Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

2014年度後期刑法Ⅱ(各論) 試験問題と講評

2015-03-02 | 日記
 2014年度後期刑法Ⅱ(各論)の試験問題と講評
(問題) 刑法109条2項および110条の「公共の危険」の認識の要否をめぐる論争の内容を整理して、自己の見解を論じなさい。

(講評) 講義ではレジュメなどを配布して、繰り返し論じました。
 刑法109条1項・2項の非現住建造物等放火罪は、次のように規定されれいます。
 刑法109条 放火して、現に人が住居に使用せず、かつ現に人がいない建造物、艦船又は鉱坑を焼損した者は、2年以上の懲役に処する(1項)。未遂も処罰する(112条)。
 前項の物が自己の所有に係るときは、6月以上7年以下の懲役に処する。ただし、公共の危険を生じなかったときは、罰しない(2項)。
 1項の行為客体は、他人が現に住居に使用せず、かつ現にいない建造物、艦船、鉱坑です(他人所有の非現住建造物)。客体の内部に人が存在していないため、その焼損に包含されいる「公共の危険」の違法性の程度は低く、108条の現住建造物等放火罪よりも法定刑は軽く設定されています。本罪は、未遂も処罰されます。つまり、現住建造物に火を放ったが、焼損するに至らなかった(つまり、焼損に包含されている「公共の危険」が発生しなかった)場合でも、未遂として処罰されます。
 2項の行為客体は、自己所有の非現住建造物です。その焼損は、自己の所有物の処分行為であり、その限りでは自損行為であり、違法ではありませんが、「公共の危険」が発生した場合は処罰されます(たとえ、自己所有の非現住建造物であっても、「差押えを受け、物権を負担し、賃貸し、または保険に付したもの」の場合、他人所有の非現住建造物と見なされます〔115条〕)。従って、自己の非現住建造物を焼損しても、「公共の危険」が発生しなければ、それは自己の所有物の処分行為でしかありません。それゆえ、本罪の未遂は処罰されません。
 このように、自己所有の非現住建造物等放火罪の成立要件としては、客観的に「公共の危険」が必要であり、主観的要件としては、その認識が必要であると解するものがあります(認識必要説)。下級審においても、そのように判断したものがあります(名古屋高判昭和39・4・27高刑集17・3・262裁)。つまり、本罪の故意としては、客体が自己所有の非現住建造物であること、それを焼損すること、そこから公共の危険が発生することの認識が必要であるということです。しかし、判例は、客体が自己所有の非現住建造物であり、自己の行為が焼損にあたることの認識があれば足り、公共の危険の発生について認識は不要であると判断しています(最判昭60・3・28刑集39・2・75)。このような「認識不要説」を支持する学説も主張されています。
 「公共の危険」は、自己所有の非現住建造物放火罪の成立要件であり、その構成要件要素(構成要件的結果)であると解すると、その認識がなければ、故意の成立を認めることはできないはずです。109条2項の規定が、「ただし、公共の危険を生じなかったときは、罰しない」と定めているのは、本罪は公共の危険の発生によって既遂となるが、それが発生しなかった場合には「罰しない」(つまり、未遂であるがゆえに罰しない)とされているからです。従って、109条2項の「ただし書き」は、未遂が処罰されるのは現住建造物等放火罪(108条)と他人所有の非現住建造物等放火罪(109条①)だけであり、自己所有の非現住建造物等放火罪(109条⒉)の未遂は処罰されないことを明示的に示した条文であると理解することができます。
 これに対して、この「ただし書き」は、未遂不処罰の明示的な規定ではなく、「客観的処罰条件」であると解する見解もあります。「客観的処罰条件」とは、一般に犯罪の成立要件である構成要件該当性、違法性、有責性が認定されても、それを処罰するためには、さらに必要とされる客観的な条件のことをいいます。これは、構成要件の要素ではないので、認識の対象から除外されます(事前収賄罪[197条②]は、その成立要件が満たされた後、行為者が「公務員になった場合」にのみ処罰されます)。「ただし書き」をこのように解するならば、認識不要説にも根拠があるといえます。
 しかし、判例は「公共の危険」を客観的処罰条件とは捉えていないようです。従って、そのような立場からの認識不要説を唱えてはいません。では、認識必要説を主張しているかというと、そうでもありません。判例は、認識不要説を唱えています。その理由は、自己所有の非現住建造物放火の故意の要件として、「公共の危険」の認識が必要であると解すると、現住建造物等放火罪と他人所有の非現住建造物放火罪の区別がつかなくなってしまい、自己所有の非現住建造物放火罪の存在意義がなくなるからです。どういうことかというと、例えば「事務所」(自己所有の非現住建造物)の隣に他人の住居(現住建造物)があり、事務所に放った火が「他人の民家」(現住建造物)に延焼した(「公共の危険」が発生した)場合、何罪が成立するでしょうか。「他人の民家」に延焼することを認識していたならば、それは「公共の危険」の認識があったことになり、それは「他人の民家」の放火の故意、すなわち現住建造物放火の故意にほかなりません。従って、隣にある「他人の民家」へ延焼する危険を認識しながら、「事務所」に火を放ち、火が延焼して現住建造物を焼損したときは「現住建造物等放火罪」の既遂であり、火が延焼しなかったときには「現住建造物等放火罪」の未遂です。認識必要説からは、この場合、自己所有の非現住建造物放火罪の既遂とその未遂(不可罰)となりますが、公共の危険の認識があるのに、なぜこのような罪責になるのか、説明がつかなくなってしまいます。判例が認識不要説を主張するのは、このような理由があるからだと思います。
 判例の見解はもっともなように見えますが、現住建造物等放火の故意というのは、「火を放つ行為」の対象が現住建造物であって、自己所有の非現住建造物に火を放つ場合ではないように思います。条文は、「放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物……を焼損した者は」と規定しているため、「焼損」の対象は現住建造物であり、「火を放つ行為」の対象はそれに限定されていないように読めますが、そのように解釈すべきではないでしょう。従って、認識必要説を主張できる理論的な余地は十分にあるといえます。

