人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(写真展編) ホセ・クーラ 2016年ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル / Jose Cura / Dubrovnik Summer Festival 2016

2016-10-30 | 写真を撮る



ホセ・クーラが指揮者として、歌手として参加した、クロアチアのドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2016。
これまでにオープニングコンサートについてと、来年の演出予定について、紹介しました。

今回は、フェスティバル期間中に開催された、クーラの写真展についてとりあげたいと思います。これは、被写体としてクーラを写したものではなく、クーラがカメラマンとして、これまでとりためてきた写真作品を展示したものです。

「私は自分が写真家だと主張したことはない。写真は趣味だ。世界を観察したいという私の欲求を大いに助けてくれる。」(2016年)

こう語っていたように、あくまで趣味としてだそうですが、ツアーで外国に行く時などは必ずカメラを持って、撮影しているようです。
そのことを知った出版社が、写真集の出版を持ちかけ、2008年に『Espontáneas』(スペイン語で、“自発的な”、“自発性”のような意味か?)を発行しました。
 → Amazonの紹介ページ

今回のドゥブロヴニク・サマーフェスティバルの写真展では、この『Espontáneas』におさめられたうちの14点が展示されたとのことです。




実はこの写真集『Espontáneas』の中には、日本で撮影したらしい写真もたくさん掲載されています。
例えば・・


















初来日の時なのか、大相撲の写真もありますが、いくつか見て分かるように、クーラがファインダー越しに見つめる被写体は、その多くが普通の人々であり、日常生活であり、また時には社会の底辺に生きる人々であったりします。
オペラ歌手の写真集と聞いてイメージする、豪華で華やかなスターの世界を描いたものとは反対の、リアルな世界です。社会に対する問題意識を常にもち、写真を撮ることが「世界を認識するひとつの手段」と考える、クーラらしい作品といえます。
もちろん、他にも、子どもたちを撮ったかわいい写真、微笑ましい作品もありますし、この写真集以外にも、動物を写したユーモラスなものや、また闘牛を撮ったショッキングな作品もあります。

こうした作品は、クーラのフェイスブックの写真コーナー≪José Cura Photography≫で紹介されています。ロゴ入りのサンプルですが、興味をお持ちの方は、ぜひご覧になってみてください。

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ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2016でのクーラの写真展『Espontáneas』、開催期間は、2016年7月13~20日でした。
場所は、ドゥブロヴニクの旧市街にあるスポンザ宮殿。16世紀に建てられた歴史的建造物で、かつては税関、造幣局、武器鋳造所があり、現在も公文書館として使われているとのことです。






●写真展を紹介したクロアチアの報道より

「展示された14枚の写真は、世界中を旅行した彼が、通行人や一般の人々の、生活の中で日常の瞬間を撮影したもの。モノクロ写真は、見知らぬ人々の運命を記録している。彼のカメラのレンズは、高級感や魅力的なものにではなく、人々の裸の生活に焦点を当てている」

「この写真を見て、ホセ・クーラによって撮影されたということは分からないだろう。普通の人々、ただの男・・これらの画像には、スターはどこにもいない。そこには、贅沢は何もない。赤いカーペットも、シャンパンの泡も...。観客は、ホセ・クーラの写真に、つぎのようなものを期待するかもしれない。人を魅了する世界の主要都市、有名な歴史的建造物、広大なアベニュー、豪華な内装、魅力的なホテルやレストラン・・。しかし、ノー。彼の関心は、他の動機によって描かれている。」

●フェスティバルのことや、写真について語るインタビュー動画 2016年7月ドゥブロヴニク
 → 動画があるHPへのリンク



写真展の開会にあたって、あいさつするホセ・クーラ。





●写真集出版のいきさつ――2008年インタビューより
――写真は私の情熱であり、人生を観察する方法

写真はあくまで趣味。ある人は絵を描き、ある人はものを書く。私は写真を撮るのが大好きだ。
少なくとも過去30年間、写真を撮ってきた。訓練して腕も向上してきたし、仕事上、多くの偉大な写真家と話をすることもある。
私は常に、趣味の一端として写真を撮ってきたし、それは私の情熱であるとともに、人生を観察する方法でもある。

写真集の出版については、考えたことがなかった。しかし、2年前に、スイスの出版社が私のところに来て言った。
「私は友人の家にあるあなたの写真の何枚かを見た。ぜひ写真集を発行し、あなたの写真を公開したい」
私は、「世界が本当に私の写真の本を求めているとは思わない」と答えた。

これに対して彼は、こう反論した。
「あなたは、リチャード・アヴェドン(アメリカ合衆国の著名な写真家)ではないかもしれない。しかし、あなたは有名なアーティストだ。あなたを好きな人は、あなたが物事を見る方法を確認したいと思うだろう。写真集は、彼らにとって、素晴らしいものになるだろう。」
これを聞いて、私はOKを言った。


会場となったのは16世紀に建てられたスポンザ宮殿。さりげなく観客のように映っていますが、この青年は実はクーラの次男ニコラス君。




若い参加者とも気さくに懇談し、写真に収まるクーラ。






クーラの左側の若い女性は、愛娘のヤスミンさん。大学で写真を学んでいるそうです。


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写真はあくまで趣味というクーラですが、プロのアーティストとして、常に世界を見る目、人間を見る洞察力を磨き、人間と社会のなかから真実をつかみだし、表現する――そういう日常のなかにいるわけですから、クーラが写真をとることを愛しているというのにも、納得させられます。

1人の全面的な解釈者、表現者としての完成をめざして、社会と人間、芸術にかかわるさまざまなものに好奇心と興味をもち、挑戦しつづけるクーラ。多くのことに手を出すことについては、常に批判がありますが、それらは決して無関係ではなく、客観的な世界に対して、観察し、主体的に働きかけるアーティストとしての生き方にすべて連なっているし、それぞれが合わさって、クーラというアーティストに豊かさと魅力をもたらしているのではないかと思いました。



*写真は、クーラのFB,フェスティバルのHPやFBなどからお借りしました。
 
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(オープニング・コンサート編) ホセ・クーラ 2016年ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル / Jose Cura / Dubrovnik Summer Festival 2016

2016-10-24 | コンサート



ホセ・クーラは、この夏、クロアチアのドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2016に、7月10日のオープニング・コンサートで指揮者として、さらに翌11日のガラ・コンサートでは歌手として出演しました。

フェスティバルの概要については、少し前の「(告知編) 2017年 ホセ・クーラ トスカを演出 in ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル」でも紹介しましたが、クロアチアの世界遺産に登録されている美しい街ドゥブロヴニクの伝統あるフェスティバルで、毎年7月から8月の1か月余りにわたり、演劇やバレエ、オペラ、コンサートなどが行われる、大変歴史もあり、人気もある行事だそうです。
* フェスティバルについては → 2016プログラム HP

今回は、オープニング・コンサートの様子を紹介したいと思います。
ドレスリハーサル、そしてオープニング本番のそれぞれの画像や動画が、フェスティバルのFBやメディアに大量に掲載されました。

また、クーラへのインタビューもアップされています。直接、フェスティバルに関することは少しだけですが、現代のアーテイスト、演出家について、母国への思い、ディーヴァたちについて、オペラにおける歌と演技、キャリアについて、家庭生活など、多岐にわたる非常にたくさんの質問で、クーラという人を知るうえで、おもしろい話が多いです。とても長いですが、興味のある設問だけでも読んでいただければと思います。
なおいつものことですが、語学力の問題で、訳に誤りや不十分な点が多いと思います。すみませんが、大要をつかんでいただければと思います。







まずは、コンサートの一部を撮影した動画を。
7/10オープニングコンサートでヴェルディのオペラ、ナブッコの「行けわが想いよ黄金の翼に乗って」。後半、コーラスと一緒に歌いながら、楽しそうに指揮。
José Cura - Va Pensiero - Dubrovnik Summer Festival 2016


こちらはプッチーニのオペラ、つばめの一場面、4重唱「あなたのさわやかな微笑みに乾杯」。指揮者のクーラも歌に仲間入り。つばめは、演出・指揮をしているが、最近は歌うのはめずらしい。
Bevo al tuo fresco sorriso - Cura, Suriani, Korac, Ballova


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教会の塔のうえで、道化師のプロローグを歌う


――ドゥブロヴニク・サマーフェスティバルにむけたインタビューより(2016年)

●促成された浅薄、凡庸ではなく、自分らしく、より深い生き方を
Q、あなたは、これまでもクロアチア(リエカ、ザグレブ)で演奏してきたが、ドゥブロヴニク・サマーフェスティバルは初めてだ。何を期待する?

