DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

エドガー・アラン・ポー(1809-1849)『タール博士とフェザー教授の療法』(1845):「鎮静療法」(いっさいの処罰がなく幽閉もめったに行われない)に代わる、精神障害者たちに対する新たな療法!

2022-11-27 15:32:30 | 日記
(1)
18××年南仏の噂に高い精神病院を私は見学のために訪問した。この精神病院はいっさいの処罰がなく幽閉もめったに行わない「鎮静療法」で名高かった。だが訪問すると「鎮静療法」は今や実施されていないとのことだった。マイヤール院長が説明した。理由は「鎮静療法」は患者を甘やかし増長させるからだ。かくて院長は「史上最高の精神病治療方法」開発したという。「衝撃を受けるものなので晩餐が終わってからご案内しましょう」と院長が言った。
(2)
晩餐には来賓25-30名が参加した。来賓のうち女性は貴婦人の豪奢な衣装をまとっていた。またバイオリン、横笛、トロンボーン、ドラムをたずさえた7-8名もいた。参会者は次々とかつての精神障害者の話をした。①ある紳士が「自分のことをティーポットと信じ込んでいる奴がいたよ」と言った。「毎朝のように鹿皮や白亜で自分自身を磨いていた」という。②のっぽの男、ド・コック氏が言った。「自分のことをロバだと信じ込んでいる奴もいたよな。こいつはきりもなく後足を蹴るようになった。」そう言ってのっぽの男は後足を蹴って見せた。その時、食卓に「仔牛が膝を丸めた丸焼き」が出てきた。また「ノウサギ料理ネコ風味」も出された。
(3)
参会者によるかつての精神障害者の話は続いた。③瘦せこけた男が言った。「自分のことをコルドヴァ・チーズと信じて疑わなかった男がいた。」「友人たちにナイフを差し出し、自分の足の中央からチーズを切り取って試食してみてほしいと言い出したんだ。」④もう一人の男が言った。「自分のことをシャンパンのボトルだと思い込んでいる奴がいた。」彼はポン、シュワ―と数分間、ボトルだと思い込んでいる奴の真似をした。⑤痩せた小男が言った。「自分をカエルと思い込んでいる間抜けな奴がいた。カエルそっくりにケロケロ鳴いて、両目をぎょろつかせ猛スピードで瞬きするんだ。」小男がその通り真似て見せた。⑥さらに別の者が「自分を嗅ぎ煙草と思ってる奴がいた。自分で自分を指でつまむわけにいかないので、ずいぶんがっかりしていた」と言った。⑦またもう一人が言った。「自分をカボチャだと思い込むくらいおかしくなっちまった奴がいた。自分を素材にパイを作ってくれと料理人にせがんだ。むろん料理人は断わった。」
(4)
さらに⑧「もう一人紹介したい」と別の参会者が割り込んだ。「そいつは恋に狂ったあげく、自分には二つの頭が生えていると思い込んだ。片方の頭はローマのキケロ、片方の頭は上がアテネのデモステネス、下がスコットランドの政治家ブルーム卿。弁が立つから、奴はよく晩餐の食卓に飛び乗って演説を始めた。」こう言ってその参会者は、食卓に飛び乗った。⑨その彼を隣の仲間が二言三言囁きやめさせた。すると今度は当の仲間自身が語り始めた。「自分が独楽(コマ)に変身したと思いこんだ奴がいた。片方の踵だけを支えにクルクル回っていた。」そう言ってこの仲間はクルクル回り始めた。⑩次に老貴婦人が言った。ジョイユース夫人は自分が雄鶏に変身してしまったと思って鬨の声をコケコッコーとあげるんです。」そう言って彼女はコケコッコーと鬨の声をあげジョイユース夫人を演じて見せた。
(4)-2
その時、マイヤール院長が「ジョイユース夫人、淑女らしくふるまうか、すぐにもこの食卓から立ち去るか、そのどちらかにしていただきたい」と怒って言った。ジョイユース夫人を演じてみせた当の貴婦人が「ジョイユース夫人」と呼ばれて、私は腰を抜かした。
(5)
