Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

現代ドイツ史の深層に迫る問題提起の書

2018-07-21 | 旅行
 現代ドイツ史の深層に迫る問題提起の書(「図書新聞」2018年7月7日号第4面)

 1933年1月30日、アドルフ・ヒトラーが首相に就任し、ナチ党が政権の中心に座る。これにより、ワイマール共和国に終止符が打たれ、独裁と人権抑圧、民族排外主義と侵略戦争の時代が始まる。1945年5月8日、ドイツが連合国に降伏し、ナチ政権が崩壊する。これにより、時代はリセットされ、ドイツは自由と民主主義、国際協調と世界平和へと向かう。時代の画期を境にして概観すれば、12年間のナチの支配はドイツ史における倒錯状況ないし例外的な時期であり、正史の発展過程の一コマとして位置づけられることはない。多くの国民は独裁者の熱狂的な弁舌に欺かれ、熱病に冒されただけ。官僚たちは自由が奪われたまま、その体制維持と政策遂行の道具のように働かされただけ。その熱もようやく冷め、ものごとを自由に判断し、行動できるようになった。――このような歴史認識は珍しいものではない。
 しかし、1933年1月まで健康な体が突如として熱病に冒され、1945年5月に健康が回復し、元の体調に戻るといったことがあるだろうか。熱病に冒される前から体は抵抗力を失い、弱体化していたのではないのか。また、熱が下がっても後遺症に悩まされる続けるのではないか。ドイツ帝国やワイマール共和国の社会構造にナチ的なものが入り込む素地があり、戦後ドイツ社会にもナチ的なものが形を変えて残っているのではないか。政治家や官僚は、変転する政治と社会に順応する能力を備えていたがゆえに、急激に台頭したナチの体制に上手く適合できたのである。その順応性のおかげで、ナチ政権の崩壊後、自由と民主主義の体制に適合するのは難しいことではなかった。歴史認識の視線は、このような政治家・官僚のしたたかさにも向けられるべきであろう。
 『ドイツ外務省〈過去と罪〉』は、外相の指示のもとに設置された独立歴史委員会による外務省の歴史の記録である。2005年、ヨシュカ・フィッシャー外相は、歴史研究委員会に対していくつかの問題を調査・研究するよう指示した。外務省はナチの時代においていかなる役割を担い、いかなる不法に関与したのか。関与した者は戦後どのような責任を問われたのか。再建後の外務省はその人的影響を除去できたのか。また、外務省としてナチの不法に関わったことの責任は問われたのか。このような問題の調査・研究の報告書として2010年にまとめられたのが本書である。それはナチがドイツ国家と民族の名のもとで国内外において行った政治・経済・司法を対外的に代表した行政機関と官僚の思想と行動の記録である。
 本書は二つのテーマから構成されている。第一部では、ナチ政権の成立後、帝国時代・ワイマール時代からの外務官僚が登用された経緯、彼らと新しい官僚とはどのような関係にあったのか。戦時期の在外公館はナチ外交をどのように進めたか。また、占領地域におけるユダヤ人問題の最終的解決とホロコーストにいかに関与したのか。これらのことが詳しく述べられている。第二部では、戦後改革によって外務省はどのように解体されたのか。ナチの不法とホロコーストに関与した元外務官僚の戦争責任は、ニュルンベルク国際軍事裁判やその後の継続裁判でいかに裁かれたのか。彼らと再建後の外務省の人事面での連続性はあったのか、それはどのようなものだったのか。ホロコーストの被害者・生存者に対する補償は外交面からどのように進められたのか。このような問題が刻銘に記されている。
 その記述には、自ら不法に手を貸した外務官僚が実名で挙げられているだけでなく、不法に抵抗し、それゆえに命を落とした英雄的な人物の名前も刻まれている。また、元ナチやその同調者が戦後の外務省に登用された経緯や彼らの弁明も紹介されている。諸外国に対する外交政策の連続性を安定的に担保するためには、元官僚の一部を採用せざるをえなかった、ナチ時代の負の経歴があっても、「今日の民主主義的な国家観にしっかりと根付いている」といった説明がまかり通っていた時代の雰囲気も伝えられている。ナチ外交は敗戦とともに終わった。しかし、戦後外交の礎を築いたのは元ナチであった。このように総括することも許されよう。
 ドイツで本書が刊行された後、それに触発され、自らの過去にメスを入れる作業を開始した省が出た。連邦司法省である。ハイコ・マース前法相(現外相)は、歴史学者と刑法学者に研究を委託し、2016年にその報告書が『ローゼンブルクの記録』として刊行された。ナチのホロコーストに官僚法曹がいかに関与したか、彼らは戦後どのように裁かれたのか、戦後の司法省にどれほどの元ナチが復帰したのか。。『ドイツ外務省〈過去と罪〉』の問題提起がさらに連邦軍や内閣府にも飛び火すれば、コンラート・アデナウアーの背後にいたハンス・グロプケなどの官僚の戦後の足取りも明らかになるであろう。戦前・戦後にわたる行政機関の実態とその担い手たちの素顔が知られたとき、ドイツ政治史の研究は新たな段階に入るに違いない。本書はそのような問題に関心を持つ者の必読書である。
 さらに付言するなら、日本はどうなのかという疑問が予想される。それへの答えを準備しておかなければならない。軍組織と内務省、特高警察などが解体された後、その担い手たちはどこに行ったのか。これまでに書かれた歴史の上に、一人一人の足取りと素顔を重ね合わせることが、戦後日本史の「今」を正確に認識する契機になることは間違いない。その意味で、『ドイツ外務省〈過去と罪〉』は、我々に対する問題提起の書でもある。