Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

国旗の保護をめぐる議論について

2024-02-24 | 旅行
  国旗の保護をめぐる議論について
 一 はじめに
 二 外国国章損壊等罪とは何か
  Ⅰ刑法という法律
  Ⅱ国家的法益としての国交
  Ⅲ外国国章損壊等罪
   1外国国章損壊等罪の条文
   2外国国章損壊等罪の成立要件
    ①客観的要件
    ⅰ客体:国旗と国章
    ⅱ行為:損壊、除去、汚損
    ②主観的要件
    ⅰ故意
    ⅱ侮辱を加える目的
 三 国旗保護法規定の要否
  Ⅰ外国人・外国団体の構成員による場合
  Ⅱ日本人による場合
   1日本の政治家に求められるもの
   2国家を語る基本的姿勢
  Ⅲ国旗損壊等罪の保護法益
 四 前提条件としての「日本」

 一 はじめに
 先日、ユーチューブ番組で、ある国会議員の方が国旗保護のための法案を検討していることを知り、興味深く拝聴させていただきました。また、番組MCの方(前国会議員)が他のインターネット番組に出演し、他の出演者との間で国旗保護の要否が問題になり、厳しい批判を受けたことも知り、掘り下げて検討する必要性を痛感しました。
 国会議員の方の提案内容やインターネット番組の他の出演者からの批判点について詳しく知らないので、正確なことは言えないのですが、国旗保護の要否とそれへの批判に関して一般的な考えをまとめました。

 二 外国国章損壊等罪とは何か
 国旗保護法とは、国の旗を保ち、またそれを護ることです。では、それにはどのよう意味あるのでしょうか。国旗の何を保護すべきなのでしょうか。人は国旗に対して様々な感情を抱いているので、国旗保護の意義、保護の要否、その方法など様々な意見が予想されます。ここでは、刑法典第2編第4章「国交に関する罪」第92条の「外国国章損壊等罪」の規定を参考にしながら、自国の国旗・国章の保護の意義、要否、方法について考えてみます。

 Ⅰ刑法という法律
 刑法典は、犯罪と刑罰を定めた法律です。それに該当する行為を行えば、あらかじめ定められた刑罰が科されます。犯罪には様々なものがありますが、一般には犯罪によって侵害される権利や利益(保護法益)の内容に応じて、個人的法益に対する罪、社会的法益に対する罪、そして国家的法益に対する罪の3種類に分類されます。

 Ⅱ国家的法益としての国交
 刑法典第2編(各則)は、大きく分けて、国家的法益に対する罪、社会的法益に対する罪、そして個人的法益に対する罪の順に犯罪規定を設けています。条文の配列関係から見ると、外国国章損壊等罪は国家的法益に対する罪の1つに数えられます。
 国家的法益にも様々な内容がありますが、第2編第4章の章名は「国交に関する罪」とされ、外国国旗損壊等罪は「国交に関する罪」とされていることから見ると、その保護法益は、国交、すなわち日本と諸外国の外交関係であることが分かります。現在のような複雑な国際社会において日本の外交上の利益を守り増進させ、日本の対外的な地位を安定・強化することが重要であることは言うまでもありません。そのために、国際法と国際的な信義に基づいて協調的な平和外交を粘り強く進めることが期待されています。
 日本国内において国際的な信義に反する行為が行われ、諸外国に対する日本の姿勢が疑われるならば、また日本政府がそれを放置するならば、日本の外交上の利益と国際的な地位は失われてしまうでしょう。刑法では諸外国との外交関係を日本の重要な法益(国益)として位置づけ、それを保ち護るために、外国国章を保護する規定を設けています。

 Ⅲ外国国章損壊等罪
 1外国国章損壊等罪の条文
 刑法は第92条で外国国章損壊等罪を定めています。それは次のようなものです。
 刑法第92条第1項 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、または汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
 第2項 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。
 以下では、外国国章損壊等罪の成立要件を整理します。