A、私はクロアチアで数回行ったことがある。クロアチアのミュージシャンの素晴らしいプロ意識とその国民の偉大なエネルギーを十分感じることができた。
ドゥブロヴニクは初めてだが、都市がいかに美しいか、よく知られているので、とても楽しみだ。

Q、あなたは、何十年もの間、世界のオペラのステージに立ってきたが、あなたの世代の歌手と、現代の歌手たちとの違いを感じることがある?

A、前の世代の歌手と現在の歌手との間の違いは、一般社会におけることと同じだ。もちろん、例外もあるし、一般化は常にリスクを伴う。
しかし、最も顕著な違いは、かつては、名声には品質を伴っていたが、今日では、もしあまり良くない場合でも、有名になることができることだ。時には、まったく良くない場合であっても。
観客が「もみ殻から小麦をより分ける」方法を知っているのなら、これは大きな問題ではない。しかし、今日、どの製品の消費者も、長期熟成よりも、「促成」の方を好む。

だから我々は、「現瞬間」のサッカー選手、「現瞬間」のトップモデルを持っている。「現瞬間」の政治家、「現瞬間」のテノール、「現瞬間」のポップ歌手、等々。そして、この瞬間とは、ごく短い期間...。この世界的な現象は、より深い生き方を損ない、ますます浅薄なものをもたらす。その結果は、はかない魅力のまばゆい光を装う、かつてないほどの凡庸さだ。

Q、マスタークラスでの生徒へのアドバイスは?

A、“Be yourself, everybody else is already taken”.
「自分自身であれ、他の人の席は皆、埋まっているのだから」




●自分自身を実現させるための向上心、自分に対して最大を求める
Q、あなたの野心は、指揮、作曲、プロデューサー、演出、歌、デザインや写真撮影などのキャリアにおいて、どの程度までの動機となっている?

A、まず、「野心」を定義する必要がある。「経済的な貪欲さ」というのであれば、それは私には「ない」。
多くのことをするのは、実際は、稼ぎを減らす一番の方法だから・・。トップテノールの出演料は、指揮者または演出家の報酬よりもかなり高いので、もし私がすべての時間を歌うのなら、はるかにたくさん稼ぐだろう。しかし、満足感はより少なくなる。

逆に、「野心」の言葉の本来の意味にもとづいて、目標を成し遂げるためにいくつかの経路をとるというのならば、それは「イエス」。
「向上心」は、私の人生をコントロールするもの―― 全面的に満ちた解釈者として、自分自身を実現するために。

Q、あなたは常に、すべてのプロジェクトの中で、自分自身と他の参加者の両方から、最大のものを求めている?

A、人々からベストを引き出すには、独裁的に圧力をかけるのではなく、実例によって示すことだ。だから私は、常に、他の人々に対してより、はるかに多くのことを自分に求めてきた。




●真のプロフェッショナル、良い演出家と悪い演出家
Q、あなたは、指揮者や演出家との、良好な相互作用を持っている?

A、両方において、彼らが本当の専門家であるならば。
残念ながら、「文化ビジネス」は、非常に「とらえどころのない」状態にあり、多くのはったりの存在を許している。プロのパフォーマーであると主張している全てが、本当の専門家ではない。

私が通常、活動しているレベルにおいて、歌手も、楽器奏者も、ステージ技術者も、その分野でより良くなるために、人生の長い年月を投資してきた人々であることを忘れてはならない。彼らはあなたの無知を広めるためにそこにいるわけではない。ハードで効率的な働きぶりで、彼らの尊敬を得る必要がある。

Q、現代の演出家は、ステージングにおいて、誇張が多い...?

A、良い演出家と悪い演出家がいる。歌手や指揮者にも良い、悪いがあるのと同じように。しかし問題は、歌手ならば、歌えないならステージにあがることはないが、演出家は、はったりでも可能で、その場所に、「友人」とともに、すすむことができる。それらの多くは、そのままでは役にたたないが、汚い仕事をするための素晴らしいアシスタントを持っていて、彼らによって信用を得ている。
とにかく、私は、良い演出家が、レギュラーのパフォーマーを向上させることができるのと同様に、良いパフォーマーは、常に、多かれ少なかれ、悪い演出家を救い、舞台を前にすすめるだろうと信じている。理想的とはいえないけれども...。

Q、オペラの作品の古典的な解釈を好む?それとも新しく前衛的なもの?

A、私は、知的な解釈を好む。流行は重要ではない。まれではあるが、良い手の中にある時は可能だ。




●母国アルゼンチンへの思い
Q、オラシオ・アマウリとヴィットリオ・テラノバ(アルゼンチン時代とイタリア移住後のクーラの歌の先生)は、ボーカルスキルの形成にどれくらい重要な役割を?

A、人生において出会ったすべての人と同様に大切であり、それが最も成長する時期においてであるなら、なおいっそう。もしその人物が、トップクラスで、素晴らしいメッセージを送ってくれる良い教師であるとしたら、それは夢のようなことだ。 
私はオラシオとヴィットリオを尊敬している。ただ私を教えてくれたというだけでなく、私の人生のなかで、崖から落下せずに登っていくための「足がかり」を求めていたその時に、それを与えてくれたからだ。

残念なことに、オラシオは少し前に亡くなった。彼はまだ若かったし、その死はブエノスアイレスの歌のファミリーに大きな穴を残した。

Q、あなたはどのくらいアルゼンチンと結びついている?アルゼンチン人とはどういう人々?

A、自分のルーツを否定する人間は、枯れる運命にある植物のようなものだ。アルゼンチン人は、さまざまな国からの人々による巨大なカクテルの結果であり、いろんな食材をミックスする時のように、その結果は、時には、おいしく、時々・・。

私は、原点である私の国を愛しているし、そして母国との芸術的な関係がとても少ないことを残念に思っている。政治と芸術が同じことのまわりに巻きつく時に起こる。こういう異常で、また残念ながらとても一般的な結びつきにおいて、そのどちらかがリスクを負うことになるのは、簡単に推測できるだろう。




●偉大なディーヴァたちから学んだこと
Q、あなたはミレッラ・フレーニ、カティア・リッチャレッリ、モントセラト・カバリエから、現代のエレーナ・ガランチャやアンナ・ネトレプコまで、世界で最も偉大なオペラのディーヴァと共演してきた。態度や仕事へのアプローチの違いを感じる?例えば、フレーニとネトレプコの間で?

A、誰ひとりとして、ハードワークと多大な犠牲なしには、ディーヴァになる資格に到達することはできない。

私は、ミレッラが間近で歌うのを見て、非常に多くの技術的なことを学んだ。カティアから、繊細でありながら、タフになる方法を学んだ。とても年をとっても、非常に確固としたカバリエとステージを共有することにより、ガッツの意味を学んできた。

エリーナは、仕事のうえでの私の親友のひとりで、プロフェッショナルがどうあるべきかの注目すべき実例だ。完全に仕事と家庭のバランスをとる、素晴らしい経歴を持っている。そして、アンナは、彼女の成功が、彼女がかわいい女の子であるという事実によるものではないことを、全ての人々に対して証明している...。

●メニューインのオーケストラを指揮
Q、ユーディ・メニューインの後継者として、いくつかのシーズン、シンフォニア・ヴァルソヴィアをリードするために選ばれたが、それはどのような経験?

A、非常に光栄なことだった。メニューインの指揮台を継承するという意味だけでなく、オーケストラの信頼を得たという意味でも。当時、シンフォニア・ヴァルソヴィアは、エキスパートたちの印象的なグループであり、そこから私は多くのことを学んだ。
彼らとともに働くことは、私の指揮のスキルを大いに向上させてくれた。




●レパートリーについて
Q、イタリアのレパートリーを歌うとき、イタリア人の考え方、コミュニケーションの方法を知ることは重要か?同様に他の国、他の言語についても?

A、より多くその国家の個性を理解し、自分の芸術のなかにより良い内省をもつことができる。

Q、一番好きなレパートリーは?

A、作曲の歴史的な時期とは無関係に、私には、自分の感情に「触れない」だけでなく、「技術的な満足」への空腹も満たしてくれない作品を演奏するのは、つらいことだった。人生において、傑作に挑戦する機会を持つことは、人間が試みる最もやりがいのある経験の一つだ。

●キャリアと現段階
Q、あなたは今日、どのような段階にある?

A、私自身は、まだ「4分の1」の月だとはいわないが、しかし、「満ちつつある半月」だということができる――決して立ち止まってはならない、決してそれが当たり前だと思ってはならない。

Q、あなたのキャリアの中で、ある役柄があまりに早く来たために、声や肉体的な面で十分に準備ができていなかったことは?

