(1)
18××年南仏の噂に高い精神病院を私は見学のために訪問した。この精神病院はいっさいの処罰がなく幽閉もめったに行わない「鎮静療法」で名高かった。だが訪問すると「鎮静療法」は今や実施されていないとのことだった。マイヤール院長が説明した。理由は「鎮静療法」は患者を甘やかし増長させるからだ。かくて院長は「史上最高の精神病治療方法」開発したという。「衝撃を受けるものなので晩餐が終わってからご案内しましょう」と院長が言った。
(2)
晩餐には来賓25-30名が参加した。来賓のうち女性は貴婦人の豪奢な衣装をまとっていた。またバイオリン、横笛、トロンボーン、ドラムをたずさえた7-8名もいた。参会者は次々とかつての精神障害者の話をした。①ある紳士が「自分のことをティーポットと信じ込んでいる奴がいたよ」と言った。「毎朝のように鹿皮や白亜で自分自身を磨いていた」という。②のっぽの男、ド・コック氏が言った。「自分のことをロバだと信じ込んでいる奴もいたよな。こいつはきりもなく後足を蹴るようになった。」そう言ってのっぽの男は後足を蹴って見せた。その時、食卓に「仔牛が膝を丸めた丸焼き」が出てきた。また「ノウサギ料理ネコ風味」も出された。
(3)
参会者によるかつての精神障害者の話は続いた。③瘦せこけた男が言った。「自分のことをコルドヴァ・チーズと信じて疑わなかった男がいた。」「友人たちにナイフを差し出し、自分の足の中央からチーズを切り取って試食してみてほしいと言い出したんだ。」④もう一人の男が言った。「自分のことをシャンパンのボトルだと思い込んでいる奴がいた。」彼はポン、シュワ―と数分間、ボトルだと思い込んでいる奴の真似をした。⑤痩せた小男が言った。「自分をカエルと思い込んでいる間抜けな奴がいた。カエルそっくりにケロケロ鳴いて、両目をぎょろつかせ猛スピードで瞬きするんだ。」小男がその通り真似て見せた。⑥さらに別の者が「自分を嗅ぎ煙草と思ってる奴がいた。自分で自分を指でつまむわけにいかないので、ずいぶんがっかりしていた」と言った。⑦またもう一人が言った。「自分をカボチャだと思い込むくらいおかしくなっちまった奴がいた。自分を素材にパイを作ってくれと料理人にせがんだ。むろん料理人は断わった。」
(4)
さらに⑧「もう一人紹介したい」と別の参会者が割り込んだ。「そいつは恋に狂ったあげく、自分には二つの頭が生えていると思い込んだ。片方の頭はローマのキケロ、片方の頭は上がアテネのデモステネス、下がスコットランドの政治家ブルーム卿。弁が立つから、奴はよく晩餐の食卓に飛び乗って演説を始めた。」こう言ってその参会者は、食卓に飛び乗った。⑨その彼を隣の仲間が二言三言囁きやめさせた。すると今度は当の仲間自身が語り始めた。「自分が独楽(コマ)に変身したと思いこんだ奴がいた。片方の踵だけを支えにクルクル回っていた。」そう言ってこの仲間はクルクル回り始めた。⑩次に老貴婦人が言った。ジョイユース夫人は自分が雄鶏に変身してしまったと思って鬨の声をコケコッコーとあげるんです。」そう言って彼女はコケコッコーと鬨の声をあげジョイユース夫人を演じて見せた。
(4)-2
その時、マイヤール院長が「ジョイユース夫人、淑女らしくふるまうか、すぐにもこの食卓から立ち去るか、そのどちらかにしていただきたい」と怒って言った。ジョイユース夫人を演じてみせた当の貴婦人が「ジョイユース夫人」と呼ばれて、私は腰を抜かした。
(5)
