人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(録画公開編2)ホセ・クーラが歌うアルゼンチンの歌曲

2020-09-25 | アルゼンチンや南米の音楽

 

 

少し紹介が遅れましたが、ホセ・クーラが歌うアルゼンチン歌曲のコンサート動画が公開されました。

以前の動画でとりあげた、2018年のドイツのウルト・フィルハーモニー管弦楽団とのコンサート録画の続編です。このコンサートは2部形式で、その前半が今回紹介するアルゼンチン歌曲のプログラム、そして後半が、クーラが指揮をするドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」という構成でした。

 →後半の動画紹介「(録画公開編)ホセ・クーラが指揮するドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』

 

後半はフルオーケストラでシンフォニーを指揮、そして今回公開された前半は、小規模な室内楽編成にして、クーラはその真ん中に座り、オケと対話するかのようなスタイルで、抑えた動きで指揮をしながらアルゼンチン歌曲を歌っています。

オケのひとりひとりのメンバー、ギタリスト、そして指揮者兼歌手のクーラ、それぞれが互いにアイコンタクトでコミュニケーションをとりあい、曲の間にはたびたびクーラのユーモアたっぷりの語りが入ります。とても親密で、温かく、リラックスして、ステージと観客とが一体となった雰囲気でプログラムが進行していきます。

クーラの母国アルゼンチンの歌曲。それぞれ短い曲ですが、美しく、しみじみとした哀愁がただよい、全体のプログラムを通して、クライマックスにむけた大きな高まりがあり、胸を打ちます。

クーラのアルゼンチン歌曲のコンサート、コンサート全体の動画が公開されるのは、今回が初めてだと思います。遠くからの固定カメラで撮影しているので、表情のアップはありませんが、音質はとても良好です。

ぜひ、ご覧になってください。

 

 


 

 

ーーホセ・クーラ アルゼンチン歌曲のコンサート

 

≪全体版≫

 

Argentinian Songs | José Cura | Würth Philharmoniker

 

 

Reinhold Würth Hall of the Carmen Würth Forum in Künzelsau
The Würth Philharmonic
October 2018 

ARGENTINE SONGS
Direction and singing | José Cura

 

 

≪Program≫

 

プログラムと各曲のリンクです。上記と同じ動画のなかで、直接、それぞれの曲の冒頭にとびます。

 

 

00:00 Intro    あいさつ              (作曲者)              (曲名の直訳)

1、01:03 Hilda Herrera „Desde el fondo de ti“   ヒルダ・エレーラ(1933~)作曲        「あなたの奥深くから」

2、03:30 María Elena Walsh „Postal de guerra“  マリア・エレナ・ウォルシュ(1930 – 2011)作曲  「戦地からの葉書」

3、08:06 Carlos Guastavino „Violetas”      カルロス・グアスタヴィーノ(1912 – 2000)作曲   「すみれ」

4、10:57 Carlos Guastavino „Pájaro muerto”      同                   「死んだ鳥」

5、16:00 Carlos Guastavino „Se equivocó la Paloma”   同                   「鳩のあやまち」  

6、18:30 Carlos Guastavino „El albeador”       同                   「アルバドール」

7、20:34 Carlos Guastavino „Romance de José Cubas”  同                  「ホセ・クーバスのロマンス」

8、25:05 Felipe Boero „Funeral Coya“       フェリペ・ボエロ(1884 –1958)作曲      「葬儀Coya」*意味がわかりませんでした)

9、27:10 Alberto Ginastera „Canción del árbol del olvido”  アルベルト・ヒナステラ(1916 –1983)作曲   「忘却の木の歌」

10、30:00 José Cura „Pensé morir”         ホセ・クーラ(1962~)作曲           「私は死ぬと思った」

11、34:00 Carlos Guastavino „¡Qué linda la madreselva!“  カルロス・グアスタヴィーノ作曲     「スイカズラはなんて美しいのだろう」

12、35:47 Carlos Guastavino „La flor del aguapé”       同                 「アグアペの花」 

13、40:07 Carlos Guastavino „Cuando acaba de llover”     同                 「雨が降り出した時」

