Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

藤原保信『自由主義の再検討』ノート(09)

2020-11-29 | 日記
 藤原保信(ふじわら やすのぶ)『自由主義の再検討』(岩波新書・1993年)ノート
 第Ⅱ章 社会主義の挑戦は何であったか

 これまで、藤原さんの解説に基づいて、ヨーロッパにおける自由主義の歴史的展開、とりわけイギリスにおける自由主義思想の展開過程を見てきました。自由主義の経済的側面としての資本主義経済は、自由で平等で独立した個人が主体として交換を通じて形成される市場経済であること、自由主義の政治的側面としての資本主義の政治は、社会契約を締結することを通じて国家を創設して、あるいは普通選挙制度を通じて政府を作って、市場経済の自己調整機能が十分に発揮できるようにすることを目的とすることを見てきました。経済活動を通じて私有財産を増やすこと、富を蓄積することは、古代ギリシアの時代や中世キリスト教の時代において消極的に見られてきましたが、近代以降、それが全面的に肯定され、その結果として、快楽と幸福と善を実現すること、そのために最も効果的な手段を選ぶことが、人間の行動原理になりました。17世紀イギリスのトーマス・ホッブスやジョン・ロックなどの近代自然法思想の立場がそれです。18世紀から19世紀にかけては、例えばアダム・スミスによれば、人々がこのような行動原理に基づいて市場経済で経済活動をする限り、市場自動調整機能が発揮され、一人一人の能力や技能が向上し、社会的に生み出された富も各人に配分され、快楽と幸福がもたらされると説明されました。また、ジェレミー・ベンタムによれば、市場経済からドロップアウトする人々が現れても、刑務所や救貧院のような施設において収容・隔離・管理すれば、労働習慣や勤労意識が身にいて、市場経済で働ける人間として更正できると説明されていました。資本主義の経済において様々な問題が沸き起ころうとも、その原因は資本主義の経済それ自体にあるのではなく、資本主義の経済の機能が十分に発揮できていないことにあると説明されていました。利己主義と功利主義の思想がそれです。
 しかし、19世紀半ば、ドイツのカール・マルクスは、「ユダヤ人問題」の解決策を批判的に考察するなかで、拝金主義に溺れるあまり、多くの人々から忌み嫌われ、差別されるユダヤ人の商人の問題を解決するためには、資本主義の経済において差別・抑圧されている多くの労働者を救済しなければならないことを主張しました。資本主義の経済、市場経済において、自由で平等であるはずの労働者が実際には自由でもなければ、平等でもなく、労働そのものから疎外されている事実に着目し、その原因が市民社会それ自体にあることを主張しました。国家や政府から切り離された市民社会において、人々は自由に経済活動を行い、私有財産を形成することが認められていますが、労働者の疎外の原因は、この私有財産にあること、それを解決するための思想と制度として共産主義が求められていることを主張しました。「疎外」というマルクスの言葉から、その主張には哲学的な響きがあり、難しく聞こえますが、彼はその後、経済学の研究を続けるなかで、資本主義経済の基本的な活動の法則を明らかにし、労働者の疎外のリアルな実態、搾取のメカニズムを具体的に明らかにしていきました。
 では、マルクスが既存の経済学の理論をどのように吸収し、自己のものにしていったかを見ていきましょう。

 2私有財産と疎外
1経済学の吸収
 マルクスは、自己の経済学研究の作業として、すでに学術界において説かれてきたスミス、リカード、ジェームズ・ミル、セイ、シスモンディらの経済学の理論を積極的に吸収する作業から始めます。マルクスは、これらを「国民経済学」と呼び、その経済学が労賃、資本の利潤、地代をどのように説明しているかを確認しながら、近代以降の市民社会の経済法則を明らかにしていきます。国民経済学が準備した様々な専門用語と複雑な概念を用いながら、私有財産の蓄積を肯定的に捉える国民経済のもとにおいて、国民経済学が十分に着目してこなかった事実、すなわち労働者の悲惨な状態や国民経済が抱える矛盾を明らかします。市場経済において、労働者は他人と交換できる商品を持っていません。したがって、自分自身を商品として交換する以外にありません。そのため、人間自身が商品、しかも最も惨めな商品になっています。