≪ 2019・4・10 掲載記事 ≫
艶歌ファンなら、誰もが知るテレビ歌謡番組出なくなって、久しい、歌手の、竹村こずえ。
2014年、「能登の海鳴り」で、CDデビューして、つい最近、6年目に突入した。
すでに、彼女について、初めて記事化した際も、デビュー曲の良さや、ヒットする可能性について言及したものではなく、まだ34歳にして、3人もの子持ちの母であることを明らかにし、その異色の経歴を前面に出してゆけば注目されて、良いのに・・・・・・という色合いのモノ。
歌にしても、デビュー曲に、さほどの、インパクトは感じられず。
むしろ、数々の、素人のど自慢荒らしで、名を馳せた、竹村こず恵(本名)らしく、昭和のヒット曲を歌わせたら、とても、上手く、さらに、自分のモノにしていることに、感心した。
だが彼女、プライベートは、かたくなに、一切、明らかにせず。
デビュー時、所属していた芸能事務所が倒産したことも、明らかにせず。
他のプロダクションへの、移籍紹介も、拒否。
なんと、産まれ故郷の、滋賀県栗東市(りっとうし)に、アパートの1室を借り、個人事務所をスタート。
なんと、実の兄が、職を辞めてまでして、妹のマネージャーをし始めてくれたことも、一切、明らかにせず。
マネージャーについては素人にも、関わらず、名前が艶歌ファンに知られている間に、確実に、金銭を手に入れようと、西日本を中心に、カラオケ・パブ、カラオケ設置してある居酒屋などを、うまくスケジュールを組み入れ、1日に数軒巡り、極めて効率的に、確実な、日銭を手にし続けてきた。
そのほかに、カラオケ教室の、お披露目コンサートや、素人自主CD発売歌手たちのコンサートや、企業慰安会や、祝賀パーティーの席上、「特別ゲスト」として、拍手に迎えられて、華麗に登場。
自分の曲や、先の誰もが知る、昭和・平成のヒット曲までも披露し、会場を去る時に、現ナマを手にしたり、振込みで、確実に、収入を得続けていた。
しかし・・・・・・
デビュー曲から始まり、ただの1曲も、いまだ、ヒットしていない。
さすがに、すでに、丸5年。
もはや、無名歌手の域に入り、お呼びが掛からなくなり始めていた。
そこで、満を持して、6年目に入る先月。
作曲者は、徳久広司。あの、自身が歌って、大ヒットした、「北へ帰ろう」で、知られた人物。
これまで、竹村こずえの出した曲は、すべて、どこかで耳にしたような、ありきたりの、メロディラインと、リズム。
インパクトも無く、印象にも、残らない曲ばっかりだったことは、売上げ結果が示している。
ひたむきに、歌い続けているのは、みてとれるけれど、いかんせん、演歌界の冬の時代も重なり、CD実売数、まったく、はじき出されていない。
しかし、だからこそ、この新曲には、実は、期待していた。
それだけに、初めて、MⅤを見て、聴いて、ガッカリ!