14、42:50 Carlos Guastavino „Yo, maestra”          同                 「私、先生」

15、46:00 Carlos Guastavino „Ya me voy a retirar”       同                 「私は引退する」

16、49:06 Carlos Guastavino „Los días perdidos”       同                 「失われた日々」        

17、53:27 Carlos Guastavino „Jardín antiguo”         同                 「古い庭」

18、55:24 Carlos Guastavino „Alegría de la soledad”      同                 「孤独の喜び」

 

 

 

≪曲間のクーラの語りと解説≫

 

”グッドアフタヌーン”の挨拶から始まったコンサート。まずクーラは、「アルゼンチン人として、これらの美しい曲を、ドイツの”パンパ”で歌うことは、とても嬉しく、誇らしい」と、クーラの出身地アルゼンチン中部の草原地帯”パンパ”に会場の町キュンツェルザウを例えて、観客を笑わせ、「こんな美しい場所に住んでいる皆さんが羨ましい」と語りました。

その後、2曲、または長めの曲は1曲ごとに、クーラが短い語りや解説を加えて、オケや観客とコミュニケーションをとります。

クーラの語りはいつものようにユーモアと温かみがあり、オケの同僚たちとの信頼関係が伝わるものでした。英語とドイツ語の字幕がついていますし、日本語翻訳もできますので、ぜひ、曲と一緒に、語りも楽しんで見てください。

いくつか抜粋して紹介します。

 

 

●音楽の秘密は素晴らしい歌詞にある

冒頭の2曲を歌い終わった後、会場スタッフに対して、「もっと明かりを!」とお願いし(その時のやり取りもユーモアたっぷりです)、その理由を次のように説明しました。

「この音楽の秘密は、とても美しい音楽であるだけでなく、その素晴らしい詩にある」

「私たちを見る必要はない。(配布されている歌詞を)読んで!」「そうすれば、私たちがしていることをもっと楽しむことができる」

 

 

●シューベルトやシューマンのような歌曲であり、バルトークやコダーイにも似ている

7曲目「Romance de José Cubas」を歌い終わった後、クーラは少し長い解説をしました。

「この音楽の最も難しいことのひとつは、音符を奏でることではなく、そのスタイルだ。すべてに異なっている。今、皆さんが聞いているこの音楽は、すべてのものと違っている。これらは”Lieder"(歌曲、リート)であり、シューベルトやシューマンのようなクラシックの歌曲。ポップミュージックではない。」

「それでもやはりそれらは、ポップの香りに触発されている。少し、バルトークやコダーイの音楽に似ている。これらに刺激を受けている。そのためフォーク調の香りを感じるが、しかし非常に古典的だ。最も難しいこと、そして彼らが皆さんに伝えるのは、音ではなく、スタイルであり、フィーリングだ。」

 

 

●グアスタビーノの真の音楽的遺産とは

 → 最後の2曲について

「グアスタビーノは現代の作曲家。彼は2000年に死去した。ほんの少し前のことだ。彼には家族がなく、アルツハイマー病にかかり、病院でひとりぼっちで、何も思い出せなかった。グアスタビーノは現代に生きた人物であり、彼の音楽、彼の真の音楽的遺産は、これから私たちが演奏する曲のような音楽だ。」

「ただし彼も、他の人々と同じように、食べていかなければならなかったので、経済的に成功する必要があった時には、ちょうど今聞いた曲やその前の曲のような、美しく旋律的な曲を書いた。しかし彼が自身の足跡、音楽的な足跡を残すことを求めた時には、彼はこの曲のような音楽を作曲した。」

「そしてこの2曲で私たちはコンサートの前半を終える。これらの2曲を私たちは、昨日亡くなった、同僚であり友人であるモンセラート・カバリエ(スペインのソプラノ、2018年10月8日死去)の思い出に捧げたい。これらの曲の後の最後の拍手は、私たちに対してではなく、モンセラートの思い出に対する拍手になるだろう。」

 

最後の2曲を歌い終わると、クーラが促して、全員のスタンディングオベーションで、カバリエに対して拍手をし、前半を終えました。

 

 


 

 

