※宮崎学(ミヤザキマナブ)(1945-2022)『突破者(トッパモノ) 戦後史の陰を駆け抜けた50年(下)』(1996年、51歳)
「4 キツネ目の男」(1984-1985年、39-40歳)
(4)1984年3月~1985年8月:警察庁指定114号「グリコ・森永事件」!
E 警察庁指定114号「グリコ・森永事件」は1984年3月の江崎グリコ社長誘拐事件に始まり、1985年8月に「かい人21面相」が「犯行終結宣言」するに至るまでの1年5カ月にわたる連続企業恐喝事件(江崎グリコ、森永製菓、丸大食品、ハウス食品など)だ。(下132-133頁)
E-2 1984年3月の「江崎グリコ社長誘拐事件」で犯人(犯人グループ)「かい人21面相」は江崎社長を拉致し現金10億円と金塊100キロを要求。3日後江崎社長は自力で脱出。その後、犯人は青酸ソーダを混入するなどグリコを脅迫。グリコは倒産寸前まで追い込まれるが、犯人は1984年6月に休戦宣言を発表。(下134-135頁)
E-2-2 犯人(犯人グループ)「かい人21面相」はその後、ターゲットを森永製菓、丸大食品(1984/6/28、5000万円の裏取引を迫る)、ハウス食品(1984/11/14、裏取引で1億円を強奪しようとした)などに移し脅迫を続けた。1985年8月滋賀県警山本本部長が焼身自殺。その5日後、犯人は「犯行終結宣言」を各種報道機関に送付。以後、犯人(犯人グループ)「かい人21面相」の動きは一切途絶えた。(下134-135頁)
(4)-2 1985年1月、警察が「グリコ・森永事件」の犯人として「キツネ目の男」の似顔絵を発表し、私(宮崎学39歳)は「キツネ目の男」とみなされた!ところが警察は私の「アリバイ」を崩せなかった!
E-3 1985年1月、警察が「グリコ・森永事件」の犯人として「キツネ目の男」の似顔絵を発表し、公開捜査に踏み切る。この男が「かい人21面相」の現場リーダーの可能性が高いと断定したためだ。(下131, 135頁)
E-3-2 ところがこの似顔絵は「私」(宮崎学)そっくりで、年齢・身長もぴったりだった。(下131-132頁)
E-3-3、丸大食品(1984/6/28、5000万円の裏取引を迫る)事件の時、またハウス食品(1984/11/14、裏取引で1億円を強奪しようとした)事件の時、「私」にそっくりの「キツネ目の男」が捜査員によって目撃されていた。(下135-138頁)
E-3-4 すでに1984年10月から警察が私の「おふくろ」、京都の喫茶店・飲み屋、私の仕事仲間のところにきて色々聞きまわっていた。(下139頁)
E-3-5 1985年1月、警察が「グリコ・森永事件」の犯人として「キツネ目の男」の似顔絵を発表し公開すると、みじかの連中からも「そっくりだ」と言われるようになった。実に「ヤバイ事態」だった。尾行がついている気配もあった。(下139-141頁頁)
E-4 なお1985年は「山一戦争」が起きた年でもあった。山口組長竹中正久が一和会のヒットマンに射殺され日本ヤクザ会空前絶後の大抗争が勃発した。(下141-144頁)
E-5 1985/2/10、中野にあった私の自宅マンションに中野署の刑事がやって来た。「任意」なので私は「出頭」を拒否し、「自宅での 事情聴取」となった。質問は計2~3時間ほど続いた。(下141-147頁)
E-5-2 最大の問題点は、「私」にそっくりの「キツネ目の男」が捜査員によって目撃されたことだ。①丸大食品(1984/6/28、5000万円の裏取引を迫)事件の時、また②ハウス食品(1984/11/14、裏取引で1億円を強奪しようとした)事件の時の私の「アリバイ」が問題だった。(下145-146頁)
E-5-2-2 ①6月の時は、私は「某音楽大学労組の会議に出席していた」、② 11月の時は、私は「東京で私の弁護士と打ち合わせしていた」。(下146頁)
E-5-2-3 警察の捜査員は「私」を事件の「最重要参考人」と見ており、ことに「キツネ目の男」に関しては「あいつに間違いない」「あいつしかおらん」としていたようだ。ところが結局、警察は私の「アリバイ」を崩せなかった。(下169頁)
(4)-3 「グリコ・森永事件」の構図:問題は「裏取引」と「株価操作」(犯人は株価を下落and上昇させ《空売り》や《買い戻し》で稼ぐ)だ!
E-6 1984/2/10中野署の刑事による「自宅での 事情聴取」の時、私は「警察はグリコ事件の構図をどう考えているんだ」と質問した。年嵩の刑事が答えた。「問題は株価だ。ターゲットにされた企業の株価が事件の進展に伴って下落し終結宣言後は上昇する。その間に犯人は株の《空売り》や《買い戻し》で利ざやを稼ぐ。犯人が現金を強奪しようとしたのは、株価操作のカムフラージュだ。」(下146頁)
E-6-2 「私」の推測では、犯行の目的は「現金強奪」ではない。これだけの犯罪プロがそんな簡単に足がつくようなまねをするはずがない。現金強奪はあくまで陽動作戦だ。刑事の推測は当たっている。犯人の狙いは、脅迫を行い、世間を騒がせながら、「裏取引」と「株価操作」を行うことにあった。(下184頁)
「4 キツネ目の男」(1984-1985年、39-40歳)
(4)1984年3月~1985年8月:警察庁指定114号「グリコ・森永事件」!
