※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」2「中世から近代へ(あるいは道徳)」ハ「透見」(282-284頁)
(68)「現実の世界」における「もろもろの対立」(①②③)の「相互転換」から、一方で「信仰」、他方で「純粋透見」が出てくる!
★「現実の世界」((BB)「精神」B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」a「教養と現実の国」)において、「もろもろの対立」(①「国権」と「財富」、②「高貴」と「下賤」、③「善」と「悪」などの対立)が「相互に他に転換する」が、この「相互転換」から出てくるものには、一方で「信仰」、他方でなお「純粋透見」がある。(282頁)
《参考》「もろもろの対立」(①「国権」と「財富」、②「高貴」と「下賤」、③「善」と「悪」との対立)が「相互に転換する」以上、「もろもろの対立」は、「対立を越え包む超越的統一」に帰する。この「超越的統一」は本来的には「概念」だ。(278頁)
☆しかしこの「超越的統一」は、ここではまだ、《「もろもろの対立」(①②③)という「現実」》からかけ離れた「統一」にすぎぬものとしてとらえられているから、「概念」そのものでなく、「表象」の形式におけるものだ。これが(2)「信仰の天界」を与える。(278頁)
☆これに対して(1)「透見」(「純粋透見」)は、「自我の『否定の働き』」として「地上」にとどまる。(278頁)
☆かくて「教養の世界」は「現実の国」を含むとともに、(1)「透見の世界」と(2)「信仰の世界」を含む。(278頁)
Cf. こうして(BB)「精神」B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」は、a「教養と現実の国」(「現実の世界」)に続いて、b「信仰と純粋透見」という段階が設定される。(277頁)
(68)-2 「純粋透見」とは「現実の世界」の「もろもろの対立」についての「見透しの働き」だ!それに対し「信仰」は「それら対立を包越する『統一』」を構想する!
★「純粋透見」は、「対立したり区別をもっているもの」がじつは「相互に他に転換する」ことを、「教養」の結果として「見透している」。「純粋透見」とは、その「見透しの働き」そのものことだ。(282頁)
☆ただし「純粋透見」は、「見透しの働き」そのものにとどまることにその特徴がある。「純粋透見」は、「相互転換」を通じて、「対立するもの」の「彼方」に、「それら対立を包越する『統一』」を構想するものではない。(282頁)
☆「対立するもの」の「彼方」に、「それら対立を包越する『統一』」を構想するなら、それは「信仰」だ。(282-283頁)
☆「ただ見透す働き」そのものだから、「純粋透見」と名づけられる。(283頁)
(68)-3 「純粋透見」は「形式的」で、「信仰」のように「内容」をもつものでない!「純粋透見」の特徴は「自我性」・「主体」性(「働き」・「否定の働き」・「自由」)だ!
★「純粋透見」はただの「働き」(「ただ見透す働き」)だから、「信仰」のように「内容」をもつものでなく、「形式的」なものにすぎない。(283頁)
★また「働き」、ことに「否定の働き」は、ヘーゲルではいつも、「自由」をもって特徴とする「主体」のもの、すなわち「自我」のものだ。その点からすると、「純粋透見」の特徴は「自我性」だ。(283頁)
(68)-4 「純粋透見」と結びついているのは「現実性」であり「此岸性」だ!
★「純粋透見」の「自我性」と結びついているのは「現実性」であり「此岸性」だ。「純粋透見」は、「信仰」のように「彼岸にある実在」を想定しない。(283頁)
☆「純粋透見」は、「区別や対立」が「相互転換」をなすその「現実」にとどまる。(283頁)
★かくて「純粋透見」(「近代的理性」)と「信仰」とは大変似たものだが、それだけに両者間にはやがて戦いが交えられることになる。(283頁)
(68)-5 「純粋透見」とは「近代的理性」だ!「観察的理性」に、「実践面」において相応ずるものが「純粋透見」(「近代的理性」)だ!