その先には、資本家へ全面的な服従を強いられた、貧しい生活が待っています。人間が非人間的な扱いを受けることは、人間の精神の荒廃と退廃、堕落をもたらします。資本家は、膨大な私有財産と巨万の富を手におさめ、他の資本家をも労働者として支配し始めます。資本は少数の者の手に独占され、圧倒的多数は労働者になります。市民社会は、自由で平等で独立した人々によって形成されてきたはずですが、人々は資本家階級と労働者階級へ分けられてしまいます。資本家の自由は労働者の不自由を意味し、資本家の平等は労働者の不平等を意味します。資本家の独立は労働者の奴隷状態にほかなりません。マルクスは、市民社会がもたらした悲惨な状態をリアルに見据えながら、既存の経済学が何を語ってきたのか、そして何を語ってこなかったのかを、『経済学・哲学草稿』において明らかにします。
 藤原さんによると、この『草稿』には後に著された『資本論』にも通ずる国民経済への批判が含まれています。しかも、その批判は国民経済への批判から、さらには国民経済学への批判にまで及ぶものです。国民経済学は、ホッブス以来の自由主義の思想を前提にして、国家から切り離された市民社会において、つまり公的な領域から相対的に独立した私的な領域において、個々人が私有財産と富の蓄積を追求することを権利として承認します。国民経済学が、国家と市民社会、政府と市場経済の関係をどのように理解しているかというと、国家や政府は市民社会における経済活動の自由を外部的に保障し、それに介入することを控える機関として位置づけています。それは、国民経済学が、国家や府政が市場経済に不必要に介入すると、市場経済に内在する自動調整メカニズムが機能しないと考えられているからです。しかも、市場経済のメカニズムと運動法則に関する国民経済学の説明は、労働者の具体的でリアルな実態を踏まえることなく、抽象的なレベルにとどまっています。私有財産についても、人間の労働や生産活動と関連づけられず、概念的に描いていません。つまり、その本質を明らかにしていません。私有財産と富の蓄積を権利として承認する資本主義の経済が、どのように成り立っているのか、それが人間の根本にどのように影響しているのか、このような問題について国民経済学は問題関心を持っていません。市場経済において人間が差別されていること、労働者が疎外されていることを見ていないということです。その原因が何であるか、私有財産にあるのではないか、疎外と矛盾の本質はどこにあるのか、それをどのようにすれば解決できるのか、という問題に直面していません。マルクスは、市民社会における経済を正面にすえながら、国民経済を分析し、その問題や矛盾を覆い隠してきた国民経済学の批判へと向かいます。

2疎外された労働
 マルクスは、『経済学・哲学草稿』の第1草稿の4「疎外された労働」において、私有財産を認める市場経済において、人間の労働が疎外されていることを論じています。まずは、この「疎外」の意味について、考えていきます。マルクスは、市民社会において人々が様々な権利を行使し、そのなかでも私有財産の蓄積と富の増大を求めた結果、人々が労働から疎外され、それゆえに人間が疎外されることを明らかにしようとします。市民社会のなかに、市場経済のメカニズムのなかに、人間の疎外を生み出す原因があるということです。それを解決するためには、私有財産の否定へと向かわざるをえないと言います。
 マルクスが人間疎外について論じている順番に従って整理すると、大きく3つの疎外が論じられ、その結論として4つの疎外としてまとめられています。第1の疎外は、労働生産物からの人間の疎外、第2の疎外は、労働そのものにおける人間の疎外、第3の疎外は、人間の類的存在からの人間の疎外であり、そして最後に第4の疎外は、人間の人間からの疎外です。この疎外の原因は、私有財産を追求する市民社会にあります。この原因を克服するためには、市民社会を変革することが必要です。その先にあるのが、共産主義の社会です。マルクスは、このように考えています。では、具体的に見てみましょう。