E 警察庁指定114号「グリコ・森永事件」は1984年3月の江崎グリコ社長誘拐事件に始まり、1985年8月に「かい人21面相」が「犯行終結宣言」するに至るまでの1年5カ月にわたる連続企業恐喝事件(江崎グリコ、森永製菓、丸大食品、ハウス食品など)だ。(下132-133頁)
E-2 1984年3月の「江崎グリコ社長誘拐事件」で犯人(犯人グループ)「かい人21面相」は江崎社長を拉致し現金10億円と金塊100キロを要求。3日後江崎社長は自力で脱出。その後、犯人は青酸ソーダを混入するなどグリコを脅迫。グリコは倒産寸前まで追い込まれるが、犯人は1984年6月に休戦宣言を発表。(下134-135頁)
E-2-2 犯人(犯人グループ)「かい人21面相」はその後、ターゲットを森永製菓、丸大食品(1984/6/28、5000万円の裏取引を迫る)、ハウス食品(1984/11/14、裏取引で1億円を強奪しようとした)などに移し脅迫を続けた。1985年8月滋賀県警山本本部長が焼身自殺。その5日後、犯人は「犯行終結宣言」を各種報道機関に送付。以後、犯人(犯人グループ)「かい人21面相」の動きは一切途絶えた。(下134-135頁)
(4)-2 1985年1月、警察が「グリコ・森永事件」の犯人として「キツネ目の男」の似顔絵を発表し、私(宮崎学39歳)は「キツネ目の男」とみなされた!ところが警察は私の「アリバイ」を崩せなかった!
E-3 1985年1月、警察が「グリコ・森永事件」の犯人として「キツネ目の男」の似顔絵を発表し、公開捜査に踏み切る。この男が「かい人21面相」の現場リーダーの可能性が高いと断定したためだ。(下131, 135頁)
E-3-2 ところがこの似顔絵は「私」(宮崎学)そっくりで、年齢・身長もぴったりだった。(下131-132頁)
E-3-3、丸大食品(1984/6/28、5000万円の裏取引を迫る)事件の時、またハウス食品(1984/11/14、裏取引で1億円を強奪しようとした)事件の時、「私」にそっくりの「キツネ目の男」が捜査員によって目撃されていた。(下135-138頁)
E-3-4 すでに1984年10月から警察が私の「おふくろ」、京都の喫茶店・飲み屋、私の仕事仲間のところにきて色々聞きまわっていた。(下139頁)
E-3-5 1985年1月、警察が「グリコ・森永事件」の犯人として「キツネ目の男」の似顔絵を発表し公開すると、みじかの連中からも「そっくりだ」と言われるようになった。実に「ヤバイ事態」だった。尾行がついている気配もあった。(下139-141頁頁)
E-4 なお1985年は「山一戦争」が起きた年でもあった。山口組長竹中正久が一和会のヒットマンに射殺され日本ヤクザ会空前絶後の大抗争が勃発した。(下141-144頁)
E-5 1985/2/10、中野にあった私の自宅マンションに中野署の刑事がやって来た。「任意」なので私は「出頭」を拒否し、「自宅での 事情聴取」となった。質問は計2~3時間ほど続いた。(下141-147頁)
E-5-2 最大の問題点は、「私」にそっくりの「キツネ目の男」が捜査員によって目撃されたことだ。①丸大食品(1984/6/28、5000万円の裏取引を迫)事件の時、また②ハウス食品(1984/11/14、裏取引で1億円を強奪しようとした)事件の時の私の「アリバイ」が問題だった。(下145-146頁)
E-5-2-2 ①6月の時は、私は「某音楽大学労組の会議に出席していた」、② 11月の時は、私は「東京で私の弁護士と打ち合わせしていた」。(下146頁)
E-5-2-3 警察の捜査員は「私」を事件の「最重要参考人」と見ており、ことに「キツネ目の男」に関しては「あいつに間違いない」「あいつしかおらん」としていたようだ。ところが結局、警察は私の「アリバイ」を崩せなかった。(下169頁)
(4)-3 「グリコ・森永事件」の構図:問題は「裏取引」と「株価操作」(犯人は株価を下落and上昇させ《空売り》や《買い戻し》で稼ぐ)だ!
E-6 1984/2/10中野署の刑事による「自宅での 事情聴取」の時、私は「警察はグリコ事件の構図をどう考えているんだ」と質問した。年嵩の刑事が答えた。「問題は株価だ。ターゲットにされた企業の株価が事件の進展に伴って下落し終結宣言後は上昇する。その間に犯人は株の《空売り》や《買い戻し》で利ざやを稼ぐ。犯人が現金を強奪しようとしたのは、株価操作のカムフラージュだ。」(下146頁)
E-6-2 「私」の推測では、犯行の目的は「現金強奪」ではない。これだけの犯罪プロがそんな簡単に足がつくようなまねをするはずがない。現金強奪はあくまで陽動作戦だ。刑事の推測は当たっている。犯人の狙いは、脅迫を行い、世間を騒がせながら、「裏取引」と「株価操作」を行うことにあった。(下184頁)