A、私が歌ってきたそれぞれの役柄が、適切なタイミングで行われてきたという証拠は、25年間の国際的なキャリア、そしてほとんど40年間、ステージに立ってきた後に、今も私が元気で活動できているということだ。

もちろん、私たちはみな、経験の光の下で物事をやり直したいと思う。しかし、これは私たちがそれらをしたとき、誤ってやった、という意味ではない。ただ「若くして」おこなったということ...。

Q、メディア、音楽専門家やファンが、あなたに24時間スターでいることを期待するのは、あなたにとっては負担?

A、イエス、それは問題であるかもしれない。それが私の人生だった。私が「ゲーム」の表層を断ち切ることを決めるまでは。
有名であるなら、ファンやメディアから、必然的にいやがらせの対象になるというのは、本当ではない。人は、植えたものを収穫する。

Q、歌手のキャリアが、人間の声のような微妙で繊細なものに日常的に依存しているということは、負担になる?

A、短命なものに依存するのが、あなたの人生でなく、あなたのキャリア、職歴だけであるのなら、それは問題ではない。あなたの仕事とあなたの人生を、同じフライパンに入れてはいけない…。




●聴衆との関係について
Q、コンサート後、聴衆は「ブラボー」を叫び、花を贈るけれど、あなたはその晩の自分自身に非常に不満があるということは?

A、誠実な聴衆の真の愛は、1回のパフォーマンスの技術的な結果と結びついているわけではないが、コミットメントの程度による。

あなたが表面的な愚か者でないのなら、彼/彼女が素晴らしい体を持っているという理由だけで、恋に落ちることはない。
同じことが、アーティストと聴衆との間の愛に適用される。この素晴らしい感情、それは長年の交流の結果であり、ハイノートを歌うことへの、はかない「熱狂」と混同すべきではない。

Q、テノールは、精神的に落ち込む傾向があるという神話は?

A、私も憂鬱になる時がある。脳が活動しているすべての人間と同様に。...しかし、それは、私のビジネスには関係がない。

●オペラにおける歌と演技
Q、あなたはテノールの中で最高の俳優の1人であると言われているが、ボーカル・パフォーマンスだけでなく、よい演技をすることは重要?

A、そう、しかし一部の人々は、同じ理由から、私の演奏を好きでない..。
彼らは、「良い演技を見たければ、演劇に行く。私がオペラに来るとき、私はただ、歌を聞きたいのだ...」と。

私にとっては、良い演技は、良いオペラパフォーマーのための絶対必要条件だ。

驚くことだが、そしてここから問題が始まっているが、ほとんどのオペラ界では、このことが主要な問題ではない。あなたが適切に歌える場合、音楽学校に入学すると、たぶん誰かが、あなたの「歌手の頭脳」に必要な演技力を注入してくれるだろうと、希望的に考えるかもしれない。しかしそれは違っている。
しかしオペラパフォーマーを訓練する学校に入る試験は、歌と演技の両方で、同じように厳しくあるべきだと思う。そうでなければ、適切なショーをやるべき時に、我々が知るすべての問題が起き、キャリアをスタートから損なってしまう。

俳優は俳優、歌手は歌手だ。しかしオペラパフォーマーは、両方である必要がある:質と関わりあいにおいて、歌手や俳優と同じレベルであること。言うまでもなく、オペラパフォーマーは、ダンサーであり、ファイターでもあることが必要だ。主に男性は、役の多くで戦いの振り付けがある。

Q、あなたは自分の直感に耳を傾ける?失敗して間違った決断をしたことは?

A、直観は「過大評価」されている。私はいつも、非常に直感的だったが、それは、私がベストを得るために努力してきた経験にもとづいて、その使い方を学んだ時だけだ。




●仕事とストレス
Q、あなたの人生はタクシー、空港、劇場、ホテルの部屋の間を行き来し、人々が信じるほど華やかではない。そのような生活はストレスが多い?

非常に。とても多く、私はそのために個人的に多大な犠牲を払ってきた。まるで遊牧民のような生活を長年してきたので、今は、健康の観点からだけ見ている。このごろは、私は自分の将来を「再調整」することを真剣に考えている..。

Q、あなたは、あなたの名前とクーラのブランド、あなたのために働くチームに責任を感じる?

A、かつて、たくさんの人が、私と一緒に「食べる」だけではなく、それらの多くが「私から食べている」...そのような時があった。しかし、もう、今はそうではない。私が、私自身の権利でアーティストになるために、製品であるのをやめた時から、私は、ただお金を稼ぐことだけが狙いの人からの関心を失った。その反対に、私のモラルを評価する人たちから、尊敬を得た。ここまでは順調といえる。

Q、近年であなたの最も著名な役の一つはオテロだが、その後にくるのは?

A、ワーグナーのタンホイザーが2017年1月、ピーター・グライムズを同じ年の5月。私はこの2つの完全に異なる挑戦が、私のキャリアに全く新しい次元を追加することを期待している。

Q、稼いだお金の投資は? 今日の物質的な世界で、お金の重要性は?

A、日常の現実的なニーズに対処するためのお金の重要性を否定することは、偽善的だ。しかし、お金がすべての問題を解決すると考えることは、愚かしい。

Q、パフォーマンスの後にどうやってリラックスする?

A、レストラン、またはルームサービスが終っているために、自分のホテルの部屋に戻ってピーナッツを食べる回数は、人々が考えるよりも多くなっている。私の好ましい状況の一つは、一緒に働いてきた人たちとのショーの後、テーブルを共有し、一緒にクールダウンすること。




●年とともに、ますます時間が足りなくなる
Q、朝の7時から真夜中過ぎまで、活動を持続しているにもかかわらず、あなたにとって1日は、まだ短かすぎる?

A、常に。そして私が年をとるにつれて、さらに悪化している。若い時、私の場合、より若い時、それぞれの日は、数えて、覚えていることができる実体だ。しかし、年をとると、もっと時間が可溶性になる。月、週、日は、より速い速度で、連続して、一緒に溶けてしまう。

私が、私の後に残しておきたい全てのもの、私の遺産を完成させることができないという思いは、私を悩ませる…。パフォーマーとしての日常の仕事の上に、私は今、オテロのより良い理解のための大きな著書に取り組んでいる。また、初演が迫っている私の古い作曲作品に再び手をいれている。私の「マニフィカト」は、昨年の2月に初演され、オラトリオ「この人を見よ」はプラハで2017年3月に初めて公開される。

●キャリアと家庭
Q、キャリアのためにあきらめたことは?

人々の考えに反して、努力をすれば、キャリアと家族の生活のバランスを完全にとることができる。
簡単なことではないけれども、私は公演の間に数日あれば、休息をとる代わりに、いつも最初の飛行機で家に帰った。また、スケジュールが空いていても、私は多くのプロダクションを断ってきた。それは、少なくとも週に一度は家族に会いたいという私の願いのため。それは不可能ではない。

もちろん、そのために失ったものもあるが、しかし、私は重要な瞬間には、いつも家族とともにいた。そして、それを証明するのは、私の子供たちが今は立派な大人になっていることだ。また言うまでもないが、私は31年間、幸せな結婚生活を続けている。確かにこのビジネスでは珍しいが...。

過去の私の多忙な公的な経歴のなかで、私が残念に思っているのは、私が25年前にアルゼンチンを離れてから、私の親友たちとの大きな友情を確かめる、非常に多くの機会を逃してきたこと。しかし、新しい友人関係は、時間と献身を必要とするが、強く結ばれた友情は、永遠に続く、ということだ。長い間、そうできなかったことを、私は本当に後悔して、修正のために全力で試みている。そのなかで私は、自分が素晴らしい人たちに囲まれている幸運を実感している。繰り返すが、人生においては、あなたが植えたものを収穫する。




Q、あまり知られていない事実だが、あなたは、ボディビルダー、電気技師、大工などをやってきた。オペラスターというより、働く男の手を持っている?

A、人の手は、ただ単に物理的なものではなく、精神的な態度にも。

Q、写真家として、あなたは、満たされない人、不幸や孤独な人を多く撮影しているが、それはなぜ?

A、人間の最も貴重な資質の一つは、世界を観察することができることであり、そして、このような観測の結論として、良いものと悪いもの、その結論を活用することだ。
信じられないかもしれないが、人々の考えに反して、成功している者の最初の結果のひとつは、孤独。誰かに起こる最悪のことは、その仕事が「他人の皮膚の中」にいなければならないことだ。
苦闘すること、または少なくとも他者の波乱を理解する感性は、良い俳優になるために必要だ。

Q、クーラの名前をもったあなたの子どもたちの将来を心配する?

