DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

中江俊夫(1933-)「夜と魚」『魚のなかの時間』(1952年、19歳):自己決断なしに、受動的な自己への注視が起きる「夜」、しかも「地球のそと」で、自己存在への確信が疑われ、動転し、堂々巡りに陥る

2016-10-31 20:05:27 | 日記
 夜と魚 

魚たちは 夜
自分たちが 地球のそとに
流れでるのを感じる
水が少なくなるので
尾ひれをしきりにふりながら
夜が あまり静かなので
自分たちの水をはねる音が 気になる
誰かにきこえやしないかと思って
夜をすかして見る
すると
もう何年も前にまよい出た
一匹の水すましが
帰り道にまよって 思案も忘れたように
ぐるぐる回っているのに出会う

《感想》
(1)「魚たちは 夜/自分たちが 地球のそとに/流れでるのを感じる」
①なぜ「魚たち」か?「流れでる」ためには、水中の生物である必要がある。
②なぜ「夜」か?非日常的なことが「夜」起きるから。《昼》、魚たちは地球の《うちに》いる。
③ここで「流れでる」のは、なぜか?自己決断の行動でないからである。受動的に生じる事態である。受動性にふさわしい生物が「魚たち」である。(①の補足)
④また、「感じる」だけであって、事実的に「地球のそとに/流れでる」わけでない。
⑤では「地球のそと」は、どういう所と「感じ」られるのか?それが、以下述べられる。

(2)「水が少なくなるので/尾ひれをしきりにふりながら/夜が あまり静かなので/自分たちの水をはねる音が 気になる」
⑥「地球のそと」は、「水が少なくなる」と「感じ」られる。水が少ないので泳ぐために「尾ひれをしきりにふ」る。
⑦「夜」の非日常性は、つまり日常的な《昼》との差違は、「あまり静か」なことである。
⑦-2 《昼》の喧騒の中と異なり、《昼》ならなんとも思わない「自分たちの水をはねる音が 気になる」。
⑦-3「夜」は「あまり静かなので」、注視は自分に向かう。「夜」が、自己決断なしに、受動的な自己への注視をもたらす。
⑦-4 これは、確認するが、「水が少なくなる」「地球のそと」で起きる出来事である。(もちろん、そのように「感じ」られるにすぎない。)

(3)「誰かにきこえやしないかと思って/夜をすかして見る」
⑧「地球のそと」にも「誰か」がいると、「魚たち」が思うのは、なぜか?
⑧-2 「流れでる」という受動的に生じる事態は、「誰」にでも起こりうるからである。それも、起きるのは「夜」である。
⑧-3 「夜」が、自己決断なしに、受動的な自己への注視をもたらす。(⑦-3)
⑨ しかも「魚たちは」、他者志向的であり、たかだか「自分たちの水をはねる音」さへ、人の目を気にする。

(4)「すると/もう何年も前にまよい出た/一匹の水すましが/帰り道にまよって 思案も忘れたように/ぐるぐる回っているのに出会う」
⑩なぜ「一匹の水すまし」か?(ア) 水中の生物であることが、詩の舞台設定上の条件。(イ)「ぐるぐる回っている」水中の生物は、「水すまし」。(ウ)「まよ」っているので、「一匹」取り残されてしまった。
⑪自己決断なしに、受動的な自己への注視が起きる「夜」、しかも「地球のそと」で、典型的に起きる事態が、今や、示されている。
(a)自己への注視は、「流れでる」あるいは「まよい出」る形で起きるから、受動的に課されたものである。
(b) 「夜」、しかも「地球のそと」に「流れで」た者は、自己が自明で疑われず確かとされる《昼》にもどるための「帰り道にまよ」う。自己は、注視され、問題となり、自己存在への確信が疑われる。
(c)その者は、動転する。すなわち「思案も忘れたように/ぐるぐる回っている」。
(d)あるいは、抜け出せない堂々巡りに陥る。それは「何年」間にもわたる。