 2外国国章損壊等罪の成立要件
 ①客観的要件
 ⅰ客体:国旗と国章
 国章とは、国旗と狭義の国章です。国旗とは、国を象徴するために定められた旗です。狭義の国章とは、軍旗や大使館の徽章(きしょう)など国やその機関を示すために定められた国旗以外の旗や物件です。
 本罪の保護法益が「国交」であること踏まえると、外国国章は、日本が当該外国を国家として承認し、それと外交関係を結び、それを受けて日本国内に適法に存在する当該外国の国章であると解されます。ただし、当該国を国家承認していなくても、経済や文化交流を通じて、それに準ずる国際的な関係を築いている場合には、その国の国章も本罪の外国国章に含まれると解すべきでしょう。
 問題になるのは、全ての外国国章を保護の対象にするのかです。運動会や商店街などに様々な国の旗が飾られることがあります。その全てが保護の対象になるのかというと、そうではありません。本罪の保護法益が国交であることを踏まえると、当該外国の国家機関が公的施設において掲揚しているものに限定され、他人の私宅などに私的に飾られた外国国章はそこから除外されると解されます。もちろん、それを損壊することは許されません。それを行った場合には、個人的法益(私的財物の所有権と使用権)に対する罪である器物損壊罪(刑法第261条)によって対処すれば足ります(法定刑は3年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料)。自宅に飾られた自己所有の外国国章を室内で損壊した場合、それは自己の財物を任意に処分する行為(自損行為)なので、それによって国交はもちろん、他人の財産も侵害されないので、法が介入する必要はありません。
 諸外国との外交関係は政治・経済の領域だけでなく、文化やスポーツなどの交流を通じて形成されていることを踏まえると、たとえ私的に飾られた外国国章であっても保護することが必要な場合があります。もっとも、それは国際的な親善試合が開催される公共の競技会場などに掲揚されたものに限定すべきでしょう。
 なお、条文からも明らかなように、本罪の国旗と国章は、外国国旗と外国国章に限定され、それには日本の国旗(日の丸)と国章は含まれません。

 ⅱ行為:損壊、除去、汚損
 犯罪は、行為客体に向けられた外的な行為が行われた場合に成立します。外国国章損壊等罪の場合、その行為は、損壊、除去、汚損の3種に限定されています。
 損壊とは、国旗・国章を破壊または毀損することです。在日本の外国大使館の敷地内に侵入し(邸宅侵入罪)、その国章を引きずり降ろし、破る、燃やすなどの行為がそれにあたります。器物損壊罪の「損壊」と同じように解されます。
 除去とは、ある場所に掲揚されている国旗・国章を他の場所に移転することです。外国大使館の国章を降ろし、それを外すなどの行為が行われることを要すると思います。判例では、ベニヤ板の看板を立て、外国国章を遮蔽した行為が除去にあたると判断されています。国章を遮蔽することによって、その場所が大使館であることが不明になるからでしょう。外交関係の重視という観点から、除去という文言が字義を超えて拡張されて解釈されているようです。
 汚損とは、外国国章を汚し、または不潔にすることです。ペンキで「X」や「卍」と書いたり、踏みつけたり、また唾を吐いたりするなどの行為が汚損にあたります。
 なお、外国国章の損壊、除去、汚損にあたる行為が行われれば、本罪の成立が認められます。保護法益である国交が破綻した、両国関係が断絶したという事態にまで発展することを要しません。本罪は、外国国章の損壊などの行為によって外交関係が危険にさらされた時点で成立します(いわゆる抽象的危険犯)。

 ②主観的要件
 ⅰ故意
 刑法38条1項は、「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」と定めています。罪を犯したとして裁かれるのは、行為者にそれを犯す意思があった場合だけです。その意思のことを故意といいます。
 罪を犯す意思とは、自身が行っている行為が罪にあたることを認識していることです。本罪の場合、その対象が外国国章であること、それを損壊、除去、汚損する行為を行っていることの認識があれば故意を認めることができます。外国国章であることを認識していなかった場合、故意に行ったことを認めることはできません。

 ⅱ侮辱を加える目的
 本罪の成立要件として重要なのは、外国に対して侮辱を加える目的です。
 侮辱とは、一般に人を侮(あなど)り、辱(はずかし)めることです。憲法31条は、人(国民)は個人として尊重される存在であることを明確に定めています。理由もなく、また不当な扱いを受けることは、個人の尊厳を犯すことにほかなりません。刑法231条は侮辱罪を定めていますが、それはこのような憲法の趣旨を踏まえて解釈されます。「侮辱の意義が曖昧だ」と批判する意見を耳にしますが、それは個人の尊厳の意義を明確にすることによって解決されます。侮辱とは、一般に言えば、個人として尊重され、かつ尊重されるべき人の名誉を毀損する言動であるといえます。
 このように侮辱の意味を理解すると、本罪の「侮辱を加える目的」は、外交関係において相互に尊重しあうべき他国の名誉を毀損する目的であると理解できます。本罪を行う行為者がそのような目的から外国国章を損壊していれば本罪が成立し、外国大使館の大使などが現に侮辱を受けたと悪感情を抱くことを要しません。本罪が外国政府の請求がなければ、日本の検察官が公訴することができないのは(親告罪)、そのような趣旨であると解されます。

