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「中村 草田男(クサタオ)」『日本詩人全集31』(新潮社、1969年):自然愛撫、動物俳句、公(オオヤケ)への奉仕(公憤)、聖家族!

2021-06-03 15:03:26 | 日記
中村草田男(クサタオ)(1901-1983)は一方で「自然を朗らかに讃美する」あるいは「自然愛撫」。ことに動物を俳句にすること(動物俳句)では未曽有の才能を発揮。他方で「俳句を通して公(オオヤケ)へ奉仕するという理想」を持つ。彼は教育者(東京帝大卒業後、成蹊学園教師となる)として「公憤」を吐き出す。なお妻子を題材にした俳句は「聖家族」を描いたように幸福だ。

(1)『長子』(S11、35歳)
★東野にて「そら豆の花の黒き目数知れず」:そら豆の花は一部が黒く目のようだ。花が沢山咲いている。
★「あかるさや蝸牛かたくゝねむる」:日が出ている昼間、蝸牛は殻を閉じる。
★「鰯雲この時空のまろからず」:鰯雲が空をおおい、時空は平べったい。
★「雁渡る菓子と煙草を買ひに出て」:菓子と煙草は楽しみ。まだ秋の平和。Cf. 2.26事件はS11、日中戦争はS12。
★「水甕に水も充(ミ)てけり除夜の鐘」:水甕に水も充ちて新年の準備は済んだ。除夜の鐘が鳴る。
★「降る雪や明治は遠くなりにけり」:1931(S6)年作。明治が終わって20年。満州事変の起きた年。
★「雪解けて茨の露となりにけり」:雪が露に変化する。個体から液体への状態変化。

(2)『火の島』(S14、38歳)
★「桜の実紅経てむらさき吾子(アコ)生まる」:桜の実が熟し紅が紫となり、わが子が生まれた。
★「冬空西透きそこを煙ののぼるかな」:透明な空に煙がのぼる、冬。
★「妻抱かな春昼(シュンチュウ)の砂利踏みて帰る」:35歳で結婚したばかり。新婚ほやほや。
★「世界病むを語りつゝ林檎裸となる」:林檎の皮をむいた。世界病むを語りつゝ。Cf. S11-13(1936-38)頃、日本は2・26事件(1936)、日中戦争(1937)、国家総動員法(1938)。また世界はナチスドイツのラインラント進駐(1936)、ベルリン・ローマ枢軸結成(1937)、ミュンヘン会談(1938)。
★「万緑の中や吾子の歯生え初むる」:赤ん坊の最初の歯。親のうれしさ。
★「追分から上げ道下げ道きりゞす」:山の合間の道。上がり下がり。そしてキリギリスが鳴く。
(3)『万緑』(S16、40歳)
★「空かけてコンクリートの冬現る」:寒々しいコンクリートの巨大ビルの冬。
★「若者には若き死神花柘榴(ザクロ)」:内臓の裂けたような柘榴。戦争で若者が死ぬ。S12日中戦争、 S14世界大戦始まる。
★「横顔を炬燵(コタツ)にのせて日本の母」:うたた寝。疲れている。

