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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(77) 百田氏の誤り:①沖縄戦開始時に日本軍は7万7千、米軍は18万8千!②陸軍は「沖縄を捨て石(出血持久的前哨戦)にした」!

2021-04-30 12:09:24 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)  

(77)百田氏の誤り①:沖縄戦開始時に日本軍は7万7千で、米軍は18万8千だった! (297頁)
R 百田尚樹『日本国紀』は、「日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島中心とした南西諸島に18万の兵士を配置した」(百田401頁)と述べるが、これは誤りだ。
R-2 百田氏の誤り①:「沖縄戦開始時には、18万も兵は配置されていない。」レイテ戦との関係で1945年1月に「精鋭の第9師団」は台湾に転出してしまい、「牛島軍司令官(中将)の配下の兵(第32軍)は7万7千で、沖縄本島に上陸したアメリカ第10軍の18万8千と戦うことになった」。(浮世297頁)

(77)-2 百田氏の誤り②:「日本は沖縄を守るために最後の力をふり絞って戦った」と言えない!(297-299頁)
R-3 百田氏は「戦後の今日、『日本は沖縄を捨て石にした』と言う人がいるが、これは誤りだ。日本は沖縄を守るために最後の力をふり絞って戦ったのだ。もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空および本土決戦のために温存したであろう」(百田401頁)と述べる。
R-3-2 百田氏の誤り②:「日本は沖縄を守るために最後の力をふり絞って戦った」と百田氏が言うのは誤りだ。その理由を以下、列挙しよう。(浮世297-299頁)
(ア) 1945年4月 沖縄本島に上陸したアメリカ軍18万8千人に対し、日本軍は7万7千人(第32軍)にすぎなかった。(既述)(※「沖縄を守るために最後の力をふり絞って」いない。)
(イ)圧倒的兵力差を見て牛島中将は沖縄にあった二つの飛行場を放棄。本島南部での「持久戦」へと方針変更した。かくて米軍はあっさりと飛行場を占拠した。(※「沖縄を守る」ことを放棄した。)「沖縄の飛行場をアメリカと日本、どちらが押さえるか」が沖縄戦のポイントと考えていた大本営は驚く。昭和天皇が「現地軍はなぜ攻勢に出ぬか」と「疑問」を呈したこともあり、大本営は第32軍に攻勢の要望を出すが、結局大損害を被る。
(ウ) 「陸軍は、すでに本土を最終決戦の場と定め、沖縄戦を本土決戦のための『出血持久的前哨戦』とみなし、航空戦力のすべてを投入しようとしなかった。」(※つまり陸軍は「沖縄を捨て石にした」!)「このため、沖縄決戦を主張する海軍と激しく対立している。」(浮世298-299頁)
(エ)なお昭和天皇が沖縄戦の動向に関心を持ち「航空機だけの総攻撃か」と「御下問」があったので、海軍は、豊田連合艦隊司令長官が、戦艦大和などからなる海上特攻隊に沖縄突入を命じた。(『戦史叢書』)(※つまり海軍は「沖縄決戦」を行うと決定した。)昭和天皇の「疑問」や「御下問」がなければ「海軍は沖縄戦に航空戦力しか投入しなかったかもしれない」。
(エ)-2 海上特攻隊は戦艦大和・巡洋艦矢矧(ヤハギ)・駆逐艦4隻が沈没し、連合艦隊の海上戦力は事実上消滅した。しかし連合艦隊は「指揮下一切ノ航空戦力ヲ投入シ総追撃」ヲ続け、特攻を行い、ロケット推進の「桜花(オウカ)」も投入した。
R-3-3 特攻機は2,393機が投入され、大本営は「空母22~25隻、戦艦4隻、巡洋艦24隻を撃沈破した」と発表した。これは虚偽で、撃沈は、空母0隻、戦艦0隻、巡洋艦0隻、その他36隻だった。(浮世299頁)
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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(76) 百田氏の誤り:①日本は「アジアの人々と戦争をして」いる!②海軍の[特攻]計画は、なし崩し的に通常作戦に組み込まれたものでない!

