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< リアル 北朝鮮拉致被害者 ルポ  2017 第1弾 > 日本国民の誰にも知らされていない、隠され続けた、衝撃の真実! 拉致始まって40年目の今、報じられたコトの無い事実を書く!

2022-09-17 21:26:12 | ニュース

 【 2020・7・11 掲載記事 】

 先程、地村保志(ちむら やすし)の父の、保(たもつ)が、他界したことを、知った。

 さほどの、感慨はない・・・・・。

  このような、「涙にくれた、感動の再会」を、まだ記憶している人も、いることだろう。

 どうしてか?

 それは、この長文の後段を、読んで戴ければ、お分かりになるであろう。

 「運動」の、歴史と、その後の実態に興味のある方は、お読み戴きたい。

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 ≪ 2017・8・19 掲載記事 ≫

 ≪ 2019・7・2 再掲載 ≫

 わたくしの、北朝鮮拉致問題&事件について、どこも書いていない記事。

 例えば、曽我ひとみと、母ミヨシ(写真左下)拉致の際の隠された事実も含め、その家族のことなど、書いていたのだが、検索する人が3日と絶えたことが無い。

  ひとみ自身は、このように全国各地を巡って、母ミヨシを救出して欲しい!と、講演会や集会で、今も、ただ独り、訴え続けている。

 帰国後、歯もすべて治し、矯正した。

 当初は、つたなかったしゃべりにも、すっかり慣れ、上手くなり、説得力も増してきた。 カラダも、これ以上なく、太った。

  

 署名運動も、四季を通じて、自身が住む佐渡ヶ島を軸に、全国各地に赴き、積極的に行なっている。

 諸経費は、全額支給されている。

 間に、老人介護ヘルパーや指導員の仕事も行なっている。

 のちに書くが、蓮池夫妻、地村夫妻、そして曽我ひとみ。日本に帰還した当初の5人のうち、継続して、それを行ない続けているのは、彼女だけだ。

  

 だが、彼女の娘2人は、母の母国へ、父と来て以来、ただの1度も公的な場でしゃべらず、母の署名運動も、まったく手伝ったことはない。

 いったい、日本人で拉致されたままの人達について、どういう想いでいるのであろうか?

  

 せめて、北朝鮮と言う、まったく体制も、何もかにも「異国」での暮らしを、すべて、いまだ帰還出来ていない、拉致されて救出を求めている日本人を待ち続ける老齢の家族に告白すれば、何かの手がかりにもなると思われるのに、いまだに、まったくしていないまま。

 母である曽我ひとみも、それをうながしてもいない。

 例え、父から、祖母のミヨシという人は、母のひとみが一生懸命に無事帰国を訴えてはいるけれど、本当のところは、船の甲板から袋ごと海へ突き落とされたんだよ、と聞かされていた、にせよ!だ。

 すでに知られていることだが、ジェンキンスは米軍基地から、自分の意思で泥酔したまま脱走し、北朝鮮に亡命した兵士だ。

 2004年、日本へ娘の長女の美花、次女のブリンダとともに、脱走兵でもあり、政治的配慮から、他国を経由して、遠回りして日本へ来た。

 その後、ジェンキンスは、老いた自分の母にひと目会いたさに訪米。

 石持て投げつけられるが如く、冷たい視線を浴びて以来、アメリカの地を2度と踏めない「裏切り者」の烙印を米国から、押された。

 当時の大統領がトランプだったら、怒り狂い、縛り首の死刑にしていたかもしれない。

 本来であれば、米軍の刑務所に投獄される身。だが、妻が、拉致被害者ということで、「超法規的措置」で逮捕拘留されず、日本だけに住めている身。

 再び、アメリカに渡ることは、永久に不可能だ。

 美花とブリンダは、佐渡ヶ島に住む父母と離れ、新潟の大学を2人とも卒業。わがままな性格で、日本人とうまく折り合わず、職をいくつか変わった。

 今は両親と共に佐渡ヶ島に住んでいるが、すでに、ともに30歳代。

 今は支給されなくなったが、近年まで原資は我々の税金が、政府の「拉致問題対策本部」から、さまざまな名目で支給されていたというのに・・・・・。

 そして「夫」たるジェンキンスは、相変わらず酒浸り、酒乱

  以前、佐渡ヶ島観光の売店で週に数日だけ、アルバイトの売り子をしていたが、まもなく77歳を迎える老人であり、すでに仕事はもうしていない。

 酒浸りの生活の影響による病の、俗にいうアルコール依存症の治療もあり、政府支給の「生活給付金」の継続を、ひとみは訴えていた。

 だが、それは一昨年打ち切られ、60歳になった曽我、蓮池、地村両夫妻ら、日本人のみに、事実上の年金にあたる、月々5万円、1人当たり年額60万円が、それぞれに国から振り込まれている。

