Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

2016年度刑法Ⅰ(第07週)故意論(2)(刑事判例資料)

2016-05-19 | 日記
 刑事判例資料
 第07週 故意論(2)

43法定的符合説(2)--符合の限界(最一昭和61・6・9刑集40巻4号269頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、法定の除外事由がないのに、覚せい剤を含有する粉末0.044グラムを、麻薬であるコカインと誤認して、所持した(本件当時、コカインを含む麻薬の所持は7年以下の懲役、覚せい剤の所持は10年以下の懲役。
 第一審は、とくに説明を加えることなく、麻薬所持罪の成立を認め、これと併合罪の関係にある他の犯罪事実を合わせて、Xに懲役2年を言い渡した。
 弁護人が量刑不当を理由に控訴したが、原審は棄却した。これに対して、弁護人が上告した。

【裁判所の判断】
 被告人は、覚せい剤を、麻薬であると誤認して所持したというのであるから、麻薬所持を犯す意思で、覚せい剤所持にあたる事実を実現したことになるが、両罪は、その目的物が麻薬か覚せい剤かの差異があり、後者につき前者に比して重い刑が定められているだけで、その余の犯罪構成要件要素は同一であるところ、麻薬と覚せい剤との類似性にかんがみると、この場合、両罪の構成要件は、軽い前者の罪(麻薬所持罪)の限度において、実質的に重なり合っているものと解するのが相当である。被告人は、所持にかかる薬物が覚せい剤であるという重い罪となるべき事実の認識がないから、覚せい剤所持罪の故意を欠くものとして同罪の成立は認められないが、両罪の構成要件が実質的に重なり合う限度で軽い麻薬所持罪の故意が成立し、同罪が成立するものと解すべきである。

【解説】
 行為者が認識・予見した事実と客観的に生じた事実との間の食い違いを錯誤といい、故意が成立するかどうか、成立する場合、どのような事実について故意が成立するのかが問題となる。XがAを殺害しようとして、Bを殺害したような殺人罪という同一の構成要件の枠内において生じた錯誤を「具体的事実の錯誤」といい、XがA罪を行なおうとして、B罪を行なったような構成要件にまたがっている錯誤を「抽象的事実の錯誤」という。本件は、Xは麻薬所持罪の事実を実現しようとして、覚せい剤所持罪の事実を実現した「抽象的事実の錯誤」である。

 このような錯誤について、通説・判例は「法定的符合説」の立場から、構成要件の重なる部分について故意の成立を認める。つまり、A罪の構成要件とB罪の構成要件を比較検討し、A罪の部分について重なる場合、A罪の故意を認める。抽象的事実の錯誤は、異なる構成要件に錯誤がまたがっている場合の錯誤なので、構成要件の重なりがまったくない場合もあれば、部分的に重なる場合もある。例えば、XがAを殺そうとして銃を発砲したら、それは熊であった(Aはその場に不在)。熊を殺害した事実について故意は認められるか。Aへの殺人罪(重い罪)と熊への器物損壊罪(軽い罪)は、器物損壊罪(軽い罪)の範囲において構成要件の重なり合いを認めることはできないので、故意は成立しない。この行為は過失の器物損壊であり、無罪である(Aに対する殺人予備が成立する可能性はある)。また、XはAの占有する財物を窃取したが、Xは占有離脱物横領のつもりであった場合、窃盗罪(重い罪)と占有離脱物横領罪(軽い罪)は、占有離脱物横領罪(軽い見つ)の構成要件の部分で重なり合っていると考えられるので、占有離脱物横領罪の故意が認められ、同罪が成立する。

 では、本件の場合、どのように考えることができるか。麻薬所持を行なうつもりが(軽い罪)、覚せい剤所持を行なった(重い罪)。麻薬所持と覚せい剤所持は、軽い麻薬所持罪の部分について、構成要件の重なりを認めることができるか。行為態様は「所持」なので、基本的に同じであるが、行為客体である麻薬と覚せい剤は、全く異なるものである。従って、その法的な意味や性質も異なるので、構成要件の重なり合いは認められないと考えることもできる。しかし、判例では、麻薬と覚せい剤との類似性を認めて、構成要件の重なりを肯定している。麻薬と覚せい剤は、人体に有害な作用を及ぼす薬物であり、法律によって厳しく取り締まられており、その取引によって暴力団の資金源が得られ、警察の総力を挙げて、撲滅キャンペーンが展開されている点でも共通している。このような意味において、麻薬の所持と覚せい剤の所持の有害性、不法性は共通し、そのような行為を行なった者に対する責任非難の内容も共通している。判例は、このような点を重視して、麻薬所持と覚せい剤所持について、麻薬所持の範囲で構成要件の重なりを認めている。
















