DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

「ルーレット台(Roulette Table)」『アメリカン・ジョークに習え!』(2006年):年齢詐称を、ルーレットが指摘した!

2018-01-31 22:41:46 | 日記
ラスベガスで、ある女性が負け続け、機嫌が悪い。あと50ドルしか残っていない。
「なんて不運!どうしたらいいのよ!」と叫んだ。
隣の男性が、なだめて、「自分の年齢に賭けたらどうですか?」と言った。
そして彼は、そこを去った。
少しして、彼女のルーレット台の周りが、騒然となった。
彼は、彼女が、大当たりしたと思った。
行ってみると、だが、彼女は、気が抜けたように、床に横たわっていた。
「どうしたんです?大丈夫ですか?」と、彼がたずねた。
すると、オペレーター(店員)が、答えた。「彼女は、持ち金すべてを、29に賭けたんです。ところが、36が出ました。そしたら、彼女が突然、気を失ったんです。」

《感想》
(1)
彼女は29に賭けた。彼女は「29歳」だった。
ルーレットは、36と出た。
(2)
ところが実は、それが、彼女の本当の年齢(「36歳」)だった。
彼女は、「29歳」と詐称していたのだ。
自分の年齢詐称がルーレットに指摘され、びっくりして彼女は気絶した。
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One Way Ticket to the Blues(「恋の片道切符」) / Neil Sedaka (1960) :「失恋の片道切符」と訳すべきだ!

2018-01-31 20:37:09 | 日記
Choo choo train a-chuggin' down the track. シュッシュッと汽車が、ガタゴト、線路を走る。
Gotta travel on, never comin' back. 旅に行くしかない。二度と戻れない旅に。
Woo ooo got a one way ticket to the blues. 悲しみへの片道切符を得たのだ。

Bye bye love, my baby's leavin' me. さようなら、僕の恋。恋人が去っていく。
Now lonely teardrops are all that I can see. 今は、孤独な涙だけが、僕が見るものだ。
Woo ooo got a one way ticket to the blues. 悲しみへの片道切符を得たのだ。

I 'm gonna take a trip to lonesome town. 僕は、孤独の町へ旅に出る。
Gonna stay at a heartbreak hotel. 失恋のホテルに、僕は泊まるのだ。
A fool such as I there never was. 僕のような馬鹿は、これまでいたことがない。
I cry a tear so well. 僕はひどく涙を流す。

Choo choo train a-chuggin' down the track. シュッシュッと汽車が、ガタゴト、線路を走る。
Gotta travel on, never comin' back. 旅に行くしかない。二度と戻れない旅に。
Woo ooo got a one way ticket to the blues. 悲しみへの片道切符を得たのだ。

《感想1》
恋人のもとへは二度と戻れない。
往復切符でなく、孤独の町への片道切符だ。
旅へ、自分から進んで行くのでない。
僕があまりに馬鹿だったので、恋人は去り、僕は二度と恋人のもとへ戻れない。
僕は、孤独の町へ、片道切符の旅に出るしかなくなったのだ。
失恋の悲しみの歌!

《感想2》
「恋への片道切符」でない。
恋を失ったので、恋人のもとにもはや帰れず、孤独の町への片道切符だ。
「失恋の片道切符」と訳すべきだ。
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小池昌代(1959-)「記憶」『夜明け前十分』(2001年)所収:どんな過去の悲しみも年月も、一瞬で、脱ぎ去ることができるのだ!

2018-01-31 19:58:33 | 日記
 記憶 
 Memory

オーバーを脱いで壁にかけた
十年以上前に錦糸町で買ったものだ。

I took off my overcoat and hung it up on the wall.
I bought it at Kinshi-chou more than ten years ago.

わたしよりもさらに孤独に
さらに疲れ果てて
袖口には毛玉
すそにはほころび

It is much more lonely and exhausted than I.
Its cuffs have pills, and its hem has open seams.

知らなかった
ひとは
こんなふうに孤独を
こんなふうに年月を
脱ぐことがあるのか

I didn’t know that you can sometimes take off your lonliness in such a way and your lifetime in such a way.


ひどい、急ぎ足で
駅へ向かうこのオーバーを見たことがある
おかえり

In the morning, I once saw this overcoat heading toward a station extremely in a hurry.
Welcome home!

それにしても
悲しみのおかしな形状を
オーバーはいつ記憶したのか
わたし自身が気づくより前に

By the way, when did my overcoat memorize a curious shape of saddness before I myself have come to be aware of it?

《感想1》
オーバーも、10年着ると、疲れ果てる。
袖口に毛玉ができるし、裾もほころびる。

《感想2》
私にさえ、気づかれず、一人頑張ってきたオーバー!
その悲しみ!

《感想3》
だが、孤独と、必死に苦労してきた年月なのに、人は、さっと、それらを脱いで、自由になることも出来るのだ。
ここで自由とは、孤独に必死に苦労してきた自分の年月を、客観視して、それらによる束縛から脱すること。
過ぎ去った年月は、脱ぎ去られてもよいのだ。

《感想3》
必死で孤独な悲しみの年月。
それらどんな過去の悲しみも、一瞬で、脱ぎ去ることができるのだ。
「悲しみのおかしな形状」!

