Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』ノート(01)

2014-09-27 | 日記
 鶴見俊輔『戦時期日本の精神史 1931~1945年』ノート
 第01回 1931年から1945年にかけての日本への接近

 はじめに
 今日から15回にわたって鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』と読んでいきたいと思います。今日は第1回目なので、この本の著者である鶴見俊輔さんについて簡単に紹介し、またこの本についても作られた経緯を見ておきたいと思います。
 鶴見俊輔さんの略歴と主要著書は、この本のカバーに記載されています。1922年に東京で生まれ、1942年にハーバード大学哲学科を卒業しています。1942年には日本とアメリカが戦争状態に入っていますので、鶴見さんは大学卒業後は帰国船に乗せられて、日本に送り返されます。日本は鶴見さんをどのように迎え入れたかは良く分かりませんが、大学卒のエリートであっても、敵国から来たので、歓迎されることはなかったと思います。鶴見さんについて、もう少し詳しく知りたいひとは、インターネットのウィキペディアで調べてください。哲学者・大衆文化論者としてだけでなく、平和運動家・政治運動家としての鶴見さんを知るきっかけになると思います。主要な著書は、紹介し始めると、その著書の名前を読み上げるだけで時間が無くなってしまいますので、止めておきます。『戦時期日本の精神史』は、戦争終結までの日本人の精神史を分析したもので、その後の戦後の日本人の精神史については、『戦後日本の大衆文化史』において分析されています。大学で行なわれた講義の前半は『精神史』として、後半は『大衆文化史』としてまとめられていますので、併せて読んでほしいと思います。
 この講義では、『戦時期日本の精神史』をテキストとして使いますが、この本では何が述べられているかというと、加藤典洋さんが「解説」で書いているように、それは現代日本思想史と呼ばれる広い視野の内容です。鶴見さんは、それをですカナダの大学において、カナダの学生に向けられて解説したようです。1931年以降、日本を支配したファシズのなかで、日本の知識人がどのように考え、どのように行動したのでしょうか。知識人がどのように考えなかったのでしょうか。どのように行動しなかったのでしょうか。鶴見さんは、その足取りをたどりながら、「転向」の事実と意味を問い治し、それが日本の精神史を貫く「文化の鎖国性」という特質と深いところで共通していることを明らかにしようとしたようです。知識と思想のあり方に反性を迫る独自の日本文化論でもあると加藤さんはこの本を紹介しています。
 私は、昨年の秋の講義で鶴見さんと久野収さんが書いた『現代日本の思想』という岩波新書をテキストとして使用しました。200頁ほどの本を15回にわたって読み砕いていくという作業を通じて、一冊の本を丹念に読み上げていくという貴重な経験をすることができました。それは講義を行なう私だけでなく、それを聞いている学生にとっても同じことだと思います。本を読むとはどういうことか。それは著者と対話することだと思います。著者は本を書くことによって、読者にメッセージを届けたいと思っています。読者はその本を読むことによって、著者からのメッセージを受け取ることができます。しかし、一方通行的な作業でしかなく、メッセージを受け取った読者が著者に質問を投げ返すことは予定されていません。私は、このような本の読み方に疑問を持っています。本を読むことは、著者と対話することであると考えているからです。この講義では、鶴見さんが書いたことを踏まえながら、なぜこのように書くのだろうか、ここからどのようなメッセージを受け取ればよいのだろうか、この本から自分が感じたことを鶴見さんはどのように受け止めてくれるだろうか、など思いを巡らしながら読み進めていきたいと思います。
(1)接近の前提
1.言語について
 では、まずは「1931年から1945年にかけての日本への接近」というところから読んでいきましょう。ここを第1章と番号づけをしておきます。そして、読みながら、読み方というか、理解の仕方について、私なりに解説したいと思います。
 鶴見さんが取り上げるテーマは、「1931年から1945年にかけての日本精神史」です。この問題を考える前にカナダの学生に対して、次のような話をしています。