44事実の錯誤と法律の錯誤(1)(最二判昭和26・8・17刑集5巻9号1789頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、養鶏業、養兎業を営んでいたが、野犬の被害のため養鶏を中止しただけでなく、その生計の主要部分である種兎が野犬にかみ殺され、さらに標本製造用の皮類まで被害を受けるようになったため、防止策として、養兎小屋前に罠を仕掛けたところ、翌朝、首輪はつけているものの、鑑札のないポインター種らしき犬が罠にかかっていた。被告人は、警察等が獣疫その他危害予防のため必要なときに無主犬の撲殺を行うために規定されていた大分県令「飼犬取締規則」等を誤解し、無鑑札で飼い主が不明の犬は、無主犬とみなされると信じて、その犬を撲殺し、その皮をはいで、なめした。

 原審は、器物毀棄罪と窃盗罪の併合罪を認め、被告人に懲役4月執行猶予3年に処した。弁護人は、被告人が無鑑札の犬は無主犬と信じて行ったものであり、無主犬の死体は一般に経済的価値があるものと考えられていないとし、毀棄および窃盗の故意はないなどと主張して上告した。

【裁判所の判断】
 被告人の各供述によれば、被告人は、本件犯行当時、判示の犬が首環はつけていたが、鑑札をつけていなかったので、それが他人の飼い犬であっても、無主の犬と見なされるものであると信じて、これを撲殺するにいたった旨弁解していることが窮知できる。そして、大分県令第27号1条には、飼い犬の証票なく、かつ飼い主が明らかではない犬は無主犬と見なす旨の規定があるが、これは同令7条の警察官吏などが獣疫などの予防のために無主犬の撲殺を行う旨の規定との関係上設けられたものであって、私人が無主犬と見なされる犬を撲殺することを容認したものではない。被告人は、この規則を誤解して、鑑札をつけていない犬は、たとえ他人の犬であっても、直ちに無主犬と見なされると誤信したというのであるから、判示の犬が他人所有に属する事実について認識を欠いていたものと認める場合であったかもしれない。そうであるならば、被告人がその犬が他人の飼い犬であることを判っていた旨の供述をもって、直ちに被告人が判示の犬が他人の所有に属することを認識しており、本件について犯意があったものと判断したことは、刑法38条1項の解釈適用を誤った結果、犯意を認定するについて、審理不尽の違法があったものといわざるをえない。

【解説】
 犯罪の故意が成立するためには、自分が行なおうとしている行為は犯罪にあたると認識していることが必要である。つまり、その行為が違法であり、法によって禁止され、処罰されることを認識していなければならない。例えば、人を殺してはならない、他人の財物を盗んではならない、それを壊してはならないというルールは、いつの時代でも、どの国でも、社会的に定着し、法によって遵守することが義務づけられている。それを破った者には、刑罰が加えられることも定着している。このようにいつの時代にも、どの社会でも禁止される犯罪を自然犯という。これに対して、特定の社会・行政目的を実現するために刑罰によって禁止される犯罪を行政犯という。

 他人のペットを盗んだり、殺したりする行為は、道徳的にも、宗教的にも問題のある行為であり、それに相応しい制裁が加えられるが、法的にも禁止される行為であるので、民法の不法行為として損害賠償や、刑法の窃盗罪、器物損壊罪として刑罰が加えられる。ただし、その問題は、動物をあやめること自体にあるのではなく、あくまでも他人の所有物を窃取したり、毀損したことにある。従って、その動物が他人の所有物でなければ、(道徳的・宗教的に問題であっても)法的な問題はないことになる。せいぜい、動物愛護法違反にあたるだけである。

