DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

(1) 物と《心が宿る物》(人間)からなる世界、(2) モナドの出会い、(3) 《意味つまりイデア》の世界、(4)《意味つまりイデア》の世界の記号・象徴!

2020-02-29 23:00:54 | 日記
(1)物と《心が宿る物》(人間)からなる世界!
いったい何だったのだ?求めていたものは幻影だった。幻影でないのは物だ。(《心が宿る物》も含む。)物と《心が宿る物》(人間)が君の行く手を阻む。君とは《心が宿る物》(人間)の一つだ。なんとまあ嫌な物の世界、そして《心が宿る物》(人間)の世界。
(1)-2 モナドの出会い!
モナドが物(《心が宿る物》としての身体)において交差する(交差が可能なのはモナドの構造・作用が同じだからだ)ことが、モナドの出会いだ。
(2)《意味つまりイデア》なしに時間的存在の混沌から抜け出せない!
《意味つまりイデア》なしに時間的存在は把握しえない。君たちは《意味つまりイデア》なしに時間的存在の混沌から抜け出せない。《意味つまりイデア》の世界は、ほとんどがどうにでも作りうる。何ものかについて一と多の区別、そしてその展開(数学・論理学)のみは(諸)モナドの普遍的規則性だ。(どうにでも作りうるものでないということ!)
(3)モナド(心)は、《意味つまりイデア》の世界としてのみ、物の世界、そして《心が宿る物》(人間)の世界を把握する!
物の世界、そして《心が宿る物》(人間)の世界の抵抗性、《心(感情・欲望)を宿らせる物》(人間)世界の抵抗性のうちで、物に宿る心(感情・欲望)は物の運動としての人間行動を遂行する。(Cf. 心はもちろんモナドでもある。)(Cf. 感覚は物の出現でありモナドに属す。)人間行動を引き起こすモナド(心)は、《意味つまりイデア》の世界(これにはモナドの普遍的規則性である意味・イデア連関つまり数学・論理学も含まれる)としてのみ、物の世界、そして《心が宿る物》(人間)の世界を把握する。
(4)《意味つまりイデア》の世界の記号・象徴:①あらゆる物の世界、そしてあらゆる《心が宿る物》(人間)、②《文字or音声》!
①あらゆる物の世界、そしてあらゆる《心が宿る物》(人間)は、産出される(時間的な)物・心(感覚・感情・欲望・思念)として、《意味つまりイデア》の世界の記号・象徴である。そして②《意味つまりイデア》の世界にいたる近道は《文字or音声》である。《文字or音声》もまた、《意味つまりイデア》の世界の記号・象徴である。Cf. 物・心が産出される(時間的な)ものであることはモナドの本性だ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『37セカンズ』監督HIKARI(2019、日米):「みんな誰もが同じ」とは人はそう簡単に認めない!例えば「能力ある人間」と「無能な人間」は「同じ人間でない」との見方が、今、広がっている!