2021-04-29 16:23:10 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)  

(76)百田氏の誤り①:日本は、「アジアの人々と戦争をして」いる! (294-296頁)
Q 百田尚樹『日本国紀』は、日本は「アジアの人々と戦争をしたわけではない」(百田425頁)と述べる。しかしこれは誤りだ。「中共勢力」とみなされた「アジアの人々と戦争をして」いる。
Q-2 北支方面軍は「中共勢力勦滅(ソウメツ)[滅ぼし尽くす]ニ集中スル」方針をとり続け「第1期普中作戦戦闘詳報」によると、「目標方法」として以下を掲げる。「一、敵及土民ヲ仮装スル敵、ニ、敵性アリト認ムル住民中一五歳以上六十歳迄ノ男子、殺戮・・・・六、敵勢、焼却破壊」。このような作戦展開は、中国民衆の反感を買った。(※つまり中国民衆と「戦争をして」いる。)(浮世294-295頁)

(76)-2 百田氏の誤り②:海軍の「特攻」計画は限定的作戦ではなく、あらかじめ計画されていたことの実行だ!(296-297頁)
Q-3  百田氏は「神風特攻隊は最初は[1944年10月以降]フィリピンでの戦いの限定的作戦だったが、予想外の戦果を挙げたことから、なし崩し的に通常作戦の中に組み入れられた」(百田400頁)と述べる。
Q-3-2 百田氏の誤り②:百田氏の上述の見解は事実でなく誤りだ。「すでに山本五十六が『体当たり攻撃』をする案を持っていた。海軍の[特攻]計画は限定的作戦ではなく、あらかじめ計画されていたことの実行で、なし崩し的に通常作戦に組み込まれたものではない。」ただし「『特攻』に対して司令部のためらいや逡巡の記録も見られる。」(浮世296-297頁)
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映画『幻夢戦記レダ』(1985年、日本):陽子は女神レダが乗り移る「霊媒」or「依り代」の能力を持っていた!

