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「2010年代 ディストピアを超えて」(その7):「ディストピア小説」多和田葉子、佐藤友哉、吉村萬壱、津島佑子!「批判」飯田一史!「人々の気持ちを癒す」いとうせいこう!(斎藤『同時代小説』6)

2022-05-28 13:25:17 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(69)「ディストピア小説に向かった純文学」:多和田葉子『不死の島』(2012)        !
G 2012年以降、日本ないし日本を思わせる「原発事故後の世界」を描くSF的な小説が登場した。(241頁)
G-2  多和田葉子(1960-)『献灯使』(2014、54歳)は5編を収める中短編集だが、そのうち『不死の島』(2012、52歳)は原発事故後の「おそるべき」日本を描く。(241-242頁)
G-2-2  『不死の島』(2012)の舞台は東日本大震災(2011)の9年後、2020年だ。「日本」は2011年、世界から「同情」されるが、2015年には関心を失う。その後、日本に関する悪い「噂や神話」が広がり、日本は差別されるようになる。(241-242頁)
G-2-2-2 2020年、ドイツ在住の日本女性が空港で「差別」を受ける。彼女は思う。「福島で事故があった年(2011)にすべての原子力発電所のスイッチを切るべきだったのだ」。(241-242頁)
G-2-2-3 「原発を止めよ」と述べた天皇も首相も2013年には、姿を消した。(242頁)
G-2-2-4 その後の日本は(※原発事故の放射能の影響で)「おそるべき」事態を迎える。(ア)2011年に100歳超の老人は「いつまでも健康」で死なない。(イ)逆に子どもはいつ死んでもおかしくないほど病弱で「要介護」の状態だ。そして(ウ)「過去の大きな過ち(原発事故後も原発を続けたこと)」によって(世界から嫌われ)日本は「鎖国」を余儀なくされる。外来語の使用も禁じられた。(242頁)

《書評1》ドイツの空港で日本のパスポートを出すと、係官の顔が引きつる。私は抗議する。「これは、日本のパスポートですけど、私は30年前からドイツに住んでいて、あれ以来日本には行っていません。だからパスポートには放射能物質は付いていません」。こうしてこの人は、「差別される側」から、「差別する側」に昇格する。外国から「放射能汚染を拡散させるな!」と非難され、日本は「鎖国」してしまう。この近未来小説を読んで原発事故後の日本を、外国人が誤解しないかと心配してしまう。
《書評2》3・11がテーマになっているのは間違いないが、「団塊の世代の後ろめたさ」と「次の世代への期待と不安の入り交じる複雑な思い」を感じてしまう。
《書評3》「欲望」したり、「自分が可哀想」と思ったり、「これが私です」と服や音楽や本で自己顕示する生活をせず、そして「可哀想だ」と涙する老人たちを不思議そうに眺め、クラゲや海藻のように漂う新しい世代の人々。作者は彼らを、新鮮な視点で瑞々しく描く。「感覚や欲望を無くし、身体能力が低下した新人類たち」は、不幸せそうにも不便そうにも見えない。むしろ私の方が憐れで可哀想に思える。退廃的なのにおもしろい本。

(69)-2  佐藤友哉『ベッドサイド・マーダーケース』(2013):「大災厄」(地球規模の放射能汚染)から1000年後の世界!
G-3  佐藤友哉(1980-)『ベッドサイド・マーダーケース』(2013、33歳)は「大災厄」(地球規模の放射能汚染)から1000年後の世界を描く。(242頁)
G-3-2 「大災厄」から1000年後のこの世界で、十数年前から「連続主婦首切り殺人事件」が起きている。彼女らは全員が「放射線被曝によって胎児に影響が出る可能性があると診断された妊婦」だった。(242頁)
G-3-2-2  「世界規模の大災害と、それにともなう核兵器施設・原子力発電所の崩壊によって、地球はおよそ千年前、放射性物質が蔓延する死の星になった」。(242-243頁)
G-3-2-3 健康に生まれなかった子どもたちは「放射児」と呼ばれ、やがて国家公認の「子殺し」が始まる。「キャンペーン化され、正当化され、制度化されたそれにより、子供たちは粛々と殺された。/ 見えないように殺された。/ 見えないところで殺された」。(243頁)

《書評1》原発の大災厄を経た未来で、連続する主婦殺し。妻を殺された夫達は復讐を誓い、犯人を追い、真相に近づくにつれ恐怖に直面する。犯人と、事件を黙認する国の目的が見え始めた頃、町はジェノサイドの地獄と化す。未来への希望の兆しはない。今という時代から未来を描くと、希望は示せないということ。3・11震災後ディストピア小説。
《書評2》ジェノサイドの理不尽感を含め、何ともいえない「後味の悪さ」が残る。
《書評3》「病気を持った子供」を授かったとしても、それはそれで嬉しいのだ。手が掛かっても、嬉しいのだ。

(69)-3 吉村萬壱『ポラード病』(2014):大災害から復興した町の異様な「ゆるやかな全体主義」のムード!
G-4  吉村萬壱(マンイチ)(1961-)『ポラード病』(2014、53歳)は「大災害から復興した町」の異様な「ゆるやかな全体主義」のムードを描く。(243頁)
G-4-2  語り手は小学5年生の少女。彼女が暮らす海塚市は「ゆるやかな全体主義」というべきムードに覆われている。ある日、同級生のアケミちゃんが死んだ。新学期を迎えてから死んだ児童はこれで7人。通夜の席でアケミちゃんの父親が挨拶する。「アケミはよく言っていました。/ 海塚の玉葱が一番おいしいね、お父さん、海塚の魚が一番安心だね、と」。そして「海塚!海塚!」のコール。(243頁)
G-4-2-2 海塚は「嘘で塗り固められた町」だった。「全ての抵抗を断念して、そして全てを諦めて、この町だけは何もなかったことにしよう」と町ぐるみで画策する。「狂気」じみた町。(243頁)

《書評1》気持ち悪い。終始気持ち悪かった。一見普通の生活を送る小学生の独白。何らかの厄災から復興しつつある街。郷土愛を胸に前へ進むべしと。どこまでもまとわりつく同調圧。「誰か」の決めた正義。
《書評2》現代社会をシニカルな目線で大げさに描きSF的に仕上げる手法。
《書評3》グロテスクな同調圧力。郷土の安全な食品を食べ、「結び合い」という合言葉で団結を図ろうとする海塚市民。現実から目を背けるための人為的な営み。「ボラード」とは岸に船を繋留するために設置された杭のこと。同調する「健常者」を繋留する「ボラード」。原発事故後の我々に対する痛烈な風刺。極めて日本的な村社会型ディストピア小説

(69)-4 『不死の島』、『ベッドサイド・マーダーケース』、『ポラード病』という「原発事故後の世界」を描くSF的な3冊の共通点:①「未来」の②「放射能に汚染された土地」の③「ファシズムに近い体制」と④「不自然な死」の横溢、すなわち「絶望的なディストピア」を描く!
G-5  多和田葉子『不死の島』、佐藤友哉『ベッドサイド・マーダーケース』、吉村萬壱『ポラード病』という「原発事故後の世界」を描くSF的な3冊は、よく似た構想のもとに創作されている。(243頁)
G-5-2  それらの共通点は①舞台が「未来」である。②最後の世界は「放射能に汚染された土地」である。③「ファシズム」に近い体制が出現している。④「不自然な死」が横溢している。(243頁)
G-5-2-2  要するにこれら3冊は「絶望的なディストピア」を描く。(243頁)
G-5-2-3 (a)秘匿される情報、(b)見えない放射性汚染への恐怖、(c)信用できない政治家、(d)「絆」を強調する全体主義的なムード。震災直後の日本を、これらの小説は確かに反映している。(244頁)

