Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

ナチスが最も畏れた男=フリッツ・バウアーの実践から学ぶもの

2017-03-17 | 旅行
 ナチスが最も畏れた男=フリッツ・バウアーの実践から学ぶもの

 1948年12月10日は、人権宣言が国連によって宣言された日である。東京ドイツ文化センターでは、毎年この日に人権をテーマにした企画を開催してきた。ドイツが他民族の人権を抑圧した過去の歴史を振り返り、それを記憶に刻むためである。今年は、ヘッセン州検事長フリッツ・バウアーを主人公にした映画「アイヒマンを追え!」の公開が目前に迫り、またローネン・シュタインケの『フリッツ・バウアー』も出版されたこともあって、その映画の一部を上映しながら、フリッツ・バウアーと過去の克服について討論会が企画された。

 東京ドイツ文化センター所長のペーター・アンダース氏から、企画の趣旨説明がなされた後、ドイツ政府がシリヤとイラクからの多くの難民を受け入れ、世界が抱える問題の解決に取り組んでいることが紹介された。そして、講演に先立って映画の一場面が上映された。それは、検事長バウアーと若者の座談会のシーンである。若者が質問した。「ドイツ人は基本法を誇りにしてよいのではないか」。バウアーはこれに答えた。「誇りにできるのは、我々が行なうべき善行を行なっている場合だけだ。我々は、森や緑、大地と自然を誇りにできない。それは我々が作ったものでないからだ。ゲーテやシラーの美しい詩の芸術も誇りにできない。それを作ったのは彼らだからだ。我々が誇れるのは、我々が行なう善行だけである」。ドイツ全土にゲーテやシラーなどの文豪の銅像が建立されている。バウアーが検事長を務めていたヘッセン州のフランクフルト・アム・マインは、ゲーテの生まれ故郷であり、その地の大学はゲーテの名を冠している。また、東京ドイツ文化センターの正面玄関には、「ゲーテ・インスティテュート」と書かれ、ドイツ文化のあり方がゲーテとの関係において強く意識されている。そのようなセンターの企画において、このシーンを映し出したことが印象的であった。現在のドイツが世界中の人々に開かれた人権親和的な社会たらんとする決意の表明であると感じた。

 講演企画の司会進行は、斎藤貴男氏に務めていただいた。歴史修正主義、ヘイト・スピーチ、安保法制=戦争法制など様々な問題を追及し、その根源にある日本社会の病巣を抉り出すジャーナリストであり、この企画の司会進行に相応しい方であった。斎藤氏からの紹介を受けて、「過去の克服とフリッツ・バウアー」というテーマで話した。東京近郊には、この種のテーマを研究する歴史学者や哲学者が数多くいるにもかかわず、なぜ私が講演することになったかというと、かつて朴普錫氏とフリッツ・バウアーに関する論文の共訳を立命館法学に掲載し、また私がシュタインケのバウアー評伝の翻訳作業を進めていることから、翻訳作業で知りえたことを織り交ぜて話せないかと依頼を受けたからである。十分な研究をしていないので、お断りしようかと思ったが、今後とも研究を継続する決意を固めて、引き受けさせていただいた。

 ドイツにおける過去の克服の主要な側面は、ナチの戦犯の刑事訴追と処罰であるため、遡及刑罰法規の適用の可否、ラートブルフ・テーゼの意義、再生自然法論による法実証主義批判の問題点、時効問題などが争点になるが、専門的な説明を簡略的に話したため、やや難解な解説になってしまった。それでも、参加者からは様々な貴重な意見と刺激を得ることができ、これまでにない非常に有意義な時間を過ごせた。ドイツ文化センターの図書ルームを開放し、近い距離で、考察対象を共通する方々とディスカッションし、またこれを機に知り合いも増えたことは、決して主流とはいえないこの種のテーマを研究してきた私にとって大きな喜びであった。

 最後になりましたが、当日の企画のために尽力いただいた関係者の方々に深く感謝します。

 *なお、本講演は、当日の報告原稿を加筆・補正し、必要な注釈を付した上で、立命館法学369・370号(2017年)に掲載予定である。