過日は、とんでもない白塗りお化けの、且つ、ブサイクな司会者のインタビューも絡む、早朝未明、午前5時からの、BSの歌謡番組も、録画しておいて、観た。
いくら、40歳にもなったとはいえ、この厚塗り白塗りに、のけぞり、やっぱり、ありきたりの演歌定番のメロディライン。
何度も聞き直したが、こりゃあ、この先も、しばらく、駄目だあ・・・・・・・と、痛感。
22歳の長女が、昨年秋、出産。
すでに、おばあちゃんに、なったとはいえ、このところの、ブログの写真も、加工処理した、のっぺらぼうの、白塗り、シワ皆無の、不自然なシロモノばかり並び、それが、逆に、老いを感じさせ始めた。
長女は、出来ちゃった結婚。まだ、そのあとに、20歳の次女。18歳の、長男もおり、とっくの昔に離婚した、シングル・マザーとしては、まだまだ、稼ぎまくる必要に、迫られている。
だから、というわけではないが、新曲発売後の、3月29日からは、この4月8日まで、関東各地のCD店舗や、このような、大型ショッピングセンターの、イベントが可能なフロアで歌う、キャンペーンを展開。
詰め掛けているのは、長年の、演歌&艶歌ファンの、中高老年の男女。買う、買わないは、別にして。
そのような人達が、冷えきった艶歌界の、底辺を辛くも、支えている。
一度、栗東に帰ったものの、再び、関東各地へ。 そして、いったん休んだあと、
再び、10連休めがけて、4月27日から、5月10日まで、関西を中心に、キャンペーンを再開。
結果、ヒットの兆しが、芽生えれば良い・・・・・のだが・・・・・・。
そして、なんと、彼女の身辺に、大きな転換が起こっていた。
先に書いた、栗東での、個人事務所。
「こずえ倶楽部」なる名称の、ファンクラブの、名簿整理、事務作業、広報誌の作成も、実は、こずえ自身が、取り仕切っていた。、
さらに、かつては、直接、ハナシを聞けた、こずえの母が、事務作業を手伝い、つい最近までは、知り合いのオバチャンンが、代わりに事務をしていたのだが・・・・。
この4月に入るや、大阪の、「昭和プロダクション」なる、芸能プロダクションに、移籍というべきか、自分の身柄を、預けた。
「こずえ倶楽部」までもだ。
その会社。その名の通り、昭和37年に創立。
令和に突入する今年で、57年目に入る。
主要タレントは、あの、「シークレット・ブーツ」で有名な、浜村淳や、知る人ぞ知る、キダ・タローくらいか。
あとは、全員、関東には、知られていない人ばかり。
が、そこに、なんと、入ったばかりのはずの、竹村こずえの、写真も無ければ、名前も無い。
ん?
幽霊タレントかい?
直接、職員に、聞いた。
「ああ、まだ、入れてないだけで、所属には、4月からなってます」
「入った経緯ですか? いや、知らされてません」
ギャラは、つぶれてしまった、最初のプロダクションのように、給料制なのか、それとも、入った仕事量に応じて、歩合で支払われる歩合制なのか?
「ああ、それは、うちは全員、タレントは、歩合制ですわ」
キャンペーンは、持ち出し。
所属するレコード会社の、日本クラウンが、交通費や、宿泊費を支払ってくれている・・・・はず。
関西での、これからのキャンペーンほぼ同様か、折半か。
今後のゲスト出演予定の、ラジオ番組など、その殆んどが大阪の放送局だ。
実は、これまで付いていてくれていた、実の兄は、マネージャーを辞めて、帰郷。母も、一切、手を出さず。
親子、兄妹間に、どのような感情のいきさつ、もつれがあったのかは、知らない。
新しいマネージャーと共に、今後は行動する、6年目の、いまだ売れない艶歌歌手、竹村こずえ。
わずか、5年。
しかし、もう、5年ともいえる。
おそらくだが・・・・・大阪のプロダクション近くに、賃貸マンションを借りてもらわねば、仕事の行き来に、支障をきたすであろう。
これまでは、兄が、交通費、カラオケ店を巡るため、各地で借りたりするレンタカー代、個人事務所の車で、遠方まで走らすためのガソリン代、やむなく泊まる、ビジネスホテル代金などの支出はあったものの、ギャラや、企業慰安会や、パーティのご祝儀など、全額丸々、こずえと、家族の儲けになっていた。
だが、これからは、交通費や、宿泊費、飲食費、衣裳代などは、新たなプロダクションが、持ってくれるであろうが、手に入るギャラの手取り分。
おそらく、良くて「昭和」7割、「竹村こずえ」3割。ヘタすると、2割。
大幅減額、収入が予想されるなか、時代は「平成」から、「令和」へと、移行。
「昭和」に、身を預けたのは、寄らば、大樹の影か。
平静でいられない毎日を送り、独り、ホテルや、寝起きするだけの為の、大阪のワンルーム・マンションで、40歳の、おばあちゃん。何、想う・・・・・・・・。
これぞ、「厳実」、演歌の世界。
涙にじむ顔を見る鏡に、向かい合わなければ、良いのだが・・・・・・・・
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