 では、養鶏場の経営者が、ニワトリを食べる犬に困り、それを取ったり、撲殺した行為は、どのように評価されるのか。その犬が他人の所有物であるなら、窃盗罪や器物損壊罪にあたる。それを行なった行為者には、窃盗や器物損壊の違法性の認識があったといえる。しかし、首輪を付けている犬は、基本的に所有者がいることを示しているが、鑑札がついていない場合には、所有者のいない物(無主物)として扱われ、窃盗罪や器物損壊罪にはあたらないと信じて行なった場合、窃盗罪や器物損壊罪の故意がある(その行為は違法であり、禁止され、処罰されると認識している)と言えるかどうかは、必ずしも明らかではない。その意味で、本件は、行為者には犯罪にあたる事実の認識がなかったと判断した点は重要である。


















45事実の錯誤と法律の錯誤(2)(大審院大正14・6・9刑集4巻378頁)
【事実の概要】
 被告人は、狩猟期間中の大正13年2月29日、狸(たぬき)2頭を発見し、それが洞窟の岩窟(がんくつ)に入ったので、その入口をふさぎ、狸が逃げられないようにした(第1行為)。
 被告人は、その後、狩猟禁止期間中の3月3日、岩窟の入口を開けて、猟犬に狸をかみ殺させた(第2行為)。
 被告人は、狩猟禁止期間の大正13年3月3日に狸2頭を捕獲した狩猟法違反の罪で起訴された。

 大審院は、次のような判断を示した。
 狩猟法上の「捕獲」は、第1行為で完了しているので、それが狩猟期間に行われている以上、被告人の行為は、狩猟法違反の罪にはあたらない。第2行為は、適法な捕獲行為が完了した後における、狸の処分行為に過ぎない。被告人は、無罪である。
 かりに、第2行為があって初めて「捕獲」にあたるとしても、被告人は自分が捕獲したのは、当地では十文字(むじな)と俗称されている動物であって、狩猟が禁止された狸ではないと主張していた点については、次のよう似判断した。

【裁判所の判断】
 被告人は、タヌキとムジナとが全く種類の異なる動物であると誤信し、当該動物が狩猟法が禁止したタヌキではないと誤信して捕獲した。従って、狩猟法が禁止するタヌキを捕獲しているとの認識が欠如していることは明らかである。学問的に見て、タヌキとムジナは同一の動物であるとしても、それを認識できるのは、動物学の知識を有する者だけで、タヌキ、ムジナの俗称は、昔から別の動物を指す言葉として用いられてきた。そのように昔から使われてきた名称に従って、タヌキとムジナは別物であると考え、タヌキを捕獲した者に刑罰を科すのは、当を得たものとはいえない。狩猟法が狩猟を禁止したタヌキであるとの認識がない被告人については、故意を阻却し、その行為を不問に付すのは当然のことである。

【解説】
 Aという存在が「A」という名称で呼ばれ、それが一般に定着しているところで、「許可なくAを捕獲する行為を禁止する」という法を制定した場合、それは一般の人々に理解され、その禁止規範は妥当する。Xが、目の前にいるAを許可なく捕獲しようとするとき、Xは自分の行為がAを捕獲する行為であり、それは禁止され、処罰される行為であることを認識している。しかし、目の前にいるのがBという名称で呼ばれているものであると認識している場合、自分の行為が「Aの捕獲」にあたると認識できるかというと、それはできない。そのような場合、Xは、自分の行為が「A捕獲」という罪にあたるという認識がない。つまり、罪を犯す意思がない。従って、Xには「A捕獲」の故意はないことになる。

 自分が行なっている行為が客観的には犯罪にあたるにもかかわらず、行為者がそれを認識していない場合がある。それは、次のように分類することができる。

 第1
 Xが設置した網を取り上げて、軽トラックの荷台に乗せ、作業場まで運んだ。そのとき、網のなかに「タヌキ」が入っていると認識していなかったため、「タヌキ」を捕獲している事実を認識していなかった。

 第2
 Xが設置した網を取り上げて、軽トラックの荷台に乗せ、作業場まで運んだ。そのとき、網のなかに入っているのは「ムジナ」であり、それは「タヌキ」とは別種のものであると誤解したため、「タヌキ」を捕獲している事実を認識していなかった。

