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沖田瑞穂『すごい神話』47.「ガンジス河の女神の秘密――なぜ子供たちを殺したか」:ガンガーは生まれるとすぐに子供たちを河へ投じ殺した!女神テティス(アキレウスの母)も子を河へ投じた!

2023-10-31 11:58:18 | 日記
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

(1)インド神話:『マハーバーラタ』には女神ガンガーと人間の王シャンタヌとの結婚の話が記されている!
インド西北から侵入してきたアーリヤ人は、はじめインダス河流域で生活を営んでいたが、次第に東へ移動し、ガンジス河流域で半農半牧の生活を営むようになった。彼らの生活に密着していた聖河こそガンジス河であり、ガンジス河を神格化した女神がガンガーである。『マハーバーラタ』には女神ガンガーと人間の王との結婚の話が記されている。
A ヴァス神群と呼ばれる8人で1組の神々がいた。あるときヴァス神たちはヴァシシュタ仙(古代インドの七聖仙のひとりで、『リグ・ヴェーダ』第7巻の作者と伝えられる)の怒りをかい、「人間の胎に生まれよ」という呪いをかけられた。ヴァス神たちは、ガンガー女神に「不浄な人間の女の胎に入りたくないから、地上に降りて自分たちの母となってくれ」と頼んだ。
A-2  ガンガー女神がこれを承諾すると、さらにヴァス神たちは「少しでも早く天界に戻れるよう、生まれたらすぐに自分たちを川に投じて殺してくれ」と頼んだ。(Cf. 神話のストーリーの前提は「輪廻転生」である。)
B 地上に降りたガンガー女神はシャンタヌという「人間」の王の妻となったが、結婚に際して約束を交わした。「私がとよいことをしても悪いことをしても、止めてはならないし、不快なことをいってもならない。」
B-2  やがてガンガーは7人の子(ヴァス神たち)を産んだが、生れるとすぐ子供たちを河へ投じて殺し、天界へ帰してやった。
B-3  しかし事情を知らないシャンタヌ王は、ガンガーの恐ろしい行いに耐えられなくなり、誓いに反して8人目の子(ヴァス神の最後の一人)ビーシュマが生まれ、溺死させられそうになった時、誓いに反してガンガーを罵った。するとガンガー女神は正体をあかし、全ての事情を語った。そしてガンガー女神は子どもビーシュマを連れて天界へ帰っていった。ビーシュマ(デーヴァヴラタ)は立派に成長し、ガンガーは元夫シャンタヌ王のもとにビーシュマを返した。
B-4  ビーシュマは、「クル国」の継承を懸けた「クル・クシェートラ」における大戦争(「カウラヴァ」と呼ばれる100王子と「パーンタヴァ」と呼ばれる5王子の大戦争)でクル軍の将軍(「カウラヴァ」勢の司令官)となって活躍する英雄である。
Cf.   『マハーバーラタ』(バラタ族にまつわる大叙事詩)における「バラタ族」とは物語の中心となる「クル族」の別称である。
Cf.   『マハーバーラタ』は、バラタ族のパーンドゥ王の息子である五王子(「パーンダヴァ」)7軍団と、その従兄弟である百王子(「カウラヴァ」)11軍団の間の、「クル国」の継承を懸けた「クル・クシェートラ」(クル平原)における大戦争を本題とする。18日間の凄惨な戦闘の末、戦いはパーンダヴァ側の勝利に終わるが、両軍ともに甚大な被害を出す。(この戦いで百王子は全滅した。)本題は全編の約5分の1にすぎず、その間に神話、伝説、宗教、哲学、道徳などに関する多数の挿話を含む。(Ex. ヒンドゥー教の 宗教哲学的聖典『バガバッド・ギーター』など。)
★ガンガー女神とシャンタヌ王


《参考1》「ヴァス神群」は自然現象を神格化した8柱の神々。 水、北極星、 月、大地、風、火、暁、光の8神とされるが、諸説あり。ヴァス神たちは、聖仙 ヴァシシュタ の上を飛ぶ非礼を犯した罪を償う為、 女神ガンガー と人間の王の間に生まれた子供達として転生した。

《参考2》中央アジアの牧畜民であったアーリア人は、前1500年頃、インド北西部のパンジャブ地方に進入し、先住民(インダス文明をつくった)を征服した。 前1000年をすぎると、アーリア人(アーリヤ人)はより肥沃なインド東部のガンジス川の上流域へと移動し定住農耕生活が定着する。
《参考2-2》ヴェーダ聖典(「4ヴェーダ」)を絶対の権威と仰ぐアーリア人の宗教が「バラモン教」だ。最古の『リグ・ヴェーダ』は紀元前1200年頃成立。他の3ヴェーダは紀元前1000~前800年頃成立した。①インドに侵入したアーリア人の宗教である「バラモン教」の最古の聖典が『リグ・ヴェーダ』で紀元前1200年頃成立した。この頃、アーリア人は半農半牧の生活だった。②インダス川流域に居住していたアーリヤ人は紀元前1000~前800年頃次第にガンジス川流域に移動していく。そして次第に定住農耕生活へと移る。この頃に成立したのが『サーマ・ヴェーダ』(歌詠の集成)、『ヤジュル・ヴェーダ』(祭式に必要な文言の集成)、『アタルヴァ・ヴェーダ』(まじないの言葉の集成)だ。

《参考2-3》バラモン教が土着の民間信仰などを吸収し紀元前6世紀~紀元前4世紀頃に、「ヒンドゥー教」が成立した。
《参考2-3-2》『マハーバーラタ』は、アショーカ王(在位:紀元前3世紀頃)の時代にテキスト化が開始され、紀元前2世紀中葉〜紀元後1世紀末頃に完成したとされる。
《参考2-3-3》『ラーマーヤナ』(第1~7巻)の成立は紀元3世紀頃で、詩人ヴァールミーキが、ヒンドゥー教の神話と古代英雄である「コーサラ国のラーマ王子」の伝説を編纂したものとされる。ラーマーヤナの核心部分は第2巻から6巻とされ、その成立は紀元前4-5世紀頃である。

