Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

三島淑臣『法思想史』ノート(08)

2020-07-27 | 日記
 三島淑臣『法思想史』ノート(08)(無許可転載厳禁)
 三島淑臣『法思想史』において解説されているドイツにおける近代自然法論について検討する前に、概論的にそれを要約・整理したいと思います。というのも、イギリスやフランスは、現実の市民革命の前後において実践的な問題意識から自然法思想が論じられましたが、ドイツにおいては、市民革命が未経験であったために、近代の市民社会、そこにおける法や法概念について、非常に観念的な議論に終始したため、非常に分かり難いからです。従って、全体を見渡せるような見取り図のようなものが必要なように思います。
 そのために、ここでは末川博・天野和夫共著『法学と憲法』(大明堂、1966年)第7章「現代法思想の諸傾向」157頁以下を参考にしたいと思います。

 第一章 現代法思想の諸傾向
 第二節 自然法思想
 現実の社会において通用している法には、成文法や不文の慣習法・判例法などがあります。それらの総称として実定法(positives Recht)といいます。今日、法とは実定法を指しますが、近代の初期においては、法という言葉は、既存の規則・命令(それには人々の意思が反映されていないものもある)だけでなく、自然法(Naturrecht)として用いられていました。その自然法とは、いまだ規則化されていないもの、命ぜられていないものですが、そこに人々の意思が反映されるはずであると期待を込めて自然法という言葉が用いられていました。つまり、自然法とは、実定法の上位にある実定法の核心をなすものであり、既存の実定法、規則・命令の正邪、善悪を判別する基準であり、それゆえに自然法に反する実定法は法としての資格、法の効力を持たないというふうに考えられてきました。自然法そのものは、古代の自然法もあれば、中世のキリスト教の「神」を中心とする中世自然法もありますが、近代の自然法は、法の根源・根拠を人間の本性または理性に見出そうというものです。
 実定法は、歴史の一時期に制定されたもの、実際に制定されたことを確認することができる経験的なもの、他の実定法も制定しえたが、様々な事情から制定されることになった相対的なものですが、これに対して自然法は、実定法という経験的なものよりも先に存在する先験的なもの、実定法とは次元の異なる絶対的なもの、改廃されるような可変的なものではなく、不変的なものです。自然法の存在を認め、それこそが真の法であると考えるのが、自然法思想です。
 中世自然法の時代は、神が中心となって宇宙と世界、国家と社会が形成され、人間は神の摂理と教えに従って生きることが義務づけられた「信者」でしかありませんでした。神中心の封建的な制度とイデオロギーは、社会の動き、とりわけ経済的な動きを抑え込んできましたが、市民階級の成長とともに、それが打ち破られ、近代市民社会に相応した自然法思想が展開されました。それがホッブス、ロックの自然法思想、ルソーの自然法思想であることは言うまでもありません。
 ただし、そのような自然法思想が論ずる自然法は、19世紀初頭のヨーロッパ諸国に始まる法典の制定をきっかけに凋落の一途を辿ります。いわゆる自然法の実定法化です。自然法が実定法として確立されれば、もはや自然法を論ずる意味はありません。実定法の意味を明らかにする作業をしていればよいのです。したがって、実定法化された自然法思想は、実定法を至上のものとし、その意味を明らかにし、適用対象・範囲を明確にする法律実証主義の思想へとつながっていきます。

 第三説 ドイツ法哲学
 第一 序説
 ヨーロッパ諸国の法学は、19世紀初頭までは近代自然法思想の影響を受けてきましたが、19世紀初頭以降は、ドイツ法哲学と法実証主義の影響を強く受けることになります。ただし、ドイツ法哲学が、恒常・不変の先験的な法の原理を基礎とする形而上学的な方法に立脚するのに対して、法実証主義は存在する法律とその体系を基礎とする経験主義的な方法に立脚するので、両者は対蹠的・対向的な関係にあります。

 19世紀以降の法学に影響を与えたドイツ法哲学とは、カントに始まり、フィヒテ、シェリングを経て、ヘーゲルに続く「ドイツ観念論哲学」の法思想であり、さらにそれを受け継いだ新カント学派と新ヘーゲル学派に属する方思想です。