(69)-5 津島佑子『ヤマネコ・ドーム』(2013):「放射性物質に汚染された国(or東京)」は「いいかげん見捨てましょう」!
G-6  津島佑子(1947-2016)『ヤマネコ・ドーム』(2013、66歳)は「放射性物質に汚染された国」は「いいかげん見捨てましょう」と述べる。(244-245頁)
G-6-2  米兵と日本人女性の間に生まれ今は国外に住むミッチ(道夫)、混血孤児のカズ(和夫)、母子家庭で育ったヨン子(依子)は、子供時代を共に過ごすがすでに60歳代。(※3人は1950年頃生まれ。)10年前にカズ(※50歳代)が死んだ。今2011年、東日本大震災による津波と福島第1原発事故が起きる。(244頁)
G-6-2-2 ベトナム戦争(1965-1973)(※3人は小学生頃)から米国同時多発テロ(2001)(※50歳代)までの3人の苦い思い出。(244頁)
G-6-2-3  今、「3・11」後の東京は「放射能の煮こごりの世界」。「放射性物質に汚染された国」は「いいかげん見捨てましょう」と、外国に住むミッチが、ヨン子の年老いた母に迫る。(244-245頁)

《書評1》震災と原発事故を踏まえて書かれた作品だが、時系列も視点もあえて混乱させた多声的な文体で、日本の戦後史そのものを問う物語となっている。
《書評2》過去と現在が交差するシャーマニックでスピリチュアルな作風は著者の十八番だが、明確に「3.11」以降の日本社会に向けて書かれているのが今までとは違う。結局、「終末論」のような気がして、今ひとつぴんとこない。
《書評3》アメリカと日本が葬ってきた「不都合な歴史」の中を異邦人として生きなければならない少年少女達の時間を超えた旅。外界と記憶が区別されない世界で、「罪の意識」を中心に時間が行ったり来たりする。「罪を覆い隠そうとする巨大な力」が常に背後に見え隠れする。

G-6-3  「いいかげん見捨てましょう」は、自主避難者の勇気を肯定する希望の言葉だった。かくて木村朗子(サエコ)『震災後文学論』(2013)は「ディストピア小説群」を高く評価する。(245頁)
G-6-3-2 だが、ディストピア小説の盛況は異様といえば異様だ。(斎藤美奈子氏評。)

(69)-6 飯田一史:震災関連ディストピア小説には「覚悟を決めて自分たちで対処する」という当事者意識が欠如している!
G-7  『東日本大震災後文学論』(2017)の編者のひとり、ライターの飯田一史(イチシ)は、震災関連ディストピア小説の多さにふれ、「どうにもできなかった」人たちばかりしか描かないことを問題にする。(245頁)
G-7-2  飯田一史(1982-)は、前掲書所収の論文(2017、35歳)「希望――重松清と『シン・ゴジラ』」で、「何パターンものやり方で震災を描こうとしてきた重松清」と「政府がゴジラ(暴走する原発を思わせる)を倒すところまでを描いた映画『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督、2016)」を称揚する。(245頁)
G-7-2-2 飯田は、震災関連のディストピア小説の多さにふれ「『どうにもできなかった』人たちばかりを積極的に描く不可思議さ」を指摘する。(ア)それらは「責任を引き受ける、覚悟を決めて自分たちで対処するという当事者意識」の「欠如」を示す。(イ)「主体性」を削ぎ、「無力感」を助長する。(ウ)大事な「本質」を見ない、それに「取り組まない」で「周辺をぐるぐるまわる」ことですませる悪癖だ。(245頁)
G-7-2-2-3 さらに「震災後文学」は「受け身の精神や個人の内面」を描くのみならず、「状況全体を担う覚悟」を、いざというときには「責任を、意志をもって立ち向かう大人」をも示すべきだったと飯田は言う。(245頁)
G-7-2-2-4 要するに震災関連ディストピア小説は「『自分が置かれているのはひどい状況だ』『つらい、悲しい』という以上のことを描いていない」と飯田は言う。(245頁)

(69)-7 いとうせいこう『想像ラジオ』(2013):震災の死者の声がラジオを通じて代弁され、人々の気持ちを癒す! 
G-8  いとうせいこう(1961-)『想像ラジオ』(2013、52歳)は、震災の「死者」の声をラジオを通じて代弁させるとした点で、人々の気持ちを癒し、好感をもって迎えられた。(246-247頁)
G-8-2  38歳のDJ アーク(芥川冬助)は東日本大震災の津波で亡くなった。彼は高い杉のてっぺんに仰向けにひっかかっていた。だが彼はその状態で(想像上の)ラジオ放送を続ける。彼が言うには「あなたの想像力が電波であり、マイクであり、スタジオであり、電波塔であり、つまり僕の声そのものなんです」。(246頁)
G-8-2-2 DJもリスナーも死者。しかしリクエストも来るし、電話中継も入るし、曲もかかる。(246頁)
G-8-2-3  想像上のラジオは現実からの逃避かも知れない。しかし「死者の声」がラジオを通じて代弁される点に、読者は希望を見た。(246頁)

《書評1》東日本大震災をモチーフにした作品。“魂魄この世にとどまりて”。突然の天災に死にきれない人たちが交流する想像ラジオ。高い杉の木の上からDJアークが声を届ける。軽妙な語り口も、残した妻子への想いは切ない。耳を澄ませば聞こえるあの人の声。
《書評2》東日本大震災後に被災地で、心霊体験を語る人が多く現れた記憶がある。それは失われた人にもう一度会いたい、話が聞きたいという痛切な思いの現れだったのだろう。魂の浄化の物語。震災の電気通わぬ夜に、人々を繋げたラジオの形を借りて、木のてっぺんにぶら下がったままの素人DJが、開かぬ口のまま語る。
《書評3》あの日の衝撃、その後の喪失感などを思い起こし、読んでいてつらかった。この小説を読んで少しでも救われる人がいるといいと思う。

G-8-3 「現実の厳しさを突きつけるディストピア小説」と、「人々の気持ちを癒す想像上のラジオ」との間に、当時の私たちは確かに立っていた。(246-247頁)
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「2010年代 ディストピアを超えて」(その6):「原爆」青来有一!「原発」高村薫、東野圭吾、小林信彦!「震災小説」川上弘美、古川日出男、高橋源一郎、福井晴敏、木村友祐!(斎藤『同時代小説』6)

2022-05-26 11:34:45 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(68)「2011年、第1撃後の震災小説」:Cf. 「ゴジラ」『鉄腕アトム』『AKIRA』『風の谷のナウシカ』など戦後のサブカルチャーは原子力を物語のモチーフに積極的に取り込んできた!
F  「3・11」後の小説について述べる前に、原子力に関する過去の作品を見ておこう。(236-237頁)
F-2  川村湊(ミナト)『原発と原爆――「核」の戦後精神史』(2011)が指摘するように、マンガやアニメに代表される戦後のサブカルチャーは原子力を物語のモチーフに積極的に取り込んできた。(a)水爆実験の結果、古生代の眠りから蘇った映画の「ゴジラ」(1954~)。 (b)超小型原子力エンジンを備えた手塚治虫の『鉄腕アトム』(1952-1968)。(c)核戦争後の世界を描いた大友克洋(1954-)『AKIRA』(1982-1990)。(d)同じく核戦争後の世界を舞台にした『風の谷のナウシカ』(1984)。(237頁)
F-2-2 しかし果たしてこれらは、被曝の実態、放射性物質がばらまかれた世界の現実を正しく伝えていただろうかと、川村湊は問う。(237頁)

(68)-2 「原爆」の問題:林京子、青来(セイライ)有一『爆心』(2007)!
F-3  純文学は「核」すなわち「原爆」の問題には強い関心を示してきた。林京子(1930-2017)はその代表的な作家だ。(237頁)
《参考》林京子(※長崎で被爆)(1930-2017)『祭りの場』(1975、45歳)(芥川賞受賞)は、長崎の原爆に取材した小説だが、客観的かつ俯瞰的な作品で、斎藤美奈子氏は「芥川賞より大宅賞がふさわしいと思われるほどだ」と言う。(66頁)