(2)『近江国風土記』(おうみのくにふどき):長浜市「余呉湖」の羽衣伝説!
ガンガー女神の話は、天女と人間の男の結婚譚である「天人女房譚」の一つだ。日本の「天女の羽衣」の話と同型だ。
《参考》『近江国風土記』(おうみのくにふどき)に長浜市「余呉湖」の羽衣伝説の記述がある。
「古老の伝へて曰へらく、近江の国伊香(いかご)の郡(こほり)。与胡(よご)の郷(さと)。伊香の小江(をうみ)。郷の南にあり。天の八女(やをとめ)、ともに白鳥(しらとり)となりて、天より降りて、江(うみ)の南の津に浴(かはあ)みき。時に、伊香刀美(いかとみ)、西の山にありて遥かに白鳥を見るに、その形奇異(あや)し。因りてもし是れ神人(かみ)かと疑いて、往きて見るに、実に是れ神人なりき。ここに、伊香刀美、やがて感愛をおこして得還り去らず。窃(ひそ)かに白き犬を遣りて、天の羽衣を盗み取らしむるに、弟(いろと)の衣を得て隠しき。天女(あまつをとめ)、すなはち知(さと)りて、その兄(いろね)七人は天上に飛び昇るに、その弟一人は得飛び去らず。天路(あまぢ)永く塞して、すなわち地民(くにつひと)となりき。天女の浴みし浦を、今、神の浦といふ、是なり。伊香刀美、天女の弟女(いろと)と共に室家(をひとめ〈夫婦)となりて、此処に居み、遂に男女(をとこをみな)を生みき。男二たり、女二たりなり。兄の名は意美志留(おみしる)、弟(おと)の名は那志登美(なしとみ)、女(むすめ)は伊是理比咩(いぜりひめ)、次の名は奈是理比賣(なぜりひめ)、此は伊香連(いかごのむらじ)等が先祖、是なり。後に母(いろは)、すなわち天の羽衣を捜し取り、着て天に昇りき。伊香刀美、独り空しき床を守りて、唫詠(ながめ〈吟詠〉)すること断(や)まざりき。」

(3)ギリシア神話:女神テティス(アキレウスの母)は、子供が神性をそなえているか見極めるため生まれるとすぐに水に投じた!
インド神話(『マハーバーラタ』)における女神ガンガーと人間の王シャンタヌとの結婚の話は、ギリシア神話の英雄アキレウスの誕生の話とも似ている。アキレウスの母は、海の女神テティスである。テティスは人間の王ペレウスと結婚し、子供が生まれるとすぐに水に投じ殺した。子供が神性をそなえているか見極めるために、このようなことをしたのだという。7番目の息子としてアキレウスが生まれた時、王ペレウスはついに耐え切れず息子が水に投げ入れられるのを阻止した。すると女神テティスは怒って海に帰って行った。

《参考》アキレウスは、トロイア戦争に参加し、形勢を逆転させ、敵の名将(Ex. イーリオスの英雄ヘクトール;Ex. アマゾーンの女王ペンテシレイア)をことごとく討ち取るなど、無双の力を誇った。しかし戦争に勝利する前に弱点の踵(カカト;アキレス腱)を射られて命を落とした。足が速く、『イーリアス』では「駿足のアキレウス」と形容される。
《参考(続)》『イーリアス』(ホメロス作)は、トロイア戦争十年目のある日に生じたアキレウスの怒りから、イーリオスの英雄ヘクトールの葬儀までを描写する。『オデュッセイア』(ホメロス作)は『イーリアス』の続編作品にあたり、(ア)イタケーの王である英雄オデュッセウスがトロイア戦争の勝利の後に凱旋する途中に起きた10年間におよぶ漂泊、また(イ)オデュッセウスの息子テーレマコスが父を探す探索の旅、さらに(ウ)不在中に妃のペーネロペー(ペネロペ)に求婚した男たちに対する報復なども語られる。
★アキレウス、ヘクトルを討つ


(4)インドとギリシアは、インド=ヨーロッパ語族にともに属し、同じ神話を継承し語り継いだ!
インド神話における女神ガンガーと人間の王シャンタヌとの結婚の話と ギリシア神話におけるアキレウスの母、海の女神テティスと人間の王ペレウスとの結婚の話とは、同型である。どちらの話でも水界の女神が人間の王と結婚し、子をもうけるが、それらの子を水に投じて殺していく。夫が制止すると女神は神々の世界に帰り、最後に一人の子が生き残る。インドとギリシアは、インド=ヨーロッパ語族にともに属し、同じ神話を継承してそれぞれの地域で語り継いだのだ。
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「女のおまえ(安藤優子)が偉そうに…」!「個の尊重」は「ワガママ」ではない!「夫婦別姓」!「自民党のイエ中心主義」!議員の「クオータ制」(男女人数割当制)!「新しいマッチョ力、包容力」が必要!

2023-10-30 12:16:54 | 日記
※《参照》「安藤優子さんの『生きづらさ』の正体は…男性社会のテレビ界での経験から」(インタビュー)2023/2/15
※安藤優子(1958生)はニュースキャスターとして報道現場で活躍。現役の40代後半、上智大大学院に入学し博士論文を執筆。2019年(61歳)、グローバル社会学博士号取得。『自民党の女性認識「イエ中心主義の政治指向」』2022年刊行。

