Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

2016年度刑法Ⅰ(第15週)罪数と量刑(刑事判例資料)

2016-07-16 | 日記
 刑事判例資料
 第15回 罪数その他

 99接続犯(最二判昭和24・7・23刑集3巻8号1373頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、約2時間余りの間に、被害倉庫において米4斗入り3俵を3回に渡って窃取した。

 原審は、本件の行為が刑法235条の窃盗罪にあたり、それが3回行なわれたので、それらは「併合罪」(刑45)であると認定して、刑法47条などにより併合加重して、被告人を懲役1年6月に処した。

 これに対して弁護人は、次のように主張して上告した。本件の行為は、1個の犯意に基づいて行なわれ、窃取行為も継続して行なわれており、その間の断続もない。手段も同じで、被害者も同一であり、被害物も同一品種の穀物である。犯行の時間も2時間という短い時間であった。従って、本件の行為は1個の行為として行なわれたということができる。ゆえに、2個以上の行為が行なわれた場合の併合罪として処理すべきではない。

【裁判所の判断】
 3回に渡って行なわれた窃取行為は、わずか2時間余りの短時間のうちに、同一の場所で行なわれたもので、同一の機会を利用したものであり、かついずれも米俵の窃取という全く同種の動作である。これは、単一の犯意の発現であり、一連の動作であると認めるのが相当であり、それが別個の独立した犯意から行なわれたものであると認めるべき特段の理由は見当たらない。従って、このような事実関係においては、これを1個の犯罪と認定するのが相当であって、独立した3個の犯罪と認定すべきではない。それゆえ原審が、証拠上、別段の理由が認められないにもかかわらず、この3回の窃取行為を独立した3個の窃盗罪と認定したのは違法であるといわなければならない。

【解説】
 行為者が行なったのは、2時間の間に3俵の米俵を3回に渡って窃取した行為である。それらの行為を一つずつ取り上げて、観察することは可能である。しかし、それらを3個の窃盗罪として法的に評価し、認定することが妥当であるかどうかは、別の問題である。

 例えば、Xは第1の行為として、「被害倉庫の最も手前にある米俵を引きずり出して、軽トラックの荷台の奥に乗せ」、第2の行為として、「被害倉庫の中ほどにある米俵をかついで、軽トラックの荷台の真ん中に置き」、そして第3の行為として、「被害倉庫の奥にある米俵を転がしながら、軽トラックの荷台の手前に放り投げた」とする。これら3個の行為は、いずれも異なる身体的な動作であるので、それぞれについて評価し、固有の判断をすることが可能である。しかし、法的な評価とは、これらの行為の法的な意味を明らかにすることである。とくに、3回に渡って行なわれた行為が3個の窃盗行為なのか、それとも1個の窃盗行為が3回に分けて行なわれたのかという問題は、刑法235条の適用対象である行為の個数の問題であるため、非常に重要である。

 原審の判断は、米俵の窃取が3回行なわれたので、3個の窃盗罪が成立すると評価して、それらを併合罪の関係に立つと判断した(刑45)。1個の窃盗罪よりも、3個の窃盗罪の方が重く処罰されるのは、一般的に考えて当然であり、刑法的にも、加重された刑が科される(刑47:窃盗罪の法定刑の長期を1・5倍にする)。

 これに対して、最高裁は、被告人は3回の窃取行為を行なっているが、それは1個の窃盗を3回に分けて行なっただけであると評価して、「3回の窃取行為」は「1個の窃取行為」であり、従って「1個の窃盗罪」が成立すると判断した。3回の窃取行為は、接続した1個の行為と評価されている(接続犯)。

 この判断基準は、3回の窃取行為が行なわれた時間的の近接性、その場所的の同一性、その機会の1回性という客観的な側面と、意思決定の1回性という主観的な側面であり、それらを総合的に評価することによって、「3回の窃取行為」が「1個の窃取行為」であったかどうかが判断されている。

 このような判断方法に基づけば、例えば行為者が異なる日時において、同一の被害者から米俵を3回窃取した場合、それら3回の窃取行為は、たとえ場所が同一であっても、時間的に近接しておらず、また機会も異なり、その意思も別個に決定されたと評価されるならば、たとえ被害者に与えた法益侵害の内容(被害額)が同じであっても、3個の窃取行為が行なわれていたと認定されることになる。ただし、それを併合罪として扱うか、それとも包括一罪(3個の窃取行為であり、3個の窃盗罪が成立するが、それらを包括して1個の窃盗罪が成立する)とするかは、議論の余地がある。









