「1980年代 遊園地化する純文学」(その1):「ポストモダンと文化の爛熟」新自由主義!「Japan as No.1」&バブル景気!ポストモダン文学=脱リアリズム!(斎藤美奈子『日本の同時代小説』3)
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書
(26)「ポストモダンと文化の爛熟」:1980年代に「小さな政府」を目指す「新自由主義」の経済路線へ経済政策が転換した!「格差社会」のスタートだが、誰もまだ気づいていなかった!
A 1980年代は、それまでの規範が崩れたところからはじまった。そして「文化の爛熟時代」だった。「昭和の。文化文政時代」と言ってもよい。(90頁)
A-2 1980年代に「小さな政府」を目指す「新自由主義」の経済路線へ経済政策が転換した。Ex. アメリカのレーガノミックス(任1981-1989)。イギリスのサッチャリズム(任1970-1990)。(90頁)
A-2-2 日本でも電電公社がNTT(1985)に、専売公社が日本たばこ(JT)(1985)に改変され、さらに国鉄が分割民営化されJRグループ(1987)となった。これは、後に顕在化する「格差社会」のスタートだった。(※だが、誰もまだ気づいていなかった。)(90頁)
(26)-2 1980年代の日本は浮かれていた:『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(Japan as No.1)(1979)&「バブル景気」(最盛期は1987-1989)!
A-3 1980年代の日本はなんとなく浮かれていた。社会学者エズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979)で、高度経済成長を実現させた日本型経済の優れた点を分析した。1980年代の日本人は自分たちが「世界の勝ち組」になったと思った。(90頁)
A-3-2 1985年のプラザ合意に端を発する「バブル景気(バブル経済)」は、日本人をますます有頂天にさせた。(90頁)
《参考》プラザ合意後の「円高不況」に対し、日銀が公定歩合を引き下げたが、円高のメリット(Ex. 外国産の原材料が安い)でむしろ好況となり、その結果、銀行のカネ余りを招き、そのお金が株や土地の購入(「財テク」ブーム)に使われ「バブル景気」(1986/12-1991/2、最盛期は1987-1989)が生じた。
(26)-3 1980年代の文化は完全に「陽」だった:「お笑い芸人」、「コピーライター」、「ニューアカ」、「ディズニーランダイゼーション」!
A-4 文化の面で、1970年代は「公害」と「戦争体験」と真摯に向き合った点で「陰」気味だった。そこから一転、1980年代の文化は完全に「陽」だった。(90-91頁)
(a)漫才ブームで「お笑い芸人」がトップスターに躍り出る。(91頁)(※ B&B・ツービート・紳助・竜介、タモリ・明石家さんま・ビートたけしの「BIG3」等。)
(b)「コピーライター」が時代の寵児となり、広告表現が「文化」に昇格する。(91頁)(※糸井重里(1948-)「くうねるあそぶ」「いまのキミはピカピカに光って」。仲畑貴志(タカシ)(1947-)「タコなのよ、タコ。タコが言うのよ」「カゼは社会の迷惑です」等。)
(c)浅田彰(1957-)や中沢新一らの若手の学者が「ニューアカ」(ニューアカデミズム)の旗手として人気を集める。(91頁)
《参考1》浅田彰『構造と力――記号論を超えて』(1983、26歳):構造主義とポスト構造主義の思想を一貫した見取り図のもとに再構成。フランス現代思想に対する「知の見取り図」として受容される。
Cf. 「構造主義」:クロード・レヴィ=ストロース(1908-2001)、ルイ・アルチュセール(1918-90)、ジャック・ラカン(1901-1981)、ロラン・バルト(1915-1980)等。
Cf. 「ポスト構造主義」:ミシェル・フーコー(1926-84)、ジャック・デリダ(1930-2004)の「脱構築」の哲学、ドゥルーズ(1925-95)とガタリ(1930-92)が用いたラカン派精神分析等。
Cf. 構造主義は、対象を構成要素に分解し、要素間の関係を整理統合して、その対象を理解する。