(1)「添え物」扱いへの違和感:40数年前、1970-80年代!
ずっと仕事をして感じてきた、目に見えない、ある意味「生きづらさ」みたいなものの正体を探りたかった。40数年前の報道の世界は驚くべき、完璧なまでの「男性社会」。たった1人、おじさんの海に投げ込まれた感じ。しかも、私に与えられたのは男性のメインの司会者の横にいるアシスタントという「添え物」。いろいろなことを言われる。「かわいらしくふるまえ」「かわいくない」とか。「笑わないようにしていた」時代もあったので、若い女子に与えられる役割は決められていて、そこからちょっとはみだそうとすると、ものすごいハレーションが起きる。
(1)-2 「女のおまえが偉そうに…」:1986年(28歳)!
1986年にフィリピン政変でマルコス大統領が亡命した。その時、私(安藤優子)が現地に行っていた。(Cf. この報道でギャラクシー賞を受賞。)その時、「83年、亡命先の米国から帰国したベニグノ・アキノ元上院議員がフィリピンの空港で銃撃・暗殺される事件のVTR」を実況風にリポートしたとき、少しだけ自分の主観を入れた。すると、すごく怒られた。「こう思う」などとはっきり言ったのではなく、形容詞を入れた程度だったが。テレビ局の「偉い人」が怒り、視聴者も「生意気だ」のオンパレード。「なぜ女のおまえがそんなに偉そうなことを言っているんだ」という抵抗感、違和感が当時の視聴者にあった。「メインキャスターの男性」と同じような立場で少しでもものを言ったり、やったりすることへの反発、抵抗。一緒に働いている人たちよりも、見ている方に抵抗があったと感じた。
(1)-3 居場所を作るため「ペット化」:上智大3年のとき(1979頃)に旅のリポート役としてテレビ業界へ!
何をやってもダメ出し。何をやっても気にくわない。「自分たちが一生懸命築いてきた報道という牙城に女子大生がひらひらした服で入ってきて、なんだこいつ?」という思いがあったのだと思う。その割にはすごく優しく、たくさん教えていただき、徐々に取材の機会も与えてくれたことに恩も感じている。しかし「来たな、宇宙人」みたいに思われていた。確かに何も出来ない「ど素人」なので、言われて当たりまえ。でも一緒にやっていかなければならないので、最初は「かわいがってもらう作戦」、「ペット化」する作戦。それも、後から考えて「そうだったんだな、私」と思うわけで、その当時は知恵もないので作戦などというよりは「本能的に」そうしたのだと思う。いつもにこにこして、言われたことは「はい、はい」って言った。
(1)-4 次の作戦は「おじさん化」!
「ペット化」して、なんとなく居場所がみえてくると、次にくるのは自分も「おじさん」みたいにふるまう「同化作戦」。必要以上に「女性」性を捨てる。私(安藤優子)の場合は早くから政治取材をさせてもらったが、当時はとにかく女の記者はいない。しかも、私はアルバイト、フリーで、社員でもない。その私が政治家のところにインタビューに行くと彼らは「ん?なんで女のおまえにこんなに偉そうなこと聞かれないといけないの」となる。そこで「若い女子」と思われないように「女性」性を封印する。例えば何も飾りのないネービーのテーラードのスーツを着たり、1年くらいスカートをはかずにパンツスーツで通す。それまで女性のキャスターやリポーターは原色のスーツが定番。それなのに黒や濃紺のスーツ、スーツの下は白いTシャツを毎日着ていた。一切の飾りをやめ、ある意味「おじさん化」してみせた。衣装を楽しみにしている視聴者もいたので、物足りなかったと思われる時期もあった。ともかく「ペット化」したり「同化」(「おじさん化」)したりして、居場所をこじ開けた。
(1)-5 自分の自然なありようを否定していた!
でも①「女性性を封印すること」や「男性に同化する」ことは、自分の自然なありようを否定すること。また②「女性性を売りにする」ことは、女性をおとしめること。それら①②のどれもが、私自身を含む女性たちに対するリスペクトを欠いている。当時(20歳代)は自分の働き方を客観的に見る余裕すらなく、博士論文に取りかかった(50歳代)ときにそのことに気づいた。

(2)まるでジョーク:女性国会議員の少なさ!
「国会議員になぜ女性が少ないのか」という疑問は常々持っていた。キャスターとして働いていた時もそう感じた。これだけ「男女平等」や「ジェンダー」とか言っている割に、そのエンジンになって牽引していかなければいけない唯一の立法機関である国会、私たちは代議員制をとっているのに、そこに「こんなに女性が少ない」という矛盾。もう冗談、ジョークの世界!その根本に何があるのかを考えたときに「社会学のアプローチ」をとってみたいと思った。「政治や政党のここが悪い」というのが出発点でなく、「果たして私たちに注がれている視線はどうやってこの社会に根付いてきて、どうやってここまで肥大化して拡散してきたんだろうか」という疑問があったので。社会学のアプローチでは「認識」という言葉を使っているが、簡単に言えば女性に注がれている「目線あるいは視線」、「女は三歩下がって」「女は黙ってにっこり笑ってやることをやっていればいい」という「認識」は果たしてどこからきたのかを問いたい。
(2)-2 研究で行き着いた「自民党の女性認識」:「無償の過剰労働」がなぜ女性の美徳?『自民党の女性認識「イエ中心主義の政治指向」』(2022年、65歳)!
研究し始めたら、「自民党の女性認識」に行き当たった。戦後の政権政党としてこれだけ長期にわたって日本の政治を牽引してくれば、自民党が持っている「政治指向とか価値観」がそのまま社会に反映されていくのは事の道理だ。強調したかったのは、女性への「認識」は、ほんわりといつのまにか自然発生的に日本社会に植え付けられたものではなくて、よくよく研究してみると、「自民党の政党戦略として、戦後一度も見直されることなく、常に、戦略的に、再生産されてきた」。このことを私たちは知るべきだ。これがこの本、『自民党の女性認識「イエ中心主義の政治指向」』(2022年、65歳)に託した大きな願いだ。「自民党批判」ではなくて、なぜ私たちはこのような「価値観とか視線」に常にさらされ、戦いながら、仕事をしたり、家庭での立ち位置を決められたり、育児介護を一手に引き受けてきたのか。「無償の過剰労働」を当たり前として強いられてきたことをなぜ「美徳」としてきたのか、そこへの回答を一つ、示したかった。
(2)-3 政治学のアプローチでなく、社会学のアプローチをとる!
修士課程では政治学だったが、「政治学のアプローチ」は政党のシステムとか選挙制度など、制度論に行きがちだ。でも、制度がたとえ男女平等に配慮したものだったとしても、それを運用・活用する側の「意識」が変わらない限りは絵にかいた餅だということを強く感じていたので、博士論文を書く段階で「社会学のアプローチ」に変えた。