 三 国旗保護法規定の要否
 以上を踏まえて、ここからは国会議員の方が主張している国旗保護法の問題を検討します。この国旗とは、言うまでもなく日本の国旗・国章です。これを損壊、除去、汚損などから保護する必要があるのか。問題は、日本の国旗・国章を保護すべきかどうか、保護するとしても、どのようにして保護するのかです。また、刑法に国旗損壊等罪を新設するのか、それとも国旗及び国歌に関する法律に設けるのか、また国旗保護法という特別法を制定するのかも検討すべきです。
 以下では、国旗損壊等の行為につき、日本国内に存在する外国人・外国団体の構成員による場合と日本国内に存在する日本人による場合に分けて考えてみます。なお、仮の条文としては、次のものを念頭に置いて考えます。
 ○○法第○○条 国旗損壊等罪
 1項 日本国に対して侮辱を加える目的で、日本国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、または汚損した者は、○年以下の懲役又は○○万円以下の罰金に処する。
 2項 前項の罪は、日本政府の請求がなければ公訴を提起することができない。

 Ⅰ外国人・外国団体の構成員による場合
 外国人・外国団体の構成員が、日本を侮辱する目的で、その国旗を損壊等するならば、当該外国人の国と日本の外交関係に悪影響が及ぶ可能性があります。その意味では、日本人による外国国章の損壊等の場合と等しく扱い、処罰の対象とすることも考えられます。ただし、外国(A国)に滞在する日本人がその国の国章を損壊しても、外国(A国)がそれを処罰することを控えているならば、外交関係における相互主義を尊重して、外国人が日本において国旗を損壊するなどしても、その処罰は控えるべきでしょう。
 宗教を法の基礎にすえている国などでは、その教典を(たとえ自己の持ち物であっても)焚書するなどすると、当該国の国民であれ外国人であれ、厳罰に処されることがあります。日本が相互主義を理由に、日本における外国人の同種の行為を処罰する規定を設けることも考えられますが、それは慎重に検討すべきでしょう。相互主義の立場に立つとしても、寛容でかつ謙抑的な姿勢が求められるでしょう。
 かりに外国人の国旗損壊行為を処罰する規定を設けても、それは国家の司法権が及ぶ範囲内、つまり日本領土において行われた行為に適用されるのが原則です。外国(A国)において外国人(A国人・B国人)が日本の国旗を損壊した場合、その行為にはA国の司法権が及ぶだけです。当該外国と日本との国交が害されるので、日本の司法権も適用することができるとしても、その外国が裁けば足ります(A国の第1裁判権)。あえて日本の国内法を外国にまで適用する必要はありません。ただし、A国が当該行為を処罰する規定を持っていなければ、日本の司法権を適用する余地もあるかもしれません。しかし、それによってA国と日本の外交関係が悪化するならば、本末転倒です。

 Ⅱ日本人による場合
 1日本の政治家に求められるもの
 日本人が、日本国内で、日本国を侮辱する目的で、国旗を損壊等する場合、諸外国との外交関係に悪影響が及ぶ可能性はありません。したがって、その行為によって国交という意味での国家的法益は損なわれません。損なわれるのは、何でしょうか。これは国旗保護の要否をめるぐ重要な論点です。
 国旗保護法の法制化を検討しているのは、日本の安全と国民の生活のために尽力されている国会議員であるとお聞きしています。自身の確固とした歴史観と国家観を持っておられる政治家です。日本の政治に足りないものがあれば、立法事実を調べ、調査・研究し、それに対応する法案を起草する。他の議員と勉強会を開いて、その重要性を伝え、賛同の輪を広げる。そのような取り組みが新聞で報じられています。そこでは、外交と安全保障、経済と科学技術、福祉と教育など全体的な議論がなされています。
 その議員が豊かにしようとしているのは日本であり、親身になって寄り添っている相手は国民です。このような政治家が今ほど必要な時はありません。私は、そのように日本を牽引する国会議員の存在を頼もしく思っています。