 積み立てたものではないが、国から直接、死ぬまで受け取れる。ジェンキンスの母国はアメリカのため、渡されていない。

 日本人の夫の米国人としての扱いになっている。

 そんな曽我家の今も含め、少なからず、誰かが関心は抱き続けている・・・ようだ。おそらく、真実、ないしは、せめて事実が、知りたいのであろうと、想う。

 そう書けるほど、隠されていること、良く分からない、知らされていないのではないか!?、と思うほかないことが多すぎるからだ。

 取材を重ねている私でさえ、そう痛感するのだから、何も知らされていない国民にとっては、そうであろう、と想う。

 長年にわたる取材の積み重ねで、相当長文になりそうなのと、チカラ足らずの構成になりそうなので、構成うんぬんよりも、ありのままを書き連ねてゆくつもりでいます。

 時代は、多少前後してるのは、お許し願いたい。

 したり顔の論文にはするつもりは、ありません。

 なるべく、分かりやすく書いて、打っていきます。

 おそらく、3弾くらいに分けて書くことになると思います。

 長いと、読者がだれて、読み進む気が無くなってくるはずなので・・・・。

 さて、北朝鮮による、日本人拉致事件被害者の帰還切望運動と、活動。

 ただただ、早く返して! 一日も、早く!と、無力で、本気でやる気がない政府や、国民の気運頼みで訴えるだけ。10年1日の如く、それを繰り返してるだけ。

 そんなニュースが、定期的に、ゾンビの如く、甦っては流されるだけ。だが、それを扱うテレビ局も、地方局も含め、年ごとに激減しつつある。

 それでなくとも、国民の誰もが感じているであろうが、北朝鮮のミサイル発射相次ぐなか、正直申し上げて、日本国 対 北朝鮮という国家間のなかで、いまだ北朝鮮に拉致され、拘束生活を余儀なくされている人達は、永久に帰国は出来ない。

 もはや、このコトは、残念だが、動かしがたい事実です。

 「対話」と、「圧力」という、バカバカしいこと、この上も無い理屈で、何か成るほど、コトは簡単な問題ではない

  折りしも今年、2017年は、女児だった「横田めぐみ」が、日本海を臨む新潟県で行方不明になってから40年目を迎えるのだという。

 それが、「日本人が、北朝鮮の手によって拉致され始めた、最初の国家的誘拐事件」と、認定されている。

  折りに触れて、彼女が成人した写真が公開され、確かに、自分の意思で北朝鮮に行ったのではなく、北朝鮮によって拉致されたことは、ほぼ間違いない、と想われる。

 が、警察は両親、兄弟の訴えを無視。今もって、成果がある突っ込んだ捜査は、まるで、されていないままだ。

 これは、その後の拉致された人の親族の訴えも、同様だった。それが、まず、拉致事件の解明を遅らせた最大の原因。

 怠慢以前の、見殺し。スタートが、それだった

 加えて、拉致奪還の象徴でもあった「ブルーリボン」。

  (ピンバッジに形どったもの。付けているのは、安倍晋三)

 いかにも、「家族会」「救う会」の要請を受けて、募金運動をしている・・・・かのように装った大規模詐欺集団が、いくつも出てきた。

 テレビのニュースワイドショーでも、それを追い、わたしも徹底追撃記事を何度も載せながら、会のメンバーに進言した。

 「訴えないんですか? ダマしているんですよ!」

 ところが・・・・・何もしなかった。忙しかった? それどころじゃ無い、かも知れなかったが、結果、詐欺集団は、巨額のカネを手に、逃げおおせた。誰も逮捕どころか、事情聴取すら、受けていない。