F-4  近年では長崎在住の青来有一(セイライユウイチ)(1958-)が特筆される。代表作は短編集『爆心』(2007)。青来の作品には長崎の原爆とキリシタン弾圧が、重要なモチーフとしてたびたび登場する。(237頁)
《書評1》「長崎の爆心地での人間模様を描いた短編集」と聞いて戦争の話が中心かと思えばそうではなく、ほとんどが現代が舞台。知的障害者、不倫、幼子を失くした父、様々な人が出てくるが、必ずどこかで原爆と繋がっている。
《書評2》著者の出身地である長崎を題材に、キリスト教、原爆という難しい話題を織り交ぜながら書き上げた連作短編集。この作品には、欲望や禁断の愛、錯乱、妄想、生と死など、様々な話が交錯して、丁寧な文体に乗せながら、人間の営みを描く。
《書評3》戦後生まれの作者にとって、原爆のことを記すことにはかなりの葛藤と覚悟が必要だったろう。同郷で被爆者の作家林京子から「自由に書いていいのよ」と言われたという。6作品からなる短編集だが、「虫」は神の存在を問う内容で遠藤周『沈黙』にも通じる。なぜ神の国であるアメリカがキリスト教信者の住む長崎を、浦上天主堂を焼き尽くす所業を行ったのか?なぜ神は信者を守ることがなかったのか?

(68)-3 「原発」(チェルノブイリ原発事故後)の問題:高村薫『神の火』(1991)、東野圭吾『天空の蜂』(1995)、小林信彦『極東セレナーデ』(1987)!
F-5  もう一つの「核」すなわち「原発」については、1986年のチェルノブイリ原発事故後、いくつかの作品が書かれている。こちらはエンタメ系の独壇場だ。(237頁)
F-5-2  高村薫(1953-、女性)『神の火』(1991、38歳)は冷戦時代の末期を舞台に、元原発技術者にしてソ連のスパイだった男が、元原発労働者らと協力して原発襲撃を計画するという大がかりなサスペンスだ。(237-238頁)
《書評1》(ア)事故が起こったら最後の原発が、多重防護によって守られているとはいえ、あくまでも条件付の想定であること、(イ)北朝鮮が原爆の開発に強い意欲を持っていることを、高村さんは90年代初頭に作品化していた。にもかかわらず東日本大事震災の事故を起こして、なおその事故を「想定外」といい募る傲慢!
《書評2》発売当初はまだソ連が崩壊してなくて、その頃の話だが「原発テロ」というテーマは今まさにそこにある危機なので、そんなに色あせてない。
《書評3》「テロ」(1991)なんか起こさなくても、「地震と津波」(2011)でメルトダウンしてしまう原発をしれっと運営していた、という事実を突きつけられた作者の憤りって凄まじいんだろうなと「場外戦」を想像してししまう。

F-6 東野圭吾(1958-)『天空の蜂』(1995、37歳)は、「天空の蜂」を名乗るテロリストが福井県の高速増殖炉「新陽」の上空に大型ヘリをホバリングさせ、「日本中の原発の発電タービンを破壊せよ。さもなければヘリを墜落させる」と政府と電力会社を脅迫する物語だ。(238頁)
《書評1》原発の存在を意識したのは東日本大震災の時が初めてで、それから10年以上たった今、また意識の中から外れようとしている。テロリスト・三島のやり方が正しいとは言えない。でもそこまでしないと「沈黙する群衆」は関心を示さないということには納得した。賛成派、反対派ではなく、「沈黙する群衆」こそ悪というメッセージだった。
《書評2》「反原発」や「原発推進」のどちらかに偏った書き方だったら読みきれなかったかもしれないが、東野さんは「無知・無関心」が一番の悪なのだと説く。
《書評3》技術的な説明が長いのが難点だが、この小説が東日本大震災の前の1995年に書かれたことがスゴい。

F-7  小林信彦(1932-)『極東セレナーデ』(1987、55歳)は、新聞連載中にチェルノブイリ事故が起きたので、それが小説に取り込まれ、「広告業界でアイドル街道を駆け上がっていたヒロイン」が原発広告に出ることを拒否して業界から干されるという結末に至る。(238頁)
《書評1》エンターテイメントの凄味を思い知らされる。ここでは「写真週刊誌の特ダネ至上主義」も、「日本人のアメリカ信仰」も、「アイドル生成のメカニズム」も、果ては「チェルノブイリ」まで「ネタ」としてまぜこぜに飲み込まれて『極東セレナーデ』という一冊の本になってしまう。「なんでもあり」ながら、決して「なしくずし」でないところはこの著者の批評眼の鋭さを伺わせる。ただしキャラは「駒」にすぎず、その「駒」が小林信彦の意見を代弁しているだけとも言える。
《書評2》朝倉利奈がとても冷静で賢い。シンデレラストーリーと、そこからの脱却。正直、「原発の話をここで持ってくるのか〜」と思わなくもなかった。

(68)-4 「原発」(「3・11」福島第1原発事故後)の問題を描いた「震災小説」:川上弘美『神様2011』(2011・9月)、古川日出男『馬たちよ、それでも光は無垢で』(2111・7月)!
F-8  しかし全体としてみれば、日本の小説は「原発」積極に描いてきたとは言えない。震災(2011・3・11福島第1原発事故)にいち早く反応して書かれた小説は川上弘美(1958-)『神様2011』(2011・9月)だ。これは『神様』(1998)を3・11後バージョンに書き直したものだ。くまとの散歩の後、くまは別れ際に「ガイガーカウンター」で私の全身の放射能を計測する。(238頁)
F-8-2  単行本のあとがきで川上弘美は述べる。「静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません。むろんこの怒りは、最終的には自分自身に向かってくる怒りです。今の日本をつくってきたのは、ほかならぬ自分でもあるのですから」(239頁)

《書評1》「あのこと」が起こった2011年に、書き直した『神様2011』。「あのこと」により、生活、日常は大きく変わった。それでも生きていかなくてはならない。日常は続いていく。川上さんは、静かに激しく怒っている。自分自身に向かって。『神様』には、熊の神様が『神様2011』には、ウランの神様が描かれている。そして、現在も大きな出来事により日常が変わっている。
《書評2》東日本大震災のあとこんなにも世界は変わってしまった。川上さんのあとがきはウランの分裂をやさしくわかりやすく説明してくれて、「私たちのすべきことは何か」ということを考えさせてくれる。
《書評3》ウランという神様は、人間の手によって、その力を悪い方向に発揮した。それは人だけでなく、他の神様をも殺め、日常に違和感を残した。「得体の知れないなにか」を気にして生きていく。その原因を作り出したのが人間である事を忘れてはならない。

F-9  もう1作、震災後ほどなく書かれたのは古川日出男(1966-)『馬たちよ、それでも光は無垢で』(2011・7月、45歳)だ。古川は震災から1か月後、被災地を自身の目で確かめるべく出身地の福島を訪れる。だが彼は何も書けない。(239頁)
F-9-2  そこに狗塚牛一郎(イヌヅカギュウイチロウ)―東北の歴史を描いた古川の小説『聖家族』(2008)の登場人物―が現れる。小説は牛一郎に乗っ取られる。フィクションとノンフィクションの融合。小説の後半は相馬の「馬」の記述で埋め尽くされる。テキストは混乱する。(239頁)
《書評1》3・11のあとの、古川日出男の備忘録。『聖家族』を読んでいたので、ちゃんと理解できた気がする。嘘はない、書けない、切実な思いがあふれている。故郷をよごされた怒り、悔しさ。
《書評2》当たり前のように物語を書いてきた。ただ書きたいから書いてきた。それができない。福島がFukushimaになったあの日から。なぜ私はこちら側でのうのうと生きている?時間の感覚を失う中でただ声だけがする、そこへ行けと。書けなくなった福島出身の小説家が震災後の福島を見る。誠実な言葉が行き場のない怒りと哀しみと涙を誘う。書けなくても書く。その姿が重たく苦しい。それでも聞こえる、「物語がいるんだろう?」って。誠実な記録を物語が侵食する。でも、それも小説家古川日出男の現実なのだ。