100包括一罪か併合罪か(1)(最二決昭和62・2・23刑集41巻1号1頁)
【事実の概要】
 窃盗、常習累犯窃盗などの多数の前科を有する被告人が、さらに常習として、昭和60年5月3日午前3時ころ、大阪市住吉区のすし店に侵入して、現金約10万7千円を窃取し、常習累犯窃盗罪で同年8月10日に起訴された。

 他方、被告人は同年5月30日午前2時ころ、大阪市阿倍野区において、金づちとペンライトを隠匿して携帯していたとして、侵入具携帯罪(軽犯罪法1条3号)で起訴され、大阪簡易裁判所で拘留20日の判決が言い渡され、この判決は8月2日に確定した。

 5月3日午前3時  5月30日午前2時 8月2日        8月10日
 常習累犯窃盗の実行 侵入具携帯の実行  侵入具携帯罪の判決確定 常習累犯窃盗罪の起訴

 第1審大阪地裁は、判決が確定した侵入具携帯罪の行為は、本件の常習累犯窃盗の行為とともに、包括して盗犯等防止法の常習累犯窃盗罪を構成し、それらは(包括して)1罪の関係にあるので、侵入具携帯罪に対する確定判決の既判力は、それと1罪の関係にある本件の常習累犯窃盗の行為にも及ぶので、常習累犯窃盗罪については、刑訴法337条1項により免訴されるとの判決を言い渡した。

 これに対して控訴審大阪高裁は、侵入具携帯罪の行為と常習累犯窃盗罪の行為は「包括一罪」ではなく、2罪であり、それらは「併合罪」の関係にあるので、侵入具携帯罪に言い渡された判決は、常習累犯窃盗の行為には及ばないと判断した。侵入具携帯罪の(事後的)併合罪の「余罪」である常習累犯窃盗罪は、それとは別に独立して処罰することができるとして、被告人に懲役3年6月に処した。

【裁判所の判断】
 機会を異にして行なわれた常習累犯窃盗と侵入具携帯が、包括一罪か、それとも併合罪かについては、たとえ侵入具携帯が、常習累犯窃盗の常習性の発現として行なわれたものであり、常習累犯窃盗を目的とするものであったとしても、2つの罪は併合罪の関係にあると解するのが相当である。

【解説】
 常習累犯窃盗の行為と侵入具携帯の行為は、それぞれ別の日時において、異なる場所において行なわれたので、機械を異にして行なわれた行為であると評価することができる。従って、それら常習累犯窃盗と侵入具携帯の行為は、それぞれ独立した行為であり、2個の行為が行なわれていると法的に評価される。問題なのは、それが2個の行為、2個の犯罪が包括一罪なのか、それとも併合罪なのかである。包括一罪であれば、重い常習累犯窃盗の「法定刑」で処断され、併合罪であれば、常習累犯窃盗の法定刑の長期にその2分の1を加えたもの(1・5倍)が「処断刑」とされ、その範囲で処断される。従って、問題なのは、これら2個の犯罪が包括できる関係にあるのかどうかである。

 第1審は、2個の犯罪を「包括一罪」であると認定した。その根拠は明らかではないが、行為者は窃盗の常習性のある人物であり、住吉区のすし店での窃盗も、阿倍野区での侵入具携帯も、窃盗の常習性の表れであると認定することができ、2個の行為の「源泉」は同一なので、2個の行為が行なわれ、2個の異なる犯罪が成立するが、それらを包括して1罪とすることができると解したのではないかと思われる。ここには、2個の行為の日時・場所、機会、被害者の同一性といった客観的側面よりも、意思決定やその前提にある犯罪的性格・常習性という主観的側面を重視して、包括一罪性を判断する傾向が見られる。