 第1は、言語についてです。言語とは、自分の考えや意見、感想を相手に伝える手段です。音楽を聞いた時に感じた思いや、絵画を見たときに抱いた印象を他人に伝える場合、言語という手段を用います。音楽も絵画も言語を用いずに表現される芸術ですが、そえの受け止めや印象は言語を用いて表現されるわけです。主体は非言語的な対象を言語的に表現するわけです。ワーグナーの音楽を聞いた時、ヒトラーはその印象をドイツ語で話します。それと同じように日本人は日本語で話します。ドイツ語圏で生まれ育った人と日本語圏で生まれ育った人とでは、ワーグナーの音楽の受け止め方、感じ方に違いがあるかもしれませんが、非言語的な芸術を言語的に評論するという点では、ドイツ人も日本人も同じことを行なっているといえます。しかし、この本のテーマである日本精神史は日本の思想史であり、日本の文化史です。それは、日本人の学問的営為や日常生活において形成され蓄積されたものであり、その限りにおいて日本人が学問的に考えたこと、日常生活において感じたことは、彼が表現手段として用いる日本語によって考えたことであり、感じたことです。このようなものを体系化したのが日本精神史であるとするならば、ドイツ語圏で生まれ育った人が、それをドイツ語で理解し、その印象をドイツ語で表現するということができるでしょうか。鶴見さんは、日本精神史を英語を用いてカナダの学生に解説しようとしていますが、それは果たして可能でしょうか。日本語を用いる日本人が日本語によって考えた精神史の内容を日本語以外の言語によって解説することは可能でしょうか。その問いに対する答えとして、鶴見さんは「困難」ではないかと答えているように思います。鶴見さんがカナダ人にとって「英語を話す日本人は信頼できない」と語るのは、例えば日本人が使いこなす英語の表現方法は数が限られているので、単調になりがちで、情緒的な細かなことまで表せないので、大雑把になりがちだから、だから信頼できないというような意味ではないのです。英語しか使えない人が日本精神史の英語訳を読んでも、それだけでは日本精神史を理解することはできないのです。日本精神史は日本語によって表現されるテーマでしかなく、それを他の言語に置き換えるというのは、基本的に不可能だということです。
 それと同じことが、日本語のなかに取り入れられた英語の意味について言えます。英語圏の思想や文化は、英語で表現されます。その英語は戦後の日本語に数多く取り入れられました。例えば、「シックなドレスのファッションショー」。日本人ならば、この言葉で表現されているものが何であるかは、おおよそ検討がつきます。しかし、英語圏の人はどうでしょうか。例えば、「ヒット・アンド・ラン」という英語表現もそうです。日本人で野球が好きな人であれば、それがベンチからバッターとランナーに対して送ったサインであることは簡単に理解できます。しかし、アメリカ人の学者にはかいもく見当がつかないというのです。この言葉は、アメリカ野球の一つの戦術として日本野球に取り入れられたものですが、この言葉はもとは異なる脈絡で使われていた言葉です。それは、交通事故を引き起こしたドライバーがその場から逃走する「ひき逃げ」という意味です。英語が日本文化のなかに定着したとたん、その英語でさえ、元の言語圏では与えられなかった意味を獲得するのです。英語が取り入れられているからといって、そのような日本文化をアメリカ人が理解できるかというと、必ずしもそうではないのです。戦後の日本語に欧米の言葉が取り入れられたことによって、日本人の思考方法が欧米化したかというと、そうではありません。確かに、日本語に欧米の言葉が入ってきたために、それが記号として用いられるために、意味を考えることをしなくなって、現代の日本人が自分たち自身を正確に理解しにくくなったということはできます。現代の日本人が、日本人固有の思考方法や精神文化を自覚し、理解するという道すじを失いかけているということはいえます。しかし、そういう日本精神文化のようなものも「英語交じりの日本語」でしか表現し、解説することはできないのです。
2.「転向」の特殊性について