★歴史的には、「純粋透見」とは、いつも「自我意識」を伴っているところの、したがって「働き」ではあるが、自分では「内容」をもたず「形式的」であるところの「近代的理性」であると言える。(283頁)
★さて((A)「意識」、(B)「自己意識」の段階を経て)(C)(AA)「理性」あるいはⅤ「理性の確信と真理」の段階が生じたそのとき、「理性」は「あらゆる実在である」という確信を持っており、そのかぎり「観念論」の立場をとる。(283頁)
★だがこの「理性」はまだ「確信」にすぎず、「無内容」で、「『内容』を『対象』から受け取る」ほかはないところからしては「経験論」の立場をとる。したがって「理性」は最初には「観察」に従事せざるをえない。(「観察的理性」!)(283頁)
☆「観察的理性」に「実践面」において相応ずるものが「純粋透見」だ。(283頁)
☆即ち「観察」の段階((C)(AA)「理性」orⅤ「理性の確信と真理」のA「観察的理性」)では、ルネッサンス以後の「近代科学」において働く「理性」が問題として取り上げられたが、ここ(B「教養」の世界)では現実の「実践的生活」において働く「理性」(「純粋透見」)が問題とされている。(283頁)
《参考1》「教養の世界」((BB)「精神」B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」a「教養と現実の国」b「信仰と純粋透見」)は、「信仰の世界」と「透見の世界」(「自我の否定の働き」として「地上」にとどまる)という相反した世界、つまり「天上」と「地上」とを含むから、この点に関しても、また「相互転換」即ち「自己疎外」があり、したがって「自己疎外精神」であるということが、どこまでも「教養」の基本的性格だ。(278頁)
《参考2》ヘーゲル『精神現象学』では、(ア)「教養」Bildung は「自己疎外的精神」として、《「人倫」という「真なる精神」》と、《「道徳性」という「自らを確信した精神」》との中間的もしくは過渡的段階としての位置を与えられている。「教養」は「精神の自己疎外態」である。(イ)「教養」はヘーゲルにおいて否定的な評価を受けており「衰弱したエリート趣味」、「技巧的な知的浮薄」ともされる。(ウ)ヘーゲル『精神現象学』の歴史哲学によれば「ギリシャ的ポリス」および「ローマ的法治国家」と、「カントやゲーテによって代表される近代ドイツ」との中間にあるのが「教養」であり、「教養」は「18世紀フランスの『哲学者たち』と革命の時期」にあたる。(エ)ヘーゲルの思考の特徴である「3段階発展図式」において、「教養」は「第2段階」すなわち「対自」・「反省」・「本質」・「外化」・「分裂」・「市民社会」などに対応するものだ。つまり「教養」は「否定性」の契機であり、「否定」の機能を果たしつつ、積極的な意義を含む。(『ヘーゲル事典』弘文堂2014年)
(68)-6 「純粋透見」(or「エスプリ」)は「個人的主観的」あるいは「主観的形式的」だということで、悪い意味で「純粋」とされる!