 第1の疎外は、労働生産物からの人間の疎外です。労働とは、使用者である資本家と被用者である労働者の契約に基づいて、労働者が賃金を受ける以上、資本家に提供すべき役務であり、それは経済学的に見れば商品にあたります。国民経済学の説明によれば、その通りなのですが、マルクスによれば、労働とは、そのような商品という狭い意味での経済学的な概念にとどまらず、人間が自分自身を自ら実現する自己実現の形態であるといいます。労働者が自ら秘めている身体的・精神的な能力を、外部に向けて発揮し、それを客観的に確認できるものに変える、対象化するというのが、マルクスのいう労働の意味です。それゆえに、人間の能力を客観化・対象化したものとしての労働生産物は、本来的には、その人のもとに戻ってくるはずです。ジョン・ロックが述べていたように、土地を掘り起こし、種をまき、作物ができれば、それは土地を掘り起こした人の所有物になるように、マルクスが、労働生産物はそれを生産した労働者のものになるはずであると述べたのは、このようにロックが描いた農業労働のイメージに基づけば、理解できるのではないかと思います。しかし、私有財産のものとにおいては、とくに資本家と労働者の雇用契約のもとにおいては、労働生産物は労働者のものにはならず、資本家のものになるという現実があります。自らの身体的・精神的な能力を駆使して労働し、生産物をつくっても、それは自分の手元から離れて、資本家のもとに集められていきます。これは労働者がいくら労働しても、自己実現できないことを意味します。労働生産物は、労働者にとって疎遠なものになるという意味で、人間は労働生産物から疎外されていると、マルクスは言います。
 第2の疎外は、労働そのものにおける人間の疎外です。それは、労働者が働く日々の労働の過程において、労働者が労働から疎外されているということです。労働者が働いて生産物を作っても、それは資本家のものになるだけです。自己の身体的・精神的な能力を発揮して、それを客観化し、対象化しても、それが自分にとって疎遠なものになってしまうのなら、誰しも、やるせなさを感じざるを得ません。労働は、もはや自己実現の喜びではなく、自己疎外の苦しみでしかないことになります。日々の労働は、食べていくために労働、生きていくための労働であって、自己の内発的な気持ちから行うのではなく、強いられたもの、強制労働になってしまいます。マルクスは、言います。「それゆえ労働者はみずからの労働において肯定されずかえって否定され、幸福を感じずかえって不幸を感じ、自由な肉体的および精神的エネルギーがなんら発展させられずに、かえって彼の肉体は消耗し、彼の精神は頽廃化する」。日々の労働が、労働者の肉体と精神をウィルスのようにむしばんでいきます。
 第3の疎外は、類からの人間の疎外です。マルクスは、人間は類的な存在であると定義します。人間は、労働を通じて、自らが類的存在であることを確認します。労働こそが、人間が人間であることの証明になります。マルクスは、このように言います。人間の労働と他の動物の労働を比較すると、他の動物は、直接的な肉体的欲求ゆえに働きます。それは本能的であって、無自覚、無意識ということもできそうです。これに対して人間の場合は、肉体的欲求ももちろんありますが、それとは異なる次元において働くことができます。しかも、自覚的かつ意識的に働くことができます。しかも、その労働は自己の直接的な肉体的欲求のためではなく、他人の欲求を満たす物を生産することでもあります。つまり、自己の労働と他人の欲求が対応関係にあるので、自己の労働が孤立していない、疎外されていないといえます。人間は、このような労働を通じて、類的存在である人間の社会に参加することができ、それが自己の実現につながっていくのです。しかし、疎外された労働のもとにおいては、労働者は、労働生産物から疎外され、労働そのものから疎外あれ、類的な存在である人間と人間社会からも疎外されてしまいます。
 そして、第4の疎外は、以上の3つの疎外からの帰結として、人間の人間からの疎外です。マルクスは言います。「人間がかれの労働の生産物から、かれの生命活動から、かれの類的存在から疎外されたということから生ずる直接的な帰結のひとつは、人間の人間からの市街である。人間が自分自身に対立するばあい、他の人間がかれと対立しているのである」。人間が人間から疎外されるということは、孤独以外の何ものでもありません。人と人とが疎遠になり、お互い関心も持たず、すれ違うだけの人間社会、それが市民社会の実態なのです。
