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「1990年代 女性作家の台頭」(その8):「ポストモダン文学はどこへ行く」三浦俊彦(前衛)、石黒達昌(袋小路)、阿部和重(自意識)、平野啓一郎(15世紀)!(斎藤『日本の同時代小説』4)

2022-03-30 20:04:44 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(44)「ポストモダン文学はどこへ行く」:進化しすぎて、1990年代には行き場を失いかけていた!
H 進化しすぎた生物は、自分で自分の首を絞め、生活がしづらくなって絶滅の道をたどる「進化の袋小路」という説が生物学にかつてあった。これと似たことが「文学」にある。例えば、進化しすぎた「私小説」は、内側に閉じこもりすぎて、読者を失った。(157頁)
H-2  1980年代に一世を風靡した「ポストモダン文学」も、進化しすぎて、1990年代には行き場を失いかけていた。(157頁)
H-2-2  ただし女性作家のポストモダンは、ジェンダーという媒介項が投入されている分、鮮度が高かった。(157頁)
H-2-3 しかし男性作家は大変だった。(ア)いまさら知識人批判でもない。(イ)文学の権威を否定したくても、そんなものはもうどこにもない。(斎藤美奈子氏評。)(157-158頁)

(44)-2 奇妙な恋愛小説&前衛的な笑いの炸裂:三浦俊彦『M色のS景』(1993)&『これは餡パンではない』(1994)! 石黒達昌(タツアキ)『平成3年5月2日~』(1994):「ポストモダン文学」の「進化の袋小路」!Cf.  瀬名秀明『パラサイト・イヴ』(1995)! Cf.  ハラルト・シュテンプケ『鼻行類』(1987)
H-3  三浦俊彦(1959-)『M色のS景』(1993)は奇妙な恋愛小説だ。(158頁)
《紹介文》SMの美学をおしたわめ、抱腹絶倒、喜怒愛痛大振幅の光景を大活写。言葉遊びあり、ナンセンス問答あり、あらゆる文章の遊びありのアヴァン・ポップ・ノベル。
《書評》「マーケティング調査の結果、うけるだろうと予想したらこんなのできました」という感じの本。
《参考》三浦俊彦(1959-):1983東大文学美学芸術学科卒業。同大学院へ進学、1989博士課程満期退学。2015より東大 大学院教授。虚構世界論等、美学・哲学の研究者。
H-3-2  三浦俊彦『これは餡パンではない』(1994)では、前衛的な笑いが炸裂する。前衛美術の公募展「アンデパンダン展」に訪れた画学生の男女が、あまりの下劣さやガラクタぶりに絶句し、やがて自我が崩壊する・・・・という作品。(158頁)
《書評》読みものとして楽しむ前衛美術。何が何やら意味不明な前衛アートも、小説というフォーマットを通して、コンセプトから読めばそれなりに楽しめる。とはいえ、ちょっと悪趣味に走り過ぎている。

H-3-3 石黒達昌(タツアキ)(1961-)『平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに、』(1994、33歳)は横書きで書かれ、実はタイトルもない。『平成3年5月2日~』は仮タイトルで「小説の書きだし」を写しただけだ。(158頁)
H-3-3-2 『平成3年5月2日~』は、絶滅が危惧される架空の動物「ハネネズミ」の繁殖をめぐるレポートいう体裁をとる。
《書評1》この物語は「ハネネズミ」という架空の生き物の生態を調査した人たちの証言をもとに、図などを交えて論文調に仕立て上げた珍しいものだ。最初は「ハネネズミ」の生態を追っていくが、その奇妙な生態を追っていくうちに「生物とはなにか」という哲学的な問題に突き当たる。面白かった。
《書評2》題名が奇をてらったもののようですが、内容は重厚です。「ハネネズミ」への好奇心が止まりません。これほど魅力のある作品をこれまで見過ごしていたとは!石黒達昌は日本が誇るSF作家です。
《参考》石黒達昌(タツアキ)(1961-):1987東大医学部卒業。1995 同大学院卒業、医学博士。1999 東大医科学研究所講師。2005テキサス大学MDAnderson癌センター助教授。2008年 日比谷内幸町クリニック医師。

H-3-3-3 石黒達昌『平成3年5月2日~』は、ハラルト・シュテンプケ『鼻行類』(1987)を彷彿させる。(158頁)
《参考》『鼻行類』の著者ハラルト・シュテュンプケ(Harald Stümpke)は架空の人物。実際の著者はドイツの動物学者、ゲロルフ・シュタイナー(Gerolf Steiner)(1908 - 2009)である。
《書評》ハラルト・シュテンプケ『鼻行類』:「鼻行類」(ハナアルキ)は想像上の生物。しかしこの本は「本当にハナアルキは存在するのではないか?」と思わせる力がある。そのくらい微に入り細に入り、鼻行類の分類と生態が詳述されている。鼻行類の系統樹、解剖図、胎児の成長過程、各グループの詳細な生態、たくさんの引用文献、また添えられた美しい挿入図。鼻でジャンプするトビハナアルキ、子連れの多鼻類・ナゾベーム、花に擬態するハナモドキ・・・。

H-3-3-4  1990年代、2000年代には、瀬名秀明(セナヒデアキ)(1968-)『パラサイト・イヴ』(1995、27歳)がベストセラーになるなど理科系の小説が話題になる。石黒達昌(タツアキ)『平成3年5月2日~』はいわばその純文学版だ。(158頁)
《参考》『パラサイト・イヴ』(1995):事故で亡くなった愛妻の肝細胞を密かに培養する生化学者・利明。Eve1と名付けられたその細胞は、恐るべき未知の生命体へ変貌し、暴走をはじめる。バイオ・ホラー小説。
H-3-3-4 「変態の文学マニア」は石黒達昌『平成3年5月2日~』のような作品を好む。(「私も嫌いじゃない」と斎藤美奈子氏。)しかしそれは「自閉的」とも言える。つまり「ポストモダン文学」の「進化の袋小路」に陥っていると言える!(158頁)

(44)-3 「自意識」が半端でなく「袋小路」な小説:阿部和重『アメリカの夜』(1994)!
H-4  阿部和重(カズシゲ)(1968-)『アメリカの夜』(1994、26歳)もかなり「袋小路」な小説だった。「自意識」が半端でなく、脱線につぐ脱線、逸脱につぐ逸脱。自分を語るのに、こんなに込み入った手続きが必要なのかと、そのこと自体が驚きだった。(斎藤美奈子氏評。)(Cf.  これは1980年代の「現代思想系の論文」のパロディでもある。)(158-159頁)
H-4-2  内容は「特別なひと」になりたいと妄想する「頭でっかちな映画青年」の読書と思索と失敗の記録のようなものだ。(158-159頁)
《参考》「アメリカの夜」とは映画撮影用語で、晴天をフィルターで暗く撮ってつくるフェイクの夜のシーン。
《書評》バイト生活をしながら「特別な存在」になるために、読書しまくり思索にふける若者……。青春小説!