2020-02-29 19:28:07 | 日記
(1)脳性麻痺の貴田夢馬(ユマ)23歳!
出生時37秒間呼吸ができなかったため、手足が自由に動かない脳性麻痺の貴田夢馬(ユマ)23歳。過保護な母親(ユマが生まれてすぐ父親と離婚)とユマは住む。ユマは車椅子生活を送り、漫画家のゴーストライターとして空想の世界を描く。ユマは自立するためアダルト漫画の執筆を望むが、編集者から「リアルな性体験がないと良い漫画は描けない」と言われる。ユマの新しい友人で、障がい者専門の娼婦の舞が、ユマに外の世界を見せる。それを知ったユマの母親は激怒する。ユマは家出する。介護ヘルパーの俊哉がユマを支える。ユマの漫画(アダルト漫画でない)が新人作家として認められるところで、映画が終わる。
《感想》夢のような作品だ。現実には経済的余裕の問題が立ちはだかる。①ユマの家は立派で母親は一定の財産を持つ。②脳性麻痺の女性の自立は現実には厳しい。ユマが新人漫画作家として認められるという想定は、そうなってほしいという夢だ。
(2)主人公のユマ役:佳山明さん!
主人公のユマと同じく脳性麻痺で、社会福祉士として働いていた佳山明が、オーディションで主演に抜てきされた。
《感想》佳山明さんが喜び・楽しむシーンがとてもいい。
(3)「障害者と性」!
『37セカンズ』は、ロサンゼルスを拠点に活動するHIKARI監督の長編デビュー作だ。成人向けマンガを描く女性を取材し、「障害者と性」について学んだことが今作の構想のきっかけとなったという。「そばにいて欲しい、ハグして欲しい、キスしたい、そういうことをできない女性たちへのサービスについて興味を持ちました」とHIKARI監督が言う。
《感想》「障害があると言っても、気持ちは普通の人となにも変わらない」というユマの発言が印象的だった。
(3)-2 「身体」:人間にとって最も基礎的な「環境」!
セックスセラピストの方から「女性は好きな人であれば心がつながって快感を得られる」と聞いたとHIKARI監督が言う。また「下半身不随の方のインタビューでは『尿意を感じることができないので、一定の時間でカテーテルで排尿する日常を送り、出産でも力を入れることができないのに、赤ちゃんはお母さんのために自ら出てきて、自然分娩ができる』と教えてもらった」という。
《感想》「身体」は、人間にとって最も基礎的な「環境」だと言える。つまり「身体」は自分でなく、自分の「環境」だ。
(3)-3 「女性がひとりの人間として、どんどん前に進めるような作品」!
HIKARI監督が言う。「障害を持つ女性たちが向き合う性はどういうものかを取材したところ、やはり人それぞれで、快感を覚える人もいれば、身体がコンプレックスで他人とは関わりたくない、見られたくない、という人もたくさんいます。でも、皆さんすごくきれいだし、やりたいこともやっているし、ただ障害があるだけ。女性がひとりの人間として、どんどん前に進めるような作品を作りたくなったんです。」
《感想》「やはり人それぞれ」とのHIKARI監督の感想はもっともだと思う。「女性がひとりの人間として、どんどん前に進めるような作品を作りたくなった」との監督の意図はこの映画で実現している。
(4)「みんな誰もが同じということに気づく」!
HIKARI監督は、マイノリティと呼ばれる人々へのフラットな眼差しを持つ。「デビュー作は戦後のレズビアンの話ですし、黒人と白人が恋愛できない時代を描いた作品もあります。世の中で一般じゃないと思われてるのが、他の国に行けば常識だったりすることもある。その違いを受け入れれば、みんな誰もが同じということに気づく。そうすると、人種差別やジェンダー差別がなくなる。そういった、当たり前のことをまだ知らない人達にお見せしたい。そういう気持ちでミックスジェンダーなどを扱ってきました」
《感想》「みんな誰もが同じ」とは人はそう簡単に認めない。例えば「能力ある人間」と「無能な人間」は「同じ人間でない」との見方が、今、広がっている。恐ろしい時代だ。
(4)-2「健常者の大人の方が、悪口を言ったり、嫌な人が多かった」!
HIKARI監督が言う。「私の祖父母が大阪で鉄工所を営んでいて、指がなかったり、耳が聞こえなかったり、いわゆる障害者と呼ばれる方たちも働いていたんです。子供のころからそういう方が常にまわりにいる環境で育ったので、私にとっては特別な区別はなくて、逆に健常者の大人の方が、悪口を言ったり、嫌な人が多かったように感じます。」
《感想》「健常者の大人の方が、悪口を言ったり、嫌な人が多かった」とはその通りだ。一方で「他人の不幸は自分の幸福」であり、他方で自分が受ける抑圧を、困難な他人を抑圧することで発散する「抑圧移譲」の心理が人にはある。