 NIGHT AND FISHES
At night, fishes feel that they flow toward the outside of the earth.
As the water comes to decrease, they eagerly swing their tail fins.
At the same time, as the night is extremely silent, they are nervous about sounds of their snapping the water.
They look through the night because they are afraid that some persons hear the sounds.
Then, they encounter one whirligig beetle that strayed outside already many years ago.
It is swirling around and around losing its way to get back and looking as if it forgot its thoughts.
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三好達治(1900-1964)「かへる日もなき」『花筐(ハナガタミ)』(1944年、44歳)

2016-10-30 22:03:04 | 日記
 かへる日もなき

かへる日もなきいにしへを
こはつゆ艸(クサ)の花のいろ
はるかなるものみな青し
海の青はた空の青

《感想》
①過去にもどることはできない。「かへる日もなきいにしへ」!
②「こはつゆ艸(クサ)の花のいろ」とあるが、それはなぜか?
③「いにしへ」は、「はるかなるもの」である。
④ 明らかに「はるかなるもの」が2つある。それは「海」と「空」。
④-2 海は青く、山も青い。かくて「はるかなるものみな青し」。
⑤ 「かへる日もなきいにしへ」は(=「こは」)「はるかなるもの」であり(③)、後者の色は青だから(④-2)、かくて「こは」青である。
⑤-2 そして青は「つゆ艸(クサ)の花のいろ」である。
⑤-3 こうして「こは」「つゆ艸(クサ)の花のいろ」と結論される。。
⑥「はるかなるもの」の色、「青」によって、もどることのできない過去への哀しみが、七五調で、直截に表現される。

 YOU CAN’T GO BACK THE DAY
The day you can’t go back is the past.
This has the color of dayflower.
All distant things are necessarily blue.
The blue sea and the blue sky.
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吉原幸子(ヨシハラサチコ)(1932-2002)「初恋」『幼年連祷』(1964年、32歳):現実の《1人》の「女の子」が、心理的に《2人》になる 