(44)-4 「すでに死んでいるものと積極的に戯れる」:平野啓一郎『日蝕』(1998)!
H-5  平野啓一郎(1975-)『日蝕』(1998、23歳)(芥川賞受賞)は「現役京大生のデビュー作」として話題を呼んだが、「相当変態な袋小路系の小説」(斎藤美奈子氏評)だった。内容は「15世紀フランスの神学生がフィレンツェに旅する奇譚」だ。(159頁)
H-5-2  四方田犬彦(ヨモタイヌヒコ)は、平野はこの小説で示したのは「すでに死んでいるものと積極的に戯れることだ」と述べた。(159-160頁)
H-5-3 『日蝕』は要するに「大昔に死んだ物語」の擬態orコスプレだ。(斎藤美奈子氏評。)(160頁)
《書評》擬古文を模したらしい独特な文体は、古い異国の神秘的物語を描くには雰囲気づくりとして一定の効果を果たしている。ただ「単なる難解さだけの自己満足なナルシズム」と捉える事もできる。ここら辺が「評価のわかれる所」ではないかと思う。

(44)-5 前衛志向の作家が長く書き続けるには、小説に厚みを加える「燃料」(or「資材」)が必要だ:「歴史」(近代史)あるいは「近代文学」!
H-6  その後の阿部和重(1968-)は、メタフィクショナルな仕掛けにエンターテインメント性を加味した『インディヴィジュアル・プロジェクション』(1997、29歳)あたりから、時代の先端をゆく作家と認定された。(160頁)
《内容》渋谷・公園通り。風俗最先端の街に通う映写技師オヌマには、5年間のスパイ私塾訓練生の過去があった。一人暮しのオヌマは、暴力沙汰にかかわるうち、圧縮爆破加工を施されたプルトニウムをめぐるトラブルに巻き込まれていく。ヤクザや旧同志との苛烈な心理戦。映画フィルムに仕掛けられた暗号。騙しあいと錯乱。ハードな文体。
《書評1》阿部作品に頻出の暴力、のっぴきならない状況、苦境からの脱出劇といったものが好きな方には楽しめると思う。主人公の自我がゆらいでいく過程の描き方が、やはり阿部らしくて良い。
《書評2》「この世界は暴力と不条理に満ちている。だからお前は強くなれ」という主題が、ちゃんとこちらにも伝わってきます。

H-6-2  平野啓一郎(1975-)は、19世紀のショパンとドラクロワを主役にした長編『葬送』(2002、27歳)(※ジョルジュ・サンドと不和となり、パリに戻ってきたショパンが、39歳の生涯を閉じるまでを、画家ドラクロワとの友情を縦糸に、緻密な考証にもとづき語る)の頃から実力派作家の底力を見せはじめる。(160頁)

H-6-3 対照的に、その後の三浦俊彦(哲学系の大学教授)や石原達昌(タツアキ)(医学系の大学教授)は何度も芥川賞や三島賞の候補になりながら、受賞は逃した。(160頁)
H-6-4 一方で阿部和重・平野啓一郎、他方で三浦俊彦・石黒達昌(タツアキ)、この差は何か?前衛志向の作家が長く書き続けるには、小説に厚みを加える「燃料」(or「資材」)が必要だ。考えられる「燃料」の一つは「歴史」(近代史)、そしてもう一つは「近代文学」だ。(次節)Cf. 三浦は哲学系の、石黒は医学系の大学教授なので、文学関係の賞は取れなくていいのかもしれない。(斎藤美奈子氏評。)(160頁)
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『湯山昭の音楽』(東京オペラシティ・コンサートホール)2022/03/27:作曲家・湯山昭のトリビュート・コンサート!7組のプレイヤーが参加!プロデュースは娘の湯山玲子!

2022-03-29 21:35:34 | 日記
※『爆クラpresents 「湯山昭の音楽」 what the world needs akira yuyama 』

(1)
★『ヴァイオリンとピアノのための小奏鳴曲』(1953):福田廉之介(ヴァイオリン)、ロー磨秀(ピアノ)
ヴァイオリンとピアノの楽しいやりとり。福田廉之介さんが「弾くのがむずかしい曲です」と言っていた。
★歌曲集『子供のために』(1960)より「鳴子を弾いても」他&歌曲集『カレンダー』(1968)より「七月/夏のレセプション」他:林正子(ソプラノ)、石野真穂(ピアノ)
湯山昭の曲について、林正子氏が、「ドビュッシーを思わせます」と言った。また「日本語で歌うのは映画『崖の上のポニョ』(2008)以来です」、「いつもは外国語でばかり歌っています」とのこと。
(2)
★ピアノ曲集『お菓子の世界』(1973)より「序曲・お菓子のベルトコンベアー」他:新垣隆(ピアノ)
新垣隆氏が、ピアノ曲集『お菓子の世界』について「実験的かつモダンでアヴァンギャルド」、「印象主義音楽を思わせる」、「ジャズを感じさせるリズム」、「無調の曲もある」と語った。
★『マリンバとアルトサクソフォーンのためのディヴェルティメント』(1968年):上野耕平(アルトサクソフォーン)、池上英樹(マリンバ)
湯山玲子氏(ナビゲーター・プロデューサー)が「クラシックで、サクソフォーンだけの曲ってまずないですよね」と言うと、上野耕平氏がうなずいた。マリンバの池上英樹氏が「バチを6本持つときがあって大変です」と言った。
(3)
★男声合唱とピアノのための『ゆうやけの歌』(1976):「ゆうやけ男性合唱団」、田中裕大(指揮)、和田太郎(ピアノ)
これについては、湯山玲子氏から丁寧な説明があった。実は最初のプログラムでは「THE LEGEND」(オペラユニット)が男声8声編曲版で「ゆうやけの歌」を歌う予定だった。「ところが火曜日にメンバーの多数がコロナにかかり出演できないとわかったんです!大変!演奏会は日曜日!そこで急遽、慶応と早稲田の男性合唱団の方々にお願いしたんです。みなさん『ゆうやけの歌』はこれまで歌ったことがあり、そして2日間、練習していただいて、今日になりました」と言った。かくて本演奏会のために「ゆうやけ男性合唱団」が誕生した・・・・。こうして大変迫力ある男子合唱が披露された。
(4)
本日のコンサートは「多分、世界中で一番、湯山昭の音楽を聴いている」という娘・湯山玲子氏が選曲し、プロデュースした。最後にサプライズがあった。「今日、ここの客席に、父・湯山昭が来ております。90歳です!」と湯山玲子氏が紹介した。客席中程の右側に、湯山昭氏が立ち上がり、四方に礼をされた。皆さんが拍手した。