(4)-3 「マイノリティって何? 同じ人間としてくくればいいんじゃない?」
「そして高校3年からアメリカで暮らし、そこでは私がマイノリティでした。アメリカにいる時は人種差別もありました。特に学校の先生から、パールハーバーのことなど言われました。仕事でもアジア系の女性というだけで、チャンスは狭くなりましたし。日本に帰ってきたら、マジョリティになるけれど、一体、マイノリティって何? 同じ人間としてくくればいいんじゃない? そういう風にいつも思っていました。」(HIKARI監督)
《感想》欧米ではアジア系への差別が一般的だ。同じアジア系同士だが、日本人は嫌韓・嫌中といっていがみ合う。また韓国・中国が反日キャンペーンをする。残念だ。
(5)「何でもできますよ。この世の中。全て自分次第です。」(HIKARI監督)
「生まれ育ったところの環境がその後の人生に影響を与えるかもしれないけれど、それを打ち破る力を人間は持っていると思います。アメリカは100パーセント自分ががんばらないと助けてもらえないんです。みんな自分のことで手一杯だから、自分が前に進まないと。でも、もちろんヘルプを求めれば助けてくれるし、反対に人を利用する人もいる。それはどこも同じ。人がやりたいことを邪魔したり、ノーという人はあまりいません。私たちのパワーは無限。できないって、思わされるのは、どうでもいい社会のルールであったり、新しいことにチャレンジすることを恐れる自分自身だったり、“常識”と言っている環境であるだけ。何でもできますよ。この世の中。全て自分次第です。」(HIKARI監督)
《感想》「生まれ育ったところの環境・・・・を打ち破る力を人間は持っている」、「何でもできますよ。この世の中。全て自分次第です」とHIKARI監督のポジティブさに頭が下がる。
(5)-2  HIKARI監督!
HIKARI監督は、舞台女優、カメラマンなど様々なキャリアを経て、今、映画監督になった。現在はクリント・イーストウッドやクエンティン・タランティーノらが所属する大手エージェントに所属する。今作の評価をきっかけに、ハリウッドからもオファーが殺到している。
《感想》HIKARI監督は、マルチ・ウーマンだ。
(6)LGBTの映画!
映画製作が自身の“使命”だと思うようになったきっかけについてHIKARI監督が語る。
①「デビュー作の『Tsuyako』が世界をまわり、見てくださった方の反応に感激しました。2011年で、まだLGBT(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender)が今ほどクローズアップされる前だったのですが、50代の男性が号泣して、今から家族にカミングアウトする、自分にとって、新しい一歩を踏み出す映画になったと言ってくださいました。ひょっとしたら、私はこういう映画を作ることが使命なのかもと思ったんです。」
《感想》「私はこういう映画を作ることが使命なのかもと思った」と人の評価・称賛が自分を支える。
(6)-2 「皆でひとつのものをつくる」!
②「映画製作は家族のようなもの。皆でひとつのものをつくる、というのが大好きなんです。映画はひとりではできませんから。」
《感想》「皆でひとつのものをつくる、というのが大好き」とHIKARI監督は健全な人間観だ。「人嫌い」でない。
(6)-3 ハッピーも優しくなることも大変だ!
③「その中で、何を作るかを考えたとき、世界中の人がハッピーになれるもの、他の人に優しくなれるもの。人間と自然も一緒に包みこむような作品を作りたいと。今、テレビシリーズも進行中のものが3作くらいありますが、ビジュアルアーツという分野で、どんなメディアで見ても、ストーリーを通して、メッセージやポジティビティが伝われば。」
《感想》①「世界中の人がハッピーになれる」作品、②「他の人に優しくなれる」作品、③「人間と自然も一緒に包みこむ」ような作品を作りたいと、HIKARI監督は言う。難しい課題だ。①「世界中の人がハッピーになれる」作品、②「他の人に優しくなれる」作品と言っても、宗教対立、民族対立、能力差・勝ち組負け組の差、権力・金力を持つ者たちの傲慢、負け組の怨念・妬み・抑圧移譲、国同士の対立、企業(株主・出資者・経営者)の強欲と搾取される者の対立、正規雇用社員と非正規雇用社員の差別等々と、ハッピーも優しくなることも大変だ。③「人間と自然も一緒に包みこむ」と言っても人間(企業・企業者)は強欲で、自然破壊も動物を絶滅することも意に介さない。
(6)-4 10年後!
④「10年後はわかりませんけどね、『もうやりきった!』って、世界のどこかで学校を開いているかもしれません」
《感想》HIKARI監督は自由で、自分に素直な人だと思う。しかも有能だ。同時に努力の人だ。