★古川日出男『聖家族』(2008、42歳)
《書評1》東北でありみちのくであり、本州の果ての鬼門であった地の700年にわたり連綿と繋がれてきた記録と記憶。正史の裏に密やかにしかし確実に存在していた、記録されていない記録、つまり口伝。はっきりいって物凄い。怒涛の勢いで押し寄せてくる文圧。
《書評2》青森の旧家に生まれた三人兄妹の長い長い物語。都から見て丑寅の鬼門、東北と呼ばれる地域で起きる様々な出来事。時代を超え綿々と続く物語。この作品は東日本大震災前に書かれているが、震災を経た今読むと、搾取され続けた東北の痛みを感じる。

(68)-5 「3・11」福島第1原発事故後「反応が早かった」だけの震災小説:高橋源一郎『恋する原発』(2011)、福井晴敏(ハルトシ)『震災後』(2011)!
F-10  2011年に発表された「震災小説」には、ほかに高橋源一郎(1951-)『恋する原発』(2011)がある。これは、AV監督の「おれ」が「恋する原発」という震災のチャリティAVを制作するという、不謹慎なだけが取り柄のドタバタ喜劇だ。(239頁)
《書評1》はじけてしまっている文章でなかなか感想が書きにくいが、よく見ると、社会に対する批判や風刺が浮き彫りになる。「あの日」以来、私たちの将来が不安の影に覆われているいま、科学技術との付き合い方もよく考えなければならないのだろう。なお、途中に挿入されている「震災文学論」の部分はまじめな評論になっている。
《書評2》登場人物たちの台詞や文章の所々に社会風刺が効いているところに、何かあればすぐに「不謹慎」と言われてしまうような、「発言しにくい最近の閉塞した空気感」を打破しようという高橋源一郎の熱い気持ちを感じた。
《書評3》全く意味がわからない。意味のわからない音を発してパンクロックをかき鳴らしたような・・・・。その衝動が戦っているのは世界の理不尽。理不尽に対抗できるのは、理不尽。読んで何かを得るようなものではないし、一つ一つの描写や表現を不快に感じる方も多いかと思う。オススメするような本ではない。でも強烈なインパクトはある。それは確か。

F-11  さらに、2011年に発表された「震災小説」に、福井晴敏(ハルトシ)(1968-)『震災後』(2011、43歳)もある、これは、東京のサラリーマン一家を主人公に、「原発」を「家族の問題」にすり替えた人情ファミリードラマだ。作者の意図はともかく、「反応が早かった」という以上の意義は認めにくい。(斎藤美奈子氏評。)(239-240頁)
《書評1》震災により「大人たちを信じられなくなり、未来に希望を見い出せなくなった」中学男子と、その家族の再生物語。主人公・野田と同じ中学男子の親として気持ちは分かる。でも同じ親だからこそ「オタオタして肝が据わってない」野田に嫌悪さえ感じた。あの時、私自身は「家なんて器はどうでも良くて、子ども達さえ元気に育てられるなら、宇宙の果まででも連れていく」覚悟が出来ていたよ。解説が石破茂氏ってのが凄い。そして思わず笑ってしまった。
《書評2》被災したとは言えない東京多摩地区に住む一家族にスポットライトを当て、あの日の爪痕が日本国民に「闇」となって巣くっていることを描き出した。
《書評3》ある時は人の親、ある時はだれかの子供。「試練を与えられた時にどのように立ち向かい乗り越えるか?」「わが子をちゃんと導けるのか?」そんなことを問いかける東日本大震災を題材にした親子三代そして家族愛の物語。ノンフィクションとフィクションを上手く取り混ぜて、最後は「未来に希望を忘れかけた日本人」へのメッセージをきっちり主張。(言いたいことがありすぎて冗長のきらいあり。)「日本は現場力の国」という言葉に大いに共感!

(68)-6 歴史的に虐げられてきた東北の悲しみをパワーに変えた:木村友祐(ユウスケ)『イサの氾濫』(2016)!
F-12  木村友祐(ユウスケ)(1970-)『イサの氾濫』(2016、46歳)は「震災小説」として特筆すべきだ。40歳にして会社を辞めた主人公の將司(マサシ)が震災後、故郷の青森県八戸市に帰る。亡き叔父イサは手のつけられぬ乱暴者だった。イサをよく知る老人が言った「こったら震災ど原発で痛(イダ)めつけられでよ。・・・・暴れでもいいのさ、東北人づのぁ、すぐにそれがでぎねぇのよ」(240頁)
F-12-2  おらがイサだ。酔って突然そう思った將司=イサは、妄想の世界で西を目指す。進むにつれ人の群れは膨れ上がり、ダチョウ、牛、犬、猫も加わり、無数のイサが永田町になだれ込み、国会議事堂に矢を放つ。(240頁)
F-12-2 -2 この小説は歴史的に虐げられてきた東北の悲しみをパワーに変えた。数ある震災関連小説の中で、傑出した作品だ。(斎藤美奈子氏評。)(240頁)

《書評1》主人公は青森出身だが、都内での生活の方が長い。実家には折り合いの悪い父親が居り、故郷への強い思い入れもない。といって都内にも居場所はない。震災後、被災地にも東京にも身を置けない自分と、叔父イサを重ねるようになる。乱暴者だった叔父イサの孤独と怒りは自身のものとなり、それは東北の悔しさとして表れ、「頑張れニッポン!絆!」の嘘臭さに、絞り出すような叫びを上げ爆発する。重い。けれども、受け止めなければいけない重さに怯んだ。
《書評2》『イサの氾濫』は、震災、原発事故後の東京に溢れる「偽善と欺瞞」を真正面からぶん殴った作品。「東京五輪」の傲慢さや「がんばろう東北」の欺瞞!
《書評3》すごいものを読んだ。八戸出身の作者がどのような思いでこれを書いたのか?私も震災後やたらとメディアに踊る「ガンバレ日本」「絆」の文字に何だか言いようのない違和感をもった。でも小説内で語られる被災当事者の思いは、そんな違和感で片付くものではない。かといって「これだ」と断言できるものでもなく、ぶつけようのない、怒りにも似た「叫び」だ。

(68)-7 「人の死にかかわる震災を安易に書くべきでない」という「日本流の言論弾圧」?
F-13  古典文学研究者の木村朗子(サエコ)(1968-)『震災後文学論――あたらしい日本文学のために』(2013、45歳)は、「震災や原発事故を描いた作品が少ない」と指摘し、「日本流の言論弾圧」があったのではないかと述べる。確かに「人の死にかかわる震災を安易に書くべきでない」という雰囲気が震災直後にあった。(240-241頁)
F-13-2  だがその後、結果的に震災はおびただしい作品を生んだ。小説ももちろんだが、詩歌、エッセイ、ノンフィクション、評論、映画、演劇、アートなど。(後述)(241頁)
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「2010年代 ディストピアを超えて」(その5):「介護小説」水村美苗、篠田節子、中島京子、ねじめ正一、佐伯一麦、落合恵子、羽田圭介!「玄冬小説」若竹千佐子、高村薫!(斎藤『同時代小説』6)