 第3
 Xが設置した網を取り上げて、軽トラックの荷台に乗せ、作業場まで運んだ。そのとき、網のなかに入っているのは「ムジナ」であり、それはこの地方では「タヌキ」の別称であることを知っていた。

 第1の場合、自己の行為がタヌキ捕獲の罪にあたる事実を認識していないので、その故意はない。第2の場合、動物を捕獲している事実の認識はあるが、その動物がタヌキであるとは認識していないので、故意はない(これが判例の事案である)。しかし、第3の場合、タヌキ捕獲の事実を認識しているので、故意を認めることができる。Xは、ムジナという名称はタヌキの別称であることを知っていたのであるから、タヌキ捕獲の事実を認識していたということができる。

 第2の場合のように、Aという存在が、「A」ではなく、「B」という名称で呼ばれている場合は、B捕獲の事実の認識があっても、A捕獲の事実の認識を認めることはできない。これに対して、第3の場合のように、Aという存在が、「A」だけでなく、「B」という名称でも呼ばれている場合は、B捕獲の事実の認識があれば、A捕獲の事実の認識を認めることができる。

 「自転車の放置を禁ず」という立札が立てられている場所に「チャリンコ」を長時間停めた場合、「チャリンコ」は、自転車の俗称であるので、チャリンコを長時間停めた事実を認識している場合には、「自転車の放置」の事実の認識を認めることができる。


46事実の錯誤と法律の錯誤(3)(最三判平成元・7・18刑集43巻7号752頁)
【事実の概要】
 被告人Xの実父Bは、昭和41年3月、特殊公衆浴場の許可を県知事に申請して、その許可を得て、同年6月から特殊公衆浴場を経営していたが、健康悪化を理由に、昭和47年12月、被告人Xに特殊公衆浴場を譲渡・相続した。Xは、営業許可の申請者の名義をBからX経営の会社に変更する旨の許可申請事項変更届を県保健所を通じて、県知事に提出し、受理された。その後、Xが業として、昭和56年4月まで同浴場を経営した。

 風俗営業法によると、特殊公衆浴場の経営にあたっては、県知事の許可が必要である。Bは、県知事から許可を得て経営していた。BがそれをXに相続した場合、営業許可の申請者の名義を変更するだけでなく、Xの会社が許可を得る必要があった。Xは、その経営する会社が営業許可をとらないまま、昭和47年12月から56年4月まで、個室浴場付きの特殊公衆浴場を経営したとして、公衆浴場法の無許可営業罪で起訴された。
 第1審は、県知事による変更届の受理には明白かつ重大な瑕疵(かし)があり、行政行為として無効であり、Xは会社が許可を得ていないことを認識し、変更届が無効であることを認識していたとして、公衆浴場法の無許可営業罪の成立を認めた。

【裁判所の判断】
 Xは、Bから浴場を相続した後、被告会社の名義で営業許可を得たい旨を県議を通じて県衛生部に陳情し、衛生部課長補佐から、変更届と添付書類の書き方などの教示を受けて、これを作成し、県保健所に提出した。Xは、受理前から、課長補佐と保健所長から県が受理する方針である旨聞かされていたので、受理された後、県議からそのことを連絡され、Xとしては、この変更届が受理されたことによって、被告会社に対する営業許可がなされたものと認識した。

 変更届が受理された昭和47年12月から昭和56年4月までの本件浴場の営業につき、Xには、無許可営業の故意が認められず、無許可営業罪は成立しない。

【解説】
 殺人や放火、窃盗のような自然犯については、それを行なっている事実の認識があれば、その罪を犯す意思を認めることができるが、特定の行政目的を達成するための行政規制の場合、その規制違反については、自然犯と同じ様に、事実の認識があっても、その罪を犯す意思があると認めることができない場合がある。なぜならば、行政法の規制は内容的にも手続的にも複雑であり、専門家でなければ分らないところが多いからである。例えば、営業するにあたって、都道府県知事の許可が必要であれば、まずは自治体の窓口に行って、担当者に相談し、許可申請に必要な事項や書類を準備するのが一般的に行なわれている。