A、私の名前を身につけることは、彼らがクラシックの音楽家であるなら、おそらく有用であろう。しかし、彼らはそうではない。私の子どもたちは、すべての息子たちが誇りを持っているように、名前を「着る」が、一方で、それぞれの人生の中で、自分の名前を「仕立て」ていく。

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非常に多くの項目にわたった、長いインタビューでした。読んでいただき、ありがとうございました。
いつもながら、クーラらしさ満載の答えぶりだったと思います。自分の才能、与えられた能力を最大限に生かしきるために、また家庭のためにも、いつも全力投球、それでも時間が足りず、やりきれないことを残すかもしれないこと考えると、クレージーになると語るクーラ。どこまでパワフルな人なのか、驚くほどです。ぜひ、インタビューで答えているように、体には気をつけてほしいものです。

最後に、この動画は、オーケストラとのリハーサルの様子とクーラのインタビュー少々。後半、ノリノリで指揮している様子が楽しいです。
20160708



大切な家族も一緒に。














*写真はフェスティバルのHP,FBなどからお借りしました。
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ホセ・クーラ、マノン・レスコーのデ・グリュー プッチーニ / Jose Cura / Puccini’s Manon Lescaut

2016-10-17 | オペラの舞台―プッチーニ




プッチーニのオペラ、マノン・レスコーは、ホセ・クーラの出演するDVDが発売されている貴重な演目のひとつです。
1998年にリッカルド・ムーティが指揮、ミラノスカラ座でのマリア・グレギーナのマノン、クーラがデ・グリューの舞台は、本当に美しく、ドラマティックで、DVDの音質、画質で観賞できるのがとてもうれしいです。

その後、クーラは、この役柄では2010年のウィーンで、ロバート・カーセン演出の現代的な舞台にも出演しています。

しかしクーラは、もうこのデ・グリューの役は、卒業してしまったようです。
最近のインタビューで次のように語っていました。

「私は、ロドルフォ(ラ・ボエームの主人公)やデ・グリュー(マノン・レスコー)を愛している。本当に非常に美しい役柄であり、挑戦的であるが、テノールのためにとても良いものだ。私はこれらを歌うことに大きな喜びを感じるが、しかし、53歳の私は、ロドルフォに、皮膚感覚での信憑性を見いだすことができなくなった。時代は変わり、パヴァロッティが60歳や70歳でやったようには、我々はロドルフォを歌うことはできない」

残念ですが、ドラマのリアリズムを大切にするクーラにとっては、当然のことなのかもしれません。
ということで、今回は、クーラのデ・グリューを、写真や動画、インタビューなどから振り返ってみたいと思います。

DVDはおすすめです。プッチーニの美しく、情感あふれる音楽、若々しいクーラとグレギーナの迫力ある歌声、そして魅力的な舞台姿。マノンとデ・グリューの、若く、愚かで、情熱的な愛が切ない、感動的な舞台です。
アマゾンでも入手できるようです。まだご覧になっていない方は、以下の紹介ビデオを、ぜひ、ご覧になってください。




DVDの紹介ビデオ。1998年スカラ座でのムーティ指揮、グレギーナとクーラのマノン・レスコーより。第4幕、追放されアメリカの大平原に流刑となった2人、渇きと飢えを訴えるマノン、助けたいが何もない荒れ地で絶望するデ・グリューの慟哭。 

*残念ながらレーベルの公式の紹介動画が削除されてしまいました。とりあえず音声だけですが、第4幕の2人の場面を。

Puccini: Manon Lescaut / Act 4 - "Sei tu che piangi?" (Teatro alla Scala, Milan 1998)


Puccini: Manon Lescaut (Teatro alla Scala, Milan 1998)
Maria Guleghina, José Cura, Lucio Gallo
Corpo di Ballo ed Orchestra del Teatro alla Scala
Conductor: Riccardo Muti
Director: Liliana Cavani

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――スカラ座でのマノン・レスコーのデ・グリューのロールデビューを前に 1998年のインタビューより
●デ・グリューは、これまでで最も危険な役柄


これは、私のキャリアのなかで、最も危険な指名だ。
デ・グリューの役柄は、プッチーニのリリックテノールの役柄のなかで、最も長く、おそらく最も要求がきびしい――5つの曲と大きいデュエットがある。
マノン・レスコーの後、あらゆるオペラは、テノールのための子守り歌になる。それほどタフだ。






――1998年のインタビューより
●マノン・レスコーはテノールにとって、ワルキューレのオーケストレーションを伴ったラ・ボエーム


マノン・レスコーのデ・グリューの音楽の声域は、リリック・テノールのもので、例えばリゴレットのマントヴァ公爵のテノールのようなもの。しかし、特に現在のオーケストラでは、オーケストレーションは非常に重く、音域が444Hzかそのあたりの場合、音は非常に明るく、力強い。だからそれは、ラ・ボエームのテノールのために書かれた、ワルキューレのオーケストレーションをもったオペラ。マノン・レスコーは、プッチーニの「ワグネリアン」の時期に書かれたものだ。
これはテノールが1時間かそれ以上歌う、プッチーニのただひとつのオペラだ。
だからマノン・レスコーのためには、声と技術が必要だが、度胸も必要となる。








――1998年のインタビューより
●芸術は喜びと愛と苦痛の入り混じったもの

もし人々が、「クーラはコレッリほど良くない」と言うのなら、それで良い。それは真実だ。しかし、彼らが、「ステージの上のクーラは、CDのクーラほど良くない」という時、私は重大な危機にさらされている。最近、私が受けた最高の賛辞の1つは、次のようなものだった――「CDは、あなたの声の素晴らしさを50%しか反映していない」。

一部の批評家は言った。舞台上で、すすり泣くべきではない、ステージ上でこれらの役柄をやっているのであって、キャラクターが感じている痛みなのだから、と。
マノン・レスコーでは、あなたの腕の中で彼女が死んでいく。その時、涙にむせぶことなく、一体、あなたは何をしようというのか。
ある人々が、感情、情熱なしに音楽を録音しようとする方法は、私には理解できない。

たぶん私は、彼らの前では、キャリアが終わり、「古い」ものになるかもしれない。しかし、私は、私の芸術は、喜びと愛と苦しみが入り混じったものであると考えている。
それが人生だ。









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スカラ座でのクーラは、まったく易々とデ・グリューを歌っているように思っていましたが、プッチーニのスコアの詳しい分析をふまえて、相当な覚悟と構えで、この役にのぞんでいたのですね。

2010年、クーラは48歳になる年に、再度、このタフな役柄、デ・グリューに挑戦しました。
このウィーンでの舞台は、残念ながら正規の録音や動画はありませんが、幸い、Youtubeに、いくつかの場面がアップされてます。音も画像もあまり良いとはいえませんが、クーラの声の響きが聞き取れるのがうれしいです。批評も好評だったようです。




2010年、ウィーン国立歌劇場でのマノン・レスコーより、第1幕、デ・グリューが歌う「栗色、金髪の美人たちの中で」
José Cura - Manon Lescaut - Tra voi, belle





2010年、第1幕、マノンの美しさに心を奪われたデ・グリューの「見たこともない美人」
José Cura - Manon Lescaut - Donna non vidi mai





2010年、第2幕、デ・グリューと引き離され、金持ちの愛人として贅沢な生活をしているマノンのところに、突然あらわれたデグリュー。責めるデ・グリューにマノンは許しを請い、すがりつく。デ・グリューはマノンの魅力に負け、許し、抱き合う。「ああ、私が一番きれいなのね~あなたなの、あなたなの、愛する人」~
Olga Guryakova、José Cura - Manon Lescaut - Tu, tu, amore, tu






2010年、第3幕、パトロンのもとを逃げ出したことで逮捕され、アメリカに囚人として送られるマノン。港で助けようとしたが、できず、涙ながらに「自分も連れて行ってほしい」と訴える、デ・グリューの「狂気の私を見てください」
José Cura - Manon Lescaut - No, no, pazzo son





(おまけ)
2000年ブダペストのコンサートより、クーラが指揮する、マノン・レスコーの間奏曲。
クーラはもともと指揮者、作曲家志望で、15歳で合唱指揮者としてデビュー、大学でも指揮、作曲を専攻している。
José Cura (conductor) Intermezzo from Manon Lescaut Budapest


こちらは音声だけですが、1999年のコンサートから、「栗色、金髪の美人たちの中で」。若々しく軽やかな歌声です。
Jose Cura "Tra voi belle" Manon Lescaut


同じく、1999年のコンサートから、「見たこともない美人」
Jose Cura "Donna non vidi mai " Manon Lescaut


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アーティストとしての芸術的、知的誠実さ、自己検討を大切にしていると語っているクーラ。そういう立場から、ワーグナーやピーター・グライムズへの挑戦で新境地を開く一方、これまで大切に歌ってきたなかでも、大胆に撤退する役柄もある。50代半ばにさしかかるテノールとして、ひとつの節目の時期にあるのかもしれません。

