第02回
以下の事例に基づき、甲、乙及び丙の罪責について論じなさい(特別法違反の点を除く。)。
1 甲は、中古車販売業を営んでいたが、事業の運転資金にするために借金を重ね、その返済に窮したことから、交通事故を装って自動車保険の保険会社から保険金をだまし取ろうと企てた。甲は、友人の乙及び丙であれば、協力してくれるだろうと思い、2人を甲の事務所に呼び出した。
甲が、乙及び丙に対し、前記企てを打ち明けたところ、2人はこれに参加することを承諾した。3人は、更に詳細について相談し、
(1)甲の所有する普通乗用自動車(以下「X車」という。)と、乙の所有する普通乗用自動車(以下「Y車」という。)を用意した上、乙がY車を運転して信号待ちのために停車中、丙の運転するX車を後方から低速でY車に衝突させること、
(2)その衝突により、乙に軽度の頸部捻挫の怪我を負わせること、
(3)乙は、医師に大げさに自覚症状を訴えて、必要以上に長い期間通院すること、
(4)甲がX車に付している自動車保険に基づき、保険会社に対し、乙に支払う慰謝料のほか、実際には乙が甲の従業員ではないのに従業員であるかのように装い、同事故により甲の従業員として稼働することができなくなったことによる乙の休業損害の支払を請求すること、
(5)支払を受けた保険金は3人の間で配分することを計画し、これを実行すること
を合意した。
2 丙は、前記計画の実行予定日である○月○日になって、これらの犯罪に関与することが怖くなり、集合場所である甲の事務所に行くのをやめた。
甲及び乙は、同日夜、甲の事務所で丙を待っていたが、丙が約束した時刻になっても現れないので、丙の携帯電話に電話したところ、丙は、「俺は抜ける。」とだけ言って電話を切り、その後、甲や乙が電話をかけてもこれに応答しなかった。
甲及び乙は、丙が前記計画に参加することを嫌がって連絡を絶ったものと認識したが、甲が丙の代わりにX車を運転し、その他は予定したとおりに前記計画を実行することにした。
そこで、甲はX車を、乙はY車をそれぞれ運転して、甲の事務所を出発した。
3 甲及び乙は、事故を偽装することにしていた交差点付近にさしかかった。乙は、進路前方の信号機の赤色表示に従い、同交差点の停止線の手前にY車を停止させた。甲は、X車を運転してY車の後方から接近し、減速した上、Y車後部にX車前部を衝突させ、当初の計画どおり、乙に加療約2週間を要する頸部捻挫の怪我を負わせた。
甲及び乙は、乙以外の者に怪我を負わせることを認識していなかったが、当時、路面が凍結していたため、衝突の衝撃により、甲及び乙が予想していたよりも前方にY車が押し出された結果、前記交差点入口に設置された横断歩道上を歩いていたAにY車前部バンパーを衝突させ、Aを転倒させた。Aは、転倒の結果、右手を路面に強打したために、加療約1ヶ月を要する右手首骨折の怪我を負った。
その後、乙は、医師に大げさに自覚症状を訴えて、約2ヶ月間、通院治療を受けた。
4 甲及び乙は、X車に付している自動車保険の保険会社の担当者Bに対し、前記計画どおり、乙に対する慰謝料及び乙の休業損害について保険金の支払を請求した。しかし、同保険会社による調査の結果、事故状況について不審な点が発覚し、保険金は支払われなかった。
練習答案の作成
(1)甲の罪責について。
第1は、甲が乙に頸部捻挫の怪我を負わせた行為についてです。この行為は傷害罪の構成要件に該当しますが、乙がそれに同意していたことから、傷害罪の違法性が阻却されるのかという点です。被害者の同意は、構成要件該当性によって推定された違法性を阻却する事由(超法規的違法性阻却事由)と理解されていますが、乙から得られた同意が保険金を騙取する目的によるものであっても、違法性を阻却するのかというのが争点です。違法性阻却の原理については、現在では社会的相当性説(行為無価値論の立場)が有力です。つまり、被害者の同意があったことだけでなく、同意が得られた目的や動機、傷害を生じさせた方法・手段、身体的部位、傷害の重大性などを総合的に評価して、違法性阻却の可否が判断されます。
