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yuuutunna toki no nikki

朝井リョウ(1989-)『正欲』(2021年、32歳):「多様性」を認めるとは、実は「理解しがたいもの」、「嫌悪感を抱くもの」に「しっかり蓋をする」だけにすぎないという可能性が常にある!

2023-11-30 10:59:45 | 日記
(1)人生には「大きなゴール」がある。それは「明日死にたくない」と思うことだ。つまり「明日死なないこと」だ。「死にたくない人たち」がこの世の「多数派」だ。(6-7頁)「正しい命の循環」の中にいる人たち!(181頁)
《感想》「多数派」にとっては、この世が「少数派」にとってのように「生きにくい」ことはない。

(2)名門私立小5年の寺井泰希(タイキ)は、小3の時から不登校だ。父の寺井啓喜(ヒロキ)(40歳代)は検事だ。泰希(タイキ)は、「これからの時代、もう学校は必要ない」・「自分の力でやりたいことをやる」と説く小学生インフルエンサーに傾倒している。(29-30頁)

(3)モールの寝具店につとめる桐生夏月(30歳代)は彼氏がいない。異性への性的興味がない。夏月は「性欲」にかんして「ありふれた人生の形」を生きることができない。彼女は「水フェチ」である。(44-47頁)
Cf. ただし夏月はいつもこう唱える。「睡眠欲は私を裏切らない」、「食欲は人間を裏切らない」。(93頁)
(3)-2  夏月は思う。「他者が登場しない人生」(①「異性愛」でない、また②「水フェチ」であることを隠さねばならない)は「本当に虚しい」。「私はあんたが想像もできないような人生を歩んでるんだ」って叫び散らして、「安易に手を差し伸べてきた人間から順に殺してやりたい」。
(3)-3 「蛇口から吹き出る水を見たかった」という「藤原悟」の器物損壊罪の記事を笑っていたクラスメイト全員を「ブチ殺してやりたかった」と(水フェチの)佳道が(水フェチの)夏月に言った。(366頁)
《感想1》「殺してやりたい」と多数派に殺意を持つ「非異性愛」者(少数派)は、他者が「異性愛者」である」というレッテルだけで、他者に対して殺意を持つ。「非異性愛」者(少数派)は「危険」とされるほかない。
《感想2》「手を差し伸べる」善意者よりも、少数派(非異性愛者)に対し唾を吐きかけ暴力的である「悪意者」の方がましだということか?(ひねくれ、かつ攻撃的だ。)
《感想2-2》そもそも「他者理解」は原理的に常に困難なのだから、「善意者」が「悪意者」よりも悪質とは言えないだろう。

(4)神戸八重子(大1)は「人の美醜にランク付けする」のはおかしいと思い「ミスコン廃止」・「全員がミス・ミスターだ」と主張する。(48-49頁)ミスコンは「性的搾取」・「ルッキズム」を助長すると八重子は言う。(144頁)
(4)-2 女子の衣装が露出が多いのは「性的搾取」だと八重子は思う。(51頁)
(4)-3 「ブスの僻みでミスコンがつぶれた」という陰口がある。(97頁)「ブスでデブのおまえは自意識過剰だ」との悪口もある。(156頁)
(4)-4 結局、学祭は「ミスコン」を廃止し、「ダイバーシティフェス」、「誰もが自分に正直になれて、繋がりを感じられる祝宴」になった。(208頁)

(5)「恋愛感情によって結ばれた男女二人組」に八重子は興味がない。「ボーイズラブ」にも八重子は興味がない。(60-61頁)
(5)-2 八重子にとって「男という生き物が気持ち悪い」。9歳上の(2年以上)引きこもりの兄の部屋で、17歳の八重子がAV動画を発見し、「世の中の男が全員ああいう動画を家で独りじっくり楽しんでいる」と思い気持ち悪いと思うようになった。(213頁)
(5)-3 だが八重子は諸橋大也(大1)に恋心を持つようになる。「抱きしめてもらいたい」と思う。(68-69頁)
(5)-4 大也は「AVを経た眼差しで、自分を含めた女性のことを見ていない」と八重子は思い好意を持つ。だが実は大也は異性愛に無関心な「水フェチ」だ。(220頁)