 イギリスやフランスの近代自然法思想は、人間は自然的自由や社会的自由の担い手であるという自然法思想に基づいて、実際に封建的な社会を変革する市民革命を達成し、近代市民社会の形成と定着に貢献しました。その意味で言うと、人間の自然的自由・社会的自由は、観念の世界にだけあるものではなく、現実の世界において確認できるものです。従って、観念論の産物ではなく、経験的に実証可能な現実です。これに対して、ドイツでは市民革命を達成するほど市民階級は成熟していませんでした。従って、イギリスやフランスから様々な社会思想が伝わってきても、ドイツにはそれに対応する経験的に実証可能な現実がないため、観念的な産物として受け入れ、それを考察することから始めざるをえなかったのだと思われます。

 第二 カントからヘーゲルへ
 イギリスやフランスにおける近代自然法思想が自然法ないし自然権に基づく人間の自然的自由や社会的自由を要求したものであるとするならば、ドイツのカント(1724-1804年)の法哲学は、実践理性の法則に従う道徳的自由を主題とするものでした。自由は、現実的な自由から理念的な自由へ、具体的な人間の自由から抽象的な人間の自由へと転化されています。自由の担い手が具体的であるというならば、論じられるべきは現実の人間の自由です。しかし抽象的な人間の自由が論じられているということは、人間の自由が観念的に、非実在的に論じられているということです。つまり、無いものが論じられているということです。つまり、イギリスやフランスでは、具体的な人間の自由、自然権が問題になり、それをいかに実現・保障するかが論じられていましたが、ドイツでは異なります。ここに当時のドイツ社会の歴史的な後進性、市民階級の未成熟さをうかがうことができます。しかし、無いものを論じるというのは確かに観念的ですが、より純粋な理性、実践的な理性を論じ、そこにおける人間の自由を問題にする傾向が強められるように思います。カントの哲学大系が、近代初期の自然法思想が無批判に信頼を寄せていた人間の理性に対する批判の学、すなわち批判哲学として展開されているのは、そのような背景があるからです。
 カントによると、人間が認識しうるのは、「物そのもの」(実在)の世界ではなく、実は「物の現象」(仮象)の世界であるに過ぎないといいます。また、人間の自由は、因果の法則が支配する自然の世界(現実)のなかではなく、実践理性の法則が支配する道徳の世界(観念)のなかに求められるといいます。
 人間は実在を認識できない。カントがこのように嘆くのは、自然科学や物理科学の発展に伴って、実在の世界の認識が広がり、細分化し、深化し、そのために認識できたかと思うと、それは断片的なものに過ぎなかったことが、実験によって日々検証されるからだと思います。従って、人間は「物そのもの」の世界を認識しているのではなく、「物の現象の世界」、仮象の世界を認識しているだけです。その意味において、「物の現象の世界」の認識は決して観念的なものではありませんが、「物そのもの」の実在の世界の認識には到達することはできません。また、自由は現実のなかにはない。カントがこのように考えるのは、ドイツの現実の国家や社会のなかに、イギリスやフランスの革命を経て勝ち取られた人間の自然的自由・社会的自由はまだ成立していないからです。そのために、人間の自由は実際の経験に裏付けられていない、実質的な内容を欠いた自由になりがちです。いまだ革命運動を経ていない、経験されていない自由、つまり先験的な自由であり、具体的な実質を欠いている形式的な自由になりがちです。
 カントにおける自由は、実践理性の法則に従う道徳的自由として、また人の意志が立てた法則に従って自らを律する意志の自由として見出されます。この自由を実現するためには、カントはどのようにすればよいと考えているのでしょうか。自分の意志によって法則・規則・ルール=道徳を立てた以上、それに従うのは自分自身であり、自発的・内発的に従わなければなりません。他者よって強制されるものではありません。それが意志の自由、道徳的自由です。従って、道徳に従うことは、内面的に自由であることを意味します。そうすることによって、自分自身の身勝手を抑え、また他人の自分勝手を抑え、相互に外部的な攻撃を加えることを抑えることができるようになります。この外部的な攻撃から他者の自由を保障するのが法の役割になります。道徳は、内面的な意志の自由を保障し、法は、外部的な自由を保障するとして、法と道徳が峻別されます。この法は、実践理性から導かれる理性の法の体系であり、法とは「そのもとにおいて、ある者の意欲と他の者の意欲とが、自由の普遍的法則に従って調和することのできる諸条件の総体である」と定義されます。ある人の意欲(何かを行いたい、何かを得たいなど)は、他の人の意欲と衝突することがあります。それによって紛争・対立が発生します。しかし、カントは、それが自由の普遍的法則に従えば、対立せずに調和できることを強調します。
 では、当時のドイツにおいて、ある人の意欲が、他の人の意欲と衝突せずに調和していたでしょうか。それを試みる法律・実定法があったでしょうが、しかし調和をもたらしたとは言い難い状況にありました。カントのいう理性法は、現実の実定法の不十分な点を批判的に判別するための理念的な基準になったということです。では、今の世の中において、ある人の意欲が、他の人の意欲と衝突せずに調和しているでしょうか。それを試みる法律・実定法がありますが、調和をもたらしているとは言い難いでしょう。カントのいう理性法は、現在においても現実の実定法の不十分な点を批判的に判別するための理念的な基準になりうるといえます。