2021-04-29 09:59:33 | 日記
(1)
17歳の女子高生・朝霧陽子は、1年以上も好きだった少年への想いを込め、彼にプレゼントするピアノ曲を完成する。カセットレコーダーでそれを聴きながら、告白しようと小径で少年と出会うが、告白できずすれ違う。
《感想1》時代は、1985年だから音楽はカセットテープ・レコーダーで聴く。ずいぶん昔だ。だが映画のストーリーは時代を感じさせない。普遍的テーマを扱う。
《感想1-2》また女子高生から、好きな少年への告白は、昔も今も変わらないだろう。
(2)
少年とすれちがった時、突然、陽子は異次元世界アシャンティに時空移動する。人語を話す犬リンガムが登場し、アシャンティの空に出現する「ノアの蜃気楼」の説明をする。地球の属する世界がノア。「争いによって荒廃しつつある異世界アシャンティ」と別に、世界ノアを女神レダが創造し、封印した。アシャンティの荒廃が、ノアに及ばないように、ノアは封印されたのだ。「世界ノア」と「異世界アシャンティ」に時空移動の通路ができる時、アシャンティに蜃気楼が現れる。
《感想2》世界ノア(地球が属す世界)と異次元世界アシャンティの間の移動が、物語の枠組みだ。
《感想2-2》1985年は、日本の「失われた30年」以前、バブルの前だ。当時は、日本が「Japan as No.1」と世界中でもてはやされた時代だ。かくて地球の属する「世界ノア」は、平和で豊かな世界と設定されている。
(3)
「『レダのハート』を渡せ!」とアシャンティの帝王ゼルとそのロボットが陽子を襲う。陽子が巨大な花の中に吸い込まれた時、彼女は「レダの戦士」に変身する。「レダの戦士」(陽子)は強力で、帝王ゼルたちは空中要塞に逃げる。「レダの巫女」ヨニとそのロボットが陽子に味方する。
《感想3》味方は「レダの戦士」(陽子)、人語を話す犬リンガム、「レダの巫女」ヨニ。敵は空中要塞を居城とする帝王ゼルとその一団、さらにロボット群だ。
(4)
「荒廃しつつある異世界アシャンティから異次元移動によって、封印された世界ノア(地球が属す世界)へ侵入し、そこで支配者となること」が、帝王ゼルの目的だ。異次元移動には、「女神レダ」のパワーが必要だ。陽子のカセットの曲のメロディーが、レダのパワーを呼び起こす言わば呪文(「レダのハート」)だ。かくてゼルは陽子の曲のカセットを奪った。
《感想4》カセットの曲は、異次元移動エネルギーを呼び起こす言わば「呪文」であり、「レダのハート」と呼ばれる。
(5)
帝王ゼルは、「レダのハート」である曲(呪文)が呼び起こすエネルギーで、空中要塞にある次元移動装置を機能させようとするが、失敗する。帝王ゼルは、「レダの戦士」の心において唱えられた呪文(歌われたorイメージされた曲)のみが、次元移動装置を正常に機能させるエネルギーを生み出すと知る。かくて帝王ゼルは、陽子(「レダの戦士」)をおびき寄せ、陽子に催眠術をかけ、陽子の心を支配することに成功する。
《感想5》陽子はもともと「レダの戦士」だった。だから彼女は「レダのハート」の曲(呪文)を、作曲できたのだ。
(6)
陽子の心が奏でる「呪文」(歌われたorイメージされた曲)が、順調に次元移動装置を機能させていく。この時、陽子は夢を見る。夢に彼女が恋する少年が出てくる。だが少年は、陽子が作った曲を知らないとい言う。陽子は、少年を疑う。少年があまりに「知らない」というので、陽子は、少年が嘘をついており、本物の少年でないと気づく。少年は帝王ゼルの姿に変形する。陽子はこうしてついに夢から目覚める。陽子は覚醒した「レダの戦士」となる。
《感想6》これは「誘導された夢」(催眠)から覚めるメカニズムだ。誘導者の暗示、それに対しあらがう当人の意思(心)。当人の意思(心)が誘導者の暗示(夢・催眠)を拒否すると、当人は覚醒する。陽子(「レダの戦士」)は帝王ゼルの催眠の誘導を拒否し、覚醒した。
(7)
陽子(「レダの戦士」)と「レダの巫女」ヨニと犬リンガムが、帝王ゼルと戦い、ゼルの空中要塞およびロボット兵器たちを破壊する。「レダの戦士」が帝王ゼルを破滅させた。その後、陽子は、蜃気楼を通路として世界ノア(地球が属す世界)への時空移動に成功し、この地球の属する世界に戻る。陽子は、再び、少年に告白しようと決意する。(「レダの巫女」ヨニと犬リンガムは異世界アシャンティに残る。)
《感想7》女子高生・朝霧陽子は、もともと女神レダに選ばれた「レダの戦士」だった。言い換えれば、陽子は女神レダが乗り移る「霊媒」or「依り代」の能力を持っていたのだ。
《感想7-2》「レダの戦士」としての陽子と「レダの巫女」ヨニに、ビキニの水着を着せるという設定は、女性を性的対象として《もっぱら》見る女性蔑視の視点だ。そもそも戦闘用の防具・戦闘服を身につけなければ、容易に負傷し、命を危険にさらす。アニメとは言え、あまりに非現実的かつ女性を蔑視した設定だ。

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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(75) 百田氏の誤り:①「1943年時点」で東条内閣は「講和など一切考えていない」!②アメリカの「ウォッチタワー作戦」が開始されていた!

2021-04-28 12:45:46 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)  

(75)百田氏の誤り①:「1943年段階」では東条内閣は「講和など一切考えていない」!(291-293頁)
P 百田尚樹『日本国紀』は「1943年時点で、日本の国内経済はすでにガタガタになっており、生産力は著しく低下し、戦争の継続の見通しは立たなくなっていたが、アメリカの本格的な反攻がないため、講和の画策もしなかった」(百田398-399頁)
P-2 百田氏の誤り①:百田氏は「1943年時点」で日本(東条内閣)が「講和」を考えていたように言うが、これは誤りだ。「1943年段階」では東条内閣(1941/10-1944/7)は「講和など一切考えていない。」(浮世292頁)
P-2-2  1943年2月上旬、日本軍はガダルカナル島から「転進」したが、中国では1943年以降(ア)~(エ)の軍事作戦を展開し、戦果を挙げている。「戦争の継続の見通しは立たなくなっていた」との百田氏の見方は誤りだ。
(ア)江北殲滅作戦:1943年に入って長江北部、武漢西方に第11軍を展開し、中国の守備隊を壊滅させた。
(イ)江南殲滅作戦:同5月に洞庭湖西方、長江南部に第11軍は進軍し、民間人を含む中国軍3万人を殲滅。
(ウ)常徳会戦:同11月、湖南省北部で中国軍と激突。(これについては、成功か失敗か意見が分かれる。)
(エ)打通作戦:1944年からの中国大陸縦断作戦。中国内陸部の連合軍基地の破壊、仏印への陸路を開くことを目的とした。投入総兵力50万人、戦車800台、騎兵7万。作戦距離2400キロ。この作戦は成功した。