 これに対して、原審と最高裁は、常習性の要素を踏まえながらも、行為の日時・場所、機会を重視して、包括一罪を否定していると思われる。






















101包括一罪か併合罪か(2)(最二決平成22・3・17刑集64巻2号111頁)
【事実の概要】
 被告人は、難病の子どもたちの支援活動を装って、街頭募金の名のもとに、通行人から金をだまし取る目的で集めた金を経費や人件費にあてることを隠して、事情を知らないアルバイトとして雇用された募金活動家に募金箱を持たせて、、約2か月間にわたり、大阪市の路上において募金活動を行なわせた。通行人は、募金が難病の子どもたちの支援に充てられると誤信して、1円から1万円までの募金をした。被告人は、これによって2480万円をだまし取った。

 第1審および第2審は、被告人の行為について、個別の被害日時、被害場所、被害者、被害金額などが特定されていなくても、訴因の特定に欠けるところはなく、詐欺の「包括一罪」が成立すると判断した。

【裁判所の判断】
 被告人の行為は、約2か月間に渡り、事情を知らない多数のアルバイトを雇い、関西一円で募金活動を行なわせ、これに応じた通行人から現金をだまし取るというものであって、個々の被害者ごとに区別して、個別に欺もう行為を行なうものではなく、不特定多数の通行人一般に対して、一括して、適宜の日、場所において、連日のように、同一内容の定型的な働きかけを行なって、寄付を募るという態様のものであり、かつ被告人の1個の意思、企図に基づいて継続して行なわれた活動であったと認めることができる。加えて、街頭募金に応じた人は、比較的少額の現金を募金箱に投入すると、そのまま名前も告げずに立ち去っていくというのが通例であり、募金箱に投入された金銭も直ちに他の被害者が投入した金銭と混和して特定性を失い、また個々に区別されて受領されるものではない。このような本件の街頭募金詐欺の特徴にかんがみると、これらの行為を一体のものとして評価し、包括一罪と解した原判断は是認することができる。

【解説】
 包括一罪とは、法的に成立することが認められる数個の詐欺罪を包括して1個の詐欺罪として扱う場合であり(処断刑は詐欺罪の法定刑=1月以上10年以下の懲役)、併合罪とは、数個の詐欺罪を1回の裁判で審理する場合である(処断刑の上限が詐欺罪の法定刑の長期×1・5に引き上げられる=1月以上15年以下の懲役)。いずれも、1個の主文(有罪・無罪の判断)が言い渡される。

 行為者は、2か月間にわたって、複数の被害者から金銭をだまし取った。それぞれに詐欺行為が行なわれているので、複数の詐欺罪が成立する。問題は、それらを包括して1罪とすることができるかどうかである。

 本件の行為は、2か月間という時間的・期間的に比較的長期にわたり、場所も関西一円という広域であり、被害者も不特定で多数に及ぶので、それぞれ別個の詐欺罪が成立すると解することもできるが、その行為態様は、街頭に立って、(個別的にではなく)一括して通行人に対して募金を呼びかけるというものであり、犯意も1個の意思、企図によるものである。街頭募金詐欺という本件の行為の特性にかんがみれば、これらの複数の行為、複数の詐欺罪を包括して1罪の詐欺罪として扱うことができる。

 



























102牽連犯か併合罪か(最一判平成17・4・14刑集59巻3号283頁)
【事実の概要】
 被告人は、共犯者Xらと共謀の上、Aを監禁して金銭を喝取しようと企て、Aを(1)①自動車内、②ビルの室内、そして③解放場所に連れていくまで連行した自動車内において不法に監禁し、①の自動車内で加えた暴行により負傷させ、(2)②③で畏怖している被害者をさらに脅迫して畏怖させ、金銭と自動車を喝取した。

 大阪地裁は、被告人につき、(1)の監禁致傷罪と(2)の恐喝罪は刑法45条の併合罪にあたるとして、刑法47条を適用して(併合加重)、懲役2年に処した。

 被告人は、Xによる暴行は監禁の手段ではないので(暴行と監禁は別個の罪であり、それは併合罪の関係に立つ)、(1)の事実につき、Xの監禁を幇助しただけであると主張した。

 大阪高裁は、本件の暴行は監禁と恐喝の目的に基づいてAに対して行なわれた監禁の手段行為であり、それから致傷結果が生じたのであると判断して、控訴を棄却した。

【裁判所の判断】
 恐喝の手段として監禁が行なわれた場合であっても、両罪は、犯罪の通常の形態として手段又は結果の関係にあるものとは認められず、牽連犯の関係にはないと解するのが相当である。