(4)『来し方行方』(S22、46歳)
★「店頭の鍬の柄素(シロ)し燕来ぬ」:燕が来た。春だ。
★十九歳よりの愛読書「ツアラツストラ」訳書にて、二十数回、原書にて四回通読、今又原書を初めより一節づゝ読み改め始む「鳴るや秋鋼鉄の書の蝶番(テフツガヒ)」:19歳からすでに25年経ち、ニーチェの「ツアラツストラ」の訳書を年に1回、原書を5年に1回読んだ。ニヒリスト(虚無主義者)ニーチェの「超人」言わば「鋼鉄の男」の書だ。「鋼鉄の書」は「蝶番」で綴じられている。
★「川が海へ行くごと炉辺に国想ふ」:草田男はS16(40歳)頃、俳壇内で自由主義者と指弾され、威圧圧迫を加えられた。
★終戦の大詔を排したる日「切株に据えし蘖(ヒコバエ)に涙濺(ソソ)ぐ」:大木(大日本帝国)が切り倒された。細かな蘖(ヒコバエ)が生える。
★再び独居、僅かの配給の酒に寛ぐ事もあり、燈下へ来れる蟷螂の姿をつくゞ眺めて唯独り失笑する事もあり「蟷螂は馬車に逃げられし馭者のさま」:カマキリの所作が、人の所作に見える。間抜けなカマキリ(人)。
★「深雪道来し方行方相似たり」:「来し方」は戦争でひどかったし、「行方」も敗戦の混乱でひどそうだ。
★「耕せばうごき憩へばしづかな土」:畑仕事。土の二相。動と静。耕すとき土は動く、休憩中、土は静か。
★「伸びる肉ちゞまる肉や稼ぐ裸」:日雇い労働者。当時「ニコヨン」と呼ばれた。(東京都が1949年に定めた日雇労働者日給240円で、百円札2枚・十円札4枚。)
★「銀河の下ひとり栄えて何かある」:草田男の「俳句を通して公(オオヤケ)へ奉仕するという理想」からする不平等への義憤。
★「赤きもの甘きもの恋ひ枯野行く」:食料の買い出し。小豆(赤い)、柿(赤い甘い)、砂糖(甘い)、サツマイモ(赤い甘い)、また米などを手に入れねばならない。(Cf. なお食糧管理制度の下では、配給以外の食料の入手は違法で、買い出しは取り締まられた。)
★「十年の間(マ)に小蒲団の殖えにけり」:結婚して10年、子どもが殖えた。
★たまゝ手に触るゝ雑誌類にて、現下流行の一態をなす所謂「情痴文学」にゆくりなくも眼触るゝことあり「日盛の雌猿(メザル)の立膝(タテヒザ)艶(エン)か真か」:エロティシズムかリアリズムかの見解の差。Cf. 舟橋聖一『横になった令嬢』(1946年)は「情痴小説」と呼ばれた。Cf. 女性を「雌猿(メザル)」と呼ぶのは女性蔑視。

(5)『銀河依然』(S28、52歳)
★「葡萄食ふ一語一語の如くにて」:文学に携わる人らしい感想。
★「いくさよあるな麦生(ムギフ)に金貨天(アマ)降るとも」:Cf. 朝鮮戦争(S25-)のさ中、日教組が「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを採択した。
★「浮浪児昼寝す『なんでもいいやい知らねえやい』」:S20~S25頃まで戦災孤児・浮浪児が多かった。Cf. 朝鮮戦争は朝鮮特需(S25-S28)を生み、S31経済白書が「もはや戦後ではない」と言った。
★「炎天の人列昏(クラ)し光あれ」:終戦直後、生きるため、人々は並んで物資を手に入れた。
★「少年の夏シャツ右肩裂けにけり」:戦後、S30年代前半まで、普通、つぎをあてて衣服を着た。豊かになっるのはオリンピック景気(S37-S39)の頃からだ。Cf. 神武景気(S29-S32)、岩戸景気(S33-S36)が高度成長前期だ。
★「毛糸編む気力なし『原爆展見た』とのみ」:S25、丸木位里・俊「原爆の図」全国巡回展が始まった。妻が余りの惨状を知り絶句した。
(6)『母郷行』(S31、55歳)
★「沖つ帆へむかひて盆の供物流る」:広い海を盆の供物が流れ行く。海の彼方の彼岸へ向かう。

(7)『美田』(S42、66歳)
★「譲られし如き場があり蛇かくれて」:蛇の特等席が予約されているようだ。蛇がそこに隠れている。
★「原爆忌いま地に接吻してはならぬ」:原爆の「死」の大地。接吻するのは「生」の大地。
★「泉辺(イヅミベ)へ生きものすべて独り来る」:水はすべての「生きもの」に必須だ。
★「月の面(オモテ)広しや谷の梅照らす」:谷の空は狭い。月の面が大きい。
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