近年は、演目の変化だけでなく、歌中心から、本来の志望であった指揮、そして演出の活動へも、軸足を少しずつ移しつつあります。しばらく中断していた作曲の仕事も、再開、オペラの作曲も手掛け始めていると、フェイスブックでコメントしていました。

美しく魅力的なテノールの役柄でクーラの歌と演技が見られなくなるのは、正直、残念ではありますが、今後の挑戦とあらたな活動を、心から応援していきたいと思います。










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(告知編) 2017年 ホセ・クーラ トスカを演出 in ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル / Jose Cura / Tosca / Dubrovnik Summer Festival 2017

2016-10-13 | 演出――その他



演出家としての活動の比重も高まりつつあるホセ・クーラ。つい先日、ベルギーのワロン王立劇場でのトゥーランドットの演出・舞台デザイン、カラフ出演を終えたところですが、来年もすでに2作品の演出予定があります。


*追加 2017/7/15現在、すでにフェスティバルは開幕、しかしカレンダーには掲載されず、情報もないままです。どうやらキャンセルまたは企画変更になったようで、残念ながら今年、クーラの演出・出演はないようです。
*追加 2017/4/25現在、クーラの公式HPのカレンダーには、この公演予定が記載されていません。
 キャンセルになったのか、あるいは、後から掲載されるのか、まったく情報はありません。
*追加 8/1 すでにフェスティバルは開幕し、クーラ演出のトスカの代わりに、別のオペラ公演があったとの報道がありました。クーラは演出しなかったようです。
 ただこういう計画があったということで、以下の記事は削除せず残しておきます。
 



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(注・以下の記事は事前の報道記事にもとづくものでしたが、ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2017では、最終的にクーラ演出は実現しなかったようです)

1つは、2017年5月のドイツ・ボン劇場での、初挑戦のブリテンの英語オペラ、ピーター・グライムズの演出・主演です。
もう1つは、来年8月のクロアチアのドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2017で、プッチーニのオペラ、トスカの演出です。クーラの公式カレンダーには未掲載ですが、クーラが現地調査をしている様子なども報道されました。
今回は、このトスカの演出について、今ある情報をまとめてみました。

ドゥブロヴニク・サマーフェスティバルは、クロアチアの世界遺産に登録されている美しい街ドゥブロヴニクの伝統あるフェスティバルで、テーマは「自由」とのこと。1956年から開催されている歴史ある催しで、毎年7月から8月にかけて1か月余りにわたって、演劇やバレエ、オペラ、コンサートなどが、旧市街の広場や通りなど街のさまざまな場所で行われているのだそうです。すごいですね。

クーラは、今年の第67回のフェスティバルに招かれて、指揮者としてオープニング・コンサートで指揮、歌手としてガラ・コンサートに参加しました。さらに、フォトグラファーとして、写真展も開催しています。
その際の多くの写真や動画、クーラの興味深いインタビューがネット上にも掲載されましたので、いずれ、まとめて紹介したいと思います。(実のところ、クロアチア語からの翻訳がなかなかすすまないために、掲載が遅れています(>_<)...。)

そして来年の第68回は、演出家としての参加になるようです。カヴァラドッシを歌うかどうかは、報道からはわかりませんでした。 
 


来年の紹介の前に、少しだけ、今年の様子を。

オープニングコンサートで指揮をするホセ・クーラ




ガラ・コンサート アルゼンチンやラテン・アメリカの歌をメインにしたようです。




会場は、1715年に建てられた美しい聖ヴラホ教会とその前のルジャ広場。右奥の方の大通りまで人でびっしり埋め尽くされているようすがわかります。




こちらは今年の67回の総集編的なショートビデオ。多彩な内容が圧巻。ちらちらと、クーラの姿も見えます。歌声はありません。
Short video preview of the 67th Festival  Kratki video pregled 67. Igara


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――2017年ドブロヴニク・サマーフェスティバルについて、クロアチアのニュースより

「2017年8月、ドブロヴニク・サマーフェスティバルの一環として、素晴らしいプッチーニのオペラ『トスカ』を上演する。それは、聖ヴラホ教会の前で第67回ドゥブロヴニク・サマーフェスティバルの開会式とガラ・コンサートにおけるパフォーマンスで観客をワクワクさせた、著名なテノールであり、指揮者、演出家であるホセ・クーラによって演出される」(justdubrovnik.com

現地で図面を見ながら、関係者との打ち合わせ中のようです。








――会場は11世紀の修道院の史跡

場所は、何やら遺跡のようですが、実はここは、11世紀に建てられたベネディクト会修道院の跡地なのだそうです。
ここに800席の観客席が設置されるとのことです。




トスカの舞台となったのはローマのサンタンジェロ城。今度のクーラ演出では、このドブロヴニクの自然と歴史的建造物を利用して、クーラがどのように想像力、創造力を発揮して舞台をつくるのか、とても楽しみです。






――アドリア海に浮かぶ島で

しかもこのベネディクト会修道院は、ドゥブロヴニクの街の対岸、アドリア海に浮かぶ島にあるのです。
美しく、ロマンティックなロケーション、自然と文化遺跡、芸術が一体化した舞台、本当に魅力的で、ぜひ行ってみたいと思わされます。

会場のあるロクルム島 (フェスティバルのフェイスブックより)



――場所は理想的、絶対的な壮観に
●ロケーションの美しさ、雰囲気に魅了されたクーラ

ニュースによると、クーラは、ベネディクト修道院の美しさと雰囲気に魅了され、しばらく時間をとって遺跡のなかを見てまわったようです。
そしてつぎのように語ったと報道されていました。

「場所は、理想的。それはまさに、ドゥブロヴニクとドゥブロヴニク・サマーフェスティバルのための主要なステージとして求められるもの。
すべてのものを組織することが必要だが、そして、それは素晴らしい仕事。このオペラは絶対的な壮観になる。」



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クーラの演出の仕事は、これまでのカヴァレリア・ルスティカーナや、ラ・ボエームトゥーランドットなどを見ても、ドラマと人間の感情をリアルに、そして温かく描きだすものが多いように思います。この美しい史跡の風景のなかで、歌姫トスカと理想主義者カヴァラドッシをめぐる愛と死、革命を背景にしたドラマをどのようにつくりあげるのでしょうか。
今後また、この演出の構想に関する情報が集まったら、紹介したいと思います。

できれば、カヴァラドッシもまた、クーラに歌ってほしいものです。
ということで、おまけとして、クーラの歌を。

こちらはクーラ演出ではありませんが、2014年、ドイツ・ハノーファーの市庁舎前公園の特設野外ステージで。
Jose Cura "E lucevan le stelle"


同じ2014年、ハンガリーのブダペスト国立歌劇場のトスカに出演した際のニュースクリップ。インタビューと舞台映像あり。
Jose Cura 2014 Tosca in Budapest


なお、クーラのトスカに関する作品解釈や、舞台の紹介は、これまでも以下のような投稿があります。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
 「トスカ ホセ・クーラの“ヴィットリア!”と通行証の謎」
 「2014年ハノーファーのトスカ」



*画像はドゥブロヴニク・サマーフェスティバルのフェイスブック、報道記事などからお借りしました。
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2016年 ホセ・クーラ、プラハ交響楽団とマスター・クラス / Jose Cura in Master Class / Prague Symphony Orchestra

2016-10-12 | マスタークラス



9月から10月初めにかけてのワロン王立歌劇場のトゥーランドットを終えて、ホセ・クーラの次の公演予定は、10月19、20日の、プラハ交響楽団とのコンサートです。
2016年2月にクーラが実施した、マスター・クラスで選抜された若手アーティストと共演する、オペラ・ガラ・コンサートのようです。

クーラは2015/16シーズンより、ピエタリ・インキネン氏が常任指揮者を務めるプラハ響のレジデント・アーティストとして、毎年3回のコンサートを行う契約をしています。内容は、歌、指揮、作曲家としての作品上演、そしてマスター・クラスなど、多彩です。
レジデントとなってから、初回の2015年10月2回目の今年2月に続いて、今回が、3回目です。





José Cura
19 and 20 October 19:30 Smetana Hall, Municipal Building
Giacomo Puccini, Gioacchino Rossini, Giuseppe Verdi, Georges Bizet, Ruggero Leoncavallo
Barbora Polášková, Esther Pavlů, Barbora Řeřichová Perna, Dana ŠŤASTNÁ, Alžběta VOMÁČKOVÁ, Ján Kostelanský, Lukas Hynek-Krämer
... And José Cura = singing
Prague Symphony Orchestra. m. Prague Symphony Orchestra
Marco Comin = conductor