《参考》“「ポジティビティを伝えたい」ハリウッドが注目のHIKARI監督が「37セカンズ」に託した思い”(映画.com速報)2020年2月8日 09:00


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清少納言(966?-1025?)『枕草子』(1001?)「にげなきもの」(42段):①年寄りはオシャレをしよう、②清少納言は年寄りに厳しい、③情事が「几帳にうちかけたる袴」で露骨に示される!

2020-02-29 00:44:03 | 日記
「にげ(似気)なきもの」つまり似つかわしくない、ふさわしくないものについて、清少納言が述べる。
(1)年寄りはオシャレをしよう!
「老いたる男の寝まどひたる。」年老いた男の寝ぼけたさまは、みっともないのだ。《感想》年老いているだけで「爺むさい」、つまり年寄りじみてむさくるしい。その上、寝ぼけていては、確かにみっともない。年寄りはオシャレをしよう!
(2)清少納言は年寄りに厳しい!
「歯もなき女の、梅(ムメ)食ひて酸(ス)がりたる。」歯のない婆さんが、梅を食べてすっぱがった顔は、みっともない。《感想》歯がなく梅干しのように顔にしわの多い老女は「梅干し婆(ウメボシババア)」と嘲られる。その上に、梅を食べてすっぱがった顔は、確かにみっともないだろう。清少納言は年寄りに厳しい。
(3)情事が「几帳にうちかけたる袴」で露骨に示される!
「そらだきもの(空薫き物)にしみたる几帳にうちかけたる袴など、いみじうたつきなし。」部屋に薫き匂わした香のかおりも高くしみ込んだなまめかしい几帳に、無造作に脱いだ白袴など懸けてあるのは、ひどく場違いでふさわしくない。恋人の女房の所にやってきた男の情事が、「几帳にうちかけたる袴など」で露骨に示される。実に下品だ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安部悦生『文化と営利』「第Ⅱ部」「第12章」(前半):ドイツは「社会的市場経済」で共同体的・団体主義的な文化だ!「弱いプロテスタント」と「弱いカトリック」がドイツの資本主義を支える!

2020-02-27 21:54:49 | 日記
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅱ部 経営文化の国際比較」「第12章 ドイツの経営文化」(前半)

「はじめに」:ドイツは独特の資本主義体制であり「社会的市場経済」だ!
A ドイツは「社会的市場経済」(あるいは「ライン型資本主義」)と呼ばれる独特の資本主義体制である。
A-2 《参考》「ライン型資本主義」:ドイツなど欧州諸国に見られる資本主義。企業は主に金融機関から資金を調達、株主だけでなく従業員・取引先・顧客・社会など利害関係者を幅広く重視。終身雇用・年功序列制を採用、賃金格差は比較的小さく、雇用は安定。なお日本はライン型資本主義の典型とされたが、平成8年(1996)の金融ビッグバン以降、アングロサクソン型資本主義への道を進んだ。
A-3 第2次大戦後のドイツ経済:(1)戦後の「奇跡の経済成長」、(2)東西ドイツ統一(1990)に伴う停滞、(3)20世紀末からのヨーロッパ経済(EU)の盟主としての復活。
A-4 この間、ドイツ資本主義、ドイツの経営体制、ドイツの経営文化は、強靭な継続性を示してきた。
A-5 ドイツの独特の制度:(ア)二元的トップマネマネジメント組織、(ア)-2労使協議制or労働者代表委員会(or経営協議会or従業員代表委員会)(Betriebsrat)、(イ)強力な産業別組合(I・G・メタル)、(ウ)マイスター制度、(ウ)-2 職業学校、(ウ)-3 サンドイッチ教育、(エ)少ない労働時間で高い生活水準、(オ)手厚い福利厚生、(カ)同族企業の執拗な存続、(キ)強靭な中堅企業(Mittelstand)。
A-6 ドイツは、ヨーロッパの中でも、イタリアとはまた別種の強さを誇る。
《感想1》ドイツ企業の労使協議制、マイスター制度と強靭な中堅企業、手厚い福利厚生など、「社会的市場経済」がいつまで可能か?今や、外国人が多数流入し、またグローバルな競争にさらされている。
《感想2》日本はもはや「ライン型資本主義」が壊れてしまった。「上級国民」の従業員にしか共同体主義は当てはまらない。日本は全国民の共同体主義を放棄した。グローバルな競争の時代、「下級国民」の従業員は奴隷に等しい。

