマンの名曲"Just show me how to love you"のPVから。動画はかつてYoutubeに多くアップされていたが、現在は皆無。
 
 
 

代わりに、同じブライトマンとの"There for me"を(音声のみ)。
José Cura; Sarah Brightman; The London Symphony Orchestra ~ There for me


ポップスとクラシックのジャンルを超えて、プロのミュージシャンとしてコンサートを盛り上げた2015年のハンガリーのホセ・クーラとマホ・アンドレアのコンサート。
Let It Be - részlet - José Cura Budapest Aréna 2015-02-21










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2016/17 プラハ交響楽団で指揮、作曲家、歌手として Jose Cura with Prague Symphony Orchestra

2016-04-10 | プラハ交響楽団と指揮・作曲・歌 ~2017


プラハ交響楽団の2016/17シーズン・プログラムが発表されました。ピエタリ・インキネン率いるプラハ響に、ホセ・クーラがレジデント・アーティストになって2シーズン目です。今期も、指揮やクーラ自身の作曲作品の初演、また歌もふくむ3回の企画で、各2回ずつの6公演です。

インキネンは日本フィルハーモニー管弦楽団の首席常任指揮者にも就任。日本からも注目されている若手指揮者です。2015年10月にはインキネンの指揮のプラハ響で、クーラが作曲した「もし私が死んだら」オーケストラ・バージョンの世界初演も実現し、クーラも歌手として出演しました。来期は残念ながら、インキネンとクーラの共演はないようです。

 →プラハ交響楽団2016/17シーズン・プログラム(PDF)  →プラハ響HP




●2016年10月19、20日 若手アーティストとのコンサート
来期の出演は、まず今年2016年10月19、20日のコンサート。これはクーラが実施したマスタークラス(今年2/13~18)で選抜した若手アーティストとのガラ・コンサートのようです。
プッチーニ、ヴェルディ、ビゼー、レオンカヴァッロなどのオペラからの曲で、クーラも歌うそうです。


2016/2 クーラによるマスタークラスの様子。若い指揮者、歌手などが対象。

マスタークラスの最終日、ファイナルコンサート出場が許された若手アーティストとクーラ。この人たちがガラに出演する?

マスタークラスの様子を伝えたチェコのニュース映像。
Jose Cura Masterclasses


●2016年12月アルゼンチン音楽/ユニセフのためのコンサート
2回目は2016年12月7、8日。ユニセフのためのコンサートと銘打たれています。チャリティーコンサートでしょうか。内容は、クーラが指揮し、ラヴェルのボレロの他に、ピアソラやヒナステラ、カルロス・グアスタビーノなどのアルゼンチン音楽です。

ASTOR PIAZZOLLA Tangazo, variace na Buenos Aires
ALBERTO GINASTERA Tance z Estancie op. 8a (ceska premiera)
MAURICE RAVEL Bolero
CARLOS GUASTAVINO Divky, c. 1 ze Tri argentinskych romanci
SILVESTRE REVUELTAS Noc Mayuu, hudba k filmu (ceska premiera)


このコンサートでは指揮だけですが、クーラは母国アルゼンチン音楽の紹介に非常に熱心で、世界各地で機会があればアルゼンチン歌曲のリサイタルをしたり、またオペラコンサートのアンコールで歌ったりもしています。
2010年 Jose Cura "Somos novios" & "Esta tarde vi llover"


●2017年3月クーラ作"ECCE HOMO"世界初演
3回目は2017年3月8、9日。クーラが作曲したオラトリオ"ECCE HOMO"が世界初演となります。
そのほかに、サティのジムノペディ、レスピーギの教会のステンドグラス。
クーラは指揮をするとともに、歌でも出演するようです。

Erik Satie Gymnopedie (orch. Claude Debussy)
Ottorino Respighi Church Windows
JOSÉ CURA Ecce homo, oratorio (world premiere)


クーラの"ECCE HOMO"=エクセ・ホモ「この人を見よ」は、アルゼンチン在住時代の1989年に作曲。少年時代から指揮と作曲を学び、大学でも指揮、作曲を専攻したクーラは、渡欧して本格的にテノールの活動を始める前に、多くの曲を作曲しています。そのなかから、このプラハ響のレジデント契約の3年間に毎年、作品の初演をするということになっています。
「この人を見よ」は、新約聖書に描かれた一場面、鞭打たれ傷ついたキリストの受難を描いたもので、多くの絵画で描かれてきたそうです。クーラはこれをもとにオラトリオを作曲、ソプラノ、アルト、2人のテノールとバリトン、さらにプラハ・フィルハーモニー合唱団と子ども合唱団が参加する予定です。どうやらここで、クーラがキリスト役で歌うようです。

レスピーギはクーラがよくコンサートで指揮する作曲家です。とりわけ「ローマの松」はよく演奏しています。
2001年、レスピーギのローマの松を指揮、オケは3年間首席客演指揮者を務めたシンフォニア・ヴァルソヴィア。
Jose Cura, " Pini di Roma " - Respighi, 2001


プラハ響の本拠地、チェコのプラハにあるスメタナホール。


来期も、指揮、歌唱、作曲作品の世界初演と、クーラの多面的な魅力を発揮する盛りだくさんのシーズンです。会場はプラハのスメタナホール。放送や録音、オンデマンド放映などがないのが非常に残念です。なんらかの形で、この3年間の成果をまとめて、視聴できるようにしてほしいものです。

ピエタリ・インキネンとホセ・クーラ


*写真はプラハ交響楽団のHPなどよりお借りしました。
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