 刑法110条の建造物以外の物の放火罪の規定は、次のようになっています。
 刑法110条 放火して、前2条に規定する物以外の物を焼損し、よって公共の危険を生じさせた者は、1年以上10年以下の懲役に処する(1項)。前項の物が自己の所有に係るときは、1年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する(2項)。
 本罪の客体は、108条(現住建造物)、109条(他人所有の非現住建造物、自己所有の非現住建造物)に規定する物以外の物です。自動車、航空機、建造物の一部にあたらない門や塀などが、建造物以外の物にあたります。それが自己所有の物である場合(2項)、法定刑がさらに低く設定されています。ただし、それが「差押えを受け、物権を負担し、賃貸し、または保険に付したもの」の場合、他人所有の建造物以外の物と見なされます(115条)。
  本罪の成立には、公共の危険の発生が必要です。それは、判例によれば、「現住建造物などへの延焼の危険」だけでなく、不特定または多数の人の生命、身体または建造物等以外の財産に対する危険も含まれます(最決平15・4・14刑集57・4・445)。
 公共の危険の認識については、判例は、本条1項の成立要件として、「公共の危険」の認識は不要であると解しています(最判昭60・3・28刑集39・2・75)。学説としては、必要説を主張するものもあります。先に説明した自己所有の非現住建造物放火罪の場合、認識必要説は、「公共の危険」が構成要件の客観的要素であることを根拠にしていましたが、建造物以外の物の放火罪の「公共の危険」は、それとは異なる形式で定められています。つまり、結果的加重犯の形式で定められています。そうすると、「公共の危険」については、認識は必要ありません。ただし、111条が、そのような「結果的加重犯」から「加重結果」が発生した場合を規定しているので、二重の結果的加重犯を認めることになってしまいます。二重の結果的加重犯のような犯罪規定は責任主義の立場から問題であると解するならば、その基本犯である「建造物以外の放火罪」については(それもまた結果的加重犯の形式で定められていますが)、その「公共の危険」は加重結果ではなく、従って認識が必要であると解すべきでしょう。