Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

2017年度刑法Ⅰ(第08回)刑事判例資料

2017-05-29 | 日記
【50】結果的加重犯と過失の要否(最三判昭和32・2・26刑集11巻2号906頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、妻Aを仰向けに引き倒し、その上に馬乗りになって、両手で頸部を圧迫した。Aは、特異体質(心臓肥大、高度の脂肪肝)であっただけでなく、生理理中でもあった。結果的に、その場でショック死した。

 第1審判決は、Xに傷害致死罪の成立を認めた。控訴審判決も、傷害致死罪のような結果的加重犯の成立には、重い結果の発生が予見可能であることまで必要ではないとして、控訴を棄却した。

 これに対して、弁護人は、結果的加重犯が成立するためには、基本犯と加重結果との間に因果関係があるだけではなく、加重結果が予見可能なものでなければならないと主張し上告した。

【争点】
 一定の犯罪行為を故意に行ない(これを基本犯という)、その犯罪行為から、それよりも重い結果が発生した場合(これを加重結果という)、行為者には、その重い結果を含めむ犯罪が成立する。このような犯罪を結果的加重犯(けっかてきかじゅうはん)という。傷害致死罪(205)がその典型である。故意に暴行または傷害を行ない、そこから死亡結果が発生した場合に傷害致死罪が成立するが。

 この場合、暴行・傷害と死亡との間に「因果関係」が成立していなければならないが、死亡について予見可能性(過失)を要するかに関して、判例はこれを否定している。学説には、予見不可能な死亡についてまで、行為者に責任を負わせるのは責任主義に反するので、死亡に対して予見可能性を必要とする。

【裁判所の判断】
 傷害致死罪の成立には、暴行と死亡との間に因果関係の存在を必要とするが、致死(死亡)の結果についての予見可能性を必要としないことは、当裁判所の判例とすることろであるので、原判示のような因果関係の存する以上、被告人において致死の結果をあらかじめ認識することの可能性ある場合でなくても、被告人の判示所為が傷害致死罪を構成することは、いうまでもない。

【解説】
 人の死を伴う犯罪には、様々なものがある。例えば、殺人罪、傷害致死罪、過失致死罪がある。これらの犯罪は、いずれも人の死亡の発生を伴う点で共通しているが、行為者の認識の点で大きな違いがある。殺人罪については、行為者が人の死の発生を認識している(殺人の故意がある)が、傷害致死罪の場合は、行為者には暴行・傷害を行なう認識はあるが、被害者の死亡は想定していない。過失致死罪の場合は、被害者に暴行・傷害を加えることも考えていない。

 このように客観的に人の死を伴う犯罪にも、行為者の認識内容に応じて成立する犯罪が異なる。殺人罪は、自分の行為が人の死を発生させるものであることを認識している。過失致死罪は、自分の行為が殺人はもちろん、暴行・傷害にあたることさえ認識していない。傷害致死罪は、この中間にあって暴行・傷害の認識はあるが、死亡については予見がない場合である。傷害致死罪は、このように暴行・傷害を故意に行ない、そこから予期していなかった重い死亡という結果が発生した場合であるが、このような犯罪を一般的に結果的加重犯という。軽い基本犯(暴行罪または傷害罪)を故意に行ない、そこから重い加重結果(致死)が発生した場合である。結果的加重犯は、故意の基本」から予期せぬ結果が発生した場合であるから、客観的には、基本犯の行為(暴行または傷害)と加重結果(致死)との間に因果関係が必要であり、主観的には、基本犯の行為を故意に行なっていることが必要である。

 傷害致死罪が成立するためには、死亡結果(加重結果)について、故意は不要であるが(もし加重結果について故意があれば、それは殺人罪にあたる)、それに過失が必要かどうかが問題になっている。例えば、XがAの頭部を殴打して、その後、死亡したとする。XがAの頭部を殴打した行為は暴行にあたり、その後Aが死亡しているので、傷害致死罪が成立するためには、まず暴行と死亡との間に因果関係が必要である。因果関係論のところでも説明したが、Aが頭部に病変があっても、そのような病変とあいまって死亡結果が発生した場合、暴行と死亡の因果関係を認めることができる。