第2は、甲がAの右手首骨折の怪我を負わせた行為についてです。Aが右手首骨折の怪我を負ったのは、乙が乗車するY車がAに衝突したのが直接の原因ですが、それは甲がY車に自己のX車を衝突させなかったならば起こらなかった結果であるといえます。その意味でXの行為とAの怪我の間には条件関係があります。では、刑法上の因果関係はあるでしょうか。この点は相当因果関係説の折衷説から因果関係を肯定できますし(甲が乙のY車に衝突したときに、Y車がAに衝突することを予見することができたか否か)、また客観的帰属論からでも結果の行為への帰属を認めることができるでしょう(甲が乙のY車に衝突する行為の危険性がAの負傷という結果へと実現したか否か)。その論理的根拠をスマートに書くことが求められます。これは甲の行為とAの傷害の因果関係の問題なので、傷害罪の構成要件該当性判断の問題です。
次に、甲は乙に頸部捻挫の怪我を負わせる認識はあったので、傷害の故意を認めることができるが、Aに対して怪我を負わせる意図はなかった。このような場合でもAに対する傷害の故意を認めることができるのかという点です。これは具体的事実の錯誤における方法の錯誤、つまり主観的に実現しようとした構成要件と客観的に実現した構成要件が傷害罪という同一の構成要件であるが、乙という客体だけでなく、異なるAという客体のところにおいても傷害罪の構成要件を実現した場合の錯誤です。このような錯誤に関しては、法定的符合説の立場から、主観的に認識した構成要件と客観的に実現した構成要件が重なり合う限り、客観的に実現した構成要件的結果に対して故意の成立が認められます。乙に対する故意の傷害罪とAに対する故意の傷害罪の2個の故意の傷害罪が成立することになります。
しかし、1回の意思決定によって行われるのは、1個の行為だけです。1個の故意に基づいて行われるのは、1個の行為だけです。このように考えるならば、故意が向けられていなかったAに対して故意の傷害罪は成立しえないのではなないでしょうか。甲には乙に対して「罪を犯す意思」はありましたが、Aに対して「罪を犯す意思」があったとはいえないのではないでしょうか。故意の内容を具体的な対象と事実に即して評価すると、甲は乙に怪我を負わせようとしていたのであって、Aではありませんでした。生じた傷害という点は同じであっても、その対象が異なる以上、甲に対して「お前はわざとAに怪我を負わせた」と故意の責任非難をすることはできません。これが具体的符合説の考えです。
これに対して、通説・判例である法的的符合説は、故意の責任非難について異なる説明をします。故意の責任非難とは、行為者が構成要件を実現しようとした具体的な対象と事実ごとに成立するというものではなく、「人に怪我を負わすることなかれ」という規範に背いて、人に怪我を負わせた」こと、つまり傷害罪の禁止規範に背いて傷害罪の構成要件を実現した行為者の反規範的な人格態度に対して、故意の責任非難は成立します。従って、傷害罪の禁止規範に背いて、その構成要件を実現した以上、それが乙のところで生じたのか、それともAのところで生じたのかは、故意の責任非難をする上では問題ではありません。責任非難は、乙やAといった具体的な対象を基準にして成立するのではなく、あくまで「人」が基準になります。その意味でいえば、故意の責任非難の対象は「人」というレベルにまで「抽象化」されます。人に怪我を負わせてはならないとする傷害罪の禁止規範に背いて人に怪我を負わせた以上、その人に傷害罪の故意の責任を負わなければなりません。