《感想》充実した盛りだくさんのコンサートだった。多彩な一流のプレーヤー、曲目も湯山昭氏のトリビュートにふさわしく、豊かで多様だった。しかも湯山昭氏自身もいらっしゃって、嬉しかった。また湯山玲子氏のナビゲーションは、歯切れよく楽しかった。コロナにも負けず、大成功!

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「1990年代 女性作家の台頭」(その7):「アンチロマンな男性作家たち」「ホンワカ系」の保坂和志、「トンガリ系」の藤沢周、「ウダウダ系」の町田康!(斎藤『日本の同時代小説』4)

2022-03-28 20:12:42 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(43) 「アンチロマンな作家たち」:「ホンワカ系」の保坂和志(カズシ)『プレーンソング』(1990)・『草の上の朝食』(1993)・『この人の閾(イキ)』(1995)では「事件が起きないこと」が重要!
G では1990年代にデビューした男性作家たちはどうだったか?保坂和志(カズシ)(1956-)『プレーンソング』(1990、34歳)は「何も起きない小説」だ。ガールフレンドに振られひとり暮らしとなった「ぼく」の2LDKに、3人の人物(男2人、女1人)が住み着くが、けんかもしなければ、セックスもせず、ただただ小春日和みたいな暮らしを続ける。続編の『草の上の朝食』(1993、37歳)もほぼ同じ。(155頁)
G-2  保坂和志『この人の閾(イキ)』(1995、39歳)(芥川賞受賞)は、大学の先輩だった女性の家を訪ねていき、やはりおしゃべりをするだけの小説だ。(155頁)
《書評》ふと学生時代の女性の先輩(既婚者)を訪ね、昼下がりにビールを飲み、庭で草刈りの手伝いをさせられるシーンの他愛ない会話。「すぐまた生えてくるのに」と言い放ちつつ、哲学書も読む先輩と、草を抜く。雑草の描写も納得でき、草取りの心理や、やりがちな行動の描写も共感でき面白い。
G-2-2  「日常にこそ価値がある」。保坂作品では、「事件が起きないこと」が重要とされる。(155頁)

(43)-2 「トンガリ系」の藤沢周『死亡遊戯』(1994)!
G-3  藤沢周(1959-)は社会にうまく適合できない男たちを描く。『死亡遊戯』(1994)の語り手の「俺」は歌舞伎町のポン引き。風俗店で働く女たちや群がる男たちを、クールに観察するいわばインテリやくざだ。(155頁)
《書評》多国籍な街に息づく男と女の性欲と暴力。短文を畳み掛け生まれる、ピリピリした緊張感。心理描写の排除。物語は急流、像を結ばずこぼれ落ちていく。不安定な空虚が広がり、現実の境界を失わせる。
G-3-2  藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』(1998)は、東京で挫折して故郷の町にUターンし、雪国の温泉旅館で働く男が、団体客の一員の盲目で認知症を患う老女とタンゴ(「ブエノスアイレス午前零時」ピアソラの名曲)を踊る話だ。穏やかな小説だが、記憶が混濁する謎めいた老女の妄想が危しさを醸し出す。(155-156頁)
《書評》影のある美しさを感じさせる。社会からドロップアウトした男の倦怠と鬱屈が、認知症の老女のブエノスアイレスの思い出と共鳴するラストシーンが素晴らしい。静寂な雪景色のなかに、ぽつんとグロテスクに輝く社交ダンスの会場!

(43)-3 「ウダウダ系」の町田康(コウ)『くっすん大黒』(1997)!
G-4 「ホンワカ系」の保坂和志(カズシ)、「トンガリ系」の藤沢周に対し、「ウダウダ系」が町田康(コウ)(1962-)。『くっすん大黒』(1997、35歳)は河内弁で注目された。「働くのは嫌だな、毎日ぶらぶら遊んで暮らしたいな」と思い仕事を辞め、酒浸り。妻が家出。自分の顔が「大黒」に似てくる。(156頁)
《書評》生活感にまみれ、地味で洗練されていないダメ人間のやりとり。だがどこか可愛らしい。登場人物がいたって真面目なので、それだけシュールだ。文章はテンポが良く、ミュージシャンでもある作者の面目躍如だ。結局物語は「主人公をどこへも運ばない」!

(43)-4 「アンチロマン(反小説)」(or「ヌーヴォーロマン」):波乱に富んだストーリー性を拒否する!
G-5  保坂和志、藤沢周、町田康、彼ら3人の小説は一見、「前衛」には見えないが、実は彼らに共通するキーワードは「アンチロマン(反小説)」(or「ヌーヴォーロマン」)だ。アンチロマンは1950年代、フランスで生まれた概念だが、日本では1980年代「ポストモダン文学」との関連で考えたほうがよい。(156-157頁)
G-5-2  「アンチロマン」とは何か?(a)波乱に富んだストーリー性を拒否する。(b)ドラマチックな展開もクライマックスも拒絶する。(c)くどくど背景を説明しない。(d)読者を脅かすアフォリズム(警句)なんて、とんでもない。(157頁)
G-5-3  彼ら3人は「アンチロマン」であるとともに、そもそもは「禁欲的かつストイック」、ちょっと「求道者的」だった。(157頁)
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「1990年代 女性作家の台頭」(その6):「OLや専業主婦がいた時代」金井美恵子、赤坂真理、山本文緒、唯川恵、篠田節子、柴田よしき、乃南アサ、林真理子!(斎藤『日本の同時代小説』4)