(75)-2 百田氏の誤り②:「1943年時点」で「アメリカの本格的な反攻がない」との見方は誤りだ!アメリカは「着々と日本の勢力範囲を奪って縮めていって」いる!(293頁)
P-3 「1943年時点」で「アメリカの本格的な反攻がない」との百田氏の見方も誤りだ。アメリカは既に1942年3月「ウォッチタワー作戦」(東南アジア・太平洋諸島奪還作戦)を開始した。
P-3-2 かくて1943年2月ソロモン諸島のガダルカナル島が奪われ、5月北方でアリューシャン列島のアッツ島全滅、7月キスカ島脱出。11月南方のギルバート諸島のマキン島・タラワ島で日本軍全滅。アメリカは「反攻準備を着々と整えていた」(百田399頁)のでなく、「着々と日本の勢力範囲を奪って縮めていって」いる。(浮世293頁)
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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(74) ①百田氏の誤り:コミンテルンは1943年に解散している!(第5刷で百田氏修正!)②1933年「転向」&「和をもって貴しとなす」!

2021-04-27 12:39:40 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)  

(74)第2次大戦後に、「コミンテルンの指示」や「日本のコミンテルンに『講和条約を阻止せよ』という指令」はありえない! (289-291頁)
O 第2次大戦後の日本について、百田尚樹『日本国紀』は「一般企業でも労働組合が強くなり、全国各地で暴力を伴う労働争議が頻発した。これらはソ連のコミンテルンの指示があったとも言われている」(百田435頁 )
と述べる。また「スターリンは日本のコミンテルンに『講和条約を阻止せよ』という指令を下したといわれる」(百田450頁 )と述べる。
O-2 百田氏の誤り:コミンテルンは1943年に解散している。したがって第2次大戦後、「コミンテルンの指示」や「日本のコミンテルンに『講和条約を阻止せよ』という指令」はありえない。「存在しない組織が指示を出したり受けたりすることはできない」。(なお『日本国紀』第5刷で百田氏は「コミンテルン」を「旧コミンテルン一派」と修正した。)(浮世290頁)

(74)-2 獄中にあった共産党の指導者たちが1933年、次々に「転向」を表明した!(289, 291頁)
O-3 総力戦体制(浮世286頁で述べた(a)(b)(c)(d)(e))には、日本では(f)「言論・出版・報道統制」が加わる。国の検閲は、表現の一言一句にまで入り、「敗退」は「転進」、「全滅」は「玉砕」等々と言い換えさせられた。(浮世289頁)
O-3-2 思想面での統制は、1910年代、20年代は過酷な弾圧だった。(浮世291頁)
O-3-3 満州事変後の1933年、獄中にあった共産党の指導者たちが次々に「転向」を表明した。佐野学・鍋山貞親は「コミンテルンが日本共産党に指示した天皇制打倒・侵略戦争反対の方針を批判し、天皇制と民族主義のもとでの一国社会主義の実現を提唱した」。(『詳説日本史B』349頁)(浮世289頁)
O-3-4 佐野学らの転向声明をきっかけに、治安維持法で検挙されていた人々の9割が転向した。また政府は、改正治安維持法の最高刑の死刑を適用せず、30年代後半からは、旧左翼関係者を、内閣調査局(後の企画院)に「官僚」として採用した。(浮世291頁)
O-3-4-2 同時代のファシズム国家(ナチス・ソ連)のように、反対派を粛清、処刑せず、それどころか体制内に取り込む、「転向した者を批判せずに活用する」という点は世界に類を見ない。百田氏には「こういう部分をもっと、クローズアップしてほしかった」。(浮世291頁)
O-3-4-3 「和をもって貴しとなす」という日本文化の証か?(浮世291頁)
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