Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

第15回講義「現代と人権」(2014.01.17.)

2014-01-17 | 日記
 第15回 現代と人権   日本の実存主義――戦後の世相(その2)
(4)戦後派の実存主義の特徴
 戦後の実存主義の特徴は、それまで信じてきた思想や理論が自分の手から離れ、何にも依拠しないで、自分自身の足で立つところにあります。思想や理論を身に付けた者は、世界はこうあらねばならない、社会はこのままではいけない、人間はこう生きるべきだ、というようなことを主張します。世界の成り立ちやその構造を見抜いて、その本質を見ます。人間社会についても、同じです。例えば、今の社会は大きな病巣をかかえている。しかし、社会がこのままであるはずがない。そのなかで我々一人一人はどのように生きるべきか。このように主張します。そこで主張されている社会が、天皇中心の社会であろうが、社会主義の社会であろうが、戦後の実存主義思想、そのような思想や理論から離れて、何にもよらずに立っているんです。戦後派の人々にとって、世界や社会の本質をあれこれと論じて、個人をその実現のための動員するという考えは、もうウンザリなんです。むしろ、世界や社会は、為政者の意のままに動かせるものでも、理論的に予測可能でもなく、一進一退を繰り返し、右に左に揺れ動きながら動いていくというのが現実なんだと考えるわけです。それゆえ、実存主義にとっては、理想郷を追い求める思想や理論よりも、自分が今いる社会の混沌とした現実のほうが重大なのです。その混沌とした状況から一歩踏み出して、自分で決めた道を歩んで行く。その道が正しいとか、正しくないとかではなく、自分で決めて、自分の責任で歩んで行くことに意味があるのです。誰かに歩かされているとか、誰かに手を引っ張ってもらっているというのではなく、自分の道を自分で歩んでいく。従って、自分で決めて自分で選んだ道なので、歩んでいた道が間違っていても、まったく問題ないんです。「オー・ミステイク」と笑って済ませ、新しい道を模索すればよいのです。このような意味で、「実存は本質に先立つ」、「個人の実存は世界の本質に先立つ」というわけです。
 そういう戦後派の人々の道の選択の仕方、人生の選び方は、無責任であると批判する人がいるかもしれません。自分の道だからといって、そんなに自由に選んではいけないというのです。しかし、他人が選んだ道ではなく、自分で選んだ道を歩いて行くわけですから、少なくとも若者を戦争に駆り出したにもかかわらず、その責任をとらない大人たちよりはましだとも言えます。
 このように実存主義的な傾向をもった戦後派の若者は、世界の本質と構造、その発展方向、人間のあるべき姿を認識済みだと公言する人々に対して、本能的な反感を持っています。この反感は、実体験にもとづいたものです。伝統的な右翼思想家や国家主義者は、日本の歴史や文化、伝統美をあれこれと説きます。天皇が統治する社会は、他の国にはみられない平穏と安心に満たされていると言います。左翼思想家やマルクス主義者もまた、科学的な世界観にもとづいて、日本社会の発展法則を説明し、日本の民主的な発展のためには、政治的に支配している勢力を打倒さなければならない、また思想的に残っている古い伝統的なイデオロギーを取り除いていかなければならないと論じます。戦後の実存主義は、そのような思想のあり方に対して反抗を試むのは、それなりに理由のあることです。
 私自身は、どのような立場からであれ、社会のあり方やその発展方向を論ずる必要があると思っています。世界や社会が一定の法則にもとづいて発展してきたのは事実です。従って、その法則にもとづいて、今後どのように発展していくかを見通すことは重要なことですし、その法則に即しながら社会に働きかけて、その発展を加速させるという政治運動には意義があると思います。しかし、戦後派の人々にとっては、社会発展の法則に対する確信だけでは、自分がその政治運動に関与する動機としては不十分なのです。彼らは、戦争中に当時の国家や社会に一度裏切られているので、再び政治運動や社会運動に関わるためには、思想や理論が「正しい」という確信だけでは足りないのです。