約1時間のアルゼンチン歌曲のプログラム、とてもこれでコンサートの前半とは思えないほど、充実して内容が濃いものとなっています。

全部を通しで聞いていただくのが一番ですが、プログラムを見て、興味のある曲だけを聴いていただくのもまた楽しいと思います。

それぞれが魅力的ですが、私がとりわけ印象深かったのをいくつかご紹介します。まず3曲目の「すみれ」、クーラが、オーケストラがすみれに吹きかかる風を表現していると説明した曲です。7曲目の哀感ただよう”Romance de José Cubas”、10曲目のクーラ作曲”Pensé morir”も何度聞いても感動的です。14曲目"Yo, maestra”、16曲目„Los días perdidos”はクーラがしっとりとドラマティックに歌いあげます。

成熟した美しい声でドラマティックに表現するクーラのアルゼンチン歌曲。とても聞きごたえがあります。もちろんクーラは、現在もテノールとしてオペラの舞台に立っていますし、作曲や指揮、演出もしています。それらと並行して、故郷アルゼンチンの歌曲のコンサートをライフワークとして各地で取り組んでいます。

コロナ禍による制約が解けたら、ぜひ日本でも、現在のクーラの魅力満載のアルゼンチンの歌曲のコンサート、企画してくれるオーケストラがいないものでしょうか。ぜひともお願いします。

 

 

*画像はオーケストラのFBからお借りしました。

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2021年 ホセ・クーラが作曲したギター協奏曲、世界初演の予定

2020-09-14 | 指揮者・作曲家として

 

 

 

ホセ・クーラが新しく作曲したギター協奏曲が、来年2021年3月に世界初演を迎えることになりました。その公演の場所、プログラムや作曲の経過などを紹介したいと思います。

この春以降、コロナ禍によって、欧米や日本、世界各地の劇場は閉鎖され、市民の外出にも制限が続きました。スペイン・マドリード在住のクーラも、長期にわたってステイホームを余儀なくされ、予定されていた多くの公演はキャンセルされてしまいました。いま、徐々にですが、各地で、試行錯誤しながら劇場やコンサートが再開されつつあるのは、本当に嬉しいことです。しかしクーラは今年3月のハンブルクのオテロを最後に、ライブの公演は行っておらず、今年の公式カレンダーも更新されていません。

音楽・芸術分野とアーティストにとって、出演の場が奪われ、今も今後も続く危機的な事態となっています。とはいえ、この長期にわたった外出制限の期間、クーラにとっては、思いもよらず、作曲に集中できる時間を得ることになったようです。

 

 

 


 

 

≪ ギターと作曲をめぐって ≫

 

ーー クーラのギター FBより

 

 

”ちょうど部屋にギターを取りに来て、光の下で彼女を見つけた…。私の古い友人は、今もまだ可愛らしい”

 

 

これまでこのブログでも何度か紹介してきましたが、クーラは12歳の時、ビートルズの弾き語りがしたいということからギターを学び始めました。その後、本格的に先生についてギターを学び、そして大学では作曲と指揮を専攻しています。

テノールとして世界的に有名になったクーラですが、ギターと作曲、指揮は、少年時代から親しみ、将来の夢でもありました。このステイホームの期間、いくつかの作品を作曲、完成させたようですが、そのうちのひとつが、長年にわたって手がけたいと願いながら、作曲のための時間が取れずにきた、ギター協奏曲なのだそうです。

 

 

 

ーー ロックアウト中に受けたインタビューより

 

「私たちは家にいなければならない。外出できない。ただドアを開けてそこから出ることもできない。それはもちろん、一種の投獄を連想させるものだ。しかし、今回はこの時間を、作曲家として、たくさんの音楽を書いたり、新しいオーケストレーションに取り組んだりして活用することができて、ある意味、幸運であるとも言える。私はちょうど初めてのギター協奏曲を完成させたところだ。これは長年、やりたかったことだ」

(「hirado.hu」)

 

 

 

ーー 憧れのギタリストであり友人であるエルネスト・ビテッティと

 

 

”伝説的ギタリスト、エルネスト・ビテッティに、私のギター協奏曲を紹介しているところ。'Concierto para un Resurgir’(表題「復活のための協奏曲」の意味か?)は、先ごろのロックアウト中に書いたもので、さらなるパンデミックがなければ、来年には初公開される予定だ”