 鶴見さんが日本精神史を解説する前提としてカナダの学生に話した第2は、「転向」という思想現象が日本精神史において特殊性を有しているということです。私は、「特殊性」という言葉に対して注意を払う必要があると思います。それは二つの理由からです。特殊性は、一般性に対置される概念であり、普遍性に対する固有性と同じ意味を持っています。例えば、どのような社会においても、またいつの時代においても、どのような文化のものであれ、またいかなる宗教のもとでも、共通して話題になる問題、共通して遵守される規則には一般性・普遍性があるといえますが、そのような社会や時代、文化や宗教と対立関係がある場合においても、なおもそれらと自分の社会や文化との間に一般性・普遍性・共通性を認めることができるかというと、なかなかそうはいきません。そのときに、自分自身を表現するために持ち出されてくるのが、特殊性・固有性という概念です。このように「特殊性」という言葉は、言葉として本来的に持っている「違い」という意味で用いられます。それは、歴史や文化、風土などによって形成されることから、他のものとの間にある「ありのままの違い」を指し示します。日本文化や日本精神史を研究する外国人研究者が、この本来的な意味での日本の特殊性をどこまで理解できるかについて興味があるところですし、鶴見さんもまたカナダの学生に対して、同じきょうな関心を持っていたのではないかと思います。しかし、それは「もとより違っていて当然の性格」という意味で用いられますので、他者からの批判も受け入れませんし、他者と歩調を合すようなこともしません。場合によっては、特殊性は「独善性」という意味で用いられることもあります。
 特殊性は、「転向」という現象を説明するために用いられています。「転向」は、1920年代に政治運動において使われ始めた言葉です。しかも、日本社会を変革する社会主義者の運動とそれを抑圧する天皇制警察との間にあった政治的雰囲気のなかで用いられた言葉です。どこに国でも社会変革の運動とそれを抑圧する政治との間に対立と軋轢がありましたし、これからも同じだと思います。対立が激しく、抑圧が暴力的であればあるほど、社会変革の運動の路線の有り方が問題になります。このままの路線で果たして良いのだろうか。困難に直面して、その妥当性に関する議論はどこに国の運動においても起こりました。そして、運動の路線を見直そうとする人たちは、従来の路線から方向転換して、別の道を進みます。「転向」とは、この方向転換を意味します。従って、世界の精神史があるとすれば、世界の社会変革運動にも「転向」と呼ばれる現象はあると思います。そうすると、日本の社会変革運動における「転向」もまた、それと共通性があり、特殊といよりは、一般的・普遍的であるということができます。しかし、ここで問題になっている特殊性は、日本の「転向」の背景事情とか、その根拠とか、転換された方向性については、諸外国とは違った特徴があるように思います。鶴見さんは、そこに日本的な特徴がある、特殊性があると見ているようです。しかも、それには戦争中の15年間の知的・文化的な傾向があるといいます。
3.「転向」の偶然性と必然性について
 このように「転向」は、方向転換を意味します。それは、既存の路線からの方向転換であり、ここにあるモノとは違う別のモノになることでもあります。それは標準的な傾向からの逸脱であるために、その標準的なものとは何か、その標準的ではないものとは何かを考えると、なぜ標準的なものから逸脱して、標準的でないものになったのか、「転向」と呼ばれる現象を生み出した理由、社会の文化の特徴がよく理解できるように思います。それは「転向」にだけ限ったものではありません。1931年から1945年までの戦争の時期は、その前後の時代とどのような関係があるのかという問題です。大規模な戦争に突入する前の時代が標準的な時代であったとするならば、戦争の時代はその標準的な時代からの逸脱であるといえます。なぜ標準的な時代から標準的でない時代へと逸脱していったのでしょうか。
 このような問題を投げかけるとき、次のような答えが返ってくることが予想されます。1931年から1945年までの15年間は、明治初年以来の近代日本史のなかの一つの偶発的な出来事、偶然的な出来事である。近代日本史の大きな流れから見ると、何ものかが標準的ではない流れを作りだし、それを押し付けたのである。このような議論からは、近代日本史における標準的なものが平和の流れであり、標準的でないものが戦争の流れであり、戦争の流れは何ものかによって作り出された偶然の出来事として扱われることになります。しかし、そうでしょうか。それとは別の答えもあり得るのではないでしょうか。つまり、1931年から1945年までの15年間は、明治初年以来の近代日本史のなかの一つの偶然の出来事ではなく、必然的な出来事である。近代日本史の流れを大きく見ると、鎖国状態を解いて、国際社会に仲間入りしたので、平和と友好の国家関係を形成する流れがあったのは確かですが、アジアにおける欧米諸国、ロシアの進出は近代化したばかりの日本にとっては脅威であり、それとの緊張関係・対抗関係が生ずる流れも同時にあり、日清戦争・日露戦争からは、その傾向が強まっていったと見ることもできます。15年間の戦争は、決して偶然生じたものではないということです。鶴見さんは、そのような流れを押しとどめることができなかったのは、間違いであったと評価していますが、そのように評価するかどうかは別としても、15年間の戦争のなかに私たちが受け継ぐべき多くの事柄があり、そこから戦争へと向かった真理、回復すべき平和の価値を見出すことができるように思います。