2022-03-26 15:52:44 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(42)「OLや専業主婦がいた時代」:金井美恵子『恋愛太平記』(1995)は高橋家の4姉妹の10年に渡る恋愛と結婚事情を描く! Cf. 目白の4部作:『文章教室』『タマや』『小春日和』『道化師の恋』!
F 「大人の女性」を描く小説で「抜群に面白かった」のは、金井美恵子(1947-)『恋愛太平記』(1995、48歳)だ。(斎藤美奈子氏評。)群馬県高崎市の高橋家の4姉妹の10年に渡る恋愛と結婚事情を描く。(Cf. 谷崎潤一郎『細雪』:1930年代大阪・蒔岡家の4姉妹。)(150頁)
(ア)留学先のアメリカで国際結婚した長女の夕香(31歳)。
(イ)女子美大在学中知り合った「コンセプチュアル・アーチスト」と同棲中の次女・朝子(28歳)。
(ウ)元幼稚園教諭で、父子家庭の園児の父と結婚した三女・雅江(25歳)。
(エ)同棲相手と結婚したばかりの四女・美由紀(24歳)。
F-2  この小説は、ファッション・食べ物・商品・映画・本にまつわるおびただしいディテールも読みどころだ。1980年代(※“Japan as No. 1”、バブル期)の消費生活がわかる。(150頁)
《書評1(男)》高橋姉妹の狡猾さや意地の悪さが見事に描かれている。リアルすぎて夢がまったくない。人生の暗い場面における諦念や、それでも消えない不満と憤りが描かれる。20代後半から40代の女性の心理に興味がある人や、その苦しみに共感できる人には面白い小説だ。
《書評2(女)》脈絡なく続く姉妹たちの会話、服装描写、ふと思い出した過去の一コマ、インテリアの細部……連綿と続く文章に、些末な日常がこれでもかと盛り込まれる。よくしゃべり、よく食べ、日々の雑事を片付け、その合間に恋愛までする。とにかく女性たちが貪欲。

F-2-2  1960年代、70年代の金井美恵子はやや難解な前衛小説の書き手だった。1980年代に、目白に住む人々を主人公にした4部作でファンを増やした:『文章教室』(1985、28歳)、『タマや』(1987、30歳)、『小春日和』(1988、31歳)、『道化師の恋』(1990、33歳)。さらに1990年代、『恋愛太平記』(1995、48歳)で読者を広げた。(150頁)
(ア)『文章教室』(1985、28歳):《書評1》80年代の「知」のブームを総括してぶった斬る痛快で不愉快な作品。《書評2》高橋源一郎は金井美恵子のことを「賢くて意地悪なひと」と評した。
(イ)『タマや』(1987、30歳):《書評1》猫を飼わせられる小説と思わせておいて、登場人物がみんな猫みたいな小説だ。《書評2》子種がわからぬまま妊娠している姉に、借金と猫を押し付けられトンズラされた「僕」。さらに姉に関わる変な奴らが家に押しかけ、奇妙な生活が始まる。
(ウ)『小春日和』(1988、31歳):《書評》19歳の「桃子」は大学入学を機に、小説家のおばさん(母親の妹)と同居する。大学では「花子」という親友ができる。教養と文化に恵まれ洗練された環境のなかで、愉しく怠惰に過ごす「桃子」。80年代の「ニューアカで、スギゾで、パラノで、おいしい生活セゾンセゾン」な感じ。そして「桃子」や「花子」の博識ぶり。こんなに映画や小説を知ってる大学1年生だ!
(エ)『道化師の恋』(1990、33歳):《書評1》「頭の良さそうな人々」なのになんでこんなアホみたいなことしかしないんだろう。そして皆の後ろに透かして見える「将来の展望」が明るくてさすが80年代と思った。何をしても「とりあえず働けて暮らしに十分な金を稼げる」のが当たり前の時代だったと思う。《書評2》頑張って読んだけど、もう無理。一文がダラダラ長い!1人のセリフで1ページあったりする。

(42)-2 身体感覚を描くのに秀でた作家:赤坂真理『ヴァイブレータ』(1999)、『ヴォイセズ』(1999)!
F-3 赤坂真理(1954-)は、1990年代デビュー組の中でも、五感に訴える身体感覚を描くのに秀でた作家だ。『ヴァイブレータ』(1999、45歳)は、幻聴・摂食障害・アルコール依存気味の女性ライターが、コンビニで出会った運転手の長距離トラックに乗り込んで、4日間の旅を続けるロードノベルだ。(150-151頁)
《書評1》男よりも女の方が、圧倒的に共感・共鳴できる小説。女性が抱える「病み」みたいなものを非常に上手く描いている。
《書評2》人の肌に触れることは、その薄い膜を透過し相手と一つになりたいという同一化の欲望に他ならない。また会話とは“声”という音の振動、固有の言葉をぶつけることで皮膚の下の、相手の中まで自分を響かせる行為だ。

F-3-2  赤坂真理『ヴォイセズ』(1999、45歳)は成田空港の女性航空管制官を主人公にした小説。彼女の働きぶりも、盲目の青年との恋愛も鮮烈だ。(151頁)
《書評1》この人の小説はとても感覚的で、字を読んでいることを時々忘れそうになる。感覚もしくは知覚で物事を切りとっていく。皮膚、目、耳などがくみ取った感覚が洪水となって渦巻いていて、それらを人に認識してもらうために文字に組みかえたと言う感じだ。
《書評2》文章なのに、においや感触が伝わってくる不思議な本です。

(42)-3 「働く女性」を描いた小説:山本文緒(フミオ)『パイナップルの彼方』(1992)!「専業主婦」と「キャリアウーマン」:唯川恵(ユイカワケイ)『肩ごしの恋人』(2001)!  
F-4  1990年代 エンタメ系文学では「働く女性」を描いた小説が急増する。男女雇用機会均等法が施行(1986)されても、仕事と家庭を両立させる環境が整っているとはいいがたく、「キャリアアップ」を目指すか、「結婚して主婦になる」かで揺れる女性も多かった。(151頁)
F-4-2  山本文緒(フミオ)(1962-2021)『パイナップルの彼方』(1992、30歳)の主人公・鈴木深文(ミフミ)(23歳)は美術系の短大を卒業後、信用金庫に就職。ひとり暮らしを楽しんでいたが、職場で事件が起こり、会社を「辞めよう」かと思いつつも、実家に連れ戻されるのもイヤで、会社を「辞められない」・・・・(151頁)
《書評》就職をきっかけに東京で一人暮らしを始めた20代のOL。職場内の複雑な女性同士の人間関係。次から次へ色んな事件が起こってしまい、最後に体調まで崩してしまう。だけど事態がめちゃくちゃになっても、決して仕事を辞めようと思わない主人公がたくましい。一見暗そうな内容だけど、ラストはハッピーエンドだ。