 

クーラは新しいギター協奏曲をいったん作曲した後、友人であり、尊敬する同郷のギタリスト、エルネスト・ビテッティ(現在はスペイン在住)に譜面を見てもらい、聞いてもらったようです。ビテッティはクーラと同じアルゼンチンのロサリオ出身で、子どもの頃から家族ぐるみの交流があった方です。クーラのアルゼンチン歌曲のCD「アネーロ」でも出演・共演しています。彼から何らかのアドバイスを受けたのでしょうか。こうした過程も経て、曲を仕上げていったようです。

 

 

 

ーー ギターについて、作曲について インタビューより

 

Q、確かに、ホセ・クーラは非常に優れたテノールだ。舞台演出をするだけでなく、オーケストラの指揮(1996年以来、彼は定期的にオペラ、そしてシンフォニー作品も指揮している)と作曲を行っている。後者は実際に、故郷のロサリオでアーティストになった最初のものだった?

A、私は作曲とオーケストラの指揮に専念していたが、70年代からの軍事独裁政権の時期、そしてその後の80年代の10年間は、指揮者として成功することは非常に困難で、作曲家として成功するなど考えられない時代だった。そのため、私はオペラに行った。 

 

Q、音楽家の家族の出身?

A、そうではない。音楽好きの家族だったが、音楽家ではなかった。私の母はいつも私たちに、偏見を持たずに、非常に良い音楽を聴かせてくれた。それはシナトラであり、ビング・クロスビーであり、ベートーヴェン、ラフマニノフだった。

私は12歳の時にギターを始めた。そしてある時、私の教師が言った。ーー “いいかい、ホセ。君は、この楽器にはあまりに情熱的すぎる。ギターは、ごくまれな場合を除いて、もっと内向的な人々のためのものだ。そして、いつか君は、それを手放すだけでは十分でなく、それをバラバラにしてしまう時が来るだろう”―― 結局、私は、Juan Carlos Zorziとともにオーケストラの指揮を、そしてCarlos CastroとLuis Machadoについて作曲と分析を勉強した。全員がとても優秀な教師だった。

(2017年12月)

 

 

Q、あなたに強い印象を与えた音楽作品について、子ども時代からの特別な記憶は?
 
A、音楽的な体験を1つだけ区別することはできない。私は多くの音楽を聞いた。アルゼンチンのロサリオで育ち、普通の子ども時代を過ごした。

劇場に数回行ったことを覚えている。ギターのためのコンサートに耳を傾けた。おそらくこれは、この楽器に対する私の関心の始まりを示している。しかし、子どものころに消えない印象を与えた出来事というと、特に覚えていない。

しかしティーンエイジャーだった時、伝説のギタリスト、エルネスト・ビテッティ(Ernesto Bitetti)が音楽的なアイドルだったことは確信をもって言える。彼もロサリオ出身で、私の家族は彼の家族と親しく、私たちは語り合い、パーティーでお互いに訪問し合った。今は引退しているが、この世紀には世界で最も有名なギタリストの一人だった。

 

Q、音楽があなたの職業になると決めた瞬間を覚えている?

A、7歳か8歳の時、父が私にピアノを習わせた。先生はとても素敵な高齢の女性だった。彼女は私にピアノの弾き方を教えようとしたが、私はまだ子どもで、とても活発で、気まぐれだった。そして、3、4回のレッスンの後、彼女は、私があまりにも幼く、音楽に興味がなかったと言って、私を家に返した。

ピアノの後、私は方向を根本的に変えて、ラグビーをプレイするようになった。これは、もちろん、音楽とは何の関係もなかった。かなり長い間ラグビーをしてきたが、ほぼセミプロのスポーツ選手だった。

しかし、12歳になった時、学校でギターを演奏する同級生に出会った。彼がギターを弾いて、歌を歌うと、まわりの女の子みんなが喜んだ。私もぜひこれを学ばなくてはと思った。独学でギターを学び、ビートルズの歌を歌った。

14歳の時、私は父に、ギターを弾くのが好きで、真剣にこれを学びたいと言った。本当の先生について勉強を始めた。そこからすべてが始まった。

 

Q、ギターから作曲、歌、そして指揮への移行はどのように?

