Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

第01回・現代の人権 講義録

2018-09-29 | 日記
現代の人権
 第01回 犯罪白書の統計から見える日本社会(おさらい)
(1)講義の目的
 2018年度後期開講科目として「現代の人権」がスタートしました。この講義の受講生には比較的文学部と産業社会学部の学生が多いことが分かりました。講義で話をする際にその点も配慮したいと思います。私は法学部で刑法の担当をしているので、法学部生には専門的な用語や制度の説明はやや省略することに慣れてしまっていますが、そうではない学生には基礎的な事柄を説明しながら、講義を進めるようにします。とはいえ、この講義は法学部で学ぶ事柄を他学部生が学ぶことを目的としていはいません。それは第01回講義の冒頭にお話ししました。
 この講義の目的と課題は、
 社会問題への関心を高めること
 社会問題が自分の問題でもあることを知ること
 社会問題の解決に主体的に取り組むきっかけを探ること
です。情報機器が発達し、瞬時にしてデータ・統計を入手できる時代になりました。インターネットやスマホを活用すれば、知らなかった情報をすぐに手に入れることができます。それは一方で社会の進歩を促し、人々の幸福を実現する条件になります。しかし、情報ツールから得られる情報は大量であるため、その中から重要なもの、正しいもの、必要なものを選り分けることが難しくなっています。大量に届けられる情報の渦の中に飲み込まれているような様相を呈しています。私たちは、少し立ち止まって、与えられた情状を読み取っていく、読み込んでいく術のようなものを身に着ける必要があります。この講義はその実践の一環でもあります。

(2)講義の課題
 この講義では、犯罪、違反行為、逸脱行為、迷惑行為などの非行とその行為者に着目して、そのような行為を減らしていくための課題と方法を考えることを目的としています。人類の歴史において、「犯罪」のない社会はなかったのではいかと思います。現在の社会においても毎日のように犯罪に関するニュース報道が届けられます。おそらく、それは将来においても同じでしょう。このような「犯罪」はなくならないものかもしれませんが、少しでも減らして、快適な社会、住みよい社会を形成することはできると思います。
 犯罪を行った人には刑罰が科されます。違反行為に対しては制裁が課されます。逸脱行為には社会的非難が向けられます。迷惑行為には、迷惑行為防止条例に該当するなら条例上の制裁が、そうでなければ社会的無視といった措置が加えられます。それらに共通しているのは、一言でいうと「排除」という性質です。一定の社会に共通する価値に反した異質な行為を行うと、その社会から排除するという傾向が共通して見られます。それには有効性があります。有効性というのは、排除してしまえば、その人は社会の外側にいるので、もはた内側において同種の行為を繰り返して行う危険性はないということです。
 しかし、そうすることによって出来上がるのは、同質性と均質性のとれた、異質な要素が除去された、異質な色彩が脱色された完全で完結的な社会かもしれません。それは、人々がみな、同じ色彩、デザインの服装を着て、同じヘアースタイルをして、同じ化粧をして、同じ表情をしているような人間社会です。同じものを食べ、同じような生活をし、同じような考えをし、同じ意見を述べるような社会です。私たちは、そのような社会を望んでいるでしょうか。そうではないでしょう。犯罪が少なくなったからといって、そのような社会が良い社会だとは思わないでしょう。従って、社会から異質は部分を排除するのではなく、そのような部分も含んだ様々な傾向と特徴を備えた社会を前提にしながら、犯罪や非行などの社会問題を考えていかなければならないと思います。