第3は、甲が故意による事故を過失による事故と偽って、保険会社の担当者Bに対して保険金の請求を行ったが、Bは調査して不審な点を発見し、保険金を支払わなかったことについて、詐欺未遂罪が成立するかという問題です。甲は、保険会社に保険金という財物を交付させるために欺く行為を開始した行為といえます。ただし、Bは調査の結果、不審な点を発見しましたので、事故が過失によるものだと錯誤に陥ったわけではありません。このような場合でも、欺く行為が開始されているので、詐欺罪の実行の着手を認め、詐欺未遂罪の成立を肯定することができるのでしょうか。犯罪の構成要件は法益侵害を類型化したもので、それは特定の個人を基準ではなく、一般人を基準にしたものです。従って、その実行行為も一般人を対象にして類型化されています。詐欺罪の構成要件は、人を欺いて財物を交付させる行為ですが、人を欺く行為というのは一般人に虚偽の事実を真実と認識させる行為です。保険会社のBは故意の事故を過失の事故であると錯誤するにはいたっていませんが、一般人を錯誤に陥れる可能性のある行為がが開始されていれば、詐欺罪の実行に着手したと認定することができます。従って、甲の行為は詐欺未遂罪にあたります。
(2)乙の罪責について
第1は、乙が甲と共謀して故意の事故を過失の事故と偽装しました。そのために甲が行った傷害罪につき乙に共同正犯が成立するかについてです。共同正犯とは、2人以上の者が共同して犯罪を実行することをいいますが、この犯罪とは単独で行った場合でも成立するものでなければなりません。乙に頸部捻挫の怪我を負わせるのは、甲から見れば傷害罪です。しかし、乙から見れば、それは自傷行為でしかありません。それは傷害罪にはあたりません。従って、乙には甲の傷害罪の共同正犯は成立しません。
また、甲の傷害罪は、それに同意した乙の存在なしには行われなかったので、乙は傷害罪の正犯である甲を幇助したと解することもできそうですが、この場合でも甲の傷害罪は乙から見れば同意に基づいて自ら負傷を受けることであり、傷害罪にはあたりません。従って、乙には甲の傷害罪の幇助犯は成立しません。
第2は、甲が行った詐欺未遂罪の共同正犯が乙に成立するかについてです。甲は保険会社のBに対して保険金の請求をし、その際に乙は甲が起こした自動車事故の被害者であることを装っていましたので、乙は甲と共同してBに対して欺く行為を行ったといえます。従って、乙には甲の詐欺未遂罪の共同正犯が成立します。
(3)丙の罪責について
丙は、甲と乙との間で交通事故を偽装し、それに基づいて保険会社に保険金を請求することをを共謀したが、犯行の当日になって「俺は抜ける」との意思を表明しました。甲と乙は、丙が犯行計画に参加することを嫌がって連絡を絶ったと認識したので、甲が丙の代わりにX車を運転し、その他は予定したとおりに計画を実行しました。このような場合、丙には甲が行った傷害罪、そして甲・乙が行った詐欺未遂罪に対して共謀共同正犯が成立するのでしょうか。それとも傷害罪の実行に着手する以前に、共謀関係を解消し、そこから離脱したとして、責任を負わなくてもよいのでしょうか。
共同正犯は、一般に2人以上の者が共同して犯罪を実行する「実行共同正犯」を指します。2人以上の者が犯罪の実行行為を分担し、結果を発生させた場合に、その全員が結果に責任を負わなければなりません。その実行行為を分担しなかった者であっても、犯罪を共謀しただけの者であっても、他の実行者の行為を自分の行為のようにして行わせた以上、結果に対して同じ責任を負わなければなりません。これを共謀共同正犯といいます。刑法60条は実行共同正犯を定めていますが、共同して共謀した者に対しても適用できるというのが判例・通説の立場です。