F-4-3  1990年代から活躍していた唯川恵(ユイカワケイ)(1955-)『肩ごしの恋人』(2001、46歳)(直木賞受賞)は対照的な二人の女性を描く。「青木るり子」は3回目の結婚をした派手好きの女性。「早坂萌(モエ)」はインターネットで輸入代行する会社の主任。専業主婦とキャリアウーマン。だがるり子は夫の浮気で離婚、萌は不本意な異動を拒否し、会社を辞める。ともに28歳。「15歳の家出少年」との奇妙な共同生活(3人)の後、2人は以前と全く違う道を選ぶ。(151-152頁)
《書評》全く違う「るり子」と「萌」の友情を見事に書いています。脇役の男性もなかなか魅力的で個性的で、話に華を添えています。唯川さんの作品の中で、これが一番好きです。読み終わった後の爽快感も、一番でした。どんなことがあってもくじけない「るり子」と「萌」には悩んでいる人も力づけられます。なんだか、前向きになれる元気をくれる本です。
 
(42)-4 「働く女性の見本帳」のようだ:篠田節子『女たちのジハード』(1997)!
F-5  篠田節子(1955-)『女たちのジハード』(1997、42歳)(直木賞受賞)は、中堅の保険会社に勤める「平凡なOL」たちが次のステップを探す物語だ。まるで働く女性の見本帳のようだ。(152頁)
(ア)「いきおくれ」といわれながらも、「自分のマンション」を買って生き方が変わる康子。(イ)「優雅な主婦」になるべく「婚活」に励み、医師との結婚に成功するも、思惑が外れ夫と「ネパール」に渡るリサ。(ウ)「脱OL」を図り、「ヘリのパイロット」に転職する沙織。(エ)「夫の暴力」が原因で「離婚」、再就職する紀子。(オ)「有能なキャリアウーマン」だったのに、会社を辞めるみどり。(152頁)
《書評1》描かれている女性たちの中では康子の話が一番面白かった。特に競売物件の。康子姐さんタフすぎ。挫折したり新天地を目指したり、輝いているなあとは思ったけど私も続くぞ…!とはならなかったです。意識低い系だからね。それにしても紀子はありえないほど頭が弱い子だわ…。
《書評2》5人のOLの人生の選択…とはいえ、メインは3人といった感じ。「ナイーブ」な男に辟易し、ヤクザと競り争いマンションを買い、企業に目覚める康子。常に結婚を頭に男を探し、全く想定外な相手を選んだリサ。向上心を持ちながらもなかなか前に進めずくすぶり、留学でようやく一歩を進めた紗織。「女」がテーマの本はどろどろになる。そんな観念を吹き飛ばす、女性それぞれの自分との闘い。まさに聖戦の話。

(42)-5 「女性刑事」が主役の警察小説:柴田よしき『RIKO――女神(ヴィーナス)の永遠』(1995)、乃南アサ『凍える牙』(1996)!
F-6  柴田よしき(1959-)『RIKO――女神(ヴィーナス)の永遠』(1995、36歳)は「女性刑事」が主役の警察小説だ。村上緑子(リコ)は30歳。(a)本庁で強姦事件を担当していたが「上司との不倫事件」で新宿署に飛ばされる。(b)警部補に昇進し、主任に抜擢されるが「女を使った」と陰で言われる。(c)娘を警官にしたかった「父との確執」、(d)「恋愛」などの私生活も絡め、小説は進行する。(152頁)

F-6-2  乃南(ノナミ)アサ(1960-)『凍える牙』(1996、36歳)(直木賞受賞)も「女性刑事」が主人公。音道貴子(オトミチタカコ)は30代、警視庁刑事。幼い頃から婦人警官に憧れ、短大卒後、警察学校に入り、ミニパトに乗る交通執行課、白バイ隊、鑑識、そして刑事へという苦労人だ。(153頁)
F-6-3  女性刑事の場合、「セクハラ」や「パワハラ」との戦いも必要だ。「早いとこ嫁にでも行って、子どもでも産んだ方がいいだろうが」、「せめて足手まといになるな」と言われるような職場だ。(153頁)

(42)-6 「夫以外の男とのセックスはどうしてこんなに楽しいのだろうか」:林真理子『不機嫌な果実』(1996)!
F-7  エッセイストから作家に転じ1986年に『最終便に間に合えば』(※男女の色恋沙汰の即物的な記載?!)『京都まで』(※キャリアウーマンに、不意に訪れた恋)で直木賞を受賞した林真理子(1954-)は、1990年代に『ミカドの淑女(オンナ)』(1990、36歳)(※平民新聞の「妖婦下田歌子」というスキャンダル記事が背景)、『白蓮れんれん』(1994、40歳)(※大正時代、美貌の歌人・柳原白蓮は7歳下のジャーナリスト宮崎龍介と恋に落ち逃避行)などの歴史小説で評価を得る。(153頁)
F-7-2  林真理子『不機嫌な果実』(1996、42歳)は不倫小説だ。「夫以外の男とのセックスはどうしてこんなに楽しいのだろうか」といキャッチコピー。結婚6年目の水越麻也子(32歳)は独身時代の恋人と密会を重ねる。その破綻後、年下の音楽評論家と不倫関係へ。不倫相手と結婚したとたんに幻滅するという展開は、シビアでリアルだ。(153-154頁)

(42)-7 1990年代:まだ「OL」、「キャリアウーマン」、「専業主婦」という層が存在していた!
F-8  結婚、離婚、就職、離職・・・・、テーマはいろいろだが、1990年代(※「失われた20年」の最初の10年)には、まだ「OL」、「キャリアウーマン」、「専業主婦」という層が存在していた。(154頁)
F-8-2  いいかえると、「キャリア」か「結婚」かで悩む「ゆとり」が、この時代にはまだあったということだ。(154頁)

(42)-8 1990年代「コギャル」・「ブルセラショップ」・「援助交際」など「女子高生」現象:宮台真司 『制服少女たちの選択』(1996)、村上龍『ラブ&ポップ』(1996)、丸谷才一『女ざかり』(1993)!
F-9  現実の社会に目を転じると、1990年代に世間の注目を集めたのは「女子高生」だった。ミニスカートの制服にルーズソックス姿の「コギャル」が話題になり、着用済みの制服が「ブルセラショップ」で売買された。大人の男性を相手にした「援助交際」が問題となった。(154頁)
F-9-2  かくて1980年代にはキラキラしていた女子高生(Ex. 堀田あけみ『1980アイコ 十六歳』1981、高樹のぶ子『光抱く友よ』1984)の価値は、暴落して行った。(斎藤美奈子氏評)(154頁)
F-9-3  宮台真司(1959-)『制服少女たちの選択』(1996、37歳)は、この「女子高生」現象を社会学的に論じた。(154頁)
《書評1》この書物の最大の欠点は「制服少女」の生態にしか言及していないことだ。パンツや女子高生を買うオヤジの生態はノータッチだ。両方の分析を行わなくてはならない。
《書評2》少し昔の制服少女たちのことでしたが、現在の「出会い系」などを利用している制服少女たちにも当てはまると思いました。