【解説】
 牽連犯とは、ある犯罪が行なわれた場合、その手段として行なわれた行為やその犯罪から生じた結果が他の犯罪を構成する場合の2個の犯罪の関係をいう。2個の犯罪が行なわれているが、そのうちの重い刑が定められた罪の法定刑で処断される(刑法54条1項後段)。2個の犯罪が行なわれているが、刑を科す上で1罪として扱われる(科刑上一罪)。

 例えば、宝石店の宝石を盗むために、宝石店に入る行為は、建造物侵入罪にあたるが、それは宝石を窃取するための手段行為の関係にある。このような場合、建造物侵入罪と窃盗罪が成立するが、最も重い刑が定められた窃盗罪の法定刑で処断される。

 このように手段行為としての建造物への侵入と目的である宝石の窃取の2個の行為が行なわれ、それぞれ住居権と所有権という異なる法益が侵害され、それぞれに建造物侵入罪と窃盗罪が成立するにもかかわらず、刑を科す上で1罪として扱われるのは何故か。それは、このように建造物のなかにある財物を窃取するために、建造物に侵入するのは、自然に見て一体的な1個の行為だからである。

 なお、強姦罪のように、その構成要件が「暴行・脅迫を手段とした姦淫」とされている場合は、暴行・脅迫と姦淫は牽連犯の関係にはない。それらは1個の強姦だからである。例えば、女性の衣服を破り、刃物を差し出して脅迫して姦淫した場合、衣服を破る行為は、器物損壊にあたり、それを手段として「脅迫→姦淫」を行なったので、器物損壊と強姦は牽連犯の関係に立つと考えるべきかというと、そのように解する必要はない。この器物損壊は「暴行」として扱い、暴行および脅迫を手段とした姦淫と認定することができるからである。




























103観念的競合か併合罪か(最大判昭和49・5・29刑集28巻4号114頁)
【事実の概要】
 被告人は、飲酒して自動車を運転し、過失によりAに衝突させ、死亡させた。

 第1審は、酒気帯び運転と業務過失致死罪(過失運転致死罪)の併合罪の成立を認め、原審もその判断を是認した。

 被告人は、両罪は観念的競合の関係にあると主張して上告した。

【裁判所の判断】
 刑法54条1項前段の観念的競合は、1個の行為が同時に複数の犯罪構成要件に該当して、数個の犯罪が競合して成立し、処断上の1罪として刑が科される場合をいう。1個の行為とは、法的な評価を捨象して自然的に観察した場合に社会的見解として1個のものと評価できる場合であり、そのような1個の行為が複数の犯罪構成要件に該当すると認められる場合を観念的競合という。

 本件のように酒に酔った状態で自動車を運転し、人身事故を発生させた場合、自動車を運転する行為は、時間的継続と場所的移動を伴うものであるのに対して、人身事故はその運転中の一定の場所における一定の時点での事象であり、自然的に観察するならば、それは社会的見解上、別個の行為であり、1個の行為と見ることはできない。

 したがって、酒気帯び運転と業務上過失致死罪とは併合罪の関係にあると解するのが相当である。

【解説】
 1個の行為が行なわれ、それが同時に複数の法益を侵害し、それゆえ複数の犯罪を構成する場合、それを観念的競合といい、重い刑を定めた罪の法定刑で処断される(刑54①前段)。

 例えば、アメリカ大使館に掲揚されているアメリカの国旗を破ると、国章損壊罪と器物損壊罪の両方の罪にあたる。また、墓石を壊すと、墳墓損壊罪と器物損壊罪にあたる。電柱や信号柱などにビラを貼る行為は、軽犯罪法の貼り札の罪と屋外広告物条例(自治体によって異なる)違反の罪にあたる。

 また、具体的事実の錯誤における客体の錯誤の事案を法定的符合説によって解決した場合にも観念的競合が成立する。例えば、XがAを殺害するために発砲したところ、弾丸が隣にいたBに命中し、Bを死亡させた場合、Aに対する殺人未遂とBに対する殺人既遂が成立し、両罪は観念的競合の関係に立つ。