A、ギターは素晴らしい楽器。今日にいたるまで、私が本当に愛している唯一の楽器だ。
しかし、時間の経過とともに、ギターは私の情熱的な性質にとっては、あまりにも静かなツールであることを感じるようになった。
私にはもっと何かが必要だった。

ある日、私は父に、音楽院で学んで、作曲家や指揮者になりたいと言った。音楽院には他の多くのコースの中にボーカルのコースがあり、それで私が声を持っていることが判明した。20歳頃だった。それ以前も、いつも歌っていたが、それはまったくオペラのスタイルではなかった。

指揮者をめざして勉強したことで、私には声があると発見することを助けたが、私は歌手のキャリアについては考えなかった。
私は学びながら、合唱団で歌って、わずかなお金を稼ぎ、指揮と作曲を学び続けた。

22歳の時、長い年月の後、アルゼンチンで選挙が行われ、民主主義が国に戻った。
これは新しい時代の始まりだったが、非常に困難な時期でもあった。オーケストラや合唱団は資金調達に問題を抱えた。
生き残ることは難しく、指揮者として生活することは困難だった。そしてさらに作曲家としては、ほとんど不可能だった(今は、作曲家として稼ぐことは不可能だが、たぶん映画音楽を書く作曲家だけは何とか稼ぐことができるだろう)。

そして24歳の時に、私は考えた。歌うことができる。おそらく歌と関連して仕事を見つけることができるだろう――結婚式、パーティーまたはプロの合唱団...作曲の活動をサポートするために私は働く。合唱団で歌い始め、オーディションに行った。

今、オペラ歌手として認められていることは嬉しい。それに加えて、私は音楽を書き、指揮し、そしてまだ歌っている。

(「operatime.ru」)

 

 

 


 

 

 

≪ フランスのミュルーズ交響楽団と世界初演へ ≫

 

―― コンサートの概要について

 

クーラ作曲のギター協奏曲の初演場所は、フランス東部のミュルーズです。この地で活動するミュルーズ交響楽団が初演のオケで、クーラはそのアソシエートアーティストでもあります( → 以前のコンサートなどを紹介した記事)。また、クーラとは何度も共演している若い女性ギタリストのバルボラさんとの共演です。

 

 

●ミュルーズ交響楽団2020/21シーズンパンフレットより

 

  

 

 

CONCERT
SYMPHONIC
Fri March 26  8 pm
Sat March 27  7 pm

・ALBERTO GINASTERA    
  Estancia : Quatre Danses
・JOSÉ CURA    
  Concerto pour guitare (création mondiale)
・HEITOR VILLA-LOBOS    
  Bachianas brasileiras n° 2 : « Le Petit Train de Caipira »)
  Bachianas brasileiras n° 4

JOSÉ CURA = Conductor
BARBORA KUBÍKOVÁ = Guitar

 

シンフォニックコンサート

2021年3月26日(午後8時開演)、27日(午後7時開演)

プログラム

・アルベルト・ヒナステラ作曲 「エスタンシア」

・ホセ・クーラ作曲 「ギターのための協奏曲」

・エイトル・ヴィラ=ロボス作曲 「ブラジル風バッハ」 第2番「カイピラの小さな汽車」、第4番

ホセ・クーラ 指揮

バルボラ・クビコバ ギター

 

 


 

 

クーラの新作のギターコンチェルト、来年3月の初演が決まって本当にうれしいことです。クーラはギタリストとしてではなく、作曲家・指揮者として演奏します。現在のところ、フランスはコロナ感染の第2波の只中にあるようで、今後どうなるのか予断を許しませんが、感染拡大が終息して、無事に開演できることを願っています。

記事でとりあげたエルネスト・ビテッティとクーラが共演している動画を紹介します。同じくアルゼンチンの作曲家で、コンサートのプログラムに取り上げられているアルベルト・ヒナステラが作曲した「忘却の木の歌」です。クーラのアルゼンチン歌曲のアルバム「アネーロ」にも収録されています。

 

 

 

 

 

最後に、クーラが愛するギターの弾き語りの動画を。プラハで2003年です。

José Cura in Prague - Yesterday

 

 

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