★さて「純粋透見」(「近代的理性」)はいろんな「区別」や「対立」を解消しようとするものとして、「エスプリ」(「精神」Geist)だ。(284頁)
☆①しかし悪くすると「純粋透見」の「エスプリ」も、「だじゃれ」を弄するにすぎぬこととなる。つまり「自分勝手」になり「個人的主観的」にすぎず、『ラモウの甥』の場合のように「我儘」のためのものすぎなくなるおそれがある。(284頁)
《参考》「『教養』の段階」((BB)「精神」B「自己疎外的精神、教養」)でヘーゲルは、ディドロの『ラモウの甥』(1762執筆、1823刊行)を材料として使うが、ゲーテ(1749-1832)は『ラモウの甥』が偉大なる傑作であることを看破して、1805年に独訳したが、それをいち早く受け入れたのがヘーゲル(1770-1831)だった。この作品の主人公〈作曲家ラモーの甥〉は「権力者」をも「金持ち」をもいずれをも「憎みのろい」ながら、またいずれにも「阿諛(アユ)」を呈するのだが、つまりヘーゲルに言わせれば、①《「国権」は「財富」、「財富」は「国権」》、②《「善」は「悪」、「悪」は「善」》、③《「高貴」は「下賤」、「下賤」は「高貴」》という態度をとるのだが、この「一見錯乱した狂人めいた態度」も決して軽蔑すべきではなく、むしろ「エスプリ」esprit(「ガイスト」Geist)に富んだものであるとヘーゲルは考えて、積極的意義を認めている。(267頁)
☆つまり「人間精神」の発展上、重要な一つの段階である「疎外」を表現したものという見地から、ヘーゲルはこのディドロの作品『ラモウの甥』を活用している。(267-268頁)
★②また「純粋透見」は「内容」に即しないで、「抽象的形式的」になるおそれがある。「透見」でなくわざわざ「純粋」という限定をつけているが、この「限定」には善悪の二義があって、悪い意味においては「ただの『透見』」であり、「主観的形式的」だということで、「純粋」とされる。(284頁)
《参考》「純粋透見」はただの「働き」(「ただ見透す働き」)だから、「信仰」のように「内容」をもつものでなく、「形式的」なものにすぎない。(283頁)
(68)-7 「純粋透見」が良い意味でつまり本当の意味で「純粋」になるには、「個人的主観的」あるいは「主観的形式的」に「純粋」ではダメだ!「純粋透見」がある個人一個のものでなく、「公共化」されていかなくてはならない!
★「純粋透見」が良い意味でつまり本当の意味で「純粋」になるには、「個人的主観的」あるいは「主観的形式的」に「純粋」だという欠陥が是正されなくてはならない。「純粋透見」は、ある個人一個のものでなく、「公共化」されていかなくてはならない。(284頁)
(68)-7-2 「個人的主観的」あるいは「主観的形式的」な「純粋透見」の「公共化」:フランスの「アンシクロペディスト」(百科全書家)による「啓蒙」!
★「純粋透見」の「公共化」について、ヘーゲルはフランスの「アンシクロペディスト」(百科全書家)のことを念頭において、個人個人の「透見」が集大成されることによって「純粋透見」は次第に「成長をとげていく」と考える。(284頁)
☆「純粋透見」が「成長していく」とは、最初は「プライベイト」な、「主観的」なものであった「透見」が「社会的に普及する」ということも意味するが、これが「啓蒙」にほかならない。(284頁)
☆「啓蒙」は、「純粋透見」をして「公共的」・「普遍的」・「客観的」・「内容的」(⇔「個人的」・「個別的」・「主観的」・「形式的」)なものにまで「成長」させる。「啓蒙」は、「純粋透見」にとって不可欠なものだ。(284頁)
《参考》「百科全書派」Encyclopédistes:18世紀後半のフランスで、ディドロとダランベールの編集した『百科全書』(1751-72、本文17巻、図版11巻)に寄稿し、その刊行に協力した「啓蒙思想家」たち。
☆最初の寄稿者たちはむしろ無名に近い人々が多かったが、彼らはほぼ4つのグループに大別される。第1はダランベールの関係する科学アカデミーやロンドンの王立協会に属する科学者、数学者たち、第2はディドロの友人でルソー、ドルバック、ジョクールなど、第3はもっとも人数の多い「職人」グループで、靴下製造業者、絹加工業者、時計製造業者、冶金業者、ビール醸造業者、出版業者などの専門的技能をもつ商人・企業家層、第4はイボン、ペストレ、プラドなどの聖職者グループだ。