2016-10-29 11:38:44 | 日記
 初恋

ふたりきりの教室に 遠いチンドン屋
黒板によりかかって 窓をみてゐた

女の子と もうひとりの女の子
おなじ夢への さびしい共犯

ひとりはいま ちがう夢の 窓をみてゐる
ひとりは もうひとりのうしろ姿をみてゐる

ほほゑみだけは ゆるせなかった
おとなになるなんて つまらないこと

ひとりが いたづらっ子に キスを盗まれた
いたづらっ子は そっぽをむいてわらった

いたづらっ子は それから いぢめっ子になった
けふは歯をむいて「キミ ヤセタナ」といった

それでひとりは 黒板に書く
オコラナイノデスカ ナクダケデスカ

ひとりはだまって ほほゑみながら
二つの「カ」の字を 消してみせた

うすい昼に チンドン屋のへたくそ ラッパ急に高まる

《感想》
①「もう最初から議論紛々、と言う感じ」の詩である。そこで、以下、ひとつの解釈。
(0)
②主題は「初恋」。これが間違いなく、主題である。
(1)
③「ふたりきりの教室」。この「ふたり」は、現実の2人でなく、心理上の2人。現実の「女の子」が、心理的に、2人の「女の子」に分裂する。
③-2 現実の《1人》の「女の子」が、心理的に《2人》になる。「ふたりきりの教室」。
④「遠いチンドン屋」は、遠い《過去》のチンドン屋。同時に、その過去においては《距離》的に「遠い」チンドン屋。
④-2 「遠い」過去の「教室」で、1人の「女の子」が、「黒板によりかかって/窓をみてゐた」。「遠いチンドン屋」の音が聞える。「女の子」は心理的に2つに分裂している。
(2)
⑤「女の子と/もうひとりの女の子」。現実には、ある《1人》の「女の子」の初恋。彼女の気持ちが分裂する。心理上、《2人》の「女の子」となる。
⑤-2 「おなじ夢への/さびしい共犯」。「夢」は初恋。気持ちは分裂するが、「おなじ夢」をめざす点で「共犯」。ところが両者は、「おなじ夢」に対し、異なる態度をとる。「さびしい」共犯!
(3)
⑥現実の「女の子」は、つまり同時に、分裂した「女の子」2人は、確かに初恋の「夢」を見ている。
⑥-2 そうでありながら、分裂した「女の子」の1人は、「ちがう夢の/窓をみてゐる」。
⑥-3 初恋でない「ちがう夢」を見る彼女は、醒めている。
⑥-4 分裂したもう1人の「女の子」が、その醒めた「女の子」の「うしろ姿をみてゐる」。
⑥-5 そのもう1人の「女の子」は逡巡する。今の「初恋」にあこがれ、かといって醒めた「女の子」を否定もしない。
(4)
⑦かくて、現実の「女の子」、とりわけ醒めた「女の子」の決断。「ほほゑみだけは ゆるせなかった」。
⑦-2 彼女は、男の子に心を許さない。「初恋」は「夢」だが、それをかなえれば、ある種、「おとなになる」こと。
⑦-3 彼女は、「おとなになるなんて/つまらないこと」と決断する。
⑦-4 だからと言って、彼女は「初恋」の「夢」を捨て去ることもできない。
(5)
⑧事件が起こる。「ひとりが/いたづらっ子に/キスを盗まれた」。
⑧-2 醒めた「女の子」でない、心理上のもう1人の「女の子」が、つい気を許し「キスを盗まれた」。
⑨「キスを盗」んだ男の子は、その後、どういう態度をとるか?
⑨-2 彼は、気恥ずかしく、「そっぽをむいてわらった」。
⑨-3 「いたづらっ子は/それから/いぢめっ子になった」。男の子は、「女の子」の関心をつなぎとめるため、「いぢめっ子」になる。
⑨-4 男の子にとっても、「初恋」である。
(6)
⑩「いぢめっ子」が、「けふは歯をむいて『キミ/ヤセタナ』といった」。
⑪現実の女の子は、男の子のへの態度が、分裂する。
⑪-2 心理上の「女の子」の1人が、「黒板に書く」。「オコラナイノデスカ/ナクダケデスカ」と。これは、醒めた「女の子」。
⑪-3 これに対し、心理上のもう1人別の「女の子」が、「だまって/ほほゑみながら二つの『カ』の字を/消してみせた」。つまり「オコラナイノデス/ナクダケデス」と書き換える。
⑪-4 「初恋」は、心理的に分裂した出来事。
(7)
⑫遠い昔の「教室」。「窓」の外には「遠いチンドン屋」が見える。記憶は曖昧。心も曖昧。それは「うすい昼」。
⑫-2 「初恋」は成就しない。つまり「へたくそ」な初恋。「チンドン屋」が見え、「へたくそ/ラッパ」の音が聞える。
⑫-4 それは、「女の子」の心の葛藤が最も高まったとき。「オコラナイノデスカ/ナクダケデスカ」と抗議する女の子と、「オコラナイノデス/ナクダケデス」と初恋に殉じる女の子の葛藤。
⑫-5 かくて「チンドン屋のへたくそ/ラッパ」は、「急に高まる」!

 FIRST LOVE

Only two girls are in a classroom, and hear the music of a Chindon’ya advertiser.
They lean against a blackbord and look outside from a window.

The girl and the other girl sadly comit a crime together in relation to the same dream.

One of them now look at a window of a different dream.
The other look at the back figure of the former.

Smiling absolutely shoud not be permitted at all.
Becoming mature is completely meaningless.

One of them was kissed by a mischievous boy.
The mischievous boy loughed looking the other way.

The mischievous boy became a boy of bullying.
Today, he said to her offencively showing the teeth, “You have become thin.”

One of them writes on a blackbord, “DON’T YOU ANGER? DO YOU ONLY CRY?”
The other smilingly and silently erases two words, “DON’T” and “DO”, with decicive intention.