 このようにカントにおいては、現実と理念、現実の実定法と法の理念とは、明確に区別されいます。しかも法の理念を基準にして、現実の実定法の当否を批判的に識別するという方法が取られています。存在しない法を基準にして、存在する法律を批判的に認識することから、観念論的な認識方法といえます。このような現実と理念は、永遠の二元的に並列したままなのかどうか分かりませんが、カントにおいても、現実が理念の方を目指して変化することを予想していたのではないかと思います。
 この問題について、ヘーゲル(1770-1831年)の場合、現実と理念は弁証法的に統一されます。ヘーゲルにとって、「理性的なものは現実的なものであり、現実的なものは理性的なものである」(ヘーゲル『法の哲学』)からです。しかも、彼の場合、理性的なものと現実的なものとの統一は、現実の側が変化して理性の方へと接近するというのではなく、理性が現実の方へと接近するということによって統一されます。つまり、理性は現実のなかにあるということです。
 ヘーゲルがフランス革命を知ったのが、20才前後の若いときでした。若さと情熱にあふれたヘーゲルは友人らとともフランス革命を祝い、記念に植樹したそうです。自由・平等・博愛という思想・理念は、人々の行動を媒介にして、必ず現実の政治・社会体制へと現実のものになる。そのように確信したに違いありません。ですから、ヘーゲルは、自然の世界および社会における全てのものは、理念・精神が自己を発展させていく一大系列であって、自然・社会における全てのものは、相互に関連し、常に運動し、また低い段階から高い段階へと発展してゆく弁証法的発展の過程をなしているといいます。社会における法の地盤は、一般的には精神的・理念的なものである。法の立場と出発点は、自由な意志です。法、その発展過程において、まず外界に対して自由な意志を保障する「抽象的法」として成立し、自分自身の自由な意志を確保する「道徳」となり、外部から自由な意志が侵害されないよう保障する抽象的法と自分自身で自由な意志を確保する道徳が総合されて、自由な意志を実現する「人倫態」として成立します。この人倫態は、愛によって結合する「家族」、独立した個人の集合である「市民社会」、この両者を総合して「国家」が成立し、そこにおいて具体的な自由が保障されることになるといいます。
 ヘーゲルにおいては、自由は国家において初めて存在し、成立し、保障されるので、近代的な市民社会における原子論的な個人主義が斥けられ、全体論的な国家主義へと接近しているといえます。それは、カントが掲げた現実の実定法を批判する理念的な法を捨て、現実の実定法のなかに理念的な法を見出すことによって、現実の国家を合理化・正当化したものと言われています。しかも、新ヘーゲル主義の法学運動が取り組まれたのが、1930年代のドイツであったため、ナチスの全体主義的な法思想への道を開いたものとして批判されています。
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