その時、参会者の若い娘が言った。⑪「精神障害者のサルサフェット嬢は、とてもきれいで慎み深い娘でしたが、普通のファッションは無作法と思い、服の中に収まるより服の外へ抜け出るファッションを夢見ました。」「このようにするんです!」と彼女は裸になろうとした。参会者たちが「サルサフェットさん、やめましょう!」とその若い娘を引き留めた。なんと参会者の若い娘が、精神障害者のサルサフェット嬢その人のようだった。
(6)
その時、精神病院中央の一部から集団絶叫が起こった。参会者たちは死体のごとく青ざめ、あまりの恐ろしさでぶるぶる震えた。だが絶叫は4度起こり、おさまった。参会者たちは落ち着いた。マイヤール院長が言った。「精神障害者たちは時々、いっせいに喚き立てるものなんですよ。」そして私は言った。「それはそうと、かつての鎮静療法の代わりに今、採用されている療法は、ずいぶんと厳格で過酷なものなのですか?」マイヤール院長が「精神障害者たちに対する新たな療法は『タール博士とフェザー教授の療法』です」と答えた。
(6)-2
やがて晩餐会全体はワインの飲み放題となり、百鬼夜行のような騒ぎとなった。そして参会者がみな声を張り上げて話し喚き、またバイオリン、横笛、トロンボーン、ドラムの恐るべき演奏で、晩餐会が開かれている食堂は大音響に満ちた。
(6)-3
その中で院長が説明を続けた。「『鎮静療法』が実施されている時、良からぬ企みを持った精神障害者がいて、他の精神障害者を皆さそって、ある日、夜中に管理人たちの両手両足をしばり。独房へ閉じ込めた。」「やがて精神障害者たちは毎日晩餐会を開き、地下のワインを飲み放題、まさに優雅な生活を始めた。晩餐会で女性の精神障害者は貴婦人のように着飾った。」そして「このような精神障害者の『革命』は1ヶ月間続きました」とマイヤール院長が言った。
(7)
この時、多数の人々が、病院の扉を大ハンマーで破り、食堂に突入した。晩餐会は大混乱となった。食卓の上に飛び乗って演説する男。自分を独楽(コマ)と信じて猛然と回転する男。ポン、シュワシュワ―とシャンパンのボトルになりきって演じる男。カエル男がケロエロ言いながら進んで行く。ロバの鳴き声を出す男。あらん限りの高音で「コケコッコー」と鳴き続けるジョイユース夫人。
(7)-2
食堂に侵入してきたのは黒ヒヒと見まごう強力な軍団だった。晩餐会の参会者たち、つまり精神障害者たちは、殴打され、拘束された。軍団は、この精神病院の管理人たちだった。
(7)-3
この悲劇は次のようにして起こった。(ア)マイヤール院長は、「仲間を反乱へ駆り立てた精神病障害者」について説明してくれたが、それはたんに自分自身がやって来たことを語っていたにすぎなかった。(ア)-2 彼はじっさい、2、3年前にこの精神病院の院長であったが、発狂してしまい「鎮静療法」を受けていた。(イ)「革命」で、10名ほどの管理人たちは、全身にタールを塗られ、羽毛をまぶされ、地下の独房に閉じ込められた。これが精神障害者たちに対する新たな療法、つまり「タール博士とフェザー教授の療法」だった。(ウ) 管理人たちは1か月以上、幽閉されたが下水道から逃走した1人の管理人が、ほかの仲間(黒ヒヒと見まごう姿だった)も解放し、精神障害者たちの晩餐会を襲い、彼らを拘束した。
(7)-4 なお私は、「タール博士とフェザー教授の療法」の著作をヨーロッパ中探したが、ついに1冊も見つけることができなかった。
《感想》精神病院にて「晩餐の参会者が次々とかつての精神障害者の話をしている」はずだったが、ジョイユース夫人を演じてみせた当の貴婦人が院長から「ジョイユース夫人」と呼ばれて、「私」は腰を抜かした。かくて「私」には真相が見え始める。実は「参会者」自身が精神障害者で、「参会者」が語った精神障害者とは、ほかならぬ自分自身のことなのだ。そのように考えるしかない。そして以後の展開はその通りになった。