In the dim daytime, the low-skilled trumpet of the Chindon’ya advertiser become loud suddenly.
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高野喜久雄(1927-2006)「独楽」『独楽』(1957年、30歳):《人生の原理的無意味》という意味で、人生は「あり余る無聊」である

2016-10-28 23:43:55 | 日記
 独楽

如何なる慈愛
如何なる孤独によっても
お前は立ちつくすことが出来ぬ
お前が立つのは
お前がむなしく
お前のまわりを 回っている時だ
しかし
お前がむなしく そのまわりを 回り
如何なるめまい
如何なるお前のvieを追い越したことか
そして 更に今もなお
それによって 誰が
そのあり余る無聊を耐えていることか

《感想》
①「慈愛」は、他者と結ぶ相互信頼関係のこと。
② 「孤独」は、他者との一切の関係を断つこと。
②-2 ただし人は、人(女性)から誕生し、人との関係の中で人になるから、「孤独」は、人になってからの人が、選びとる一つの生き方である。
③「立ちつくす」あるいは「立つ」とは、《生き続ける》、《死なずに生きる》という意味である。
④他者との信頼関係(「慈愛」)は、自分が「立つ」ことを前提する。
④-2 「慈愛」によって、自分が「立つ」ことが出来るようになるのでない。
⑤ 「孤独」という生き方を選んだら、自分が「立つ」ことが出来るようになるわけでもない。
⑤-2 自分が「立つ」ことと「孤独」とは無関係。
⑥自分が「立つ」ことが出来るのは、「お前」が「お前のまわりを 回っている時」だけ。
⑥-2 言い換えれば、自分が「立つ」とは、「お前」の《人生の原理的無意味》に耐えて、《生き続ける》あるいは《死なずに生きる》ことである。
⑦それは一見、「むなしく」見えるが、それこそ人生そのものである。
⑦-2 「お前がむなしく お前のまわりを 回っている」ことによってのみ、人は、《生き続ける》、《死なずに生きる》すなわち「立つ」ことが出来る。
⑦-3 ともかく回転し、《生き続ける》ことによってのみ、如何なる「めまい」(死への誘惑)も、《死へ向かう生が、死へ到達する》という意味での「お前のvie」をも、「追い越す」すなわち実現させない。
⑧《人生の原理的無意味》という意味で、人生は「あり余る無聊」である。

 A SPINNING TOP
Niether your love nor your isolation cannot make you continue to stand.
You stand only when you spin around yourself meaninglessly.
However, while you spin around yourself meaninglessly, you can overcome your anxieties of your life.
In addition, by doing so, some people really still now stand to live their boring life.
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堀口大學(1892-1981)「夕ぐれ」『月光とピエロ』(1919年、27歳) 

2016-10-27 13:29:33 | 日記
 夕ぐれ

それは昼の時でもない。
それは夜の時でもない。
それはいいようもないやさしい一時(ヒトトキ)。

それは死行く(シニユク)一日(ヒトヒ)の終り。
それは生来る(ウマレクル)一夜(ヒトヨ)の始め。
それはいいようもないかなしい一時。

それは初めのない夢の始め。
それは終りのない恋の終り。
それはいいようもない夕べの一時。

《感想》
(1)
①夕ぐれは、「昼」でも「夜」でもない。
①-2 明確さに欠ける。その曖昧さゆえに、夕ぐれは「やさしい」。
(2)
②夕ぐれは、「昼」の臨終(「死行く(シニユク)一日」)であり、「夜」の誕生(「生来る(ウマレクル)一夜」)である。
②-3 「昼」は歓喜、「夜」は悲哀。歓喜の終わり、悲哀の始まりで、夕ぐれは、「かなしい」。
(3)
③「初めのない夢」とは何か?
③-2 夢に入り込めば、その夢は「初め」がない。つまり永劫回帰の夢。
③-3 夕ぐれは、《死が不可避な日常的現実世界》から、《永劫回帰の世界》への跳躍(断絶的移行)である。
(4)
④「終りのない恋」とは何か?
④-2 恋においては、その恋は「終り」がない。つまり永遠の恋。
④-3 夕ぐれは、《永遠の恋の世界》から、《滅びを不可避とする日常的現実》への跳躍の時である。
(5)
⑤夕ぐれは、《永劫回帰の世界》への跳躍、《永遠の恋の世界》からの跳躍の時であり、かくて「いいようもない」一時(ヒトトキ)である。

 SUNSET

It isn’t a daytime.
It isn’t a nighttime.
It is an unspeakably tender time.

It is the end of a day that is going to die.
It is the beginning of a night that is going to be born.
It is an unspeakably sad time.

It is the beginning of a dream that has no beginning.
It is the end of a love that has no end.
It is an unspeakable time of sunset.
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