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<リアル 芸能&スポーツ ルポ>長嶋一茂のカネにまつわる、誰も知らないオハナシ,と、長嶋茂雄家の秘密

2022-09-07 08:46:32 | 視聴者が知らない、タレントの素顔

   《 2013・6・29 掲載記事 》

 ≪ 2017・10・8 再掲載記事 ≫

 《 2019・2・20 再再掲載記事 》

 通しタイトルに「芸能」を、入れて置きながら、カテゴリーは「スポーツ」に入れた。

 というのは、これから書く流れで、いつの間にか、「ミスター」と、キャツチまがいの名称が付いてしまった、長嶋茂雄とのことについても書くし、長嶋家のタブーとされる、隠され、秘められた存在となっている「長女」についても、触れるからだ。

  一茂に、インタビューをしたことは無い。

 しかし、一見、”ミスター”の軽~い息子のイメージがあるが、実はどっこい、あざといとさえ思えるくらい商売上手で、カネに細かい、しっかり者という裏の顔の評判は、聞いていた。

 それを、もろに見聞きしてしまったのは、数年前。

 品川にある新高輪プリンスホテルのロビー。というより、広い通路に 置かれたイスと机を前に、数人が、なにやら交渉をしている声が、聞こえてきた。

 

 見ると、長嶋一茂。そばに、女性マネージャーと、女性スタッフ。

 対応しているのは、メーカーか、広告代理店の男性、計2人。

 当初は、一茂の個人事務所の女性担当者が、代理店の男性と交渉していたが、らちがあかないとみた一茂自身が、それに割って入って、「お前、もういいよ。俺がやるから」と言うや、ガンガン交渉を始めた。

 意外や、短気。関西で言うところの「いらち」

 私は、すぐ横で聞いてると、まずいなと、判断。

 バッグを手に、柱の陰に隠れ、テープレコーダーを回して置いて、メモ。

 どうやら、テレビコマーシャルの仕事のようだ。絵コンテを広げて見せ、一茂のセリフも説明。納得しつつ聞いてる、一茂。

 一茂から、ズバリ 「で、いくらもらえるの?」の、かん高い声。

 料金、つまり、出演料も提示された。

 おっ! と、私も、身を乗り出した。

 ところが、「このくらいで、いかがでしょうか?」と言いながら、なんと代理店の男は紙に金額を書いてらあ・・・・・・

 あちゃあ! そ~ゆ~のが、やり方か。確かに、他の人には、バレない、見えない。

 一茂の顔を見ると、明らかに、不満そう。

 「せめて、このくらいにならない?」と、何やら書き込む。

 代理店は、拒否。

 な~るほど、これが噂に聞いてた、意外な一茂のカネの細かさの、まさに現場か。

 その後が、また興味深かった。

 「このコマーシャル。このようなアニメも画面で一茂さんと絡む、合成のシーンもあるんですが」と、代理店は説明。

 聴いてた一茂。

 「そいじゃさ、そいじゃさ。ボクは、こうやって協力するからさ、こうならない?」

 金額を、新たに乗せて書き込み、そこから一茂は1円も下げさせない雰囲気。

 双方、小声で話して・・・・・結局、一茂の言い値で、決着 !

 この男、カネには・・・・・・。思わず、心でうなった。

 「そいじゃさ」という、一茂の言い回しは、今も鮮明に覚えている。

 その年、2004年。父の茂雄が名誉・名目上の、まさに旗印と化す、アテネ・オリンピック出場と、その優勝に向かって、プロ野球選手が主体の「長嶋ジャパン」が、結成された。

 野球ファンの中には、ああ、とご記憶ある人も、いるはず。 

 

 というものの、その年の3月、茂雄は、今も続く「脳梗塞」発覚で入院。ヘッド・コーチは中畑清が、”代役”をつとめたのだが、ここで一茂は、親父の名前をフルに利用して、荒稼ぎした。