しかし、犯罪を共謀した者が、他の実行者が当該犯罪の実行に着手する以前に、共犯関係を解消し、またそこから離脱したことが認められる場合には、共謀にのみ関与した者は他の実行者が行った犯罪に責任を負う必要はありません。これを共犯関係の解消または共犯からの離脱といいます。共犯関係の解消を認定する基準は、一般に犯罪の実行の着手の前後に分けられています。実行の着手前の段階では、離脱者が他の関与者に離脱の意思表示をし、その了承を得た場合に離脱が認められます。実行の着手前の段階なので、犯罪の実現のための物理的な作用はまだ生じていません。ただし、犯罪を共謀したので、その心理的な作用は生じています。離脱の意思表示をし、他の関与者がそれを了承することによって、心理的な作用が消滅するので、共犯関係の解消が認められます。これに対して、実行の着手後の段階になると、犯罪の実現のための物理的な作用が生じているので、離脱の意思表示と他の関与者の了承だけでは共犯関係は解消されません。離脱者はその物理的な作用を遮断するなどの措置をとらなければなりません。
本問では、甲が傷害罪の実行に着手する前に丙が「俺は抜ける」と離脱の意思表示をし、甲と乙はそれを認識した上で、計画を変更して、甲が丙の代わりにX車を運転することにしました。これによって、甲と乙は丙の離脱を暗黙に了承し、また丙の犯罪への心理的作用は解消されたものと見なすことができると思います。このように解すことができるならば、丙にはいかなる罪責も生じません。
答案の骨子
(1)甲の罪責について
1乙への傷害罪
1甲の行為は乙に対する傷害罪にあたるか
2傷害罪とは
3被害者の同意は犯罪の違法性を阻却する
4乙の同意は傷害罪の違法性を阻却するか
5結論
2Aへの傷害罪
1甲の行為はAに対する傷害罪にあたるか
2傷害罪とは
3甲には乙を傷害する認識あり。Aにはなし。Aに対する傷害の故意は否定されるのか
4具体的事実の錯誤における方法の錯誤の問題。法定的符合説と数故意説の立場から展開
5結論
なお、乙に対する傷害罪とAに対する傷害罪は、観念的競合(刑50条前段)
3Bへの詐欺未遂罪
1甲の行為はBに対する詐欺未遂罪にあたるか
2詐欺罪とは
3詐欺罪の実行の着手時期 欺く行為の開始
4一般人を錯誤に陥れる行為が開始されていれば着手を肯定できる
5結論
なお、乙に対する傷害罪とBに対する詐欺未遂罪の罪数関係については、併合罪(刑45条前段)と解する立場が多数です。しかし、乙に対する傷害罪は、Bを欺くために行われた行為です。検察官は、詐欺未遂罪の成立を主張するために甲と乙がBを欺く行為を開始したことを立証しますが、そこには甲が乙を傷害したことが含まれ、詐欺未遂罪の犯情の重さとして、傷害罪が含まれています。したがって、傷害罪は詐欺未遂罪の一部として法的に評価されるので、それとは別に傷害罪が成立し、しかも詐欺未遂罪と併合罪の関係に立つと考えるならば、傷害罪を2回評価することになってしまいます。それは二重処罰の禁止を定めた憲法39条に抵触します。従って、傷害罪と詐欺未遂罪は併合罪ではなく、牽連犯(刑50条後段)の関係に立つと解することもできます。
(2)乙の罪責について
1甲の傷害罪に対する共同正犯
1甲の傷害罪に対して共同正犯が成立するか
2共同正犯とは
3乙から見れば甲の傷害罪は自傷行為
4乙には甲の傷害罪の幇助も成立しない
5結論
2甲の詐欺未遂罪に対する共同正犯
1甲の詐欺未遂罪に対する共同正犯が成立するか
2共同正犯とは
3乙は交通事故の被害者として振る舞った
4それはBを欺く行為を甲と共同して行ったといえる
5結論
(3)丙の罪責について
甲の傷害罪、甲と乙の詐欺未遂罪に対する共謀共同正犯
1丙は甲・乙と交通事故の偽装と保険金の騙取を共謀
2共謀共同正犯とは
3共犯関係の解消・共犯からの離脱の要件
4丙は着手前に離脱の意思を表明。甲と乙は暗黙に了承。犯行計画を変更。心理的作用の解消。