4.歴史の区分について
 この本のなかですでに述べられていますし、また私の解説でも触れているように、この本は日本における戦争を15年戦争と呼んでいます。第二次世界大戦、太平洋戦争という名称が用いられえるのが普通ですし、大東亜戦争という名称を用いる人もいます。しかし、鶴見さんは、1931年の満州事変から日本が本格的に中国に対して戦争を仕掛けたというように認識しています。1931年、日本の陸軍指導者が中国の満州で戦闘を引き起こして、さらに進んでこの地域に日本軍が自由にできる政権を打ちたてたとき、この手法は世界にとって新しいものでした。それをイタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラーが真似をしました。ヨーロッパでは1939年に第二次世界大戦が始まり、アジアでは1941年に太平洋戦争が始まったという認識からは、1931年からの日中戦争という事実が抜け落ちています。満州事変のイタリア、ドイツに与えたインパクトは、日本がすでに世界大戦とつながってたことを意味しています。
5.歴史認識の空間的枠組と時間的枠組
 鶴見さんは、カナダの学生を対象に日本精神史を解説していますが、おそらくこの学生たちは様々な意味で日本の歴史や文化に興味を持っている人たちでしょう。日本に対する興味関心は様々でしょうが、それを入口にして、日本という問題対象の中に入っていくわけです。中に入っていくとどのようになるでしょうか。イギリス人の陶芸家のバーナード・リーチは、若いころから日本の文化に興味を持っていました。彼は、最初から最後まで日本に対して愛情を失わずに、失望しなかった数少ない1人だといいます。これはどういうことでしょうか。
 リーチは、日本に対する関心とともに、中国や朝鮮に対しても関心を持っていました。陶芸家なので、日本の焼物と同時に、中国や朝鮮の焼物にも目を向け、その違いと特徴について考えることができたのだと思います。つまり、全体のなかで個を捉える視点、個と個を関連づけて捉える視点を持っていたということです。ですから、美しく見えていた日本の文化が中国や朝鮮と関連づけられても醜く見えるようなことはなかったということです。
 日本を中国や朝鮮の側から見ると、日本の嫌な側面が浮き彫りになります。とくに1931年から1945年までの15年の戦争がそうです。もし日本の近代史を中国や朝鮮などのアジアの近代史の全体になかに位置付けて捉える視点を持たないならば、戦争をしかけた日本に失望するでしょうし、日本文化を美しい文化とは思えなくなるでしょう。アニメが好きだとか、フィギュアが好きだといった趣味と嗜好の話に限れば、そんなことはないと思いますが、お茶、俳句、文学など日本の精神文化に興味を持った人、そこに美しさを感じた人であれば、幻滅してしまう可能性があります。そうではなく、戦争という歴史的事実に直面しても、その背景にある要因を地理的・空間的に広げて捉える視点、歴史的・時間的なプロセスにおいて考える視点が必要だと思います。それは、失望や幻滅を避けるための方法という意味ではありません。物事を正確に捉えるための思考方法という意味で大切なことだと思います。
(2)歴史認識の多様性
 過去の歴史、日本の精神史を振り返りながら、そこから知識と思想のあり方について考えるヒントをつかみ出す。これが鶴見さんがこの本のなかで行なおうとしていることです。歴史を振り返るためには、過去の史料を読み返し、その時代の動きの中でそれを位置付けて、読み直すことが必要です。現代史の場合、数多くの史料があります。多くの証言も残されています。当時を生きた人からも直接話を聞くこともできます。1931年から1945年までの15年間の戦争の歴史、日本の精神史について、様々な解釈があります。当事者の体験があります。歴史に働きかけようとした思い、情熱があります。政治家の野望もあるでしょう。経済家の野心もあるでしょう。一個人の善意もあれば、悪意もあるでしょう。積極的に関わった人もいれば、消極的に関わった人もいるでしょう。自覚的な人もいれば、不本意だった人もいるでしょう。このような様々な人々によって過去の歴史が作られたわけですから、その解釈も様々です。あらかじめ立場を決めて、このような解釈が正統な解釈であると断定して、他の解釈を批判することはできません。従って、鶴見さんの解釈も見解も一つの可能性を示しているだけであって、それに右へならえをする必要はありません。鶴見さんの見解の解説をする私の意見もまた、同じ様に一つの可能性を示しているだけであって、絶対に正しいものではありません。歴史の見方、史料や史実の解釈には、多様性と可能性があるということをしっかりと認識してほしいと思います。