この10月のコンサートは、プッチーニ、ヴェルディ、ビゼーなどのオペラ・アリアを主なプログラムとする、ガラ・コンサートです。クーラは歌手として、そしてマスター・クラスの講師として、教え子たちと共演します。
コンサートに先立って、プラハ交響楽団がHPに、2016年2月に開催されたクーラのマスター・クラスの様子の画像をたくさん掲載しています。いくつか紹介したいと思います。他にも写真やコンサート情報、チケット情報などがありますので、直接、HPを見ていただければと思います。
 → プラハ交響楽団のホームページ

こちらは、クーラのマスター・クラスの様子を放送した、チェコのニュース番組から。
Jose Cura Masterclasses


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●2016年2月、マスター・クラスを前に インタビューより

私は陰鬱な顔の人々と一緒に仕事をするのは好きじゃない。子どもたちは私たちの未来だ。問題があるなら彼らにエネルギーを与えよう。
マスタークラスではヴェルディ、プッチーニのオペラ中心。初心者のためではなく、歌うことを学ぶ場ではない。次のレベルだ。
私は学生たちに、ただ歌うだけではなく、プロフェッショナルな歌手であり俳優としてのツールに目覚めてもらいたいと願っている。








●マスター・クラスを終えて――2016年10月10日付記事より

チェコ共和国は、エミー・デスティンの時代以来、多くの偉大な声を輩出している。
私のプラハのコースの間、講堂にいっぱいの学生が非常に積極的に参加しただけでなく、誰もが熱心に、私たちの仕事を見た。教育への私の夢が、ひとつ、真に成就した。








●ともに課題を克服し、励ましあう

私にとって一番大事なのは、コースの間、私が彼らに提示した課題を障害に対して、彼らがいかに結束して、たち向かっていくかだ。
彼らが、利己的な競争ではなく、ともに励ましあい、課題を克服するために、一緒に仕事をするのを見た時、私は非常に誇らしく感じた。
私はもっと、こういう劇場の仕事を頻繁にやれることを願う。







ワインクーラーを抱えて、いったい何の役を演じているの?
*10/13追記 クーラがFBでこの写真について説明。ハイノートの前に怖がって緊張する生徒に、氷をかけるふりをしてビックリさせ、気をそらしてやった結果、スムーズに高音がだせたということらしいです。


プラハ響のピアニストか、ピアノ教師の方でしょうか。


マスター・クラスを通じて、最終日に選抜された7人が、10月のガラ・コンサートで、クーラと共演するようです。


選抜された人たちとの記念撮影




マスター・クラスの出席者は、若手の歌手、指揮者などから公募され、選考の結果、世界各国から若手アーティストが参加しました。


10/19、20のコンサートでは、ラ・ボエームやリゴレット、アイーダ、カルメンなどから、ソロ、デュエットなどの曲が演奏されるようです。機会があるごとに、熱心にマスター・クラスにとりくんできたクーラ。今回のコンサートも、若いアーティストたちとの共同の力で、大きく成功することを願っています。

*10/13追記 多くの写真でクーラがタオルを持っていますが、クーラのFBによると、実はこの日、39℃の発熱があり、タオルで首筋や顔を冷やしながらマスター・クラスをやりとげたらしいです。生徒たちを失望させないためにキャンセルしなかったと。情熱的でタフなクーラらしい話ですが、生徒を風邪をうつさなかったのか、ちょっと心配ですね^^;



写真はプラハ交響楽団のHPなどよりお借りしました。
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(舞台裏編) ホセ・クーラ プッチーニのトゥーランドットを演出・舞台デザイン・出演 / Jose Cura / Turandot in Liege / Puccini

2016-10-08 | 演出―トゥーランドット

ワロン王立劇場FBより

ホセ・クーラが演出したワロン王立劇場のトゥーランドット、前回の投稿(インタビュー編)で紹介を終るつもりでしたが、劇場がフェイスブックに、舞台裏や舞台の美しいモノクロ写真をたくさんアップしてくれました。紹介したいと思います。
ここではクーラの映っているものを中心に紹介しましたが、それ以外にもたくさんの画像があります。
ぜひ直接ご覧になってください。 → ワロン王立劇場のFB

そのまえに、ラジオ中継から、ちょっぴりですが、第1幕の最後、父とリューの反対を押し切って、カラフが、トゥーランドットの謎への挑戦に名乗りを上げる場面を。
迫力ある合唱、力強く、伸びのある、クーラの“トゥーランドーーーーッーー!!”の声をお聞きください。

Jose Cura 2016 Turandot Act1 last


もうひとつ、第2幕のラスト、3つの謎を解いたカラフが、拒む王女に、「私の名前を当てたら私は死ぬ」と謎を出す場面。最後は、とてもやさしく、ささやくように歌うクーラ。

Jose Cura 2016 turandot Act2 last



劇場FBより、兵士をものともしないマッチョなカラフ


王女トゥーランドットの出す3つの謎に挑戦するカラフ


これはどのシーンでしょうか?勝利を確信したところか、それとも挑戦を決意した場面か・・。


舞台回しの役割を果たした、学校の教師そしてなぞの中国人(?)


ピン、ポン、パンに変身する、仮面劇の3つのキャラクター


リューの死で終わる今回の演出。最後に、未完のまま亡くなった作者プッチーニが登場し、彼の創作したキャラクターたちが死を悼む


カーテンコールで、子役を肩車して観客の喝采にこたえるクーラ。とても子ども好き。今回の演出でも子どもたちが大きな役割を果たした。


大喝采をうけて、感極まった様子のホセ・クーラ。
現地で観賞したファンによるカーテンコールの動画より。写真をクリックするとファンサイト、ブラボクーラページのFBにとびます。
他にもたくさんの貴重なカーテンコール動画や画像がアップされています。 → ブラボクーラページ


劇場のFBに掲載された、楽屋でメイク中のホセ・クーラ


開演前か? 出演者とハグして激励しあうクーラ


出演者のダンサー、ロスさんがインスタグラムにアップしたクーラとのツーショット。by Mégane Ross Instagram
"Con José Cura prima l'ultima recita di Turandot . Quelle chance d'avoir pu travailler pour et avec ce monstre sacré de l'opéra !!!"



共演者、スタッフとくつろぐホセ・クーラ。クーラは、ソリストや合唱、スタッフ、オーケストラなどの劇場の仲間をとても大切にして、いつもフランクに付き合うというエピソードをよく聞きます。そんな様子がわかる一枚。バスでティムール役のDallamicoさんがインスタにアップ。
以下3枚とも by luca.dallamico instagram







なお、まだ録画放送の情報は入ってきていません(2016/10/8時点)。ぜひとも、何らかの形で録画を見られるようにしてほしいと思います。
最後になりましたが、クーラのファンの1人として、ワロン王立劇場には、こういった魅力的な企画を提供してくれたことに、心から感謝したいです。ありがとうございました。
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(インタビュー) ホセ・クーラ プッチーニのトゥーランドットを演出・舞台デザイン・出演 / Jose Cura / Turandot in Liege / Puccini

2016-10-06 | 演出―トゥーランドット



ホセ・クーラが演出、舞台デザインを手掛け、カラフでも出演した、ベルギー・リエージュのワロン王立劇場シーズン開幕公演、プッチーニのトゥーランドット。
大好評のうちに、ついに昨夜10月4日に最終日を迎えました。クーラは演出・舞台デザインの重責に加え、カラフとして1日おきの6公演に出演するという長丁場を、無事に終えました。

10月1日(現地時間)の公演は、急きょ(たぶん)、ネットラジオで生中継がされ、日本でも聴くことができました。
わが家の通信状況がよくないためか、とぎれとぎれとなりましたが、可憐でけなげなリューの歌声、そして時に激しく時にやさしく、全体として大変なパワーと重量で歌いあげたクーラをはじめ、トゥーランドットやピンポンパン、合唱をふくめて充実した歌唱だったと思います。とりわけ、第1幕の「泣くなリューよ」から大合唱につづくシーンは大迫力でしたし、第3幕、リューの死で終わるラストシーンは、胸をつく悲しみと感動の余韻で終り、とても良かったと思いました。
しいて言えば、私としては、カラフとトゥーランドットの最後のデュエットがないために、もっとクーラの声が聞きたいけど・・という思いもありました。

ここで、ラジオ中継から、ほんの少し、クーラの歌う「泣くなリューよ」のさわりの部分を。 → FBのページにとびます。


さて、今回の演出・出演にあたって、クーラのインタビューがネットに掲載されています。読むことができた2つから、抜粋して紹介したいと思います。
すでに、このプロダクションに関しては、(告知編)(演出メモ編)(レビュー編)を掲載しています。合わせてお読みいただけるとありがたいです。
なお原文はフランス語で、例によって語学力がないために、誤訳など不十分なことと思いますが、ご容赦いただいて、大意をくみ取っていただくようにお願いします。

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――冷酷さ、利己主義の対極にある、愛による犠牲、リューの死で終わる
Q、あなたの演出では、アルファーノのラストシーンがなく、またその他の最後のシーンもないが、なぜ?

