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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その4):「第6章」群れ型社会での文化伝播と文化の呪縛性!「第7章」人類の道具使用は「武器」でなく、まず「食物獲得」から由来する!

2021-06-26 22:18:09 | 日記
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

第6章 文化の発生(113-128頁)
(7)「群れ型社会」では文化(Ex. イモ洗い文化)の伝播がなされる!
G 社会型には、「単独生活社会」(Ex. イタチ、ヒョウ、オランウータン)、「ペア型社会」(Ex. ナキウサギ)、「群れ型社会」(複数の雄雌の「複雑群」、1頭の雄に数頭の雌と子どもの「単雄群」、「ワンメール・ユニット」が複数集まった特殊な社会型)が区別できる。(115頁)
G-2 「単独生活社会」、「ペア型社会」(子どもは成長すると離脱)は「文化」の維持・継承が難しい。「文化」を持つことが困難。(116頁)
G-3 「群れ型社会」では新しく獲得された行動つまり「文化」(Ex. イモ洗い文化)の伝播がなされる。母子、さらに兄弟、仲間関係のチャンネルによって伝播する。(117頁)とりわけ血縁が重要だ。(119頁)Ex. ゴリラが毒性の植物を食べないのは、子どもが「母親が食べるもの」を見て学習するからだ。(120頁)

(7)-2 人間社会では「言語」の使用によって「食物タブー」が形成された!
G-4 人間社会では、「ある食物を食べてよいとか食べていけない」ということは「言語」で伝えることができる。かくて食物に関する「タブー」が形成される。(124頁)
G-4-2 「食物タブー」については「宗教」が最も強力なタブーを強いる。Ex. イスラム教は「豚」を食べない。
Ex. 「断食」:エチオピアのキリスト教では「人はパンだけで生きるものではない」とのマタイ伝の言葉に従い1年間に240日、断食(1日1度豆と水のみ食べる)する。(125頁)

(7)-3 「文化の呪縛性」(Ex. 屋久島のニホンザルの群れの死)! 
G-4-3 「文化の呪縛性」:犬山市の大平山に、屋久島のニホンザルの群れが離された。だが植生が全く違うのに、サルたちは「屋久島の植物にもとづく食文化」に呪縛され、何を食べてよいかわからず、雪が降った時、飢えと寒さで、ばたばた死んだ。(126-127頁)

第7章 道具の使用と製作(129-150頁)
(8)「自分の身体以外の物質」を使って生活の用にあてるだけでは「道具使用」でない!(Cf. 「道具」は「生得的」習性でなく、「文化」現象だ!)
H 「人類とは道具を使う動物である」(Homo faber、道具人、ホモ・ファーベル)は誤りであり、チンパンジーも道具使用と製作を行う。もちろん「ヒトから道具をとりあげてしまえばヒトでなくなる。」(Cf. ホモ・サピエンス。)(131頁)
H-2 エジプトハゲワシは「石」をダチョウの卵に落し堅い殻を割り、ラッコは「石」で貝を叩き割る。だがこれは「道具使用」だろうか?「外界にある物質を材料に使い生活に役立てる」ことを「道具使用」と言ってよいのか?(132-133頁)
H-2-2 ハタオリドリは「木の枝や草を使って巣を作る」。白アリは「土と唾液」でアリ塚を作る。「木の枝や草」「土」は「道具」か?「道具」ではない。Cf. 人間も「土と水」で土壁の家を作る。だが「土と水」は「道具」でない。(132-133頁)
H-2-3 「自分の身体以外の物質」を使って生活の用にあてるだけでは「道具使用」でない。それでは動物界では「道具使用」は普通のことになってしまう。(132-133頁)

(8)-2 「生得的」習性に基づき使用される「自分の身体以外の物質」は「道具」でない!「道具」は「シンボル化」の過程を前提し、かつ「文化」現象でなければならない!
H-3  エジプトハゲワシが「石」をダチョウの卵に落し堅い殻を割ること、また、ラッコが「石」で貝を叩き割ることは、どの個体にも備わっている「生得的」習性かもしれない。(134頁)
H-4 エジプトハゲワシにとって「石」が「道具」と呼ばれるためには、(a)「シンボル化」の過程が含まれねばならない。「卵を割る」という嘴が持っている意味を抽出し、その意味を「石」に付与するという「シンボル化」の過程を含むことによって、「自分の身体以外の物質」(「石」)は「道具」となる。(135頁)
H-4-2 また「石」が「道具」と呼ばれるためには、(b)「石」の使用が、「文化」現象でなければならない。つまり(「シンボル化」の過程を遂行した上で)最初ある一羽がこの行動(「石」で卵を割る)を「発明」し、その行動を見た他の個体が「学習」し(つまり他の個体に「伝播」し)、かつ世代を越えて「伝承」されねばならない。(135頁)
《感想》エジプトハゲワシが「石」をダチョウの卵に落し堅い殻を割ること、また、ラッコが「石」で貝を叩き割ることは、「生得的」習性か、「文化」現象か、河合雅雄氏は、結論を出していない。