 マルクスは、以上のように市民社会における人間の疎外を説明しました。第1の労働生産物からの疎外は、現代の社会では当然のことのように扱われているのではないでしょうか。資本家は、土地、建物、工場、原材料、生産手段を持っており、労働者は何も持っていないのだから、生産した物は資本家のものになり、労働者はその対価としての賃金を受け取るのだから、労働生産物から疎外されていると言われても、それは当たり前の話だと言われそうです。しかし、受け取った賃金で、労働生産物を購入できるかといえば、できる場合もあるでしょうか、できない場合もあります。そうすると、労働生産物から疎外されている感情も出てくるのではないでしょうか。第2の労働そのものからの疎外は、マルクスの指摘は的確で、当たっているところもあります。ただし、経営者の工夫や組織のあり方として、労働者が疎外されないよう、精神的に疲弊しないよう努力しているところもあるので、疎外は目に見えないようになっているようにも思えます。第3の類的存在からの疎外は、言葉が哲学的であるために分かりにくいところもありますが、日々の労働において、人間的な喜怒哀楽が感じられずに、精神的に引きこもった状態にある、人間が機械の歯車のような存在になっていくような状態です。人工知能やロボットの開発などによって、この類的存在は加速するのではないかと思います。
 このような人間の疎外を解決するための方法として、マルクスが考えたのが私有財産の上に成り立っている市民社会を改革し、共産主義社会へとレベルアップすることです。

3私有財産の否定としての共産主義
 マルクスは、人間疎外の根源には私有財産があると主張していますが、これは資本主義的な搾取と収奪に関するメカニズムの詳しい説明がなければ理解することがえきないので、次回にお話したいと思います。
 マルクスは、人間疎外の根源に私有財産があると指摘しました。これは的確だったと思います。ただし、その解決策として「共産主義」を挙げたのは、現在の私たちには分かりにくいところがあります。共産主義、すくなくともそれに基づいた社会建設の試みは、ソ連において、東ヨーロッパにおいて、東ドイツにおいて破綻したからです。また、中国や北朝鮮は「社会主義国」を名乗っていますが、それらの国では、特権的な階級によって政治と経済が支配され、国民の階層において貧富の差が拡大しているように見えますので、決して人間疎外が共産主義によって解決できるとは実感できないからです。しかし、そうだとしても、マルクスが構想した共産主義の理念と理論については、正確に認識しておく必要があると思います。マルクスは、人間の疎外の根源に私有財産があると指摘し、それを克服できるのは共産主義だけだと訴えました。人間が人間として人間的な本質を獲得するためには、共産主義が必要だと論じました。人間は、人間的になり、社会的になるために、意識的に労働し活動しますが、その発展と成果を完全に我が物にするためには、共産主義が必要だと説きました。マルクスは、教案主義が「人間と自然および人間と人間との間の抗争の真の解決であり、現実的存在と本質との、対象化と自己確認との、自由と必然との、個と類との間の争いの真の解決である」とも言っています。共産主義は、マルクスによれば、私有財産こそが人間の本質を否定するものであり、この人間否定の私有財産を否定するものとして全面的に肯定されます。
 しかしながら、このように共産主義の理想を説くだけでは、人々を共産主義の運動に組織し、その実現を目指すことはできないでしょう。理念的、抽象的な感じは否めません。教案主義の理念が「ユートピア」のレベルを超えて、科学的な理論にまでレベルアップしなければ、人はそれを納得しないでしょう。後にフリードリッヒ・エンゲルスは、マルクスの共産主義理論が科学にまで高められるには、唯物史観と剰余価値学説の2大発見を待たなければならなかったと言っています。唯物史観とは、人間社会の発展法則に関する学説であり、剰余価値学説とは、資本主義の分析を通じて、共産主義が資本主義の内部から発展することを明らかにした学説です。

4唯物史観とその意味
 唯物史観は、まだ『経済学・哲学草稿』(1844年)では論じられていません。それが最初に示されたのは、マルクスとエンゲルスの共著である『ドイツ・イデオロギー』(1845年から46年)という書物においてです。また、それはマルクスの『経済学批判』(1859年)において定式化されています。この定式化の内容を見てみましょう。マルクスは、それを次のように定式化しています。