 Aが頭部に病変を持っていたことが、一般の人々に知りえたならば、暴行が病変とあいまって死亡に至ることは「予見可能」であったといえる。しかし、知りえなかったならば、「予見不可能」であった。学説の多くは、傷害致死罪の成立には、死亡結果が予見可能であった場合に限ると主張している。そうしなければ、予見不可能であった結果につてまで、行為者に責任を負わせることになり、責任主義に反するからである。ただし、判例は、基本犯の行為(暴行または傷害)と加重結果(致死)に因果関係があれば、それで足り、加重結果について予見可能性は不要であると考えている。

 刑法では、犯罪として処罰されるのは原則的に故意による場合であり、過失の場合が処罰されるのは例外である。そのように考えると、予見可能でなかった加重結果に対してまで責任を負わなければならないというのは疑問である。学説からは、結果的加重犯を「故意の基本犯+過失の加重結果」(故意犯と過失犯の二元的構造)と理解される。判例は、結果的加重犯を「故意の基本犯+加重結果」(故意犯の一元的構造)と解することになる。



【51】予見可能性の意義(1)(札幌高判昭和51・3・18高刑集29巻1号78頁)
【事実の概要】
 執刀医Xが、動脈管開在症の患者の手術を行なう際、介助看護師Yが手術に使用する電気メス器のメス側ケーブルと対極版側ケーブルとを誤って接続したため、併用されていた心電計の欠陥とあいまって、高周波電流に異常な回路が形成され、患者の右足に重度の熱傷が生じた。胸部の手術自体は成功したものの、右下腿は熱傷のため切断された。
 過失成立に必要な予見可能性の対象(因果経過の内容)は、どの程度のものでなければならないか。

【裁判所の判断】
 その結果発生の予見が可能であるという意味は、内容の特定しない一般的・抽象的な危惧感ないし不安感を抱く程度では足りない(何か分からないが、重大な事態になるのではないだろうか)。特定の構成要件的結果及びその結果の発生に至る因果関係の基本的部分が予見可能でなければならない(出血死、酸欠死、打撲死するのではないだろうか、火花がガスに引火して家屋が消失するのではないだろうか)。そのようなことを意味するものと解すべきである。
 本件において被告人Yないしその立場に置かれた一般通常の間接介助看護婦(師)にとって予見可能と認められるのは、……ケーブルを誤接続したまま電気手術器を作動させるときは電気手術器の作用に変調を生じ、本件からケーブルを経て患者の身体に流入する電流の状態に異常を来し、その結果患者の身体に電流の作用による傷害を被らせるおそれがあることについてであって(予見可能であったと認められるかどうかであって)、その内容は、構成要件的結果及び結果発生にいたる因果関係の基本的部分のいずれについても特定していると解される。……もっとも、発生するかもしれない傷害の種類、態様及びケーブルの誤接続が電気手術器本体から患者の身体に流入する電流の状態に異常を生じさせる理化学的原因については予見可能の範囲外であったと考えられるけれども、過失犯成立のために必要とされる結果発生に対する予見内容の特定の程度としては、前記の程度で足りると解すべきである。
 執刀医である被告人Xにとって、……ケーブルの誤接続のありうることについて具体的認識を欠いたことなどのため、右後接続に起因する傷害事故発生の予見可能性が必ずしも高度のものではなく、手術開始前に、ベテランの看護婦(師)である被告人Yを信頼し、接続の正否を点検しなかったことが当時の具体的状況のもとで無理からぬものであったことにかんがみれば、被告人Xがケーブルの誤接続による傷害事故発生を予見してこれを回避すべくケーブル接続の点検をする措置をとらなかったことをとらえ、執刀医として通常用いるべき注意義務の違反があったものということはできない。