☆1752年初頭、執筆者の1人プラド神父の博士論文が反対派のイエズス会士たちによって、パリ大学神学部で否認宣告を受けたのを機会に、『百科全書』の最初の2巻が発禁処分を受けると、当時の進歩的な知識人や科学者たちはこぞって『百科全書』の陣営に参加し始めた。老大家ボルテールやモンテスキューをはじめ、デュクロ、マルモンテル、モルレ、サン・ランベールらのアカデミー会員、ラ・コンダミーヌ、ケネー、チュルゴー、フォルボネなどである。
☆『百科全書』がイエズス会やヤンセン派(ジャンセニスム)の影響下にあったパリ高等法院の激しい攻撃のなかで、再三の発禁処分にもかかわらず、実に21年間にわたって刊行され完結することができたのは、ディドロ自身のいうように、「各人がばらばらでありながらそれぞれ自分の部門を引き受け、ただ人類への一般的関心と相互的好意の感情によってのみ結ばれた文学者、工芸家の集まり」に支えられていたからである。
☆また国璽尚書(コクジショウショ)ダルジアンソン侯爵や出版監督局長官マルゼルブなど旧制度の官僚にも、『百科全書』の刊行に協力を惜しまない人々が少なくなかった。
☆『百科全書』刊行の目的は当時の先進的な学問、思想、技術を集大成し普及することにあったが、同様に百科全書派の人々もあらゆる形態の生産的、創造的活動に直接間接に従事するか、あるいは少なくともそれに個人的関心をもつ学者、専門家、企業家であった。彼らの共通の目標は旧制度下の圧政、悪弊、狂信を改めて、より理性的でより自由な社会を実現することであった。
☆しかしあらゆる分野で経済的、知的進歩を実現することと、政治的、社会的秩序の徹底的な転覆を企てることとは別である。彼らの理想は生産的な市民階級が実業の実践によって漸次的に経済的実権を獲得し、そのあとで暴力を用いずに貴族階級にかわって国家の指導にあたることであった。この意味で、「百科全書派」や「啓蒙思想家」は「フランス革命」を希望しなかった、ということができる。(参照:小学館『日本大百科全書(ニッポニカ))』坂井昭宏)
Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」2「中世から近代へ(あるいは道徳)」ハ「透見」(282-284頁)
(68)「現実の世界」における「もろもろの対立」(①②③)の「相互転換」から、一方で「信仰」、他方で「純粋透見」が出てくる!
★「現実の世界」((BB)「精神」B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」a「教養と現実の国」)において、「もろもろの対立」(①「国権」と「財富」、②「高貴」と「下賤」、③「善」と「悪」などの対立)が「相互に他に転換する」が、この「相互転換」から出てくるものには、一方で「信仰」、他方でなお「純粋透見」がある。(282頁)
《参考》「もろもろの対立」(①「国権」と「財富」、②「高貴」と「下賤」、③「善」と「悪」との対立)が「相互に転換する」以上、「もろもろの対立」は、「対立を越え包む超越的統一」に帰する。この「超越的統一」は本来的には「概念」だ。(278頁)
☆しかしこの「超越的統一」は、ここではまだ、《「もろもろの対立」(①②③)という「現実」》からかけ離れた「統一」にすぎぬものとしてとらえられているから、「概念」そのものでなく、「表象」の形式におけるものだ。これが(2)「信仰の天界」を与える。(278頁)
☆これに対して(1)「透見」(「純粋透見」)は、「自我の『否定の働き』」として「地上」にとどまる。(278頁)
☆かくて「教養の世界」は「現実の国」を含むとともに、(1)「透見の世界」と(2)「信仰の世界」を含む。(278頁)
Cf. こうして(BB)「精神」B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」は、a「教養と現実の国」(「現実の世界」)に続いて、b「信仰と純粋透見」という段階が設定される。(277頁)
(68)-2 「純粋透見」とは「現実の世界」の「もろもろの対立」についての「見透しの働き」だ!それに対し「信仰」は「それら対立を包越する『統一』」を構想する!
