DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

W. C. ウイリアムズ(1883 -1963)「赤い手押し車」(1923):一般に、この宇宙に物や出来事があることの不思議or一大事!

2019-04-30 20:56:28 | 日記
 “The Red Wheelbarrow” 「赤い手押し車」
            William Carlos Williams ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ

so much depends 一大事なのは
upon 

a red wheel 赤い手押し車
barrow 

glazed with rain それは雨の水に光り
water 

beside the white 白い鶏(ニワトリ)たちのそばにある
chickens

《感想1》「感動は小さな物にまとわりつく」というのが、この詩人の信条だ。
《感想2》何が一大事なのか?①一般に、この宇宙に物や出来事があることの不思議or一大事。②赤い手押し車(一輪車)は人間に役立つ。人間が道具を作るという出来事の不思議。③雨という自然現象が起こる不思議。③-2、その雨が赤い手押し車を、例えば食べるのでなく、よりによって美しく光らせる不思議。④その赤い手押し車のそばにいるのが、例えば青い鯖でなく、白い鶏(ニワトリ)である不思議。
《感想2-2》すべてが不思議or一大事なのだ。(君の私見では、これは困ったことだ。君はくたびれてしまう。君という出来事も一大事だ。有(存在)はそれ自体、無でなく、一大事だ。)
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平穏になりたい!石になりたい!

2019-04-30 20:09:53 | 日記
君は精神においてきちんとしていたい。 You want to become mentally decent.
ずっと昔、君は幸福だった。君はしかし野心的でなかった。かくて、君は裕福にならなかった。 Long years ago, you were happy. But you were not ambitious. Therefore, you haven’t become rich.
君は今いつもイライラしている。君は自分が不幸だと思うから。You are now always irritated because you think you are not unhappy.
君は平穏になりたい。君は石になりたい。 You want to become calm. You want to become a stone.
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ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第1編」「第3章 世界の世界性」「A 環境性と世界性一般の分析」「第18節 趣向性(適所性)と有意義性、世界の世界性」(その2)

2019-04-30 15:03:57 | 日記
※ §18 Bewandtnis und Bedeutsamkeit; die weltlichkeit der Welt
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」
※「第1編 現存在の準備的な基礎分析」

(3)-3 現存在の存在様相:「差しおく」(適所をえさせる)!
E 「差しおく」(Bwendenlassen、適所をえさせる)
E-2 「趣向性(適所性)へ明け渡していつもはじめから措置して(差しおいて)いるということは、現存在の存在様相そのものの特徴をなすアプリオリ的完了態(ein apriorisches Perfekt)である。」

《感想3》アプリオリ的完了態とは、アプリオリにすでにそのようになっている、つまり可能態でなく完了態だということ!

E-3 「差しおく(適所をえさせる)」とは、用具的なものを、それがともかく現にある通りのありさまで、その趣きのままに差しおく、存在させておくということだ。(84-85頁)
E-4 存在者を環境内部の「用具性」へ先行的に(※アプリオリに)明け渡している。
E-5 存在者は環境世界では、単に「客体的に」存在しているだけの「世界素材」であることはない。

(4)現存在の世界了解!
F 「存在者としての現存在が、いつもすでに関わり合っている世界を了解している。」(86頁)

《感想4》「存在者としての現存在」(ハイデガー)とは、実に不思議な言い方だ。本来、現存在は存在者でない。私見では、現存在はモナド=世界そのものだ。世界そのものは、存在者でない。
《感想4-2》「世界を了解している」(ハイデガー)とは、私見では、超越論的主観性(超越論的意識)である現存在(モナド)における、ノエシス(主要には自発性としての注視であるが受動性も含む)とノエマの分裂的総合(一者)のことだ。意識は、いわば感じる(見る)ものと感じられるもの(見られるもの)の分裂的総合(一者)だ。
《感想4-3》「了解(Verstehen)」については、第31節で詳しく述べるとハイデガーが言う。(87頁)

(5)世界:存在者を趣向性(適所性)という存在様相で出会わせる地平的場面!&世界との親しみ(Weltfertrautheit)!
G 「自分を指し向ける自己了解の場面が、存在者を趣向性(適所性)という存在様相で出会わせる地平であると述べたが、その地平的場面が、すなわち世界の現象なのである。」(86頁)
G-2 そして現存在は世界に親しんでいる。「世界との親しみ(Weltfertrautheit)が現存在の存在了解に含まれる。」(86頁)

(6)有意義性(Bedeutsamkeit):「自己の存在と存在可能とを自己に会得させる」という自己への「指意」の全体!
H 「世界内存在に関して、自己の存在と存在可能とを自己に会得させようとする。」(87頁)この自己への「指意」の全体が、有意義性(Bedeutsamkeit)である。
H-2 「現存在はいつもすでに有意義性に親しんでいる。」(87頁)

(7)存在論的問題圏における3つの原理的区分:①用具性、②客体性、③世界の世界性!
I 存在論的問題圏における3つの原理的区分。(88頁)
I-1 「第一に、世界の内部で身近に出会う存在者の存在(用具性)」
I-2 「第二に、身近に出会う存在者を通って、独立の発見的態度で切り開いてゆくときに見いだされ、かつ規定可能となる存在者の存在(客体性)」
I-3 「第三に、世界の内部で存在するものが一般に発見可能となるための存在的可能条件の存在、すなわち世界の世界性」
J ③「世界の世界性」は「世界内存在すなわち現存在」の「実存論的規定」である。
J-2 「存在規定」①②は、「カテゴリー」であって、「現存在的でない存在様相をそなえた存在者」に関係する。

(8)「有意義性」として「世界性」を構成する「指示の連関」!
K 「有意義性」として「世界性」を構成する「指示の連関」は、形式的に見れば、関係体系である。

《感想5》「世界」(※環境世界)すなわち「指示連関の全体性」とは、「道具立て全体」に含まれる「多様な指示関係」1~9(第15節)全体のことである。(第16節も参照!)
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①元号、②国王の譲位、③国王は正しい、④憲法!

2019-04-30 12:26:58 | 日記
(1)
元号が変わる。多くの者が喜んでいる。不思議だ。自然は何も変わらないのに!
(2)
国王がその子供に譲位する。多くのものが喜んでいる。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」の時代の例外だ。
(3)
国民を分け隔てせず、その幸福を願う国王は正しい。平和を願い、戦争を反省する国王は正しい。
(4)
「国王の地位が、国民の総意にその正当性の根拠を持つ」と定めた憲法は偉大だ。そしてその憲法を尊重する国王は尊敬に値する。
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原民喜(1905ー1951)「虚愁」(1923-28頃):輝く青空に美しさや希望がない!それは空虚で痛ましい!

2019-04-29 22:39:57 | 日記
 「虚愁」 “I feel vacant and sad.”

みどり輝く坂の上に On the top of a slope which greenly shines,
傷ましきかな 空の青 here is the blue sky which seems injured.
輝くものをいとはねど I don’t refuse shining things,
空に消え入る鳥を見よ but I want to say, “Look at the bird which vanish into the sky.”

《感想》詩人は空虚で悲しい。青空に美しさや希望を見ない。青空は痛ましい。詩人は輝きを嫌がるわけでない。しかし輝く青空は空虚であって、鳥が消え入る。輝く青空に美しさや希望がない。それは空虚で痛ましい。
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