 人間は、その生活の社会的生産において、自分の意志から独立した一定の、必然的な諸関係を、すなわち、かれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を取り結ぶ。この生産諸関係の総体が社会の経済的構造を形づくるのであり、それは法律的ならびに政治的上部構造がよって立ち、かつそれに一定の社会意識形態も対応する現実的土台なのである。物質的生活の生産様式によって、社会的、政治的および精神的生活過程一般がどうなるかがきまる。人間の意識が人間の存在を規定するのではなく、反対に、人間の社会的存在が人間の意識を規定するのである。

 マルクスは、唯物史観の学説を説明するために、多くの論文を書き表していますので、この定式化は、あくまでもそのエッセンスを記したものであり、一義的に理解すると、その全体が見えなくなってしまう可能性があることに注意する必要があります。ただし、次のことは明確に言えると思います。
 第1点は、人間社会の歴史的な発展過程を左右する要因、またそれを加速したり遅くしたりする要因は、社会の経済的な土台にあること、社会の下部構造にあることです。
 第2点は、人間社会の歴史的な発展過程にある社会の経済的土台を基礎にしながら、その上には、それに対応する政治制度・法制度があり、人々の意識もまた経済的な土台に影響を受けることです。社会全体が建造物のようにあとえられ、基礎となる土台の部分が経済、その上に積み上げられる構造物が政治や法律の制度として説明されています。
 第3点は、土台としての経済構造とその上に組み立てられる政治制度・法律制度の関係は、どのようなものかというと、基本的には経済が法と政治を決定するという関係にあることです。ただし、政治や法が経済に作用して、経済の動きに影響を与えることは否定されていません。
 第4点は、社会の土台である経済は、一定の生産力の発展段階において、それに対応する生産関係から成り立ち、生産関係が生産力を促進する関係にあるということです。生産関係が逆に生産力を押しとどめるようになると、生産関係の変化が促されることになります。以前の講義において、イギリスの穀物法が1846年に撤廃されたことを話しました。それは、R・コブデンとJ・ブライトらのマンチェスター派によって、穀物法が撤廃され、自由貿易への道が切り開かれた話です。その当時、イギリスには伝統的な支配階級である地主階級を守り、その農業の権益を保護するために、穀物法が1815年に制定されました。その内容は、どのようなものかというと、外国から小麦を輸入することを制限するものです。そうすることによって、地主階級がイギリスの小麦産業を外国から守ると同時に、国内においてそれを独占し、その特権を維持することができます。しかし、そのようなことをすると、イギリス国内において生産した小麦を外国に輸出することが困難になります。隣のフランスに輸出するときに、関税がかけられ、輸出しにくくなります。小作農が、技術や品種を改良して、短期間のあいだに大量に小麦を生産することができるようになっても、彼らが成案した小麦は倉庫に積み上げられたままになります。生産力がアップしても、地主階級が穀物法に固執していると、生産しても意味がなくなり、小作農は疎外されてしまいます。しかし、農業の工業化と大規模化を推し進める新興ブルジョワ(市民)階級は、このような穀物法が農業の生産力の発展の足かせになっていると主張して、地主階級との間で利害対立が明らかになり、穀物法は1846年に廃止されました。その結果、諸外国との間において自由貿易が可能になりました。このように生産関係は、当初は生産力を発展させる役割を果たしていても、それが生産力の発展の足かせになったとき、法制度が改正され、最終的には地主階級は新興ブルジョア市民階級によって打倒されていくことになります。その結果、生産関係も大きな変化を受けることになります。
 そして、第5点は、人間の意識と社会的存在の関係です。人間は、自由に物事を考え、自由に行動することができると考えていますが、それにも制約があります。外部的な物質的な制約があるために、自由に考えることができない、また自由に行動することもえきないという場合もありますが、外部的な条件が思考に作用して、思考や意思活動そのものにも影響を及ぼすということです。人間をとりまく社会的な環境ゆえに、人間の意思や思考も制限を受けることになります。

5疎外論から物象化論へ