F-9-4 「コギャルブーム」に便乗し、村上龍(1952-)は『ラブ&ポップ』(1996、44歳)という「オッチョコチョイ」な小説まで書いた。これは渋谷の女子高生に取材した、論評のしようがない「オヤジ目線」の風俗小説だ。(斎藤美奈子氏評)(154頁)
《書評1》裕美は女子高生で、仲間3人渋谷へ出かけ、12万円するトパーズの指輪が欲しくてたまらなくなる。浩美はデパートの閉店時間までに12万円を援助交際でゲットすることになる。援助交際を始めるが、ひどい相手ばかり開始した。しまいにはラブホで暴力をふるわれる。結局、デパートの閉店時間に間に合わず、指輪は買えなかった。裕美は、ちょっぴり大人になった。
《書評2》援助交際の事実を知ったら、「自分のことを大切に思ってくれている誰か」が悲しんでしまう。少なくともそれはあると思う。

F-9-5 丸谷才一(1925-2012)『女ざかり』(1993、68歳)も「オッチョコチョイ」な小説だ。「女性の社会進出」という掛け声への便乗で、新聞社の女性論説委員を描いた。主人公の南弓子は妙な発想の持主で。これまた失笑ものだった。(斎藤美奈子氏評)(154頁)
《書評》新聞社の女性論説委員が書いたコラムが政府の不興を買い、彼女は論説委員の座を追われかける。岐路に立たされた彼女は「敢然と政府と闘う」という路を選択する。彼女は解決のために、「首相と昔恋人関係にあった祖母」をつれて首相官邸に出向き、彼女が論説委員にとどまることを納得させる。また「贈与論」と「御霊信仰」により日本の土着的な政治に焦点を当て、作者は「現代日本はもののやりとりが盛んで、万事それですませる」と述べる。

F-9-6 よくも悪くも1990年代は「女性が注目された時代」だった。(154頁)
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「1990年代 女性作家の台頭」(その5):「少女小説・青春小説」江國、姫野、野中、藤野、鷺沢、金城!ひこ、森絵都、梨木、湯本!恩田、佐藤亜紀、小野不由美!(斎藤『日本の同時代小説』4)

2022-03-23 12:34:26 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(41)「少女小説・青春小説の多様な展開」:江國香織(エクニカオリ)『きらきらひかる』(1991)アルコール依存の女性とゲイの男性の結婚!『神様』(1999)母子家庭の母と娘!
E  1990年代、青春小説や少女小説の主役となる人物も驚くほど多様化した。(145頁)
E-2  江國香織(エクニカオリ)(1964-)『きらきらひかる』(1991、27歳)は、アルコール依存症の女性・笑子(ショウコ)とゲイの男性・睦月(ムツキ)が見会いで出会って結婚する物語。(145頁)
《書評》情緒不安定でアルコール中毒の「笑子」、同性愛者の「睦月」。お互いの傷を認め合い、結婚生活を送る。「睦月」には大学生になる「紺」という恋人がいる。世間からはみ出した夫婦。だけど二人の間に愛がないわけではなくて、ちゃんとお互いを愛している。
E-2-2  江國香織(エクニカオリ)『神様』(1999、35歳)は、母子家庭の母と娘を描く。「あたし」草子(ソウコ)はもうじき10歳、「私」葉子は35歳。姿を消した草子の父がいつか戻ってくると信じ、ふたりは引っ越しを続ける。だがやがて草子は気づく。「うちのママはおかしいのではないか」。(145頁)
《書評》娘の視点と母の視点で交互に語られる。 母の宝物は3つ。ピアノ、あの人、娘。 一人の人を何年も待ち続け成長しない母と、段々と成長し現実が見えてくる娘。母の静かな狂気も儚く美しい。ずっと現実を見ないで生きていけたらいいかもしれない。

(41)-2 姫野カオルコ『ひと呼んでミツコ』(1990)「超能力」を持つ女子大生!『ツ、イ、ラ、ク』(2003)中学生女子と教師の恋愛!ユニークな「ヒメノ式」!
E-3  姫野カオルコ(1958-)『ひと呼んでミツコ』(1990、32歳)は、1980年代のバブル期を舞台にした女子の上京小説だ。三子(ミツコ)は英文科女子大生だが、「超能力」を持ち正義感から不正な相手にダメージを与える。ヒーローもののパロディだ。(145-146頁)
《書評1》ミツコが怒ると、盲腸の傷が疼き超能力を発揮して悪人を成敗してゆくワンパターンモノ。水戸黄門式のお話。
《書評2》昭和・平成初期ネタが多いので、平成生まれにわからない部分も多いが、それを抜きにしてもコメディーとして楽しめる。「フローベルの『紋切型辞典』」的な魅力。

E-3-2  姫野カオルコ『ツ、イ、ラ、ク』(2003)は、中学生女子と教師の恋愛。(146頁)
《書評1》地方の閉塞感と激しい恋愛。 思春期の子どもたちの後ろ暗い気持ち。 色々な思わくや感情が入り乱れて…だけど目が離せない物語だった。
《書評2》大人びた少女の恋愛小説。小学2年生から物語が始まる。あからさまでえげつない子供達の人間関係。それが懐かしく恥ずかしく生々しい。恋愛部分も、自分の記憶と重なって痛みを覚えるほど。青かった。ラストに2人が再会するのは、羨ましい反面、ちょっと安っぽいかなぁ…
《書評3》周りに比べ早熟な隼子、けれど彼女はやっぱり子供。20歳を過ぎ社会人で大人の先生、けれど彼も社会経験が少なく若すぎた。2人は「ツイラク」を経験する。

E-3-3  姫野カオルコの世界はいつもユニークで、「ヒメノ式」と呼ばれる。(146頁)