(1)「ドイツの経営制度・文化の歴史的起源」(その1):ドイツの社会構成において頂点から下層まで共同体的・団体主義的な文化だ!
B ドイツは300にも及ぶ領邦国家の集合体だった→1806年イエナの敗戦(国民国家フランスへの敗北)でドイツに近代化の機運→シュタイン=ハルデンベルクの改革→関税同盟の成立→1871年プロイセン主導のドイツ帝国の成立。
C 1811年創業クルップ、1874年創業のジーメンスともにドイツ企業的特質をもつ:①産業家父長制(ヘル・イム・ハウゼ)に象徴される家父長的・人格的管理、専制的経営体制。
C-2 ツンフト(Zunft、同職組合)から工業マイスター制への転換。
D ドイツの社会構成においてドイツ帝国の頂点から下層まで共同体的・団体主義的な文化が浸透する:(a)頂点に皇帝(プロイセン王)、次いで有力諸侯、さらに封建的・権威主義的なプロイセン・ユンカー=貴族、(b)その下にラインラントなどのブルジョアジー(新興企業家層)、彼らの保守的家族的共同体の性格、(c)「ライ麦と鉄の同盟」(ユンカー貴族とブルジョアジーの同盟でユンカーが国政を担う)、(d)中産層として《伝統的な手工業者》あるいは《ツンフト親方の変形としてのマイスター》、彼らによるドイツ的熟練の維持、マイスターの保守的つまり堅実な共同体意識。
《感想》日本の封建的な江戸時代の「家制度」、また明治時代の「家制度」に、ドイツの封建的・権威主義的・家族的な共同体主義(ユンカー、保守的家族共同体的ブルジョアジー、マイスター制度)は似ている。

(1)-2 「ドイツの経営制度・文化の歴史的起源」(その2):(ア)二元的トップマネマネジメント組織(監査役会と執行役会)、(ア)-2労使協議制or労働者代表委員会(Betriebsrat)!
E (ア)英米の取締役会制度と異なり、ドイツでは監査役会(Aufsichtsrat)と執行役会(Vorstand)の二元的トップマネッジメント体制(1870年改正株式法)。 (ア)-2 1920年、労働者代表委員会(or経営協議会or従業員代表委員会)法。
E-2 ワイマール期には、こうした制度が機能した。
E-3 ナチス期には労働運動が抑圧され、労使協議の機運頓挫。
E-4 第2次大戦後、ドイツの労使関係は、本来の労使協議・労使協調の軌道に復帰し、共同決定制に発展した。
E-4-2 共同決定法(1976年)では、2000人以上の従業員を有する企業は、監査役会において経営側と労働側が同数の監査役を持つことが義務となった。
《感想》共同決定法(1976年)では、監査役会において経営側と労働側が同数の監査役を持つとは言え、株主代表(経営側)10名に対し、労働側は賃金労働者代表5名、労働組合代表(全国労働組織の専従)3名、俸給従業員代表1名、管理職代表1名である。管理職は経営側とも考えられるので、経営側11名、労働側9名とも言える。経営合理性の追求を可能にする一方で、ここまで労働側の発言が法的に保障されているとはすごい。「社会的市場経済」だ!

(1)-3 「ドイツの経営制度・文化の歴史的起源」(その3):ドイツの(オ)手厚い福利厚生(Ex. ビスマルクの社会保険制度)は中間組織を重視する文化的背景から生まれた!
F ドイツの(オ)手厚い福利厚生の起源は、1880年代、ビスマルクの下での疾病保険法(1883年)など社会保険制度の開始だ。これは社会主義鎮圧のためのカウンターバランスだったが、同時にドイツの共同体的・団体主義的、言い換えれば中間組織を重視する文化的背景から生まれた。
《感想》一般に共同体的団体には互助組織が生まれる。社会保険制度もその一つだ。ドイツの共同体的・団体主義的、言い換えれば中間組織を重視する文化が、社会保険を可能にしたという見解はもっともだ。