(6)「世間体」じゃなくて「子どもの人生」のために、子どもはきちんと「登校」すべきだと寺井啓喜(ヒロキ)は思う。小学生インフルエンサーが「学校はいらない」と言うが、「親の金で暮らしてる奴が、何言ってるんだ」だと啓喜(ヒロキ)は思う。(74-75頁)

(7)諸橋大也(大1)は「異性愛者」(多数派)でない。大也は彼らの「無自覚な特権階級」度合に怒る!(317-318頁)
(7)-2 大也が自慰行為の際に思い浮かべるのは、女の姿でなく「水にまつわる映像」だ。大也にとって自由自在に形を変える水の姿は、他の何にも代替されえない「煽情的な存在」だ。(水フェチ!)(326頁)
(7)-3 大也は、「異性」に対する以外に様々な「性的嗜好」があることを中学2年生の時、SNSで知って安心した。①人が嘔吐する様子に性的興奮する「嘔吐フェチ」、②丸吞みされる様子に興奮する「丸呑みフェチ」、③時間停止・石化・凍結などによる人体変化に興奮する「状態異常/形状変化フェチ」、④風船そのものあるいは風船を膨らませる人に興奮する「風船フェチ」、⑤ミイラのように拘束する・されることを好む「マミフィケーションフェチ」、⑥「窒息フェチ」、⑦「腹部殴打フェチ」、⑧「流血フェチ」、⑨「真空パックフェチ」・・・・・・(325-327頁)このように様々な「特殊性癖」の当事者たち。(367頁)
(7)-4 世の中には「異常性癖」の者はたくさんいる。小児性愛のほか、風船を割ることに興奮するなど。(169頁)
(7)-5 大也は、「自分が想像しえない世界を否定せず、干渉せず、隣同士ただ共に在る」という「多様性」の概念を知った。大也は自分に正直に生きるため、声を上げず、ありのままの自分を、誰かにわかってもらおうとする必要のないまま生きていられることを知った。(327頁)

(8)「社会に恨みがある」、「自分は社会に受け入れてもらえなかった」、「どうしようもなかった」と多くの被疑者が言い訳するが、「自分で自分をどうにかできるチャンスはいくらでもあっただろう」、「自己責任」があると検事の寺井啓喜(ヒロキ)は思う。(166頁)
(8)-2 検事の寺井啓喜(ヒロキ)は「小児性愛者」は「この世のバグみたいな奴らだ」、彼らは「性犯罪者予備軍」だと言う。(349頁)

(9)桐生夏月(30代)と佐々木佳道(30代)は水の動きに性的に興奮する。水道の蛇口を壊し吹き出る水を見て性的に興奮する。「水フェチ」!(187頁)「蛇口を壊して思い切り水を噴出させてみたかった」と佳道が言った。(201頁)「水風船を割れないまま何度投げ合えるか対決」、「ホースの水をどこまで飛ばせるか対決」を見たい。(205頁)

(10)「多数派」は少数派の性的嗜好(Ex. 水フェチ)に対して、「なんよそれ。意味わからん。まじウケる。でもキチガイは迷惑じゃなあ」と言う。(197頁)
(10)-2 「水フェチ」の桐生夏月と佐々木佳道は言う。「自覚してるもんね。自分たちが正しい生き物じゃないって。」(198頁)「社会の多数派から零れ落ちることによる自滅的な思考や苦しみ」!(244頁)
(10)-3 夏月と佳道は、「多数派」or「世間」を欺くため婚姻届けを出すが、「異性愛」には全く興味がなく、ともに「水フェチ」(噴出する水などに性的に興奮する)だ。すなわち「恋愛関係にない異性同士による婚姻」。(303-305頁)
(10)-4 「これまでずーっとウソつきながら生きてきた」と佳道。(303頁)