 マルクスは、『経済学・哲学草稿』において人間の疎外について論じたときに、人間が労働生産物から疎外されていること、労働そのものから疎外されていること、類的存在から疎外されていること、人間そのものから疎外されていることについて論じ、そのような人間の疎外を解決できるのは、私有財産を肯定する市民社会を否定すること、すなわち共産主義の社会を実現することであると述べました。
 これに対して、『ドイツ・イデオロギー』や『経済学批判』において人間の意思の問題を論じたときに、人間はその意思から独立した、一定の法則に従って成立している社会関係を取り結ぶこと、そのような社会関係の経済的な土台部分だけでなく、また政治的・法的な上部構造の部分が人間の意思の外側にあること、このような外部的な社会関係が全体として人間の意識に作用することを述べていました。前者の疎外論では、人間のやるせなさ、無力感、絶望感のようなものが問題視され、それを克服し、人間性を回復することが課題とされていたように思います。これに対して、その後の説明では、このような疎外された意思や感情は、経済や政治などの社会的な関係の構造に原因があり、それを変革することによって疎外を解決できると説明されています。ここには、マルクス自身における理論的な変化と発展があるように思います。
 このような理論的な変化と発展を経て論じられたのが、物象化論です。資本主義経済においては、個人が自分の欲求を満たすために物を生産するのではありません。つまり、自分の使用目的のために物を生産するのではありません。社会のどこかに、このような物を欲しがっているのではないかと、他人の欲求を満たすために物を生産するのです。つまり、他人が消費してくれそうな物、他人が貨幣を支払って交換してくれそうな物を生産するのです。このような生産者と消費者の関係は、市場経済において直接出会うことなく、他人のために生産された労働生産物と貨幣が交換される関係、物と物との関係として現れます。他人が消費してくれる物を生産すれば、それは市場において購入されます。貨幣と交換されます。消費してくれない物を生産しても、購入されず、貨幣と交換もされません。このように交換価値のある物を生産しなければ、人間の労働は意味をなしません。人間と人間の関係は、物と物との関係によって支配され、人間は交換される物を生産することにかり出されることになります。このように人間と人間の関係が物と物の関係として現れることを「物象化」と呼んでいます。マルクスの疎外論は、経済学の研究にともなって、物象化論へと進展しているといえます。哲学的・人間科学的な疎外論の研究から、経済学的・実証科学的な物象化論の研究への進展といってもよいと思います。
 藤原さんによれば、マルクスの理論の進展の背景には、資本主義的な商品経済の進展・拡大があったといいます。ハンガリーのマルクス主義経済学者のカール・ポランニーによれば、純粋な商品経済が拡大し、支配的になったのは、19世紀のヨーロッパだけであり、そこでは労働も土地も貨幣も商品化し、商品という形態をとった経済が市民社会の様々な領域に浸透し、その社会全体を支配するようになったと言います。確かに、18世紀後半のアダム・スミスの時代においても、商品経済は自立した経済として動き始め、法則的な運動として説明されていましたが、それでもスミスの時代は、経済の世界と政治の世界、法律の世界は、それぞれ分離し、全てが経済の世界に包摂されたわけではありませんでした。しかし、マルクスの時代になると、経済の世界が自立的に運動し、その上部構造としての政治と法律を包摂し、支配し始めました。ここにスミスとマルクスの経済学理論の違いの根拠を探ることができるでしょう。スミスは、市場経済には一定の予定調和的な自動調整機能とメカニズムがあると考えていましたが、逆にマルクスは市場経済に人間の疎外、経済的な搾取と収奪、貧富の格差の根源があると考えました。生産力が進展しながらも、労働者のなかで矛盾が拡大すれば、その進展が阻害されてしまいます。そうすると、経済的土台における生産関係が変わらない限り、生産力の発展は困難です。生産関係を変革する労働者の運動が、革命運動へと発展するならば、資本主義に代わる新たな社会制度が生まれることになります。
 次回は、『資本論』において説かれた剰余価値学説と資本主義崩壊の理論、そしてそれに代わる社会主義の経済システムについて、マルクスの考えを見たいと思います。