(3)差別発言で露呈した人権意識の低さ!
岸田総理大臣が同性婚によって「社会が変わってしまう」と発言したり、荒井勝喜秘書官が差別発言したりしたことの一番の問題点は「個人の尊重」がないこと。安倍政権を筆頭に自民党が掲げてきた「女性が輝く社会」というスローガンの下にずっと実施されてきたのは、主に経済政策つまり「女性を労働力として市場に戻すための政策」だった。「人権意識」とは何かというと、男性でも女性でも性的少数者でもどんな生き方をしていても、「その人が個人として認められる権利」が「人権」だが、その「人権意識」が欠落しているからああいう発言になったのではないか。
(3)-2 「個の尊重」はワガママではない!
☆「選択的夫婦別姓」の問題も、国連では「人権」問題なのに、日本にその意識が希薄だ。「イエが壊れる」とか「社会が壊れる」とかという問題ではないのに、根本的な誤解をしている。「そこをごちゃごちゃにしている」ということが今回露見した。
☆政策で「多様性を重んじよう」とか、「誰もが生きやすい社会」とか言っているにもかかわらず、「生きやすい社会=誰もが働ける社会」となっている。そうではなくて、「誰もが自分らしくいることを認めてもらえる」のが「人権」だから、そこを間違ってほしくない。
☆「個人の人権、生き方」を尊重してほしい。「母親になって、妻になって初めて一人前の女だ」というのはおかしい。そうならないと「社会保障」につながれないなんておかしい。
☆1人の人間が「個」として尊重されれば「家庭」だってもちろんうまくいくはずだし、「個」が尊重されない「家庭」は呪縛以外の何物でもない。
(3)-3 「晩婚化が少子高齢化を押し上げている」?「責任転嫁」や「問題のすり替え」を許してはならない!
「家族の形」や「社会の慣習」は変わるものだ。保守派が描く「イエ」のモデルは、実態として日本社会の多数派なのか。税金を試算するときにパパとママと子ども2人が「標準家庭」だが、そういう家庭は何割いるのか。社会の変化を無視して、保守派のように常に自分たちが理想とする「イエ」の形を引きずるのが、果たしてフェアなのかどうか。そういう風に生きられない人もいるし、生きたくない人もいる。「晩婚化が少子高齢化を押し上げている」と発言した閣僚がいたが、「晩婚にならざるを得ない理由」、「子を持ちたくても持てない理由」に考えが及ばないで、「晩婚になってしまった人を責める」。それは「責任転嫁」や「問題のすり替え」で、看過できないし、するべきでない。
(3)-4 「夫婦別姓」:何十年検討すれば気が済むのか?
「夫婦別姓」も「選択制」であり、みんなにそうしてくれと言っていない。法案が出されたのが30年前なのに、先日の岸田総理の答弁は「自民党内の意見も踏まえ、しっかりと丁寧に検討していく」だ。何十年検討すれば気が済むのか?「私たち死んじゃう」という感じだ。「防衛費の増加」はあんなに簡単に決めるのに、なぜ「夫婦別姓」は決まらないのか?
(3)-5 「個の尊重」でみんな「ワガママ」になる?
「いき過ぎた個人主義」という言葉があるように、「自民」のみならず社会全体の意識として、「個の尊重」と「個人主義」(ワガママ)を混同している。「個を尊重すること」は、「個人主義=ワガママ」ではない。そうではなくて、「個の尊重」とは「個人の自由を尊重する」ことである。「わがまま」・「やりたい放題」と「自由」は異なる。
「個の尊重」ができないから、同性婚を求める人たちが「あなたたち、なんでそんなワガママ言うんだ」っていわれる。でも、彼らは誰のことも脅かさない。「個の自由を尊重すること」は「ワガママ」とは全く別だ。

(4)「自助」の肥大化が、女性を「家庭長」に押し込める!
とりわけ問題は「家庭の中ですべてを解決しろ」という「自助」の肥大化、「自己責任」の肥大化だ。端的に表れているのが「ヤングケアラー」の問題だ。女性を「家庭長」(※)と位置づけた自民党の「日本型社会福祉」論は、自助・共助・公助を基本にうたい、「自助がきちんとできていれば共助も少なく公助に至ってはさらに少なくていい」と主張する。
 ※「家庭長」:「主婦」に代えた呼称で、家事・育児・介護など家庭を切り盛りする役割。自民党の政策基盤となった1979年の「研究叢書」にまとめられた「日本型福祉社会」は、「女性」は家庭を守る「家庭長」であるべきだとした。
(4)-2 「女性」は無料で家事育児、さらにパートに行け!
「国の福祉予算が減免できる」というのが、自民党の「日本型福祉社会」論の目玉だ。その減免される部分を「家庭長」である女性が「家庭内安全保障」の担い手として、「無料で」子どもを育て、ご飯を作り、介護し、お父さんを送り出し、その他もろもろやって「空いた時間に」パートに行けと言う。社会の基本は「家庭」だから、何でも「家庭」に任せ、何でも「家庭」の中で解決しろ、と言う。これはあまりに個々の「家庭」に寄りかかり過ぎだ。
(4)-2-2 「自助」が楽に成立するための「公助」をしてほしい!
むしろ「自助」を成立させるための「公助」であってほしい。「自助」が楽に成立するための「公助」をしてほしいと言いたい。しかも「共助」だって地域頼みだ。(介護も含めて。)
(4)-2-3 「家庭を持たない人間」はいないも同然!
一方で、「家庭を持たない人間」はいないも同然のような扱いを受けてしまう。おかしい。 
(4)-3 「個人」より「イエ」中心:「自民党のイエ中心主義」!香山健一『英国病の教訓』(1978)!
「自民党のイエ中心主義」が生まれた背景に、『英国病の教訓』(1978)の著者・香山健一さんらブレーンの存在があった。すなわち「ゆりかごから墓場まで」と言われた英国の福祉政策は大失敗で「すべての人々に等しく福祉(パン)を与えると働かなくなり、自らの権利ばかり訴えて国家に依存するようになる、日本は二の舞になってはならない」と。家庭、ムラ、地域社会など、小集団、中集団、大集団の「集団主義」を大切にして、お互い助け合いながら生きていく、「家父長制の再評価」によって新しい価値観をつくろうとしたという流れがあった。「イエ」の構成員か「会社」の構成員か「地域」の構成員か、それとも「国」の構成員か。「市民」じゃなく、「国民」。そこには「個人」というのは入っていない。「個の尊重が邪魔」というよりも、「個の尊重」という認識をすること自体を避けてきたと言える。
(4)-4  マイナンバーにひも付ければ「夫婦別姓」にしても何も困らない!
「個の尊重」を否定・無視するのに自民党は、マイナンバーカードを奨励する。マイナンバーにひも付ければ「夫婦別姓」にしても何も困らないはずだ。そこに矛盾を感じる。「総背番号制」にしたいのは「合理的に物事を運びたい」、「税金を取りっぱぐれたくない」などの理由にすぎない。