2022-05-24 11:58:41 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(67)「あの作家も、この作家も介護小説を書いていた」:水村美苗(ミズムラミナエ)(1951-)『母の遺産』(2012、61歳)「死んだほうがましだわ」と母は口にするが「おしまい」になる気配はない!
E  『続明暗』(1990、39歳)(※夏目漱石の未完の『明暗』を完結させるという大胆不敵な試み)から22年後、水村美苗(ミズムラミナエ)(1951-)は『母の遺産』(2012、61歳)という介護小説を書く。(231頁)
E-2  若い時分は美人で鳴らし、オペラに親しみ、夫の死後はシャンソン教室で新しい恋人まで見つけていた奔放な母・紀子。ドイツに音楽留学し、資産家の次男のチェリストと結婚した姉・奈津紀。仏文学を専攻し留学先のパリで出会った男性と25歳で結婚した妹・美津紀。「芸術と知」を愛する一家も否応なく襲う老いと病。(232頁)
E-2-2  小説は、50歳になった美津紀の視点で進む。母はわがまま放題。姉は頼りにならない。夫は浮気している。「ノリコさんもとうとうおしまい!」「死んだほうがましだわ」と母は口にする。しかしいっこうに「おしまい」になる気配のない母。美津紀は心の中でつい愚痴る。「ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」(232頁)

《書評1》とてもおもしろく読んだ。娘が母について「一体いつになったら死んでくれるのか」と思う。「年をとっても節約して働き続ける」と言う妹に、姉が「そんな生活はみじめだ、みじめだ、みじめだ」と言う。これらの台詞はなかなか口に出して言えない。言いたいけど言えない。あるいは、言ってはいけないとフタをしている。これが日本の現在。
《書評2》「わがままに生きる母親」との闘いのような看病、「愛で結ばれたはずの夫」の裏切りなど、非常に俗っぽいことを扱っているにもかかわらず、文学的な気高さを感じる。
《書評3》50代の娘が高齢の母を看取り、自分を見つめ直す物語。母は施設入所し病院で亡くなるので美津紀は母を直接は介護しない。母のオムツを換えることもない。しかし「事あるごとに呼びつけられ美津紀」は疲弊していく。高齢の親に振り回される子の大変さは「終わりが見えない」ことだ。

(67)-2 篠田節子(1955-)『長女たち』(2014、59歳):「親の介護」の担当者が「長男」や「嫁」でなく、「実の娘」しかも「長女」だという現実!
E-3  『女たちのジハード』(1997、42歳)(※均等法第1世代のOLたちが次のステップを探す物語)から17年後、篠田節子(1955-)『長女たち』(2014、59歳)は、「親の介護」の担当者が「長男」でも「嫁」でもなく、「実の娘」しかも「長女」だという現実を描く。(232頁)
E-3-2 ①「認知症の母」を介護するため、恋人と別れ、仕事のキャリアも諦めた直美。②「孤独死した父」に対する苦い悔恨から逃れられない頼子。③「糖尿病の母」に腎臓を提供すべきかどうかで苦悩する慧子。3人はみな「長女」だ。(232頁)

《書評1》3編からなる年老いた親と中年の「長女」達の物語。「痴呆になった母親」、「糖尿病になった母親」、「孤独死した父親」。お世話するのはいつも「長女」達。「言うことを聞いてくれない親」を励まし、時に罵倒し蔑(サゲス)む。介護に疲れ、楽しもうとしても邪魔をされ、自己嫌悪に陥る。「分身のように長女を側に置こうとする母親」に追い詰められ限界を感じ、壊れる前に逃げることを選択する。母娘はいつまでつながっていなければならないのだろうか。
《書評2》介護、親の呪縛。いつまでたっても「長女」たるもの、その呪縛から逃れられないものなのか・・・・
《書評3》私も「長女」で弟がいるが、まだ20代の頃母から「弟に対する思いはあんたとは全然違う」とハッキリ言われた。だが高齢になってからは「近くに住む弟」より「離れている私」に頼ってくる。「不公平だ」と言い出すとキリがないから「諦める」ことにする。私の周りの「長女」達もだいたい似たような状況が多い。

(67)-3 中島京子(1964-)『長いお別れ』(2015、51歳):「認知症を患った父」だが、3人の娘はあてにならず、妻がひとりで在宅介護を続ける!     
E-4  『FUTON』(2003、39歳)(※田山花袋『蒲団』を下敷きにした痛快な作品)から12年後、中島京子(1964-)『長いお別れ』(2015、51歳)は、「認知症を患った父」が逝くまでを妻、娘等複数の人物の視点から描く。中学校長を退任後、図書館長などを歴任してきた東昇平は、同窓会場にたどり着けず認知症と診断される。3人の娘(米国在住の長女、子育てまっ最中の次女、フードコーディネーターで独身の三女)はあてにならず、妻がひとりで夫の在宅介護を続ける。(232-233頁)

《書評1》50代半ば、一方で介護する側、他方で介護される側の気持ちで読んだ。タイトルは、アメリカで「認知症」を「Long Goodbye」と呼ぶことからのようだ。
《書評2》「ねえ、お父さん。つながらないっていうのは、切ないね」 ただその短い言葉が、何故だか全てを語っているようで、胸に刺さった。認知症、老々介護、想像を絶する試練、それぞれの生活も大事。それでも家族や夫婦の絆がそこにはあり、切ない気持ちであふれた。
《書評3》明るいトーンで書かれた話だっが、老後のことを考えるのが怖くなった。また曜子さんや三人娘だけでなく、ヘルパーさん始め介護にかかわるすべての人を、改めてすごいなあと思った。

(67)-4 ねじめ正一『認知の母にキッスされ』(2014、66歳):「私」は毎日実家に通い、排泄や食事の介助をするが、母の認知症が進む!
E-5  『高円寺純情商店街』(1989、41歳)(※昭和30年代の商店街の人々の暮らしを描く)から25年後、ねじめ正一(1948-)は『認知の母にキッスされ』(2014、66歳)を出す。私小説といっていい。(233頁)
E-5-2  弟夫婦との2世帯住宅に住む母のみどりが自転車で転倒し、右手右足に麻痺が出る。「私」は毎日実家に通い、排泄や食事の介助をするが、母の認知症が進む。母の側でよく仕事もしていた「私」は、突然の母の言葉に戸惑う。「正一はパソコンかい」「やっぱり正一はパソコンだろ。私は正一のことをずうっとパソコンだと思っていたよ。」(233頁)
E-5-3  介護小説のほとんどは、手堅いリアリズム小説だ。作劇状の小細工をしなくても、それ自体が未知の体験に満ちる。(233頁)

《書評1》著者の母親への介護エッセイ。良くも悪くも「ズケズケと意見が書かれている」タイプの内容なので興味深かった。介護は「綺麗事」では済まない部分もあり、「美談」だけでない点もシッカリ触れられていてよかった。
《書評2》認知症の母親を介護するねじめさん 、文章では、面白おかしく書いているけど その裏に隠された、大変さや 想いが伝わってくる。 毎日毎日病院や施設に通って、母親の妄想に付き合って、オムツを替えたり食事をしたり。認知症の母親と真正面から向き合う強さ。私に同じ事ができるだろうか・・・・
《書評3》排泄に関する描写が多いが、食べて排泄することは人間が生きていることそのもの。汚いとか臭いというよりも「体から出て良かった、安心する」という感情が先立つのは、介護をしている実の息子であればこそだと思う。思い通りに事が運ばないとイラつきを露わにするねじめさんがちょっとイタイ。

(67)-5 佐伯一麦(サエキカズミ)『還れぬ家』(2016、57歳):兄でも姉でもなく、「私」(48歳)が実家に一番近いので両親に頼りにされる!
E-6 『ア・ルース・ボーイ』(1991、32歳)(※17歳の「ぼく」が高校を中退し電気工事の下請け会社で働く)から25年後、私小説作家である佐伯一麦(サエキカズミ)(1959-)の『還れぬ家』(2016、57歳)は、2008年を中心に父(83歳)を看取るまでを描く。(234頁)
E-6-2  兄でも姉でもなく、「私」(48歳)が実家に一番近いので両親に頼りにされる。「私」と妻はしょっちゅう母の呼び出しに応じている。そして父の認知症と死。その後、東日本大震災が一家を襲う。地方都市での介護の日々はリアルだ。記録文学の力を思わせる。(234頁)