18××年南仏の噂に高い精神病院を私は見学のために訪問した。この精神病院はいっさいの処罰がなく幽閉もめったに行わない「鎮静療法」で名高かった。だが訪問すると「鎮静療法」は今や実施されていないとのことだった。マイヤール院長が説明した。理由は「鎮静療法」は患者を甘やかし増長させるからだ。かくて院長は「史上最高の精神病治療方法」開発したという。「衝撃を受けるものなので晩餐が終わってからご案内しましょう」と院長が言った。
(2)
晩餐には来賓25-30名が参加した。来賓のうち女性は貴婦人の豪奢な衣装をまとっていた。またバイオリン、横笛、トロンボーン、ドラムをたずさえた7-8名もいた。参会者は次々とかつての精神障害者の話をした。①ある紳士が「自分のことをティーポットと信じ込んでいる奴がいたよ」と言った。「毎朝のように鹿皮や白亜で自分自身を磨いていた」という。②のっぽの男、ド・コック氏が言った。「自分のことをロバだと信じ込んでいる奴もいたよな。こいつはきりもなく後足を蹴るようになった。」そう言ってのっぽの男は後足を蹴って見せた。その時、食卓に「仔牛が膝を丸めた丸焼き」が出てきた。また「ノウサギ料理ネコ風味」も出された。
(3)
参会者によるかつての精神障害者の話は続いた。③瘦せこけた男が言った。「自分のことをコルドヴァ・チーズと信じて疑わなかった男がいた。」「友人たちにナイフを差し出し、自分の足の中央からチーズを切り取って試食してみてほしいと言い出したんだ。」④もう一人の男が言った。「自分のことをシャンパンのボトルだと思い込んでいる奴がいた。」彼はポン、シュワ―と数分間、ボトルだと思い込んでいる奴の真似をした。⑤痩せた小男が言った。「自分をカエルと思い込んでいる間抜けな奴がいた。カエルそっくりにケロケロ鳴いて、両目をぎょろつかせ猛スピードで瞬きするんだ。」小男がその通り真似て見せた。⑥さらに別の者が「自分を嗅ぎ煙草と思ってる奴がいた。自分で自分を指でつまむわけにいかないので、ずいぶんがっかりしていた」と言った。⑦またもう一人が言った。「自分をカボチャだと思い込むくらいおかしくなっちまった奴がいた。自分を素材にパイを作ってくれと料理人にせがんだ。むろん料理人は断わった。」
(4)
さらに⑧「もう一人紹介したい」と別の参会者が割り込んだ。「そいつは恋に狂ったあげく、自分には二つの頭が生えていると思い込んだ。片方の頭はローマのキケロ、片方の頭は上がアテネのデモステネス、下がスコットランドの政治家ブルーム卿。弁が立つから、奴はよく晩餐の食卓に飛び乗って演説を始めた。」こう言ってその参会者は、食卓に飛び乗った。⑨その彼を隣の仲間が二言三言囁きやめさせた。すると今度は当の仲間自身が語り始めた。「自分が独楽(コマ)に変身したと思いこんだ奴がいた。片方の踵だけを支えにクルクル回っていた。」そう言ってこの仲間はクルクル回り始めた。⑩次に老貴婦人が言った。ジョイユース夫人は自分が雄鶏に変身してしまったと思って鬨の声をコケコッコーとあげるんです。」そう言って彼女はコケコッコーと鬨の声をあげジョイユース夫人を演じて見せた。
(4)-2
その時、マイヤール院長が「ジョイユース夫人、淑女らしくふるまうか、すぐにもこの食卓から立ち去るか、そのどちらかにしていただきたい」と怒って言った。ジョイユース夫人を演じてみせた当の貴婦人が「ジョイユース夫人」と呼ばれて、私は腰を抜かした。
(5)
その時、参会者の若い娘が言った。⑪「精神障害者のサルサフェット嬢は、とてもきれいで慎み深い娘でしたが、普通のファッションは無作法と思い、服の中に収まるより服の外へ抜け出るファッションを夢見ました。」「このようにするんです!」と彼女は裸になろうとした。参会者たちが「サルサフェットさん、やめましょう!」とその若い娘を引き留めた。なんと参会者の若い娘が、精神障害者のサルサフェット嬢その人のようだった。
(6)
その時、精神病院中央の一部から集団絶叫が起こった。参会者たちは死体のごとく青ざめ、あまりの恐ろしさでぶるぶる震えた。だが絶叫は4度起こり、おさまった。参会者たちは落ち着いた。マイヤール院長が言った。「精神障害者たちは時々、いっせいに喚き立てるものなんですよ。」そして私は言った。「それはそうと、かつての鎮静療法の代わりに今、採用されている療法は、ずいぶんと厳格で過酷なものなのですか?」マイヤール院長が「精神障害者たちに対する新たな療法は『タール博士とフェザー教授の療法』です」と答えた。
(6)-2
やがて晩餐会全体はワインの飲み放題となり、百鬼夜行のような騒ぎとなった。そして参会者がみな声を張り上げて話し喚き、またバイオリン、横笛、トロンボーン、ドラムの恐るべき演奏で、晩餐会が開かれている食堂は大音響に満ちた。
(6)-3
その中で院長が説明を続けた。「『鎮静療法』が実施されている時、良からぬ企みを持った精神障害者がいて、他の精神障害者を皆さそって、ある日、夜中に管理人たちの両手両足をしばり。独房へ閉じ込めた。」「やがて精神障害者たちは毎日晩餐会を開き、地下のワインを飲み放題、まさに優雅な生活を始めた。晩餐会で女性の精神障害者は貴婦人のように着飾った。」そして「このような精神障害者の『革命』は1ヶ月間続きました」とマイヤール院長が言った。
(7)
この時、多数の人々が、病院の扉を大ハンマーで破り、食堂に突入した。晩餐会は大混乱となった。食卓の上に飛び乗って演説する男。自分を独楽(コマ)と信じて猛然と回転する男。ポン、シュワシュワ―とシャンパンのボトルになりきって演じる男。カエル男がケロエロ言いながら進んで行く。ロバの鳴き声を出す男。あらん限りの高音で「コケコッコー」と鳴き続けるジョイユース夫人。
(7)-2
食堂に侵入してきたのは黒ヒヒと見まごう強力な軍団だった。晩餐会の参会者たち、つまり精神障害者たちは、殴打され、拘束された。軍団は、この精神病院の管理人たちだった。
(7)-3
この悲劇は次のようにして起こった。(ア)マイヤール院長は、「仲間を反乱へ駆り立てた精神病障害者」について説明してくれたが、それはたんに自分自身がやって来たことを語っていたにすぎなかった。(ア)-2 彼はじっさい、2、3年前にこの精神病院の院長であったが、発狂してしまい「鎮静療法」を受けていた。(イ)「革命」で、10名ほどの管理人たちは、全身にタールを塗られ、羽毛をまぶされ、地下の独房に閉じ込められた。これが精神障害者たちに対する新たな療法、つまり「タール博士とフェザー教授の療法」だった。(ウ) 管理人たちは1か月以上、幽閉されたが下水道から逃走した1人の管理人が、ほかの仲間(黒ヒヒと見まごう姿だった)も解放し、精神障害者たちの晩餐会を襲い、彼らを拘束した。
(7)-4 なお私は、「タール博士とフェザー教授の療法」の著作をヨーロッパ中探したが、ついに1冊も見つけることができなかった。
《感想》精神病院にて「晩餐の参会者が次々とかつての精神障害者の話をしている」はずだったが、ジョイユース夫人を演じてみせた当の貴婦人が院長から「ジョイユース夫人」と呼ばれて、「私」は腰を抜かした。かくて「私」には真相が見え始める。実は「参会者」自身が精神障害者で、「参会者」が語った精神障害者とは、ほかならぬ自分自身のことなのだ。そのように考えるしかない。そして以後の展開はその通りになった。