(3)犯罪→刑罰の有効性神話からの脱却
 犯罪に対しては刑罰が科されます。刑罰の中心は自由を剥奪する自由刑(懲役刑・禁錮刑)です。それは犯罪予防に効果があると信じられてきましたし、また信じられています。私はそれを否定するつもりはありません。しかし、刑罰の実情、その裏側を見れば、刑罰の持つ予防効果に「?」を付けたくなる時があります。例えば、先日、アイドルグループ所属のタレントが交通事故を起こしたことがテレビで報道されていました。事故直後に本人がどのような行動をとったのか、事故前日にどのような行動をとっていたのか、などなどが徐々に明らかになり、有名な人気のある若い女性タレントであるということもあって、社会的に関心が高まっています。交通事故については、負傷者も出ているので、刑事裁判を含め法的に対応することになるでしょう。そうすると、酒酔い運転の罪(道路交通法)、信号無視(道交法)、過失運転致傷罪(自動車運転処罰法)、負傷者の救護義務違反の罪(ひき逃げ・道交法)などが適用され、有罪判決(実刑判決になるか、それとも執行猶予付きになるかは分かりませんが)が言い渡されるでしょう。犯罪を行った以上、それに対応する刑罰が科されるのは、至極当然のことです。
 かりに実刑判決が言い渡された場合、被告人は女性であるので、女子刑務所に収容されることになります(和歌山など数か所にあります)。そこで3年、4年と刑に服し、罪をつぐなうことになります。毎日、規則正しい生活をし、所定の作業に従事して、ミーティングなどに参加するなどして、自己を見つめ直し、被害者のことを考え、社会復帰のための準備をします。それが本人のためになるのなら、それはよいことですが、子どもや両親がいる場合、誰がその世話をするのでしょうか。残された夫がするのでしょうか。夫がいない場合、どうするのでしょうか。刑罰は犯罪を行った個人に貸されますが、その影響・作用はそれ以外の人にも波及します。それは「社会的排除」の効果を伴いながら、「罪のない」子どもたちにも過酷な影響を及ぼすことになります。飲酒することは誰にもあります。しかし、酔った状態でハンドルを握ったのはなぜなのでしょうか。赤信号を無視して交差点に進入したのはなぜなのでしょうか。人と接触したにもかかわらず停止せずに、そのまま走り続けたのはなぜなのか。それは「彼女が悪い人だからだ」というような説明では、明らかになりません。まずは犯罪の裏側にある様々な事情を明らかにし、それと解きほぐしていくことが必要です。そうすれば、実刑が相応しいのか、それとも執行猶予を付ける方がよいのかも自ずと明らかになるでしょう。同じ状況に置かれたなら、自分も同じことをするかもしれない、と自分の問題として捉えるきっかけもできるでしょう。そうすれば、犯罪と犯罪者を社会から排除して刑務所に収容するというのではなく、社会の内部で問題を解決していくという方法を模索するきっかけも出てくるでしょう。すぐに刑罰の効果に期待するのではなく、社会の内在的な力の可能性にかけてみようと思うのではないでしょうか。

(4)非刑罰的対応としての福祉
 この講義では、犯罪を行った人に一律的に刑罰を科すというのではなく、その中に非刑罰的な対応が必要な人がいること、刑罰を科すと逆効果になる危険性がある、そういう人がいるということを知ってもらいたいと思います。犯罪白書の統計を見ると、実刑判決を受けた人で出所後、2年以内に罪を繰り返す人(再犯といいます)、5年以内に繰り返す人のなかに、満期釈放の出所者が比較的多いことが分かります。つまり、たとえば懲役5年の刑を言い渡されて、5年間服役すると、再び罪を犯して刑務所に戻って来る可能性が高まる傾向があるということです。罪を犯した人に刑を科すと、それによって自己を見つめ直し、被害者のことを思い、反省し、まっとうな人間に生まれ変われるのではないかと考えがちですが、実際はそうなっていない、刑期が満了する前に仮釈放した方が再犯率は低くなるというのが統計・データから窺われます。
 ただし、再犯率の高い犯罪には一定の特徴と傾向があります。どのような犯罪も一律同じように考えてはいけません。窃盗、性犯罪、薬物事犯などは、他の犯罪と比べると再犯率が高いという統計もあります。そのような事情を踏まえると、既存の刑罰制度(懲役刑・施設内において所定の作業に従事する)によって再犯予防の効果があがる罪もあれば、そのような制度では十分な効果が上がらない、別の方法を用いなければならない罪もあります。そのなかには、刑務所のような施設でない方がよい罪もあるでしょう。
 私たちは、犯罪白書の統計・データから、罪を犯した人々のなかに非刑罰的対応が必要な人がいること、刑罰ではなく福祉的対応が必要な人がいることを学んでいこうと思います。それは刑罰の代わりに福祉という手段を用いるというのではなく、福祉が充実した社会は、人々を自然に犯罪・非行から遠ざけていく人道的・寛容的な力を発揮するということです。高齢者、年少者、女性、様々な人々が犯罪の穴に落ちています。そこから出るための努力をしています。そのような人々に少し注目して、近付いて、身を寄せて、その声を聴いてみたいと思います。刑罰の有効性神話から離れて、非刑罰的対応として様々な可能性があることを模索したいと思います。(2018年09月28日)