 本件で問題になったのは、特殊公衆浴場の許可に関する問題である。特殊公衆浴場の営業にあたっては、公衆浴場法の手続に基づいて、県知事の許可をうけなければならない。この許可は、営業する個人または法人(会社)が受けなければならない。許可を受けた個人や法人の所在地や連絡先など、許可申請にあたって届け出た事項が変更される場合は、その変更届を出さなければならない。また、その特殊公衆浴場の施設を他に売却するなどして経営から退き、新たな個人や法人がその経営を行なう場合、あらたに経営する個人や法人は、公衆浴場法に基づいて、県知事に対してあらためて許可を申請しなければならない。特殊公衆浴場の営業許可は、個人・法人単位で認められ、それは他の個人・法人に相続・譲渡することはできないので、あらたな個人・法人が営業する場合、たんなる届出事項の変更手続だけでは営業許可を変更することはできない。

 しかし、本件の被告人Xは、昭和47年12月に父親Bから相続し、その営業にあたって、公衆浴場法に従って、あらためて県知事から営業許可を受けないまま、昭和56年4月まで営業した。Xの行為は、客観的に見て、特殊公衆浴場の無許可営業の罪にあたる。では、その故意があったと認めることができるか。

 Xは、Bから特殊公衆浴場を相続した後、Xが経営する会社の名義で、この公衆浴場の営業許可を得たい旨を県議会議員を通じて、県の衛生部に陳情した。そして、衛生部課長補佐から、変更届と添付書類の書き方など教えてもらって、これを作成し、県保健所に提出した。Xは、営業許可を受けたい旨を県議会議員に伝えて、その上で県の衛生部に陳情しているので、本人のところでは、「届出事項の変更届」ではなく、許可申請の手続を行なっていると認識していたものと思われる。しかも、申請の受理前から、課長補佐と保健所長から県が受理する方針である旨聞かされていたので、受理された後、Xとしては、この「届出事項の変更届」が受理されたことによって、Xの会社に対する営業許可がなされたものと認識したと考えられる。

 Xは、このような手続に基づいて、Bから相続した特殊公衆浴場を昭和47年12月から昭和56年4月まで営業したが、その認識は「無許可営業」の認識といえるだあろうか。それとも営業許可を受けた許可営業の認識であったのだろうか。判例は、Xの無許可営業の故意を否定した。これは、Xは無許可営業の事実の認識を欠いていたいう「事実の錯誤」を理由に故意を否定する判断である。Xは、無許可で営業した事実を認識しながら、それが許されると誤解した「法律の錯誤」ではない。




47規範的構成要件要素の認識(最大判昭和32・3・13刑集11巻3号997頁)
【事実の概要】
 出版社社長Xは、D・H・ロレンス著『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳・出版を企画し、Yにその翻訳を依頼し、その内容に性的描写のあることを知りながら、これを出版した。XとYは、わいせつ文書販売罪起訴された。
 第1審は、本件翻訳書がわいせつ文書に該当するとして、Xに有罪、Yには共犯は成立しないとして無罪を言い渡した。これに対して検察官とXが控訴した。第2審は、Xが出版した翻訳書は客観的に見てわいせつ文書に該当することを認めた上で、わいせつ文書販売罪の故意の成立について、本書の内容として性的な描写が記載されているることを認識し、その翻訳書を販売することの認識があれば、本罪の故意として足り、その性的描写がわいせつ性を有するという価値判断について認識している必要はない、つまり当該翻訳書が「わいせつ文書」に該当することの認識は必要ではないと判断した。従って、Xが当該翻訳書がわいせつ文書に該当しないと錯誤していても、それは刑法38条3項によって刑を減軽することはできても、刑法38条1項の罪を犯す意思がなかったとすることはできないとして、X・Yにわいせつ文書販売罪の共同正犯の成立を認めた。
 これに対して、X・Yが上告した。

【裁判所の判断】
 刑法175条の罪における犯意の成立については、問題となる記載が存在することを認識し、これを頒布販売することを認識していれば足り、これが記載された文書が同条所定のわいせつ性を具備することの認識まで必要ではない。かりに主観的に刑法175条のわいせつ文書に該当しないと誤信して文書を販売しても、販売した文書は客観的にわいせつ性を有しており、その錯誤は主観的には法律の錯誤であり、犯意の成立を阻却するものではない。問題となる記載が存在することを認識していた以上、わいせつ性に関して完全に認識していたとか、未必的な認識にとどまっていたとか、また全く認識していなかったというのは、刑法38条3項の但書の情状の問題にすぎず、犯意の成立には関係ない。従って、この趣旨を認める原判決は正当である。