(5)議員の「クオータ制」(男女人数割当制):「均等は無理」と知らんぷりする政党…「候補者の均等」の義務化を!
議員の「クオータ制」(男女人数割当制)について、少なくとも「候補者の均等」を義務化するべきだと「本」(『自民党の女性認識「イエ中心主義の政治指向」』)に書いた。「議席数」を男女均等に割り当てろではなく、「候補者の数を男女均等」にしましょうと書いた。理念法(「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」)が成立したのに「均等は無理」と知らんぷりしている政党が存在しているので、一度「時限立法」で義務化して、あとは有権者に委ねることを一度やる価値はある。やってみれば、スタートラインに立つことの大切さを男女ともに分かってくると思うし、有権者も政党も何か「経験知」を得ると思う。義務化を恒常的に「法制化」するか否かはその後に議論を始めればいい。「女性議員が増えないとどんなデメリットがあるのか?」との反論は常にある。だが「まだやったことないし、やってみないから分からない、だから一回やってみませんか」と言いたい。 
(5)-2 政治家が「均等は無理」と言う理由は「現職の壁」!
議員の「クオータ制」(人数割当制)について、こないだも自民党の某大物政治家に言ったら、軽く「無理だな」と言われた。「政党としてこれくらいの人数の女性『候補』を連れてくる」という数値目標を出す。それくらいならできるかもしれない。だが「現職の壁」が高いから。席に座っている現職に「次の選挙は出ないで」とは言えないというのがその理由だ。そして現職が退くときは常に、身内や、自分に忠義を尽くしてくれた県議に譲るとか決まっていて、新規参入を許す幅がない。それなら「法制化」でこじ開けるしかない。そうでもしなければ現状のままだ。
(5)-3 自民党にも分かっている人は大勢いる。ただ…!
今の民主主義は、長きにわたり男性たちだけがつくってきた。そんな中で、平等な権利を体得するために女性たちのいろんな戦いや活動があり、歴史があった。最良とはいわないけれど、少しでもベターな民主主義を自分たちのものにしようとしてきた歴史が、フェミニズムの歴史だったりする。何度も何度もしつこいぐらい言い続けないといけない。自民党にも分かっている人は大勢いる。ただいざとなると、(ア)現職に「次はない」と言えるか。(イ)新人の女性候補を連れてきて本当に勝てるのか。(ウ)政治家は勝たなければただの人だし、議席を減らしたら政権党から転落するかもしれない、そういう危機と隣り合わせだから、政党にとってのリスクが高すぎる。これら(ア)(イ)(ウ)は次にクリアしなきゃいけない研究のテーマだと思う。「なぜ女性候補を増やすと良いのか」、「増やすことへの実質的なメリット」を可視化してみたい。

(6)安藤優子キャスターが大学院に飛び込んだ理由!
取材をして、いろんな歴史の転換点の目撃者になったりするけれど、そしてテレビを見ている皆さんに実況中継としてお伝えすることができても、なかなかそれを俯瞰(ふかん)で見て、今起きていることと過去にその国で起きたことを線で結ぶことがなかなかできない。ずっとそれが「知識不足だ」という強迫観念みたいなのがあった。ニュースをやりながら「もう一度学んでみたい」という思いは常にあって、マックスになっているときに修士課程に飛び込んだ。「もうこりゃだめだ、行こう!」と。亀の歩みだった。博士号をいただいて、それから本にするためにまたちょっと時間がかかった。「修士3年、博士5年、博士論文執筆に4年で、12年。」自分でもどうやったか覚えていないくらい大変だった。

(7)「分かってよ」じゃなくて「サポートしてよ」!
2023年1月に英国大使館であった、「ジェンダーに配慮した議会改革」を推進するエディンバラ大のサラ・チャイルズ教授のレクチャーに参加した。彼女は会場にいる男性たちをぱっとみて「We need your support」と言った。良い言葉だ。「ここに来ているあなたたちは来ただけでもすごい、あと一歩進みましょう」と。私にはズシンときて「あ、そういう言い方をすべきなんだな」と思った。「分かってよ」じゃなくて「サポートしてよ」と。「一緒にやっていく」というスタンスがもしかしたら私たちもちょっと欠けていたのかもしれない。
(7)-2 敵対の構図は古い!
サラ教授は「敵対の構図は古い」という言い方をしていた。フェミニズムがやり玉にあげられてきたバックラッシュの時代も含め、四半世紀以上、敵対の構図が支配してきた。しかし「どうやったらお互い気持ちよく共存できるか」という時代に入ってきている。それは「責任をシェアする」ということだ。
(7)-3 女性の問題を解決していく運動とか活動は、男性にも協力してその責任をシェアしてもらう! 
例えば性暴力の問題がそうだ。加害者がいるから被害者がいるわけで、「被害者が加害者から襲われないように身を守るように一方的に責任を負う」のはおかしな話で、本末転倒だ。本来は「加害意識を猛省して解決に向かっていく」という加害者の問題であり、責任だ。なんでレイプされた女性や子どもたちがひどい差別を受けたりしなきゃいけないのか。責任の所在のアンバランス、アンフェアさというのは、本当におかしい。女性の問題を解決していく運動とか活動というのは、「男性」にも「協力してその責任をシェアしてもらう」必要がある。
(7)-4 「女性」の問題だから「女性」が解決?
あるときジェンダー平等関係の取材が海外であって、私(安藤優子)の男性の上司は「女性だけの取材団を作ろう」と、女性のカメラマン、音声、ディレクター、キャスター。「あるある!」でありがちな話。女性軍団を作ることで「どれくらい自分が女性問題に理解があるか」を男性の上司は示したつもりだし、「実際に女性がこのくらい活躍していること」を彼は示したかったのだ。でもそれは見方を変えると「これは男の問題じゃないからね」という姿勢だ。今までの社会は、一事が万事そうだった。これは「女性」たちの問題だから「女性」たちで解決しろよ、みたいな。それではやっぱりダメじゃないか。もう「女性と男性が一緒に解決する時代」に入っているし、解決への責任をシェアしないといけない。
(7)-5 「女性」は、もう十分頑張っている!「優しい男子力」というか、「新しいマッチョ力、包容力」が必要!
これまでにも増して女性がいろんなことに対して声を上げるようになった。そこで「正しい男子力」が必要だと思う。「優しい男子力」というか、「新しいマッチョ力、包容力」というか。新しい地平を見たい、と思ったときに、何が一番必要かというと「男性も女性も共に協力すること」。そういう押し上げがなく、「女性だけが頑張っている」というイメージだと絶対的に世の中は大きく転換していかない。女性は頑張っている。もう十分頑張っている。これ以上、女性に頑張れとは言いたくないし、言う必要もないと思う。男性たちに「あなたたちのサポートなしには絶対に動いていかない。今こそ協力してくれないと、あなたたちだって居場所がなくなるし。居心地悪いよ」と言いたい。そこをぜひとも、声を大にして言いたい。理解していただきたいなと思う。
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沖田瑞穂『すごい神話』46.「『原初の愛』――カーマ・エロス・ムスヒ」:「愛欲の神」カーマは原初の超越的存在だ!「エロス」は世界の最初期の存在!『古事記』における原初の愛「ムスヒ」!