また、社会が法則的に発展しているからといって、自分自身もその発展している社会といっしょに歩むことにためらいを感じるのです。日本社会の最後のゴールが、どのようなものであれ、その法則に対する確信だけでは、自分の人生をそこに賭けてみようという気持ちにはなれないのです。政思想や理論、政治や運動を信じ、それを実践し、「裏切られた」と感じた若者は、昔だけでなく、今でもいると思います。2009年の総選挙も前に、民主党の政権交代に政治変革の夢を託して、青年学生後援会の活動に積極的に参加した学生がいました。また、大阪の橋下徹市長の魅力に惹かれて、「維新の会」の学生組織をつくって、橋下さんの政治路線に随行していった学生がいました。一時の熱狂と興奮もあったために、「自分の青春を賭けるのは、これだ」と言わんばかりに、多くの学生が政治に関心を持ち、参加していきました。ライブ・ドアの元社長のホリエモンにあこがれて、ライブ・ドアに入社して、その後、自分が勤めている会社の名前を人に言いずらくなった人もいるでしょう。このような若者は、信じていたものに裏切られ、今では空虚感しか残っていない実存主義的な心境にいるのではないでしょうか。それ以前にも「小泉チルドレン」であるとか、「小沢ガールズ」と呼ばれる政治に翻弄され、結局は使い捨てられた若い政治家もいます。このような人たちも、今政治を語らせたならば、実存主義的な面持ちを吐露するのではないでしょうか。

(5)『無頼の英霊』
 そのような人の実存主義的な心境をもう少し詳しく見たいと思います。久野さんと鶴見さんは、『無頼の英霊』という文学作品が引き合いに出しています。その部分を読むと、考えさせられます。作品の主人公の丑造は、戦争で戦死し、お墓まで立ててもらいましたが、ある日ひょっこりと村に帰ってきます。村人は、びっくりします。丑蔵は出征前に青年団長を務めていましたが、今では猫造が団長です。村長は、丑造に青年団長の選挙にもう一度出馬したらどういかと勧めますが、丑造はそれを断って、家の中に引きこもってしまいます。ある日、丑蔵は、猫造にのこぎりとカンナを持ってくるよう頼みます。そして一緒に墓場に行き、二人で丑蔵の墓を掘り、墓標を掘り崩して、丑蔵はこれで下駄を作ってくれと猫像に頼みます。猫造は唖然とします。作品では、猫像は、地獄へ行った者がどれほど唯物的になるかを知らないから唖然としのだと書かれています。ここに戦後派の実存主義的な雰囲気が良く表されています。
 戦争中、若者は国のために命を捧げる覚悟で戦争に行きました。そして、戦死して国ために尽くすのが最も尊い生き方であり、親孝行であると教えられていました。戦争から生きて帰って来た人たちは、内心うれしいにもかかわらず、表向きにはそれを隠して、「恥かしながら、生きて帰ってきました」というのが習わしでした。死んで国に尽くす。そして英霊として葬られる。それが正しい生き方だと考えられていました。しかし、戦死したと伝えられ、墓まで建てたのに、死んだはずの丑造がひょっこり帰って来たのを村人はどう思ったでしょうか。とりあえず生きて帰って来たんだから、なによりだと思ったでしょう。しかし、丑造本人はどうでしょう。自分は死んでこそ英霊なのに、死んでないから英霊になれなかった。なんとも複雑な思いです。しかも、英霊というのは、墓を見れば分かるように、五寸格の木材に階級と自分の名前が書かれているだけです。これが英霊か、と思って、丑蔵は「フン」と言ったんだと思います。英霊とは、木材の墓標に階級と名前が書かれて、お墓に埋葬される程度の意味しかないというということを知って、少しシラケたんだと思います。こんなふうに祀られるために、命がけで戦ったことが馬鹿馬鹿しく思えてきたのでしょう。恥ずかしくても生きて帰って来た方がましだと実感したのでしょう。だから、こんな墓なら、いっそうのことひっこ抜いて、下駄でもつったほうがましだと考えたんではないでしょう。