(8)-3 「武器」としての道具使用は霊長類で極めて貧困だ!「人類の道具使用」は「食物獲得」に基盤を置いたはずだ!
H-5  霊長類は「道具」を敵対行動で使う。言わば「武器」としての道具の使用だ。ゴリラ、チンパンジー、ホエザルなどは、外敵に対し「棒」を振り回し、「木の枝」を投げ、「石」を蹴飛ばす。(136頁)
H-5-2 だが彼らが「武器」を使用することはめったにない。「武器」としての道具使用は霊長類でも極めて貧困だ。初発的な「武器文化」を形成するまでに至らない。(138頁)
H-5-3 「人類の道具使用」が「武器使用」から始まったとは考えにくい。「人類の道具使用」は「食物獲得」に基盤を置いたはずだ。(138頁)

(8)-4 「人類の道具使用」は「食物獲得」に基盤を置く!アリ釣りの「釣り棒」!アブラヤシの実の殻を割るための「叩き台の石」と「握り石」! 「人類の道具使用」が「武器使用」から始まったとは考えにくい!
H-6 チンパンジーは食物採集として、アリの巣穴に「釣り棒」を差し込み、アリを釣る。チンパンジーはアリ釣りをするため「釣り棒」を製作する。木の蔓など材料を「選択」し、さらに歯や手を使って「加工」する。(138-139頁)
H-6-2 チンパンジーは「今日はアリ釣りをしよう」と思い立つと、「釣り棒」を作り、それを持ってアリ塚まで出かけていく。しかも釣り棒は数本用意されている。意図的計画的な道具使用だ。(140頁)
H-6-3 またチンパンジーは、アブラヤシの実の殻を割るために、「叩き台の石」の上に実を載せて「握り石」をで叩き割り中の胚珠を食べる。「叩き台の石」と「握り石」は何度も使うので、この二つはいつもアブラヤシの木の下に置いてある。(140-141頁)また「叩き台の石」と「握り石」は身のまわりにある石を拾って来たものだ。(144頁)

(8)-5 チンパンジーの道具使用や製作は特定のチンパンジーの集団が発明したものだ!つまり文化現象だ!
H-7 アリ釣りの「釣り棒」や、アブラヤシの実の殻を割るための「叩き台の石」と「握り石」は、全てのチンパンジーに見られるものでない。これらは特定の集団にのみ見られる。つまりチンパンジーの道具使用や製作は、特定のチンパンジーの集団に発生した、その集団が発明したものだ。(142頁)
H-7-2 そして「シロアリ釣り」「アブラヤシの種子割り行動」は母親から子に伝播し、世代を越えて伝承される。チンパンジーの道具使用・製作は文化現象だ。(142頁)(Cf. 発明・伝播・伝承、135頁)

(8)-6「道具が道具を作る」(道具の2次製作)という段階に至って「道具文化の世界が確立される」と言える!「道具の2次製作」の有る無しが人類と霊長類(※サル類)を区別する!
H-8 「道具の1次製作」:身体要素を使って道具を作ること。チンパンジーの道具製作過程はすべて歯や手で作られている。(Ex. アリ釣りの「釣り棒」。)(142-143頁)
H-8-2 「道具の2次製作」:道具を使って道具を作る。(Ex. 棒の先を石で削って尖らす。)チンパンジーでは「道具の2次製作」観察されていない。「道具の2次製作」の有る無しが、人類と霊長類(※サル類)を区別する大きな決め手の一つだ。「道具が道具を作る」という段階に至って、「道具文化の世界が確立される」と言える。(143頁)

(8)-7 原初人類にも「無加工道具」や「1次製作段階の道具」使用の時代があったはずだ!
H-9 人類学者や考古学者は「加工した証拠」(2次製作された道具)がないと道具と認めない。(144頁)
H-9-2 これに対して霊長類学者は、原初人類は「身のまわりにある棒や石を拾って道具に使い」つまり「加工しない物体を道具として使い」、また一部は「1次製作した道具」を使ったと考える。(144頁)
H-9-2-2 原初人類にも「無加工道具」や「1次製作段階の道具」使用の時代があったはずだ。Ex. 「小さな尖った石を拾い、皮の脂肪とりに使う」。(以上、河合雅雄氏の見解!)(145頁)

(8)-8 チンパンジーの道具使用・製作は「食物獲得」の手段として発達した!ただし「肉食」の比率が極めて低くチンパンジーは「狩り」に際して「道具」を使わない!かくて外敵の防御や攻撃のための「武器」もほとんど使わない!
H-10 チンパンジーの道具使用・製作は「食物獲得」の手段として発達してきた。チンパンジーは外敵の防御や攻撃のためには、つまり「武器」としては道具をほとんど使わない。(145-146頁)
H-10-2 食物獲得について、「ヒト化」の問題を考える上で最も重要な出来事は「狩猟」だ。霊長類(※サル類)は「植物食」が主なのに(動物食は昆虫・卵に限られる)、どうしてヒトだけが「肉食」をするのか、長年の謎であった。(146頁)
H-10-3 だが実は霊長類も「肉食」をする。今日ではチンパンジーの「肉食」の報告が相次いでなされている。(146頁)
H-10-3-2 チンパンジーは狩りをする。1頭でイノシシやレイヨウの子どもを捕るときもあれば、数頭で協同して捕えることもしばしばだ。だが「狩りに道具を使わない」。(146頁)
H-10-3-3 チンパンジーは食物の獲得(肉食)のために狩りをしたというより、遊びの傾向が強い。(「狩りによる肉食」の比率は極めて低い。)(146-147頁)
H-10-3-4 チンパンジーが「狩りに際して道具を使わない」のは、「肉食」が彼らの食物生活の中に占める割合が少ないためだ。(数パーセント以下だ。)(146頁)
H-11 「狩猟と肉食」は雄において圧倒的によく見られる。「アリ釣り」は雌の方が雄より圧倒的に多い。(これは雄と雌の狩猟と採集の分業の問題に強くかかわる。)(147頁)