5結論
以下の事例に基づき、甲、乙及び丙の罪責について論じなさい(特別法違反の点を除く。)。
1 甲は、中古車販売業を営んでいたが、事業の運転資金にするために借金を重ね、その返済に窮したことから、交通事故を装って自動車保険の保険会社から保険金をだまし取ろうと企てた。甲は、友人の乙及び丙であれば、協力してくれるだろうと思い、2人を甲の事務所に呼び出した。
甲が、乙及び丙に対し、前記企てを打ち明けたところ、2人はこれに参加することを承諾した。3人は、更に詳細について相談し、
(1)甲の所有する普通乗用自動車(以下「X車」という。)と、乙の所有する普通乗用自動車(以下「Y車」という。)を用意した上、乙がY車を運転して信号待ちのために停車中、丙の運転するX車を後方から低速でY車に衝突させること、
(2)その衝突により、乙に軽度の頸部捻挫の怪我を負わせること、
(3)乙は、医師に大げさに自覚症状を訴えて、必要以上に長い期間通院すること、
(4)甲がX車に付している自動車保険に基づき、保険会社に対し、乙に支払う慰謝料のほか、実際には乙が甲の従業員ではないのに従業員であるかのように装い、同事故により甲の従業員として稼働することができなくなったことによる乙の休業損害の支払を請求すること、
(5)支払を受けた保険金は3人の間で配分することを計画し、これを実行すること
を合意した。
2 丙は、前記計画の実行予定日である○月○日になって、これらの犯罪に関与することが怖くなり、集合場所である甲の事務所に行くのをやめた。
甲及び乙は、同日夜、甲の事務所で丙を待っていたが、丙が約束した時刻になっても現れないので、丙の携帯電話に電話したところ、丙は、「俺は抜ける。」とだけ言って電話を切り、その後、甲や乙が電話をかけてもこれに応答しなかった。
甲及び乙は、丙が前記計画に参加することを嫌がって連絡を絶ったものと認識したが、甲が丙の代わりにX車を運転し、その他は予定したとおりに前記計画を実行することにした。
そこで、甲はX車を、乙はY車をそれぞれ運転して、甲の事務所を出発した。
3 甲及び乙は、事故を偽装することにしていた交差点付近にさしかかった。乙は、進路前方の信号機の赤色表示に従い、同交差点の停止線の手前にY車を停止させた。甲は、X車を運転してY車の後方から接近し、減速した上、Y車後部にX車前部を衝突させ、当初の計画どおり、乙に加療約2週間を要する頸部捻挫の怪我を負わせた。
甲及び乙は、乙以外の者に怪我を負わせることを認識していなかったが、当時、路面が凍結していたため、衝突の衝撃により、甲及び乙が予想していたよりも前方にY車が押し出された結果、前記交差点入口に設置された横断歩道上を歩いていたAにY車前部バンパーを衝突させ、Aを転倒させた。Aは、転倒の結果、右手を路面に強打したために、加療約1ヶ月を要する右手首骨折の怪我を負った。
その後、乙は、医師に大げさに自覚症状を訴えて、約2ヶ月間、通院治療を受けた。
4 甲及び乙は、X車に付している自動車保険の保険会社の担当者Bに対し、前記計画どおり、乙に対する慰謝料及び乙の休業損害について保険金の支払を請求した。しかし、同保険会社による調査の結果、事故状況について不審な点が発覚し、保険金は支払われなかった。
練習答案の作成
(1)甲の罪責について。
第1は、甲が乙に頸部捻挫の怪我を負わせた行為についてです。この行為は傷害罪の構成要件に該当しますが、乙がそれに同意していたことから、傷害罪の違法性が阻却されるのかという点です。被害者の同意は、構成要件該当性によって推定された違法性を阻却する事由(超法規的違法性阻却事由)と理解されていますが、乙から得られた同意が保険金を騙取する目的によるものであっても、違法性を阻却するのかというのが争点です。違法性阻却の原理については、現在では社会的相当性説(行為無価値論の立場)が有力です。つまり、被害者の同意があったことだけでなく、同意が得られた目的や動機、傷害を生じさせた方法・手段、身体的部位、傷害の重大性などを総合的に評価して、違法性阻却の可否が判断されます。