2023-10-29 13:15:12 | 日記
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

シヴァ神の「リンガ」の話との関連で、インド神話の「愛」について以下、考える。
《参考》シヴァはヒマラヤ山中でヨーガの修行を行う苦行者であり,女神パールバティーを妃とし,ガネーシャ(日本で聖天)とスカンダ(日本で韋駄天)を息子とし,牡牛(オウシ)ナンディンを乗物とする。シヴァはまた生殖をつかさどりしばしば円筒形の男根,リンガの形で崇拝される。南インドではナテーシュバラ(舞踏者の神)と呼ばれ,演劇の保護者として崇敬される。

(1)インド神話:「バラモン教」では「愛欲」の神「カーマ」は「最初に生まれた者」つまり原初の超越的存在だ!「愛欲」は世界のはじまり、原動力である!
A インドで「愛」の神はカーマという男神だ。(Cf. 「カーマ」とは「愛欲」「意欲」という意味のサンスクリット語。)カーマ神は「愛欲」の神と言った方が本来の意味に近い。カーマ神は「サトウキビの弓」と「花の矢」を持ち、人の心を射て恋心を掻き立てる。海獣マカラを旗印とし、妻はラティ(「快楽」)、お伴が春の神ヴァサンタだ。
B 「カーマ」神はインド最古の宗教文献である『リグ・ヴェーダ』(紀元前1200年頃成立)に現れる。「カーマ」は、世界創造の際に「唯一物」(「唯一の存在」)から最初に現れた原初的な存在だ。それによると、世界のはじまりのとき、暗黒が立ち込め、水に覆われていた。そこに「唯一の存在」が熱の力により誕生した。これにより最初の生命が世界に生じた。その「唯一物」から「カーマ」が現れた。
B-2 紀元前1000年ごろに成立した『アタルヴァ・ヴェーダ』(まじないの言葉を集めた聖典)では、カーマは敵対者を駆逐する勇ましい神であり、同時にカーマは原初の超越的存在だ。カーマは「最初に生まれた者」である。「どれほど天地が広がろうとも、どれほど水が流れようとも、どれほど火が燃えようとも、カーマはそれらすべてより勝っている」。
B-3  「愛欲」は世界のはじまり、原動力である。

(2)ギリシア神話でも、「愛欲の神」エロスは世界の最初期の存在だ!
C ギリシア神話でも、「愛欲の神」エロスは世界の最初期の存在だ。ヘシオドスの『神統記』(紀元前700頃)によると、原初の混沌「カオス」から最初に大地の女神「ガイア」が生まれ、次に地底の暗黒界「タルタロス」、その次に愛の「エロス」(クピド、キューピッド)が誕生した。

(3)「原初の愛」のテーマが日本の神話(『古事記』)にも見られる:「タカミムスヒ」(高御産巣日)と「カムムスヒ」(神産巣日)!   
D  『古事記』の神話にも「原初の愛」のテーマがみられる。『古事記』によれば、世界のはじまりのとき、まず「アメノミナカヌシ」(天之御中主)が誕生し、次に「タカミムスヒ」(高御産巣日)と「カムムスヒ」(神産巣日)という神が誕生した。
D-2  「ムスヒ」の「ムス」は「生え出る、萌え出る」(Ex. 苔むす)という意味だ。また「ヒ」は「目に見えない霊妙な力」をさす。つまり「ムスヒ」は「生産の力」である。これは「愛欲」の概念と非常に近い。「原初の愛」のテーマが日本の神話(『古事記』)にも見られる。

《参考》『古事記』によれば、天地開闢の際、高天原に三柱の神、つまり「造化(ゾウカ)の三神」がいずれも独神(ひとりがみ)として成ってそのまま身を隠した。
☆天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 至高の神。神名は天の真中を領する神を意味する。『古事記』では神々の中で最初に登場する神。
☆高御産巣日神(たかみむすひのかみ;高皇産霊神): 天の生成の「創造」の神。神産巣日神と対になって男女の「むすび」における男を象徴する神。
☆神産巣日神(かみむすひのかみ): 地の生成の「創造」の神。高御産巣日神と対になって男女の「むすび」における女を象徴する神。 (ア)『古事記』で語られる神産巣日神は高天原に座して出雲系の神々を援助する祖神的存在であり、他の神々からは「御祖(みおや)」と呼ばれている。また(イ)須佐之男命が大気都比売神(オオゲツヒメノカミ)を殺したとき、その死体から五穀が生まれ、神産巣日神がそれを回収したとされる。(ウ)大国主神が八十神らによって殺されたとき、大国主神の母の刺国若比売(さしくにわかひめ)が神産巣日神に願い出て、遣わされた𧏛貝比売(キサガイヒメ)と蛤貝比売(ウムギヒメ)が「母の乳汁」を塗って治癒したことから女神であるともされる。(エ)『古事記』では、少名毘古那神(すくなびこな)は神産巣日神の子である。

《参考(続)》「天津神」(アマツカミ)のうち、「別天津神」(ことあまつかみ)は、☆天之御中主神(あメノミナカヌシノカミ)、☆高皇産霊神(タカミムスビノカミ)、☆神産巣日神(カミムスビ)の「造化(ゾウカ)三神」、さらに☆宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジ)、☆天之常立神(あめのとこたちのかみ)の二柱、計五柱である。これら五柱の神つまり「別天津神」は、性別はなく独身のまま子どもを生まず身を隠し、これ以降、表だって神話に登場しない。

(4)《感想》世界のはじまり、原動力である「愛欲」の神「カーマ」(原初の愛)は、宇宙の「エス」(欲動)である!(Cf.  フロイト)
《感想》フロイトの「エス」(欲動;Es)つまり「欲求」は個人の原初のエネルギーだ。「超自我」は個人の「理想」だが理想が成立するためには理想(「超自我」)への情熱(「欲求」)がなければならない。「エス」が情熱(「欲求」)を支えるエネルギーだ。「自我」は「快感原則」(or快楽原則)に基づいて行動を選択するが、「行動」における快感への欲求を支えるエネルギーも「エス」だ。(Cf. 快楽原則は、必要であれば充足を延期する現実原則がこれと対を成すが、現実原則を快楽原則と対立するものでなく、快楽原則の変形されたものだ。)
《感想(続)》理想(「超自我」)への情熱(「欲求」)は「エス」(欲動)というエネルギーに支えられる。快感原則に基づく「行動」も「エス」というエネルギーに支えられる。「エス」は、個人の「理想」(「超自我」)そして快感原則に基づく「行動」を支えるエネルギーだ。(Cf. マルクス・ガブリエル『「私」は脳ではない』講談社選書メチエ、263-269頁、原著2015年)
《感想(続々)》世界のはじまり、原動力である「愛欲」の神「カーマ」(原初の愛)は、宇宙の「エス」(欲動)である。

