※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)
第3章 人間、この不自然な生物(51-71頁)
(4)「適応放散」とは、「すみ分け」原理に基づき「環境の主体化」(自ら環境を選択し、自己の生活の場として確立する)を行うことだ!
D 種の間の関係は「生存競争(弱肉強食)」だけではない。種の間には無益な競争を避け共存するための「すみ分け」原理(今西錦司)がある。(55-58頁)
D-2 種の「適応放散」とは、「すみ分けるために、生物は自ら環境を選択し、自己の生活の場として確立(環境の主体化)する」ことだ。(58頁)
(4)-2 サル類は、体を「特殊化」する必要がなく、「一般的形質」を保持した!
D-3 森林にすんだサル類は、(a)食物が豊富なので、また(b)天敵がいないので、体を「特殊化」する必要がなかった。かくてサル類は「一般的形質」を保持した。そしてサル類は「すみ分け」しないで共存する。(60-61頁)
D-3-2 「サル類が一般的形質を保持していることは、豊かな開放系である森林での樹上生活という、哺乳類の中では特異の生活様式の中から導きだされた」。(61頁)
(4)-3 人類(ヒト)はおそらくサル類の第4回目の「分化放散」の時期に誕生した!鮮新世の終わりから更新世にかけてラマピテクス亜科が「分化放散」し人類(ヒト)が誕生した!
D-4 サル類は始新世に誕生してから、4回の「系統の分化放散」(すみ分け原理に基づく適応放散と異なる)を行っている。漸新世で、真猿類が出現した。(1回目の「系統の分化放散」)(62-63頁)
D-4-2 2回目の「系統の分化放散」は中新世から鮮新世の初めにかけて起こり、そのうち類人猿の系統の分化放散ではドリオピテクス亜科(巨猿)、ギガントピテクス亜科(ゴリラ、チンパンジー、オランウータンの先祖)、ラマピテクス亜科(ヒトの祖型につながるサル)が生じた。(63-64頁)
D-4-3 3回目の「放散」によって「森から地上へ進出したサルが現れた」。(64頁)
D-4-4 河合雅雄氏はサル類の第4回目の「分化放散」があったと考える。(※これまでは3回とされた。)すなわち鮮新世の終わりから更新世にかけて、ラマピテクス亜科が分化放散した。アウストラロピテクスA型(きゃしゃ)、アウストラロピテクスP型(大きくて頑丈)(=ジンジャントロプス・ボイセイ)、ホモ・ハビリス(脳容量650CC)、ホモ・エレクトゥスという「4種の人類の先祖」が分化放散し、同じ場所に同時に住んでいた。(65-66頁)
D-4-4-2 Cf. 「アウストラロピテクスから人類の出自を考えようという単一起源説」は誤りだ。(66頁)
D-4-5 「人類(※ヒト)はおそらくサル類の第4回目の分化放散の時期に誕生した」。(66-67頁)
(4)-4 サル類のヒト化:第1に「直立2足歩行」と第2に「新脳化現象」(大脳の発達)による「文化的環境」の創造!
D-5 サル類は、始新世に誕生してから、「一般的形質」の保持を基礎として4回の「分化放散」を行った。しかしいつまでも「一般的形質」を保持したままでいるわけでなく、「特殊化」=ヒト化への道が進行し始めた。それは第1に「直立2足歩行」であり、第2に「新脳化現象」(大脳の発達)だ。この2つによって、ヒトは、サルたちが持ち合わさなかった、質的に飛躍した世界を作り上げた。つまり「文化的環境」の創造だ。Cf. サルの社会の文化的現象は「文化的環境」の萌芽にすぎない。(67頁)
D-5-2 (ア)言語機能の獲得、(イ)道具の製作と(イ)-2技術の発展、(ウ)家族の形成、(エ)シンボル機能の発達等によって、人類(ヒト)は独自の「文化」を形成した。(68頁)
D-5-2-2 ヒトの「高度な精神活動」(これは「新脳化現象=大脳の発達」で可能になった)は宗教、社会制度(Ex.国家、民族、部族)などの「文化」を形成した。(68頁)(なお基礎となる「文化」が(ア)言語、(イ)道具、(イ)-2技術、(ウ)家族、(エ)シンボルなどだ。)
D-5-2-3 逆に「文化」は人類(ヒト)に働きかけ、さらに新しい「文化」を創造する。(68頁)
D-5-2-4 このように「文化が文化を創っていく」つまり「主体環境系の弁証法的な自己運動による創造活動」こそが、人類(ヒト)の特質だ。(68頁)
(4)-5 人類(ヒト)は、自然的環境の下での「適応放散」でなく、《ヒトが創造した「文化的環境」》の下での「文化的(社会的)放散」(※異なる国家、民族、言語、宗教等を形成すること)を自らの手で行う!
D-6 人類(ヒト)はかくて、自然的環境の下での「適応放散」でなく、《ヒトが創造した「文化的環境」》の下での「文化的(社会的)放散」を自らの手で行う。(68頁)
D-6-2 人類(ヒト)はサル類(サル目)から誕生したが、人類独自の世界を創造し展開した。サル類は4回の分化放散の結果、「人類(ヒト)目」という新しい目を誕生させたと言ってよい。(68頁)
《参考》ヒトは、動物界・脊索動物門・哺乳綱・サル目・ヒト科・ヒト属・サピエンス種という分類階級を持つという。
D-6-3 「適応放散」は自然環境に対し動物の種が「自分自身の身体構造を変化させる」ことで達成される。
D-6-3-2 だが「文化的放散」(※異なる国家、民族、部族、言語、宗教等を形成すること)は自分自身の身体構造の変化を最小限にとどめ、「新しい文化をまとう」ことによって「外界」(※「文化的環境」)に適応していく。
D-6-3-3 Ex.「狩猟という生活文化」:肉食獣のニッチェ(※生態的地位)の獲得。Ex.「採集生活」:草食獣のニッチェの獲得。Ex.「牧畜」:共生の延長と拡大。Ex.「農耕文化」新しい生産環境(※文化的環境)の創造。(69頁)
(4)-6 「地球は自分のものだ、自分たちだけのためにある」という思い上がりを人類(ヒト)は持つようになった!
D-7 人類(ヒト)は世界中に拡がり、いたるところに「生活の場」(※文化的環境)を作り上げる。草原・山岳地・砂漠など様々な地形、また熱帯・温帯・寒帯など様々な気候のもとで「生活の場」(※文化的環境)を作り上げる。(69頁)
D-7-2 一つの種が、このように広範な地域にわたって生息地を確保することは、一般の動物ではありえない。かくて「地球は自分のものだ、自分たちだけのためにある」という思い上がりを人類(ヒト)は持つようになった。(69頁)
(4)-7 動物の「適応放散」は「すみ分け」を結果するが、人類(ヒト)における「文化的放散」は「すみ分け」につながらない!
D-8 自然環境の下での「適応放散」は「すみ分け」を結果する。しかし文化環境の下での「文化的放散」(※Ex. 固有の文化をもつ様々な民族あるいは部族の存在)は「すみ分け」に必ずしもつながらない。(70頁)
D-8-2 「すみ分け」は生活の場の自己限定であり、無用の競争の回避であり、種社会の社会的調整機構だ。しかし人類(ヒト)における異なった文化(※Ex. 国家、民族、部族、言語、宗教等)をもつ集団の接触は、文化摩擦、さらに激しい殺戮・戦争を引き起こす。(70頁)
(4)-8 人類の原罪:人類は存在において不自然である(※文化を創造し文化的環境に生きる)ゆえに、その行為はすべて自然を乱すものにつながっていく!
D-9 人類(ヒト)は自然と不自然(※文化)を内包した「進化の鬼子」だ。人類(ヒト)は「自然の生態系からはみ出した存在」だ。かくて人類(ヒト)は、「自然に対してもろもろの罪科を重ねる存在」だ。(70頁)
D-9-2 「人類(ヒト)は自然界における異端であり反逆者である。」「人類は存在において不自然である(※文化を創造し文化的環境に生きる)ゆえに、その行為はすべて自然を乱すものにつながっていく。」これこそが「人類が担った原罪の一つだ。」
《感想》ルソーの「自然に帰れ」(自然は人間を善良、自由、幸福につくったが、社会が人間を堕落、奴隷化し、悲惨にした)を思い出させる。ルソーは「人類(ヒト)はサル類に帰れ」と言ったわけでない。(※そもそも、もはやサル類に帰れない。)ルソーは《自然に属す「自己保存」(自己愛)と「哀れみの情」》こそが、「理性(※文化)に先立つ二つの原理」であると述べた。
D-9-3 「人類は基本的に自然と不自然(※文化)という矛盾を胚胎した存在である以上、永遠に不安定で未完成だ」。(70-71頁)
D-9-3-2 「サルから分化放散した人間は、次第にサルばなれした進化の方向を強めていった」。(71頁)
D-9-3-3 「文化は、人類をサル類から訣別させ、人類の独自性を創発していく根源である」が、「文化は人類の幸福を約束するとともに、地獄の深淵をのぞかせる窓口でもある。」(71頁)
(4)-9 動物の世界には善も悪もない!人類(ヒト)において「悪の芽を育てた文化とは何か」?
D-10 「動物の世界には善も悪もない。善と悪を育んだ土壌は文化そのものだ。」(71頁)
《感想》おそらく「自己保存」(自己愛)と「哀れみの情」(Cf. ルソー)の実現が「善」である。「理性」とはこの「善」を状況の中で確定し認識する能力(Cf. 理論理性)であり、又、「善」を実現しようとする意志(Cf. 実践理性)である。
D-10-2 河合雅雄氏のこの著作では「善」の問題は取り上げない。以下では、「悪の芽を育てた文化とは何か」の問題を取り上げる。(71頁)
第3章 人間、この不自然な生物(51-71頁)
(4)「適応放散」とは、「すみ分け」原理に基づき「環境の主体化」(自ら環境を選択し、自己の生活の場として確立する)を行うことだ!
D 種の間の関係は「生存競争(弱肉強食)」だけではない。種の間には無益な競争を避け共存するための「すみ分け」原理(今西錦司)がある。(55-58頁)
D-2 種の「適応放散」とは、「すみ分けるために、生物は自ら環境を選択し、自己の生活の場として確立(環境の主体化)する」ことだ。(58頁)
(4)-2 サル類は、体を「特殊化」する必要がなく、「一般的形質」を保持した!
D-3 森林にすんだサル類は、(a)食物が豊富なので、また(b)天敵がいないので、体を「特殊化」する必要がなかった。かくてサル類は「一般的形質」を保持した。そしてサル類は「すみ分け」しないで共存する。(60-61頁)
D-3-2 「サル類が一般的形質を保持していることは、豊かな開放系である森林での樹上生活という、哺乳類の中では特異の生活様式の中から導きだされた」。(61頁)
(4)-3 人類(ヒト)はおそらくサル類の第4回目の「分化放散」の時期に誕生した!鮮新世の終わりから更新世にかけてラマピテクス亜科が「分化放散」し人類(ヒト)が誕生した!
D-4 サル類は始新世に誕生してから、4回の「系統の分化放散」(すみ分け原理に基づく適応放散と異なる)を行っている。漸新世で、真猿類が出現した。(1回目の「系統の分化放散」)(62-63頁)
D-4-2 2回目の「系統の分化放散」は中新世から鮮新世の初めにかけて起こり、そのうち類人猿の系統の分化放散ではドリオピテクス亜科(巨猿)、ギガントピテクス亜科(ゴリラ、チンパンジー、オランウータンの先祖)、ラマピテクス亜科(ヒトの祖型につながるサル)が生じた。(63-64頁)
D-4-3 3回目の「放散」によって「森から地上へ進出したサルが現れた」。(64頁)
D-4-4 河合雅雄氏はサル類の第4回目の「分化放散」があったと考える。(※これまでは3回とされた。)すなわち鮮新世の終わりから更新世にかけて、ラマピテクス亜科が分化放散した。アウストラロピテクスA型(きゃしゃ)、アウストラロピテクスP型(大きくて頑丈)(=ジンジャントロプス・ボイセイ)、ホモ・ハビリス(脳容量650CC)、ホモ・エレクトゥスという「4種の人類の先祖」が分化放散し、同じ場所に同時に住んでいた。(65-66頁)
D-4-4-2 Cf. 「アウストラロピテクスから人類の出自を考えようという単一起源説」は誤りだ。(66頁)
D-4-5 「人類(※ヒト)はおそらくサル類の第4回目の分化放散の時期に誕生した」。(66-67頁)
(4)-4 サル類のヒト化:第1に「直立2足歩行」と第2に「新脳化現象」(大脳の発達)による「文化的環境」の創造!
D-5 サル類は、始新世に誕生してから、「一般的形質」の保持を基礎として4回の「分化放散」を行った。しかしいつまでも「一般的形質」を保持したままでいるわけでなく、「特殊化」=ヒト化への道が進行し始めた。それは第1に「直立2足歩行」であり、第2に「新脳化現象」(大脳の発達)だ。この2つによって、ヒトは、サルたちが持ち合わさなかった、質的に飛躍した世界を作り上げた。つまり「文化的環境」の創造だ。Cf. サルの社会の文化的現象は「文化的環境」の萌芽にすぎない。(67頁)
D-5-2 (ア)言語機能の獲得、(イ)道具の製作と(イ)-2技術の発展、(ウ)家族の形成、(エ)シンボル機能の発達等によって、人類(ヒト)は独自の「文化」を形成した。(68頁)
D-5-2-2 ヒトの「高度な精神活動」(これは「新脳化現象=大脳の発達」で可能になった)は宗教、社会制度(Ex.国家、民族、部族)などの「文化」を形成した。(68頁)(なお基礎となる「文化」が(ア)言語、(イ)道具、(イ)-2技術、(ウ)家族、(エ)シンボルなどだ。)
D-5-2-3 逆に「文化」は人類(ヒト)に働きかけ、さらに新しい「文化」を創造する。(68頁)
D-5-2-4 このように「文化が文化を創っていく」つまり「主体環境系の弁証法的な自己運動による創造活動」こそが、人類(ヒト)の特質だ。(68頁)
(4)-5 人類(ヒト)は、自然的環境の下での「適応放散」でなく、《ヒトが創造した「文化的環境」》の下での「文化的(社会的)放散」(※異なる国家、民族、言語、宗教等を形成すること)を自らの手で行う!
D-6 人類(ヒト)はかくて、自然的環境の下での「適応放散」でなく、《ヒトが創造した「文化的環境」》の下での「文化的(社会的)放散」を自らの手で行う。(68頁)
D-6-2 人類(ヒト)はサル類(サル目)から誕生したが、人類独自の世界を創造し展開した。サル類は4回の分化放散の結果、「人類(ヒト)目」という新しい目を誕生させたと言ってよい。(68頁)
《参考》ヒトは、動物界・脊索動物門・哺乳綱・サル目・ヒト科・ヒト属・サピエンス種という分類階級を持つという。
D-6-3 「適応放散」は自然環境に対し動物の種が「自分自身の身体構造を変化させる」ことで達成される。
D-6-3-2 だが「文化的放散」(※異なる国家、民族、部族、言語、宗教等を形成すること)は自分自身の身体構造の変化を最小限にとどめ、「新しい文化をまとう」ことによって「外界」(※「文化的環境」)に適応していく。
D-6-3-3 Ex.「狩猟という生活文化」:肉食獣のニッチェ(※生態的地位)の獲得。Ex.「採集生活」:草食獣のニッチェの獲得。Ex.「牧畜」:共生の延長と拡大。Ex.「農耕文化」新しい生産環境(※文化的環境)の創造。(69頁)
(4)-6 「地球は自分のものだ、自分たちだけのためにある」という思い上がりを人類(ヒト)は持つようになった!
D-7 人類(ヒト)は世界中に拡がり、いたるところに「生活の場」(※文化的環境)を作り上げる。草原・山岳地・砂漠など様々な地形、また熱帯・温帯・寒帯など様々な気候のもとで「生活の場」(※文化的環境)を作り上げる。(69頁)
D-7-2 一つの種が、このように広範な地域にわたって生息地を確保することは、一般の動物ではありえない。かくて「地球は自分のものだ、自分たちだけのためにある」という思い上がりを人類(ヒト)は持つようになった。(69頁)
(4)-7 動物の「適応放散」は「すみ分け」を結果するが、人類(ヒト)における「文化的放散」は「すみ分け」につながらない!
D-8 自然環境の下での「適応放散」は「すみ分け」を結果する。しかし文化環境の下での「文化的放散」(※Ex. 固有の文化をもつ様々な民族あるいは部族の存在)は「すみ分け」に必ずしもつながらない。(70頁)
D-8-2 「すみ分け」は生活の場の自己限定であり、無用の競争の回避であり、種社会の社会的調整機構だ。しかし人類(ヒト)における異なった文化(※Ex. 国家、民族、部族、言語、宗教等)をもつ集団の接触は、文化摩擦、さらに激しい殺戮・戦争を引き起こす。(70頁)
(4)-8 人類の原罪:人類は存在において不自然である(※文化を創造し文化的環境に生きる)ゆえに、その行為はすべて自然を乱すものにつながっていく!
D-9 人類(ヒト)は自然と不自然(※文化)を内包した「進化の鬼子」だ。人類(ヒト)は「自然の生態系からはみ出した存在」だ。かくて人類(ヒト)は、「自然に対してもろもろの罪科を重ねる存在」だ。(70頁)
D-9-2 「人類(ヒト)は自然界における異端であり反逆者である。」「人類は存在において不自然である(※文化を創造し文化的環境に生きる)ゆえに、その行為はすべて自然を乱すものにつながっていく。」これこそが「人類が担った原罪の一つだ。」
《感想》ルソーの「自然に帰れ」(自然は人間を善良、自由、幸福につくったが、社会が人間を堕落、奴隷化し、悲惨にした)を思い出させる。ルソーは「人類(ヒト)はサル類に帰れ」と言ったわけでない。(※そもそも、もはやサル類に帰れない。)ルソーは《自然に属す「自己保存」(自己愛)と「哀れみの情」》こそが、「理性(※文化)に先立つ二つの原理」であると述べた。
D-9-3 「人類は基本的に自然と不自然(※文化)という矛盾を胚胎した存在である以上、永遠に不安定で未完成だ」。(70-71頁)
D-9-3-2 「サルから分化放散した人間は、次第にサルばなれした進化の方向を強めていった」。(71頁)
D-9-3-3 「文化は、人類をサル類から訣別させ、人類の独自性を創発していく根源である」が、「文化は人類の幸福を約束するとともに、地獄の深淵をのぞかせる窓口でもある。」(71頁)
(4)-9 動物の世界には善も悪もない!人類(ヒト)において「悪の芽を育てた文化とは何か」?
D-10 「動物の世界には善も悪もない。善と悪を育んだ土壌は文化そのものだ。」(71頁)
《感想》おそらく「自己保存」(自己愛)と「哀れみの情」(Cf. ルソー)の実現が「善」である。「理性」とはこの「善」を状況の中で確定し認識する能力(Cf. 理論理性)であり、又、「善」を実現しようとする意志(Cf. 実践理性)である。
D-10-2 河合雅雄氏のこの著作では「善」の問題は取り上げない。以下では、「悪の芽を育てた文化とは何か」の問題を取り上げる。(71頁)