 本件の行為は、同時に酒気帯び運転罪と過失運転致傷罪にあたるが、それが観念的競合の関係にたつかどうかは難解な問題である。飲酒し酩酊した状態で「自動車の運転行為」をしたので、酒気帯び運転罪が成立し、またその「運転行為」をし、人身事故を発生させたので、過失運転致死罪が成立するので、両罪は観念的競合の関係にあると捉えることができる。

 しかし、飲酒後、酩酊した状態にあることを認識しながら「自動車を運転する行為」と、自動車を走行しているときに、前方の注意義務などを怠り、他の交通関与者の存在に気づかず左折するなどの「自動車運転をする行為」とは自然的に見て1個の行為であるかというと、それは同一の1個の行為であるとはういえない。というのは、酒気を帯びた状態で自動車運転をすれば、それが自動的に過失運転致死傷座を構成するものではないからである。過失運転致死傷罪は、自動車運転行為中のある一時点における注意義務違反行為から生じた人の死傷であり、それは酒気帯び運転の行為と常に同一であるとは限らないからである。

 本件の第1審、控訴審、最高裁は、このように酒気帯び運転行為と過失運転行為との関係をこのように理解し、酒気帯び運転の罪と過失運転致死罪の併合罪の成立を認めたものと思われる。



















104不作為犯の罪数(最大判昭和51・9・22刑集30巻8号1640頁)
【事実の概要】
 被告人は、飲酒した後、女性を助手席に乗せて自動車を運転し、事故を起こした。被告人は人身事故は生じていないものと思い、そのまま現場を立ち去ったが、女性は負傷していた。女性から再三の注意を受け、被告人は現場に戻り、人身事故を引き起こしたことを認識したが、酒気帯び運転の事故であることが発覚するのを恐れて、救護等の措置をとることなく逃走した。

 第1審は、酒気帯び運転罪、業務上過失致傷罪が成立するほか、道交法上の救護義務違反の罪(不救護罪)と報告義務違反の罪(不報告罪)の成立を認め、後者の2罪については、詳しい説明をせずに、観念的競合にあたると判断した(被告人の立ち去り行為は1個の行為で2個の犯罪にあたる)。これに対して、検察官は被告人の行為は不救護と不報告の2個の行為であり、それらは併合罪の関係にあると主張して控訴した。

 原審は、被告人の行為が1個の行為にあたるとして、検察官の控訴を棄却した。これに対して、検察官が上告した。

【裁判所の判断】
 最高裁は、被告人が事故を起こした弁場から逃げ去るなどする行為は、1個の行為にあたり、不救護と不報告の罪は観念的競合にあたると判断した(少数意見あり)。

【解説】
 道路交通法72条は、交通事故発生時に事故に関与した(事故原因が誰にあるのかに関係なく)自動車運転者に対して、負傷者を救護し、警察等に事故を報告することを義務づけている(真正身分犯・構成的身分犯)。これらの罪は、救護しないという不作為、報告しないという不作為によって成立することが法文上明記されている(真正不作為犯)。

 この不救護罪と不報告罪は、不作為によって行なわれる。交通事故の発生後、負傷者を救護せずに立ち去り、また警察に報告しなければ、この二つの罪が成立するが、その不作為は同一のものか。それとも異なるものか。

 第1審と控訴審は、不救護と不報告とは併合罪の関係にあると判断したが、最高裁はこの二つは観念的競合の関係にあると判断した。

 いずれの見解が妥当であるかは、単純には判断できないが、不救護とは行為客体である負傷者を置き去りにし、救護しないという態度であり、不報告とは交通事故のあったことを警察等に報告しないという態度であり、それぞれ義務の内容と程度、その対象が異なるので、不救護と不報告は、同じ不作為であっても、その内容が異なると解することもできる。そのように理解すれば、第1審と控訴審の判断が妥当であると思われる。

 しかし、交通事故による人身事故の現場においては、救護せずに立ち去る運転者は、そのまま報告もせずにいることが珍しくない。このような1回の不作為によって、不救護と不報告が行なわれていると見るのが社会的な見解であるといえる。このように理解するならば、不救護と不報告は、同一の不作為によって行なわれると解することも可能である。


























105いわゆる「かすがい」理論(最一決昭和29・5・27刑集8巻5号741頁)
【事実の概要】
 被告人は、A(Bの母)方に行き、Bを殺害する目的で鉈(なた)を持って侵入し、就寝中のA、B、C(当時13才)を順に切り付けて殺害した。