《書評1》父親の認知症について、進行度合いやどのように家族が対応したかについて興味があり、前半は良かった。 後半は飛ばし読みだった。 私小説らしいが、どうしてこんなに兄弟姉妹関係が悪いのか?離婚して子供との関係も疎遠。「世間ってそんなもんかねえ?」だとすれば、自分は随分と恵まれている。
《書評2》私小説の大作。父の認知症、家族間の確執、2011年の震災といった深刻な主題が描かれる。自分が生まれ育った家の描写が挟み込まれ、この重たい小説に叙情的な美しさを添える。題の「還れぬ家」には二重の悲しみがこめられる。①「震災」で自分の故郷が変わってしまう悲しみと、②「父の死」により家族が一つでなくなった悲しみだ。深い喪失感の中で、生きる意味を模索しこの小説は書かれたのだ。
《書評3》認知症を患い変貌する父、心身をすり減らす母、それを支える次男夫婦、没交渉の姉と兄。そこに次男である私の、生家や両親への屈折した感情がからむ。家族一人ひとりへ向けられる容赦ない眼差し。そして作品の3分の2を過ぎて2011年の震災という未曽有の出来事が起こり、現実が語りの時制そのものを歪めてしまう。私小説の凄みを感じさせる傑作。

(67)-6 落合恵子『泣きかたをわすれていた』(2018、73歳):フェミニストの冬子が母の介護に明け暮れた7年間!
E-7 『スプーン一杯の幸せ』(1973、28歳)から45年後、落合恵子(1945-)『泣きかたをわすれていた』(2018、73歳)は親の在宅介護を描く。母を送って10年、「わたし」(冬子)は母の介護に明け暮れた7年を回顧する。冬子は「親を在宅で介護するなんて、フェミニストのあなたがなぜ?」と言われながらも、あえてその道を選んだ。母は、シングルマザーとして自分を産んだ。(234頁)

《書評1》医療技術の向上により、昔ならぽっくり逝った人が生き長らえる時代になった。大変素晴らしいことだが、心身の障害を抱え残りの人生を送る人が増え、その期間も延びている。作者は人生を一冊の「本」に例えていたが、認知症で結末を理解できなくなるのは寂しい。
《書評2》7年もの自宅介護の描写は心に迫る。他人から見たら不幸と見える状況が不思議に澄んで明るい。子供の本の店に尽力し、同士とも言える後継者を得て、主人公(著者)のやりきった感のあるラスト。大切な人達を何人も見送り、自分の番が来て人はやっと自由に「泣く」ことができるのだろうか?自分の仕舞い方に思いを馳せた。
《書評3》父親を知らない、結婚もせず子どもをもつこともなかった主人公(冬子=著者)。「母を愛し、母の娘であることも愛してきたが、母親になる自信がなかったことを認めなくてはならい」この一言が印象的だった。

(67)-7 羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』(2015、30歳):「孫力」を発揮した異色の介護小説!
E-8 若い作家も介護小説に参入している。『黒冷水』(コクレイスイ)(2003、18歳)(※兄弟の壮絶なバトル)から12年後、羽田(ハダ)圭介(1985-)『スクラップ・アンド・ビルド』(2015、30歳)は「孫力」を発揮した異色の介護小説だ。主人公の田中健斗は失業中の28歳。父はすでに亡く、母と祖父87歳との3人暮らし。「早う迎えにきてほしか」が祖父の口癖。じゃあと彼は「過剰な介護」に乗り出す。「筋肉を使わせず、食事からタンパク質を排除し、自立歩行をさせない・・・・」健斗の動きはトンチンカンだが、その分カラッとした笑いがある。(234-235頁)

《書評1》足腰が弱ったことで活動範囲と交友関係が狭くなり、どんどん弱っていき「死にたい」と呟くこの小説の祖父は、かつて自分が介護していた祖母そのものだった。
《書評2》「死にたい」と毎日言う祖父を「尊厳死」させてあげようとする孫。死に際の祖父と鍛える孫が「スクラップアンドビルド」というタイトルに繋がる。最後、健斗は再就職先に向かう途中、「自分より弱い人」が居ない不安に気付く、そして「闘い続けるしかない」ことを教えてくれた祖父に感謝したのだ。
《書評3》「再構築のために、徹底的に破壊しろ!」心身ともに再構築中の健斗は、「死にたい」と言う祖父のために「尊厳死」させようと努力する。若さと老いの対比や、祖父の老獪さ、健斗の変化する生活が面白い。

(67)-8 日本の近現代文学はマジメな老人小説を描いてこなかった!
E-9 「変態老人小説」(a):川端康成(1899-1972)『眠れる美女』(1961、62歳)(※老人が性行為はせず、全裸の娘と一晩添寝し逸楽を味わうという秘密会員クラブの話。)(235頁)
《書評1》川端作品としては異端中の異端。でも、異端でありながら完璧なほどの完成度。行間から醸し出されるインモラルな雰囲気が心地よい。代筆疑惑の槍玉に上がったのが三島由紀夫というのがある種納得できる。
《書評2》気持ち悪いのに描写の綺麗さに惹きつけられる。展開には驚きもあり、楽しめた。でもこれは女性の大半が嫌悪感や気持ち悪さを抱く本のような気がする。
《書評3》娘6人とも薬で眠っていて物も言わないから、寝癖や寝言のほか、肉体描写が緻密になされる。「愛」からもっとも遠い「性欲」の形が描かれる。

E-9-2 「変態老人小説」(b):谷崎潤一郎(1886-1965)『瘋癲(フウテン)老人日記』(1962、76歳)(※77歳の老人・卯木督助は息子の妻の颯子に性的魅力を感じている。督助は颯子の足に踏まれたいというフット・フェティシズムとマゾヒズムの欲望を抱く。督助は颯子に猫目石(※300万円)を買ってやり、その代償に颯子の足に頬ずりし、その足型で仏足石を作る。)(235頁)
《書評1》颯子の前で、五体投地のように体を投げ出し「頭を踏んで欲しい」と督助。颯子が「ジゞイ、テリブル!」と言う。ダンサー上がりの颯子の人物造形がこの小説の全てといっていい。
《書評2》嫁の脚をねぶるし、首筋にキスもさせてもらうし、果ては嫁の唾液を自分の口に垂らし込んでもらうし、老いて性の生理的機能がだめになっても間接的方法がある。「男の性」はロマン的なところがあって、不能でも、性的快楽を夢見る
《書評3》果てに督助は、颯子の仏足石を造り墓に据えることを思いつく。「死後もずっと颯子の足に踏まれていれば、これほど愉快な事はない」と語る老獪さには、笑いを超えて度肝を抜かれた。

E-9-3  「姥(ウバ)捨て小説」:深沢七郎(1914-1987)『楢山節考』(ナラヤマブシコウ)(1957、43歳)(※村の年寄りは70歳になると「楢山まいり」に行く。「姥捨伝説」の小説化。)(235頁)
《書評1》短い小説だが過不足なく美しい仕上がり。 残酷な内容なのに優しさがあって寓話のようだった。
《書評2》古き良き、美しい日本の風景の陰には、いつも恐ろしく切実な村の現実があった。私ももうすぐ親を背負って、山へ捨てに行かなければならないのだろうか。私もいつか、山へ捨てられるだろうか。
《書評3》イメージからもっと長くて暗いと思ってたけど、悲壮感が無い。「口減らし」のために捨てられる老人。しかし不穏な空気がない。厳粛に、朗らかに、人々の思いがリアリスティックに描かれる。中央公論新人賞で、「楢山節考」を選考委員の正宗白鳥が「人生永遠の書のひとつ」と絶賛したという。