第2は、甲がAの右手首骨折の怪我を負わせた行為についてです。Aが右手首骨折の怪我を負ったのは、乙が乗車するY車がAに衝突したのが直接の原因ですが、それは甲がY車に自己のX車を衝突させなかったならば起こらなかった結果であるといえます。その意味でXの行為とAの怪我の間には条件関係があります。では、刑法上の因果関係はあるでしょうか。この点は相当因果関係説の折衷説から因果関係を肯定できますし(甲が乙のY車に衝突したときに、Y車がAに衝突することを予見することができたか否か)、また客観的帰属論からでも結果の行為への帰属を認めることができるでしょう(甲が乙のY車に衝突する行為の危険性がAの負傷という結果へと実現したか否か)。その論理的根拠をスマートに書くことが求められます。これは甲の行為とAの傷害の因果関係の問題なので、傷害罪の構成要件該当性判断の問題です。
次に、甲は乙に頸部捻挫の怪我を負わせる認識はあったので、傷害の故意を認めることができるが、Aに対して怪我を負わせる意図はなかった。このような場合でもAに対する傷害の故意を認めることができるのかという点です。これは具体的事実の錯誤における方法の錯誤、つまり主観的に実現しようとした構成要件と客観的に実現した構成要件が傷害罪という同一の構成要件であるが、乙という客体だけでなく、異なるAという客体のところにおいても傷害罪の構成要件を実現した場合の錯誤です。このような錯誤に関しては、法定的符合説の立場から、主観的に認識した構成要件と客観的に実現した構成要件が重なり合う限り、客観的に実現した構成要件的結果に対して故意の成立が認められます。乙に対する故意の傷害罪とAに対する故意の傷害罪の2個の故意の傷害罪が成立することになります。
しかし、1回の意思決定によって行われるのは、1個の行為だけです。1個の故意に基づいて行われるのは、1個の行為だけです。このように考えるならば、故意が向けられていなかったAに対して故意の傷害罪は成立しえないのではなないでしょうか。甲には乙に対して「罪を犯す意思」はありましたが、Aに対して「罪を犯す意思」があったとはいえないのではないでしょうか。故意の内容を具体的な対象と事実に即して評価すると、甲は乙に怪我を負わせようとしていたのであって、Aではありませんでした。生じた傷害という点は同じであっても、その対象が異なる以上、甲に対して「お前はわざとAに怪我を負わせた」と故意の責任非難をすることはできません。これが具体的符合説の考えです。
これに対して、通説・判例である法的的符合説は、故意の責任非難について異なる説明をします。故意の責任非難とは、行為者が構成要件を実現しようとした具体的な対象と事実ごとに成立するというものではなく、「人に怪我を負わすることなかれ」という規範に背いて、人に怪我を負わせた」こと、つまり傷害罪の禁止規範に背いて傷害罪の構成要件を実現した行為者の反規範的な人格態度に対して、故意の責任非難は成立します。従って、傷害罪の禁止規範に背いて、その構成要件を実現した以上、それが乙のところで生じたのか、それともAのところで生じたのかは、故意の責任非難をする上では問題ではありません。責任非難は、乙やAといった具体的な対象を基準にして成立するのではなく、あくまで「人」が基準になります。その意味でいえば、故意の責任非難の対象は「人」というレベルにまで「抽象化」されます。人に怪我を負わせてはならないとする傷害罪の禁止規範に背いて人に怪我を負わせた以上、その人に傷害罪の故意の責任を負わなければなりません。