【解説】 犯罪の故意とは、犯罪構成要件の結果を発生させることの認識・予見である。過失とは、それを認識・予見していなかったが、注意力を集中すれば、そのような結果が発生することを認識・予見することができたことである。
 αという行為を行なえば、βという結果が発生する。それが一般に予測できる場合、αを行なう際にはβが発生しないように注意をし、そのような結果を回避するための措置を講ずる義務が課される。交差点で左折する際には、自動車左側の車両や歩行者との接触事故が発生することが予想されるので、他の車両がいるかどうか、歩行者がいるかどうかについて、左側、左後部の確認を行ないながら、減速して左折する注意義務が課される。この注意義務を怠ったために、事故が発生した場合、運転者は事故に対して過失の責任を負わなければならない。注意したにもかかわらず、その事故が発生した場合には、過失任は成立しない。
 自動車運転に伴う事故のように、過失運転から生ずる結果の内容、またそれに至る因果経過に一定の定型性があり、パターン化できるような場合、予見し、回避すべき結果の内容は、ある程度までは個別的・具体的に特定することができる。つまり、自動車を左折する際に予見可能な結果は、内容だけでなく、その因果経過についても、個別的・具体的に特定できる。
 しかし、複雑なメカニズムで成り立っている機械を使用して行為を行なう際に、その機械の操作を誤って(操作にあたって課されている注意義務を怠って)、重大な結果を発生させた場合、「まさか、そのような結果が発生するとは思いもよらなかった」とか、「その結果の発生はありえたかもしれないが、そのような因果経過をたどるとは、思いもよらなかった」ということがある。
 本件の事案では、間接介助看護師Yは、電気メス器のケーブルを誤って接続したために、患者の右下腿の切断という事態を発生させたのであるが、電気メス器の誤接続から患者の下腿の切断という結果が発生に至るまでには、電流の出力端子→メス側ケーブル→誤接続→電流状態の異常の発生→メス先の投入→患者の身体への侵襲→下腿の熱傷→下腿の切断という理化学的な因果経過をたどる。Yには、このような因果経過をたどって結果が発生することが予見可能であったのか。予見可能であったのであれば、それを回避すべき義務があった。しかし、予見不可能であれば、それを回避することも不可能であった。
 ここで問題なのは、具体的で詳細な結果と因果経過が予見可能でなければならないのかという問題である。そのような具体的で詳細な事柄についてまで予見できなければ、過失は認められないと考えると、過失の成立範囲は限定されてしまう。しかし、本件の判断のように、行為から結果へと至る因果経過の基本的な部分について予見可能でありさえすれば、過失を認めることができる。本件では、「ケーブルを誤接続したま電気手術器を作動させるときは電気手術器の作用に変調を生じ、本件からケーブルを経て患者の身体に流入する電流の状態に異常を来し、その結果患者の身体に電流の作用による傷害を被らせるおそれがある」という因果経過の基本的部分について予見できればよいと判断した。実際にたどった「理化学的」な因果経過まで予見できなくても、過失の成立を認めることができ、妥当な結論を出すことができる。
 Xの過失については、XはYが適切な措置をとっていることを前提にしながら、自己の注意義務を尽くせばよいのであって、Yが不適切な措置をとっていることまで想定しながら、自己の注意義務を履行しなければならないわけではない。ここでは「信頼の原則」が働いて、Xの過失は否定される。

【52】予見可能性の意義(2)(最二決平成元・3・14刑集43巻3号262頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、最高速度が時速30キロメートルに指定されている道路を時速約65キロメートルの高速度で、業務として普通貨物自動車を進行させた。その運転中、対抗車両を認めて、ハンドルを左に急転把したため、道路左側のガードレールに衝突しようになり、あわてて右に急転把し、自車の走行の自由を失わせて暴走させ、道路左側に設置してある信号柱に自車左側後部荷台を激突させた。その衝撃により、後部荷台に同乗していたA・B両名を死亡するに至らせ、さらに助手席に同乗していたCに対して全治約2週間の傷害を負わせた。しかし、XはA・B両名が自車後部荷台に乗車している事実を認識していたとは認定できなかった。

 第1審判決は、後部荷台に乗っていたA・Bに対する業務上過失致死罪、助手席に同乗していたCに対する業務上過失致傷在の成立を認めた。Xは、A・Bが荷台に乗車していることを認識していなくても、業務上過失致死罪の成立を免れないと判断した。これに対して被告人が控訴したが、控訴審判決は、人が後部荷台に乗車することは必ずしも極めて異常な事態ではなく、XにはA・B(何者かが)後部荷台に乗り込んでいることを認識することができた(認識可能性あり)と認められることを理由に、A・Bの死亡を予見可能であったとして、業務上過失を肯定した。

【裁判所の判断】
 被告人において、右のような無謀ともいうべき自動車運転をすれば、人の死傷を伴ういかなる事故を惹起するかもしれないということは、当然認識しえたというべきであるから、たとえ被告人が自車の後部荷台に前記両名(A・B)が乗車している事実を認識していなかったとしても、右両名に関する業務上過失致死罪の成立を妨げないと解すべきであり、これを同旨の原判断は正当である。