 墓を掘り起こすのは、地域共同体の掟から見ても問題のある行為ですし、法律上も、墳墓発掘罪という犯罪行為にあたり、処罰されます。しかし、戦後派の実存主義をそのようなルールで縛ることはできなくなっています。それくらい、世間の慣習や法律とは無関係に物事を考えるようになっているということです。それは自由というよりは、疎外といった方が適切かもしれません。国家の言うとおりに、思想や理論のとおりに行動することがアホらしく思えてきたと言った感じです。しかも、それは本を読んで身に付けた知識ではなく、自分の実体験からそう思うわけです。それは実存主義であると同時に、反国家主義でもあります。これまで自分を縛りつけてきたあらゆるものに対して反逆する思想です。国家は、犯罪は良くない行為、違法な行為だというが、実存主義は、それに対して、なぜ違法だと言えるんですか、なぜ国家が法と違法を区別できるんですか、そんなことできるんですか、明日になったら別のことを言うんじゃないですか、だったらい、今日、国家が言っていることは信じられないですね、犯罪を悪い行為だとは思いませんね、といった感じのニヒリズムにも陥っています。

(6)戦後派の仕事
 戦後派の実存主義の思想傾向は、若者に顕著でしたが、それは実存主義に傾倒している自覚のない人にも共通したものが見られます。1950年代、雑誌の読者欄に投稿して、ペンフレンドを募って、朝鮮戦争に反対し、日本がアジアの平和をどのように考え、行動すべきかを文通を通じて考えていた学生の経験談が紹介されていますが、この実践は、駅前に立って、マイクをもって、通行人に訴えかけるような活動ではありません。大きな会場を借りて、集会を行ったり、デモ行進を行うような派手な活動でもありません。活動的な組織が一般大衆を率いるというような大規模な活動でもありません。「文通」という一対一の関係を通じて、戦争と平和を考えるささやかですが、すごく結びつきの強い活動だと思います。インターネットの掲示板やラインのような手軽に書き込める連絡方法ではなく、「手紙」という形式での交流と活動は、人の心に強く働きかける力を持っているのではないかと思います。「私」という一人称の活動といってもいいと思います。自発的に行い、その責任は自分が負う活動です。ピラミッド型の組織の活動とは決定的に異なります。私は、このような活動を本当の意味での草の根の活動だと考えています。
 これまで、戦後派の活動は戦前の様々な活動と切り離されて、とくに戦争を遂行した軍国主義の活動やそれに反対した共産党の活動とは切り離されて解説されてきました。おそらく、久野さんと鶴見さん自身が戦後派の思想的を持っていたから、そのように解説されたのだと思います。しかし、戦前の運動が戦後につながっていく中で、そのような運動の中においても、戦後派的な気分が拡大していった例が紹介されています。それは、戦後直後から1950年代の初頭にかけての日本共産党において現われています。例えば、井上光春という元共産党員の作家が、30才の1950年に『書かれざる一生』という作品を書いています。1951年には『病める部分』という作品も発表されています。これを読むと、実存主義というのとは少し違うんですが、「組織における人間」という問題に直面します。その当時の日本共産党の組織は、社会主義・共産主義を目指すために活動していました。その意味では世界の構造、社会の成り立ちの本質を理解し、その理解にもとづいて運動を進めていたわけです。しかし、そこに集まっている人間がそのような世界観や理論を身につけているかというと、やはり格差があるわけです。また、政治活動を一生懸命しても、それだけでは給料は入ってこないので、個人としては毎日の生活のために様々な苦労をするわけです。家族がいる場合には、その養育費も必要になってくるわけです。個人の日常的な生活は、政治活動家と私たちとで基本的に変わりません。このような組織のなかで個人が活動するときに陥る問題、例えば金銭問題などに着目すると、理想ばかりを追い求めることができない人間の実情にも気がつきます。それは、組織で助け合えばいいのかもしれませんが、そういかない場合には、人間は組織の中で苦しみ、悩みます。理想と現実、組織と人間の間に起こり得る葛藤、矛盾を、井上さんは実体験にもとづいて作品にしているんです。