(1)-4「ドイツの経営制度・文化の歴史的起源」(その4):「弱いプロテスタント」(北ドイツ)、「弱いカトリック」(南ドイツ)は、資本主義化の開始で遅れたが、その後の資本主義発展で主導的立場を築いた!
G 北ドイツは「弱い(世俗化が進行した)プロテスタント」、南ドイツは「弱い(世俗化が進行した)カトリック」だ。プロテスタントもカトリックも、仕事に励み自らの職業を天職とし、「神を喜ばす」ため仕事に邁進し富を蓄積することっを義務と考える。仕事への邁進はドイツの一般的エートス(生活態度、生活倫理、)だ。
G-2 イギリスやネーデルランドはカルヴィニズムやピューリタンに代表されるように「強いプロテスタント」だった。
G-3 「南イタリア」は「強い(教会の権威・権限が強い)カトリック」で、資本主義発展の波から取り残されている。
G-4 個人の信仰、ゼクテ的結合を特徴とする「強いプロテスタント」ば、資本主義勃興の引き金を引いたとすれば、「弱いプロテスタント」(北ドイツ)、「弱いカトリック」(南ドイツ)は資本主義化の開始こそ遅れたが、その後の資本主義発展にとってイギリス、オランダを凌駕し主導的立場を築いた。
《感想1》M.ウェーバーは資本主義勃興の「引き金を引いた」のがカルヴィニズムだと述べただけだ。「弱いプロテスタント」(北ドイツ)と「弱いカトリック」(南ドイツ)は、その後の資本主義発展を支えたとの見解はもっともだ。
《感想2》日本の二宮尊徳的「倹約や節約」は資本主義的「企業家」を支える思想ではなく、資本主義下の「従順な労働者」の育成に役立ったというべきだろう。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《フィクション》「ブロークン・ジャパン(壊れた日本)」!田部首相の「国家の私物化」が進み、この国の「法の支配」・モラルを破壊した!

2020-02-27 18:38:00 | 日記
(1)村友学園前理事長・釜池被告に懲役5年の判決:田部秋恵夫人の“介在“に全く触れず!架計学園疑惑も、まだうやむやだ!
2月19日、村友学園前理事長・釜池被告(67)と妻純子被告(63)が「国などの補助金をだまし取った罪」に問われた裁判の判決が大阪地裁であった。釜池被告が懲役5年、純子被告が懲役3年執行猶予5年だった。村友事件の核心は、「国有地がなぜ8億円余りも値引きされ、釜池に売却されたか」にある。これに田部秋恵夫人が“介在“したことは間違いないと思われるが、それについて判決文は全く触れない。釜池夫妻は言う。「(自身の)刑事事件については裁きを受け容れるつもりだ。村友事件の真相解明についても、微力ながら尽くしていきたい。そのためにも、もう一度、ボクを国会の証人喚問に呼んでいただきたい。差川元理財局長も一緒の証言台に立てばいい。もちろん秋恵夫人にも来てもらいたい」さらに獣医学部新設に絡む架計学園疑惑も、まだうやむやのままである。

(2)田部首相の国家の私物化の例! ①「国有財産の損失」「公文書の改竄」、②「法解釈の整合性」の破壊、③「自由な議論」を封じる、④「自由な報道」「知る権利」に敵対する、⑤「法の公正な適用」がなされない!
①村友事件の核心は、「国有財産の損失」を引き起こし、「公文書の改竄」をしたのに、田部首相が責任を問われないことにある。
②憲法9条の解釈を変えるため内閣法制局長官の首を交替させた。これは「法解釈の整合性」の破壊だ。「法の支配」に田部首相はしたがわない。
③田部首相(タベノミクス)のため「意のままに動く」人物を日銀総裁に据えた。「国民にとって何が正しいか」(真理)は、「自由な議論」を通して発見される。「自由な議論」を封じる強権的な田部首相は「民主主義」に敵対する。
④NHK会長に田部首相は自分の傀儡(カイライ)をごり押しした。田部首相は、「自由な議論」の前提である「自由な報道」「知る権利」に敵対する。
⑤田部首相に従う元TBSワシントン支局長の「準強姦事件」をストップさせた刑事部長(当時)は、とんとん拍子に出世し、次期警察庁長官有力といわれる。「法の公正な適用」がなされない。「国民の公僕」である公務員(首相・刑事部長)の国民に対する裏切りだ。

(3)政治介入が許されない検察庁人事に異例の介入!「法の正義」「法の公正」がゆがむ!
今回、田部首相は“聖域”とされてきた検察庁にまで介入した。1月31日、政府は2月7日に63歳の定年を迎える東京高検検事長を、8月7日まで勤務延長とする閣議決定を行った。検察庁法では、トップの検事総長の定年を65歳、ナンバー2の東京高検検事長以下の定年を63歳とはっきり定める。検察庁は、政官界の不正にメスを入れるため「政治介入を許さない」とされてきた。だが、それを無視し政府(田部首相)は人事権を行使した。権力の暴走だ。「法の正義」「法の公正」がゆがむ。この裏には、①「検察が現職議員を収賄容疑で逮捕したIR疑獄事件」がある。この捜査が進むと、田部官邸が推し進めてきた「カジノ構想」が破綻する。それを潰そうというのだ。②田部首相が任命した閣僚たちが次々に辞任した「政治資金規正法違反の捜査」も続くが、それにも圧力をかけようとしている。