A、いいえ、「他のラストシーンがない」ことはない。なぜなら、最後のデュエットのレトリックはないが、プッチーニの生涯の劇的な終りとともに、物語の最終的な象徴的なシーンをまとめた、「ラストの、そのまたラストシーン」というべきもので終了するからだ。

これは私の選択であるだけでなく、劇場の要請によるもの。それは、私に良く合う――ほとんどフロイト的な性的な意味合いをもつ、最後のデュエットを行わないことによって、道徳的な子どもたちのための物語に戻ることができる――トゥーランドットの冷たさとカラフの利己主義の反対である、愛による犠牲の価値を強調するリューの死とともに終る。

Q、カラフはトゥーランドットと恋に落ちたのか、それとも征服のため、または政治的欲求によって動機づけられたのか?

A、カラフはトゥーランドットへの愛情をもっていない。彼は愛について語ることはないが、肉体的な所有と復讐について語る。
「おまえは、私の王国を奪い、そして私の父と私を檻に入れ、私の人々を殺す、だから私は、お前を打つ」――彼女の美しさは、彼の掠奪者としての本能をかきたてただけだ。
そして、彼は、望んでいるものを手に入れるためには、リューの犠牲を避けるための行動をせず、また彼の父の命を危険にさらすことに疑問を持っていない。
もしアルファーノのラストシーンがあると、事態はさらに厳しい――オペラの終りに、まだリューの遺体が温かいうちに、誰もが勝者のために喜ぶことになる。

Q、トゥーランドットは愛を恐れていた?それとも何らかの関係を恐れていた?

A、王女は肉体的な愛を恐れていた。したがって、男性の官能性に直面しておびえ、震える。男性を憎むのは、彼女の1人の祖先の受けたレイプを理由にしている。
空想のために求婚者を殺すことに躊躇しない彼女は、皮肉なことに、自らの一部が拒否していることを受け入れるために、リューの犠牲、「別の女性らしさ」を必要とする。

Q、カラフとリューとの関係をどうみている?

A、リューは、カラフだけでなく、彼の父親に対して、偉大な愛の教訓を与える。第1幕で、ティムールは彼の人生が、家族や政治状況によってではなく、1人の奴隷によって助けられたことを、感謝と驚きとともに認めている。若い女性は、たぶん、兵士たちにレイプされ、囚人のように飢え、虐待されていたにもかかわらず、恨みもせず、手助けした。

そしてその後、彼の息子を救うために自らの命すら与えた。利己的で傲慢なその男、この王子の顔に、ある日、笑顔の影を見たと思ったという理由だけで。
これは貴族としての最低限のもの。その有名な笑顔が、本物の愛情のしぐさだったのかどうか、奴隷の喜びをつくったのは、甘やかされて育った彼のしかめっ面か.....それは検証されることなく、彼が死ぬまで敬虔なカラフのままだ。

――演出家として、そして歌手として
Q、ここのように、演出と歌を同時に行う時、初演の夜、あなたは自分の役柄だけを考えて行動するのか、それとも演出家として、ステージングや他のキャラクターの行動の詳細を批判的な目でみる?

A、それはとても良い質問だ。私は完全な答えをもっていない。
私は、自分自身を切り離して、自分のキャラクターになることを心がけているが、演出であることを残し、私の眼は注意深くなっていることを認める。しかしまた、セットのなかの全員が、身体と心とともにこの歴史の中にあると感じたときには、私はそのなかに身を投げ、まわりの世界を忘れてしまったかのようになるというのもまた、真実だ。
このプロダクションでは、例えば、ラストシーンをデザインして以来、泣くことなしにショーを終るのは難しい・・。

(以上、「La Libre.be」より)




――予算の限界、論理的な一貫性、自分自身の限界ふまえて
Q、演出、舞台デザイン、そして時には、衣装や照明、メイクも担当することがあるが?

A、実際のところ、すべては劇場の予算にかかっている。
予算が限られている場合、そして衣装デザイナーを雇う費用が高すぎると、私は衣装の作業部門と直接、一緒に仕事をする。アーティストは大きな子どもであり、常に大きな夢を求めている。

通常、私は演出を任せられた時には、セットのデザインもしようとする。論理的な連続性のために。私は、自分自身がイメージできないセットのなかで、歌手として演じる考えを好まない。他の誰かによって設計された家に住むことは、非常にイライラさせられる場合があるように。

その後、私は自分のデザインを描くが、最初から舞台の全てのことを私の頭の中でつくりあげているわけではない。舞台をデザインしたら、どんな服を着るのかと考える。私は装飾を構築することからスタートすることはない。

そしてもちろん、自分自身の限界を知っていなければならない。それは私がアーティストのチームによってサポートされる理由だ。設計者として私は、特に、私のスケッチを実現可能なものに変換してくれる人が助手になってくれるのが夢だ。




Q、リエージュでの演出はどのようなものに?

A、いつものように、私は、美しい伝統と、一定の現代性との間の良い妥協点を求めている。私は、バランスと、時代にかかわらず、上品な美しい言葉を見いだすことを試みる。残念ながら、これらの性質は常に両立するわけではない。

リエージュのトゥーランドットは、リューの死で終了する。それは、アルファーノによって書かれた部分の品質の判断によるのではないが、しかし、最後のデュエットは、オペラのそれ以外の部分と比較して、音楽的に非常に攻撃的であり、彼は非常にエロティックに語っている。私の観点では、この、女性性(フェミニン)と男性性(マスキュリン)の間の対決を含む時、作品は視聴者に対して、はるかに挑戦的になる。

もしその部分がなくなると、観客にとって、もっと優しく終り、そしてとても悲しい――それは、いっそう寓話のようになり、私たちは、寓話はめったに良い終り方をしないことを知っている。

Q、この寓話の教訓とは?

A、トゥーランドットはリューに問う、「いったい誰が、お前の心にそんな強さを?」と。そしてリューは答える、「愛」。
そしてこのことが、大人の世界の性的な攻撃性をぬきに、子どもの想像力に根差した舞台をデザインすることを私に許すものだ。だから舞台の前面には子どもたちがいて、この歴史を夢に描き、その夢は、リアリズムぬきに、ボードの上に映しだされ、増幅されることになる。
同様に、ステージ上のゲームは、ナイーブな(純朴な)ものになる。例えば、トゥーランドットの護衛は、6人の忍者で構成されている。もちろん、忍者は日本のもので、中国のものではないことを知っている。しかし私が子どもたちにこのオペラの話をして、彼らに、どうやって視覚化するかとたずねたら、彼らはみんな、私に忍者のことを語ってくれた。忍者には、子どもたちが変装する。そして、血は流れない、全ては子どもたちのゲームのままになる。



――演出と歌手、両方を担う誘惑と大変さ
Q、歌手、演出、指揮の主に3つの活動に分かれているが?

A、私は演出と歌の両方をしないようにしたのだが、劇場が、オテロやトゥーランドットなどの役柄で私に歌うように依頼するのは当然のことであり、それに対して、「ノー、私は演出中だから」と断るのは非常に困難だ。
しかし、両方をやることで、それは疲れるというより、とりわけ、リハーサルの最後の週には、歌手モードで行けるように、頭のなかをよく準備するように、整理しなければならない。その時点で、舞台が軌道に乗ったと確認した時、私は、歌手ではない。通常、これ以上解決すべき技術的な問題がない場合、私は、指揮者に「車にキーを」と伝える。

人々がアーティストについて空想することはよい。時々、あなたは、なぜ私が多くのことをするのか、と問い、私はいつも、「なぜいけない?」と答える。私はプロフェッショナリズムを示し、その結果は向上している。私は、個性を閉じ込め、箱の中に鍵をかけようとするべきではないと思う。誰もが、実験し、失敗し、たたかれ、そして思うようにすすむ権利をもっている。

――キャリアと役柄
Q、デビュー当時以来、20世紀の音楽にはほとんど取り組んでいない?

