Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

韓国大統領に対する名誉毀損について(新聞社からの問い合わせへの答え)

2015-12-18 | 旅行
 韓国・朴槿恵大統領に対する名誉毀損罪(情報通信ネットワーク法)の問題について、ある新聞社の記者の方から、問い合わせがありました。2015年12月27日に以下のようにお答えしました。ただし、以下の文章は、「有罪判決」が出された場合を想定して書いたものです。言うまでもなく、当日の午後、無罪判決が出されました。従って、この文章は、その判決を批判するものではありません。なお、判決の当否については、あたらめて分析したいと考えています。

 **新聞社 **様

 おはようございます。ご連絡ありがとうございます。韓国の言論状況は非常に深刻な状況にあると思います。産経加藤記者事件から『帝国の慰安婦』事件へと、政権に敵対する言論を名誉保護の名のもとに弾圧しています。1936年にナチスは、ユダヤ排外主義の手始めとして、ドイツ民族の血統の純潔を保護するために、ユダヤ人によるドイツ人との婚姻や婚外性交に厳罰を科す刑罰規定を設けました。その法律名は「ドイツ人の血と名誉を保護するための法律」であり、ここでもドイツ人の名誉保護という目的が乱用されています。民族の歴史と伝統、文化の優位性を信じて疑わない国民が繰り返してきた過ちが、今回の韓国の裁判にも見られます。

 **さんの原稿を読んで、それを参考にしながら、「もし私ならば」という気持ちで書き足してみました。

 以下が私の書いた文章です。

・「個人の名誉」か、それとも「報道の自由」か。今回の事件は、韓国憲法が保障する二つの権利が衝突する典型例だったが、判決は「個人の名誉」の保護を優先し、報道の自由を一歩後退させる結果となった。

・ある個人に関して世間で噂が流れ、それが虚偽であるにもかかわらず、知らずに報道し、個人の名誉を毀損した場合、「噂を報道しただけ」という言い訳は通用しない。それは日本も韓国も同じである。それがまかり通るなら、「真偽はともかく~~の噂がある」と報道すれば、個人の名誉の保護は事実上ないに等しくなるからである。加藤氏は、セウォル号沈没当日、「朴大統領が特定の男性と会っていた」という噂が韓国国内で流れていると書いたが、多くの修学旅行生が生死を彷徨い、犠牲者が出始めた時に大統領が執った対応とその危機管理を問題にするためであったに違いない。大統領を誹謗するために、沈没事故に便乗して噂を拡散しようとしたとは考えにくい。

・政治家など公人の行動は公共性が高く、公益を図る目的からそれを報道し、その内容が真実であれば、たとえ政治家個人の感情を害しても、日本では名誉毀損罪は成立しない。また、かりに真実ではなく、虚偽を報道した場合であっても、真実であると誤信したことに相当の理由があったことが認められば、罪は免責される。公人の一個人の私的な名誉が害されても、報道の自由を広く認めるのが民主主義国家の司法である。

・しかし、今回の判決では、加藤氏が報道した噂の内容は虚偽であり、彼には大統領を誹謗する目的があったと認定された。しかも、加藤氏が大統領や男性側を取材しなかったことが、「誹謗の目的」があったことの理由とされている。それは奇妙な論理である。というのも、被告人に「誹謗の目的」があったことを立証する責任は検察官にあるからである。検察官は、被告人に誹謗目的があると判断したから起訴したはずである。それにもかかわらず、裁判ではその責任を被告人に転嫁し、それを被告人が立証できなければ有罪にされてしまう。これは一体どういうことか。言論の自由は、民主主義を映し出す鏡である。今回の判断は、報道の自由だけでなく、韓国司法における民主主義をも後退させたと言わざるを得ない。

・そもそも大統領という公人が「個人の名誉」を理由に刑事裁判に訴えること自体に問題がある。私人としての朴槿恵さんに「個人の名誉」があるのはもちろんである。しかし、公人である大統領に「個人の名誉」があるかは疑問である。かりにあるとすれば、国民のための政治をまっとうして、その座を次期大統領に引き継ぐときに、国民の記憶に刻みこまれるものが大統領の名誉というものだ。民主主義の鏡である報道の自由を厚く保障し、どんな批判をも甘んじて受け止める器の大きな政治文化を築いた政治家を国民は名誉に思うのである。加藤氏によってそれが毀損されたなどと語るには、まだ早すぎる。

 以上です。

 ジャーナリズムの世界で活躍されている**さんの文章に手を加える失礼をしたことにお詫びします。参考にしていただければ、幸いです。今日の夕方以降、メール連絡ができます。明日であれば、夕方までは可能です。土曜日は終日パソコンの前にいます。