Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

共謀罪は”現代版”治安維持法

2017-02-02 | 旅行
 共謀罪は”現代版”治安維持法

 政府は、1月20日召集の通常国会に共謀罪法案を提出を目論んでいる。国際組織犯罪防止条約の国内法整備の一環と位置づけられているが、すでに過去3回提出され、いずれも廃案にされている。

 政府は今回の提出にあたって、2020年の東京五輪の成功のために必要であると強調している。また、共謀にかかる犯罪を重大犯罪に限定し、その遂行組織を「組織的犯罪集団」に特定しているので、市民団体を規制するおそれはないという。しかも、共謀の処罰条件として「準備行為」を付け加えたので、思想・内心の自由の侵害のおそれもないと自信たっぷりである。しかし、共謀罪の本質はそのような細工によって覆い隠せるようなものではない。

 政府は、国際的な組織犯罪を防止するためには、実行前の共謀の段階で規制が可能な立法が必要があるというが、条約は締約国に対して「国内法の基本原則」に基づく対応を求めているだけで、共謀罪の創設を明示していない。東京五輪をテロから守るためには共謀罪が必要であるというが、国際的な競技大会のために開催国が共謀罪を創設したという話は聞いたことがない。このような立法事実では、共謀罪立法の必要性を裏付けることはできない。

 また、今回の法案は、共謀にかかる犯罪の遂行主体を「団体」から「組織的犯罪集団」へと変更しているが、「組織的犯罪集団」とは、政府や法務省が認めているように、2人以上の者であれば足り、暴力団やテロ組織に限定されていない。一般の市民団体なども含まれ可能性がある。共謀にかかる犯罪も重大犯罪に限定したというが、それも「4年以上の懲役・禁錮の刑が定められた犯罪」であり、その数600を超え、しかも肝心の国際組織犯罪の特徴である「越境性」は要件ではない。例えば、2人以上の者が基地建設阻止のために現場前に座り込む行為が警察によって威力業務妨害にあたると判断されれば、それを共謀しただけで処罰されてしまう。法案は組織的犯罪の防止ではなく、平和運動や住民運動の抑圧に利用される危険がある。

 さらに、共謀にかかる犯罪の準備行為という「テロ等組織犯罪準備罪」を処罰するのであって、思想・内心の自由を処罰するものではないという。また、共謀にかかる犯罪の実行前に自首した者には、共謀罪の刑の減軽・免除を約束している。しかし、法案の条文では犯罪とされるのは共謀(=相談・合意)であり、「準備行為」は刑を科すための条件にすぎない。2人以上の者が相談・合意しただけで処罰されることに変わりはない。しかも、「準備行為」の範囲は無限定であり、例えば座り込み用シートの購入のためにATMで現金を引き出すのも「準備」にあたると判断されないとも限らない。平和運動や住民運動の日常的な行為が警察の監視対象にされることは明らかである。

 昨年5月に刑事訴訟法が改正され、薬物犯罪、銃器犯罪などに限定されていた通信傍受の対象犯罪が一般刑法犯の一部に拡大された。また、共犯者について供述すれば、起訴猶予できる司法取引制度が導入された。警察レベルでは、警察官が身分を秘匿・仮装して、組織・団体の監視・捜査が日常化している。このような監視・捜査が組織的犯罪集団だけでなく、一般の平和運動や住民運動に対して行なわれたら、どうなるであろうか。さらに、共謀罪を創設されたら、どうなるであろうか。内偵捜査官は、懲役・禁錮4年以上の刑が定められた犯罪の共謀をそそのかすかもしれない。そして、自分は実行前に自首して離脱する。犯罪の準備に駆り立てられた他の者は逮捕され、起訴猶予の見返りに「共犯者」に関する供述を迫られるかもしれない。得られた供述をもとに、関係者は共謀罪で一網打尽に逮捕されであろう。これは、治安維持法の捜査・弾圧の手法と同じである。

 戦前、戦争反対を貫いた人々は、治安維持法によって痛ましい被害を受けた。それが今繰り返されようとしている。共謀罪立法の本質を広く宣伝して、反対しなければならない。

*「京都民報」(2017年02月05日)に掲載。