A、それは本当で、私たちの時代の音楽をほとんど歌っていない。私はそれを逃しているが、ある意味で、劇場の選択も理解できる。たとえば私が、オイディプス王を歌うと、劇場に言うのは難しい。これは、特定の役柄に支払われる価格、オペラ劇場が関わる必要のないことだ。私がオテロやカラフを歌えなくなった時には、現代音楽に身を投じることもあるだろう。私はその試みに非常に好奇心があり、そしてミュージシャンとして、私に大きな喜びを与えてくれるだろう。

Q、1850年から1925年までの間に作曲されたイタリアの作品を歌うことが多いようだが、ノルマのポリオーネは?

A、私はノルマで歌った。そこでのテノールの役柄は、私のような声にとって非常に快適だが、舞台上で多くの喜びを与えるものではない。ベッリーニの信じられないほど素晴らしい音楽にもかかわらず、私はキャラクターに面白みがないと感じる。オペラのスタイルに耳を傾けるのは好きだが、それは歌手としての私に多くの感情を与えるものではない。
私は2007年のウィーンで、この役柄に別れを告げた。その時のパートナーは、エディタ・グルベローヴァとエリーナ・ガランチャだったので、それ以上のキャストを望むことはできなかった。人々は、あなたは何でも歌うことができる、というかもしれないが、私には、知的誠実さから、演じることを拒否しているいくつかの役柄がある。
 * 2007年のグルベローヴァ、ガランチャとのノルマ → この投稿で紹介しています。




――ついに実現するワーグナーでのデビュー
Q、2007年のインタビューでは、2010年にコンサート形式でパルジファルを歌うと聞いたが?

A、私はドイツ語を怖れ、自分のスコアを知っていたが、コンサート形式なら可能だろうと思い、受け入れた。しかしコンサートは残念ながらキャンセルされた。

Q、ついに2017年2月に、モンテカルロでワーグナーのタンホイザーにデビューするが?

A、タンホイザーは、偉大で、巨大な、非常に難しい役柄であり、私は怖ろしく怯えていることを告白しなければならないが、もし私がマスターしていない言語でそれを解釈しなければならないならば、それは単に不可能だっただろう。少なくとも、フランス語版のおかげで、私はワーグナーを歌うことができる。

Q、このフランス語版タンホイザーのプロジェクトはどのように始まった?

A、私がヴェルディのオペラ、スティッフェリオのためにモンテカルロ歌劇場に行った時、Jean-Louis Grindaは、タンホイザーのパリ版をやりたがっていた。彼が私に提案し、私はやりたかったと答えた。そして、それがフランス語で正式に書かれた唯一のワーグナーであるので、私の唯一のワーグナーへの挑戦となるだろうと思う。

Q、言語だけでなく、長さも問題になる?

A、私はタンホイザーと苦闘している。キャラクターのなかに意味を見いだすために、多くの労力を費やす。音楽が展開するにつれて、つぎつぎ現れ、3秒で表現されている可能性すらあるメッセージをつかみとるために。
レトリックはワーグナーのスタイルの一部であり、その音楽の美しさは信じられないほどだ。しかし、イタリアオペラのリズムに慣れ、「リアリズム」の演技のなかにいる人間には、多くの思考が必要であり、私はバランスを見つける必要がある。

 *タンホイザー挑戦についての告知は、→ こちらの投稿で



――最大のチャレンジ、ピーター・グライムズ
Q、2016-17シーズン中のもう一つの冒険、20世紀の英語のオペラで歌い、演出する?

A、ピーター・グライムズは、私のキャリアにおける最大のチャレンジ。私はいつも、これを歌うことが夢だと言い続けてきたが、ボン劇場の人々が、私のインタビューでそれを読み、私を雇った。そしてまた、私は誘惑に抵抗できなかったために、演出もおこなう。ブリテンにおいて、私はほとんどゼロからスタートする必要があり、特に美学、言語、音楽、30年の歌のキャリアの後に、これは非常にリフレッシュになる。
台本は本当に信じられないすごさ、素晴らしいスコア、音楽とアクションとの間の結びつきは総合的で、私自身にとっては、ワーグナーよりも、はるかに快適な方法だ。このプロジェクトは、私の情熱を大いに鼓舞してくれる。

Q、新しいキャラクターの一方、撤退するキャラクターも?

A、私は、ロドルフォ(ラ・ボエームの主人公)やデ・グリュー(マノン・レスコー)を愛している。本当に非常に美しい役柄であり、挑戦的であるが、テノールのためにとても良いものだ。私はこれらを歌うことに大きな喜びを感じるが、しかし、53歳の私は、ロドルフォに、皮膚感覚での信憑性を見いだすことができなくなった。時代は変わり、パヴァロッティが60歳や70歳でやったようには、我々はロドルフォを歌うことはできない。彼に対し、人々は、目をつぶって、この驚くべき声の美しさに耳を傾けた。

Q、ホセ・クーラの将来のプランは?

A、自然は自然であり、我々は、人生の旅を続けることから逃れることはできない。私が、いつまで歌う声をもっているのか、知らない。
ある日、もはや私が、大きな物理的な強さと一定の若さを必要とする役柄を歌うことができなくなったら、私は、指揮者としての活動、または演出に力を注いでいく。
そして、何らかの小さな役柄で歌うことを除外しない。私はトゥーランドットで皇帝かもしれない。カギは、組織されていることであり、お金のためにやることはない。
15年前、私がカヴァレリア・ルスティカーナでトウリッドウを歌った時、マンマ・ルチアは、伝説的な歌手、マグダ・オリベーロだった。

――時間をかけて解釈、成熟へ
Q、ホセ・クーラにとって、残っている探求は?

A、私のキャリアにおいては、私を魅了し、最も喜びを与えてくれるキャラクターにアプローチし、そして、私が快適に感じ、人びとに何らかのおもしろいものを提供できる場所で過ごすことができた。アーティストとして幸運である場合、期待にこたえ、妥協を受け入れず、自分自身に対して厳しくあることが不可欠だ。
私は、歌手として夢見たすべてをやることができた。まだピーター・グライムズが残っていたが、今シーズン、歌えることになった。成熟した役柄のためには、何年もかかる。明らかに、成熟度の点では、最初のピーター・グライムズは、250回演じたオテロのようにはいかない。だから私は、かなりの時間をかけて、ブリテンの英雄を解釈することができるよう願っている。

(「Forumopera.com」より)



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現地のレビューや劇場のFBに掲載された観客の声などを読むと、今回のリエージュのトゥーランドットが、本当にみんなに愛され、感動をひろげたことが実感されました。
音楽面でも、クーラのカラフをはじめ、指揮、歌手、コーラス、子どもたちそれぞれが、高く評価されました。

これは現地で観賞した方のFBに掲載された、カーテンコールの映像です。
熱狂的で、長く続く拍手と、地響きのように聞こえる足踏みの音がわかります。 → FBの動画



演出の面では、今回は、愛の力についての寓話をテーマとして、楽しい仕掛けをふんだんに取り入れ、また作曲の途中で亡くなったプッチーニを追悼するという、わかりやすく、誰でも楽しめて、心をうつものとなったようです。
これまでの作品を見ても、クーラの演出は、現代社会に鋭く切り込む抜本的で前衛的な読替えというわけではなく、どちらかというとオーソドックスですが、脚本とスコアを大切にするとともに、現代社会と誠実にむきあい、現代に生きる私たちに、舞台のキャラクターをめぐるドラマと感情を、リアルに、胸に迫って伝えてくれるものであるように思います。

これまでいくつかの投稿で紹介してきましたが、クーラは、90年代末に、次世代の大スターとして宣伝され、「次期3大テノール」とか「第4のテノール」として売り出された経過があります。しかし彼は、そういうマーケティングのやり方、芸術的な内容ではなく外見で彼の美しさを売り出すような、商業主義的な流れに対して、反旗をひるがえし、エージェントと決別して、すべてを自分だけでコントロールする道を選択しました。
その結果、数多くのチャンスを失ったことでしょうし、攻撃やネガティブキャンペーンも経験しました。もしいわれるままにレールの上を走り続けていたら、今頃、どうなっていたでしょう?

しかし商業主義の商品になることを拒否し、自分の信ずる芸術の道を精進してきた、その一つの到達が、今回のトゥーランドットであったと思います。
演出、舞台デザイン、主演を担うとともに、チームワークを大切にして、出演者、スタッフ、オーケストラ、劇場のみんなでひとつの舞台をつくりあげ、労苦をともにするというのは、クーラが大好きな、本当に楽しく、やりがいのある仕事だったこと思います。それが大きく成功し、高く評価されたことを、ファンとして心から喜びたいと思います。
そして、早期にDVD化やテレビ放送が実現することを切に願います。




 *ホセ・クーラのフェイスブックに掲載されたサンドラ・オットさん撮影の写真。
  その他の写真は、劇場のHPなどからお借りしました。
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