 また、組織は社会や政治を変革するためにあるので、政治動向によっては、その方針が大きく変わることがあります。方針を変える場合には、組織の中で議論をして、多数決で決めるのが基本ですが、当時のソ連共産党や中国共産党の影響などが組織に歪んで入ってきたために、組織のメンバー同士がいがみ合ったり、対立したり、排除したり、のけものにしたり、複雑な人間関係が出来上がったようです。時代背景や政治情勢、複雑な人間関係のなかで、1人の人間がどこまで自分を維持し続けれるかということを考えると、組織から離れる人が出てくるのは、ある意味でやむを得なかったのかとも思います。これらの作品は、戦後直後の共産党員の実像を知る上で、非常に興味深いものです。そして、その作品を批判的に読むことによって、思想や組織によって人間が虐げられないようにするためには、どうすればよいかを考えるヒントをつかみだすことができるのではないかと思います。

(7)批判
 では、このような実存主義的な思想傾向に未来と展望はあるのでしょうか。このことを考えたいと思います。1945年8月から1950年くらいまでは、日本はまだ戦後の動乱期・混乱期であり、そのような社会情勢のなかでは、社会を冷静に見つめる思想として、実存主義的な思想は肯定的な側面を持っていたのではないかと思います。しかし、徐々に社会が落ち着きを取り戻し、安定してくると、興奮もさめてきて、実存主義も低迷になっていったようです。社会が安定し豊かになってきたので、もうそちらに方向転換をしても大丈夫だと考える人が増えてきたのでしょう。しかし、それだと国家や社会の政策に安住して、再びだまされる危険性がでてきます。だまされなくても、国家と社会に組み込まれ、それに動員される個人になってしまいます。それでは、戦後派の人たちが主張した思想の意味がなくなってきます。やはり、社会が安定しても、社会を冷静に見つめる目をいかに維持するのかは重要な課題であると思います。それが十分に行われたかは、歴史的に検討する必要があっりますが、むしろ重要なことは私たちの問題として受け止めることだと思います。というのも、かつてのように人間がある場所に集まって組織をつくり、学習会を行うとか、議論を行うような運動スタイルの時代は、徐々に過去のものになろうとしています。選挙運動も、インターネットを使って行われています。このような時代には、インターネットが社会的な運動を行ったり、政治活動を行ううえで非常に重要なツールになってきます。そして、従来型の組織に入っていない個人もまた、インターネットの世界においては対等平等の立場から発言ができます。自分の考えたことを文章にして発表し、他人に意見を、求めたり、議論することができます。このよな状況を踏まえて、一個人が自由に発言し、行動するためのルールや手続を確定することが必要ですし、また連帯するための活動も必要になってくると思いますが、1950年代には「文通」という方法で行っていたことを、現代ではメールやラインで容易に行うことができる時代になっています。これは新しい可能性を示すものだと思います。

(8)社会と個人
 私たちは、政治家などにならない限り、昼間は働いて、それで給料を稼ぐ社会人になるのがほとんどだろうと思います。その労働は、生産し、富を生み出す仕事であり、直接的に日本の社会や政治を変革するというような性質のものではありません。社会との接点は、仕事を通じて形成されますが、よい社会を作るための接点は、たとえばボランティア活動や地域の活動などを通じて得ることもできます。人によっては、インターネット上の組織を作って、様々なメッセージを発信する人もいるでしょう。また、政党や組織に入って、そこを拠点に活動する人もいるいるでしょう。いずれにしても、なんらかの社会的な接点を形成することは、必要なことだと思います。過去の日本の歴史において、多くの人がいろんな実践を通じて、多くの経験と教訓を残してくれました。現代に生きる私たちが、自分の身の回りの問題から日本の政治や未来までを考えるうえで、その経験と教訓は非常に貴重な意味を持っています。社会は個人の集まりで、個人の社会です。同時に、その個人は社会的な個人です。社会的な個人が社会の中心になることによって、個人間のつながりの強い社会が形成されると思います。政治家任せにしない強い社会ができるのではないかと思います。
 以上で、日本の実存主義の検討を終わります。これで「現代と人権」の講義も終わりになります。皆さんが、この講義を通じて、少しでも国家や社会、政治や思想について興味を持って、学習をしてくれることを願っています。