その時、参会者の若い娘が言った。⑪「精神障害者のサルサフェット嬢は、とてもきれいで慎み深い娘でしたが、普通のファッションは無作法と思い、服の中に収まるより服の外へ抜け出るファッションを夢見ました。」「このようにするんです!」と彼女は裸になろうとした。参会者たちが「サルサフェットさん、やめましょう!」とその若い娘を引き留めた。なんと参会者の若い娘が、精神障害者のサルサフェット嬢その人のようだった。
(6)
その時、精神病院中央の一部から集団絶叫が起こった。参会者たちは死体のごとく青ざめ、あまりの恐ろしさでぶるぶる震えた。だが絶叫は4度起こり、おさまった。参会者たちは落ち着いた。マイヤール院長が言った。「精神障害者たちは時々、いっせいに喚き立てるものなんですよ。」そして私は言った。「それはそうと、かつての鎮静療法の代わりに今、採用されている療法は、ずいぶんと厳格で過酷なものなのですか?」マイヤール院長が「精神障害者たちに対する新たな療法は『タール博士とフェザー教授の療法』です」と答えた。
(6)-2
やがて晩餐会全体はワインの飲み放題となり、百鬼夜行のような騒ぎとなった。そして参会者がみな声を張り上げて話し喚き、またバイオリン、横笛、トロンボーン、ドラムの恐るべき演奏で、晩餐会が開かれている食堂は大音響に満ちた。
(6)-3
その中で院長が説明を続けた。「『鎮静療法』が実施されている時、良からぬ企みを持った精神障害者がいて、他の精神障害者を皆さそって、ある日、夜中に管理人たちの両手両足をしばり。独房へ閉じ込めた。」「やがて精神障害者たちは毎日晩餐会を開き、地下のワインを飲み放題、まさに優雅な生活を始めた。晩餐会で女性の精神障害者は貴婦人のように着飾った。」そして「このような精神障害者の『革命』は1ヶ月間続きました」とマイヤール院長が言った。
(7)
この時、多数の人々が、病院の扉を大ハンマーで破り、食堂に突入した。晩餐会は大混乱となった。食卓の上に飛び乗って演説する男。自分を独楽(コマ)と信じて猛然と回転する男。ポン、シュワシュワ―とシャンパンのボトルになりきって演じる男。カエル男がケロエロ言いながら進んで行く。ロバの鳴き声を出す男。あらん限りの高音で「コケコッコー」と鳴き続けるジョイユース夫人。
(7)-2
食堂に侵入してきたのは黒ヒヒと見まごう強力な軍団だった。晩餐会の参会者たち、つまり精神障害者たちは、殴打され、拘束された。軍団は、この精神病院の管理人たちだった。
(7)-3
この悲劇は次のようにして起こった。(ア)マイヤール院長は、「仲間を反乱へ駆り立てた精神病障害者」について説明してくれたが、それはたんに自分自身がやって来たことを語っていたにすぎなかった。(ア)-2 彼はじっさい、2、3年前にこの精神病院の院長であったが、発狂してしまい「鎮静療法」を受けていた。(イ)「革命」で、10名ほどの管理人たちは、全身にタールを塗られ、羽毛をまぶされ、地下の独房に閉じ込められた。これが精神障害者たちに対する新たな療法、つまり「タール博士とフェザー教授の療法」だった。(ウ) 管理人たちは1か月以上、幽閉されたが下水道から逃走した1人の管理人が、ほかの仲間(黒ヒヒと見まごう姿だった)も解放し、精神障害者たちの晩餐会を襲い、彼らを拘束した。
(7)-4 なお私は、「タール博士とフェザー教授の療法」の著作をヨーロッパ中探したが、ついに1冊も見つけることができなかった。

《感想》精神病院にて「晩餐の参会者が次々とかつての精神障害者の話をしている」はずだったが、ジョイユース夫人を演じてみせた当の貴婦人が院長から「ジョイユース夫人」と呼ばれて、「私」は腰を抜かした。かくて「私」には真相が見え始める。実は「参会者」自身が精神障害者で、「参会者」が語った精神障害者とは、ほかならぬ自分自身のことなのだ。そのように考えるしかない。そして以後の展開はその通りになった。
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出村和彦『アウグスティヌス』第5章(その4)「最後の仕事」413年(62歳)-430年(76歳):418年(64歳)『キリストの恩恵と原罪』で「ペラギウス主義」批判!427年(73歳)『再考録』!

2022-11-24 23:59:14 | 日記
※出村和彦(デムラカズヒコ)(1956-)『アウグスティヌス 「心」の哲学者』岩波新書(2017、61歳)

第5章「古代の黄昏」(その4)
(27)413年(アウグスティヌス59歳)、帝国高官の若きマルケリヌスが処刑される!しかし「ペラギウス主義」の事案の決着のためアウグスティヌスは休む暇などなかった!
(o)413年(アウグスティヌス59歳)、帝国高官の若きマルケリヌスが、反乱陰謀の罪で処刑された。アウグスティヌスは悲嘆にくれた。マルケリヌスは、「ドナティスト鎮圧勅令」(412年)にいたる教会一致の措置の推進者、また「ペラギウス主義」が「新しい異端」であるとのカルタゴ教会会議(411年)での弾劾におけるアウグスティヌスたちの理解者であった。(149頁)

《参考1》アウグスティヌスがヒッポの司教となった396年(42歳)の頃、ヒッポを含む北アフリカのキリスト教は、カトリック(カエキリアヌス派)とドナティスト(ドナトゥス派)に分裂していた。アウグスティヌスはその問題に対処しなければならなかった。(103頁)
《参考2》「ペラギウス主義」は①「アダムの罪」はただアダムだけの罪であって、その罪がその後の人類に及ぶことはないとする。また②生まれたばかりの赤子は堕罪以前のアダムと同じであり、(北アフリカで慣行とされていた)「幼児洗礼」の根拠を否定した。(130-131頁)また③人間に自由な意思決定能力(「自由意志」)があり、神の助けなしに善意志を獲得できるとする。(134-135頁)
《参考2-2》これに対してアウグスティヌスは①人間の本性は「アダムの堕罪」によって決定的に損なわれてしまい、それは人類という子孫全体に伝播しているとパウロ書簡を理解する。「原罪遺伝説」!(135-136頁)それゆえ②「アダムの子孫として生まれてきた人類に伝播している罪」を断ち切って新たに生まれるためには、幼児でも洗礼が必要である。(136頁)さらにアウグスティヌスは③欠陥を持つ弱い人間が、善意志を獲得するのは、神が励まし授けてくださる「恩恵」という賜物がいるとする。ペラギウスは傲慢・高慢である。(135頁)

(o)-2 マルケリヌスの死後も、アウグスティヌスは「ペラギウス主義」の事案の決着のため、休む暇などなかった。418年(64歳)『キリストの恩恵と原罪』を書き、「ペラギウス主義」に対する自らの考え(批判)をまとめた。(149頁)
(o)-2-2 「ペラギウス主義」は、418年(アウグスティヌス64歳)、ローマ司教(教皇)ゾシムスによる異端宣告・破門に至る。(149頁)
(o)-2-3 だがナポリの司教ユリアヌスが、アウグスティヌスを批判する。アウグスティヌスの「原罪遺伝説」は「身体を持った人間の本性」を「罪悪」に決定されていると考える点で、「マニ教の善悪二元論」に陥っており、アウグスティヌスは「隠れマニ教徒」だと、ユリアヌスは辛辣に批判し続けた。(149-150頁)

(28)427年(73歳)、自著93篇232巻の全著作を読み直し、『再考録』を完成させた!ヴァンダル族に包囲されたヒッポで430年8月28日、アウグスティヌスは76歳で亡くなった!
(p)426年、72歳のアウグスティヌスはヒッポの司教職から引退する。その際の説教でアウグスティヌスは語る。「人間は老いていきます。そして不満でいっぱいになります。この世界も老いていきます。それは押し寄せる苦難に満たされています。」(150-151頁)
(p)-2 「世界の老齢化」とはローマ帝国末期の衰亡である。(151頁)
《参考》395年(アウグスティヌス41歳)ローマ帝国は西と東に分裂。アウグスティヌスの死(430年・76歳)の46年後、476年西ローマ帝国が滅亡する。

(q) アウグスティヌスは『告白』(400年・46歳)の第11-13巻で「永遠」と「時間」のかかわりのうちに将来的「希望」としての安息・平安を見つめている。(152頁)
(q)-2 老いの現実のもとで、アウグスティヌスはこの世での自分の職務をできる限り果たそうと努めた。かくて427年(アウグスティヌス73歳)、ヒッポの図書館で自著93篇232巻の全著作を読み直し、年代順に並べて、一つひとつにコメントをつけてまとめた『再考録』を完成させた。(152頁)
(q)-3 その後、『聖徒の予定』、『堅忍の賜物』(428-429年)では、アウグスティヌスは「予定説」に対する批判に応える論述を明晰に語っている。アウグスティヌスの「予定説」は、功績や意志にかかわらず、救われる者とそうでない者が神によって予め選ばれているとする。(154頁)

(r) 429年(75歳)、ガリアのヴァンダル族が南下し、ジブラルタル海峡を渡ってアフリカへ西から侵入した。アフリカ西部のローマ都市は次々に破壊され、430年ヒッポの町はついにヴァンダル族に包囲された。(155頁)
(r)-2 陥落がまじかに迫ったヒッポで430年8月28日、アウグスティヌスは76歳で亡くなった。同僚のポシディウスが『聖アウグスティヌスの生涯』で「彼は、死ぬまでの10日間というもの、ひとりで、まったく祈りに没入していた」と伝えている。(155-156頁)
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出村和彦『アウグスティヌス』第5章(その3):『神の国』(426年)「ローマ劫掠」等災難の原因は帝国のキリスト教化だとの非難への対処!「神の国」(天的な共同体)と「地の国」(地的な共同体)!

2022-11-23 22:11:17 | 日記
※出村和彦(デムラカズヒコ)(1956-)『アウグスティヌス 「心」の哲学者』岩波新書(2017、61歳)

第5章「古代の黄昏」(その3)
(26)『神の国』(426年・72歳、全22巻完成):410年(アウグスティヌス56歳)、西ゴート族による「ローマ劫掠」(ゴウリャク)のような災難の原因は帝国のキリスト教化にあるとの非難への対処として執筆開始!
(j)400年(46歳)から、アウグスティヌスは『三位一体』の執筆に着手した。(全15巻が完成するのは419年・65歳。)ところが410年(56歳)西ゴート族による「ローマ劫掠」(ゴウリャク)が起こると、このような災難をもたらした原因は「帝国のキリスト教化」にあるとの非難の声が上がった(Cf. 392年、キリスト教の国教化)。勢いを増すローマの伝統的宗教の異教徒たちへの対処として、アウグスティヌスは『神の国』の執筆に着手した。(142頁)
(j)-2 キリスト教は果たして「尚武実直な気質」や「法と正義」を重視するローマ帝国の伝統的秩序の代案となるのか、それともそれらを変質させ、無秩序のうちに弱体化させてしまうのか?アウグスティヌスたちには、問題をローマの「伝統的秩序」や「有徳な善き生き方」の根拠までさかのぼって吟味することが求められた。(『神の国』1-3巻は413年公刊。)(143頁)

(26)-2 『神の国』(426年)(前半)(417年頃仕上がる)第1-10巻:「伝統的な多神教(異教)の神々」も必ずしもローマを災難から守ったわけではない!「繁栄に多くの神々が必要だ」という異教徒の論は誤りだ!
(j)-3 『神の国』全22巻の前半、第1-10巻では、アウグスティヌスは異教徒の思想家の主張に反論を加える。キケロ(前106-前43)、ウェルギリウス(前70-前19)、ウァロ(前116-前27)、リウィウス(前59-後17)、サルスティウス(前86-前34)などの史書に基づき、アウグスティヌスは「伝統的な多神教(異教)の神々」も必ずしもローマを災難から守ったわけではないことを示し、「繁栄に多くの神々が必要だ」という異教徒の論を反駁する。(第1-5巻)(143-144頁)
(j)-4 そしてアウグスティヌスは、「異教の祭儀は宇宙霊魂に基礎を置く」というウァロの神学(第6-7巻)やアプレイウス(127-170年)の『ソクラテスの神』を取り上げて、「ダエモン(神霊)を礼拝するのはほんとうの救いにはならない」と批判する(第8-9巻)。(144頁)
(j)-5 また第10巻では、新プラトン主義者ポルフュリオス(234-305)による「霊魂の自力救済論」を批判して、異教によって死後の霊魂も護られる必要があるとの主張を反駁する。(144頁)

(k)なおアウグスティヌスは第8巻でプラトン哲学がキリスト教に親近感を持っていると指摘する。プラトンは「神を愛する者こそが知恵を愛する者(哲学者)である」と主張した。アウグスティヌスは「プラトンは聖書を知っていたのではないか、と考えたくなる」とまで言っている。(145頁)
(k)-2 またウァロは神学を「市民国家的神学」(伝統的な公共祭儀にかかわる)、「神話的神学」(ギリシア・ローマ神話など)、「自然的神学」(「哲学者たちの神学」)の三つに分けるが、アウグスティヌスは「哲学者たちの神学」を中心的に取り上げている。(144-145頁)

(26)-3 『神の国』(426年)(後半)第11-22巻:ここで言う「国」は「市民の共同体」(シチズンによって構成されるシティ)を意味する!「国」とは「共同体」のことである!人間のこの世での歩みは、心の志向である「愛」(※共同性)のあり方に応じて集団を形成する歴史である!
(l)『神の国』(後半)第11-22巻の構成は、「天的な神の国」の起源(第11-14巻)、その経過(第15-18巻)、その終局(第19-22巻)の考察からなる。(145頁)
(m)この著作の題名は、日本では『神の国』あるいは『神国論』で定着している。しかしアウグスティヌスが考察する「神の国」とは、(ア)神が王のように支配する「王国」のようなものでないし、(イ)人々が死後に行く「天国」でもない。ここで言う「国」は(ウ)「シチズン(市民)によって構成されるシティ」、「市民の共同体」を意味する。(146頁)
(m)-2 実際、『神の国』の英語での題名は「The City of God」(神のシティ)である。(146頁)
(m)-3 アウグスティヌスによれば(天地創造以来の)人間のこの世での歩みは、一人ひとりの心の志向である「愛」(※共同性)のあり方に応じて集団を形成する歴史である。(146頁)
(m)-3-2 例えばローマ帝国の基になったローマの共和制(レス・プブリカ)は、理念的には「ローマの人民(ポプルス)と元老院」の合体した体制である。(146頁)
(m)-3-3 アウグスティヌスによれば、「国(※共同体)とは何らかの社会的な紐帯(チュウタイ)で結ばれた人間の集団」である(第15巻8章)。そして社会的紐帯とは「法的合意」と「利益の共有」である(第19巻21章)。(147頁)

(26)-4 『神の国』(426年)(後半)第11-22巻(続):「神の国」(「天的な国」)(※神の共同体)と「地の国」(「地的な国」)(※地の共同体)!
(n) アウグスティヌスから見ると、人間は「愛」(※共同性)のあり方に応じて「神の国」(「天的な国」)(※神の共同体)と「地の国」(「地的な国」)(※地の共同体)という2種類の集団を形成する。(147頁)
(n)-2 「二つの愛(※共同性)が二つの国(※共同体)を造った。すなわち、神を軽蔑するにいたる自己愛が地的な国(※共同体)を造り、他方、自分を軽蔑するにいたる神への愛が天的な国(※共同体)を造ったのである」(第14巻28章)。(147頁)
(n)-3 この「地の国」(「地的な国」)(※地の共同体)と「神の国」(「天的な国」)(※神の共同体)との対立は、「高慢」と「謙虚」との対立である。すなわち高ぶって「自分が神のように他を支配するという転倒した意志」を持ったあり方と、「正しい愛(※共同性)の秩序において神を享受し隣人を愛するあり方」との対立である。(147頁)
(n)-4 ただし二つの国は、つまり「地の国」(※地的な共同体)と「神の国」(※天的な共同体)は、この世(サエクルム)において混じり合って存在する。「神の国」が現実の「キリスト教会」そのものでないし、「地の国」が「ローマ帝国」そのものでもない。(147頁) 
(n)-5 現実の権力については、アウグスティヌスは「正義なき王国は大盗賊団以外の何者であろうか」(第4巻4章)と指摘する。だが「共通善に基づく法と正義」を尊び、これを公平に実行するような世俗の政治形態(※地の国)があるとすれば、「神の国の民」(※キリスト教会)はその福利を促進するよう協力するのにやぶさかでないと、アウグスティヌスは言う。(148頁)
《感想》「神の国」(「天的な国」)(※神の共同体)とは「キリスト教会」(キリスト教の共同体)のことである。「地の国」(「地的な国」)(※地の共同体)とは世俗的な諸権力、代表的には「国家」(Ex. 「 ローマ帝国」)である。
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出村和彦『アウグスティヌス』第5章(その2):『三位一体』(419年公刊)「三位一体の神秘を理性で理解する」ことは不可能!「神に似たものとして造られた人間」の精神の内に現れる「三一性」!

2022-11-22 20:14:19 | 日記
※出村和彦(デムラカズヒコ)(1956-)『アウグスティヌス 「心」の哲学者』岩波新書(2017、61歳)

第5章「古代の黄昏」(その2)
(25)『三位一体』(全15巻、400年執筆開始・419年公刊)第1-7巻:「三位一体の神秘を理性で理解する」ことは不可能である(「浜辺の童子」の伝説)! 
(d)『告白』を書き上げた400年(46歳)以降、アウグスティヌスはドナトゥス派教会への対処(「ドナティスト論争」)に心を砕き、さらに410年(56歳)以降の「ペラギウス論争」まで、会議の準備と外交交渉の日々が続いた。しかしその間、400年(46歳)から、アウグスティヌスは『三位一体』の執筆に着手した。(全15巻が完成し公刊したのは419年・65歳である。)(138頁)
(e)キリスト教には、「父なる神」・「子なる神」・「精霊なる神」の三者が、独自に働きつつも永遠に一体の神であるという「三位一体の神」という教義がある。(381年のコンスタンティノープル公会議で、この教義の正統性が確立した。)(138-9頁)
(e)-2 アウグスティヌスの著書『三位一体』は、この教義を信じて受け入れる「信仰」を持った上で、その意味を心から「理解」しようとするものである。(139頁)
(e)-3 「三位一体」に関しては伝説がある。「貝殻」で海の水を汲み尽くそうとする童子の姿を見たアウグスティヌスは、三位一体の神秘を「理性」で理解することも、それと同じく不可能であると悟ったという伝説(「浜辺の童子」の伝説)である。(139頁)
(e)-4 全15巻からなる『三位一体』は、「三つであり、かつ一つである」という、にわかに理解しがたいキリスト教の神の特性について、アリストテレスの論理学(『カテゴリー論』など)の知識を駆使し、さらに個別的なものが個々それぞれ存立する「ペルソナ」(位格)という存在様式に着目し論をすすめる。(139-140頁)
(e)-4-2 かくて「父子精霊」が神としては本質的に一つの「実体」でありながら、三者それぞれが「ペルソナ」としては神との同質性を保って相互に「関係」しあうと分析する(第1-7巻)。(140頁)

(25)-2 『三位一体』第8巻以降:「神に似たものとして造られた人間」の精神の内に「三一性」(サンイツセイ)が現れていることを示す!
(f) 『三位一体』における考察は第8巻で転換を迎える。アウグスティヌスは人間の「自己」のあり方を見つめる「内的な方法」をとる。「神に似たものとして造られた人間」において、神そのもののあり方(「三位一体」というあり方=「三一性」)の足跡をたどれるのではないかと、アウグスティヌスは模索していく。(140頁)
(f)-2 すでに『告白』(400年)でアウグスティヌスは①「存在すること」「知ること」「意志すること」の「三つ」が区別されながらも「不可分に一体である」ことに注目していた。(140頁)
(f)-3 『三位一体』(419年)ではアウグスティヌスはまず②「愛する」という「一つ」の経験が「愛する者(主体)」「愛する相手(対象)」「愛(両者を結びつける絆)」の「三つ」の要素で構成されることに着目する。つまり人間の精神の内に「三一性」(サンイツセイ)が現れている。(140-141頁)
(f)-4 さらに③自己の精神を振り返って、そのように「愛する」自分を知るとき、「自己の内なる記憶」「知る働きの理解」「知ろうとする意志」の「三つ」が、自己の生において「一つの本質」をなしていることが分かる。(141頁)
(f)-5 またたとえば④「一つの視覚対象認識」の成立においても「対象」「その視像」「対象にまなざしを向ける志向」の「三者」は切っても切れない関係にある。(「三一性」!)(141頁)
(f)-6 「三一性」は私たちの内にも存在する。それは私たちが「神の似像」として三一なる神を映し出しているからだ、とアウグスティヌスは考える。(141頁)
(g)人間の精神は、「今は鏡を通して謎の内に」おぼろに見るしかない天上のエルサレム(平和の光景)を、「顔と顔をつきあわせて」はっきりと見ることができるようになる終末のかの時まで、「神の御顔を求めて」いくと、アウグスティヌスは言う。(141頁)
(g)-2 このようにアウグスティヌスは神について考察する。それは「浜辺の童子」の伝説のように愚かしい徒労ではないのだ。神がどのような存在であるかを理解しないままで、ほんとうに神を愛することはできない。かくてアウグスティヌスの「心」の哲学は「三一神」そのものの考察にまで及ぶ。(141頁)

(25)-3 『三位一体』第13-14巻:キケロをキリストの御名の下に入れる作業!第15巻:「キリストであることば(ロゴス)の誕生」および「聖霊である愛の発出」が思索される!
(h) 『三位一体』(419年・65歳)第13-14巻では、アウグスティヌスが若き日(373年・19歳)に読んで「知恵を愛すること」へと心を燃え立たせたキケロの『ホルテンシウス』が最も豊富に引用される。(141-142頁)
《参考》373年、19歳になったアウグスティヌスは「修辞学学校」でキケロの『ホルテンシウス』(真の幸福を獲得するためには「ほんとうの知恵」を求めなければならないと説く)を読んだ。この読書体験が「知恵への愛」を燃え立たせた。(16頁)
(h)-2 『三位一体』第13-14巻では、誰もが求める「ほんとうの幸福」と「ほんとうの知恵である神を愛すること」との不可分の関係が論じられる。(142頁)
(h)-2-2 それはあたかも、キケロをキリストの御名の下に入れる作業のようである。(142頁)

(i) 『三位一体』第15巻では、「心の中で語られることば」と「外に発話されることば」に関して、「キリストであることば(ロゴス)の誕生」や「聖霊である愛の発出」との類比が思索される。(142頁)
(i)-2 『三位一体』はアウグスティヌスの最もスリリングな著作の一つであると、出村和彦氏が言う。(142頁)
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出村和彦『アウグスティヌス』第5章(その1):「ペラギウス主義」(418年、異端宣告される)の問題点①「アダムの罪」と「原罪遺伝説」、②「幼児洗礼」、③「自由意志」と神の「恩恵」!