(11)「多数派」は異性愛者であり、男子生徒の「多数派」は「どの女子部屋に行きたい」とか、「誰の風呂を覗きたい」とか、「普段、どんなAVを見てるか」など「下ネタ」でもりあがる。(193頁)
(11)-2 「マジョリティ」側に生まれ落ちれば自分自身と向き合う機会は少なく、「自分がマジョリティである」ということが唯一のアイデンティとなる。そしてそのように特に信念がない人ほど、自分が「正しい」と思う形に他人を正そうとする。(Ex . 田吉)(294頁)

(12)朝井リョウ氏が言う。「人間は結局、自分のことしか知り得ない。」「社会とは、究極的に狭い視野しか持ち合わせていない個人の集まりだ。」(359頁)
《感想1》だが「人間は結局、自分のことしか知り得ない」という朝井リョウ氏の見解は誤りだ。各人の「細かい」感情・気分・意図については「自分のことしか知り得ない」が、「社会生活を営む上で必要」な他者の感情・気分・意図は十分(or不十分)に適切にわかる。
《感想1-2》法律的、政治的、軍事的、経済的、社会的、文化的等の諸制度は他者の相互了解の上に必要な限りで十分(or不十分)に適切になされる。文化的行為もしばしば共同行為である。(極めて私的・個人的行為以外の)社会生活or社会的相互行為の一切は、他者の感情・気分・意図の理解に基づく。そしてその他者理解によって社会生活or社会的相互行為は十分(or不十分)に適切に行われる。
《感想2》「数学」はきわめて間主観的であり、人々の共通の「理性」という名の相互(他者)理解の産物だ。
《感想3》「言語」も間主観的であり、人々の相互理解(他者理解)の産物だ。

(13)佐々木佳道(30代)は「マイナーなフェチ当事者の精神的な互助会のようなコミュニティ」を組織しようとする。佳道は「今のうちに(水フェチの)仲間を作っておきたい」と言う。そしてそうした趣旨を佳道はSNSに投稿した。(386-387頁)
(13)-2 SNSでのやり取りで、「我々のような人間にとって、世の中って正直、恨みの対象だ」と佳道が述べる。「わかります」と大也。「でも社会を恨むことにももう疲れてきたんです」、「どうせこの世界で生きていくしかないんだから、少しでも生きやすくなるように、同じ状況の人ともっと繋がってみたくなったんです」と佳道が言う。(388-389頁)

《感想1》「正欲」とはすなわち「正しい」性欲のことだ。「正しい」性欲は、普通「多数派」の性欲(異性愛)とされる。
《感想2》だが「多様性」の肯定の観点からすれば「少数派」の性欲(特殊性癖、諸フェチ)も「正欲」すなわち「正しい」性欲だ。
《感想2-2》ただし皮肉なことに、「多様性」を認めるとは、実は「理解しがたいもの」、「嫌悪感を抱くもの」に「しっかり蓋をする」だけにすぎないという可能性が常にある。(Cf. 8-10頁)
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映画『ゴジラ-1.0』(2023年、日本):第2次大戦の日本国の「特攻」(「生きて帰ってくるな」)の方針への批判!

2023-11-11 13:25:39 | 日記
A 第二次世界大戦末期の1945年、敷島浩一は特攻へ向かう途中、零戦が故障したと偽り、大戸島の守備隊基地に着陸する。その日の夜、基地を島の伝説で語り継がれる生物「呉爾羅(ゴジラ)」が襲撃する。敷島は整備兵の橘宗作(並ぶ者がいないほどの高い整備の技術を持つ)から、ゴジラを零戦に装着されている20ミリ砲で撃つように懇願されるが、恐怖で撃つことができず、敷島と橘以外の整備兵たちは全員ゴジラに襲われて死亡する。橘は仲間たちの遺体を前にして敷島を罵倒する。

B  1945年冬、東京へ帰ってきた敷島は、隣家の太田澄子から空襲によって両親が亡くなったと伝えられる。敷島は闇市で、彼同様に空襲で親を失った女性・大石典子と、彼女が空襲の最中他人に託された赤ん坊の明子に出会い、成り行きで共同生活を始める。