E-9-4  小川洋子(1962-)『博士の愛した数式』(2003、41歳)(※交通事故のため1975年で記憶が途絶えた64歳の数学博士、派遣家政婦の「私」、10歳の「私」の息子の温かな関係の物語)や、川上弘美(1958-)『センセイの鞄』(2000、42歳)(※「わたし」(37歳)が「センセイ」(70代)と「恋愛を前提としたおつきあい」をするが、「センセイ」は男性性がうすく「異界」の「くま」のようである)など、高齢男性が「いい感じ」で描かれた小説がヒットしたのも、高齢者を主人公にした小説が少ないためかもしれない。(235頁)

(67)-9 老いを肯定的に描く「玄冬小説」①:若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(2017、63歳)!
E-10  若竹千佐子(1954-)『おらおらでひとりいぐも』(2017、63歳)(芥川賞受賞)は高齢者を主人公にした小説でベストセラーとなった。主人公は74歳の桃子さん。東京オリンピックの年(1964年)、24歳で故郷を飛び出し、結婚して2人の子どもを産み育て、最愛の夫も送って今はひとり。桃子さんのほとばしる東北弁で小説が疾走する。(235頁)

《書評1》東北弁の持つ意味の曖昧さが、論理、筋の飛躍を許す。そしてその方言の持つ幅のようなものが、同時に桃子さんに関わった人々、および関わらなかった人々を内包し、不思議な深みと重みを与える。(同じ方言使いだからか、解説の町田康もいい。)
《書評2》とりとめのない展開なのに、何となく主人公の人生がわかってくるのが不思議だ。「遠野物語」的に躍動している感じ。
《書評3》最愛の夫・周造を亡くし、子どもたちと離れ一人暮らしの「桃子さん」75歳。 老いの衰えと孤独に耐え、故郷の言葉で「おらはちゃんとに生ぎだべか?」人生の意味を問う桃子さん。辿り着いた孤高の選択「おらの思っても見ながった世界がある。そごさ、行ってみって。おら、いぐも。おらおらで、ひとりいぐも」。

E-10-2  63歳でデビューした若竹千佐子は「青春小説」ならぬ「玄冬小説」を標榜し、自分は「玄冬」に達した人物を描きたいと言う。(236頁)
E-10-2 -2 「介護小説」は、いくつかの例外を除き、老人が「自立した人物」として描かれていないので、真性の「玄冬小説」とは言えない。(236頁)
E-10-2 -3 ただ介護する側も、介護される側も高齢者である点を考えると、「介護小説」において、近現代文学史上、はじめて老人が主役になる時代が来たといえるかもしれない。(236頁) 

(67)-10 老いを肯定的に描く「玄冬小説」②:高村薫(1953-)『土の記』(2017、64歳)!
E-11  高村薫(1953-、女性)『土の記』(2017、64歳)も「玄冬小説」の一例だ。『おらおらで~』の桃子さんが戦後日本の典型的な女性像なら、『土の記』の主人公・上谷伊佐夫(72歳)は戦後の典型的な男性像かもしれない。(236頁)
E-11-2 伊佐夫は東京の大学を出て関西の大手電機メーカーに就職し、奈良県の旧家の娘と結婚。妻を送った後は、奈良でひとり農業にいそしむ。「玄冬小説」は老いを肯定的に描く。(236頁) 

《書評1》上下巻を読み終えて。淡々とした語り口とエンディングに「諸行無常の響きあり」という感が滲み出ていた。淡々と日常が展開する。
《書評2》土地に浸み込んだ記憶と、頭の中にある想念が境目なく行き交う。濃密な空気感と土や驟雨の匂いも立ち込める。稲の成長だけが、客観的な時間を刻む。そういう作品だった。
《書評3》会話文が少ない。殆どが主人公の意識の描写だ。「口に出さない事を選択している」ことに諦めの様なやるせなさを感じる。農業や地層の描写は専門的で難解。全体を通して著者の静かに心の奥に沈澱する「怒り」の様なものを感じた。
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映画『FRANK フランク』Frank(2014、英・アイルランド):自分の感情に忠実に歌うフランクの魅力!成功し売れそうな音楽を作ろうとするジョンの欺瞞!対比が明確!

2022-05-21 16:53:57 | 日記
(1)青年ジョンはキーボードで曲作りをする。将来、音楽で成功しプロのミュージシャンとなることを目指す。彼はひょんなことから、あるバンドのマネージャーのドンと出会い、そのバンドに加入する。
(2)バンドのリーダーのフランク(ヴォーカル)は、四六時中、奇妙な被り物をしている謎めいた男だ。バンドメンバーたち(テルミンを弾くクララ、ドラマーのナナ、ギターのバラク)はフランクに信頼と尊敬の念を寄せており、ジョンもまた、破天荒な魅力をもつフランクにひかれる。
(3)彼らは別荘にこもって、アルバムつくりをする。クララ、ナナ、バラクは、メジャーをめざすジョンそして彼の曲を嫌う。ドンも、ジョンの曲を「くそみたいだ」とけなす。
(3)-2 ドンが首をくくって自殺する。彼は人形偏愛者で精神を病んでいた。バンドのメンバーたちがドンの遺体を焼く。
(4)ジョンが秘かに、彼らのアルバムをネットで流す。「ネットで人気になってる」とジョンが喜び、アメリカの大型人気フェスに参加する。人気がもっと出るようにと、曲の改変をジョンが提案する。それに反対して、クララ、ナナ、バラクはフェスでの演奏を拒否し去る。
(5)フェスでの演奏はジョン(ギター)とフランクのみ。だがフランクは歌わない。そして「お前の曲はくそだ」と言いフランクは倒れる。フェスでの演奏は大失敗に終わる。
(5)-2 ジョンは怒り、フランクに「お面を取れ」と迫る。フランクは逃げる。その途中、フランクは車にぶつかるが、そのまま逃げる。フランクは消え去った。
(6)ひとりとなったジョンはフランクを探し出そうと、ネットで情報提供を呼び掛ける。やがてジョンはフランクの家を探し当てた。フランク(30歳位)で精神の病を患う。父母は健在で、父親は「フランクが14歳の時に、自分が病気のフランクにお面を作ってやって以来、フランクはお面をずっとつけるようになった」とジョンに説明した。
(7)フランクは「歌をやめた」と言う。だが再び、彼は歌を歌いたくなる。彼はテルミンを弾くクララ、ドラマーのナナ、ギターのバラクの演奏する酒場の記事を見つけ、そこに出かける。フランクはもうお面をかぶっていない。フランクが“I love you all”と歌う。クララ、ナナ、バラクが歌うフランクに気づく。

《感想》自分の感情に忠実に歌うフランクの魅力。成功し売れそうな音楽を作ろうとするジョン。対比が明確。フランクの歌or曲に惹かれるクララ、ナナ、バラクも魅力的だ。ジョンは自分が誤りだと気づく。

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「2010年代 ディストピアを超えて」(その4):有吉佐和子『恍惚の人』、耕治人『どんなご縁で』等、佐江衆一『黄落』、モブ・ノリオ『介護入門』、荻原浩『明日の記憶』!(斎藤『同時代小説』6)

2022-05-21 10:25:04 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(66)「少子高齢化時代の老人介護小説」:「気が滅入る」介護小説①(1970年代)有吉佐和子『恍惚の人』(1972)孤立していく主婦の悲惨な現実!
D 空前の少子高齢化社会は、新しい小説のジャンルを生み出した。すなわち「介護小説」だ。(229-230頁)
D-2 過去にさかのぼると、老人介護をテーマにした作品で有名なのは有吉佐和子(1931-1984)『恍惚の人』(1972年、41歳)で大ベストセラーになった。(230頁)
D-2-2  認知症(老人性痴呆症)の症状が進行した元大学教授の義父は、息子の妻(主人公)に生活のすべてを頼る。介護は妻に任せっぱなしの夫。「このくらいなら、ホームにいれなくても」と諭す社会福祉主事。孤立していく主婦の悲惨な現実が描かれた。(230頁)