 次から次へと、長嶋ジャパンを盛り上げるイベントを立ち上げ、選手たちをさまざまな場へと、動員した。

 先のコマーシャル出演料の交渉のあと、この手のイベントの1つを、このホテルでも、一茂は行なった。

 入院し、闘病中で、手は動かしにくく、話しもしずらいはずの「父のコメント」も、次々と、一茂は、窓口となって、マスコミに流した。

 はあ?? ホンマかいな?  そう首を傾げつつ、一方で、ニヤリと見ていた。

 その後、しばらくして、映画のプロデュース業にも手を出し、武家の商法そのままに、大赤字を負った。

 その前後の2009年。現金が欲しかったのだろう。父に無断で、父・茂雄の記念品や、コレクターが欲しがる品の数々を売却してしまった。

  妹の、当時、テレビ朝日社員で、キャスターも時々していた長島三奈は、それを知って怒りまくり、兄妹の溝は、さらに深くなった。

 私は、父に無断で勝手に売り払ったそのコトを知った時、ああ、あの一茂ならやるだろうな。そう、思った。

 その三奈にしても、決して、評判が良いほうでは無い。男を、寄りつかせない顔と、態度は、徹底している。つい最近、45歳にもなったが、恋のお話しが、とんと出ない訳だ。

 取材現場で、何度か見かけた。例えば野球場で、スタジアムで。同じ記者仲間とは、まず話さない。

 カメラを向けようものなら、つんと、もろに嫌な顔をして、顔をそむけ、その場を立ち去る。意識過剰と、プライドが極めてお高いように、いつも見える。

 気さくさは、微塵もない。テレビで見せる笑顔とは、100%違う。それも、終始。

 番記者たちは、三奈を見かけると、軽く頭を下げて挨拶するが,親しく声はかけない。逆は殆んど、見かけない。そもそも、談笑も雑談も、しない。いわば、孤高のひと。

 自分がかつて選手として活躍し、全国にバドミントンを広めた陣内貴美子が、野球の取材によく来ていた時期がある。今は、原点に立ち戻ったかのように、日本バドミントン協会の広報と普及活動にチカラを注ぎ、大会のテレビ解説までこなしているが、彼女と、長島三奈とは、あまりに対照的だった。

 どこのスポーツ現場に行っても、常に自然な笑顔を絶やさない陣内。記者仲間からは、「陣ちゃん、元気?」「おう! 陣ちゃん」と、気さくに声を掛けられ、それに常に笑顔で応える彼女の姿が見られた。

 夫が、元プロ野球投手だった金石昭人というせいでは、あるまい。選手も、監督、コーチも、先に、「おお、陣ちゃん」「今日は、何? 誰に、話し聴くの?」と、ホントに気さくに声を掛けてたくらいだ。

 ちなみに、近年、金石夫妻は経営する鉄板焼き屋に、本腰を入れており、人柄もあってか、しばしばお店そのものが、テレビ番組で紹介されてるので、見かけた方もいるかもしれない。

 プロ野球選手たちは、むろん長島三奈に取材されると、まず受ける。三奈の背後に、父・茂雄が見えるから。威光が、ちらつくから。

 

 そう、いつも思ってしまう。

 三奈本人は、気付いていないかも知れない。父が偉大なる長嶋茂雄だから、相手や周囲が気を遣っていることを。

 もし、三奈が、ただの、一般のテレビ朝日契約社員(現在)なら、まったく違う対応をされるだろう。社内。局舎内でもだ。

 入社時から、父あっての、三奈に過ぎない。だから、採用された。周囲は、そう見ている。

 そんな、次女・三奈のことを、かつて、父・茂雄は古参の親しい記者に、こう目を細めて語っていた。

 「三奈がねえ、会社で出世してるようなんですよ」

 ところが、長嶋家は、”ミスター”のファンがイメージするような、仲良しファミリーでは、年々、無くなってきている。

 お金は、ある。もろ、富裕層。もろ、資産家。

 なにしろ、実家は田園調布。家は、平屋中心。だが、広いお庭付き。高い塀で囲まれている。

 1度でも訪ねた方は、いささか驚くだろう。数社の会社名のプレートが、郵便受け近くに、並んで貼り付けてあることに。

 有限会社としての体裁を整えた、いわば合法的節税のための会社だ。家族・一族総出の会社。

 取締役として、登記簿に名を連ねてある、ペーパー・カンパニーだ。

 

 一茂の金銭感覚も、これを歴史背景に考えると、透けて見えて、納得できなくも無い。

 家の警備システムは、かつてコマーシャルにも出た、セコム。

 思わず、笑ってしまったのは、長嶋茂雄を、何かとライバル視している、野村克也と、旧姓・伊東芳枝の家は、田園調布駅をはさんで、丁度反対側にあるのだが、なんと、そこもセコムに警備を委託していたこと

 反発心は、無いのかい!?