【解説】
 犯罪の客観的構成要件は、行為主体と行為、行為客体と法益侵害結果、行為と結果の因果関係から成り立っている。その要素のうち、行為客体につき、事実的な要素と規範的な要素の二種類がある。

 事実的要素とは、「人」のように、条文に書き表された事実的なものである。目の前にいる「A君」が「人」にあたることは、事実の問題として、誰にでも容易に認識できる。

 規範的要素とは、「わいせつ文書」のように、条文に書き表されているが、必ずしも事実的なものではない。目の前に置かれている「雑誌」が「わいせつ文書」にあたるかどうかは、「わいせつ」とはどのような意味かという価値や評価の基準を理解していなければ、容易に認識することはできない。これは「雑誌である」という事実の問題を超えた、その雑誌の性質の問題である。「わいせつ文書」は、このような意味から規範的構成要件要素と呼ばれている。

 女性や男性の裸体を写した写真集などの場合、事実の問題としては「裸体の写真集」であるということしか認識できないが、その写真が好色的趣旨を含んだもの、またひわいなものである場合、法は健康的な性風俗を維持するために、それを「わいせつ文書」として販売を禁止するなどしている。しかし、裸体の写真集にも様々なものがあるので、段階的な区別をしなければならない。例えば、健康美を映し出した写真集、肉体的芸術美を描いた写真集、好色的趣旨を含んだ写真集、わいせつな写真集などがあり、刑法で禁止されているのは「わいせつな文書」だけである。従って、わいせつな文書にあたることを知りながら販売した場合、わいせつ文書販売罪の故意があると認められる。

 しかし、わいせつとは何か、という基準は、明らかではないので、人によっては、「この写真集は、たんなる好色的趣旨しかない」と軽く認識することもある。この人は、「わいせつ文書にあたる」と認識しなかったので、わいせつ文書販売罪の故意はないと判断されるのか。最高裁は、本件に関して重要な判断を示した。

 刑法175条のわいせつ文書販売罪の故意とは、何か。それは、販売している翻訳書のなかに、男女の性的な描写があることを認識していれば、それが175条の「わいせつ性」を備えていることまで認識していなくてもよい。販売した文書は客観的にわいせつ性を有しており、かりに「わいせつ性」はないと誤信して、その翻訳書を販売した場合、その錯誤は「法律の錯誤」であり、故意の成立を阻却するものではない。












48違法性の意識(最一決昭和62・7・16刑集41巻5号237頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、自己の経営する飲食店の宣伝のため、百円紙幣と同寸法、同図面の三種類のサービス券を作成し、客らに配布した。Xは、通貨及証券模造法1条違反の罪で起訴された。
 Xは、第1審は、Xを同罪で有罪にした。被告人は控訴したが。第2審は、Xの控訴を棄却した。

【裁判所の判断】
 ①違法性の意識を欠いていたとしても、それにつき、いずれも相当の理由がある場合には当たらないとした原判決の判断は、これを是認することができるから、②この際、行為の違法性の意識を欠くにつき、相当の理由があれば(故意が阻却されて)犯罪は成立しないとの見解の採否についての立ち入った検討をまつまでもなく、②本件の各行為を有罪とした原判決の結論には誤りはない。

【解説】
 通貨を偽造または変造すると、刑法の通貨偽造罪または通貨変造罪にあたる。偽造とは、真正な通貨と間違うようなものを作成すること、変造とは、通貨を加工して、真正な通貨と間違うようなものを作成することをいう。模造とは、真正な通貨と間違うほど精巧なものを作るのではなく、紛らわしいものを作成することをいう。

 100円紙幣に似た「サービス券」と書かれたものを作成した場合、通貨に似た。紛らわしいものを作成しているので、通貨模造にあたる。被告人Xにも、その認識はあった。しかし、Xは、これを作成するにあたり、警察署に行き、相談をするなどし、特に問題はないとのアドバイスを受けていた。通貨に似た、紛らわしいものを作成しているが、問題はない、違法ではないと認識していたのである。