2022-11-21 18:48:48 | 日記
※出村和彦(デムラカズヒコ)(1956-)『アウグスティヌス 「心」の哲学者』岩波新書(2017、61歳)

第5章「古代の黄昏」(その1)
(24) 「ペラギウス主義」(418年、異端宣告される)と貴族カエレスティウスのカルタゴで司祭になるための画策!
(a)ドナティストによるアフリカの教会分裂の収拾に奔走していたアウグスティヌスたちに(Cf. 412年ドナティスト鎮圧勅令)、410年、もうひとつの難題が降りかかってきた。ブリトン人ペラギウスとこれに同調する南イタリア出身の貴族カエレスティウスの「ペラギウス主義」の思想と行動である。なお「ペラギウス主義」は、418年(アウグスティヌス64歳)、ローマ司教(教皇)ゾシムスによる異端宣告・破門に至る。(128-129頁)
(a)-2 ペラギウス(360頃-420頃)は修道士でなかったが、パウロ書簡の解釈を通じて、人々に道徳的な自覚を求め、ローマ社会の腐敗を改革しようとした。「自由意志」を重んじ、「キリストを模範とする」生き方をローマの人々に説いた。(128-129頁)
(a)-2-2 410年(アウグスティヌス56歳)、西ゴート族による「ローマ劫掠(ゴウリャク)」を避けて、ペラギウスはシチリアに逃れ、さらにカルタゴに渡った。(129頁)
(b)ペラギウスに強く賛同する人物が、南イタリア出身の貴族カエレスティウスだった。彼も、ペラギウスとともに北アフリカへ渡った。そしてカエレスティウスは、カルタゴで司祭になろうと画策した。(129頁)

(24)-2 「ペラギウス主義」の問題点:①「アダムの罪」と「原罪遺伝説」、②「幼児洗礼」、③「自由意志」と神の「恩恵」!
(c) カエレスティウスの司祭志願の問題は、アフリカの司教たちによるカルタゴ教会会議で取り上げられた。そして411年(アウグスティヌス57歳)、カルタゴ教会会議はカエレスティウスが依拠するペラギウスの考え方を「新しい異端」であると厳しく弾劾した。かくてカエレスティウスは小アジアのエフェソスに去り、ペラギウスもパレスティナに移住した。その後、「ペラギウス主義」は、418年(アウグスティヌス64歳)、ローマ司教(教皇)ゾシムスによる異端宣告・破門に至った。(130-131頁)
(c)-2 「ペラギウス主義」は①「アダムの罪」はただアダムだけの罪であって、その罪がその後の人類に及ぶことはないとする。また②生まれたばかりの赤子は堕罪以前のアダムと同じであり、(北アフリカで慣行とされていた)「幼児洗礼」の根拠を否定した。(130-131頁)また③人間に自由な意思決定能力(「自由意志」)があり、神の助けなしに善意志を獲得できるとする。(134-135頁)
(c)-3 これに対してアウグスティヌスは①人間の本性は「アダムの堕罪」によって決定的に損なわれてしまい、それは人類という子孫全体に伝播しているとパウロ書簡を理解する。「原罪遺伝説」!(135-136頁)それゆえ②「アダムの子孫として生まれてきた人類に伝播している罪」を断ち切って新たに生まれるためには、幼児でも洗礼が必要である。(136頁)さらにアウグスティヌスは③欠陥を持つ弱い人間が、善意志を獲得するのは、神が励まし授けてくださる「恩恵」という賜物がいるとする。ペラギウスは傲慢・高慢である。(135頁)

(c)-4 アウグスティヌスは『霊と文字』(412年・58歳)で、「神の義」への信仰も、あくまでも自力ではなく、神から与えられるものと理解する。(136頁)
(c)-4-2 すでに『告白』(400年・46歳)第10巻でアウグスティヌスは「慎み」(コンティネンティア)を求めて「あなたの命じるものを与えたまえ、あなたの欲するものを命じたまえ」と神に祈っている。(ペラギウスはこの祈りについて理解できず、激怒して厳しく拒否したという。)(137頁) 
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