C 敷島は米軍が戦争中に残した機雷の撤去作業の仕事に就き、作業船・新生丸艇長の秋津淸治(戦後処理の特殊任務=機雷の撤去を国から依頼された)、元技術士官の野田健治(戦時中は、兵器の開発に海軍工廠で携わっていた技術者)、乗組員の水島四郎(見習い乗組員)と出会う。
C-2  敷島は彼らから典子との正式な結婚を勧められるが、戦争とゴジラによる守備隊整備兵死亡で「心の傷」を抱える敷島は結婚に踏み出せず、典子もそれを察して自立するために銀座で働きだす。

D ある日、敷島たちは「日本近海にゴジラが現れてたので、ゴジラを新生丸で足止めしろ」という命令を受ける。敷島たち「新生丸」は、ゴジラに機銃や機雷で攻撃するが効果はなかった。さらにシンガポールから帰ってきた接収艦の重巡洋艦「高雄」も砲弾で攻撃するが、ゴジラの吐いた熱線によって破壊された。

D-2  翌朝、東京へ襲撃してきたゴジラは東京湾から品川を経由し、典子が働らく銀座へ進む。敷島は典子の救出へと向かい、ともに逃げるが、典子はゴジラの放出した熱線の爆風から敷島を庇い吹き飛ばされ、行方不明となる。

E  典子の死を嘆き苦しむ敷島を、野田(元技術士官)はゴジラ打倒の計画に誘う。ゴジラによる甚大な被害を受けた日本だが、駐留米軍はソ連軍を刺激する恐れがあるとして軍事行動を避けたため、占領下で独自の軍隊を持たない日本は民間人のみでゴジラに立ち向かうこととなった。
E-2 駆逐艦の元艦長・堀田辰雄がリーダーとなって開かれた「巨大生物對策説明会」では、野田が第一次攻撃ゴジラをフロンガスの泡で包み、深海まで一気に沈め急激な水圧の変化を与え、第二次攻撃として深海で大きな浮袋を膨らませ海底から海上まで一気に引き揚げ、凄まじい減圧を与えゴジラの息の根を止めるという「海神作戦」(ワダツミサクセン)を説明した。

F 一方で、敷島は、独自のやり方でゴジラに立ち向かおうとして橘(高い整備技術を持つ大戸島守備隊基地の元整備兵)を探し始める。そして野田(元技術士官)にゴジラを誘導するための戦闘機を探してもらう。野田は開発段階で終戦を迎え、実践で使われなかった最新の戦闘機「震電」を見つけた。
F-2  敷島は機体の修復のため、ついに橘を探し出す。敷島は「震電」に砲弾を数多く搭載し、ゴジラの口の中へ“特攻”すると決めていた。橘もゴジラに殺された同僚への復讐のため敷島の計画に協力する。

G ゴジラが再び出現し東京に上陸すると、敷島は「震電」でゴジラを怒らせ相模湾の最深海部の回帰ま海域まで誘導する。二隻の駆逐艦を堀田辰雄が指揮し、ゴジラに対する「海神作戦」(ワダツミサクセン)を実行する。作戦は立案どうりに実行されるが、減圧を与えゴジラの息の根を止めることには失敗した。するとそのゴジラの口の中に敷島が「震電」で突っ込んだ。ゴジラは頭部を爆破粉砕され深海へと沈んで行った。
G-2  だが敷島は「特攻」で死んだのではなかった。「震電」に橘が備え付けた「緊急脱出装置」によって敷島は無事脱出・生還した。
G-3  行方不明だった典子は、その後、病院に収容され治療を受けていることが分かり、敷島と典子、そして養女の明子はハッピーエンドとなる。

《感想1》映画のメッセージは次の3つだ。①第2次大戦の日本国の「特攻」(「生きて帰ってくるな」)の方針への批判。さらに②戦争の死者330万人のうち、兵隊の1/3~1/2は餓死だったことへの批判。また③原爆で30万人が死に、空襲で20万人が死んだ。そのような無謀で国民の命を守ろうとしない戦争の開始への批判。
《感想2》米軍占領期の「レトロ」なゴジラ!
《感想2-2》ゴジラは巨大で「大魔神」のようだ。(コミュニケーション不能!)