(41)-3 野中柊(ヒイラギ)『ヨモギ・アイス』(1991)!『アンダーソン家のヨメ』(1992)!国際化の時代を印象づける!
E-4  野中柊(ヒイラギ)(1964-)『ヨモギ・アイス』(1991)は、アメリカに留学した女性が、現地で知り合った男性と国際結婚をする物語。日本人のヨメに対する風当たりが強く、主人公のヨモギはふて腐れ気味。(146頁)
《書評》アメリカではじめた新婚生活。近所の奇妙な人たちを、日本人女性ヨモギ(風変わりな痩せた日本人女性で、アメリカ社会で生きてる)の目を通して描く。日米のカルチャーのハザマで、シニカルにハスに構える。

E-4-2  野中柊(ヒイラギ)『アンダーソン家のヨメ』(1992)も、国際化の時代を印象づける。(146頁)
《書評》窓子が、夫の実家でウエディングパーティーを開いてもらうが、夫の家族や友人たちに振り回される。人種差別とか政治的な背景がどうのという重たい話も、軽やかに井戸端会議的な目線で書かれている。

E-4-3  海外生活を送る日本人女性のイライラは、大庭みな子、米谷(コメタニ)ふみ子にも連なるテーマだが、「野中ワールド」はどこまでもポップだ。(146頁)
《参考》大庭みな子(1930-2007):1959年、夫の仕事の都合でアラスカに移住。1968年(38歳)、アメリカの市民生活を描いたデビュー作『三匹の蟹』(※夫婦のスワッピングという当時、センセーショナルな舞台背景)で芥川賞を受賞。1970年帰国。
《参考》米谷(コメタニ)ふみ子(1930-):『過越しの祭』(1986、56歳)で芥川賞受賞。(※米国で人種差別は根深い。脳障害を持つ次男と健常児の長男の2子を抱える主人公が、ユダヤ人の夫にも振り回される様がキョーレツ。自由を求めて渡米した道子の予期せぬ戦いを描く。)

(41)-4 藤野千夜(チヤ)『午後の時間割』(1995)!『少年と少女のポルカ』(1996)ではLGBTの高校生を描く!『夏の約束』(2000)!
E-5  藤野千夜(チヤ)(1962-)は『午後の時間割』(1995、33歳)でデビュー。(146頁)(※失恋から、人との距離をとろうとする予備校生を描く。)
E-5-2  藤野千夜(チヤ)『少年と少女のポルカ』(1996、34歳)はLGBTの高校生を描く。トシヒコは「昔から男の子のことが好きだった」。ヤマダは、自分は「間違った身体に生まれた女」だと思っている。2人は男子校の同級生同士。ヤマダはホルモン注射を打ち睾丸の摘出手術を受け、ついにスカートで登校する。(146頁)
《書評》主人公は3人、ゲイのトシヒコ、自分を女だと思うヤマダ、電車に乗れないミカコ。一見すると普通ではない彼らの、普通の日常を描く。この小説の良いところは、誰ひとりとして現状にクヨクヨしないこと。トシヒコは「ゲイであることに悩まないゲイ」となり、ヤマダは女性になろうと必死になり、ミカコも特段悩んだ様子がない。

E-5-3 なお藤野千夜(チヤ)自身もトランスジェンダーの作家で、後に『夏の約束』(2000、38歳)で芥川賞を受賞した。(146-147頁) 
《書評》健康診断で太りすぎを警告された会社員マルオと、フリー編集者ヒカルのゲイカップルの日常。「男性から女性へトランスセクシュアルした美容師のたま代」とキャンプに行く約束。それぞれ悩みはあるけれど、自分らしさを大切にしていて、「自由」を感じた。


(41)-5 鷺沢萌(サギサワメグム)『川べりの道』(1987)、『葉桜の日』(1990)、『君はこの国を好きか』(1997)、『ほんとうの夏』(1997)!在日三世の体験を描く!
E-6  鷺沢萌(サギサワメグム)(1968-2004)は18歳にして『川べりの道』(1987、19歳)でデビュー。(147頁)(※「自分と姉から離れ、知らない女の人と暮らす父親」の家に毎月生活費を貰いに行く道は、ある種の不安を感じさせ、早くその家に着きたいと思うほど哀しい道だった。)
E-6-2  鷺沢萌は『葉桜の日』(1990、22歳)の執筆過程で、祖父母が朝鮮半島の出身であることを知る。(147頁)
《書評1》バーを経営するママ(女装している男性)に雇われた健次の、進学校から大学、堅実な企業へのコースから外れた視点から、店を訪れる様々な客や関係者の生き様が描かれる。
《書評2》おじいは「みんな同じさあ。みんな誰かなんて判っちゃいねえよ」と言ってジョージを慰める。さらにおじいは「てめえのケツはてめえで拭うしかねえんだ」といい、「オイラも、死ぬまでは生きてっからよ」とカラカラ笑う。結局、ジョージも健次も自分は誰なのかわからないまま、日常に戻り生きていく。読後は悪くない。
E-6-3 鷺沢萌『君はこの国を好きか』(1997、29歳)は韓国語を学ぶためにソウルに留学した在日三世・木山雅美(李雅美イ・アミ)の体験を描く。(自身の留学体験も踏まえる。)(147頁)
《書評》「君」は在日韓国人、「この国」は大韓民国。日本に生まれ育った在日韓国人3世の雅美。彼女は、韓国へ留学する。「人付き合いが濃厚な韓国社会」と「なにかと過ごしやすい日本の生活」を比較しながら、「韓国人になりきれない、かといって日本人ではない」という心の整理がつかない状態が続いて、雅美は心も体も不安定になる。
E-6-4 鷺沢萌『ほんとうの夏』(1997、29歳)は、在日三世の男子高校生・新井俊之(トシユキ)(朴俊成パク・チュンソン)が女の子を好きになったことでぶつかるアイデンティの問題を描いた青春小説だ。(147頁)
《書評》俊之は在日韓国人三世。そのことを告げずに日本人の芳佳とつきあっている。彼女を乗せて運転中に追突事故を起こし、警官に提示する免許証から国籍を知られることを恐れた彼は、芳佳をじゃけんに遠ざける。

(41)-6 在日の若者を描いた小説:金城一紀(カネシロカズキ)『GO』(2000)!
E-7  在日の若者を描いた小説(主人公は男子だが)としては金城一紀(カネシロカズキ)(1968-)『GO』(2000、32歳)(直木賞受賞)も特筆される。「僕」こと杉原は在日三世の高校1年生。父は元ボクサーで総連の活動家だったが、ハワイ旅行を目論んだ父の一声で、朝鮮籍から韓国籍になる。「広い世界」に出ようと「僕」は日本の私立高校に入学するが「通名で通学してほしい」と学校に言われてしまう。友情・恋愛に民族問題をからめた、痛快な青春小説だ。(147頁)