(4)「桃を見る会」の「税金」を使っての“接待”は、脱法行為だ!「国費」の横領、政治資金規正法違反(不記載)、公職選挙法違反(供応買収)!
昨年秋から噴出した「桃を見る会」疑惑は、一国の政治指導者の言葉の信が問われる、深刻な事態だ。「税金」を使っての地元有権者“接待”は許されない。国会で田部首相はウソをつき続けた。田部首相は政府の公的行事である「桃を見る会」を私物化し、多くの後援会関係者を「税金」で接待した。田部首相は「国費」を横領している。また前夜祭の支払いは、参加者個人個人がホテルニューオータニ側に支払ったという、あり得ない答弁をした。田部内閣は「脱法内閣」だ。政治資金規正法違反(不記載)、公職選挙法違反(供応買収)。しかし今のところ捜査当局が動く気配はない。

(5)田部首相は、「私は立法府の長」(※行政府の長だ)「私が国家だ」(※国の主権者は国民だ)と言った!
①田部首相は「私は立法府の長」(※行政府の長だ!)「私が国家だ」(※国の主権者は国民だ!)と言った。あまりに「無知」な傲慢だ。田部首相は、憲法・法律をきちんと読んでおくべきだ。
②かつて「共謀罪」を巡って野党から質問されたとき、田部首相は「『そもそも』って『基本的』って意味でしょ。念のため辞書で調べました」と答弁したが、「辞書にそんな意味はない」と新聞で報じられると、田部首相は「辞書で調べたなんて言っていない」とキレて、政府は「そもそも」に「基本的に」という意味があるとする答弁書を閣議決定までした。言葉の意味を「閣議」で決定するとは横暴だ。田部首相の答弁は、信用できない。例えば、誰が見ても「黒」であることを、「閣議」で「白」と決定できるとはおかしい。
③「桃を見る会」疑惑で、「田部首相の地元事務所名で観光ツアーへの参加を募る文書が後援者に送られていた」と質問されると、田部首相は「幅広く『募っている』という認識だった。『募集』しているという認識ではなかった」と説明した。「募った」が「募集」ではない。このような首相の答弁を、認める自眠党の良識を疑う。

(6)田部政権のやり方は、「問題が起こる→野党やメディアから追及される→ウソをつく→バレそうになると海外へ逃亡するか解散する」だ。さらに田部首相は、どうみても「平気でウソをつく」、「事実を捻(ネ)じ曲げる」、「証拠は隠滅する」、「質問には答えない」と言うほかない。

(7)田部政権がメディアをアメとムチで飼い慣らした!権力は国民のためにある!
国民の安全と幸福の実現のため、国の権力は必要である。しかし権力が国民のために使われているかどうか、権力の使われ方は監視されなければならない。田部政権は、自分にすり寄るメディアは可愛がり、酒食を共にするが、敵愾(テキガイ)するメディアは「フェイクだ」と決めつけ、それに同調する者たちが、ネットで当該のメディアを攻撃する。いい例がテレビ朝日だ。かつては「報道のテレ朝」と呼ばれた。だが、今は「ザ・スクープ」を終了させ、次々、報道番組を潰し「報道ステーション」をニュースバラエティに変えた。ジャーナリズムの重要な役割である、権力監視が忘れられつつある。