《参考1-2》浅田彰『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』(1984、27歳):浅田は人間を、特定の価値観や立場・見方に固執するパラノイア(偏執狂)型と物事に固執しないスキゾフレニア(統合失調症)型に二分し、物事に執着しないタイプの人間(スキゾ)を推奨。これは「パラノからスキゾへ」というキャッチフレーズとして、当時の流行語となった。
《感想》「人格」としての自分の価値さえ相対化し、「逃走」する!つまりこの「世間」で上手に立ち回り=逃げ回り、エリートとしてちゃっかり生きる。(評者の個人的感想。)
《参考2》中沢新一(1950-)『チベットのモーツァルト』(1983年、33歳):中沢新一は、チベット密教僧に弟子入りし瞑想を体験。西欧の構造主義のコンテクストを用い瞑想世界を解明しようとする。吉本隆明はこれを「精神(心)の考古学」と評した。(※中沢は「オウム真理教」との関係がしばしば指摘される。)
《参考2-2》吉本隆明は、この中沢新一の本は「太古を探る知的営み」だと言う。「はじめに言葉(ロゴス)ありき」の以前、言葉が生成され精神・時間・空間が分節される以前の、いわば「夜明け前の曙光」を心で体感しこの本は生まれた。かくて、ここで使われる言葉はイメージ喚起的な言葉ばかりとなる。
(d)建築史家の中川理(オサム)(1955-)は『偽装するニッポン』(1996)で、1980年代の公共施設が「おもしろさ」「かわいらしさ」を過剰に追求したので、動物などを模したデザインばかりになったと言い、これを「ディズニーランダイゼーション」と呼んだ。Cf. ディズニーランド開園は1983年。(91頁)
(26)-4 1980年代の「ポストモダン」文学:「脱リアリズム」&「事実を蹴飛ばす超ノンフィクション」!
A-5 1980年代の文学は「ポストモダン」文学と言われる。(91頁)
A-5-2 「ポストモダン」とは何か?ジャン=フランソワ・リオタール『ポスト・モダンの条件』(1989)は、「大きな物語の終焉」「知識人の終焉」をあげる。建築なら、「機能性と合理性」だけを追求した建築物が「モダン」、「遊び」を求め「規範から逸脱」した建築物が「ポストモダン」だ。(91頁)
A-5-3 1980年代の「ポストモダン」文学は、「脱リアリズム」を特徴とする。事実を重んじる「ノンフィクション」の時代から、「事実を蹴飛ばす超ノンフィクション」の時代となった。(91頁)
(26)「ポストモダンと文化の爛熟」:1980年代に「小さな政府」を目指す「新自由主義」の経済路線へ経済政策が転換した!「格差社会」のスタートだが、誰もまだ気づいていなかった!
A 1980年代は、それまでの規範が崩れたところからはじまった。そして「文化の爛熟時代」だった。「昭和の。文化文政時代」と言ってもよい。(90頁)
A-2 1980年代に「小さな政府」を目指す「新自由主義」の経済路線へ経済政策が転換した。Ex. アメリカのレーガノミックス(任1981-1989)。イギリスのサッチャリズム(任1970-1990)。(90頁)
A-2-2 日本でも電電公社がNTT(1985)に、専売公社が日本たばこ(JT)(1985)に改変され、さらに国鉄が分割民営化されJRグループ(1987)となった。これは、後に顕在化する「格差社会」のスタートだった。(※だが、誰もまだ気づいていなかった。)(90頁)
(26)-2 1980年代の日本は浮かれていた:『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(Japan as No.1)(1979)&「バブル景気」(最盛期は1987-1989)!
A-3 1980年代の日本はなんとなく浮かれていた。社会学者エズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979)で、高度経済成長を実現させた日本型経済の優れた点を分析した。1980年代の日本人は自分たちが「世界の勝ち組」になったと思った。(90頁)
A-3-2 1985年のプラザ合意に端を発する「バブル景気(バブル経済)」は、日本人をますます有頂天にさせた。(90頁)
《参考》プラザ合意後の「円高不況」に対し、日銀が公定歩合を引き下げたが、円高のメリット(Ex. 外国産の原材料が安い)でむしろ好況となり、その結果、銀行のカネ余りを招き、そのお金が株や土地の購入(「財テク」ブーム)に使われ「バブル景気」(1986/12-1991/2、最盛期は1987-1989)が生じた。
(26)-3 1980年代の文化は完全に「陽」だった:「お笑い芸人」、「コピーライター」、「ニューアカ」、「ディズニーランダイゼーション」!