 しかし、だからといって確かなものなど何一つないのだとか、絶対的に正しい事柄などそもそも存在しないのだと勘違いしないでほしいと思います。今ここにいる時点においては、過去の歴史について様々な解釈が成り立つという意味では、私たちは絶対的な考えをしりぞけて、相対主義的な姿勢を貫くべきだと思いますが、長い歴史を振り返ったときに、やはりそこには一定の法則があると思います。多くの人たちが、これは正しいと共通認識を持てるものがあると思います。それは、一般的・抽象的な内容のものであるかもしれませんが、確かなものがあると思います。その一般的・抽象的な確からしさが、今日の時代と社会において、どのように特殊的・具体的な形態とともなって表現されるべきかを考えることが重要なことだと思います。
 「平和は大切ですか?」と質問されれば、ほとんどの人は「大切です」と答えるでしょう。ここには一般的・抽象的であっても「真理」があります。この「真理」は、人類が過去の歴史において見出してきたものです。戦争を繰り返し行なってきたことから体験した絶対的な真理です。しかし、「平和を維持するためには、どうすればよいと思いますか」という質問に対しては、答えは様々です。平和の探求の仕方、それを維持する方法をめぐっては、私たちは絶対的真理に到達する道程の途中にいるようです。だから議論しなければならないのです。政治家が勝手に決めるのではなく、私たち一人一人が主体となって、議論を起こし、それに関わり、仮説を提示して、意見交換をし続けなければならないのです。意見の対立は、議論を困難にさせるものです。多数の意見が正しく見えるようなことがあるため、少数意見を主張する勇気がなくなることがあります。言論には多数決原理は妥当しないはずであるにもかかわらず、多数の人々の意見が世論を形成して、その勢いが止まらずに、社会と時代をリードしていくようなこともあります。少数意見の人は、なんとなく置いてきぼりにされたような、取り残されたような気持ちになることがあります。そこに全体主義の危険があるわけですが、それは自分の意見が世論を形成し、多数派を形成している人には、どうもわかりにくいようです。
(3)本講義の目的
 この授業では、1931年から1945年にかけての日本精神史に関する鶴見俊輔さんの見解を参考にしながら勉強したいと思います。この授業を通じて、皆さんに学んでもらいたいことは、次の3つです。
 第1は、予習です。300頁近くの本を15回の授業で読んで行きます。1回20頁足らずなので、事前に呼んでください。私の話しを聞くためには、鶴見さんが何を言っているかを知ることが必要です。
 第2は、本の読み方です。この本はカナダの大学でカナダの学生を対象に英語で話された内容を日本語に書きなおしたものです。カナダの学生は、この授業を通じて鶴見さん竜の日本精神史の議論を学んだということです。日本の文化に興味はあっても、日本の精神を共有していないカナダの学生がこのようなテーマについて勉強しようとしているわけです。少なくとも、日本で生まれ育った人であれば、彼ら以上にこの問題について理解できるはずです。理解というのは、賛成の意見を持つということではありません。あえていうなら、反対の意見や疑問を持つことができるようになって、初めて理解できたといえるのではないかと思います。読めば読むほど、疑問がわいてくる。そのような読み方をしてください。
 第3は、日本文化や精神史だけでなく、幅広い問題関心を持って、それを考える方法を身につけることです。考え方というのは、最初に公式があって、それをあてはめていくという作業ではありません。全体を眺めるときだけでなく、細部を見極めるような場合でも、着眼点のような視点が必要です。しかも、それは人それぞれの視点なので、自分だけのオリジナルなものだと思います。そのような考え方の基本を身につけるように努力してください。
 次回は、第2章「転向につていて」を読んで行きます。