 いったい、この「会」って、もしかして、「怪」?か。

 今年の1月5日、新宿のデパートで「横田滋 写真展」が開催開始。めぐみの父である滋(しげる)が撮った、家族のスナップ写真が拡大され、額に入れ並べられていた。

   会場には、都知事に就任して以来、案件すべて、「大山鳴動して、子ネズミ1匹」の、それも全く実効性の無い、あいまいにしたまま放り出し、パー・アホー・マンス大好きな、タヌキ目厚化粧垂れ目女の小池百合子も現れた。

 めぐみの母・早紀江が、池上彰と、対談的なことを行ない(写真左下)、一刻も早くめぐみを返して欲しいむね、いつものようにクチにした。

 撮影者の滋も来場し、マスコミのカメラに収まったものの、昨年より増して、脳梗塞の症状なのか、しゃべりが少しづつ、つたなく、止まり、詰まり、日ごとにおかしくなってきており、対談には、加わらなかった。

  だが・・・・・かつて、確かにあったように感じられた、国民的気運は、すでに消え去っていた。

 今、すべての取材を終えて、確信する。

 ソレが、再び高まることは、永遠に無い、と。

 それは、待ちわびる家族や、戻ってきた拉致被害者たち当人と、その家族や親族、そして、支援する会などの、理解しがたい言動が、さらにソレに拍車をかけているからに他ならない

  例えば、昨年私が報じた、モンゴルのウランバートルで、「めぐみの娘だと、北朝鮮が言う公称女性」と、「めぐみの孫と公称される赤ん坊・女児」と秘かに密会。

 その写真が、バリバリの元・共産党員の有田芳生(よしふ)現・議員によって公表された。

  ところが、そういう、いわば「証拠」が出たにも関わらず、横田夫妻は、「この件については、どなたとの取材にも、質問にもお答えしません。今後も、死ぬまで永遠にです」と、文面でコメント。

 この写真にまつわる出来事は、アッという間に、消え去ってしまったこともあり、多くの人にまで知られていない。

 横田夫妻は、他の家族にも、まったくクチを閉ざしして話していない。

 調査会や救う会のスタッフにすら、事情を打ち明けていない。

 皆、どこかで疑心暗鬼にかられ、互いを心から信用しなくなっていた

 有田の方は、議員事務所へ問い合わせると、本人は終日外出。

 当時の事情を何も知らないと言う、つたない第二秘書のネーチャン。役立たずの極み。んなのにも、我々の税金が、給与として支払われているかと思うと、やりきれない。

 横田夫妻、そして有田。怪しい裏側が、満ち満ちている。

 ともに事実を語ろうともしない人間たちの、叫びや訴えに、誰が協力するであろうか・・・・・・・・・・。

 この「写真展」開催の日も、横田夫妻は、その点については、やはり、一切クチをつぐんだ。

 まさか、会って、写真だけ撮って、はい、さよなら、ではないはず。ましてや、自称「孫、ひ孫娘」との対面は、北朝鮮の空港内に続いて、2度目。

 3度目?、かも知れぬ再会、もしくは再再会の、その経緯。どちらからの呼びかけだったのか? 

 だれが、どう、連絡を取り合ったのか? その背景は?

 いつ、どのようにして会ったのか? 

 何分、何日、会えて、どのような会話が出来たのか?

 めぐみの今について、どのようなことが許可され、どのようなことを問いただし、どのようなことが答えられなかったのか? 

 今後の約束は? 

 逢えるルートが存在するのか?

 それらの内容など、誰もが「事実」を知りたいところ。

 政府にだけでなく、国民にも、この40年余り、必死になって呼びかけてきた夫妻の責任上、絶対に答える「義務」があるはず。

 ところが・・・・・・このザマ、このおかしさ、この不可思議さ。

 当人が、隠し続ける。

 それでいて、この1月5日もまた、「(めぐみが)どんなね、生活をしているのか? 話して欲しい!」と、母。

 なんとも、はや・・・・・・あきれ果てるほか無い。

 会場には、冬でもあり、気のせいか、冷たい風が吹き抜けていた

 曽我ひとみら、まだ5人が帰還せず、運動と呼びかけに、少なからず、国が盛り上がった時期。

 拉致されたとされる家族たちは、それぞれ、思想は右もいれば、左もいた。だが、極右や、極左はいなかった。共産党系の幹部は金銭疑惑を持たれ、疑惑を作られ、問答無用、クビになった。