A-4 文化の面で、1970年代は「公害」と「戦争体験」と真摯に向き合った点で「陰」気味だった。そこから一転、1980年代の文化は完全に「陽」だった。(90-91頁)
(a)漫才ブームで「お笑い芸人」がトップスターに躍り出る。(91頁)(※ B&B・ツービート・紳助・竜介、タモリ・明石家さんま・ビートたけしの「BIG3」等。)
(b)「コピーライター」が時代の寵児となり、広告表現が「文化」に昇格する。(91頁)(※糸井重里(1948-)「くうねるあそぶ」「いまのキミはピカピカに光って」。仲畑貴志(タカシ)(1947-)「タコなのよ、タコ。タコが言うのよ」「カゼは社会の迷惑です」等。)
(c)浅田彰(1957-)や中沢新一らの若手の学者が「ニューアカ」(ニューアカデミズム)の旗手として人気を集める。(91頁)
《参考1》浅田彰『構造と力――記号論を超えて』(1983、26歳):構造主義とポスト構造主義の思想を一貫した見取り図のもとに再構成。フランス現代思想に対する「知の見取り図」として受容される。
Cf. 「構造主義」:クロード・レヴィ=ストロース(1908-2001)、ルイ・アルチュセール(1918-90)、ジャック・ラカン(1901-1981)、ロラン・バルト(1915-1980)等。
Cf. 「ポスト構造主義」:ミシェル・フーコー(1926-84)、ジャック・デリダ(1930-2004)の「脱構築」の哲学、ドゥルーズ(1925-95)とガタリ(1930-92)が用いたラカン派精神分析等。
Cf. 構造主義は、対象を構成要素に分解し、要素間の関係を整理統合して、その対象を理解する。
《参考1-2》浅田彰『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』(1984、27歳):浅田は人間を、特定の価値観や立場・見方に固執するパラノイア(偏執狂)型と物事に固執しないスキゾフレニア(統合失調症)型に二分し、物事に執着しないタイプの人間(スキゾ)を推奨。これは「パラノからスキゾへ」というキャッチフレーズとして、当時の流行語となった。
《感想》「人格」としての自分の価値さえ相対化し、「逃走」する!つまりこの「世間」で上手に立ち回り=逃げ回り、エリートとしてちゃっかり生きる。(評者の個人的感想。)
《参考2》中沢新一(1950-)『チベットのモーツァルト』(1983年、33歳):中沢新一は、チベット密教僧に弟子入りし瞑想を体験。西欧の構造主義のコンテクストを用い瞑想世界を解明しようとする。吉本隆明はこれを「精神(心)の考古学」と評した。(※中沢は「オウム真理教」との関係がしばしば指摘される。)
《参考2-2》吉本隆明は、この中沢新一の本は「太古を探る知的営み」だと言う。「はじめに言葉(ロゴス)ありき」の以前、言葉が生成され精神・時間・空間が分節される以前の、いわば「夜明け前の曙光」を心で体感しこの本は生まれた。かくて、ここで使われる言葉はイメージ喚起的な言葉ばかりとなる。
(d)建築史家の中川理(オサム)(1955-)は『偽装するニッポン』(1996)で、1980年代の公共施設が「おもしろさ」「かわいらしさ」を過剰に追求したので、動物などを模したデザインばかりになったと言い、これを「ディズニーランダイゼーション」と呼んだ。Cf. ディズニーランド開園は1983年。(91頁)
(26)-4 1980年代の「ポストモダン」文学:「脱リアリズム」&「事実を蹴飛ばす超ノンフィクション」!
A-5 1980年代の文学は「ポストモダン」文学と言われる。(91頁)
A-5-2 「ポストモダン」とは何か?ジャン=フランソワ・リオタール『ポスト・モダンの条件』(1989)は、「大きな物語の終焉」「知識人の終焉」をあげる。建築なら、「機能性と合理性」だけを追求した建築物が「モダン」、「遊び」を求め「規範から逸脱」した建築物が「ポストモダン」だ。(91頁)
A-5-3 1980年代の「ポストモダン」文学は、「脱リアリズム」を特徴とする。事実を重んじる「ノンフィクション」の時代から、「事実を蹴飛ばす超ノンフィクション」の時代となった。(91頁)