第3は、甲が故意による事故を過失による事故と偽って、保険会社の担当者Bに対して保険金の請求を行ったが、Bは調査して不審な点を発見し、保険金を支払わなかったことについて、詐欺未遂罪が成立するかという問題です。甲は、保険会社に保険金という財物を交付させるために欺く行為を開始した行為といえます。ただし、Bは調査の結果、不審な点を発見しましたので、事故が過失によるものだと錯誤に陥ったわけではありません。このような場合でも、欺く行為が開始されているので、詐欺罪の実行の着手を認め、詐欺未遂罪の成立を肯定することができるのでしょうか。犯罪の構成要件は法益侵害を類型化したもので、それは特定の個人を基準ではなく、一般人を基準にしたものです。従って、その実行行為も一般人を対象にして類型化されています。詐欺罪の構成要件は、人を欺いて財物を交付させる行為ですが、人を欺く行為というのは一般人に虚偽の事実を真実と認識させる行為です。保険会社のBは故意の事故を過失の事故であると錯誤するにはいたっていませんが、一般人を錯誤に陥れる可能性のある行為がが開始されていれば、詐欺罪の実行に着手したと認定することができます。従って、甲の行為は詐欺未遂罪にあたります。
(2)乙の罪責について
第1は、乙が甲と共謀して故意の事故を過失の事故と偽装しました。そのために甲が行った傷害罪につき乙に共同正犯が成立するかについてです。共同正犯とは、2人以上の者が共同して犯罪を実行することをいいますが、この犯罪とは単独で行った場合でも成立するものでなければなりません。乙に頸部捻挫の怪我を負わせるのは、甲から見れば傷害罪です。しかし、乙から見れば、それは自傷行為でしかありません。それは傷害罪にはあたりません。従って、乙には甲の傷害罪の共同正犯は成立しません。
また、甲の傷害罪は、それに同意した乙の存在なしには行われなかったので、乙は傷害罪の正犯である甲を幇助したと解することもできそうですが、この場合でも甲の傷害罪は乙から見れば同意に基づいて自ら負傷を受けることであり、傷害罪にはあたりません。従って、乙には甲の傷害罪の幇助犯は成立しません。
第2は、甲が行った詐欺未遂罪の共同正犯が乙に成立するかについてです。甲は保険会社のBに対して保険金の請求をし、その際に乙は甲が起こした自動車事故の被害者であることを装っていましたので、乙は甲と共同してBに対して欺く行為を行ったといえます。従って、乙には甲の詐欺未遂罪の共同正犯が成立します。
(3)丙の罪責について
丙は、甲と乙との間で交通事故を偽装し、それに基づいて保険会社に保険金を請求することをを共謀したが、犯行の当日になって「俺は抜ける」との意思を表明しました。甲と乙は、丙が犯行計画に参加することを嫌がって連絡を絶ったと認識したので、甲が丙の代わりにX車を運転し、その他は予定したとおりに計画を実行しました。このような場合、丙には甲が行った傷害罪、そして甲・乙が行った詐欺未遂罪に対して共謀共同正犯が成立するのでしょうか。それとも傷害罪の実行に着手する以前に、共謀関係を解消し、そこから離脱したとして、責任を負わなくてもよいのでしょうか。
共同正犯は、一般に2人以上の者が共同して犯罪を実行する「実行共同正犯」を指します。2人以上の者が犯罪の実行行為を分担し、結果を発生させた場合に、その全員が結果に責任を負わなければなりません。その実行行為を分担しなかった者であっても、犯罪を共謀しただけの者であっても、他の実行者の行為を自分の行為のようにして行わせた以上、結果に対して同じ責任を負わなければなりません。これを共謀共同正犯といいます。刑法60条は実行共同正犯を定めていますが、共同して共謀した者に対しても適用できるというのが判例・通説の立場です。