 家族ら、細かな考えは、聞いてみると、各自バラバラ。だが、1日も早く帰還、帰国して欲しい!という一念だけは、当時は! 同じであった。

 そのたった1点だけで、辛くも、いつ切れるか分からぬ細い糸ながら、ほつれながらも、会と家族は、まとまっていた。

 拉致されたと疑われる人たちの人数は、およそ、100人以上。だが、近年、実は自分の意思で行方不明になっていたと判明した人達が、ぽつぽつと出始め、その人数はもちろんのこと、真実味すら、かなり怪しくなってきた。

 また、その拉致の「別枠」に挙げられ続けている、新潟県の寺崎家の3人と、その母は、この家族会には一切入らず、関わらず。

 独自のルートで、母は自ら北朝鮮に出向き、息子や、その家族に幾度となく、欲しいと求められた、たくさんの手土産を持って、孫にまで逢いに行っている。また、その逆もあった。

 そのような「家族会」。

 かつて、国民気運が高まりつつあったころ。

 集まるのは、東京。全国各地から各自やって来たのだったが、それに要する交通費、滞在費、宿泊費は、すべて自腹。

 都営地下鉄の、とある駅の改札口を出て、1分足らず。雨や雪が降っていても、地上出口からすぐのビルで行われ、取材陣も助かった。

 総員の家族会議が終わったあとは、記者会見室に早変わりする会議室の使用代、同じビルの中にあるホテル的部屋代も、とても通常より安かった。

 だが、曽我ひとみの家族だけは、来られなかった、行けなかった。

 すでに書いたが、は俗に言うアルコール中毒で体調が、日々不安定のうえ、仕事も有り、とても人前に出て、しゃべられる状況ではなかった。

 ひとみのも、仕事と、父の面倒を看てたうえ、金銭面でも、上京し宿泊代を捻出するのは、厳しかった。

  やがて・・・・・小泉純一郎を名目とする水面下の裏交渉と下交渉の末の産物として、5人が無事帰還出来た。

 そのとたん!  帰還出来た、その5人の父母や、兄妹らは、時おかずして、会合に欠席相次ぎ、ついには来なくなった。

 自分たちさえ良ければ、あとは知~~らない。私達、もう関係無いもんね!

 言葉にこそ出さないが、そういうことだった。

 目の前で、極めて分かりやすい人間のホンネと、あからさまな汚さ、身勝手さを見せつけられた。

 なんとか結束らしきモノを対外的に示そうとしたのか、夫婦計4人の親戚筋の人が名目的に、家族会の要職に就いたが、毎回は来ない。

  ついには、拉致問題で、テレビに数多くコメンテーターとして出演。その名をはせていた、なまずヒゲの蓮池透も、要職辞して、脱会。

 とある週刊誌には、「蓮池透は、クビにされた」むね載っていた。

 クビか、自分から辞めたいといったのか、定かではないが、当初から会の中では浮いていたし、他の人間との意見の食い違いは大きかった。

 なるべくしてなった成り行き、と言えた。

  ましてや、自分の兄弟である、「蓮池薫」は、帰還。彼の妻も、子ども2人すらも、帰国。

  地村保志も、子供たちは、同じく戻ってきた。

 以来、戻ってきた2家族の父母兄弟すべて、残る数多い他人のための帰還要求運動に、すっかりやる気を無くしていた。

 自分さえ、自分たちさえ良ければ、他人の悲しみなんぞ、知ったこっちゃない!あと、帰られない人達のことは、知~らない。

 それが、露骨に見て取れた日々。ソレは、今に至るも同じ。

 個人的には、身勝手で、ひどい人達だなあ・・・・と想う。自分が、残されている拉致被害者の家族だったらと思うと、なおさらだ。

 北朝鮮での暮らしぶり。そこから、いまだ残って、身柄拘束されている人達がいる・・・・・とすれば、せめて、あらいざらい、自分の知っていることを、しゃべってくれてもいいと想うが、実は、それすらも行なわれていない。