★「ゴジラ-1.0」
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三浦哲郎「おおるり」(1975年):一方は突然の「予期されない」彌田さんの「死」、他方は「予期された」、ただしまだ三十代の旦那の若い「死」!旦那を気遣う奥さんの「愛情」!

2023-11-10 18:32:46 | 日記
※三浦哲郎(ミウラテツオ)(1931-2010)「おおるり」(1975年、44歳)『日本文学100年の名作、第7巻、1974-1983』新潮社、2015年、所収

(1)
彼は消防士だ。消防団員の彌田さんが火事の現場で突然死んだ。その初七日の翌朝だ。彌田さんは、新建材の有毒ガスの中毒であっけなく亡くなった。命のあまりの脆(モロ)さに、彼は「呆然とする」ばかりだ。
(2)
その朝、8時前、「ごめんください」と三十前くらいの女性がやって来た。その女性は小柄で色白だった。「随分いろんな小鳥の声がきこえますね」と女の人は云った。この消防屯所では6種類の小鳥を飼っていた。その女の人は隣の市民病院の付添婦で、「おおるり」の声を毎朝、耳を澄まして聴いていると言った。
(2)-2
5階建ての市民病院の3階以上が入院患者の病室だが、毎朝、小鳥の啼き声が聞こえてくる。入院患者はそれをなにより楽しみにしている。ただ欲を言えば、もう少し近いところで聞きたい。それでその付添婦の人は、寝たきりの病人たちの願いをかなえてやりたくて、小鳥を飼っている消防屯所をさがして、やって来たと言う。
(3)
そこで彼は、「おおるり」の啼き声が市民病院の5階でもよく聞こえるように、消防署の鉄塔に滑車をつけ、「おおるり」を入れた鳥かごを高い位置まで滑車で上げると、その付添婦の女性に約束した。彼はそれを、毎朝実行した。
(4)
1カ月ほどたったある朝、彼が消防屯所へ出勤すると、宿直明けの同僚の友さんが、黙って彼の胸もとへ菓子折りを突き出した。友さんが言った。「きのう、『おおるり』の奥さんが来てね、これを君にといって置いて行った。」彼は「付添婦のひとね。」と笑って訂正すると、「奥さんだよ、入院していた主人が亡くなったといってたから」と友さんが言った。「旦那さんはまだ三十過ぎたばかりで、癌にやられたんだって、気の毒に。君に『おおるり』の礼をいってたよ。毎朝とてもよく聞こえたそうだ。」

《感想1》消防団員の彌田さんの突然の死、入院していて三十過ぎたばかりで癌で亡くなった男性、主題は「死」である。
《感想2》一方は突然の「予期されない」彌田さんの死、他方は「予期された」ただしまだ三十代の旦那の若い死。
《感想3》そしてその旦那を気遣う奥さんの「愛情」。
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沖田瑞穂『すごい神話』53.「天と地の悲しみ――『ラーマーヤナ』の世界」:世界が成り立つためには、「天」ラーマと「地」シーターは離れていなければならない!「天地分離の神話」!

2023-11-08 11:15:31 | 日記
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

A  コーサラ国のダシャラタ王の子ラーマは、魔王(羅刹の王)ラーヴァナを退治するために「ヴィシュヌ神」が自ら化身したものであった。ラーマは成長するとジャナカ王のもとへ行き、強弓を引く試練を経て王女シーターを妻に得た。シーターは畝(「大地」)から掘り出されてジャナカに拾われた赤子で、女神の化身だった。
A-2  ラーマは、偽計により王位継承権を奪われ森に追放され、シーターもそれにしたがった。森でシーターは魔王ラーヴァナにさらわれる。猿王スグリーヴァの家臣ハヌマーンの助力で、ラーマはシーターを取り戻した。
A-3 ところがラーマはシーターの貞操を疑う。火神アグニがシーターの身の潔白を証明した。
A-4 その後、ラーマ王とシーター妃の統治が続いたが、シーターが妊娠すると、民衆から再びシーターの貞操を疑う声が上がった。ラーマ は、シーターをヴァールミーキ仙(Cf. 『ラーマーヤナ』の編纂者と言われる)のもとに連れて行った。シーターはそこで双子の息子クシャとラヴァを産むが、ラーマは、シーターに対して、シーター自身の貞潔の証明を求めた。シーターは「大地」に向かって訴え、貞潔ならば「大地」が自分を受け入れるよう願った。すると「大地」が割れて女神グラニーが現れ、 シーターの貞潔を認め、シーターは「大地」の中に消えていった。
A-5  その後、ラーマは深い悲しみとともに長く王国を統治した。ラーマは、妃を迎えることなく世を去った。