【解説】
 自動車運転をして交差点を左折・右折するとき、事故を回避するための措置を講ずることが義務づけられる。その事故とは、左折の場合、自車の左側を走行する他の車両、通行人、そして右折しようとする対向車との接触・衝突事故である。このような事故は、起こることが予想できる(予見可能性のある)事故なので、回避すべき義務が課されるのである。この義務をつくさず、無謀な運転をして、左側を走行する車両の運転者、歩行者、右折車両の運転者に傷害を負わせた理、死亡させた場合、その人たちに過失の責任を負わなければならないのは当然である。

 本件の事案では、助手席のCの負傷、自車の後部荷台に無断で乗車していたA・Bの死亡について業務上の過失の有無が問題になった。

 無謀な運転をすれば、助手席のCにけがを負わせることを、Xは予見できたであろうか。Xは助手席にCが同乗していることを認識していたのであるから、事故を起こせばCがケガをすることは予見できたといえる。従って、Cに負傷に対して過失が成立することは明らかである。

 では、後部荷台に無断で乗車していたA・Bの死亡については、どうか。「無謀な運転」をすれば「人を死なせてしまう」ことは一般的に予見可能である。しかし、そのように説明するだけだと、予見可能な対象・結果は、非常に一般的で抽象的になってしまう。過失の成立の根拠となる予見可能性は、もう少し個別的で具体的な対象・結果についての予見可能性でなければならない。従って、「無謀な運転」をすれば「人を死なせてしまう」ことは予見可能という一般的・抽象的な予見可能性だけでは、「後部荷台に無断で乗り込んでいたA・Bを死亡させてしまう」ことの予見可能性の根拠にはならないように思われる。

 かりに、Xが、助手席のCと同じように、後部荷台にA・Bが乗車していることを認識していたならば、無謀な運転からA・Bの死亡が発生することは予見可能であったといえる(A・Bの乗車の認識→A・Bへの事故の予見可能性)。しかし、XはA・Bの乗車を認識していたとは認定されていない。このように、A・Bの乗車の認識がない場合にも、A・Bに発生する死亡事故について予見可能性といえるか。本件の判断は、「たとえ被告人が自車の後部荷台に前記両名が乗車している事実を認識していなかったとしても、右両名に関する業務上過失致死罪の成立を妨げないと解すべきであ」ると述べて、予見可能性を肯定した。この判断について、「認識していなかったとしても、認識可能であったので」と判断したのかどうかは明らかではないため、判例の理解をめぐって、意見の対立がある。

 控訴審の判断のように、後部荷台に誰かが乗車することは異常な事態ではないという前提に立てば、何者かが後部荷台に乗り込んでいることは認識可能であったと判断され、それを根拠にA・B死亡の予見可能性を認めることができる。しかし、そのような認識可能性がなくても、A・B死亡に対して予見可能性があったというならば、予見可能性の対象を抽象化することになり、過失の成立する範囲が広がりすぎてしまう。

 従って、A・Bの乗車を認識していなくても、認識することができたので、彼らの死亡に対して予見可能性があると理解すべきである。

 過失成立に必要な予見可能性の対象の問題



【53】予見可能性の意義(3)(最二決平成12・12・20刑集54巻9号1095頁)
【事実の概要】
 近鉄東大阪線・生駒トンネル内において、電力ケーブルの接続工事を行うのに際し、施工資格を有し、その工事にあたった被告人Xが、ケーブルに特別高圧電流が流れる場合に発生する誘起電流を接地するために、大小2種類の接続銅版のうちの1種類(小)をY分岐接続に取り付けるのを怠ったため、誘起電流が、大地に流されず、本来流れるべきではないY分岐接続器本体の半導電層部に流れてしまい、そこで炭化導電路が形成され、長時間にわたり同部分に集中して流れ続けたため、火災が発生した。折からトンネル内を通過中の電車の乗客らが、火災により発生した有毒ガス等を吸引し、1名が死亡、43名が傷害を負った。
 なお、本件火災の発生に至った炭化導電路の形成という現象は、本件以前には報告されたことのないものであった。

 過失成立に必要な予見可能性の対象(因果経過の内容)は、どの程度のものでなければならないか。

【裁判所の判断】
 右事実関係の下においては、被告人は、右のような炭化導電路が形成されるという経過を具体的に予見することはできなかたっとしても、右誘起電流が大地に接続されずに本来流れるべきでない部分に長時間にわたり流れ続けることによって火災の発生に至る可能性があることを予見することはできたというべきである。したがって、本件火災発生の予見可能性を認めた原判決は、相当である。