(5)「ヒンドゥー教」では、カーマ神はその「原初の超越性」よりも、もっぱら「愛欲、エロス」の神としての側面を表す !   
E  インドに話を戻すと、「バラモン教」よりも新しい「ヒンドゥー教」では、カーマ神はその「原初の超越性」よりも、もっぱら「愛欲、エロス」の神としての側面を表すようになる。
E-2  カーリダーサの叙事詩『クマ―ラ・サンバヴァ』(『クマ―ラの誕生』5世紀頃)に次のような話がある。あるときターラカという名の強力なアスラ(悪魔)が神々を打ち負かし、神々は苦境に陥った。ターラカを倒せるのは最高神シヴァの「まだ生まれていない息子」(軍神スカンダ)のみだった。シヴァの妻としてふさわしいと神々が考えたパールヴァティーに対し、苦行に没頭していたシヴァは、全く興味がなかった。そこでシヴァの関心をパールヴァティーに向けさせようとして、神々の王インドラが愛神カーマを派遣した。瞑想するシヴァはカーマの矢によって一瞬心を乱されたが、すぐに原因を悟り、怒って第三の眼から炎を発しカーマを灰にしてしまった。カーマの妻ラティが嘆いていると、天から声が聞こえてきて「シヴァ神がパールヴァティーを受け入れるとき、シヴァ神はカーマに肉体を返すだろう」と予言した。シヴァ神がパールヴァティを妻としたので、愛神カーマも再生した。
★シヴァ神に向け愛の矢を放とうとする愛神カーマ
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沖田瑞穂『すごい神話』45.「偉大なるシンボル・リンガとは――ヴィシュヌとシヴァはどちらが偉い? 2」:「リンガ」の本体であるシヴァ神こそが最高神である!「生殖の力」が「世界創造の原動力」!

2023-10-26 12:08:43 | 日記
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

「ヴィシュヌ神が最も長生きで偉大である」とする前講のような神話がある一方で、「シヴァ神こそがヴィシュヌ神、さらにブラフマー神を上回り、最高である」との神話もある。ヒンドゥー教の18種のプラーナ文献のうち「リンガ・プラーナ」に次のような神話がある。

A 世界の始まりの時、原初の海にヴィシュヌ神が寝ていた。
A-2  そのヴィシュヌをブラフマー神が見て怒り、起こした。ヴィシュヌが「蛇の寝台」に腰かけ、笑いながら話しかけた。「ブラフマー神ではないか。何用か?」
A-3  ブラフマー神が答えた。「わたしこそが、世界の創造と破壊をもたらす者である。わたしこそが世界の創造主であり、永遠で誰から生まれたということもない、宇宙の起源である」

B するとヴィシュヌ神が言った。「わたしこそが世界の創造主であり、維持する者であり、破壊する者である。あなた(ブラフマー)はわたし(ヴィシュヌ)の永遠の体から生まれてきたことを覚えていないのか。あなたがわたしを忘れているのは、わたし(ヴィシュヌ)のマーヤー(幻力)によるものなのだ」

《参考1》ヒンドゥー教の宇宙観では、この世が始まる以前、宇宙が混沌の海だった時に、ヴィシュヌがアナンタ(1000の頭を持つ蛇神)を船の替わりにして、その上に寝ていたという。その「ヴィシュヌのへそから蓮の花が伸びてそこに創造神ブラフマーが生まれ」、ブラフマーの額から破壊神シヴァが生まれた。また、この世が終わる時、全ての生物が滅び去った時も、再び世界が創造されるまでの間、ヴィシュヌはアナンタの上で眠り続けるとされる。

★ヴィシュヌ神のへそから生まれるブラフマー神


C このようにヴィシュヌ神とブラフマー神が延々と言い争っているところに輝かしい柱「リンガ」が現れた。リンガは千もの炎を発している。そこには始まりも中間も終わりも見られない。比類なく、不可解で、不明瞭だった。
C-2  「これは何であろうか?正体を解き明かした方が最高神となろう。いざ勝負!」ということになった。ヴィシュヌ神は猪の姿となり、千年もの間、下へ下へと潜っていったが「リンガ」の根元に達することができなかった。ブラフマー神は白鳥の姿となり、同じ千年の間、上へ上へと高く昇っていったが、終わりは見えなかった。疲れ切ってヴィシュヌ神もブラフマー神も元の場所に戻ってきた。
C-3  そこに「リンガ」の本体であるシヴァ神が現れた。ヴィシュヌ神とブラフマー神は降参し、シヴァ神こそが、世界の始まりであり中間であり終わりである最高神ということで決着がついた。

D 「リンガ」はシヴァ神の「男性器」である。「生殖の力」が「世界創造の原動力」である。
D-2  インドでは「リンガ」は「ヨーニ」と共に祀られている。ヨーニとは女陰のことで、ヨーニを土台としてその上にリンガが屹立している。「男女の結合の内に世界が存在している」とインドの神話は語る。

《参考2》シヴァ神の本質は力であり、生命エネルギーである。シヴァ神のシンボルとして「シヴァ・リンガ」という男性根を表す像が寺院に祀られている。リンガは「恵み、豊穣、健康」を象徴する。
《参考2-2》シヴァ神は「創造と破壊の神」であり、①明るい面では「シャンカラ」(吉祥)と言われ、縁起が良く、慈悲深く、恵を与えてくれ、困っているときに助けてくれる。②暗い面では破壊を示す「バイラヴァ」(恐ろしいもの)と言われ、怒った形相をしている。口は大きく開らかれ、眉毛がつりあがり、ドクロなどの飾り物をつけている。さらに③シヴァ神は「マハーカーラ」(マハーは偉大な、カーラは時間)とも呼ばれる。シヴァ神は運命や死を支配する「時間」を操るものとしての名前を持つ。その姿は黒い肌で描かれ、マハーカーラは日本では「大黒天」である。(Cf. 「マハーカーラ」は真言宗では「護法善神」と呼ばれる。)
《参考2-3》蛇神ヴァースキは、「乳海攪拌」のとき、マンダラ山を回転させる綱の役割を果たした。しかし、あまりの苦しさに猛毒ハーラーハラを吐き出してしまい、危うく世界を滅ぼしかけた。「シヴァ神」はその毒を飲み込んで世界を救ったが、猛毒がシヴァ神ののどを焼いたため首から上が青黒くなった。