 2国家を語る基本的姿勢
 歴史観と国家観というものは、人によって様々あります。思想の自由や言論の自由が憲法で保障されている国では、歴史認識や国家の有り様に関する異なる意見を相互に尊重することが求められます。異なる意見や立場を相互に尊重することなしには、国の発展も、国民生活の向上もないといってよいでしょう。たとえ現在の国家体制や政治体制に飽きたらず、他の体制に取って替えようという人がいても、排除されてはなりません。それを主張し行動する権利は、現在の法体制において守られて然るべきです。
 ただし、不満があるからというだけの理由で、国や政治家を侮り、辱めてよいはずはありません。批判する者は、礼節を重んじるべきです。それは刑法第77条を見れば理解できます。同条は内乱罪を定めています、内乱罪とは、国家を暴力的に転覆する罪であり、非常に重大な犯罪であり、内乱の首謀者にが最高刑として死刑が科されます。ただし、一等減軽された場合には、無期禁錮(自由を剥奪するだけで、作業は科されない)を設けているだけで、(作業を科す)無期懲役を科すことを控えています。犯罪人に作業を科す事の意義は、それへの従事を通じて、生活慣習、労働規範、対人関係を学び、法的規範意識を強化することにあります。社会的にドロップアウトした者は、生活慣習や労働規範の欠如し、犯罪へと向かう。それを予防するために、刑務所に収容して「社会復帰」を促す。懲役という刑罰の基礎には、このような人間観・犯罪者観があります。しかし、刑法は内乱を企てた者には懲役刑を科すことを控えているのです。たちと暴力的に国家の転覆を謀ろうとした者であっても、その人物は国を愛し、国を憂える情から決起した革命家である。刑法はそのような愛国者への敬意の現れとして、内乱罪に禁錮刑を定めたと言われています。
 国家議員の方が国旗保護法の制定を求めているのは、このような愛国と憂国の情に満ちた革命家を処罰するためでしょうか。やや違うように思います。むしろ、国と国民、その象徴と国章をいたずらに侮り、辱める日本人の言動に苛立ちを覚えていらっしゃるのではないでしょうか。「困った、うっとうしい」。そのように思われているのではないでしょうか。その限りで言えば、国旗・国章が侮辱され、汚されるのを黙って見ているわけにはいきません。そのような行為を規制するために、記念日や祝祭日などに公的施設において掲揚されている国旗や国章に限って、それを損壊するなどの行為を処罰する規定を設けることも1つの考えでしょう。ただし、そのような行為を処罰するとしても、何を保護するのか、その保護法益について明確にしておく必要があります。

 Ⅲ国旗損壊等罪の保護法益
 外国国章損壊等罪と器物損壊罪は、外形的的に見れば、等しく外国国章を損壊する行為です。その行為によって被害を受けるのは、財物の所有権やその使用権であるので、器物損壊罪の規定を適用すれば足ります。しかし、公的に掲揚された外国国章を損壊した場合、被害は財物の所有権や使用権を超えて国交にまで及びます。器物損壊罪とは別に外国国章損壊等罪が設けられているのは、国交という固有の法益を保護するためです。この点はすでに触れました。
 このように考えると、国旗損壊等罪の保護法益は何でしょうか。それに器物損壊罪を超える法益があるのでしょうか。その実質は何でしょうか。国旗が無惨にも踏みにじられているのを見て、「愛する国が踏みつけられている」、「国を愛する私の心が踏みつけにされている」、「愛する国の歴史と文化が汚されている」、「国を作り守ってくれた先人の努力が足蹴にされている」。このような思いをお持ちの方もいらっしゃいます。しかし、そのような感情を持ち合わせていない人もいます。「現在の日本の国家体制では、大企業と特権階級の利益が最優先され、圧倒的多数の国民の生活は顧みられていない」、「そのような国を愛せというのか。呪われた歴史を継承せよというのか。それを作り上げた先人に問題はなかったのか」。「我々は、そのような国の民であることを拒否する。そう、我々は非・国民であろうと思う。否、人々を苦しめても痛痒を感じない国は、国の名に値しない。人はそれを非国とよぶ。そう、我々は、非国の民、非国・民であろうと思う」。国旗損壊等罪の保護法益をめぐる争いは、このような歴史観と国家観をめぐるイデオロギー論争、政治闘争に発展することは避けられないようです。
 政府機関や自治体の公的機関は、記念日や祝祭日などに庁舎など公的施設において国旗を掲揚します。その機関は、国旗の掲揚を基本の業務として行っています。その国旗が損壊されると、公的機関の基本の業務が妨害されるので、それを規制する必要があります。イデオロギー論争に興味がありますが、それとは別に公的機関の業務は保護しなければなりません。国旗損壊等罪の保護法益の実質的内容は、さしあたり公的機関の適法な業務として理解することができそうです。