★「純粋透見」は、「対立したり区別をもっているもの」がじつは「相互に他に転換する」ことを、「教養」の結果として「見透している」。「純粋透見」とは、その「見透しの働き」そのものことだ。(282頁)
☆ただし「純粋透見」は、「見透しの働き」そのものにとどまることにその特徴がある。「純粋透見」は、「相互転換」を通じて、「対立するもの」の「彼方」に、「それら対立を包越する『統一』」を構想するものではない。(282頁)
☆「対立するもの」の「彼方」に、「それら対立を包越する『統一』」を構想するなら、それは「信仰」だ。(282-283頁)
☆「ただ見透す働き」そのものだから、「純粋透見」と名づけられる。(283頁)
(68)-3 「純粋透見」は「形式的」で、「信仰」のように「内容」をもつものでない!「純粋透見」の特徴は「自我性」・「主体」性(「働き」・「否定の働き」・「自由」)だ!
★「純粋透見」はただの「働き」(「ただ見透す働き」)だから、「信仰」のように「内容」をもつものでなく、「形式的」なものにすぎない。(283頁)
★また「働き」、ことに「否定の働き」は、ヘーゲルではいつも、「自由」をもって特徴とする「主体」のもの、すなわち「自我」のものだ。その点からすると、「純粋透見」の特徴は「自我性」だ。(283頁)
(68)-4 「純粋透見」と結びついているのは「現実性」であり「此岸性」だ!
★「純粋透見」の「自我性」と結びついているのは「現実性」であり「此岸性」だ。「純粋透見」は、「信仰」のように「彼岸にある実在」を想定しない。(283頁)
☆「純粋透見」は、「区別や対立」が「相互転換」をなすその「現実」にとどまる。(283頁)
★かくて「純粋透見」(「近代的理性」)と「信仰」とは大変似たものだが、それだけに両者間にはやがて戦いが交えられることになる。(283頁)
(68)-5 「純粋透見」とは「近代的理性」だ!「観察的理性」に、「実践面」において相応ずるものが「純粋透見」(「近代的理性」)だ!
★歴史的には、「純粋透見」とは、いつも「自我意識」を伴っているところの、したがって「働き」ではあるが、自分では「内容」をもたず「形式的」であるところの「近代的理性」であると言える。(283頁)
★さて((A)「意識」、(B)「自己意識」の段階を経て)(C)(AA)「理性」あるいはⅤ「理性の確信と真理」の段階が生じたそのとき、「理性」は「あらゆる実在である」という確信を持っており、そのかぎり「観念論」の立場をとる。(283頁)
★だがこの「理性」はまだ「確信」にすぎず、「無内容」で、「『内容』を『対象』から受け取る」ほかはないところからしては「経験論」の立場をとる。したがって「理性」は最初には「観察」に従事せざるをえない。(「観察的理性」!)(283頁)
☆「観察的理性」に「実践面」において相応ずるものが「純粋透見」だ。(283頁)
☆即ち「観察」の段階((C)(AA)「理性」orⅤ「理性の確信と真理」のA「観察的理性」)では、ルネッサンス以後の「近代科学」において働く「理性」が問題として取り上げられたが、ここ(B「教養」の世界)では現実の「実践的生活」において働く「理性」(「純粋透見」)が問題とされている。(283頁)
《参考1》「教養の世界」((BB)「精神」B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」a「教養と現実の国」b「信仰と純粋透見」)は、「信仰の世界」と「透見の世界」(「自我の否定の働き」として「地上」にとどまる)という相反した世界、つまり「天上」と「地上」とを含むから、この点に関しても、また「相互転換」即ち「自己疎外」があり、したがって「自己疎外精神」であるということが、どこまでも「教養」の基本的性格だ。(278頁)
《参考2》ヘーゲル『精神現象学』では、(ア)「教養」Bildung は「自己疎外的精神」として、《「人倫」という「真なる精神」》と、《「道徳性」という「自らを確信した精神」》との中間的もしくは過渡的段階としての位置を与えられている。「教養」は「精神の自己疎外態」である。(イ)「教養」はヘーゲルにおいて否定的な評価を受けており「衰弱したエリート趣味」、「技巧的な知的浮薄」ともされる。(ウ)ヘーゲル『精神現象学』の歴史哲学によれば「ギリシャ的ポリス」および「ローマ的法治国家」と、「カントやゲーテによって代表される近代ドイツ」との中間にあるのが「教養」であり、「教養」は「18世紀フランスの『哲学者たち』と革命の時期」にあたる。(エ)ヘーゲルの思考の特徴である「3段階発展図式」において、「教養」は「第2段階」すなわち「対自」・「反省」・「本質」・「外化」・「分裂」・「市民社会」などに対応するものだ。つまり「教養」は「否定性」の契機であり、「否定」の機能を果たしつつ、積極的な意義を含む。(『ヘーゲル事典』弘文堂2014年)
(68)-6 「純粋透見」(or「エスプリ」)は「個人的主観的」あるいは「主観的形式的」だということで、悪い意味で「純粋」とされる!