 しかし、まるで人に噛みつきそうな、大きく、やたら吠える犬がかつていたし、何もセコムにしなくても・・・・と、苦笑した。ついでに言うと、誤字脱字の、貼り紙があったのにも、笑えた。おそらく、芳枝の文字と思う。

 日本語は、不得意か。英語は、新橋のガード下で、外人の男相手に稼いでいたころから、得意だったと聞いてるが・・・・。

  さて、長嶋茂雄の子供は、4人。そう、4人。すべて健在・・・と、されている

  長男の一茂。次女の三奈。次男の正興。正興は、元カー・レーサーだ。事実上、5年前の2008年に、引退。

 今はなんと、兄妹との軋轢を、まるで避けるかのように、樹を育てる運動に参加したり、木工作家として、オモテに出ている。

 そして、もう1人。長女の有希

 彼女は、幼いころは家族写真に納まっており、いくつかマスコミに公開された写真の中でも、父・茂雄のそばで、幸せそうな、その顔を見ることが、できる。

 ところが、高校生の頃から、ぷっつりと、その顔を公開された写真の中では、見ることが出来ない。むろん、行方不明になったわけではない。

 

 後年、囁かれたのが、精神を病んでいるというハナシ。

 実家には、ずっといる。勤めた経験は、ないと聞いている。

 しかし、親しい、家にまで出入りできる記者や、深いお付き合いのある人以外、その姿を見た者は、いない。

 別に、ミステリーを書こうというのでは、ない。

 何人かの、脳梗塞になる前の茂雄と、ごく親しくしている記者に、茂雄の近況や、秘話を聞いた後、有希のことをぶつけてみた。

 そのとたん、皆、一様に顔を曇らし、眉間にしわを寄せ、嫌な顔をする。

 何しろ、”ミスター”と、ごく親しいということで、ステータスを保っている方々。そのことが、プライドと、なっている、諸先輩の方々。

 ミスターの近況を聞くうちは、胸張って、どことなくエラソーにしている。ところが、有希のこととになると、気色ばみ、ホントに重いクチに。

 「・・・・・・書くの? やめなよ。ミスターが、いやがるぜ」

 「あまり、俺、詳しくないんだ」

 「知らないよ!」

 みんながみんな。記者という以上に、心からの、長嶋茂雄の大フアン。だけに、ますます、知らせないし、語らない。

 タブー視されているということは、そういう意味で、本当だ。

 ただ、それでも食い下がったうえで、分かったのは、本当に噂通り、精神を何らかの理由で病んでいるということ。

 しかし、長期に病院に入院しなければならないほど、重症ではない。その原因は、分からない。ミスターが、語らない以上、こちらも聞けない。

 見た目は、フツー。日常生活も、営める。食べていけるから、働いてもいない。ミスターは、気にかけているから、おいそれと、こちらも、詳しく聞けない。ご機嫌を損ねて、長年、やっと築き上げた、良い関係を、そんなことで、壊したくない。

 つなぎ合わせていくと、そのように、まとめられる。

 しかし、コレ、言って見れば、あくまで”間接的”な情報。

 幼い頃の面影を、頭に刷り込んで、ある時、しばらくの間、田園調布へ通った。

 張り込み、というほどのものではないが、家の周辺で、出入り口が見えるところに佇み、時には歩き、ひと目、有希を見かけたら、タイミングさえよければ、声をかけて立ち話を、してみようと考えていた。

 結論をいうと、ただの1度も、見かけることは無かった。

  その頃は、亜希子夫人も、家にいた。

 その頃は、というのは、そののち、茂雄が脳梗塞で倒れ、入院。

 看病はしていたものの、茂雄が退院して、家に戻ってきてから、しばらくして、夫人は、田園調布の家を出ている。

 それも、長女・有希を連れて・・・・・。

 都心の、リバーサイドの、バリアフリーのある高層マンションが、母子2人の住まいとなった。

 自らの名前の、1文字、「希」をつけたほどのこともあり、初めて産んだ女の子ということも手伝い、溺愛していたと思われる。

 また、家からは、その時、すでにとっくに一茂も三奈も、家を出て、独立しており、有希を1人、家に残すのは、忍びなかったようだ。

 しかし、社会的反響も考慮してか、別居はしても、離婚の問題は何一つ、表面化していない。

 単なる熟年離婚的なモノだったのか、その原因は、親しい古参記者も誰一人として知らない。聞けてない。

 一般人の家庭なら、財産分与も、そう大変なことはないが、家族でペーパー・カンパニーを、それも子供たちも取締役に名を連ねており、「離婚」となると、大変複雑なことになる。

 長らく膠原病(こうげんびょう)を患っていたと言われるが、定かではない、

 夫人が64歳という若さで、他界した時、寄り添っていたのは、長女の有希だけ。

 一茂が、社会的体面を保つため、その当時、いろいろ言っているが、何一つとして、裏の取れないことばかり。

 葬式は、なんと非公開の極みの、密葬、家族葬。

 結婚式の時の、国民的華やかさに較べ、極めて寂しく、首を傾げることばかりが、続いた。

 

 三奈と、一茂の不仲に加え、なんと2年半前には、ペーパーカンパニーの「オフィス エヌ」の代表取締役になっていた亡き母に代わって、その任に就いた三奈が、平取締役に過ぎない姉の有希を解任。