 四 前提条件としての「日本」
 ドイツの野党に「ドイツのための選択肢」(Alternative fuer Deutschland)という政党(AfD)があります。「ドイツは戦後、現在の政治・経済体制を選択した。それには必然性があった。しかし、それを維持し続ける必要性があるのか。我々にはもう1つの選択肢があるのではないか。現在の体制とは異なる選択肢を選ぶ自由と権利がドイツにあるのではないか」。AfDは、綱領と政策を公表し、州議会選挙で躍進し、連邦議会選挙でも注目を集めています。与党になれる政治的状況にあるとはいえないとしても、その存在感を多くのドイツ人は感じ取っています。国内外の政治力学のなかで、AfDのベクトルがどのように作用するのか注目されています。
 では、日本の現体制に不満がある人々は、どうなのでしょうか。少なくない人々が、現在の国家体制や経済体制、政権政党やその議員に不満がありますが、具体的な対案を出して批判しているのでしょうか。改革の現実的な可能性と展望を示しているのでしょうか。批判の向こう側にあるビジョンが知りたいところです。
 テレビのニュース映像などで、国旗を踏みつけたり、燃やしたりする姿を見かけることがあります。保守政治家の写真に口髭をつけて、「独裁者」のように茶化すことを楽しんでいる人もいるようです。問題が山積している日本を批判したい気持ちは分かりますが、建設的な展望が示されているとは思えません。悪ふざけを繰り返しても、社会を変えることはできません。
 アメリカ独立宣言の起草者で、第3代アメリカ大統領のトーマス・ジェファーソンは、異議を唱えることが愛国心の最高の形態であると述べたそうです。批判が国家によって尊重されるのは、批判者が愛国者だからです。その言動に愛国心が表現されているからです。批判をするならば、礼節を重んじると同時に、もっと説得的であってほしいと思います。新たな選択肢とその先のビジョンを示して欲しいと思います。礼節をわきまえた具体的な提案であれば、与党の政治家にも受け入れられると思います。国旗保護の必要性を主張している国会議員の方は、自身の歴史観と国家観を持っておられます。批判者は、それに代わる「もう1つの選択肢」を提案し、議論を進めて欲しいと思います。礼儀を重んじた議論が闘わされるならば、悪ふざけなどできなくなるでしょう。人前に出てくるのが恥ずかしく思うでしょう。そうすれば、国旗を踏みつける行為など行われなくなり、あえて国旗を保護する必要もなくなるでしょう。
 インターネット番組に出演され、他の出演者から出された批判は、どのようなものだったのでしょうか。「国旗の保護が、現体制の保護を目的とするならば、それは受け入れられない。それは我々がこの国を愛し、国を憂えるがゆえにである。我々は、新たな日本の創造を模索している。そのための具体的ビジョンも持っている。したがって、現体制はいずれ拒否されることになろう。国旗を保護するとしても、それは新生日本の国旗である」。このように主張されたのでしょうか。批判の向こうにあるビジョンの提示はあったのでしょうか。
 現在の政治・経済体制を漸進的に改革するのか、それとも革命的に変革し、新生日本を創造するのか。いずれであれ、それは日本という国を前提にした議論です。現在の日本であるのか、新生日本であるのかはともかく、「日本」が共通項であり、国旗の保護についても、その保護の要否が問題になります。そうすると、前提として「日本」がなければなりません。その大地にしっかりと根付くべき日本がなければなりません。立脚すべき日本が前提です。私としては、「日本を取り戻す」ことから論じなければならないと思っています。
(2024年2月24日)