(8)新型コロナウィルスで国内初の死者が出た日も田部首相は仲間と会食へ(2/20)!危機感と真剣さの欠如!
中国で発生した新型コロナウイルスは、政府の対応のまずさで、日本でも感染者が増え続ける。田部政権の対応は、ひどい。①新節に大量の中国人の訪日を許した。②横浜港に停泊中のダイヤモンド・プリンセス号の乗客や乗組員を、ウイルスの蔓延する船の中に閉じ込め、ほとんど手を打たず、長期間放置して多くの人間を感染させた。アメリカ国立衛生研究所はこのクルーズの船内を「(感染)ホットスポット」といっていたのに、田部首相は、早急に手を打つと言うだけで、何ら手を打たず、感染が広がるのをただ見ていた。③しかも2月20日、船で感染した日本人男女2人が死亡したと発表されたとき、田部首相は「政府一丸となって国民の健康を守る責任がある」と記者に語った後、六本木の料理店で「仲間」とともに会食していた。危機感と真剣さの欠如!④新型コロナウイルスの検査を希望しても拒否し、発熱しても4日間、医者に行かず自宅に居ろと指示する。検査を拒否し医者にも行かせないと、国民の安全の軽視も甚だしい。(2020/2/24厚労省)Cf.「選手を命の危険にさらすことはできない」と、南アフリカ・サッカー協会が、3月27日に予定されていた23歳以下(U23)日本代表との親善試合に、南ア代表を派遣しないと表明。Cf. 「このままでは、東京五輪開催も危うい」とロンドン市長選の立候補者が「ロンドンで開催してもいい」などと言った。

(9)東京五輪招致に関わる田部政権の嘘!
そもそもウソで固めて無理やり招致したため「汚れたオリンピック」という不名誉な称号までついた東京五輪。①IOC委員への賄賂疑惑、②「原発汚染水はコントロールされている」、③「8月の日本は気候温暖」などのウソは、海外から見れば、信用ならない国と見えても当然だ。

(10)田部首相支持者は3割強だ!
田部政権は、国民を軽視し、憲法を蔑ろにし、国を私物化する。田部首相支持者は3割強だ。多くの有権者が「ノー」といえば、ひっくり返る。服従、沈黙、傍観、無関心は危険だ。「政治ほどくだらないことはない」、「われわれは突然、自分たちの命が愚かな連中の手中にあることに気づくのである」(チャールズ・ブコウスキー)。

(11)田部首相をなぜ支持するか?(その1):①自眠党を選ぶor選ぶしかない、②時の政権(今は田部政権)を忖度・支持しないと利益が上がらない、また出世もできない!
田部首相をなぜ支持するか?①自眠党を支持する、そして田部氏が自眠党の総裁だから:(ア)資本主義が正しい経済体制だ、(イ)自眠党が日本の国家を支えている、(ウ)自眠党は「自己責任」の政党だ、つまり社会は基本的に「自己責任」だ。(エ)その地域で自眠党を支持しなかったら生活していけない。(オ) 田部氏に問題はあるが、自眠党が手続きに従って彼を総裁に選んだ。変えるなら自眠党の手続きに従えばよい。②時の政権(今は田部政権)を忖度・支持しないと利益が上がらない、また出世もできないので田部首相を支持する。

(11)-2  田部首相をなぜ支持するか?(その2):③立憲眠主党、国民眠主党は「無能」、「怠け者」、国家の破壊者!
③立憲眠主党、国民眠主党に国を任せられない。(ア)彼らは無能だ。(イ)「自己責任」を放棄する彼らは怠け者の政党だ。(ウ)日本の国家を彼らはきちんと守る気がない、つまり彼らは「国家は国民のためにある」と口先で言いつつ、日本国家を破壊する。こう思う者たちも田部首相を支持する。(こう思っても田部首相を支持しない者もいる。また立憲眠主党、国民眠主党についてこう思わない者もいる。)

(11)-3  田部首相をなぜ支持するか?(その3):④共参党:強権的非民主主義、あるいは独裁を目指す!
④共参党は論外だ。彼らは「革命」で国家を破壊する。共参党の綱領は、「発達した資本主義国での社会変革は、社会主義・共産主義への大道」と規定。資本主義の枠内で可能な民主的改革を経て、「社会主義・共産主義社会」を目指すという。中国の社会主義は強権的非民主主義であり、北朝鮮は独裁だ。政治体制として社会主義・共産主義は「民主主義」の否定だ。こう思う者たちも田部首相を支持する。(こう思っても田部首相を支持しない者もいる。また共参党についてこう思わない者もいる。)

(12) 300万以上の「英霊」の犠牲を払って得た民主主義すなわち「国民主権、基本的人権、平和主義」をなぜ自眠党は否定するのか?「自主憲法」制定の問題!
自眠党について言えば、「自主憲法」制定と言い、日本国憲法の「国民主権、基本的人権、平和主義」を否定するように見える点が、最大の問題だ。300万以上の「英霊」の犠牲を払って得た民主主義すなわち「国民主権、基本的人権、平和主義」を自眠党は否定するのか?
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする