DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

『勝手にふるえてろ』(2017年、日本)監督大九明子 原作綿矢りさ(評価5):脳内の片思いと、リアルな恋愛の同時進行

2017-12-31 23:08:24 | 日記
(1)
江藤 良香(エトウ ヨシカ):26歳。経理課に勤めるOL。中学の頃から、漫画を描くおたく系女子。アンモナイトの化石も愛する。
「一(イチ)」:ヨシカが中2の時から想いを寄せていた同級生。
「ニ」:ヨシカと同じ会社の営業マン。ヨシカに交際を申し込む。
来留美(クルミ):ヨシカの会社の同僚で、良き相談相手。
(2)
ヨシカの「イチ」に対する脳内恋愛が、狂おしく、かわいい。
「空想」と「過去(現実)」と「現在(現実)」が混在する映像が、痛快。
「二」が真摯で明るく誠実、本当に、いい人物だ。
「ニ」との現実の恋愛と、「一」との脳内恋愛が、ヨシカの中で戦う。
(2)-2
「ニ」からの突然の告白に「人生で初めて告られた!」とテンションがあがるヨシカ。
しかし、「ニ」との関係にいまいち、乗り切れないヨシカ。
(3)
かくて、「一目でいいから、今のイチに会って、前のめりに死んでいこう」と、ヨシカは思い詰める。
ヨシカは、他人になりすまし、中2のクラス会を企画し、「一」と再会を果たす。
しかし「一(イチ)」は、ヨシカを「君」とのみ呼び、同じクラスだったのに「名前」さえ知らない。
ヨシカは、絶望し、激しく泣く。
(4)
そんな中、ヨシカが「二」と会うと、「ニ」は、なんと「ヨシカが処女であること」を知っていて、それをほめる。
ヨシカは、「あたしじゃなくて、処女が好きなんでしょ」と、「二」を拒絶する。
そして、処女であることを「二」に教えた、親友クルミと絶交する。
(5)
「会社の経理課全員に、自分が処女であることを知られた恥ずかしさ」で、ヨシカは会社を辞める。
ただし、その話を否定するため、ヨシカは、「妊娠したので、会社を辞める」と嘘をつく。
(5)-2
「ニ」は、ヨシカから、好きな人(「一(イチ)」)がいると伝えられ、ヨシカが「一(イチ)」の子供を妊娠したと思い、ヨシカを恨み、別れようとする。
(6)
しかし、「二」はヨシカを忘れられず、再びヨシカのもとを訪れる。
なんと純情で一途な「二」の愛!
ヨシカとの壮絶なやり取りの中で、「二」は、事情をすべてヨシカから伝えられる。
(6)-2
「二」は、恨みを解き、自分の強い愛を、ヨシカに伝える。
ついに二人は、和解する。
「これから二人はハッピーになれるかもしれない」との希望で、映画が終わる。
(7)
恋愛ド素人のヨシカは、一方的な脳内の片思いと、リアルな恋愛の同時進行に、「私には彼氏が2人いる」と深刻に悩み、かつ暴走する。
その様子が、第3者から見れば、コミカルだ。
(7)-2
ヨシカ役の松岡茉優(マユ)が、現実離れした雰囲気を、上手に魅力的に、ただしぎごちなく可愛く演じていて、よかった。
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恵慶(エギョウ)法師「八重葎(ムグラ)茂れる宿の・・・・」:慎(ツツ)ましい廃園趣味!

2017-12-31 19:25:17 | 日記
八重葎(ムグラ)茂れる宿のさびしきに
人こそ見えね秋は来にけり

A plenty of weeds and ivies are growing thick.
A mansion is devastated and sad.
No one comes, but only autumn has come.

《感想1》
作者の恵慶(エギョウ)法師は962年頃から歌合わせで活動。986年、花山院の熊野行幸に供奉(グブ)した。
この歌は、左大臣源融(トオル)の豪壮な邸宅だった河原院(カワラノイン)で詠まれた。
源融(822-895)は、恵慶法師の約100年前の人。
《感想2》
幾重にも蔓草や雑草が茂り、今や、邸は荒れて寂しい。人は誰も訪れない。ただ秋だけが訪れる。
《感想3》
「夢の跡」だ。
とは言え、融の曾孫の安法(アンポウ)法師が、この荒れた邸に住んでいた。
廃園を愛する風流人が、ここに時々集まった。
彼らは、中下流の役人が中心で、上流でない。
慎(ツツ)ましい廃園趣味だった。
《感想4》
人の世のはかなさ、人の死すべき運命を、廃園が暗示する。
手入れされない庭は、自然に対する人間の無力を示す。
だが、自然が無規則性のカオスでなく、秩序(ノモス)を持つこと(Ex. 季節の秩序)に、作者は慰められる。
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あるイメージ:この世には、物語というバブル(泡)が無数にある

2017-12-30 23:32:53 | 日記
(1)物語というバブル(泡)が無数にある
この世には、物語というバブル(泡)が無数にあって、増殖し、互いに影響し合い、あるいは他に対し暴力的に強制しつつ、勝手に浮遊している。
そのようにイメージできるかもしれない。

(2)個人の物語というバブル(泡)
強力な泡(バブル、物語)もあり、国家が自身の物語(バブル)を、子供たちに教え込む。
似た形、似た色の諸個人の物語(バブル)が大量生産される。
家族の物語、父母の物語、郷土の物語、職場の物語も、個人に教え込まれる。
かくて個人の物語というバブル(泡)の形・色は、それらから影響をこうむる。