【解説】
 ケーブルには高圧の電流が流れていることは、一般に知られている。その高圧電流から誘起電流が発生することも知られている。従って、ケーブルを設置する際には、そのケーブルに流れる電流が発生させる誘起電流が、地中に流れるようにするためにの接続銅板を取り付けるべきことが一般に行なわれている。この接続銅板を取り付けなかったならば、誘起電流がケーブルに滞留して、ケーブルそれ自体の温度が上昇して、火災に至る可能性がある。このこともも知られている。

 本件の事件当時、誘起電流がケーブルに滞留して、ケーブルそれ自体の温度が上昇して、火災に至る可能性があることは知られていたが、そのプロセスにおいて、炭化導電路が形成されるという経過は、学会等において報告されていなかった。したがって、そのような経過をたどることは、一般的には認識されていなかった。つまり、接続銅板を設置しなかった→誘起電流がケーブル本体の半導電層部に流れた→そこで炭化導電路が形成された→火災が発生したという因果経過をたどって、死傷者が出たのであるが、事故当時は、炭化導電路の形成という現象は知られていなかったので、被告人Xには、このような因果経過を予見することはできなかった。

 しかし、本件の判断では、「炭化導電路が形成されるという経過を具体的に予見することはできなかたっとしても、右誘起電流が大地に接続されずに本来流れるべきでない部分に長時間にわたり流れ続けることによって火災の発生に至る可能性があることを予見することはできた」ので、Xには、結果とそこに至る因果経過の基本的部分について予見可能性があったといえると認定された。

 実際にたどった具体的で詳細な因果経過を予見することができなくても、その基本的な部分について予見可能であれば、過失の成立を肯定する予見可能性を認めることができる。




【54】注意義務の存否・内容(1)――信頼の原則(最二判昭和42・10・13刑集21巻8号1097頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、いまだ灯火の必要がない午後6時25分頃、第一種原動機付自転車を運転して、幅員約10メートルの一直線で見通しがよく、他に往来する車両のない路上において、進路の右側にある幅員約2メートルび小路に入るため、センターラインより若干左側を、右折の合図をしながら時速約20キロメートルで進行し、右折を始めたが、その際に右後方を瞥見(べっけん)しただけで、安全を十分に確認しなかった。そのため、Xの右後方役15メートルないし17・5メートルを、時速役60キロメートルないし70キロメートルの高速度で第二種原動機付自転車を運転し、Xを追い抜こうとしていた被害者AをXは発見せず、危険はないものと軽信して右折し、センターラインを超えて斜め2メートル進行した時点で、Aをして、その自転車の左側をXの自転車の右側ペダルに接触させ、よってAを東部外傷等により死亡するに至らせた。

 第1審・第2審は、Xに右後方を注意して安全を確認する義務があたっとして、業務上過失致死罪の成立を認めた。

【裁判所の判断】
 本件Xのように、センターラインを若干左側から、右折の合図をしながら、右折を始めようとする原動機付自転車の運転者としては、後方から来る谷車両の運転者が、交通法規を守り、速度を落として自車の右折を待って進行する等、安全な速度と方法で進行するであろうことを信頼して運転すれば足り、本件Aのように、あえて交通法規に違反して、高速度で、センター他印の右側にはみ出してまで自車を追越そうとする車両のありうることまでも予想して、右後方に対する安全を確認し、もって事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である。

【解説】
 本件は、いわゆる「信頼の原則」に基づいて、被告人の自動車運転の過失を否定した事案である。

 行為者や被害者など複数の者が交通に関与する過程において、行為者の行為から犯罪的な結果が発生した場合、行為者は、被害者など他の者が適切な行為を行なうことを信頼して、自分の注意義務を尽くしていれば、生じた結果に対して過失は成立しない。これが「信頼の原則」である。

 歩車分離信号機が設置されている交差点で、Xが青信号に従って自車を走行させ、左折した際、歩行者Aが同じ進路方向に横断歩道を渡ったため、接触事故が発生し、Aが負傷した場合、XはAが赤信号の横断歩道を横断しないことを信頼して左折すれば足り、赤信号の歩道を横断することまで想定して、左折すべき義務はない。従って、Xには「信頼の原則」が適用されて、事故に対する過失が否定される。

 ただし、交通関与者にはお年寄りや子ども、身体にハンディを負った人もいる。そのような人が交通法規に沿わない行為や違反した行動をとった場合、「信頼の原則」は働かない。一般の交通関与者は、そのような人がいることを想定して行動しなければならない。

 「信頼の原則」は、道路交通事案における過失の限定という問題意識により成立した考えであるが、現在では、食品・医薬品の製造、チーム医療などの分野においても適用されている。

 この「過失」が構成要件要素であると考えると、Xには自動車運転の過失はないので、過失運転致傷罪の構成要件該当性そのものが否定され、無罪になる。生じた結果は、Xの運転行為ではなく、Aの行為に起因するものであると評価されることになる。つまり、Aの負傷と因果関係があるので、Aの不注意な行為である。

 これに対して、「過失」が責任要素であると考えると、Xには自動車運転とAの負傷との間には因果関係があることになり、傷害罪の構成要件該当性が認められる。そして、違法性を阻却する事情はないので、違法性が確定する。ただし、過失がないので、刑事責任は否定され、無罪になる。ただし、Aの負傷はXの運転行為に起因するという事実は認められる。

 しかし、Aの負傷はXの運転行為に起因すると考えなければならないのだろうか。Aの負傷は、Xの運転行為から生じたように「見える」だけで、それはAの行為に起因していると「考える」こともできるのではないだろうか。このように考えることができるながら、過失を責任要素としながら、Xの行為とA負傷の因果関係を否定して、傷害罪の構成要件該当性を否定することができる。





【55】注意義務の存否・内容(2)(東京地判平成13・3・28判時1763号17頁、判タ1076号96頁)
【事実の概要】【裁判所の判断】【解説】

【56】注意義務の存否・内容(3)(最二決平成20・3・3刑集62巻4号567頁)
【事実の概要】【裁判所の判断】【解説】

【57】注意義務の存否・内容(4)(最一決平成17・11・15刑集59巻9号1558頁)
【事実の概要】【裁判所の判断】【解説】





【58】監督過失(最二決平成5・11・25刑集47巻9号242頁)
【事実の概要】
 ホテルニュージャパンの代表取締役社長の被告人Xは、本件ホテル建物の防火責任者であった。Xは、スプリンクラーなどの防火設備を設置せず、消火・通報・避難の訓練も行なわず、消防署の指導に従って設備を設置するなどせず、防火管理体制の不備を放置していた。このような状況のなかで、宿泊客のたばこの不始末から出火して、火災が発生し、宿泊客ら死傷するなどさせた。

【争点】
 客のタバコの不始末からボヤが発生して、ホテルが全焼した。しかし、このボヤは防火設備を整えていたならば、消火できるものであった。従って、ホテル管理者には、このボヤがホテル全体の火災へと広がらないようにするために、防火設備を整える業務上の注意義務があった。この義務を怠ったため、死傷者が出てしまった。死傷者が出た結果と因果関係に立つのは、ホテル管理者の注意義務に反した不作為であって、客のタバコの不始末(火を消さなかった不作為)ではない(客の行為は失火罪・過失による放火にとどまる)。

【裁判所の判断】
 ホテルの代表取締役社長であり、防火責任者であったXは、本件ホテルから火災が発生した場合、早期にこれを消火し、または火災の拡大を防止するとともに、宿泊客らの死傷の結果を回避するために、スプリンクラーの設置、避難訓練などの防火体制をあらかじめ確立しておくべき義務を負っていた。そして、それを行なうことを困難にさせる事情がなかった。従って、Xがこのような義務を怠らなければ、宿泊客の死傷を回避することが(十中八九)できたということができる。

【解説】
 ホテル、旅館、デパート、映画館・コンサートホールのように多数の利用者が出入りする場所では、利用者の不注意から火災が発生し、一酸化炭素中毒などにより死傷者が出ることがある。一酸化炭素中毒が原因で死亡した場合、その原因は、火災を発生させた利用者の行為(作為・不作為)にある。では、その利用者がその死傷に責任を負わなければならないのか。

 多数の利用者が出入りする場所を管理・運営する責任者は、そのような火災が発生した場合に備えて、防火体制を整える責任がある。そのような防火体制を整備することによって、利用者の不注意から火災が発生しても、利用者の死傷という最悪の事態を回避することできる。施設の管理・運営の責任者は、利用者の不注意による火災が回避できるのであれば、そうすべきであるが、タバコの不始末など個々の不注意な行為まで防止することは無理なので、そのような不注意な行為から火災が発生した後、それが重大な事態に拡大しないよう防ぐ義務が課せられている。施設の管理・運営責任者が、このように課されている義務を怠り、事態の拡大を防がずに、他の利用者の死傷結果を招いた場合、管理・運営者は、業務上過失死死傷罪が成立する。

 このような過失には、大きく分けて二つある。管理過失と監督過失である。
 管理過失は、火災報知機や防火施設を設置するなど、建物の管理責任者が自らそれを行なう責任があったにもかかわらず、それを怠った場合の過失である。これに対して、監督過失は、火災報知機や防火施設の設置などを自らが行なうのではなく、部下の従業員に行なわせる責任があったにもかかわらず、それを怠った場合の過失である。監督過失の場合、部下にも過失責任が問われる。本件の事案の過失は、被告人に建物の管理責任があったので、管理過失が問題になった事案である。

 管理過失には、理論的な問題が2点ある。
 第1は、防火体制を確立するなどの義務を尽くさなかった過失責任が問題になっているが、これは作為義務に反した不作為の問題である。管理責任者は、火災が発生した場合に備えて、防火体制や避難体制を確立しておくべき地位(保障者的地位)にあり、それを行なうことが可能であり(作為の可能性)、また特段の困難もなかった(作為の容易性)にもかかわらず、不注意から、それを行なわなかった。そして、この義務を尽くしていたならば、利用者の死傷は「十中八九」回避することができた。このような場合に、管理責任者の不作為と利用者の死傷結果の間には因果関係があり、管理責任者には過失が認められる。その行為は、業務上過失致死傷罪にあたると判断することができる。

 第2は、利用者によるタバコの不始末という行為(作為・不作為)が行なわれたことと、他の利用者が死傷したこととの間には、管理責任者の不作為が介在するため、因果関係が成立しないという点である。この問題は、例えばYが寝たばこを放置し、それが原因で火災が発生して、死傷者が出たと見ることもできるが、Yの過失行為の後、Xの過失による不作為が介在しているので、因果関係が成立が問題になる。Yの寝たばこの放置による失火の事実はあるが、それと死傷との間には因果関係はない。Xが失火の際の防火体制を取らず、消火を行なわなかっために、炎上し死傷者が出たのであるので、死傷と因果関係があるのは、Xの防火義務違反の不作為である。



【59】危険の引き受け(千葉地判平成7・12・13判時1565号144頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、非舗装路面を自動車で走行し、所要時間を競うダートトライアル競技の初心者で、事故当時、7年程度の競技歴を有する被害者Aから走行についての指導を受けていた。Xは、Aを同乗させて、専用コースで練習走行中、急な下り坂カーブにさしかかる際に、Aかえあ「ブレーキを踏んで、スピードを落として」と言われたが、曲がり切れずに、走行の自由を失い、車両前部を防護柵に激突させた。激突後の経過は確定できないが、Aの胸部を強く打って、死亡させた可能性が高かった。

【裁判所の判断】
 自動車の同乗者が、運転者が技術向上のため、一定の危険を冒すことを認識・予見しているような場合、同乗者は、運転者が予見された範囲内にある運転方法をとることを容認し、そのうえで、それに伴う危険を自己の危険として引き受けたものとみることができ、その危険が現実化した場合、その事態については、違法性の阻却を認める根拠がある。
 スポーツ活動においては、同乗者や指導者によって引き受けられた危険が現実化し、そのなかに死亡や重大な傷害が含まれていても、社会的相当性を欠くものではない。

【解説】
 自己の身体に対して一定の危険が及ぶことを承知のうえで、それに関与し、その危険が現実化した場合、その結果は何に起因していると考えることができるか。Xが指導者Aのもとで競技の練習をしている場合、AはXがミスをしないよう指示を出し指導するが、それでもXがミスをして、Aが負傷した場合、Xの不注意な行為とAの負傷との間に因果関係があるといえるのか。

 因果関係があるといえる場合、Xの行為は業務上過失致傷罪の構成要件に該当するが、Aが危険を承知のうえで指導に当たっていた場合、その危険が現実化することを承諾していたということができる。そのような場合、被害者の同意があり、また社会的相当性が認められるので、違法性を阻却することができる。千葉地裁の判断は、被害者が棄権を引き受けていた場合には、社会的相当性のある行為であったとして、違法性の阻却を認めた。

 これに対して、因果関係を否定する議論もありうる。Xによる行為の作用は、Aに対して侵害的に作用しているのが、Aがその侵害の危険性を自ら引き受けたことによって、結果の発生はXの行為の侵害的な作用が現実化したものではなく、Aがその作用を引き受けたことによって生じたものと評価することができる。そうであるならば、Xの行為とAの負傷との因果関係を否定することができる。



【60】業務上過失致死傷罪における業務の意義(最一決昭和60・10・21刑集39巻6号362頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、ウレタンフォームの加工販売業を営む甲社の工場部門の責任者として、同者工場の機械設備の維持・管理ならびに易燃物であるウレタンフォームの取扱・保管およびこれに伴う火災の防止等の業務に従事していた。

 昭和54年5月21日午後2時頃、甲社の本社工場の建物内の資材運搬用簡易リフトの補修工事の際、これを受け取った乙者の工事主任Aは、酸素アセチレン火災の出るガス切断器を用いて鉄板の穴を拡大溶接する作業を行ない、Xはこれに立ち会い、監視していた。

 Aが4階のリフト昇降用通路開口部において、鉄板の拡大溶接作業に入った際、リフト昇降用通路の最下部には開放された西側開口部に面してリフト用ケージが留め置かれ、その上部約70センチメートルの周囲は、枠組のみで、四方に隙間が生じており、これに隣接した1階資材置き場にはウレタンフォーム原反や追加納品されたウレタンフォームの半製品等が山積みされていたため、溶接作業に伴って発生する多量の火花が4階作業現場から約10メートル下のリフト用ケージ上部の梁(はり)や枠あるいは底部に当って周囲に飛散し、ウレタンフォームなどに接触着火して火災を発生させる危険があった。

 Xは、溶接作業の開始により多数の溶接火花が落下飛散することを知っており、また、ウレタンフォーム原反等の大部分につき、その存在状況を把握し、これに追加して納品のあることも分かっていたから、火災の発生を十分に予見できた。それにもかかわらず、火花が階下に落下しないような予防措置はおろか、階下1階の安全を確認し、防火対策を講じるなどの措置を一切とらないまま、Aの溶接作業の開始継続を暗黙理に許容し、まもなく溶接作業により、多量の火花がリフト昇降用通路を通って落下し、その一部が階下1階リフト開口部周辺に飛散し、まずウレタンフォームの半製品に着火して燃えだし、ウレタンフォームの原反等に燃え広がって、甲社の建物を全焼させるとともに、同建物内の従業員7名を一酸化炭素中毒で死亡させた。

 第1審・第2審とも、Aに業務上失火罪および業務上過失致死罪の成立を認めた。これに対して、Aの被告人が上告した。

【裁判所の判断】
 刑法117条の2前段にいう「業務」とは、職務として火気の安全に配慮すべき社会生活上の地位をいうと解するのが相当であり、同法211条前段にいう「業務」には、人の生命・身体の危険を防止することを業務内容とずる業務も含まれるとかいすべきであるところ、原判決の確定した事実によると、被告人は、ウレタンフォームの加工販売業を営む会社の工場部門の責任者として、易燃物であるウレタンフォームを管理するうえで当然に伴う火災防止の職務に従事していたというのであるから、被告人が第1審判決の認定した経過で火を失し、死者を伴う火災を発生させた場合には、業務上失火罪及び業務上過失致死罪に該当するものと解するのが相当である。

【解説】
 Xは、ウレタンフォームの加工販売業を営む甲社の工場部門の責任者として、易燃物であるウレタンフォームの取扱・保管およびこれに伴う火災の防止等の業務に従事していた。この火災の防止は、ウレタンフォームの加工過程において火器を取り扱う際に、それが易燃性の高いウレタンに延焼しないようにする作業である。

 本件事件当時、工場の資材運搬用簡易リフトの補修工事を行なっていたのは、Xではなく、工事主任Aであった。Aが溶接作業を行ない、Xはこれに立ち会い、監視していた。溶接作業はAの業務であり、Xはそれがウレタンに延焼しないよう立ち合い、監視することを業務としていたので、作業それ自体がXの担当ではなかったが、Xの業務の範囲に入るものと解することができる。