  いまだに、だ。

 それが、救出出来うる、何らかのヒントになるかも知れないのに・・・・・。

 実は、地村夫妻にその疑いは薄いのだが、「先生」と呼ばせていた蓮池薫を、ホンネをいうと、いまだ支援運動をしている方々は疑っている。信用、まるでしていない、

 マジで、二重スパイと、信じて疑わないままでいる。その言動は、疑えばきりがないほどだ。

  昨年9月、蓮池薫は、上京し、単独で「講演会」を行なっている

 そこで、こう言ってのけた。

 「拉致された人達が、今、どこでどうしているのか? 分かっているんですよ、本当は。でも、この国は救出しようともしない」

 「簡単ですよ、救い出すのは。わたし? もちろん、分かっていますよ」

 ・・・・・・・聴いてて想った、分かっているのは、お前だけだろうが!と。

 ならば、そのことを、待ちわびてやまない家族の人達に会って話せば良い・・・・・のだが、蓮池薫「先生」は、帰国、帰還後、ただの一度も話していない。

 そして・・・・・その翌日。

  事実上政府主導の、会場経費もすべて国持ちの、その名も「国民大集会」が、国民に広く知らせることなく、わずか700人足らずの国民を集めて、都心で開かれた。

 だが・・・・・その場に、蓮池薫は来ず。

 前日に蓮池薫が都内にいて、講演会をしていたことすら、家族会も救う会の誰一人として知らないままでいた。

 「だったら、ココに来て欲しかった」と、誰一人として、クチにしなかった。

 唯一参加し続けている曽我ひとみの心のなかでも、国主導の運動のむなしさに、気も引けつつある。

 溝は、深い。不審、不信、疑心暗鬼が漂ったままだ。

 ミサイルのコトを、抜きにしてもだ。そのまま、こんにちに至っている。

 家族会の事務職員の対応ぶりは、とてもひどい。横柄を越えて、何も国民の疑問に答えず、真摯に話そうともしない。

 それでいて、救出に協力を!と言う。

 救う会の人間が、調査会の人間が、眉をひそめ、注意、助言しても、なんら、変える気はない、反省する気がないようですと、もらす。

 ココもまた、溝は深まるばかりだ。

 一枚岩は、とっくの昔のオハナシと言っていい。

 

 5人が帰還した、その直後。

  実は、公安当局が、蓮池夫妻、地村夫妻、そして曽我ひとみにベタ張りし、北朝鮮での暮らしや、収容されていた施設の全体像、転居したところ、日本人拉致被害者の情報、どこで、いつ、誰を見かけた、いつ、話せた? 見張っている人間の全体像、政府の動き、その内容、人民の暮らしぶりなど

 ありとあらゆることを、図にも詳細に書かせ、記憶を喚起させて、情報収集しまくっていた。

 地村夫妻から、「先生」と呼ばれ、一目置かれていた蓮池薫。どうして、「先生」なのか? 一体、ナニを「指導」し、「教えて」いたのか?

 聞きたかった。

 その間隙をぬって、蓮池薫に近寄り、話しを聞こうとしたが、公安当局の男たちに制止されまくった。

 その公安が知り得た情報は、今に至っても、一切、公表されず、公表する気もないようだ。

 何一つ、役立っていない。ただ、公安が、仕舞い込むだけ。「調査会」にも、教えていないという。

 むろん、その当時、北朝鮮政府から、日本でスパイ活動をして、ソレを暗号化して送るようにと指令を受けて、母国に戻ってきた蓮池薫が、敵対する公安に、どこまで正しく、正直に話したか? 