しかし、犯罪を共謀した者が、他の実行者が当該犯罪の実行に着手する以前に、共犯関係を解消し、またそこから離脱したことが認められる場合には、共謀にのみ関与した者は他の実行者が行った犯罪に責任を負う必要はありません。これを共犯関係の解消または共犯からの離脱といいます。共犯関係の解消を認定する基準は、一般に犯罪の実行の着手の前後に分けられています。実行の着手前の段階では、離脱者が他の関与者に離脱の意思表示をし、その了承を得た場合に離脱が認められます。実行の着手前の段階なので、犯罪の実現のための物理的な作用はまだ生じていません。ただし、犯罪を共謀したので、その心理的な作用は生じています。離脱の意思表示をし、他の関与者がそれを了承することによって、心理的な作用が消滅するので、共犯関係の解消が認められます。これに対して、実行の着手後の段階になると、犯罪の実現のための物理的な作用が生じているので、離脱の意思表示と他の関与者の了承だけでは共犯関係は解消されません。離脱者はその物理的な作用を遮断するなどの措置をとらなければなりません。
本問では、甲が傷害罪の実行に着手する前に丙が「俺は抜ける」と離脱の意思表示をし、甲と乙はそれを認識した上で、計画を変更して、甲が丙の代わりにX車を運転することにしました。これによって、甲と乙は丙の離脱を暗黙に了承し、また丙の犯罪への心理的作用は解消されたものと見なすことができると思います。このように解すことができるならば、丙にはいかなる罪責も生じません。
答案の骨子
(1)甲の罪責について
1乙への傷害罪
1甲の行為は乙に対する傷害罪にあたるか
2傷害罪とは
3被害者の同意は犯罪の違法性を阻却する
4乙の同意は傷害罪の違法性を阻却するか
5結論
2Aへの傷害罪
1甲の行為はAに対する傷害罪にあたるか
2傷害罪とは
3甲には乙を傷害する認識あり。Aにはなし。Aに対する傷害の故意は否定されるのか
4具体的事実の錯誤における方法の錯誤の問題。法定的符合説と数故意説の立場から展開
5結論
なお、乙に対する傷害罪とAに対する傷害罪は、観念的競合(刑50条前段)
3Bへの詐欺未遂罪
1甲の行為はBに対する詐欺未遂罪にあたるか
2詐欺罪とは
3詐欺罪の実行の着手時期 欺く行為の開始
4一般人を錯誤に陥れる行為が開始されていれば着手を肯定できる
5結論
なお、乙に対する傷害罪とBに対する詐欺未遂罪の罪数関係については、併合罪(刑45条前段)と解する立場が多数です。しかし、乙に対する傷害罪は、Bを欺くために行われた行為です。検察官は、詐欺未遂罪の成立を主張するために甲と乙がBを欺く行為を開始したことを立証しますが、そこには甲が乙を傷害したことが含まれ、詐欺未遂罪の犯情の重さとして、傷害罪が含まれています。したがって、傷害罪は詐欺未遂罪の一部として法的に評価されるので、それとは別に傷害罪が成立し、しかも詐欺未遂罪と併合罪の関係に立つと考えるならば、傷害罪を2回評価することになってしまいます。それは二重処罰の禁止を定めた憲法39条に抵触します。従って、傷害罪と詐欺未遂罪は併合罪ではなく、牽連犯(刑50条後段)の関係に立つと解することもできます。
(2)乙の罪責について
1甲の傷害罪に対する共同正犯
1甲の傷害罪に対して共同正犯が成立するか
2共同正犯とは
3乙から見れば甲の傷害罪は自傷行為
4乙には甲の傷害罪の幇助も成立しない
5結論
2甲の詐欺未遂罪に対する共同正犯
1甲の詐欺未遂罪に対する共同正犯が成立するか
2共同正犯とは
3乙は交通事故の被害者として振る舞った
4それはBを欺く行為を甲と共同して行ったといえる
5結論
(3)丙の罪責について
甲の傷害罪、甲と乙の詐欺未遂罪に対する共謀共同正犯
1丙は甲・乙と交通事故の偽装と保険金の騙取を共謀
2共謀共同正犯とは
3共犯関係の解消・共犯からの離脱の要件
4丙は着手前に離脱の意思を表明。甲と乙は暗黙に了承。犯行計画を変更。心理的作用の解消。
5結論