★さて「純粋透見」(「近代的理性」)はいろんな「区別」や「対立」を解消しようとするものとして、「エスプリ」(「精神」Geist)だ。(284頁)
☆①しかし悪くすると「純粋透見」の「エスプリ」も、「だじゃれ」を弄するにすぎぬこととなる。つまり「自分勝手」になり「個人的主観的」にすぎず、『ラモウの甥』の場合のように「我儘」のためのものすぎなくなるおそれがある。(284頁)
《参考》「『教養』の段階」((BB)「精神」B「自己疎外的精神、教養」)でヘーゲルは、ディドロの『ラモウの甥』(1762執筆、1823刊行)を材料として使うが、ゲーテ(1749-1832)は『ラモウの甥』が偉大なる傑作であることを看破して、1805年に独訳したが、それをいち早く受け入れたのがヘーゲル(1770-1831)だった。この作品の主人公〈作曲家ラモーの甥〉は「権力者」をも「金持ち」をもいずれをも「憎みのろい」ながら、またいずれにも「阿諛(アユ)」を呈するのだが、つまりヘーゲルに言わせれば、①《「国権」は「財富」、「財富」は「国権」》、②《「善」は「悪」、「悪」は「善」》、③《「高貴」は「下賤」、「下賤」は「高貴」》という態度をとるのだが、この「一見錯乱した狂人めいた態度」も決して軽蔑すべきではなく、むしろ「エスプリ」esprit(「ガイスト」Geist)に富んだものであるとヘーゲルは考えて、積極的意義を認めている。(267頁)
☆つまり「人間精神」の発展上、重要な一つの段階である「疎外」を表現したものという見地から、ヘーゲルはこのディドロの作品『ラモウの甥』を活用している。(267-268頁)
★②また「純粋透見」は「内容」に即しないで、「抽象的形式的」になるおそれがある。「透見」でなくわざわざ「純粋」という限定をつけているが、この「限定」には善悪の二義があって、悪い意味においては「ただの『透見』」であり、「主観的形式的」だということで、「純粋」とされる。(284頁)
《参考》「純粋透見」はただの「働き」(「ただ見透す働き」)だから、「信仰」のように「内容」をもつものでなく、「形式的」なものにすぎない。(283頁)
(68)-7 「純粋透見」が良い意味でつまり本当の意味で「純粋」になるには、「個人的主観的」あるいは「主観的形式的」に「純粋」ではダメだ!「純粋透見」がある個人一個のものでなく、「公共化」されていかなくてはならない!
★「純粋透見」が良い意味でつまり本当の意味で「純粋」になるには、「個人的主観的」あるいは「主観的形式的」に「純粋」だという欠陥が是正されなくてはならない。「純粋透見」は、ある個人一個のものでなく、「公共化」されていかなくてはならない。(284頁)
(68)-7-2 「個人的主観的」あるいは「主観的形式的」な「純粋透見」の「公共化」:フランスの「アンシクロペディスト」(百科全書家)による「啓蒙」!