B  ラーマとシーターの夫婦は、一時的に結ばれるが、別離に終わる。これは「天地分離の神話」である。世界が成り立つためには、「天」と「地」は離れていなければならない。ラーマは、「ヴィシュヌ神」の化身として「天」である。一方、シーターは「大地」から生まれて「大地」に還った「大地の女神」である。

★魔王(羅刹の王)ラーヴァナ


《参考》『ラーマーヤナ』のあらすじ
第 1 編「少年の巻」
コーサラ国王ダシャラタはヴィシュヌ神の化身であるラーマなど 4 人の王子を得た(カウサリヤー妃からラーマ、カイケーイー妃からバラタ、スミトラー妃からラクシュマナとシャトゥルグナ)。ヴィシュヴァーミトラ仙の薫陶を受けたラーマは、ジャナカ王の宮廷で開かれた婿選びの競技で優勝し、王女シーターと結婚する。
第 2 編「アヨーディヤーの巻」
ダシャラタ王はラーマに王位を譲ろうとするが、カイケーイー妃の干渉にあって、バラタを王位につけること、ラーマを 14 年間森に追放することを余儀なくされる。ラーマは父の命にしたがい、シーター妃とラクシュマナに伴われてアヨーディヤーの都を出るが、残された王は悲しみの余り絶命する。バラタはラーマを引き戻そうとするが拒絶され、ラーマから譲り受けた履き物を王座に置いてラーマの代理として統治する。
第 3 編「森林の巻」
ラーマたちは行者たちを邪魔する羅刹たちの退治に活躍する。シュールパナカー(羅刹女)はラーマに懸想して拒絶され、ラクシュマナからは侮辱を受ける。(ラクシュマナに鼻と耳を切り落とされる。)彼女は復讐のため兄ラーヴァナにシーターをさらって妻にするようそそのかす。小鹿を使った奸計でシーターを誘拐したラーヴァナは、シーターを救おうとした鳥の王ジャターユスを倒し、ランカー島に帰還する。失踪したシーターを探すラーマたちはキシュキンダー(ヴァナラ族=猿族の都)でスグリーヴァとその家来の猿たちに出会う。
第 4 編「キシュキンダーの巻」
ラーマはスグリーヴァが兄ヴァーリンから王国と妻を取り戻すのを手伝い、代わりに猿王スグリーヴァの家臣ハヌマーンなど部下たちにシーター探索の援助をうける。ハヌマーンはランカー島にシーターが誘拐されたことを突き止める。
第 5 編「美麗の巻」
ハヌマーンは海を飛び越えてランカー島へ渡り、シーターと接触し、ラーマの指輪を渡して救出が近いことを知らせる。ハヌマーンは羅刹たちに捕まるが、羅刹の王ラーヴァナの宮廷を火の海にしてラーマのもとに帰還する。
第 6 編「戦闘の巻」
ラーマたちは猿たちの力によって海に橋を架けてランカー島に攻め込む、羅刹のヴィビーシャナは兄ラーヴァナを諌めるが聞き入れられず、ラーマに協力する。激しい戦いの末、ラーマはラーヴァナたちを倒し、ヴィビーシャナを羅刹(ラークシャサ)の王位につける。ラーマに貞操を疑われたシーターは火の中に身を投じるが、火神アグニが現れてシーターの潔白を証明する。ラーマら一行はアヨーディヤー(コーサラ国の首都;ラーマの生誕地)へ凱旋し、ラーマは王位につく。
第 7 編「最後の巻」
国民の間にシーターの貞操を疑う声が生じ、ラーマはシーターを森に追放する。シーターはヴァールミーキ仙の庵に滞在し、クシャとラヴァの双子を産む。ヴァールミーキ仙は二人に『ラーマーヤナ』を語って聞かせる。二人が物語を朗詠するのを聞いたラーマは、シーターに身の潔白を証明するよう求める。シーターが大地の女神を呼び出すと、女神はシーターを抱いて地中に消える。嘆き悲しむラーマは王位をクシャとラヴァに譲り、天界に昇ってヴィシュヌ神に戻った。