《書評1》まだ介護保険制度が制定される前の、認知症の高齢者の介護を描く。とにかく主人公の昭子が立派だ。自分を散々いびってきた舅の介護に尽くす。夫は全く使えない。なんとか気持ちを保って前向きに奮闘する昭子。昔の日本にはこんな女性が多かったのかと思う。
《書評2》「いつまでこんな暮らしが続くのかという絶望感で一杯だった。茂造(義父)が死んでくれたらどんなに楽だろう。そんな考えに罪悪感も後ろめたさも、もうなかった」親孝行という美辞ではまかなえない現実。昭子は髪振り乱して、泣いてわめいて、くたくたになって、時々笑って、家族や関係者を巻き込んでふんばった。本当にすごい。最後は彼女と一緒に泣いた。
《書評3》認知症や介護をめぐる問題は今と共通するところが多く、40年以上前(1974年)ということに驚かされる。①施設は空き待ちでなかなか入れない、②家庭内介護を勧められる、③「被介護者殺すこと」を視野に入れる。この本が世間への啓蒙となり各制度の整備に繋がったと言われるが、令和になった今も解決していないことが多い。

(66)-2 「気が滅入る」介護小説②(1980年代)耕治人(コウハルト)の晩年の三部作『天井から降る哀しい音』『どんなご縁で』『そうかもしれない』(1986-1988)80代の夫婦の老老介護を描く!
D-3 耕治人(コウハルト)(1906-1988)の晩年の三部作『天井から降る哀しい音』『どんなご縁で』『そうかもしれない』(1986-1988、80-82歳)は、80代の夫婦の老老介護の姿を描く。気が滅入るような小説だ。(230頁)

《参考1》『天井から降る哀しい音』:「ことこと」、「がちゃがちゃ」、音がする。すると家内が立っている。「ご飯のしたくができたのよ。起きてちょうだい」空っぽの茶碗・皿・箸。午前3時だ。家内はきものを着ているが、こんろの口が真っ赤だ。いきなりなぐった。家内は「わたし、親からもなぐられたことないわ」と泣いた。「3時間もすれば夜があけるから、それからいただく」と私は言った。
《参考2》『どんなご縁で』:認知症が進み、夜失禁した妻の下の世話を耕治人氏がするのだが、その時妻が、夫がわからず「どんなご縁でこんな親切な対応をしてくださるのですか?」と言った。
《参考3》『そうかもしれない』:認知症になった妻が夫を認められなくなり、老人ホームの職員から「あなたのご主人ですよ」と繰り返し言われて「そうかもしれない」と答える。

(66)-3 「気が滅入る」介護小説③(1990年代)佐江(サエ)衆一『黄落』(コウラク)(1995)!
D-4 佐江(サエ)衆一(1934-)『黄落』(コウラク)(1995、61歳)は、60歳近い夫婦が、92歳の父と87歳の母の介護に疲れ果てるという、やはり気が滅入るような小説だ。(230頁)
《書評1》15年前、父親の介護に苦労していた時、上司から参考までにと贈られた本です。多くの場面で主人公の気持ちに共鳴でき、苦労しているのは自分一人でないことに救われました。
《書評2》①要介護者が「いい人」か「悪い人」か、②介護の負担が重いか軽いか、③介護者の子供・嫁・兄弟・孫など取り巻く周囲の人間の立場と取り得る態度、③自分が「老怪」(要介護者)となった場合の処し方、そういった様々のケースに、示唆を与えていると思う。
《書評3》1992年から95年くらいにかけての話であり、実話、私小説である。もう還暦近い、藤沢に住む作家が、近くに住む老いた両親の介護のために疲弊していく。母親は、父親の過去を呪い、自ら絶食して命を絶つ。しかしあとに残った父親は、90歳を過ぎてなお、入れられた介護施設で、80歳の老婆と恋愛ごっこを始める。その間、作家の妻は舅の仕打ちに耐えかねて愚痴を洩らし、あやうく夫婦離婚の危機すら訪れる。つくりごとの小説にはとうてい描けない(私小説の)真実がある。

(66)-4 「気が滅入る」系でない2000年代のヒップホップ調の介護小説:モブ・ノリオ『介護入門』(2004)(芥川賞受賞)金髪の若者が祖母を介護する!
D-5  「気が滅入る」系の介護小説に風穴を開けたのは、モブ・ノリオ(1970-)『介護入門』(2004、34歳)(芥川賞受賞)だ。この小説の新しさは(a) 若者が祖母を介護するという関係性と、(b)現実を笑い飛ばすヒップホップ調の文体だった。
D-5-2  語り手の「俺」は無職の自称ミュージシャン。金髪で、大麻はやるし、親戚からはディス(disrespect)られている。でも「俺の命は祖母の襁褓(オムツ)を新たに敷き直すため。熱めのタオルで尻を拭うため、寝汁で湿ったメリヤスの下着を脱がして更に着せ替えるためだけにある、そう言い聞かせなくては、俺はこの夜から復讐を果たすことができないんだ、朋輩(ニガー)」。(230-231頁)

《書評1》愛に溢れた婆孝行がラップ調で語られる、ユーモアがありハートフルな前衛的小説だ。本当に介護で起こりうるリアルな怒りが、この文体だからこそストレートに吐き出され、清々しい。
《書評2》主人公がおばあちゃんを 愛していて、この主人公も 愛されて育てられたんだろうな と思った。
《書評3》働かず、ドラッグにまみれて歌う反社会的青年が、反社会ついでに「寝たきり老人に冷たい世間の常識」から祖母を守り抜く話。現代のヒロイックファンタジー。

(66)-5 2000年代の「認知症のイメージを変えた」介護小説:荻原浩『明日の記憶』(2004)    !
D-6 認知症のイメージを変えたのは、荻原浩(1956-)『明日の記憶』(2004、48歳)だ。「私」(佐伯雅行)は広告代理店の営業部長。その「私」が50歳にして「若年性アルツハイマー」と診断される。受け入れ難い事実と向き合い、記憶が失われていく恐怖と戦う「私」の内面が、ていねいに描かれる。ただし「悲惨なだけではない結末」に救いがある。(231頁)

《書評1》人生は「記憶の重なり」である。忘れることを受け入れれば、穏やかな日々を過ごせるのか。だが①「共有した思い出」を失っていくことは他者を失う(共に生きた時間を失う)こと、②「今の自分を作り上げた過去(記憶)」の喪失は自己の喪失になる。佐伯の「二人で痴呆か」という言葉に、枝実子の「案外、それもいいかも」という呟きが忘れられない。
《書評2》主人公と同世代として、身につまされる内容。実際、私自身も「何年か前に出張した海外の町」の名前や、「その時に流行っていたけど今は見なくなった物」の名前を忘れる様になった。これだけでも多少ショックなので、「記憶が急激に欠落していく」のは、とても恐ろしいと思う。
《書評3》「記憶が消えても、私が過ごしてきた日々が消えるわけじゃない。私が失った記憶は、私と日々を過ごしてきた人たちの中に残っている」。そうだとしても、私は「無」となっていく。

(66)-6 2010年代:「介護小説」の急成長!
D-7  2010年代に介護小説は質量ともに急成長を遂げる。原因は①高齢化の進行で要介護老人が増えたこと、②介護保険制度の導入などで、介護を客観的に考えられるゆとりが作者と読者に生まれたこと、また③80年代~90年代にデビューした作家が40~50代の介護年齢に達したことなどだ。介護は今やみんなの問題。あの作家もこの作家も自身の体験が入っているだろう「介護を題材とした小説」を書いている。(231頁)
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