《感想4》
オーバーが、悲しみのその形状を私に、今、教えてくれた。
オーバーは、わたし自身が気づくより前に、悲しみのその形状に気づき、記憶したのだ。
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まど・みちお(1909-2014)「ひこうき」

2018-01-31 01:10:39 | 日記
 ひこうき 

にんげんが
にんげんだけのために つくった
おおきな おおきな
ひこうき

こんなに おおきくて
だれかに
しかられや しないかしら

 An Airplane

Human beings made a big, big airplane only for them.
Does anyone scold them because it is very big in such a way?

《感想》
「バベルの塔」の話を思い出す。
神を超えようとして、天までとどく塔を建設するのは、神への冒瀆。
神は怒り、人類の言語をばらばらにし、建設を不可能にした。
あまりに大きな飛行機も、人間の傲慢の産物で、罰が下されるかもしれない。
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上原隆(1949-)「テレビドキュメンタリーのその後」『雨にぬれても』(2005年):みんな大変だと思う。楽な人はいないと思う。

2018-01-30 20:57:18 | 日記
(1)
「カメラのニシダ」(さいたま市)、1998年倒産。従業員31人。
従業員たちが、店を自分たちで管理。これがテレビのドキュメンタリー番組に取り上げられた。
自主管理に参加したのは15人。リーダーは川野辺勇次(51歳)。
店を赤羽駅前に移し、メンバーは7人へ。(番組は、ここまでだった。)
この頃から、日本中が不景気になる。

《感想》
自主管理は、会社の経営そのものだ。(資金繰り、販路開拓、労務管理等。)大変な仕事だ。
確かに、これまで、社長がいなくても会社が動いていた。
だから自主管理が可能に見える。
だが、道は困難であり、自主管理開始の時、参加した従業員は、半数15人にすぎなかった
それが、さらに、7人に減ってしまった。茨の道だ。

(2)
その後、どうなっているのだろうかと、著者が、6年後、2004年、赤羽駅前店を訪れる。
だが店は、移転していた。
大宮駅西口で、こじんまりした写真店「カメラのニシダ」になっていた。
川野辺が、「赤羽店は家賃が高いので、こちらに移転した」と言った。
赤羽駅前店は従業員7人だったが、今は、パートの女性と川野辺2人だ。

《感想》
具体的には、実家の家業を継ぐために帰った人、定年になった人、収入が少ないとやめた人など、参加する従業員が減った理由は様々だ。
自主管理への不安が、そもそも大きいのだ。

(3)
「それぞれ都合があって、やめていったんだから仕方がない」と川野辺。
従業員として働いていた時、川野辺の給料は48万円。
自主管理では一律25万円と半減。(1998年)
川野辺は、子どもが3人いて(24歳、21歳、12歳)、教育費が大変だった。

《感想》
1997ー98年は金融危機の年、その後、就職超氷河期がくる。
1991-2010年まで日本経済は「失われた20年」だ。
リストラの嵐が吹き、非正規雇用が激増し、日本的経営が崩壊する。
川野辺氏と似た倒産・リストラ経験が、たくさんあった。

(3)ー2
経営者に雇われていた時と、自主管理で、何が変わったか?川野辺が答える。
「サラリーマンの時は、気楽だった。それなりに仕事すれば、給料がもらえた。」
「今は、そういう感じからは脱皮した。自分の置かれている立場、足元が、よく見えるようになった。」
また今の店について、川野辺が言う。
「毎日10時間以上、仕事してるし、ある程度楽しくやりたい。」
「明るくてニギニギシイ感じの店にしたい。」

《感想》
「一国一城の主(アルジ)」は、自己責任であり、サラリーマンの時より、「自分の置かれている立場、足元」をよく観察し把握する必要がある。
他方で、自分に忠実に仕事を進める余地が大きい。楽しそう。

(4)
突然の倒産と自主管理の経験は、川野辺をどんなふうに鍛えたか?
「倒産してから学んだことは、そうね、あまりふてないっていうことかな。」
「ダメだ、ダメだっていってると、本当にダメになっちゃう。だから、すぐに次のことを考えるっていう姿勢が身についたね。」

《感想》
「冬来たりなば春遠からじ(フユキタリナバハルトオカラジ)」。そう思いたい。
人生、「七転び八起き」だ。頑張るしかない。
「艱難汝を玉にす( カンナンナンジヲタマニス)」と言う。自分を鍛え上げる!

(4)ー2
だが、当時、大宮駅周辺は、ビックカメラが進出する直前だった。
「それに対してこまわりをきかして対抗していかなきゃならない。」「みんな大変だと思う。楽な人はいないと思う。」と川野辺。
同時に、「それを克服するプロセスが楽しいんじゃないかな。」とも言う。                     
最後に、川野辺が、言った。「希望をもってやっていくよりほかに、ないんだよ。」  

《感想》       
「どんなに暗い夜でも明けない夜はない」と思ってやり抜く。
「災い転じて福となす」となれば、ラッキーだ。
Comment (1)
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