(8)-9 チンパンジーには「脳味噌嗜好」がある!うまいものを食べたいとの嗜好品への欲求が狩り・肉食の動因となった!
H-12 現在の狩猟民であるボツアナのブッシュマンは、食物摂取量の80%が植物、20%が狩猟による動植物だ。動植物は「御馳走」であり「贅沢品」だ。つまり「嗜好品」だ。「うまいものを食べたい」との嗜好品への欲求が狩猟の動因だったかもしれない。(148頁)
H-12-2  他方、チンパンジーには「脳味噌嗜好」がある。かくて、「うまいものを食べたい」との嗜好品への欲求が狩り・肉食の動因となったと言える。(148頁)
(a)チンパンジーがヒヒや他のサルを狩る場合、一番の好物は脳らしい。
(b)チンパンジーは大後頭孔を歯でかじって大きく開け、指や棒を突っこんで食べたり、葉を入れて丹念にふきとって食べたりする。
H-12-3 サル類の食物は非常に種類数が多く、融通性が強い。食物の選択は「味による嗜好性」が大きいと思われる。チンパンジーほどのサルになると、「うまい物を食べたい」という欲求がかなり強いと考えられる。(148頁)

(8)-10 原初人類において「動物を攻撃するための武器」(狩りのための道具)は「自分たちの仲間(※人間)を攻撃する武器」となった!
H-13 原初人類においても「おいしい物を食べたい」という欲求が、彼らを「狩り」に向かわせたと考えうる。(148頁)(※これはただし「採集」によって得られる食物が極めて多い場合だ。)
《感想》河合雅雄氏は、熱帯雨林に住むチンパンジーにおいて「狩猟」の比率が低いので、原初人類においても「狩猟」の比率が低いと考えているが、この点は、何とも言えない。原初人類が「採集によって得られる食物が少ない北方」で住む場合は、「狩猟」の比率が高まるはずだ。単に「おいしい物を食べたい」という欲求が、彼らを「狩り」に向かわせるわけでない。
H-13-2  「狩猟」が生計活動の中に組み込まれると「狩り」のために道具を使うようになる。この道具は「動物を攻撃するための武器」だ。原初人類はこうして「武器のもつ攻撃力・破壊力」を知る。(148-149頁)
H-13-3  そして「動物を攻撃するための武器」が「自分たちの仲間(※人間)を攻撃する武器」となった。(149頁)
H-13-4  武器は、人間同士の「闘争」から生まれたのでなく、元来は「食物獲得の手段」(「狩り」のための道具)に由来すると言える。(※河合雅雄氏の見解!)(149頁)
H-13-5 いったん武器の持つ攻撃力が認識されると、「自分たちの仲間(※人間)を攻撃する武器」は、常に「高能率」を目指す技術(「道具の2次製作」の体系)の自己運動のうちで、ますます「殺戮」の効率を高める。(149頁)
H-13-6 「自分たちの仲間(※人間)を攻撃する武器」の出現は「悪の世界」の基盤だ。武器は「殺戮」の効率を高めていく。また他の人間を「殺戮することに快感を覚える」という「残虐性の世界」をも出現させる。(149頁)
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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その3):「第4章」個性の伸長を獲得したサル類・人類の「文化」の基礎!「第5章」サル類におけるポピュレーションの自己調節!

2021-06-25 15:44:46 | 日記
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

第4章 遊動生活は個性化を強めた!(73-91頁)
(5)サル類の遊動生活&気ままな生活:移動は「群れ」に従うが、採食や休息は「個体」の自由!
E サル類は豊かな森で遊動生活をする。ここから個性が発達した。個性は一方で社会を崩壊させる契機となるが、他方で社会の内容を高度にする。(75頁)
E-2 森で暮らすサル類の群れは、決まった泊り場を持たない。地上で暮らすゴリラも、行き当りばったりの生活だ。(76-77頁)
E-2-2  サル類は生活のリズム(※規則性)を持たない。気ままに食べ、腹いっぱいになれば寝る。(Cf. ヒトにおいて、狩猟採集時代はおそらく放恣な生活だった。生活に決まったリズムが登場したのは農耕牧畜社会になってからだろう。)(78-79頁)
E-2-3 サル類は、群れからあまり制約を受けない。移動は群れに従うが、採食や休息は個体の自由だ。(79頁)
E-2-4  なぜサル類は遊動するのか?栄養的に色々な種類の食物(植物)を食べる必要があった。(80頁)栄養のバランスをとるためにサル類は遊動の生活様式をとる。Ex. ゴリラ。(85頁)

(5)-2 サル類は森林で「すみ分け」がほとんど必要でないから、嗜好によって自由に食物が選択でき、これは「主体」の確立の基盤のひとつとなった!
E-3 サル類は食物に対して好き嫌いを持ち、それに基づいて食物を選択している。Ex. ゴリラは甘いもののほか、苦みのあるものが好きだ。(86頁)
E-3-2 他の生物or動物が「すみ分け」=「食い分け」するのに対し、サル類は森林で「すみ分け」がほとんど必要ないから嗜好によって、自由に食物が選択できる。これは「主体」の確立の基盤のひとつとなった。(87頁)

(5)-3 「個性の伸長」を獲得したサルたち!個性の発達は人類社会でその極に達した!
E-4 豊かな森の中での樹上生活が基盤になって「個性の伸長」を獲得したサルたちは、高度な社会を作るための素地を与えられた。(89頁)
E-4-2 個性の発達は人類社会でその極に達した。個体関係の調整が必要となり、集団を統合するための秩序や制度が要求された。かくて人類は独自の社会制度や文化を創り上げてきた。そこでは集団が個人の欲求に優先された。こうして個性と社会の相克の人類の歴史が生まれた。(90頁)
E-4-3 個性は生きがいの源流であり、創造の源泉だが、英雄・王など権力者の強烈な個性が、欲望と結合すれば、多くの人を圧殺する「悪」が生まれる。(90頁)

第5章 文化を支える生物的基礎(93-111頁)
(6)「文化」は、(ア)社会の中で誰かによって作りだされること(発明)、(イ)他個体による学習(伝播)、(ウ)その行動型の継承と維持(伝統)によって成立する!
F (ア)社会の中で作り出され(自然のままでなく個体が発明する)(Ex. 砂を落とすためにサルがイモを洗う)、(イ)社会を構成するメンバーによって分有され(Ex. イモ洗いを他のサルたちも行うようになる)、(ウ)社会的習慣として社会に定着し伝承される(Ex. 生まれてくる子供はすべてイモ洗いを行う)生活様式が、「文化」である。(98頁)
F-2 つまり「文化」の成立には、(ア)社会の中で誰かによって作りだされること(発明)、(イ)他個体による学習(伝播)、(ウ)その行動型の継承と維持(伝統)が必要だ。(98頁)

(6)-2 サル類は人間と同じように「二次的に巣に坐っているもの」で、「母子の強いきずな」が母から子への行動の伝承を容易にしている!( Cf. 「文化」成立の要件:(イ)伝播(エ)伝統!)
F-3 アドルフ・ポルトマンは、哺乳類を「巣だつもの」(離巣性:生まれてすぐ独立して生活できる・巣を持たない、Ex. シカ、ウマ)と「巣に坐っているもの」(就巣性:巣を持つ・赤ん坊は目が見えず赤裸、Ex. ネズミ、ウサギ)に分類する。(99頁)
F-3-2 ポルトマンはサル類を「巣だつもの」に分類した。(99頁)
F-3-3 これに対し人間はどちらにも分類されず「二次的に巣に坐っているもの」とポルトマンは述べた。「人間はほとんど1年早すぎて誕生する」(ポルトマン)。(99-100頁)
F-3-4 だが河合雅雄氏は、サル類も人間と同じように「二次的に巣に坐っているもの」だと述べる。(100-101頁)
Ex. ニホンザル:80日目頃まで母乳のみで育つ。母からの独立は次の子が生まれた時で、生まれなければ2歳でも母親の乳をしゃぶるものがいる。
Ex. チンパンジー:生後半年まで母親に抱かれている。離乳は2-4歳、自力で長距離の移動をするのは4-5歳、母から離れ単独行動するのは7-8歳の思春期だ。
F-3-5 要するに、サル類は人間と同じように「二次的に巣に坐っているもの」で、「母子の強いきず」なが母から子への行動の伝承を容易にしている。(102-103頁)

(6)-3 サル類におけるポピュレーションの自己調節:(a)「子どもを1頭しか生まない」、(b)「子どもの成長速度が遅い」、(c)「妊娠期間」が長い、(d)雌は子どもを生み終わると死亡する者が多い、(e)「病気」による「幼児死亡率」が高い!
F-4 サル類は1回に「子どもを1頭しか生まない」し、また「子どもの成長速度が遅い」。(103頁)
F-4-2  サル類は生物経済学的に「個体数と食物量の関係」から見て、ポピュレーションの自己調節のために、「子どもを1頭しか生まない」また「子どもの成長速度が遅い」と考えられる。(103頁)
F-4-3  「出来るだけゆっくり成長」すれば、(a)「食物摂取量は体重に関係する」から集団としての食物摂取量が減るし、また(b)「性的成熟」が遅くなり「一生に産む子供の数」が少なくなり、ポピュレーションの増大を抑制できる。(105-107頁)また
F-4-4 「体重の重い」類人猿は「妊娠期間」・「授乳期間」が長く、生まれる個体数が少ない。(106-107頁)
F-4-5 「サル類の幼少期が長いこと」は、「病気」による「幼児死亡率」を高め、ポピュレーションの調節に役立つ。(109頁)
F-5 「サル類の雌は子どもを生み終わると、死亡する者が多い」。サルたちは「むだ食いの能無し」になると、さっさと死んでゆく。かくて生態系の効率が高まる。(107頁)

(6)-4 人類のポピュレーションの自己調節:「赤ん坊殺し」(まびき)と「姥捨て」というやむなき悪業!
F-6  サル類はポピュレーションの自己調節のいくつかの方法を編み出した。人間は、自然生態系から脱却するにしたがって、別の調節法を作り出さねばならなかった。それが「赤ん坊殺し」(まびき)と「姥捨て」だ。(Cf. なお日本では「姥捨て」は、話は多いが、実際に行われたことはないと言われる。)(108-109頁)
F-6-2  「赤ん坊殺し」(まびき)と「姥捨て」は、サル類におけるポピュレーションの自己調節を受け継いだ人類の「止むなき悪業」だ。
《感想》人類における農業・牧畜業の開始(紀元前1万年頃)と発展、その後、とりわけ西洋近代科学(医学)・技術の発展(特に産業革命以後)で、人類の人口は爆発的に増えた。紀元前7000-6000年約500-1000万人(この頃以降、農業・牧畜業の発展)→紀元元年約2-4億人→1650年約5億人→1800年約8-11億人→1900年約15-17億人→1950年約25億人→1970年約37億人→1990年約53億人→2010年約69億人→2020年78億人。これを見ると「サル類におけるポピュレーションの自己調節」を人類が受け継いだという議論は無意味だ。
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映画『ゼロの未来』原題The Zero Theorem(ゼロの定理)(2013年):生者コーエンの妄想or死の直前のコーエンの妄想!「この宇宙は無意味・無目的だ」と証明された!

2021-06-24 21:37:05 | 日記
※『ゼロの未来』原題The Zero Theorem(ゼロの定理)(2013年、英ルーマニア仏米合作)監督テリー・ギリアム  
(1)技師コーエンはMANCOM社に雇われ、会社が用意した古い教会に閉じこもって仕事する。彼は「人生の意味・目的を知りたい」と切望し、「その答えを与えてくれる電話がかかって来る」と妄想している。
(2)コーエンはある日、会社の管理官ジョビーにパーティーに誘われ、若い女性ベーズリーと出会う。ベーズリーは、コーエンに好意を持ち、「電話連絡してほしい」と言う。だがコーエンは無関心で、電話もしなかった。
(3)コーエンはMANCOM社から「ゼロの定理」が正しいことを証明せよとの仕事を与えられる。「ゼロの定理」は「この宇宙は無意味・無目的だ」とする定理だ。
(4)だが「ゼロの定理」が正しいことを技師コーエンは証明できない。コーエンは、パーティ―で会ったベインズリー(メラニー・ティエリー)に会いたいと思う。
(5)そんな時、ベインズリーがやって来た。「あなたの役に立ってあげる」と言う。コーエンは「人生の意味、存在の理由を知りたい」とベインズリーに話す。コーエンは少し落ち着く。ベインズリーは帰る。
(6)そこにMANCOM社・社長の息子で、若いもう一人の天才コンピューター技師ボブがやって来る。彼は「ゼロの定理」の証明が出来ないコーエンを助けるために、社長の指示でやって来た。だがうまくいかない。
(7)イライラしているコーエンはベインズリーと会いたくなる。コーエンはPCを通して仮想現実の中でベインズリーと会う。PCの中で二人は海辺にいて、そして二人は恋をする。
(8)再びボブが、コーエンの所にやって来る。コーエンがかなりの所まで証明していたので、ついにボブが「ゼロの定理」が正しいことを証明する。「この宇宙は無意味・無目的だ」と証明された。そしてボブが「ベイズリーはコーエンのイライラ対策のため、父親が雇って送った娼婦だ」と言った。
(9)ベインズリーが現実世界のうちでコーエンの前に登場する。ベインズリーはコーエンに「あなたを愛している。現実の世界のうちで一緒になりたい」と言う。しかしコーエンは拒否し、「罠に落ちたネズミの気分だ」と言う。
(10)コーエンは自分がMANCOM社の道具にされ、常に監視されていることに抗議し、自分の仕事場である会社が用意した古い教会の、全てのPCや監視装置を破壊する。
(10)-2 そこにMANCOM社・社長が現れる。コーエンが「『この宇宙は無意味・無目的だ』と証明すること(ゼロ定理の証明)に意味があるのか」と尋ねる。社長は「ビジネスマンにとって、ゼロ定理が証明されれば、それはビジネスチャンスになる」と答える。
(11)コーエンはゼロ定理が証明されたのでMANCOM社に不要な人間となり、解雇される。コーエンの仕事場の教会の壁が突然崩れる。そこに宇宙の巨大なブラックホールが出現する。コーエンはそこに落ちていく。コーエンが気づくと、彼は、かつてベイズリーと過ごした海岸にいる。「ベイズリーとの思い出だけがコーエンの人生(宇宙)の意味・目的だったのだ」と彼は知る。

《感想》ベイズリーが未だ生きているとすれば、ブラックホールの出現、海岸の思い出は、全て生者コーエンの妄想だ。ベイズリーが壁の崩壊で死んだとすれば、それらは死の直前のコーエンの妄想だ。



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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その2)「第3章」サル類のヒト化:自然的環境における「適応放散」から、「文化的環境」の下での「文化的社会的放散」へ!

2021-06-24 13:43:40 | 日記
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

第3章 人間、この不自然な生物(51-71頁)
(4)「適応放散」とは、「すみ分け」原理に基づき「環境の主体化」(自ら環境を選択し、自己の生活の場として確立する)を行うことだ!
D 種の間の関係は「生存競争(弱肉強食)」だけではない。種の間には無益な競争を避け共存するための「すみ分け」原理(今西錦司)がある。(55-58頁)
D-2 種の「適応放散」とは、「すみ分けるために、生物は自ら環境を選択し、自己の生活の場として確立(環境の主体化)する」ことだ。(58頁)

(4)-2 サル類は、体を「特殊化」する必要がなく、「一般的形質」を保持した!
D-3 森林にすんだサル類は、(a)食物が豊富なので、また(b)天敵がいないので、体を「特殊化」する必要がなかった。かくてサル類は「一般的形質」を保持した。そしてサル類は「すみ分け」しないで共存する。(60-61頁)
D-3-2 「サル類が一般的形質を保持していることは、豊かな開放系である森林での樹上生活という、哺乳類の中では特異の生活様式の中から導きだされた」。(61頁)

(4)-3 人類(ヒト)はおそらくサル類の第4回目の「分化放散」の時期に誕生した!鮮新世の終わりから更新世にかけてラマピテクス亜科が「分化放散」し人類(ヒト)が誕生した!
D-4 サル類は始新世に誕生してから、4回の「系統の分化放散」(すみ分け原理に基づく適応放散と異なる)を行っている。漸新世で、真猿類が出現した。(1回目の「系統の分化放散」)(62-63頁)
D-4-2 2回目の「系統の分化放散」は中新世から鮮新世の初めにかけて起こり、そのうち類人猿の系統の分化放散ではドリオピテクス亜科(巨猿)、ギガントピテクス亜科(ゴリラ、チンパンジー、オランウータンの先祖)、ラマピテクス亜科(ヒトの祖型につながるサル)が生じた。(63-64頁)
D-4-3  3回目の「放散」によって「森から地上へ進出したサルが現れた」。(64頁)
D-4-4  河合雅雄氏はサル類の第4回目の「分化放散」があったと考える。(※これまでは3回とされた。)すなわち鮮新世の終わりから更新世にかけて、ラマピテクス亜科が分化放散した。アウストラロピテクスA型(きゃしゃ)、アウストラロピテクスP型(大きくて頑丈)(=ジンジャントロプス・ボイセイ)、ホモ・ハビリス(脳容量650CC)、ホモ・エレクトゥスという「4種の人類の先祖」が分化放散し、同じ場所に同時に住んでいた。(65-66頁)
D-4-4-2  Cf. 「アウストラロピテクスから人類の出自を考えようという単一起源説」は誤りだ。(66頁)
D-4-5 「人類(※ヒト)はおそらくサル類の第4回目の分化放散の時期に誕生した」。(66-67頁)

(4)-4 サル類のヒト化:第1に「直立2足歩行」と第2に「新脳化現象」(大脳の発達)による「文化的環境」の創造!
D-5  サル類は、始新世に誕生してから、「一般的形質」の保持を基礎として4回の「分化放散」を行った。しかしいつまでも「一般的形質」を保持したままでいるわけでなく、「特殊化」=ヒト化への道が進行し始めた。それは第1に「直立2足歩行」であり、第2に「新脳化現象」(大脳の発達)だ。この2つによって、ヒトは、サルたちが持ち合わさなかった、質的に飛躍した世界を作り上げた。つまり「文化的環境」の創造だ。Cf. サルの社会の文化的現象は「文化的環境」の萌芽にすぎない。(67頁)
D-5-2  (ア)言語機能の獲得、(イ)道具の製作と(イ)-2技術の発展、(ウ)家族の形成、(エ)シンボル機能の発達等によって、人類(ヒト)は独自の「文化」を形成した。(68頁)
D-5-2-2 ヒトの「高度な精神活動」(これは「新脳化現象=大脳の発達」で可能になった)は宗教、社会制度(Ex.国家、民族、部族)などの「文化」を形成した。(68頁)(なお基礎となる「文化」が(ア)言語、(イ)道具、(イ)-2技術、(ウ)家族、(エ)シンボルなどだ。)
D-5-2-3  逆に「文化」は人類(ヒト)に働きかけ、さらに新しい「文化」を創造する。(68頁)
D-5-2-4  このように「文化が文化を創っていく」つまり「主体環境系の弁証法的な自己運動による創造活動」こそが、人類(ヒト)の特質だ。(68頁)

(4)-5 人類(ヒト)は、自然的環境の下での「適応放散」でなく、《ヒトが創造した「文化的環境」》の下での「文化的(社会的)放散」(※異なる国家、民族、言語、宗教等を形成すること)を自らの手で行う!
D-6 人類(ヒト)はかくて、自然的環境の下での「適応放散」でなく、《ヒトが創造した「文化的環境」》の下での「文化的(社会的)放散」を自らの手で行う。(68頁)
D-6-2 人類(ヒト)はサル類(サル目)から誕生したが、人類独自の世界を創造し展開した。サル類は4回の分化放散の結果、「人類(ヒト)目」という新しい目を誕生させたと言ってよい。(68頁)
《参考》ヒトは、動物界・脊索動物門・哺乳綱・サル目・ヒト科・ヒト属・サピエンス種という分類階級を持つという。
D-6-3 「適応放散」は自然環境に対し動物の種が「自分自身の身体構造を変化させる」ことで達成される。
D-6-3-2 だが「文化的放散」(※異なる国家、民族、部族、言語、宗教等を形成すること)は自分自身の身体構造の変化を最小限にとどめ、「新しい文化をまとう」ことによって「外界」(※「文化的環境」)に適応していく。
D-6-3-3 Ex.「狩猟という生活文化」:肉食獣のニッチェ(※生態的地位)の獲得。Ex.「採集生活」:草食獣のニッチェの獲得。Ex.「牧畜」:共生の延長と拡大。Ex.「農耕文化」新しい生産環境(※文化的環境)の創造。(69頁)

(4)-6 「地球は自分のものだ、自分たちだけのためにある」という思い上がりを人類(ヒト)は持つようになった!
D-7 人類(ヒト)は世界中に拡がり、いたるところに「生活の場」(※文化的環境)を作り上げる。草原・山岳地・砂漠など様々な地形、また熱帯・温帯・寒帯など様々な気候のもとで「生活の場」(※文化的環境)を作り上げる。(69頁)
D-7-2 一つの種が、このように広範な地域にわたって生息地を確保することは、一般の動物ではありえない。かくて「地球は自分のものだ、自分たちだけのためにある」という思い上がりを人類(ヒト)は持つようになった。(69頁)

(4)-7 動物の「適応放散」は「すみ分け」を結果するが、人類(ヒト)における「文化的放散」は「すみ分け」につながらない!
D-8 自然環境の下での「適応放散」は「すみ分け」を結果する。しかし文化環境の下での「文化的放散」(※Ex. 固有の文化をもつ様々な民族あるいは部族の存在)は「すみ分け」に必ずしもつながらない。(70頁)
D-8-2 「すみ分け」は生活の場の自己限定であり、無用の競争の回避であり、種社会の社会的調整機構だ。しかし人類(ヒト)における異なった文化(※Ex. 国家、民族、部族、言語、宗教等)をもつ集団の接触は、文化摩擦、さらに激しい殺戮・戦争を引き起こす。(70頁)

(4)-8 人類の原罪:人類は存在において不自然である(※文化を創造し文化的環境に生きる)ゆえに、その行為はすべて自然を乱すものにつながっていく!
D-9 人類(ヒト)は自然と不自然(※文化)を内包した「進化の鬼子」だ。人類(ヒト)は「自然の生態系からはみ出した存在」だ。かくて人類(ヒト)は、「自然に対してもろもろの罪科を重ねる存在」だ。(70頁)
D-9-2 「人類(ヒト)は自然界における異端であり反逆者である。」「人類は存在において不自然である(※文化を創造し文化的環境に生きる)ゆえに、その行為はすべて自然を乱すものにつながっていく。」これこそが「人類が担った原罪の一つだ。」
《感想》ルソーの「自然に帰れ」(自然は人間を善良、自由、幸福につくったが、社会が人間を堕落、奴隷化し、悲惨にした)を思い出させる。ルソーは「人類(ヒト)はサル類に帰れ」と言ったわけでない。(※そもそも、もはやサル類に帰れない。)ルソーは《自然に属す「自己保存」(自己愛)と「哀れみの情」》こそが、「理性(※文化)に先立つ二つの原理」であると述べた。
D-9-3 「人類は基本的に自然と不自然(※文化)という矛盾を胚胎した存在である以上、永遠に不安定で未完成だ」。(70-71頁)
D-9-3-2 「サルから分化放散した人間は、次第にサルばなれした進化の方向を強めていった」。(71頁)
D-9-3-3 「文化は、人類をサル類から訣別させ、人類の独自性を創発していく根源である」が、「文化は人類の幸福を約束するとともに、地獄の深淵をのぞかせる窓口でもある。」(71頁)

(4)-9 動物の世界には善も悪もない!人類(ヒト)において「悪の芽を育てた文化とは何か」?
D-10 「動物の世界には善も悪もない。善と悪を育んだ土壌は文化そのものだ。」(71頁)
《感想》おそらく「自己保存」(自己愛)と「哀れみの情」(Cf. ルソー)の実現が「善」である。「理性」とはこの「善」を状況の中で確定し認識する能力(Cf. 理論理性)であり、又、「善」を実現しようとする意志(Cf. 実践理性)である。
D-10-2 河合雅雄氏のこの著作では「善」の問題は取り上げない。以下では、「悪の芽を育てた文化とは何か」の問題を取り上げる。(71頁)
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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その1)「文庫版まえがき」「第1章」「第2章」:人類は自己破壊の性質を内蔵した唯一の動物である!戦争など大量殺人を平気で犯す!

2021-06-23 12:19:21 | 日記
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

「講談社文庫版まえがき」(1985年)(7-10頁)
(1)人工的環境の中での人類の進化は「おそらく、人類の滅びの道に通じている」!
A 河合雅雄氏(61歳)が言う。「私の心は明るくない。」「平和の持続性について不安を覚える。」(7頁)
A-2 「人類は自己破壊の性質を内蔵した唯一の動物である。」「動物は種の永続的な維持に向かって進化してきたが、人類だけは動物とは別の異端の道を歩みはじめた。」(7頁)
A-3  この「あとがき」を書いている1985年、日本人の80%以上が中流意識をもち、満足感を持つ人が70%を越える。これは「人類史上画期的な出来事だ。」それなのに家庭内暴力、校内暴力など「陰湿化した暴力性」はなくならない。(7頁)
A-4 サル類は「食物の豊かなそして捕食圧の低い森林」で進化し、ヒトという特異な動物を誕生させた。そして「森からサバンナへ出た人類」は数百万年かかって、現在のホモ・サピエンスにまで進化した。(8頁)
A-5 さて今や人類は人為によって豊かさを達成した。人類の人工的環境の中での進化は、生物学的法則から予測できない。「その道はおそらく、人類の滅びの道に通じている」と河合雅雄氏は言う。(8-9頁)
《感想》1985年は戦後日本の絶頂期だ。バブルの直前で、「Japan as No. 1」(1979)と呼ばれたころだ。無比の豊かさの中でも、「陰湿化した暴力性」はなくならない。人類は「呪われた」動物かもしれない。(Cf. 今2012年、「失われた30年」のあと衰退する日本!)

第1章 森林がサルを生んだ(13-32頁)
(2)《爬虫類から進化した哺乳類》の中でサル類だけが、爬虫類とすっぽり縁の切れた所、「森林の樹上」で進化の出発点をもった!
B K. ローレンツらによると、「動物は原則として同種の仲間を殺さない」。ところが人間は戦争などで大量殺人を平気で犯す。(Cf. もちろん、「愛や献身、思いやりといった高貴な精神活動」も人間は行う。)(17頁)
B-2 サル類は、一般の哺乳類と別のコースを歩んで進化した。(20頁)
B-2-2 「適応放散」(化石学者オズボーン)(各種の生物が、自分が住む生活の場に放散しそこで適応する)において、サル類のみが「森林の樹上」に放散し適応した。(22頁)
B-2-3《爬虫類から進化した哺乳類》の中でサル類だけが、爬虫類とすっぽり縁の切れた所、「森林の樹上」で進化の出発点をもった。このサル類が、人類という奇妙な「裸のサル」を産み出す母体となった。

第2章 楽園に生まれた悪(33-50頁)
(3)サル類の進化は「森林という豊饒な楽園」の中で行われた!森林にはサル類の捕食者としての天敵がいない!
C (ア)森はサバンナより食物(葉・果実・花・若芽等)がはるかに豊かだ。(36-37頁)(イ)食物に関し、森はサバンナのように乾季と雨季の大きな差がない。(37-38頁)(ウ)森林は温度環境も安定している。(40頁)(エ)サル類にとって森は食物をめぐる競争者が居ない。(40-41頁)(エ)また森林にはサル類の捕食者としての天敵がいない。(41-42頁)
C-2 サル類の進化は、「森林という豊饒な楽園」の中で行われた。サル類から進化した人類の特性もまた「森林という豊饒な楽園」からの所産だ。(42頁)
(3)-2 病気、寄生虫症による淘汰が、《人口調節による種の維持》、また《健康な個体が残ることによる種の維持》に役立つ!
C-3 楽園のサルには、捕食者がいないことから「ポピュレーションの過剰」の問題が生じる。(44-45頁)
C-3-2 ただしサル類にも、病気(Ex. 黄熱病、結核、赤痢)、寄生虫症(Ex. サナダ虫)による淘汰があり、《人口調節による種の維持》、また《健康な個体が残ることによる種の維持》に役立った。(45-47頁)
(3)-3 病気のない世界という「人工」生態系の中で、種の維持と永続をどうして行えばよいのか?「戦争、乳幼児の間引き、老人を捨てる姥捨て」は人類が持ち込まざるを得なかった「主体的な(人口)調節の道」だ!
C-4 人を含めた霊長類の人口調節に最も大きな役割を演じてきたものは病気である。(49頁)
C-4-2  だが人類はついに病気をほぼ征服した。これは「人類の進化、種の維持を助けてくれた」もの、病気との訣別だ。「病気のない世界という、人類が未だ経験したことのない人口生態系の中で、種の維持と永続をどうして行えばよいのか」。(49頁)
C-4-3 「戦争、乳幼児の間引き、老人を捨てる姥捨て」は人類が持ち込まざるを得なかった「主体的な(人口)調節の道」だ。(48-49頁)

《感想1》この本が書かれた1977年は世界が先進国を中心に戦後成長の成果を享受していた時代だ。しかし1973年の石油危機以後、宇宙船地球号・人口爆発・資源の枯渇が問題とされるようになった。河合雅雄氏は人類の人口爆発を憂慮している。だが事情は変わり、その40年余後の現在、2021年、日本では人口減少・経済縮小が問題となっている。
《感想2》今も、世界での戦争・内戦・テロなど《人類の殺し合い》は終わっていない。(Cf. これら《人類の殺し合い》を河合雅雄氏が《人類の人口調節=種族維持のために必要》と主張していると解釈される可能性がある。)
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