《参考3》(a)今でこそ主神となった「シヴァ神」だが、アーリア人の『リグ・ヴェーダ』の中ではモンスーンの神「ルドラ」の別称とされ、神々というよりはアスラ(悪魔)としてとらえられている。
(b)モンスーン(暴風雨)による「破壊」と「雨の恵み」というルドラ神の2面性は、後のシヴァ神に引き継がれる。
(c)アーリア人のインド進出後はルドラ神は、土着のドラヴィダ系の神を吸収しシヴァ像が形作られていく。
(d)現在の「シヴァ神」の立ち位置は、仏教やジャイナ教の勢力の拡大に対抗して行われた「ヒンドゥー教」の再編成の中で、徐々に土着信仰を吸収する中で生まれた。そのためシヴァ神は元来の破壊と創造以外にも多くの事物を司る。土着の神のヒンドゥー教化である「パールバティー」(シバ神の妃;「山に住む女神」・「ヒマラヤ山の娘」の意味;慈愛に満ちる)や「ドゥルガー」(パールバティーの凶暴な相で血なまぐさい女戦士;獅子に乗り10本の手に武器を持ち悪魔を殺す)などの女神を妻とし多くの神の領域を受け持つ。
(e)シヴァ信仰の最大の特徴が「リンガ」信仰だ。シヴァ寺院の奥の本殿には必ず「シヴァリンガ」が置かれ、礼拝者たちが香油やミルク、花、灯明などを捧げる。シヴァリンガは、男性器の象徴である「リンガ」と台座で女性器の象徴である「ヨーニ」から構成される。これは男女の合一を示し、「男女の神が一つとなって初めて完全である」というヒンドゥー教の考えを表す。シヴァリンガが置かれる寺院の内部は即ち女性の胎内である。シヴァ派のヒンドゥー教徒は自宅でも小さなシヴァリンガを祀って礼拝をすることもある。
(f)「男根崇拝」は世界各地にみられるが、本来アーリア人はそれを野蛮なものとして忌避していたことが『ヴェーダ』から読み取れる。
(f)-2しかし土地に根付いていた非アーリア的/ドラヴィダ的な宗教要素が復活してくるにつれ、「リンガ信仰」(男根崇拝)は「シヴァ信仰」と結びつき大きく発展した。いわばアーリア系とドラヴィダ系の信仰を結ぶ懸け橋のような存在として、「シヴァ信仰」は大きく広がった。
(g)「リンガ信仰」の発生を示す神話がある。「ヴィシュヌが原初の混沌の海を漂っていた時、光と共にブラフマーが生まれた。自分こそが世界の創造者であると主張して引かない2神が言い合っていると、突如閃光を放って巨大なリンガが現れた。2神はこのリンガの果てを見届けた者がより偉大な神であると認めることで合意し、ブラフマーは鳥となって空へ、ヴィシュヌは猪となって水中へ、上下それぞれの果てを目指した。しかしリンガは果てしなく続いており、2神は諦めて戻ってきた。するとリンガの中から三叉戟を手にしたシヴァが現れた。シヴァはヴィシュヌもブラフマーも自分から生まれた者であり、3神は本来同一の存在であると説いた。」
(g)-2 ヒンドゥー教では宗派によって神話の内容やその主役が入れ替わるが、シヴァが世界の創造主であるとするこの神話はもちろんシヴァ派のものである。他の宗派の神話では、それぞれの主神が世界の創造主であることを示す神話(これも様々なバリエーションがある)が存在する。

★シヴァ神と妃パールバティー(シヴァには3つの目がある;もつれた髪からガンジス川が流れ、蛇のアクセサリーに髑髏の花輪を身に着ける;体には灰ヴィブーティを塗り、虎の毛皮に座わる)
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沖田瑞穂『すごい神話』44.「悠久の時を生きるヴィシュヌ――ヴィシュヌとシヴァはどちらが偉い? 1」:「悠久の時を生きる」ヴィシュヌが、「生成と消滅を繰り返す」シヴァよりも偉大だ!

2023-10-25 17:07:08 | 日記
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

ヒンドゥー教の最高神の中でも勢力を二分するヴィシュヌとシヴァ。どちらがより偉いのか?まず「ヴィシュヌが最も偉大だ」とする神話がある。この神話は「生成と消滅を繰り返すシヴァ」よりも、「悠久の時を生きるヴィシュヌ」の方がより偉大だと述べる。

A 「神々の王」インドラが、ものづくりの神ヴィシュヴァカルマンに宮殿の造営を命じた。インドラの要求は際限なく、壮麗な宮殿をヴィシュヴァカルマンが造るたびに、さらに立派な宮殿を建てるよう命じた。
A-2  たまりかねたヴィシュヴァカルマンは「ブラフマー神」に助けを求めた。
A-3  ブラフマー神は、「ヴィシュヌ神」のもとへ赴いて助けを乞うた。

B その翌朝、インドラの宮殿に10歳ほどの大変美しい少年(ヴィシュヌ神)がやってきた。少年は王宮の広間に入ってきた蟻の行列を見て、「神々の王」インドラに言った。「1匹1匹の蟻は、前世で1度は『神々の王』であったものです。ですがその後、多くの命を繰り返し生きるうちに、みな蟻になったのです。」
B-2  インドラは、それまで輝かしい栄光に包まれていた自分が、無にも等しい小さな存在になったように感じた。インドラは「際限なく壮麗な宮殿を造らせたい」との自分の欲望の無意味に気づく。

C そこに一人の胸毛をもった苦行者(シヴァ神)が現れた。苦行者は言った。「私の胸毛の1本が抜けるごとに、1人の『神々の王』インドラの世が終わります。すでに胸毛の半分がなくなりました。胸毛の残りが抜けると『創造神ブラフマー』の命が終わり、私(シヴァ神)も消滅します。」
C-2  「1人のブラフマー神の命の長さは、『ヴィシュヌ神』のまばたきの間にすぎません。」
C-3  「ましてや、ブラフマー神以下の神々も、人間も、泡のように生まれて消えるだけです。」
C-4  このように「輪廻転生」の思想においては、人間も神々も、生まれては死に、死んでは生まれる。現世は儚く短いのだ。

D 苦行者(シヴァ神)が姿を消すと、少年(ヴィシュヌ神)の姿も消えた。あとに残されたインドラからは「宮殿をもっと壮麗にしたい」との際限ない欲望はすっかり失われた。

E  この神話では「生成と消滅を繰り返すシヴァ神」よりも、「悠久の時を生きるヴィシュヌ神」の方がより偉大だと述べる。
E-2  1人の「ブラフマー神」の命の長さは、1人の「苦行者(シヴァ神)」と同じである。ところが、その長さはなんと「ヴィシュヌ神」の「まばたき」の間にすぎない。
《感想》ここでは「ヴィシュヌ神」が、「ブラフマー神」よりも、また「シヴァ神」よりも、悠久・偉大だと主張されている。
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