★「純粋透見」の「公共化」について、ヘーゲルはフランスの「アンシクロペディスト」(百科全書家)のことを念頭において、個人個人の「透見」が集大成されることによって「純粋透見」は次第に「成長をとげていく」と考える。(284頁)
☆「純粋透見」が「成長していく」とは、最初は「プライベイト」な、「主観的」なものであった「透見」が「社会的に普及する」ということも意味するが、これが「啓蒙」にほかならない。(284頁)
☆「啓蒙」は、「純粋透見」をして「公共的」・「普遍的」・「客観的」・「内容的」(⇔「個人的」・「個別的」・「主観的」・「形式的」)なものにまで「成長」させる。「啓蒙」は、「純粋透見」にとって不可欠なものだ。(284頁)
《参考》「百科全書派」Encyclopédistes:18世紀後半のフランスで、ディドロとダランベールの編集した『百科全書』(1751-72、本文17巻、図版11巻)に寄稿し、その刊行に協力した「啓蒙思想家」たち。
☆最初の寄稿者たちはむしろ無名に近い人々が多かったが、彼らはほぼ4つのグループに大別される。第1はダランベールの関係する科学アカデミーやロンドンの王立協会に属する科学者、数学者たち、第2はディドロの友人でルソー、ドルバック、ジョクールなど、第3はもっとも人数の多い「職人」グループで、靴下製造業者、絹加工業者、時計製造業者、冶金業者、ビール醸造業者、出版業者などの専門的技能をもつ商人・企業家層、第4はイボン、ペストレ、プラドなどの聖職者グループだ。
☆1752年初頭、執筆者の1人プラド神父の博士論文が反対派のイエズス会士たちによって、パリ大学神学部で否認宣告を受けたのを機会に、『百科全書』の最初の2巻が発禁処分を受けると、当時の進歩的な知識人や科学者たちはこぞって『百科全書』の陣営に参加し始めた。老大家ボルテールやモンテスキューをはじめ、デュクロ、マルモンテル、モルレ、サン・ランベールらのアカデミー会員、ラ・コンダミーヌ、ケネー、チュルゴー、フォルボネなどである。
☆『百科全書』がイエズス会やヤンセン派(ジャンセニスム)の影響下にあったパリ高等法院の激しい攻撃のなかで、再三の発禁処分にもかかわらず、実に21年間にわたって刊行され完結することができたのは、ディドロ自身のいうように、「各人がばらばらでありながらそれぞれ自分の部門を引き受け、ただ人類への一般的関心と相互的好意の感情によってのみ結ばれた文学者、工芸家の集まり」に支えられていたからである。
☆また国璽尚書(コクジショウショ)ダルジアンソン侯爵や出版監督局長官マルゼルブなど旧制度の官僚にも、『百科全書』の刊行に協力を惜しまない人々が少なくなかった。
☆『百科全書』刊行の目的は当時の先進的な学問、思想、技術を集大成し普及することにあったが、同様に百科全書派の人々もあらゆる形態の生産的、創造的活動に直接間接に従事するか、あるいは少なくともそれに個人的関心をもつ学者、専門家、企業家であった。彼らの共通の目標は旧制度下の圧政、悪弊、狂信を改めて、より理性的でより自由な社会を実現することであった。
☆しかしあらゆる分野で経済的、知的進歩を実現することと、政治的、社会的秩序の徹底的な転覆を企てることとは別である。彼らの理想は生産的な市民階級が実業の実践によって漸次的に経済的実権を獲得し、そのあとで暴力を用いずに貴族階級にかわって国家の指導にあたることであった。この意味で、「百科全書派」や「啓蒙思想家」は「フランス革命」を希望しなかった、ということができる。(参照:小学館『日本大百科全書(ニッポニカ))』坂井昭宏)