 それもまた、大きな疑問ではある。

 それもあり、その後、長年に渡って、5人には、公安と地元、新潟県警と福井県警の見張りとガードが付いていた。

 そのため、わたしは、近寄ることすら出来にくくなった。

 そんな「特別な方々」は、なんと、家族会、救う会、調査会の人達にすら、洗いざらい話してもいない。

 会の方も、5人の境遇に気遣って、あえて本人が話したくなるまでは、一切聞かないというようになってしまった。

 疑いも、当時から、内心あった。

 運動が、進展するわけは無い。救い出す、ヒントにもならない。

 その後、生活が落ち着き始めた曽我ひとみだけが、集会などに単独参加。自分のことなども、そこで話し始めた。

 もちろん、母のミヨシを返して!と叫ぶことも、忘れずにだが。

 その後、曽我の娘らをはじめ、地村、蓮池の子供たちも帰還・帰国したが、おざなりな写真撮影には応じたが、一切、生活の事情は話させず。

 いまだ、非協力のままの、日本国民であって、どこか日本国民では無い、特別な存在のままの方々。

 ますます、隠す、非協力に拍車が掛かっている。

 署名運動に参加するのも、曽我ひとみだけだった。

 地村保志は、帰還後、しばらくして、故郷の福井県小浜市(おばまし)にある「小浜市役所」に勤務。

 一切、拉致については周囲には公式には語らず。周囲も、気遣って、聞かぬまま時は過ぎ去った。

  昨年の3月31日付けで、定年退職。

 その後から、ようやく、拉致について、集会などに参加。挙手して発言し出した。

  友人が今もって行ない続けていた署名運動にも、自分の意思で参加し始めた。

 だが、彼だけ。妻も、子供も不参加。

 娘は、地元の金融機関に就職しているが、北朝鮮での暮らしぶり、他の日本人との付き合いについて、いまだに一切話さず、クチをつぐんでいる。

 子どもの時に「日本国」に来はしたが、当時、自分は北朝鮮人だと想っていて、父母も一切日本語は話さず。

 だから、日本に来てから、子ども達は、日本語を一から学んだという。

 今は、地村、蓮池。そして、曽我ひとみの2人の娘ら、3家族の子は日本語を自由に話せる。

 だが、他の日本人帰還運動には一切、協力はしていない。

 仕事はせず、自由な時間は出来たはずなのに、昨年9月に東京で行われた先の「国民大集会」には、地村夫妻も参加していない。

 理由は・・・・・・語っていない。

 蓮池薫は、夫妻ともども、署名活動はしていない。自分たち家族さえ日本で幸せならば、他人は関係ないということだ。

 では、その署名された大量の用紙は、どこに送られているのか?

 「こちらの倉庫かなあ?」

 そう答えたのは、内閣府のなかにある「拉致問題対策本部」の職員。

 捨てられていなければ、用紙がぎっしり入った段ボール箱が、うず高く積まれているはず。

 届けなければいけないようなところは、実は、無い。北朝鮮が、受け取るわけも、ない。まるで、漫画。届けたいと言う、その努力も、まったくしていない

 例えば・・・・・人物的には大きな問題があるものの、アントニオ猪木。現・議員。

  格闘技の興行を北朝鮮でやりたいということから、つながった稀有なライン。いまや、自由に全議員のなかで、唯一、行き来し、キムにも会えている身。

 どのようにして? とか、拉致被害者に会える手だて、キッカケはないものか? 生きているのか、どうか?など、猪木を通じてか、ルートを利用して?とか、働きかけ・・・・・まったく、していなかった。

 3つの会も、対策会議・本部もだ。

 そのための検討会議すら、していなかった。

 この本部、先述した通り、職員たちが認める、各省庁から集められた「寄せ集め」。

 全員で何人いるんですか?

 「ええと・・・・・・ちょっと、お待ちください」

 仕方ない。待つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 5分も待たせて、やっと「ええと。20人から、30人くらいです」

 このラフさ、テキトーさ。

 コレを聞き出すだけで、時間が掛かる、いつもいつも長い時間が、だ。

 公開してもかまわない、あたりまえのことすら知らない。管理情報が、統一されていない。やる気がない。

 これでも、官僚候補生。税金の、無駄遣いの典型部署。

 で、なぜか??毎年、9億円以上が、費やされ、闇に消えていっている。

 巨額の、とんでもない使い道は、第2弾で書きます、運動の、舞台化の、高額助成金などに、垂れ流されており、おそらく、皆があきれ果てるはずです。

 なにしろ、寄せ集めと、烏合の衆。「寄せ集め」そのものを、職員は誰もが、否定はしない。政府も、その程度の安易極まりない姿勢で、看板を掲げて来た。

 歴代の看板担当者。

   例えば、中山恭子に、山谷えり子

 その政治的主張は、歪んだ愛国一筋。北朝鮮から見れば、「お前ら。ケンカ売っとんのか!」という、思想や考え方のオヒトばかりが、任ぜられてきた。

 中山なんぞ、その意見をオモテにむき出しにする党首になってしまった。

 この政府の神経と、疑われる本気度・・・・・・・。

 それをまの当たりに痛感したのが、先の5人が無事、20数年ぶりに帰還した、その日の、いわば喜びの晴れがましい記者会見。

 いままで、100人も詰め掛ければ一杯になった、1日借り切っても6万円の、家族会&救う会&調査会の合同一体記者会見場の、先のビル内会議室代金。

 それが、一気に、2時間で200万円に!