(3)多様なバブル(物語)  
バブル(物語)は、多様だ。
新聞が生み出す泡(物語)、ネットにあふれる様々の些末なバブル(物語)。
ニュースと言う名のバブル(物語)。
レポート、記事、論説、著作、小説、物語、うわさなど様々のバブル(泡、物語)。

(3)-2 自然を読み解き、自然を操作できる物語(バブル)もある
あらゆる学問、自然諸科学、工学、人文諸科学はすべて物語(バブル)だ。
諸理論、諸学説がすべて物語・バブル・泡だ。
自然を読み解き、自然を操作できる物語(バブル)もある。
それは、文明と呼ばれる巨大な人工物(建造物、都市、軍事兵器、機械装置等)を可能とする物語(バブル)だ。

(3)-3 社会的諸システムを可能とする物語(バブル)
経済システム等、社会的諸システムを可能とする物語(バブル)もある。

(4)従わないと、強制組織、警察と軍事力によって、罰せられ強制される物語(バブル):法
鉄のような泡(鉄のバブル、鉄の物語)もある。
つまりその物語(バブル)に従わないと、強制組織である警察と軍事力によって、罰せられ強制される。
取引の契約書という民法的バブル(物語)。
国家の諸組織を規定する法というバブル(物語)。
強制組織である警察と軍事力を規定する法というバブル(物語)。
これらを含め、法という鉄のバブル(物語)がある。

(5)諸個人のバブル(物語)を、物語の一部として取り込む大きな物語(バブル)
バブル(泡・物語)は、境界が様々だ。
個人のバブルがある。
諸個人のバブルを、操作し、動かし、バブルの色と形に影響を与える、強力な鉄のバブルがある。(参照(4))
一般に、諸個人のバブル(物語)は、それらを物語の一部として取り込む大きな物語(バブル)、に色を染められ、形状も変化する。
鉄の物語(バブル)はその典型だ。(参照(4))
経済システム等の社会的諸システムを可能とする物語も、大きな物語(バブル)だ。
道徳・常識・倫理と呼ばれる大きな物語(バブル)もある等々。

(5)-2 大きな諸物語が、無数の個人の物語(バブル)に教え込まれる
君は、個人の物語(バブル)泡を持つ。
無数の個人が、各自の物語(バブル)を持つ。
個人に対し、国家が、物語(バブル)が教え込む。
家族の物語、父母の物語、郷土の物語、職場の物語等も、個人に教え込まれる。
教育諸組織・制度が、物語(バブル)を個人に教え込む。
これら教え込まれる物語の中には、取引の契約書というような民法的バブル(物語)を含め、一般に諸法律という鉄の物語(バブル)が含まれる。
また自然諸科学、工学等の物語(バブル)が、個人の物語(バブル)に教え込まれる。
そして組織化された諸個人が総体として、自然を読み解き、自然を操作し、文明と呼ばれる巨大な人工物(建造物、都市、軍事兵器、機械装置等)を創出する。
また経済システム等の社会的諸システム、つまり諸組織、諸制度を可能にする物語(バブル)も、個人に教え込まれる。

(7)物語というバブル(泡)=知識
物語というバブル(泡)は、知識と呼んでもよい。
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石川啄木(1886-1912)「わが抱く思想は・・・・」『一握の砂』(1910)所収

2017-12-30 17:26:58 | 日記
わが抱く思想はすべて
金なきに因するごとし
秋の風吹く

《感想》
何とも悲しい。
神童とかつて呼ばれた男の一瞬の失意。

All of my thoughts
seem to be derived from my poverty.
A wind blows in autamn.
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(A)「恋人は蜜だ」の命題には、「恋人は、蜜でない」のだから隠喩だとの反論がある。ところが(B)「シェパードは犬だ」の命題には、「シェパードは、犬でない」のだから隠喩だとの反論がない。

2017-12-30 10:12:17 | 日記
(1)
恋人に対して、「蜜(ハニー、honey)」と言う。
ところが、「恋人は、蜜でない」との反論がある。
(2)
だがこの反論は、違う。
「恋人は、蜜だ。」
隠喩(隠された比喩)でない。
食べる甘い蜜も、恋人も、確かに「蜜」だ。
(3)
だが恋人は、食べられないし、なめても甘くない。
「蜜」には「蜜A」と「蜜B」があるのだ。
食べる甘い蜜は「蜜A」だ。
恋人は「蜜B」だ。
(4)
食べる甘い蜜も恋人も確かに「蜜」だ。
しかし両者は同一でない。
食べる甘い蜜(「蜜A」)は恋人(「蜜B」)でない。
(5)
スピッツもシェパードも確かに「犬」だ。
しかし両者は同一でない。
スピッツ(「犬A」)はシェパード(「犬B」)でない。
(6)
シェパードに対して「犬」と言う。
恋人に対して「蜜」と言う。
そして「恋人は、蜜でない」との反論がある。
ところが、「シェパードは、犬でない」との反論がない。
不思議だ。
(7)
(A)「恋人は蜜だ」の命題には、「恋人は、蜜でない」のだから隠喩だとの反論がある。ところが(B)「シェパードは犬だ」の命題には、「シェパードは、犬でない」のだから隠喩だとの反論がない。
(8)
「名辞」(Ex. 犬、蜜)とは共通点の符牒だ。
スピッツとシェパードの共通点が「犬」だ。
食べる甘い蜜と恋人の共通点が「蜜」だ。
(8)-2
二つのもの(概念)の共通点が多い時は、共通点の符牒である名辞(Ex. 犬)は、比喩と呼ばれることがない。Ex.「シェパードは犬だ」
二つのもの(概念)の共通点が極めて少ない時は、共通点の符牒である名辞(Ex. 蜜)は、比喩と呼ばれる。Ex. 「恋人は蜜だ」
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