 判例では、伝統的に、故意の成立には違法性の意識は必要でないと解されてきた。本件では、通貨に似た紛らわしいものを作成している事実の認識があれば、通貨模造罪の故意があるということになり、たとえXが警察に相談し、問題ないというアドバイスを受けたので、違法性の意識はなかったと主張しても、それによって故意の成立は否定されないことになる。せいぜい、刑法38条3項但書の「情状」として、刑の任意的な減軽事由になるだけである。

 ただし、Xが弁護士や検察官などの法律専門職に相談に行き、問題ないとアドバイスを受けていたならば、Xとしては、違法ではない、通貨に似た紛らわしいものを作成していないと認識した場合、それは違法ではないと誤信したことに相当の理由があるので、故意が阻却されると解することもできる。弁護人は、このように主張して、最高裁で争ったのであるが、判例はこのような見解を採用していない。ただし、Xが違法でないと誤信したのは、相当の理由がある場合にはあたらない認定した原判決の判断を是認したということは、この見解を無視したのではないことを意味している。そうすると、故意の成立にとって、違法性の意識は何らかの関係があると考えることができ、最高裁もそれに関して問題関心を持っていることが推測される。
































49法律の不知(最二判昭和32・10・18刑集11巻10号2663頁)
【事実の概要】
 X・Yは、村のつり橋が腐朽し、車馬の通行が危険になったので、村役場に掛け替えを申し入れたが、それが実現しなかったため、人為的に落下させ、雪害によって落橋したように装うために、ダイナマイトを用いて橋を爆破し、それにより往来を妨害した。
 第1審は、爆発物取締罰則1条違反の罪と往来妨害罪(刑法124条)の成立を認め、酌量減軽し、懲役3年6月に処した。第2審は、X・Yが爆発物取締罰則1条の法定刑が死刑または無期もしくは7年以上の懲役であることを知らなかったとして、酌量減軽とあわせて、X・Yの犯行動機、性格、素行などを考慮して、刑法38条2項但書による刑の減軽を認め、X・Yに懲役2年、執行猶予3年に処した。
 これに対して検察官が上告した。その主張の論点は、刑法38条3項の「法律を知らなかった」というのは、行為が法律上許されない、違法であることを知らなかったという意味であり、X・Yが爆発物取締罰則1条の法定刑が死刑……などであるということを知らなかったという理由で、同条但書を適用したことは、この規定の解釈を誤ったものであるというものであった。

【裁判所の判断】
 刑法38条3項但書は、自己の行為が刑罰法令により処罰さるべきことを知らず、これがため行為の違法であることを意識しなかったにもかかわらず、それが故意犯として処罰される場合において、右違法の意識を欠くことにつき斟酌(しんしゃく)または宥恕(ゆうじょ)すべき事由があるときは、刑の減軽をなし得べきことを認めたものと解するを相当とする。従って、自己の行為に適用される具体的な刑罰法令の規定ないし法定刑の寛厳の程度を知らなかったとしても、その行為の違法であることを意識している場合は、故意の成否につき同項本文の規定をまつまでもなく、また前記のような事由による科刑上の寛典を考慮する余地はありえないのであるから、同項但書により刑の減軽をなし得べきものではないことはいうまでもない。

【解説】
 日本には、膨大な数の法律があり、そのなかに多くの罰則がある。そのような法律があることを知らずに、それに該当する行為を故意に行なった人に、はたして故意があったといえるか。

 刑法38条3項は、「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思(故意)がなかったとすることはできない」と規定している。この「法律を知らない」というのは、どのような意味か。「法律があることを知らなかった」という意味か、それとも「法律があることを知らなかったので、違法であることも知らなかった」という意味か。

 第2審は、刑法38条3項を「法律があることを知らなかった」という意味で理解し、被告人らが爆発物取締法の存在、その法定刑の厳しいことを知らなかったことを斟酌して、同条但書を適用して、刑を減軽した。

 これに対して、検察官は、「法律を知らない」というのは、その行為が違法であることを知らないという意味で理解し、爆発物を使用した事実の認識がある以上、違法であるとは知らなかったからといって、故意が否定されるものではないと主張した。

 裁判所は、被告人らは爆発物取締法の存在を知らなかっただけで、自分らの行為が違法であることを認識していたので、「法律を知っていた」ので、刑法38条3項の規定を適用し、刑を減軽することはできないと判断した。