 会場は、赤坂プリンスホテルの地下宴会場。

 受付に、その寄せ集め職員がいるにはいたが、テキパキのテも無い。

 ただただ、ぼ~っ!と、立っているだけ。

 ---何してるの?

 「いや・・・・・マニュアルが無いもんですから・・・・。ナニをすれば良いのか、分からなくって・・・・。言われれば、動きますけれど」

 指示待ち族の典型。マニュアルが無ければ、動くことが出来ない。

 各省庁で、とても使い物にならない職員を寄せて、かき集めた「拉致問題対策会議」の実態に・・・・・・。

 ソレを見てとった、3つの会のスタッフが、手慣れた感じで受付と、詰め掛けた数100人の報道陣の整理をこなしていた。

 会場費や、光熱費、イス、机などの設置代の雑費などは、この「拉致・・」払い。つまり、我々の全額税金。

 それ以降、現在に至るまで、もう・・・・ただ、カネだけ出す機関に。

 昨年9月の「国民大集会」でも、会場費は、税金でまかなわれた。

 ただただ、公務員は税金をいかに使い切るしか考えない。なんとか、無駄遣いを減らそうなどとは、考えない。

 [ 第1弾 とりあえず、終わり] 

 

 

 

 

 


【 リアル 高校野球 ルポ 】芝草宇宙、続編。53歳。現・高校野球監督が、ひそかに行った、暴力事件の隠ぺい工作と、発覚後の、高野連の信じられぬ甘くデタラメな「処分」

2022-09-17 10:56:13 | 高校 硬式野球部の真実

『つづき』

 7月28日、日本文理に敗れ、甲子園の夢破れた翌日の29日

 高野連の事情聴取に対し、芝草宇宙は、こう答えた

 確かに、選手たちに、個別にハナシを聞いたところ、投書にあるような暴力事件はありました

 それを、どうしょうかと考えた末に、「部内だけのこと」にしようと

 公表は、絶対にしない

 選手たちには、一切口外しないようにと、言い渡しました

 校長には、報告しました

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ばれなきゃ、しめたもの

 隠ぺい工作

 汗と涙の青春とは、程遠いシロモノ

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 9月6日、高野連が下した処分

 芝草宇宙・監督だけ、7月29日から、3か月間、謹慎

 処分理由

 「監督からの報告、遅れ」

 はあ?

 な、な、なんという大甘、不可解処分

 野球部は、9月8日開幕する「新潟県 秋季野球大会」に、堂々と出られる 

な――――――――――――――――――――んの、支障もない

 翌9日、1回戦戦う

 来年のセンバツの選考にかかわる

 指揮は、コーチの小野寺翔が、とる

 わはははは(笑)

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 9月9日

 この暴力行為部内隠ぺい野球部

 試合に出て、8-0で、7回コールド勝ち

 試合の指揮を執ったのは、コーチの小野寺翔ではなく、「育成ディレクター」なる、奇異な肩書を与えらえていた、稲本智、49歳

 コーチとは名ばかりか・・・

 信頼、隠蔽監督に、置かれていなかったんだあ

 登板したのは、特待生兄弟の弟、1年生の茨木佑太

 こんなクズ高校が勝ってもなあ・・・・

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 9月17日 土曜日

 新潟県 秋季野球大会の状況をみると同時に、野球部の試合出場メンバーをみると、関東など、全国から招へいした、特待生ばかり

 寮も完備

 で、今日から始まる準々決勝に進出できていない

 途中敗退か・・・・・

 日本文理は、進出していました

 

 県内出身者が多い日本文理

 帝京長岡

どうせ、本来ならば、出られなかった大会

 汚い、隠蔽作業して欲しくない

 今後は・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

秋季県大会の、優勝校、わからない

 この県の検索

 わけわかんないほど、ずさんです