 第1審は、1個の住居侵入罪(130条)と3個の殺人罪(199条)の成立を認め、これらは牽連犯(54条1項後段)の関係にあり、3個の殺人罪は併合罪(45条)の関係にあり、そのうち最も犯情の重いC殺人について死刑を選択し、46条1項に従い、他の刑を併科しないと判断した(A殺人とB殺人について、不問にふすという趣旨ではなく、その罪はC殺人に含めて処罰するという意味)。これに対して被告人が控訴したが、控訴審は控訴棄却を判断した。

 被告人は、①住居侵入罪とA殺人、B殺人、C殺人は牽連犯の関係にある場合、A殺人、B殺人とC殺人は併合罪ではなく、観念的競合の関係にあるので、刑法45条1項を適用するのではなく、刑法54条1項前段を適用すべきであると主張し(いわゆる「かすがい」理論)、その最も重い刑で(C殺人罪1罪として)で処断すべきであるが、原審は3個の罪を併合罪として扱い、A殺人、B殺人、C殺人の3罪を併合加重して量刑判断し、著しく刑が加重されていると主張した。

【裁判所の判断】
 3個の殺人罪の所為は、そのそれぞれが1個の住居侵入罪の所為と牽連犯の関係にあり、刑法54条1項後段、10条を適用して、(3個の罪が成立しているが)1罪として、その最も重い罪の刑に従って処断すべきであり、従って第1審の判決は、この点について法令適用につき誤謬があるのは所論の通りである。その判決は、46条1項に基づき、殺人罪の法定刑中の死刑を選択し、処断しているので、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとはいえない。

【解説】
 被告人は、住居に侵入して(1個の住居侵入罪)、A、B、Cの3人を殺害した(3個の殺人罪)。この1個の住居侵入罪と3個の殺人罪は牽連犯の関係にあるので(54①後段)、重い刑を定めた殺人罪1罪として処断される。では、3個の殺人罪はどのような関係いあるか。第1審と控訴審は、この3個の殺人罪を併合罪とした。

 複数の罪が併合罪の関係にあり、それらがいずれも有期懲役・禁錮が科される罪である場合、そののうち最も重い罪の「法定刑」を基準にして、その長期を1・5倍にまで引き上げて「処断刑」を形成して、その枠内で量刑判断されて、刑が宣告される(刑47)。日本の刑法は、アメリカやイタリアのように、併合罪の関係にある複数の罪の一つずつについて量刑判断して、その合計を宣告するような量刑方法を採用せずに、その最も重い刑を定めた罪の法定刑を1・5倍にまで引き上げて、その処断刑の範囲内で、すべての罪を処断する方法を採用している。このようにすることで、アメリカなどの量刑よりも軽く妥当な量刑が実現されると考えられている。

 ただし、併合罪の関係にある複数の罪のなかに死刑が法定されている罪が1個または数個ある場合には、その長期を1・5倍にまで引き上げるというのは現実には無理なので、死刑が科される1個の罪を基準にして、あるいは死刑が科される行為が複数ある場合は、そのうち犯情の重い方の行為を基準にして(刑10)、他の罪をも併せて量刑することになる(刑46①)。例えば、C殺人だけを行なった場合、死刑にはならなくても、A殺人とB殺人も同時に行なっているので、犯情の重いC殺人を基準にして量刑判断する場合には、そこにA殺人とB殺人を併合して評価することになる。C殺人1件の場合と比べ、死刑が言い渡される可能性は、その分だけ高くなることは明らかである。

 以上の量刑判断は、複数の犯罪が併合罪の関係にある場合であって、それが観念的競合にある場合には、採用することはできない。観念的競合の場合は、54条1項に基づいて、複数の犯罪のうち、最も重い刑で処断するだけで、併合加重することは許されない。では、本件のA殺人、B殺人、C殺人は併合罪の関係にあるのか、それとも観念的競合の関係にあるのか。第1審と控訴審では、併合罪の関係にあると判断された。そして、そのうち最も犯情の重いC殺人を基準にして、それにA殺人とB殺人を併合加重して、死刑の量刑を判断した。