★ラーマとシーター
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沖田瑞穂『すごい神話』52.「私たちは仮想現実の世界を生きている――『マハーバーラタ』のマトリックス」:神話においては、全世界が「神が作り出した虚構」だ!

2023-11-06 13:11:42 | 日記
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

(1)「人為的に作り出された虚構」と「神が作り出した虚構」!
A 現代のゲーム世界は「人為的に作り出された虚構」だ。神話においては、全世界が「神が作り出した虚構」だ。
《感想》たとえ「神が作り出した虚構」と言おうと、「圧倒的な生きる苦痛」(生老病死)、「抑えがたい衝動・欲望」という「現実」が君を支配する。「現実」を生きる君にとって、それら「苦痛」(Ex. 拷問の苦痛、火あぶりの苦痛)・「衝動・欲望」(Ex. 性衝動)が「虚構」であるなどありえない。

(2)ヴィシュヌ神の「マーヤー」(不思議な呪力)とは、「世界を作り出す力」だ!
B インドの神話において、ヴィシュヌ神の「不思議な呪力」すなわち「マーヤー」とは、「世界を作り出す力」だ。
B-2  ナーラダ仙が、苦行の果てにヴィシュヌ神の恩寵を得て、ヴィシュヌに「あなたのマーヤーを示し賜え」と願う。ヴィシュヌ神が、ナーラダを従え、太陽が照りつける荒漠とした道を進む。ヴィシュヌ神が「喉が渇いたから近くの村から水を汲んでくるように」とナーラダに頼む。
B-3  ナーラダは村へ行き、一軒の家で水を請う。家から一人の美しい娘が出て来る。ナーラダは本来の目的を忘れる。ナーラダはその娘を娶り、12年の歳月が流れ、ナーラダには3人の子もあった。
B-3-2  ある日、大洪水が起こり、家は流され、妻も3人の子も濁流にのまれ死んだ。ナーラダも流され岩の上に打ち上げられ、あまりの不運に泣き崩れた。
B-4  その時、聞きなれた声がナーラダを呼ぶ。「私が頼んだ水は何処にあるのか。私は30分以上もお前を待っている。」ナーラダが振り返ると、濁流が渦巻いていた場所には、ただあの荒漠たる地があるのみだ。ヴィシュヌ神が言った。「私のマーヤーの秘密を理解したか?」
B-4-2  ヴィシュヌ神の「マーヤー」(不思議な呪力)とは、「世界を作り出す力」だ。
B-4-3  「マーヤー」はサンスクリット語で、一方で「作り出す」という意味であり、他方で「幻」という意味だ。

《感想》世界はヴィシュヌ神によって「作り出された幻」だと、神話は言う。「神」にとっては「現実世界」は「幻」かもしれないが、「人間」は「現実世界」を生きる。「現実」の「苦痛」そして「衝動・欲望」において、「人間」は生きる。
《感想(続)》かくて人間は「現実」が「幻」であってほしいと願う。「人間」は、「現実世界」は「神が作り出した虚構」だと信じたい。
《感想(続々)》さらに「死」の不可避性が、個々の「人間」に「現実世界」の相対性・脆弱性を示す。個々の「人間」にとって、「現実世界」は「死」と共に滅ぶ。「死」の前で現実世界は「幻」に等しい。

C 神は「マーヤー」(幻力)により、万物をからくりに乗せられたもののように回転させる、つまり世界を創造し、維持し、破壊する。(Cf. 『バガバッド・ギーター』)

