Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

現代司法における戦前・戦後の断絶と連続

2017-12-30 | 旅行
           現代司法における戦前・戦後の断絶と連続
     ――フリッツ・バウアーをめぐる近年のドイツの司法事情から学ぶ――

 一 はじめに
 日本民主法律家協会第四八回司法制度研究集会の内田博文講演「憲法施行七〇年・司法はどうあるべきか――戦前、戦後、そしていま」の問題提起を受けて、戦前と戦後の司法制度・法制度の連続性の問題をあらためて検証する必要性を痛感した。それはまた戦後のドイツ法学が繰り返し問題としてきたことでもある。ドイツ司法をめぐる近年の動きを踏まえながら、提起された問題を整理したい。

 二 内田博文の問題提起
 現代の司法制度は、戦前の全体主義・ファシズムの侵略と専制の歴史を教訓にして、その反省の上に成立した。歴史を教訓として、そこから未来を示す羅針盤を手にした。また、戦前の暗黒の時代にあって、それに抗して社会進歩のために闘った人々がいた。厳しい試練に耐えた人々のことが知らされたとき、その闘いの正しさは一層輝かしいものとして継承された。戦前と絶縁して、進歩の連続の上に新しい歴史を創造すること、歴史の羅針盤が示す方向に沿いながら、戦前の戦争、専制支配、人権抑圧の社会を平和的・民主的・人権親和的な社会へと動的に発展させること、それに抵抗する反動的な勢力と闘うこと、それが戦後の課題であると自覚された。
 しかし、戦争の終結と戦前の終焉は、戦後の到来を意味しない。内田は指摘する。治安維持法の手続法たる戦時刑事特別法が戦時の衣を平時の衣に代えて、断絶することなく戦後も連続しているではないか。治安維持法を頂点とする専制支配と人権抑圧の法体系は一度は解体されたものの、新たな法規に移植され延命を果たしているではないか。特定秘密保法から、安保法制の制定へ、そして共謀罪立法へと進められた近時の立法現象は、治安維持法から、国家総動員法や国防保安法へと進んでいった戦争への道程に酷似しているではないか。我々は今や戦前の世の中に生きているのではないか。一五年に及ぶアジア・太平洋での戦争と甚大な被害、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下による壊滅的な犠牲の教訓とは何であったのか。そのような代償を払って手にした羅針盤の意味を理解するために、我々は戦前・戦後の断絶の模様と連続の深層を解明することを迫られている。

 三 近年のドイツ司法の民主的取り組み
 内田の問題提起との関連で、近年のドイツ司法をめぐる動きが注目に値する。ドイツにおいても、現在の司法のあり方の検証方法を歴史の過去に求めている法律家がいる。しかも連邦司法省のなかに。連邦司法大臣のハイコ・マースと司法省官僚のハイコ・ホルステである。二人の法律家は、現在のドイツ司法の問題にナチスの過去の問題を重ね合わせ、見開き2頁の「間違い探しクイズ」の絵を見比べるように違いを探した。しかし、探せなかった。過去と現在は酷似していた。連邦司法省はナチの過去と向き合ってきたのではないのか。戦後の基本法の理念はナチの不法の克服の上に形成されたのではないのか。そのような問題を立てることさえできないほど、二つは酷似していた。驚愕と衝撃が疑問を解明するきっかけとなった。二人の法律家は、連邦司法省の戦後史の研究に着手した。彼らを中心に研究プロジェクトが編成され、その成果が公表され始めた。
 二〇一五年に連邦司法省主催の「フリッツ・バウアー人権と現代法学史研究奨励賞」が設立された。フリッツ・バウアー(Fritz Bauer, 1903-1968)は、アウシュヴィッツ強制収容所におけるホロコーストに関与した看守たちを一九六〇年代に刑事訴追したフランクフルトの検事長である。「ユダヤによる復讐」ではなく、ドイツの社会と司法の民主的再生を目指したが、その功績はドイツでは相応しい評価を受けてこなかった。というより忘れられてしまった。その功績を継承するために、一九九五年にフランクフルトにフリッツ・バウアー研究所が設立され、二〇〇〇年にその地の大学構内に移設されて以降、研究・出版活動が進められたが、ドイツ社会がフリッツ・バウアーの記憶と取り戻すまでには数年の歳月を要した。連邦司法省がバウアーの名を冠した研究奨励賞を設立した背景には、若手法律家の研究を援助するだけでなく、バウアーの遺志を継承しようとする司法省自身の決意がある。さらに、ナチ時代に不法に抵抗した裁判官・検察官の史料も公表されている(H. Maas, Furchtlose Juristen)。
 また、連邦司法省は戦後の連邦司法省とナチの過去の関係を解明するために、歴史学者と刑法学者に研究を委託し、四年の研究を経て二〇一六年に報告書『ローゼンブルクの記録』(M.Görtenmaker/Ch.Safferling, Die Akte Rosenburg)が公表された。ナチ時代の法体系のうち戦後も妥当している法規にはどのようなものがあるか(刑法二一一条の謀殺罪は一九四一年改正規定のままである)。帝国司法省時代の司法官僚のうち戦後も継続して職務に就いている人物が誰で、連邦司法省の全官僚のうちナチ党・親衛隊員に所属した経歴を持つ者がどれほどいたか(七割以上が元ナチ関係者であった)。バウアーの死後三ヶ月ほど経った一九六八年一〇月に刑法改正を実施し、アウシュヴィッツの共犯者のうち謀殺罪の構成的身分を持たない者に未遂減軽規定を適用できるようにし、その結果として一九六〇年の時点で公訴時効が完成するように仕組んだのは誰だったのか。刑法の共犯規定と時効規定を盾にして、バウアーが進める裁判を妨害したのは誰であったのか(それは戦前からの官僚ヨーゼフ・シャフホイトレである)。『ローゼンブルクの記録』の貴重な史料によって、これらの研究が一段と進められた。
 さらに、連邦司法省は、職員研修制度のカリキュラムに連邦司法省とナチの関係を課題として取り入れ、ヴァンゼー会議記念館と共催して取り組むことを決めた。一九四二年一月、ナチ党、親衛隊、帝国司法省の最高級の官僚法曹がベルリン近郊のヴァンゼーにある邸宅に集結して、ヨーロッパ全土のユダヤ人の移送と殺害のために最終的解決策を決定した。それがヴァンゼー会議である。帝国司法省はその会議の決定を受けて、ホロコーストの中軸的歯車の役割を担った。しかし、連邦司法省とその職員は、その負の歴史と向き合うどころか、隠蔽し続けてきた。連邦司法省が司法=正義の機関であるためには、帝国司法省の歴史と向き合い、それを克服することを避けて通れない。連邦司法省は、それが個々の職員の職責であることを明確にした。

 四 おわりに
 ドイツにおいては、ナチの過去は現在のあり方の正しさを確かめる尺度ではない。自分の顔を映し出す鏡である。現在の在り方を批判的に検証し、それを基本法の理念に基づかせるための現状批判の基準である。ドイツ連邦司法省の取り組みに注視しながら、現代日本の司法の現状を批判的に捉え、それを変革する方法と課題を明らかにしたい。
〔参考文献〕ローネン・シュタインケ(本田稔訳)『フリッツ・バウアー』(アルファベータブックス、二〇一七年)、ハイコ・マース(本田稔訳)「フリッツ・バウアー」立命館法学三七三号、同「ローゼンブルクの記録」立命館法学三七四号を参照。