 これに対して、最高裁は、3個の殺人は、刑法54条1項前段の観念的競合の関係にあるので、その最も重い刑で処断すべきであると判断した。つまり、3個の殺人の量刑を判断するにあたって、A殺人、B殺人、C殺人のうち犯情の重いC殺人を選び出して(刑10)、その法定刑を処断刑とし(刑54)、その場合、A殺人とB殺人を併合してはならない。従って、C殺人のみを対象にして、量刑が判断されることになる。

 最高裁は、このように解したうえで、原審のC殺人の量刑は、46条1項に基づき、殺人罪の法定刑中の死刑を選択し、処断しているが、結論的には妥当なのでので、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとはいえないと判断した。この量刑判断は、54条1項に基づいても同じであったという実質的な評価がなされているように思われる。しかし、それは問題なので、原判決を破棄・自判して、54条1項に基づいて死刑を判断すべきであったと思われる。ただし、そのような破棄自判しなくても、著しく正義に反するものではない。




106共犯と罪数(最一決昭和57・2・17刑集36巻2号206頁)
【事実の概要】
 被告人Xが、Aらが覚せい剤の粉末を密輸入することをあらかじめ知りながら、9月2日、Aから覚せい剤の仕入資金の一部2400万円を渡され、これを銀行保証小切手にするよう依頼された、Xは、銀行に行き、銀行保証小切手にして、これをAに手渡した。Aほか5名の者は、営利目的で、昭和49年9月13日と14日の2回にわたり、覚せい剤の粉末を密輸入した。Xは、Aらが2回に分けて、覚せい剤の粉末を密輸入することを知らなかった。

 第1審は、Xには覚せい剤輸入罪の幇助が2個成立し、それらは「併合罪」の関係に立つと判断した。

 これに被告人は、幇助犯の罪数は幇助行為の数を基準にして判断されるべきであるとして控訴したが、控訴審では、幇助犯の罪数は正犯の罪数に従うべきであり、幇助行為が1回であるか、数回であるかによって、幇助犯の罪数は左右されないと判断した。正犯Aらは、2回の覚せい剤輸入を行ない、2個の覚せい剤輸入罪が成立し、それは「併合罪」の関係にあるので、Xの幇助も2個の覚せい剤輸入の幇助の「併合罪」になると判断された。

【裁判所の判断】
 幇助犯は、正犯の犯行を幇助することによって成立するので、成立する幇助犯の個数は、正犯の罪の個数に従って決定されるものと解するのが相当である。Aらは覚せい剤輸入を2回行い、2個の覚せい剤輸入罪が成立しているのであるから、Xの幇助行為が1回であっても、2個の覚せい剤輸入の幇助が成立する。

 ところで、数個の幇助が成立する場合において、それらが刑法54条1項にいう1個の行為によるものなのかどうかについては、幇助犯における行為は幇助犯の行なった幇助行為そのものにほかならないと解するのが相当であるから、幇助行為それ自体について見るべきである。本件のXの幇助行為は1回と認められているので、2個の覚せい剤輸入の幇助は観念的競合の関係にあると解するのが相当である。原判決は、2個の幇助を併合罪の関係にあると判断したが、それは誤りである。

【解説】
 本件では、正犯Aらは、2日間に渡って覚せい剤を輸入し、それが覚せい剤輸入罪の併合罪にあたると判断された。覚せい剤の輸入という同じ態様の2回の行為を2日間という比較的短い期間におこて行ない、また1個の意思決定に基づいているので、それらは併合罪ではなく、包括一罪であると解することもできるように思われるが、併合罪の関係にあると判断された。

 Xは、覚せい剤輸入罪を2回幇助したことになるが、その2個の幇助罪は併合罪の関係に立つか、それとも包括一罪か。あるいは観念的競合か。

 ここでも重視すべきことは、Xがどのような行為を行なったのかという点である。Xは、Aらが覚せい剤の輸入を行なうことを知っていたが、それが2回行なわれることを知らずに、幇助を1回行なった。この場合、1回の補助行為によって2回の覚せい剤の輸入を幇助したことになるが、それは観念的競合であって、併合罪や包括一罪ではない。併合罪や包括一罪が成立するたけには、数個の幇助行為が行なわれていうことが必要であるが、本件のXは幇助行為を1回しか行っていないので、観念的競合でしかない。