(3)映画『マトリックス』:「人間」は「現実」の世界を知らず、コンピューターの造りだした「仮想現実」を生きる!
D アメリカの映画『マトリックス』(1999)(Cf. 「マトリックス」は母体・基盤・行列・鋳型・発生源の意)は、人々の暮らす世界がその「人間」自身も含めて「コンピューターによって作られた仮想現実」だとして描く。「現実」(「仮想現実」ではない)においては「人間」は「培養槽の中に入れられ」ており「機械(コンピューター)」のエネルギー源になっている。「現実」においては「人間」は「機械(コンピューター)の奴隷」である。「人間」は、「現実」の世界を知らずに、コンピューターの造りだした「仮想現実」を生きる。

(4)マールカンデーヤ仙が目撃した「滅びた世界」が、原初の海に漂う童子の姿の「ヴィシュヌ神の体内」に全て存在していた!
E 『マハーバーラタ』に次のような神話がある。マールカンデーヤ仙は世界の終末を体験する。終末の時、カリ・ユガの終わりに至ると、世界は異変を生じ、激しい干ばつが生じ、あらゆる生き物が滅亡した。七つの燃えたつ太陽により、全てが燃やされ灰となった。「終末の火・サンヴァルタカ」が地底界も焼き、そして神々も悪魔も、ガンダルヴァもヤクシャも蛇もラークシャサも一切が滅んだ。
E-2  すると稲妻にかざられた、不思議な色の雲が空に湧き上がり、雷鳴をとどろかせながら12年間にわたり雨を降らせ世界を水浸しにした。マールカンデーヤ仙はその「原初の水」の中を一人ただよっていた。
E-2-2  やがてある時、水中に大きなバニヤン樹があるのをマールカンデーヤ仙は見た。枝の中に神々しい敷物を敷いた椅子があり、卍の印をつけた一人の童子がそこに座っていた。童子が言った。「そなたが疲れて休息を願っていることは知っている。さあ、私の体内に入って休みなさい。」童子はそう言うと口を開けた。私はその口の中に入った。
E-2-2-2 そこには全地上世界が拓かれていた。海獣が住む広大な海、月や太陽の輝く天空、森を抱く大地。バラモン、クシャトリヤ、農業を行うバイシャたちが生活し、山々があり、多くの獣が大地を歩き廻っている。神々がいて、ガンダルヴァ(インドラまたはソーマに仕える半神半獣の奏楽神団;天界の音楽師;アプサラスを配偶者を配偶者とする)やアプサラス(天女、妖精、水の精の類、天の踊子)、ヤクシャ(悪鬼)、聖仙、悪魔たちがいた。童子の体内には全てのものがあった。私は百年以上もそこにいた。
E-2-2-3  マールカンデーヤ仙が願うと、突風が吹き、童子の開いた口から外に吐き出された。その童子の姿をしたお方こそ、至高の主(アルジ)「ヴィシュヌ=クリシュナ」その方であった。

(5)われわれはどうやら現実世界の「リアル」を疑いながら生きているところがある!この「現実世界」の外側に、「いまだ知らぬ何か」があるのではないか?
F マールカンデーヤ仙が目撃した「滅びたはずの世界」が、原初の海に漂う童子の姿の「ヴィシュヌ神」の、体内に全て存在していた。
F-2  この『マハーバーラタ』の神話は、「ヴィシュヌ神の体内で展開される世界の営み」と「その外側にある原初の海」について語る。
F-3  映画『マトリックス』は、「コンピューターによって見せられている幻」としての世界と、「コンピューターに管理された真の身体」が属す世界(「コンピュータの国」)について語る。
F-4  「自分たちの世界」の外側には、実は「原初の海」(『マハーバーラタ』の神話)や「コンピュータの国」(映画『マトリックス』)のような「真の現実の世界」があるのかもしれない――。
F-4-2  『マハーバーラタ』の神話でも、また映画『マトリックス』でも示されたように、われわれはどうやら現実世界の「リアル」を疑いながら生きているところがある。つまりこの「現実世界」の外側に、「いまだ知らぬ何か」があるのではないかと、疑っている。
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