(41)-7 少女の成長物語:ひこ・田中『お引越し』(1990)、森絵都『リズム』(1991)、梨木香歩(ナシキカホ)『西の魔女が死んだ』(1994)、湯本香樹実(カズミ)『ポプラの秋』(1997)!
E-8  1990年代には、児童文学(ジュブナイル、中高生向きならヤングアダルト)の分野から、後にロングセラーとなる少女小説が続々と誕生する。(147-148頁)
E-8-2  ひこ・田中(1953-)『お引越し』(1990、37歳):6年生の少女(漆場漣子ウルシバレンコ)が両親の離婚で、母と新しい生活に踏み出す自立譚。(148頁)
《商品の説明》「今日とうさんがお引越しをした。三人だった家がこれから、かあさんと私、二人になる。二人が別れるのは私のせいやないって、とうさんもかあさんも言うたけど、私のせいやないのに私に関係ある。あんまりや。」両親の離婚にゆれる11歳の少女の心模様と成長を描く。

E-8-3  森絵都(1968-)『リズム』(1991、23歳):中学1年生の「あたし」(藤井さゆき)と、ロックバンドに打ち込む従兄を中心に家族の問題を絡めた物語。(148頁)
《書評》昔、主人公と同じ中学生のころに読んだ本。改めて読み直すと、「中学生の頃なんて何も考えてなかった」と思っていたけれど、そうではなく、「その時特有の悩みを私自身も抱えながら生きていたのかな」と思いました。

E-8-4  梨木香歩(ナシキカホ)(1959-)『西の魔女が死んだ』(1994、35歳):不登校になった中学生の少女(まい)が、「魔女」を自称するイギリス人の祖母のもとで修業に励むお話。(148頁)
《書評》まいが死について父に質問したとき、「なんにもなくなる」と言われ悲しくなった箇所で、小学校低学年の時に「死」について考え始め、中学校になる直前まで「恐怖と絶望の感情」が常にあったのを思い出した。魔女として生きるという事は、大人として自分と向き合い丁寧に生きていく事だと学べる本。

E-8-5  湯本香樹実(カズミ)(1959-)『ポプラの秋』(1997、38歳):父を亡くした7歳の「私」(千秋)と、「あの世に手紙を届けてあげる」と語る大家のおばあさんとの交流譚だ。(148頁)
《書評》夫を失い虚ろな母と、7歳の私。二人は電車の散歩を繰り返し、引き寄せられる様に出会った「ポプラの木が庭にあるポプラ荘」に引っ越す事に。そこで大家のおばあさんと出会う。心が温まる素敵なお話。

E-8-6  いずれも少女の成長物語だが、大人の読者にも訴える力があった。(148頁)

(41)-8 ファンタジーノベル大賞系の少女が主人公の小説:恩田陸『六番目の小夜子(サヨコ)』(1992)、佐藤亜紀『戦争の法』(1992)、小野不由美『東亰異聞(トウケイイブン)』(1993)『図南(トナン)の翼』(1996)!
E-9  少女が主人公の小説には、さらにファンタジーノベル大賞系の作品が加わる。恩田陸(オンダリク)、佐藤亜紀、小野不由美といった人気作家たちの作品だ。(148頁)

E-9-2 恩田陸(1964-)『六番目の小夜子(サヨコ)』(1992、28歳)はミステリーやホラーのテイストが入った少年文学風の作品。「三年に一度、サヨコが現れる」という伝説のある地方の進学校が舞台だ。(148頁)
《書評》一度しかない高校生活を送る者たちの青春模様が鮮やかに描かれるのに、物語の軸である『サヨコ』の持つほの暗い、漠然とした怖さが滲み出ている。
E-9-2-2  恩田陸『夜のピクニック』(2004、40歳)は女子高校生を語り手に、夜どおし歩き続ける学校行事を描く。(148頁)
《書評》主人公は、同じクラスの高三の男女。異母兄弟である二人は、お互いを強烈に意識しているが、口をきいたことが無い。 高校生活最後のイベント、夜八時にスタートして夜通し歩いて朝ゴールする歩行祭。歩きながら二人は距離を縮める。懐かしい叙情的な青春物語。
E-9-2-3  これらは、恩田陸をすぐれた学園小説の書き手として印象付けた。(148頁)

E-9-3  佐藤亜紀(1962-)は『バルタザールの遍歴』(1991、29歳)でデビュー。(148頁)
《書評》舞台は第二次世界大戦前のウィーン。貴族で、一つの体を共有する双子、バルタザールとメルヒオール。シャム双生児でも二重人格でもない。非物質的実体としての二人が物質的実体としての一つの肉体に宿る。日本ファンタジーノベル大賞受賞の歴史幻想小説。
E-9-3-2 佐藤亜紀『戦争の法』(1992、30歳)は一種の「偽史」だ。1975年、N***が日本から分離独立を宣言し、社会主義国となる。街はソ連軍の兵であふれ、父は武器と麻薬の密売人、母はソ連兵相手の売春宿を経営する。14歳の「私」は義勇軍に入り少年ゲリラとして戦う。「私」はクラウゼビッツ『戦争論』を愛読する。(148-149頁)
《書評》佐藤亜紀さんの2作目。“信頼できない語り手による回想録”というスタイルの小説。文章が濃密でどのシーンも絵画的に脳裏に浮かぶ。ゲリラパートでは「生き生きとした描写」と「シニカルな視点」のブレンド。

E-9-4 小野不由美(1960-)は『東亰異聞(トウケイイブン)』(1993、33歳)で人気を博す。(149頁)
《書評》物語の舞台は架空の帝都・東亰。文明開花が進み明るく開けた世界になった一方で、夜は火炎魔人、長い爪で人を引き裂く赤姫(闇御前)など闇に蠢く魑魅魍魎。ホラー?ミステリー?色んな表情が楽しめる作品。 
E-9-4-2  小野不由美『十二国記』(1992~、32歳~)は、中国に似た12の国からなる異世界を描いた長大なシリーズであり、「偽史」だ。このうち『図南(トナン)の翼』(1996、36歳)は12歳の少女・珠晶が王を目指す物語だ。(149頁) 
《書評1》十二国記で一番おもしろいって同僚に教えてもらいました。
《書評2》主人公の珠晶が良い。利発でお利口、健全闊達なお嬢さんぶりが光る。
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