 有希は、もう50歳前後。亡き母への世話と、その想いの開きは大きい。

 この、ミスターの子供たちの、ギスギスとした不仲ぶりは、巨額のお金が、今後も複雑怪奇に絡むだけに、気になるところだ。

 ちなみに、茂雄の世話は、亜希子夫人がいた時から、事務や、なにくれとなく雑務をこなす、茂雄の信頼の厚い中年男性が、常駐して対応している。クチは、堅い。

 そして、通いの家政婦がいる。必要があれば、泊まりもいとわず、食事、掃除、洗濯、買い出し、介助、すべてをこなしている。

 インターホンを押すと、たまに出るが、何を聞いても、「私には、何も分かりません。失礼します」

 そう、オウム返しのように言って、ブチッ! と、切る。2度目は、いくら押しても出ない。応答は、無い。

 ちなみに、さまざまな取材データから、有希は、母亡きあとも、実家へは戻らぬまま、1人で、暮らしていると言う。

 別に、家族の不仲というのは、有名人家庭に限らず、どこの一般家庭でも、起こりうること。

 とはいえ、そこは、国民栄誉賞を、松井秀喜と共に、受けた人気者、ミスター 長嶋茂雄に、まつわるオハナシ。

 個人情報だから、シーッ と、クチに指を当てるわけにもいかない。

 それにしても、不可思議。

 読売巨人軍に、監督として、1度ならず、2度までも、クビを切られた男が、「終身名誉監督」という、まことにもって、理解しがたい幻の地位に、おそらく死ぬまで、祭り上げられている、おかしさ。

 一方で、父子の不仲を象徴するかのように、一茂は、球団では、閑職の、有名無実の「アドバイザー」なるシロモノに押しのけられた。

 「そいじゃさ、そいじゃさ」で、交渉しても、何ともならない身分。

 関西ヤクザに扮した映画も、不入り。

 長嶋家の崩壊は、とどまるところを知らない・・・・・・・・

 

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 《 2017・10・8 追記 》

 一時期、この記事がすごい勢いで、多くの人に読まれたことが有る。なので、一読した記憶がある人が、いるであろうと想う。

 ただし、その時は、文字だけで、写真は添付していなかったが。

 そんな4年以上前の記事を、なんで今になって?と。

 実は先程、テレビの番組で、この長嶋一茂が、「父が亡くなった後? ボクは、もう財産放棄しましたから。残る3人で、父の財産を3等分することが、決まってます」

 そう、発言したという。

 そうか、と・・・・・・・・・。

 記事化したように、一茂は、父・茂雄の名前を利用して、さんざん稼ぎまくったうえ、家の物まで売るために、無断で持ち出し、売却した。

 そんなことで、三奈や父の怒りをかい、結局、財産放棄をせざるを得なくなったということか。

 法的にも、代理人をたてて、茂雄の死後も、もめないように署名・捺印をさせたのであろう。

 にしても、この発言により、長女であり、一番、母の亜希子を愛していた、有希が存命であることが分かり、どこかホッとしている。

 

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 ≪ 2018・8・9 追記 ≫

 長嶋茂雄。報道されているより、病状は重いと、聞いている。

 もしも、の時の「財産分与」。

 記事でも触れた、すったもんだあったこともあり、一茂は「財産分与、一切求めない」との書面に、すでに数年前にサインしたことを、公言している。

 その巨額の遺産の大半を、三奈が手にすることになりそうです。

 他2人にも、むろん、少なからず、渡しはしますが・・・・・・

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≪ 2021・12・10 追記 ≫

 急に、この記事に検索が、昨日、集中

 ん?

 ナニが、怒った、否、起こった?

 週刊文春で、一茂が、父の茂雄に、13年間、会っていないとの表題の記事関連で、読まれたようだ。

 内容は、私、8年半も前に、この記事で挙げていたことの焼き直しと、確認、そして、一茂本人への追撃、直撃

 有料でしか、その部分、読めないよようだが、コンビニの立ち読みで、読むといい

 まあ、一茂の本性が露わになった答え方

 訴えをちらつかせてさあ・・・・

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 【 2022・ 9・7 緊急追記】

 9月6日

 長嶋茂雄が、緊急搬送された

 国民の多くが、無事を祈る・・・・という言葉に、値する人物、国民のヒーローだった人物

 一方、8年8か月、そーりをやったところで、それは、国民の支持を得たからではなく、権謀術数を駆使して、居座り、ただただ、マスクで、少し隠し、私腹を肥やした悪党だった

 軽薄な妻と、歴代最高の回数を、ただで海外旅行を、国民の税金で楽しんだやつ

 国葬に、事実上、30億円以上使うのなら、長嶋茂雄が、もっとも、ふさわしい